マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『熟年夫婦』・・・自律&自立した夫婦  そして  『主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。』

2020-01-30 15:29:00 | 私のこと

1月30日。木曜日。晴れ。


                      私たち熟年夫婦
 

      『自律した夫婦』 といえるかもしれない。
      『自立した夫婦』 でもあるかもしれない。

  
 自律して・・・
 互いのそれぞれの生活を認め合う。
 一月。 夫は4回のゴルフ。私は今日で3回目の東京行きです。


 自立して・・・
  結婚当初から、月給から差し引いて、毎月の各自の『小遣い』を確保する。
 毎月。 小遣いの使い道は互いに干渉しないで、自立する。


それで。

 夫婦の時間は・・・
 共にいる日は、共同作業で食事作り、食事タイムを大切にします。
  
 毎日5時からは                『カクテルタイム』

    

                      飲んで、食べて、おしゃべり、
           『カクテルタイム』 & 『食事タイム』 


      夫婦が、自律して、自立しているので、
        話題には事欠くことがない。
  食事時間は、互いを分かち合う、熟年夫婦の大切な時間です。

 

そして。

今日は1月30日。年間第三木曜日。

 昨日、ダビデ王は、『神の言葉』を、預言者ナタンから告げられました。
 今日、ダビデ王は、告げられた『神の言葉』反芻し、府に落とします。

 

『今日の第一朗読 ダビデ王の言葉


  『(預言者)ナタンから 
 
    主の言を告げられた後、

       
ダビデ王は主の御前に出て座し、

 
        『祈るダビデ王』   ピーテル・デ・グレバー作品

次のように言った。

    「主なる神よ、
 何故わたしを、わたしの家などを、ここまでお導きくださったのですか。

    主なる神よ、
    御目には、それもまた小さな事にすぎません。

 また、あなたは、この僕の家の遠い将来にかかわる御言葉まで賜りました。

    主なる神よ、
    このようなことが人間の定めとしてありえましょうか。

    主よ、
更にあなたはあなたの民イスラエルをとこしえに御自分の民として堅く立て、
     あなた御自身がその神となられました。

    
    主なる神よ、

  今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、
     御言葉のとおりになさってください。

    
  『万軍の主は、イスラエルの神』と唱えられる御名が、
     とこしえにあがめられますように。
   僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。


   万軍の主、イスラエルの神よ、
 あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。
   それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。


  主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です
    あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。
どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください。


   主なる神よ、
あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。」
          サムエル記下 7章18-19&24-29節

 

『今日の答唱詩編』

 『神のいつくしみをとこしえに歌い、主のまことを代々に告げよう。』
                詩編 89章21ー27節 

 

  イスラエルの民は、
  紀元前1800年に、神からアブラハム『選民』として選ばれて以来、
  
      続く民族です。        『信仰の祖父・アブラハム』


  サムエル記上下は、
  サムエル、サウル、ダビデの三人物が、明白に描かれています。

  
  サムエルは、
  
              『幼年時代のサムエル』

  イスラエルの最後の士師であり、同時に、祭司、預言者でした。
    幼年時代から死ぬまで、神に忠実で、
    『神の計画』の成就のために働き、
    イスラエルに絶大な影響を与えました。

  サウルは、
  
                          レンブラント作品

  神に選ばれ、サムエルから油を注がれ、イスラエルの初代王でした。
    王になってから、神への従順や信頼をなくしていき、
    ついに神から捨てられて、王位を失いました。

  
  ダビデは、
  
                 『ダビデ像』 ミケランジェロ作品

  神に選ばれ、サムエルから油を注がれ、イスラエルの二代目王でした。
    選ばれた少年時代以来、霊と神に導かれて、
    敵との戦いに勝利を重ね、
    ユダ族中心の南とヨセフ族中心の北を統一し、
      『イスラエル王国』を成立しました。

そして。
今日。


  神は、
  ダビデ王が、首都をエルサレムに定め、契約の箱を移した後、
    『ダビデとその子孫に永遠の王位を約束』 したのです。

 

     神が約束なさった『永遠の王位』は、
  ダビデの子孫・・・アブラハムからキリストまで続く子孫です。

    『アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図。
      全部合わせると、
      アブラハムからダビデまで十四代、
      ダビデからバビロンの移住まで十四代、
      バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。』
               ヨハネ福音書 1章1-17節

   
   ダビデ自身、
   メシアであるキリストの前表で、
   王としては『神の民の王』であるキリストの前表なのです。

   『神の箱』は、
   神によって刻まれた『十戒』の石板の納められた箱であり、
     『神が共におられる印』 の箱なのです。

   
   ダビデが治める『イスラエル王国』は、

   将来にキリストが告げる、
   この地上でも、国土でもない、『神の国』 の前表なのです。
  
    

     神が約束なさった『永遠の王位』は、
   ダビデの子孫・・・アブラハムからキリストまで 続き、
 


    イエスによって『神の国』として完成しました。

     更に、
       『神の国』の一員として、

    私たちキリスト者が、キリストの兄弟として、
 
     その『神の王国』を引き継ぐのです。

   
    『わたし(キリスト)が愛したように、互いに愛し合いなさい。
       これがわたしの掟である。
  わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
       もう僕とは呼ばない。』
        ヨハネ福音書 15章12-15節


   なんと嬉しいことでしょう!
   私たちは、アブラハムからダビデへキリストへ とつながる
      『神の王国』 の一員になれるのです!
    『神の王国の王・キリスト』 の友になれるのです!

