マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『The 東京』・・・始まりがあり終わりがある。 そして 『アブラハムの妻サラが男の子を産む。』

2017-06-30 05:30:00 | 旅行。海外旅行。

 6月29日。朝8時半高速道路を下りて・・・東京着。 旅の始まりです

そして。

 13時間後。

 6月29日。夜9時半 高速道路に乗って・・・ 東京を離れる。 
 
                                           旅の終わり。

            物事には、始まりがあり終わりがある。

   故郷・東京の一日旅にも、終わりが来た。

           終わりは、どんな時にも、さみしいが伴うが・・・
           終わりがあるから、始まりがある。新しい出発がある。

      今日も、
一日の始まりがあり・・・多くの人達とのすばらしい出会いがあった。発見があった。・・・そして一日の終わりが来た。
                                               出会った人々に感謝! 神に感謝!
      
    明日の新しい一日には、どんな出会いがるのだろうか? どんな発見があるのだろうか?


そして。

今日は6月30日。年間第十二金曜日。

    『今日の第一朗読 一神教の始まり

     『アブラハムが九十九歳になったとき、主はアブラハムに現れて言った。

           「私は全能の神である。
わたしは、あなたの妻サラを祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。
 
 
わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。
            その子をイサクと名付けなさい。
   わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」

     神はこう語り終えると、アブラハムを離れて昇って行かれた。』
                                          創世記 17章1-22節


      ユダヤ人・『選民』の始まりです。 『一神教』の始まりです

サラは、
夫・アブラハムがサラを「私の妹です。」と偽って、王達の求愛を避け、夫婦の身を守る程に、美しい女性でした。
    同時に
不妊に身である90歳の我が身に神の力が働いて懐妊することを信じる程に、信仰深い女性でした。

    妻・サラの信仰的従順が、夫・アブラハムの信仰的従順を、更に深めていったのです。


憐み深い神は
妻・サラに、90歳という高齢で、約束通りに、イサクを産むことを可能にしました。
『約束』を確証するように、『約束』のしるしとして、懐妊を知らせる時に、サラに『改名』するようにと言われたのです。
結婚時の名前・『サライ』から、イサクの母となり、ヘブル語で『王妃、国々の民の母』を意味する『サラ』に改名したのです。

     妻・サラへの神様の大きな恵みが、『一神教・ユダヤ教』の始まりとなったのです。


        物事には、必ず、始まりがあり終わりがあるのです。
          そして。

   物事の始まりは、「これって何を意味するの?」というように、はっきりしたものではありません。

        しかし。
   『神の始まり』を信じることにより、『神の御旨の成就・完成』・終わりの時が来ることを信じて・・・
                今日も、小さな 信仰の一歩を進めるのです。

                                信仰にも、始まりがあり終わり・完成があるのです。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日常の中に、一瞬の輝きを見せる『非日常』 て素敵ですよね。 大切にしたいものですね。 
                  明日の週末も素敵に大切にお過ごしください。


『The 東京』・・・我が故郷、我がアイデンティティー。 そして 『天におられるわたしたちの父』

2017-06-29 08:30:00 | 旅行。海外旅行。

 6月29日・木曜日・朝8時半。到着。

        我が故郷・・・   『東京』
     
          そこは・・・  『ビルビルビルビルビル』

そして。

          そこは・・・  『人人人人人』
 
        そこに降り立つ私の胸は、嬉しさと懐かしさに、高鳴る。

      我が故郷。我がアイデンティティー。  『The 東京』 です。

    人には、人格における『存在証明』のような・・・『同一性』のような・・・
          その人の一貫性なる『特性』がありますよね。
       ”ああ!あそこの出身でいらしたのね。納得するわ!” と。

