7月24日
「天人五衰」は、結末部分を読まないままやめました。何年か前、その結末の解釈について書きましたが、その解釈はいまも変わっていません。作者は、普通の現代小説家として、輪廻転生などはただ本多の思い込みにすぎず、すべては偶然だったのだ、という解釈も成り立つ余地を残していると思います。
ポケットマスターピース「ドストエフスキー」、出ました。「未成年」の、新訳による縮約版をまず読みました。とてもすばらしい仕事です。「未成年」は、新潮文庫の工藤訳で2回読んでいますが、どうも決定訳とは言いがたいと思ってきました(主人公が「私」を使うだけで、すでに未成年ぽくないし)。この作品についてはほかの、小沼訳(「俺」で訳してありますが、やりすぎの感あり)も、北垣訳(講談社版)もあまりよくないので好きな部分も多いのにいまひとつ自分の愛読書にはなっていませんでした。しかし、今回の縮約版は私にとって決定訳になりそうです。短くしたことで物語の骨格もよくわかるし、作者の意図もより鮮明に伝わってきます。ぜひ読んでみてください。また、「ステパンチコヴォ村とその住人たち」(目次は「住民たち」と誤植になっています)も入っています。これは、ずいぶん前にここでも書きましたが、隠れた名作です。それから「白夜」の新訳も入っていますが、これはもうあまりにも若いころから好きな短編(ヴィスコンティ監督の映画のDVDも持っています)で、あとの楽しみに残しておこうと思っています。後半の「四大長編読みどころ」も、読んだことがない方にはいいかもしれません。カラマーゾフの訳に、江川訳が採用されているのはなかなか渋いと感じます。集英社版の世界文学全集関連以外では簡単には手に入らない訳だからです。しかし、やはり「未成年」以外の四つの長編は、「罪と罰」は、小沼文彦訳か江川訳か池田健太郎訳で、「白痴」は望月哲男訳で、「悪霊」は小沼訳で、カラマーゾフは池田訳で全編を読んだほうがいいと感じます。
マスターピースシリーズが出始めたときは、比較的安定していたのに、たった10カ月でこんなにくたびれる日常になるとは思ってもいませんでした。「人生は地獄より地獄的」、という言葉を高校時代から何百回となくつぶやいてきましたが、それがただの比喩ではないことをこれほど感じるようになるとは。感じないといけなくなるとは。今日も地獄なんだから。そう思うことだけで生き延びています。生き延びる理由はなにもありませんが。
でも、今日は「未成年」を読むことで、一時的に救われました。やはり、私は世界で一番才能のないドストエフスキーの弟子なので。師匠のビートはやっぱりすばらしいです。