4月12日
立ち寄ってくださって、ありがとうございます。
今日は、新刊案内はお休みして、「マイナー出版社から出た名翻訳文学」をふたつ、紹介します。
ひとつは、八潮出版社刊「白鯨」(ハーマン・メルヴィル/原光訳)です。
メルヴィルの同作品は、田中西二郎訳(新潮文庫)、阿部知二訳(旧岩波文庫)、千石英世訳(講談社文芸文庫)、八木敏雄訳(現岩波文庫)、磯野宏訳(集英社ギャラリー世界の文学、世界文学全集)、高村勝治訳(旺文社文庫)、坂下昇訳(メルヴィル全集、講談社文庫)があって、その全部を私はもっています。
しかし、通読したのは、新潮文庫版と八潮出版社版のみです。ほかのどれも、訳者の意気込みが感じられるすごい仕事ばかりなのですが、このふたつに比べるとどこか冗漫で、ナンタケットからビークォド号が出帆するころには、ちょっと飽きてきます。わかりやすい訳を心がけてのことでしょうが、その結果が、どれもくどい訳文になってしまっているのです。(特に、坂下訳は思い入れが強すぎるのか、くどいです。)田中訳はしまっていて、読みやすいですが、原光訳に比べるとそれでもくどい。
原訳が出たのはたしか97年だと思います。(私の間違いで94年です)以前からこの方の訳では「ボードレール精髄」を読んでいて、そのわかりやすさとリズムのすばらしさに魅せられていたので、すぐに買って読み始めました(これも私の間違いで、すぐに買ったのはそのとおり。ですが、94年には田中訳で読み終わったばかりで、原訳で再読して熱中したのが97年です)。そうして1週間、エイハブやクークェグとともに海の上で過ごし、船酔い状態になるくらいその世界にのめりこみました。
引き締まった訳文。リズム感。海の男が書いたという設定なのだから、本来それほど冗長な文体ではないはず。その原文をうまく移植したような簡潔さ。また、メルヴィルは、この作品を書いている途中に古典文学に目覚め、その影響をもろに受けながら、ある章は、(読者に断りもなく)突然戯曲仕立てで書いたり(まるでシェイクスピア作品の一景みたいに)、哲学書のように書いたり、さまざまな文体を「ユリシーズ」のように使って書いているのですが、そのひとつひとつがとてもうまく訳されている。
また、なによりも、本来全一巻の原著を、新書版でかなり厚いけどちゃんと一冊本にしているところもいい。全三巻とかになると、読む前にしんどい気がしますからね。
そのあとも同氏は、同社から「メルヴィル中短編集」「詐欺師」「イスラエル・ポッター」と立て続けにメルヴィルの翻訳を出しました。その中で私が読みきったのは「中短編集」だけですが、これも本当にすごい仕事。私はこの本で初めてメルヴィルの短編の魅力を知りました。短編「バートルビー」の中で、主人公バートルビーは、上司に命令されるといつも「やりたくないのですが(僕、そうしないほうがいいのですが)」と言う。その口癖は、喜劇的であると同時に、世界の中に居場所がないバートルビーの、ぎりぎりの自己主張であり、彼がつねに世界に対して抱いている緊張と恐怖をうかがわせるもの。
拙作「風景をまきとる人」の中で、油尾は、「はっきり説明しますか?」を口癖にしています。それは、私の中でバートルビーの口癖を翻案したものであり、油尾になにか口癖をもたせたいという発想は、この本でバートルビーを読んだときに思いついたものなのです。
長くなったので、もうひとつは、来週書きます。
いいたかったこと。
もし、これから「白鯨」を読みたいという方は、原光訳をおすすめします。
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では、また来週。