     きっと。
 私の場合も、”やはりね! 東京出身でいらしたのね。納得!” と言われているのかもしれない。

 東京の地・我がアイデンティティーに降り立つ私の心は、嬉しさと懐かしさに、震えるのです。


そして。

今日は年間第十一木曜日。
     『今日の福音 イエスの御言葉 我々・人類のアイデンティティー

      『イエスは弟子たちに言われた。 こう祈りなさい。

         「天におられるわたしたちの父よ。」

                                   マタイ福音書 6章9節

   イエスは、
     祈りの時には・・・『我らの父よ』 と祈ったのでしょう。
       そして。
     私達にも勧められたのです。
         『天におられるわたしたちの父よ』 と祈りなさいと。

    天におられる御父・神こそが、全人類のアイデンティティー、ルーツです。
    神は、すべての人の父親です。全人類の一人一人を守ってくださる父です。

 ということは。

             私たち・人類は、御父の元、一つの家族です。

       イエスは、
     『私の父よ」 ではなく、『我らの父よ』 と祈ることを、私達に勧められたのです。
      
 
       つまり。
    『天におられるわたしたちの父よ』 と祈る時、
私たちは、祈りの時は、自分自身のためだけではなく、お人・全人類の家族のためにも祈っているのです。


 
「ああ、やはりね。 あの方は神の子でいらしたのね。」 と言われたいものです。 皆様、頑張りましょう!

           
   私のアイデンティティー、御父・神を思う私の心は、嬉しさと有難さに、震えるのです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の故郷はどちらですか? 自分の故郷を愛して、自分の故郷らし人になりたいですね。     


『To be or not to be。』・・・新幹線かバスか? そして 『滅びに通じる道か、命に通じる道か?』

2017-06-27 21:42:26 | 旅行。海外旅行。

     『To be or not to be that is a question !』

            『復讐を すべきかすべきでないか』
 
   『苦悩を抱え生きていく方がいいのか、死を選ぶ方がいいのか』

            ハムレットのジレンマです。

そして。

『To be or not to be。』

      明後日・木曜日、朝8時から丸一日だけ、東京で過ごす私。
     
      新幹線利用なら・・・・前日・水曜日は、家を昼には出て、東京のホテルに宿泊です。
     夜行バス利用なら・・・前夜・水曜日は、家を夜9時半出発、バスに宿泊です。

           『新幹線 or 夜行バス?』 
             私のジレンマです。

       私の場合の『ジレンマ』は、決め手が二つ、即解決です。
 
 値段。 新幹線利用経費:運賃(30200)+ホテル(10000円)=40200円也。
       夜行バス利用経費:往復運賃(9000)+バス泊(無料)=9000円也。 両者の差額は31200円也。

 時間の有効利用。 新幹線利用の場合:水曜日の昼食後から、夫の留守番が始まる。
              夜行バス利用の場合:水曜日夕食をゆっくり夫と一緒に食べてから、出発出来る。  
  

   夫は、新幹線が楽でいいよ、僕は新幹線以外は考えられないね、と言う。
   私は、夜行バスが気にならないので、夫と長く一緒がいいし、日帰り旅なので安いバスで十分です。
                                 浮いた差額金で、御当地・超グルメを!といきたい

 
そして。
 
今日は6月27日。年間第十二火曜日。
 
     『今日の福音 イエスの御言葉』
  
                       『あなたは、左右 どちらの道を選ぶのか?』 
 
         『To be or not to be。 どうしますか?』

             『イエスは弟子たちに言われた。
     人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

     滅びに通じる門は広く、その道は広々として、そこから入る者が多い。
         命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
                               マタイ福音書 7章12-14節
 

    
人は、お人にしてもらいたいことが、一杯あります。
    ところが。
   人は、お人がしてほしいことを、お人にして差し上げることは、苦手です。 知らぬ顔です。
 
   でも。
   イエスは、『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』 と 『命令』です。
 
 
  命令が実行できる人は、非常な困難が伴う『細い道』だけど、『命に通じる道] を歩くことなのです。
 命令が実行できない人は、歩きやすく楽楽な『広い道』だけど、行先は、『滅びに通じる道』 を歩いているのです。
 
