麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第168回)

2009-04-26 22:26:05 | Weblog
4月26日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

まだ、風邪が治りません。

昨日は、ほとんど横になっていて、以前ここで書いた「少年少女古典文学館」の「太平記」(平岩弓枝・編訳)を読みました。とてもおもしろかったです。楠正成がなにをした人なのかさっぱり知りませんでしたが、誠実な武将として描かれていて、自害する場面では感動しました。江戸時代にも「太平記」の朗読会のようなものがあったようで、やはり、正成の登場シーンになると聴衆が盛り上がったのだそうです。機会があればもう少し長い訳を読んでみたいです。

では、また来週。
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生活と意見 (第167回)

2009-04-19 20:13:38 | Weblog
4月19日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

ひさしぶりに風邪を引いて、昨日は1日寝込んでいました。
今日も、咳がなかなか止まらなくてまいっています。

体調の悪さを感じて金曜の夜帰ってきたとき、腹も減っていないのに、いきなりカップ焼きそばを作り始めた自分に驚きました。

まるで、「ここでジャンクフードが食えれば、大したことはないんじゃないの」と、自分で自分を説得しようとしているように。
自分にそんな嘘をついてなんの得があるというのか。

生き物は不思議ですね。
このぶんでは、きっとくたばるときも、なにかまだ大丈夫な証拠を探しそうですね。

では、また来週。

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生活と意見 (第166回)

2009-04-12 22:42:30 | Weblog
4月12日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

今日は、新刊案内はお休みして、「マイナー出版社から出た名翻訳文学」をふたつ、紹介します。

ひとつは、八潮出版社刊「白鯨」(ハーマン・メルヴィル/原光訳)です。
メルヴィルの同作品は、田中西二郎訳(新潮文庫)、阿部知二訳(旧岩波文庫)、千石英世訳(講談社文芸文庫)、八木敏雄訳(現岩波文庫)、磯野宏訳(集英社ギャラリー世界の文学、世界文学全集)、高村勝治訳(旺文社文庫)、坂下昇訳(メルヴィル全集、講談社文庫)があって、その全部を私はもっています。

しかし、通読したのは、新潮文庫版と八潮出版社版のみです。ほかのどれも、訳者の意気込みが感じられるすごい仕事ばかりなのですが、このふたつに比べるとどこか冗漫で、ナンタケットからビークォド号が出帆するころには、ちょっと飽きてきます。わかりやすい訳を心がけてのことでしょうが、その結果が、どれもくどい訳文になってしまっているのです。(特に、坂下訳は思い入れが強すぎるのか、くどいです。)田中訳はしまっていて、読みやすいですが、原光訳に比べるとそれでもくどい。

原訳が出たのはたしか97年だと思います。(私の間違いで94年です)以前からこの方の訳では「ボードレール精髄」を読んでいて、そのわかりやすさとリズムのすばらしさに魅せられていたので、すぐに買って読み始めました(これも私の間違いで、すぐに買ったのはそのとおり。ですが、94年には田中訳で読み終わったばかりで、原訳で再読して熱中したのが97年です)。そうして1週間、エイハブやクークェグとともに海の上で過ごし、船酔い状態になるくらいその世界にのめりこみました。

引き締まった訳文。リズム感。海の男が書いたという設定なのだから、本来それほど冗長な文体ではないはず。その原文をうまく移植したような簡潔さ。また、メルヴィルは、この作品を書いている途中に古典文学に目覚め、その影響をもろに受けながら、ある章は、(読者に断りもなく)突然戯曲仕立てで書いたり(まるでシェイクスピア作品の一景みたいに)、哲学書のように書いたり、さまざまな文体を「ユリシーズ」のように使って書いているのですが、そのひとつひとつがとてもうまく訳されている。

