麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第299回)

2011-10-29 16:30:14 | Weblog
10月29日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「日はまた昇る」を四回目、読了しました。
今回は、以前からもっていた旺文社文庫で読みました。
この訳がすごくいい。守谷陽一さんという方で、同じ旺文社文庫でフィッツジェラルドの「雨の朝、パリに死す」を訳された方です。現在私が決定訳だと思っている、金原訳「武器よさらば」と、自然につながるようなリズムと言葉づかい。味読できました。釣りの日の描写など圧巻です。

ヘミングウェイ、やっぱりいいですね。私は魚には触るのも嫌ですが、物語の中ではリアルに釣りをしていました。酒もそうです。実際には飲めませんが、あびるほど飲んで酔っ払いました。

ただ、今回は、年のせいかブレットのような女をちょっとめんどくさく感じてしまいました。もはや興味もないし、関わりたくもない感じ。でも、若い時はブレットにも共感できたのです。ジェイクの気持ちもそのまま理解できました。しかし、ジェイクはヘミングウェイの創作した人間。リアリティは完璧ですが、作者とはズレているはずです。でも、それでいい。物語の世界は完結しているから。

この本を読むたびに、書くというのはすごいことだ、と感じます。自分の脳の中におさめられた風景や世界の雰囲気を、これだけ見事に紙とインクで封じこめることができるなんて。実際魔法のようです。

書いていると思い出しました。「武器よさらば」で主人公二人が、なかなか離れることができずに夜の駅の周りをただ歩きまわる場面。まるで自分の経験のように思い浮かべられる。これが要するに天才ということなのでしょう。文学理論など死ね、という感じです。



昨日、神保町の古本祭りに行きました。
すごい人。すごい量の本。
向かいにマクドナルドが見える靖国通りの曲がり角で、中公「世界の文学・新集」の、原卓也訳「戦争と平和」(トルストイ・全三巻)を買いました。800円。「一度も文庫になったことがなく、現在読むことができない原卓也訳戦争と平和。それを、『まだ書店が捨て価格にしていない800円という値段』をお買い得と理解して買っていく俺ってシブいなあ」と、マニアックな自己満足を感じながら、ひとり、会場を振り返り、「ふっ」。キザな笑いも気持ち悪い。



では、また来週。

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生活と意見 (第298回)

2011-10-23 03:40:52 | Weblog
10月22日


立ち寄ってくださって、ありがとうございます。

「アブサロム、アブサロム!」新訳、出ました。
少し読んだけど、入りにくい。フォークナーは入りにくい、と改めて感じています。

「響きと怒り」は、自分なりに、意味をくみ取れるところはくみ取った、と思います。この本も、そういう感じで、全体を理解することはおそらく無理でしょうが、いつか読むと思います。



フォークナーを読んだので浮かんできたこと……

私はもともと、「一族」とか「ルーツ」とか「血」というようなことがすべて嫌いで、何の興味もありません。「おまえは自分ひとりでこの世に生まれたと思っているのか」。そんなふうに叱責する人はみなある程度「いい家」の人ばかりで、語るべき先祖の過去もたくさんある人たちです。うちにはそんなものは何もない。父が田舎の暴走族の頭だったというどうでもいい武勇伝があるだけで、系図もなにもありません。

自分のために自分で作り出す「おとぎ話」以外、私に生まれた理由は何もなく、私がいてもいなくても、世の中には何の影響もないでしょう。「世の中に影響がある」という言葉自体なんのことを言っているのかもわかりませんが。遺伝子も残らないし、墓にも入らない。自分も墓参りなどいやだったし、誰にもそんなことをしてもらいたくないからです。もちろん、死後の世界も来世も信じません。



フォークナーを手本にしたと思われる日本の作家に中上健次がいます。若いころから読もうと努力して結局どうしても読めない大作家です。

黄金比の朝、だったか。浪人生が主人公の話がありました(最初に読むのに、身近な設定ならわかりやすいと考え、それを選んだのです)。その男は、兄たちの影響か何か知らないが、世の中についていろいろ考えていて、革命だとか学生運動だとかのことを考えている。立派な考えを抱き、既成社会に反抗している。でも、そんな男が、いったいなぜ予備校に通っているのか。読み始めて、すぐにつまずきました。既成社会に反感を抱き、見下している。つまり、高い所に立っていると自覚する男が、既成社会の中の、バカの最たる存在である大学にわざわざ行こうとしている。なぜか。まったくわかりません。このような設定で、唯一主題があるとすれば、それは、大変立派な、独立心旺盛な、思想といってもいいものを持ちながら、自分が予備校生でいることしかできない、その自分の愚かさを追及することでしょう。ところが、主人公はまるで老人のように、自分のことは棚に上げて怒りを外にばかりぶつける。この主人公はなにがしたいのか。すべてを見下すその鋭い言葉で、なぜまっさきに自分を突き刺さないのか。わからない。こんな若者はいないし、ロボットだと感じました。他の作品でも、登場人物に、いつも少しの共感も感じることができませんでした。この作者には書きたいことはなにもないのではないか。自分の脳ミソのよさを誇示するために政治論文の代わりに小説を書いているのではないか。書くことで要求しているのは、「俺の優秀さを思い知れ」ということだけではないか。