     私たちは、日夜問われているのです。
     『To be or not to be。』 『どちらの道を選びますか? 命の道 or 滅びの道?』 と。
 
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日夜答えてまいりましょう。 「私は困難が伴っても、命に通じる『細い道・隣人愛の道』を選びます!」と。

*********

5時。 1か月前の大台ケ原でのトレイルラン以来の足の筋肉痛が、やっと治ってきました。有難や!有難や!12㎞。

6月の運動: ランニング 63㎞  階段上り下り 0回
  登山 1回

『まずは、仲直り』 そして 『まず自分の目から丸太を取り除け。』

2017-06-26 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 朝5時。走り出す。

   ランニング途中のプロテスタント教会の『掲示板』。 『今週の一言』のチェックです。

          『今週の一言』 は 『まずは、仲直り』でした。

   朝起きて一番に気持ちよくご挨拶できれば、一日中気持ちよく過ごせますよね。
昨夜からぎくしゃくしていては、朝一番の御挨拶ができません。 それは困りものですよね。

                  まずは・・・仲直りです。

         仲直りで思い出すのは 『イエスの御言葉』

     『あなたが祭壇に供え物をささげようとし、
兄弟が自分に反感を持っているのを思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、
  まず行ってその兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物を捧げなさい。』
                                       マタイ福音書 5章23&24節


  ある人が、神様に献げものをしようと、祭壇前まで来たのです。
     そして。
祭壇の上に供え物を献げようとしたとき、この人は、友だちと喧嘩していたのを思い出しました。
     友だちは、まだ反感を持ち、怒っているはずです。
     
     そんなときは、
神様への献げ物を後回しにしても、『まず、友だちと仲直りをしなさい。』、とイエスは言われたのです

   神さまへの礼拝を後回しにしても、まず、お友達と仲直りしなさい。
     怒りは、一番避けるべきこと、神の喜ばないことなのです。

       喧嘩をするのに色々な原因があったでしょう。

    それでも。
 

       隣人への怒りを持ったままでは、神への礼拝も無意味。
   隣人への愛を説くイエスは、『まずは、隣人と仲直りを!』と言われるのです。

    『ごめんなさい!』は、神にも隣人にも喜んでもらえる『最高の言葉』なのですね。


そして。
今日は6月27日。年間第十二月曜日。

        『今日の福音 イエスの御言葉』

『あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太には気づかないのか。
        偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
 そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。』
                                            マタイ福音書 7章1-5節

       人は、人様のおが屑=小さな欠点 ですら、すぐ気づきます。
            でも。
    人は、自分の丸太=大きな欠点 にすら、気づかないことが多いのです。


 イエスは

 ここでも言われるのです。

      『まずは、自分の欠点に気づき、反省しなさい。 
        そうすれば、
お人の欠点に目がいかなくなりますよ。 お人を裁くことも、喧嘩することもなくなりますよ。』と。

       
                  『世界の平和 愛の共同体』
 
     喧嘩ではなく、受容です。 裁きではなく、理解です。 分断ではなく、合意です。
                       『相互共存』ですね。

                                     イラストはネットから拝借

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界平和は、世界の一人一人の心が平和であるところから生まれてくるのですよね。
      まずは、仲直り。 そして 平和でいましょう!

*********
5時。走りだけに集中で、体と心がぴったりと一体の実感を味わいます 出会う方々に御挨拶も出来ました。10㎞。

6月の運動: ランニング 51㎞  階段上り下り 0回  登山 1回


”おばあちゃんは、なぜ走るの?”・・・『孫娘からの質問』

2017-06-25 07:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・

今朝。早朝。
小学4年生の孫娘から電話。

 「学校で『自分新聞』を今年も作るの。 今年は『松本マラソン』で新聞を作ることにしたの。
 
                  昨年は、『学童保育』で、地域新聞社で受賞した孫娘でした。


     そこで・・・
     松本マラソンにエントリーしているおばあちゃんに質問です。

『おばあちゃんは、①松本マラソンをなぜ走るの? ②松本マラソンへの期待は何ですか?』

    松本マラソンに限れば・・・
    おばあちゃんのは、簡単です。

 大好きな娘家族の住む松本での、一回目・初めての、『第一回松本マラソン』だから走るのです。
 ②期待は完走です。市民マラソンとは一味違う、制限時間の短い『マラソン』です。高齢になっても…完走したい!
                                          
私の答が、どんな新聞記事になるのでしょうね?楽しみです。頑張ってね!


