マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

バッハのレクイエム・鎮魂歌・・・『母の命日』・・・『私を信じる者は、死んでも生きている。』 そして 『イエスは七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、与え、群衆は食べて満腹した。』

2021-02-13 11:00:00 | 父と母のこと 兄弟のこと
2月13日。土曜日。晴れ。

今日は『母の命日』。
一日中、家中で、
バッハの『レクイエム・鎮魂歌』が鳴り響きます。
懐かしい母を偲ぶ一日です。

       
              『献花』
 
   亡き母の、 『結婚前の写真』 と 『我が家に同居の頃の晩年の写真』 を掲げました。
       花器は、母が自分の『60才の誕生日の記念』に、自分に与えた『ご褒美』です。
                           私が大切に受け継いでいます。
         花々を愛した母は、花々に似て、自己主張をしない人でした。

            いくつかの戦争 更に 兄・弟の戦死という
          自分の力ではどうにもできないつらい経験を重ねた母は、
       「自己主張をしない」 という 「強さ」 を身につけたのでしょうと、
              そんな母を尊敬する私でした。


              今日は母の命日。
         コロナ禍のため、東京のお墓参りには行けません。
             こんな命日は想像すらしませんでした。

そこで、
懐かしい写真の前で祈りました。

      『いつくしみ深い神よ、
    この世からあなたのもとにお召しなった私の母を心に留めてください。
     キリストに結ばれ、その復活にも結ばれることができますように。』



お墓参りの代わりに、
               教会で『祈り』を捧げました
 


        懐かしい母の、優しい姿、美しい姿、凜として不動の姿、等々、
           よみがえってきます。 偲びました。


       『人類の救いをよろこび、罪人をゆるされる神よ、
       いつくしみをもって私の祈りを聞き入れてください。
    この世を去った私の母が、聖母マリアとすべての聖人の取り次ぎに助けられ、
      永遠の安らぎが与えられ、 あなたの光の中で憩っていますように。』

           以上。 『カトリック祈祷書 祈りの友』参照


涙しながら祈る時・・・
コロナウイルスのために、
理不尽にも、突然に、肉親を失った多くの人たちの
無念 と 癒えることのない悲しみ と 涙、に思いが至りました。

         『いつくしみ深い神よ、
  コロナウイルスによって亡くなった多くの人たちが、永遠のみ国に迎え入れられ、
        尽きることのない安らぎに満たされていますように。
  また亡くなった人たちのご遺族に慰めと希望を与え、力づけてくださいますように。』

         『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』参照


最後の祈り。

        『私の亡き母が、神の御国で、
  亡き夫や二人の息子と再会し、終わりのない喜びの中で共に過ごしていますように。
  そして、私もこの世の命を終えた後には、亡き父母と兄たちに再会できますように。』



    今日も、『キリストの御言葉』 を信じて、母を神にゆだねます。感謝!感謝!

    『わたしは復活であり、命である。 私を信じる者は、死んでも生きている。
      生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。』

                    ヨハネ福音書 11章25&26節



そして。

今日は2月13日。年間第五土曜日。

『今日の入祭唱』

  『主は驚くべき御業を記念するように定められた。
主は恵み深く憐みに富み、主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに心に留められる。』

          詩編 11章4&5節


『今日の福音 イエスの御言葉』

         『そのころ、また群衆が大勢いて、
 
          何も食べる物がなかったので、
        イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。

         「群衆がかわいそうだ。
    もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。
   空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。
        中には遠くから来ている者もいる。」


弟子たちは答えた。
    「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、
     これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか。」

      イエスが 「パンは幾つあるか」 とお尋ねになると、
        弟子たちは、「七つあります」 と言った。

 そこで、  イエスは地面に座るように群衆に命じ、
     七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、
      人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。

         弟子たちは群衆に配った。
       
        また、小さい魚が少しあったので、
     賛美の祈りを唱えて、それも配るようにと言われた。

         人々は食べて満腹したが、
      残ったパンの屑を集めると、七籠になった。
         およそ四千人の人がいた。

     イエスは彼らを解散させられた。
 それからすぐに、弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方に行かれた。』
         マルコ福音書 8章1-10節


        『神にできないことは何一つない。』
ルカ福音書 1章37節 
           と、深く信じる私には、
         イエス様が 『7つのパンと小さい魚』 を増やして、
       四千人の人を満腹させることは、たやすいことと信じています。


     イエスが群衆に配られた『パン』は、
          イエス様が定められた、『イエスの体・聖体』 の前表です。


  更に、
   感謝の祈りを唱えてパンを裂き、
      4000人の群衆の腹を満足させたように、
『最後の晩餐』では、
    
  『私の記念としてこのように行いなさい』ルカ22ー19 と言われたように、

  『主は驚くべき御業を記念するように定められた』後、
            今も後までも続くのは、
          イエス様が定められたことです。


     残った『パンくず』は、
        イエス様の御昇天後に、
      弟子たちが人々に伝える 『イエス様の言葉』 であり、
        弟子たちが人々に配る 『御聖体』 であり、
         信じる者の『心の糧』 なのです。
 


私たちキリスト者も、
『イエス様』と『イエスの言葉』を
人々に伝えて行くことができるといいですね。

     
『今日の祈願』

  『神よ、恵みによって、心と体を癒やしてください。
   主の死を告げる私たちが、キリストと苦しみをともにし、
    復活の栄光にもあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今冬は、コロナ感染予防のための手洗いとマスク着装のお陰様で、
例年よりインフルエンザ感染者が少なかったと云われますね。
更なる手洗いとマスク着装と三密を避けて、コロナウイルスの終息をも迎えたいものですね。