私は、そういうふうに感じる人にいつも「東大系作家」という呼び名をつけてきました。本当に東大に行ったかどうかは関係ありません。中上健次はエリート臭い。肉体労働者の書き方にしてもそれを神のように書こうとすればするほど彼らを侮辱しているように感じます。

その感じがあまりに強く、私はその作品をいまだに読めません。見かけは似ていても、それは、フォークナーとはあきらかに別の世界だと思います。フォークナーは、心底くだらない自分の姿を飾り気なく登場人物に反映させています。しかし中上作品には粉飾された自分しか出てこず、結局作者は一度も本当の告白をしていない、と感じます。どんな醜いことを書いても、「見せてもいい醜い自分の一面」(それもまた優秀さを際立たせる宣伝)でしかない。それは私の考えでは文学ではありません。いくら天才的な文章をつづれたとしても、です(蟻が富士山を批判している、とわかっていますが、正直な気持ちです)。




志賀直哉全集九巻(随筆集一)読了。



では、また来週。



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生活と意見 (第297回)

2011-10-15 14:31:25 | Weblog
10月15日


湿度が高くて不快です。

これまで、全創作を読んだのは、ドストエフスキーとプルースト(「ジャン・サントゥイユ」は完全に草稿なので中途で挫折しましたが作品に数えません)と今回の志賀直哉の3人だけです(サリンジャーは、「ハプワース」のみ、持っているけど読んでいません。埴谷雄高は短編を全部は読んでいないので)。
よほど相性がよかったのだと思います。

志賀直哉を読んでいる最中「カラマーゾフ兄弟」を読んだのは、なにかこてこての文章が読みたくなったからです。こてこてでも、新しい設定を頭に入れるのはわずらわしかったので、骨組みが完全にわかっているものを読みました。最近、同じ欲求で読んだのは「ゾーイー」です。これもこてこてで満たされました。「ナイン・ストーリーズ」もいくつか読みなおしました。慣れてきた柴田元幸訳がいいですね。


新潮文庫の「清兵衛と瓢箪・網走まで」が改版になりました。これも偶然のタイミング。帯に「翻訳不可能云々」と書いてあり、本当にそうだな、と思いました。翻訳不可能なものが難解でダメなものだとはまったく言えない。百も、もちろん、翻訳不可能でしょう。

そうだ。日本永住を決めたドナルド・キーンの「日本文学史」(近代・現代篇二)も読みました。独歩、漱石、鷗外、白樺派など、一番興味深い巻でおもしろかったです。

では、また来週。


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生活と意見 (第296回)

2011-10-07 23:42:22 | Weblog
10月7日


約1カ月ぶりの休みです。

今日はこの町を出ないつもり。

志賀直哉全集、5、6巻を読み終わり、
新書判全集が出てから亡くなるまでに書かれた小説を
新版全集第10巻で読み、これで小説をすべて読了しました。

すばらしい読書体験でした。

ひとつ、皆さんに勧めたいのは
8月にちくま文庫から出た
「文豪怪談傑作選・大正編・妖魅は戯る」です。
この中に「志賀直哉小品集」というのが編まれています。
「志賀直哉って、全部『城の崎にて』だろ」
という人にぜひ読んでみてほしいです。
あれえ? という感じがするはず。

あと、もうひとつ。
やはりちくま文庫の「ちくま日本文学・志賀直哉」で、
ほかの文庫には入っていない「速夫の妹」「自転車」
を読んでみてほしいです。編者のセンスが光るセレクトです。

それにしても、新書判全集という体裁はいい。
どこにでも持っていけるし、丈夫だし。
個人全集は全部この体裁にすればいいのに、と思いました。

職場が遠くなり、通勤時間が延びたことが読書にはプラスになっているようです。




永井荷風の「断腸亭日乗」に対抗して
「短小包茎亭日乗」という日記を書き始めました。
披露することはできませんが。



では、また来週。
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生活と意見 (第295回)

2011-10-01 06:14:58 | Weblog
10月1日

読んだもの
●志賀直哉全集(新書判)
2、3、4巻

フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」の新訳が岩波文庫から出るようです。文芸文庫のやつを読もうかどうか迷ってきたけど、これを機会に読み始めるつもりです。

では、また来週。


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