孫娘が疑問に思う通りです。

                   『人はなぜ“走る”のか?』

 我が家は。 私 と            息子嫁様
               
                                 恰好良い!

      娘の旦那様        と                 息子

      初マラソンは3時間台。            あまりの暑さに氷水をかぶって・・・ヒエ~。

     家族4人がランニングに魅了され・・・ランニングを習慣にしているのです。

    なぜ? 私達は忙しい仕事の合間を縫って、ランニングに励むのでしょうか? 

 

私の場合。
           『私らしく』あり続けるために、走るのです。
           年を重ねても、『私らしく』ありたいのです。

      結婚直後から本格的に走り始めて、今まで。 私は『走る女』なのです。
体型維持。健康維持。ランナー仲間が素敵。山女であり続けるためにも。精神力向上。ラン中の冥想時間も魅力です。
  年を重ねても、ゆっくりランナーになっても・・・私らしく、『走る女』でいたいのです。
        
           

            『つらいことを自分に課す』
     私の旺盛なチャレンジ精神も、私のランニング理由の一つです。

     10月には、婿殿と共に、松本マラソンにチャレンジです。頑張ります!
つらいことをやり終えた時の『達成感』・・・本人だけが味わうことのできる達成感も走る原動力なんです!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は挑戦がお好きですか? 挑戦で…つらい日々の現実を乗り越える力が養われますよね。


人々に救い主キリストを迎える準備をした人・・・『洗礼者聖ヨハネ』

2017-06-24 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 今日は6月24日・土曜日。

          『洗礼者聖ヨハネの誕生 祭日』 

 今日は、人々に救い主キリストを迎える準備をした人・洗礼者ヨハネの生涯。
               誕生前後の出来事を中心に、たどってまいりましょう。
                                  よろしくお願いいたします


1.  天使ガブリエルが、
    (ヨハネの父:)祭司ザカリアに、『妻エリザベトが身ごもって男の子を産む』 と、
                                          告知します。

  『ザカリア、あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
    その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。
彼は主の前に偉大な人になり、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。』
                                             
ルカによる福音書 1章13-17節

その六か月後。

    
2.天使ガブリエルは、
      今度は、マリアに、『イエスを身ごもったこと』 を告知する。

     
     
              『受胎告知』         
エル・グレコ作品

  『おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる。
あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』
                                                
 ルカ福音書 1章26-38節

    洗礼者聖ヨハネの母・エリザベトは、
         イエスの母マリア と同様に、神の力により、懐妊したのです。


3. ヨハネの母・エリザベトを、
           マリアが訪問。 エリザベトは賛歌を歌う。

  
 
                  『訪問』              
ドメニコ・ギルランダイオ作品。

   『マリアは急いで山里に向かい、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。
        エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
 
   「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
   主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」』
                                   
  ルカ福音書 1章39-45節


     エリザベト・ヨハネの母 と マリア・イエスの母は、親戚でした。

          
        神・聖霊の力で懐妊したことを告げられた二人の母親。
   まずは・・・一人で、『神にできないことは何一つない』(ルカ 1-37)と、信じました。
    次に・・・・二人で、互いに訪問し合って、自分たちの信仰を確認し合いました。

  
    『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』
                                      
ヘブライ人への手紙 11章1節 
         私たちも、家族と友人達と、訪問し合って、分かち合って、
     互いの信仰を確信・確認して、揺るぎない信仰生活を送りたいものですね。