また、なによりも、本来全一巻の原著を、新書版でかなり厚いけどちゃんと一冊本にしているところもいい。全三巻とかになると、読む前にしんどい気がしますからね。

そのあとも同氏は、同社から「メルヴィル中短編集」「詐欺師」「イスラエル・ポッター」と立て続けにメルヴィルの翻訳を出しました。その中で私が読みきったのは「中短編集」だけですが、これも本当にすごい仕事。私はこの本で初めてメルヴィルの短編の魅力を知りました。短編「バートルビー」の中で、主人公バートルビーは、上司に命令されるといつも「やりたくないのですが(僕、そうしないほうがいいのですが)」と言う。その口癖は、喜劇的であると同時に、世界の中に居場所がないバートルビーの、ぎりぎりの自己主張であり、彼がつねに世界に対して抱いている緊張と恐怖をうかがわせるもの。

拙作「風景をまきとる人」の中で、油尾は、「はっきり説明しますか?」を口癖にしています。それは、私の中でバートルビーの口癖を翻案したものであり、油尾になにか口癖をもたせたいという発想は、この本でバートルビーを読んだときに思いついたものなのです。

長くなったので、もうひとつは、来週書きます。

いいたかったこと。
もし、これから「白鯨」を読みたいという方は、原光訳をおすすめします。



では、また来週。
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生活と意見 (第165回)

2009-04-05 19:55:55 | Weblog
4月5日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「風景をまきとる人」に、また書き加えたい箇所が出てきました。
シチュエーションも、意図も、別に何も変わりませんが、ただ2行ほど、説明の足りないところを見つけてしまったのです。
それだけで、また落ち込んでいました。当然気づいていいところなのに、やっぱりあせっていたんですね。まあ、もう死ぬまでに決定稿にするよう、やってみるだけです。



新潮文庫から、ポーの短編の新訳が出ました。
「黒猫」と「ウィリアム・ウィルソン」を読みましたが、ちょっと、「?」という感じ。それが、ひさしぶりにポーを読んだせいなのか、訳文のせいなのか、すぐにはわかりませんでした。「これって、こういう書き方だったっけ」と、読みながら何度も自問しました。なんだか、ラヴクラフトの小説と(以前はそう感じなかったのに)似ているな、と思いました。もちろん、ラヴクラフトはポーの後継者を自任していたわけだから、その作品がポーに似ているのは当然だとして、ご本尊が弟子に似ていると感じたのは初めてです。

要するに、ちょっとがっかりしました。
それで、なんとなく、「これはどうだろう」と試してみたくて、ほぼ同時代の作家、ワシントン・アーヴィングの「スリーピー・ホロウの伝説」を読み直しました。結果、いままでとまったく同じ感想。完璧な創作。イカボッド・クレーンの、失恋して沈みこんだ気持ちと、田舎の夜の森の描写とが溶け合って、怪異が登場するのに十分な雰囲気を織り上げていくクライマックス。しかも、本当に起こったことは喜劇的なイタズラだったという暗示的タネあかしもあり、おかしみもある。また、哀れな男を喜劇的に扱いながらも、作者の同情もしっかり伝わってくる。もう一度言いたい、「完璧な創作」。人間世界が続いていく限り読まれ続ける、一見古臭いが、その実いつまでも古びない小説。絶対無理ですが、こんな作品が書けたら、その瞬間に死んで本望でしょう。(ワシントン・アーヴィングも、そのすべてが傑作というわけではなく、この作品が頂点だと思います。)

たぶん、訳文のせいではありません。
あらためて考えてみると、ポーは40歳で死んだ人。すべての作品は、20~30歳代のもの。もちろん、その若さであれだけのものを書けるのは天才に違いありません。
ただ、50近くまで生き延びてしまった凡夫には、もうポーの小説は、「これからも再読したいリスト」からは外れていくと思います。これらは、若い読者にこそ読まれるべきで、そこには、もはや私が必要とするものはなにもなさそうです。(「ユリイカ」は別だと思います。)

しかし、ワシントン・アーヴィングの作品を「もういいいや」と思うことは死ぬまでないことでしょう。



では、また来週。
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