  
4. 洗礼者ヨハネの誕生。

       ヨハネとイエスは親戚同士の幼なじみです。
     
                『鶸(ひわ)の聖母』        


  幼児として描かれた洗礼者ヨハネ(手前左)は、イエスより六か月年長です。

      『月が満ちて、エリザベトは男の子を産んだ。』 ルカ福音書 1-57


5、ヨハネの父ザカリアは、
   『メシアの出現』 及び その先ぶれの『預言者』としての、『ヨハネの役割』を預言する。

      『父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

      「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
 主はその民を訪れて解放し、われらのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
       幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」』
                                   
    ルカ福音書 1章 57 - 79節

 
             『貝殻の子供達』                   ムリーリョ作品。
 水を飲んでるのが洗礼者ヨハネ。 ヨハネに貝殻の杯を差し出しているのがイエスです。

『幼子ヨハネは、身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで、荒れ野にいた。』
                                                  
ルカ福音書 1-80


6、洗礼者ヨハネによる宣教の始まり。

       『洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
      
             『洗礼者ヨハネ』    
預言者の身なりで現れます。

          「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

      これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
   『荒れ野に叫ぶ声がする。『主の道を整え、その道筋ををまっすぐにせよ』

ヨハネは、ラクダの毛衣を着、腰の革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。』
                                          マタイ福音書 3章1-4節


   青年期のヨハネは、
   荒れ野で、禁欲と断食、祈りに明け暮れ、預言者としての訓練を積んでいたのです。



7、洗礼者ヨハネによる、『悔い改めの洗礼』 の始まり。

    
          『イエスの洗礼』          
ジェラルド・デイビット作品。

     『民衆が洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、
    天が開き、聖霊が鳩のように見える姿でイエスの上に降って来た。
        すると、
 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。』
                                      
ルカ福音書 3章21-22節


     イエスは悔いるべき罪を持ちません。
       したがって、
  イエスは、ヨハネから洗礼を受ける必要なはない。と思いますよね。
       実際、
  ヨハネは、イエスに洗礼を施すことをいったんは断わります。
     それにもかかわらず、
 イエスは、『正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。』とヨハネを説得し、受洗されました。

   『神の子羊』であるイエスが、
人の罪を背負って死ぬということを示すために、イエスはヨハネから受洗されたのだと考えられています。



追記。
      『荒れ野に叫ぶ者の声』 及び 『エリヤ』 としての洗礼者ヨハネ の宣言。

            ヨハネの父・ザカリアは、
        
ヨハネ誕生の時に、『マラキ書』を引用して、
   我が子・ヨハネを 『荒れ野に叫ぶ者の声』 として預言をしました。

       『幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。』
                                               
マラキ書 3-2


             イエス・キリストは、
        集まった群衆に対して、『マラキ書』を引用して、
        幼なじみ・ヨハネを 『エリア』 として紹介します。

                『天に昇るエリヤ』           マルク・シャガール作品 

    『見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。
   あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者。 見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。』
                                 
 マラキ書 3章 1節 

   イエスは、更に、ヨハネを『偉大な予言者』 であると宣言なさるのです

       『はっきり言っておく。
「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネよりも偉大な者は現れなかった。
     すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。
 あなたがたが認めようとすれば分かることだが、彼は現れるはずのエリアである。」』
                                     
マタイ福音書 11章11-15節


   ヨハネ自身も、『我こそはエリアである。』 と 『自分の役割』 宣言しました。

        『ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
    
   「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」』 
ヨハネ1-23


皆様!
    今日は、御一緒に、『洗礼者ヨハネの人生』を、一部ですが、学ばせて頂きました。
                           ありがとうございました


    私たち一人一人も、
   神から愛され、一人一人の『役割・使命』を持って、この世に派遣されたのです。
    
 『役割・使命』に大小はありません。 神の目には、同じ価値です。私たちの目にもです!
     今日も、洗礼者ヨハネに倣って、使命を果たしてまいりましょう!

         御訪問ありがとうございました。感謝申し上げます

 *********
6時。 今日も、足の故障で、走りではなく速歩のようなのが情けい 7㎞。

6月の運動: ランニング 41㎞  階段上り下り 0回  登山 1回


残り2回・・・旧約聖書完読。 そして イエスの御心・・・『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。』

2017-06-23 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

金曜日。 聖書通読会・聖書100週間。

    玄関に・・・       『季節の花と季節の軸』      
    

   我が家での聖書通読会・聖書100週間。
   仲間をお迎えです。

 
    今日の『軸』は、京友禅下絵 染色図案家・香川 旭、の版画。

                         『アジサイ』
     
              梅雨の雨を含んでいるような瑞々しい紫陽花。
                             私が好きな作品です。

       仲間の一人は、『アジサイの花』を気に入って下さる。

  「さし芽をしますので、枝をくださいな。」 で・・・枝を切って差し上げる。
  「美しい花を夫の祭壇に捧げますね。」 で・・・花も切って差し上げました。


         残すところ2回で、旧約聖書の完読です。
 2015年5月8日に開始~2017年7月7日に終了。2年と2か月間の旧約聖書の通読でした。

 聖書通読・聖書100週間。
 この集まりに参加する人々が聖書に親しみ、聖書に関する知識を豊かにすると共に、
 一人一人が神の御言葉を霊的糧、いのちの言葉として読み取り、
     確信を持って信仰の喜びの内に生きることを目指しています。
                               聖書100週間創設者・ルドルーズ神父の言葉より。 


    今日の通読範囲は、『詩編 賛美』
    今日は、正に、『信仰の喜びの内に生きることの喜び』の分かち合いになりました。  

   
  同時に。

  聖書100週間は、『共に読む仲間とのつながり』を自覚し、その意識も強められます。

     2年2か月間・・・毎週出会い、思いのたけを語る。
     正に、兄弟姉妹のように、強くなった仲間のつながりの喜びを味わっています。

                                 神に感謝! 仲間に感謝!

そして。

今日は6月23日。 『イエスのみ心 聖心 祭日』

    
    『聖なる父よ、
    あなたは、人類の罪のために刺し貫かれた御子の御心のうちに、
    限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。』
                               『今日の集会祈願』より。

 もう一つ。

            イエス・キリストとその聖心』
        
           
オーストリア・ケルンテン州
       ザンクト・ファイト・アン・デア・グランの教区教会

  『今日の第二朗読 使徒ヨハネの言葉』

 『愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
 愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

      神は、独り子を世にお遣わしになりました。
   その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
     ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。』 
                               
ヨハネの手紙Ⅱ 4章7-16節

最後。三つ目。

        『イエスの刺し貫かれた御心』
      
       『今日の福音 イエスの御言葉 イエスの御心

    『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
           わたしは柔和で謙遜な者である。』
                         マタイ福音書 11章25-30節

   『イエスの御心』
   立派な人を救うのは勿論ですが、小さな人々を助けようとなさる御心です。

       一人で背負うには重すぎる、一人一人の『十字架』
  イエスが、「一緒に背負ってあげますよ!」 「私のもとに来なさい!」と言って下さるのです。
    私たちも、兄弟姉妹を大切に、「一緒に歩きましょう!」と、お声掛けをしましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は花金。 明日の週末を、仲間と声かけあって、お幸せにお過ごしください。


神を賛美・・・『教会の祈り』 そして 日々の祈り・・・『主の祈り』

2017-06-22 07:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

朝7時。我が教会。

   神を賛美する公の祈りが捧げられる。

                                『教会の祈り』
 
                        私の聖本『教会の祈り』  今朝は私も祈りに参加です。

 聖霊降臨による初代教会以来・・・
 教会では、神を賛美する公の祈りとして『共に祈る』ことが続いている。

日常生活の中で、一日を時間割にした『時課の典礼』、と呼ばれていた政務日課である。
  
      44年前。1973年。
      『時課の典礼』は、『教会の祈り』と呼ばれるようになった。改名された。

 それまで司祭・修道者など特定の人々のため『時課の典礼』であった祈りが、
 改名以来…『時課の典礼』は、神の民みんなの祈りであることを表すこととなった。


    以前の我が教会の主任司祭の言葉。
  「あなたは、毎朝のランニングを教会に向かって走ってください。
         走り終わりの7時に、一緒に『教会の祈り』を捧げましょう。」

    今朝の私は、走りではなし、車で教会に来ました。 走りはさぼりです


そして。

今日は6月22日。年間第十一木曜日。

          『今日の福音 イエスの御言葉  主の祈り

        『イエスは弟子たちに言われた。
   あなたがたが祈るときは、くどくどとのべてはならない。

あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。 だから、こう祈りなさい。

      「天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日お与えください。
わたしたちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」』
                                         マタイ福音書 6章7-15節

  続いて。

    今朝の司式司祭の説教。一部です。

  大切なことは、
『あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔からそれてしまう心配』コリント11-3)ではなく
             純粋な信仰を保つことです。

    純粋な信仰で、一番大事なことは、『対神徳』 = 『信仰・希望・愛』です。

         『三つの徳』には、三段階があると言われています。

  ① 揺るがない純粋な『信仰』があって・・・初めて、『希望』が生まれるのです。
  ② 『希望』とは、アウグスティヌスが言うには、『主の祈り』 そのものです。その全部です。
  ③ 『希望』が持てて・・・初めて、『愛』を周りの人々に与えることができるのです。

       純粋な信仰を保つことができるように、祈ってまいりましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は早朝をどのようにお過ごしですか? 早朝の一時間は『黄金の時間』と呼ばれますよね。
 読書? 『毎日の祈り』? 冥想? ランニング? 皆が来る前の早朝出勤で一人職場で掃除?
     スピードに追われる一日の始まりに、地道なことを続けるって素敵ですよね。   


友人の個展&私も絵が大好き・・・『ぶどう』 そして 『惜しまず豊かに種まく人は、刈り入れも豊かなのです。』

2017-06-21 13:30:00 | 絵画。写真。

友人は、美術学校卒業の、画家。

       今日は友人の『個展 墨 彩展』に行ってきました。

                  『ぶどう』
    

      和紙に墨と色素材で画く。 
      消え入りそうな淡い画相』に、作者の雰囲気が出る。


私は、一日一時間スケッチの、素人画家。
   
      昨年の我が家        『葡萄 赤ちゃん』
  

          パステル画。
          粗野な『堅いつぼみ姿』に、初々しさを現した。

   今日も『学び』がありました。
   一人で画いていると、自分の枠の中に閉じこもり、画法に偏りが出てくる。

   私の荒削りの画法も、友人の繊細さと比較してはじめて、深みが出てくる。
   何事も、専門馬鹿に突き進みながらも、時に自分流を開放して、さらに一歩前進です。
                                     そんな風に思えた今日でした。


そして。

今日は6月21日。年間第十一水曜日。

      『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』

     『惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、
       惜しまず豊かに種まく人は、刈り入れも豊かなのです。』
 
                   『種まく人』                巨匠・ミレー作品

『各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。
            喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

神は、あなたがたに種を与え、それを増やし、あなた方の慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。』
                                              コリントの信徒への手紙 9章6-11節


      『愛の種』を、惜しまずに、豊かにまき散らす、『ミレーの青年農夫』
            すがすがしく、解放され、気前よく、素敵な青年ですよね。イエスの存在ですね。

 『青年の愛の種』を増やし『慈しみの実』に成長させてくれる、背後からの太陽の暖かさ。
                      いつも、共に一緒に、見守って下さる、神の存在ですね。

  豊かに種まく人は、『すべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになる』 のです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
画家は画家の、素人は素人の、あなた様はあなた様の、育て上げた独特の『種』がありますよね。
     種・愛を惜しみなく与えながら・・・葡萄のように、素敵な実をつけてまいりましょう!


夫のために筆を折った。・・・平山郁夫夫人。 そして 『あなたがたも完全な者となりなさい。』

2017-06-20 15:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

       広島原爆資料館を訪れた前アメリカ大統領・オバマ氏

 
                            『平山郁夫氏の絵』の前で芳名録に記帳。

         『私たちは戦争の激しい苦しみを体験してきた。
    ともに平和を広め、『核兵器なき世界』を追求する勇気を持ちたい。』


オバマ氏が平和を願って記帳する場面で、平山氏の『平和のキャラバン』が掛けられた。

平山氏の、『砂漠をおだやかに進む一行の姿』:『平和への祈り』 が掛けられたのです。
                                     心大いに震え、感動した私でした。

私は平山郁夫の絵が好きです。 
   書かれた本も大好きで、私の指標となった、忘れられない『文章』があります。


  『わたしの妻は美術学校の同級生で友人であり、よきライバルでもありました。
        そして学生時代は、彼女の方が絵がうまかった。
     彼女は卒業制作で主席を獲得し、そのとき私は二席だったのです。

お互いに励まし合い、精進してきたことがきっかけとなって、結婚することになったのです。
    仲人をお願いした青邨先生は、そのとき、ひとこと加えられたのです。

  「一家に二人の画家がいるというのは、うまくいかなくなるということが多いんだよ。
  結婚は共倒れになる。本当は、二人三脚で総力をあげてやるのが理想的だがね」と。

   先生の言葉を聞いた彼女は、結婚を機に、自分から筆を折ると言い出した。
  本当は絵を続けたかったはずなのに、私のバックアップにまわるため、決心した。

このような決断力と行動力のある人と結婚したおかげで、私は生活にも一本背骨が通りました。
結婚と同時に、彼女は美術教師で働き始め、酒が過ぎて酒屋と米屋にあった私の借金を返し、
   彼女は私の身辺を大掃除し、すべてきっちりと直した。

      全力で創作に打ち込む環境を整えてくれたのです。』   『ぶれない』より抜粋。


   人は、『大切なものを諦めなければならない時』 を経験する日があるのです。
          ましてや。
平山夫人は、お人・夫のために自ら、『筆を折る』と決心しました。絵画を諦めたのです。

   私は、自分の能力のなさに気づき、自分のために、『筆を折った』のです。
      
                       一時は、諦め、クラブを折った私。
      
 ”もう一度!”と、平山夫人の潔さとは正反対に、クラブをふり直した今日でした。

           そおいえば…『絵画』もさぼり気味です。復活させましょう。


そして。

今日は6月20日。 年間第十一火曜日。
   
   『今日の福音 イエスの御言葉』

        『わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためです。
あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』
                                              マタイ福音書 5章43-48節


     『天の父の子』
     天の御父のイメージは、  広い愛・寛容・慈愛・無償の恵み・ですね。
     天の兄・イエスのイメージは、神の子・神の弟子・深い愛・寛容・慈愛・等ですね。

          天の御父のように、完全になりなさい。
イエスや平山郁夫夫人のように、自分を捨てて、お人のために自分の命を差し出しなさい。
                             とイエスはおっしゃるのです。

     充分の愛が、神から頂いて、私たち一人一人の中に充満しているはずです。
        そのこと信じれば・・・
      神の子と呼ばれるほどに、完全な者となることは可能なはずです。

                   出来るはずです! 一歩一歩頑張りましょう!
         

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何事も、自分を見つめているだけでは前に進めません、神が備えて下さった力を信じて前に進みましょう!

*********
5時半。 走りではなく、ワンちゃんのように、自分の体の散歩のような速さです 12㎞。

6月の運動: ランニング 34㎞  階段上り下り 0回  登山 1回