 

皆様!
御訪問ありがとうございます。
明日・31日は、青少年の教育に全力を注ぎ、サレジオ修道会を創立した、聖ヨハネボスコ司祭の記念日です。
   青少年の自律のために祈りたいですね。 お元気で!


『夫のゴルフ』・・・花と団子のダブルゲット  そして  『ダビデの王座はとこしえに堅く据えられる。』

2020-01-29 17:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月29日。水曜日。曇り。

夫は、日曜日に続き、今日もゴルフコンペ。


        『参加賞』
 
 今日の『古今東西らーめん食べ比べ』  日曜日の『レストラン仕様カレー』

 
 夫の参加するゴルフコンペには、奥様の喜びそうな『参加賞』がつく。

 今までの『参加賞』は、『鉢植え花』が多く、私の楽しみでした。
   ところが。
 最近の『参加賞』は、多くの奥様のご要望か?『花より団子』が多くなった。


  コンペ正式『順位』結果は、後ほどに、『賞品』と共に送られてくる。

  
  私の夫は、ゴルフの腕が良く? ゴルフ順位の『上位』が多い。

   後日に『賞品・牛肉』が送られてくることが多いのです。
  
  
   さて。私は、今回も、『賞品・肉』 をゲットできるのかな? 
      夫は、 ”さあね!?” と笑っている。   

 

そして。

今日は1月29日。年間第三水曜日。

『今日の第一朗読 神の御言葉

        預言者ナタン
 
     『神の御言葉』
 すべてそのまま、この幻のとおりに、ダビデに告げました。
 

 『その日、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。


    『わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。』
  
          『ダビデ像』     ニコラス・コルディエ作品

       『古代イスラエルの第二代王』
    在位:紀元前1000年- 紀元前961年 40年間

   羊飼いの時に油注がれ、初代イスラエル王・サウルに仕え、
   サウルがペリシテ人と戦って戦死した後に、ユダで王位に就く。
   ペリシテ人を撃破し、要害の地エルサレムに都を置いて、
     全イスラエル(イスラエル国とユダ国を統一)の王となり、
       40年間、王として君臨した。


主はこう言われる。

   『あなたがわたしのために住むべきを建てようというのか。
わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、

   家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。

    わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、
その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、
     なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、
         と言ったことがあろうか。』

     
わたしの僕ダビデに告げよ。

万軍の主はこう言われる。

   
  『わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、
     わたしの民イスラエルの指導者にした。
   
あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、

    あなたの行く手から敵をことごとく断ち、
    地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。

    わたしの民イスラエルには一つの所を定め、
      彼らをそこに植え付ける。
   民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、
    昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。
  わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵を
      わたしがすべて退けて、
      あなたに安らぎを与える。』


主はあなたに告げる。

     『主があなたのために家を興す。
    
あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、

     あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、
      その王国を揺るぎないものとする。』
    
      『ソロモン王 ダビデの息子』

      『古代イスラエルの第三代王』
 紀元前 971 年。父王ダビデの後を継ぎ、第3 代の王となった。
  あるとき、神がソロモンの夢枕に立ち
   「何でも願うものを与えよう」というと、
  ソロモンは『知恵』を求め、神はよしとした。

    ソロモンは、知恵者として、内政を重視し、
 外交や交易によって富を増やし、統治機構としての官僚制を導入した。
   エジプト王ファラオの娘と結婚することで安全保障を確保。
     こうしてイスラエル王国の領土は拡大し、
  初めて『エルサレム神殿・ソロモン神殿・第一神殿』を築くなど、
      イスラエル王国の最盛期を築いた。
 

主は言われる。

    『この者(ソロモン)がわたしの名のためにを建てる』
 
      『ソロモン神殿:第一神殿』

  紀元前950年 建設。『契約の箱:十戒の石板』が納められた。
  紀元前587年。 焼かれる。破壊される。


主は言われる。

   『わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
    わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。

       彼が過ちを犯すときは、
   人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。

     わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。
  あなた(ダビデ)の前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、
        そのようなことはしない。

  あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、
    あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。』


ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、
この幻のとおりにダビデに告げた。』
   以上。  サムエル記下 7章4-17節

 

『今日の答唱詩編』

    『神の慈しみはとこしえに変わることなく、
     神の結んだ契約はとこしえに保たれる。』
         詩編 89章29節

 

   『イスラエル第一代王:サウル』
  
サウルは神に選ばれ、サムエルから油注がれ、イスラエル初代王となる。
 『神は共におられる』10-7 とサムエルの言葉で始まったサウルの時代。
    サウルは目前の仕事に心奪われ、神への従順や信頼が揺らぐ。
 『神はあなたから離れ敵となられた』28-16 のサムエルの言葉で終わる。
   『二つの言葉』の間のサウルの活躍期間は紀元前10世紀頃です。


   『イスラエル第二代王:ダビデ』

ダビデも神に選ばれ、サムエルから油注がれ、イスラエル第二代目王となる。
少年時代に油注がれたダビデは、神の霊を激しく受けて成長し、神に導かれました。
まずユダ族を中心の南・ユダを治め、次第にヨセフ族中心の北イスラエルの支持も受け、
   『イスラエル王国』としての南北の統一を果たします。
     イスラエルに平和と繁栄とをもたらしました。
首都をエルサレムに定め、『契約の箱』を移した後、『神殿建立』を計画するが、
 『エルサレム神殿・第一神殿』の実現は子のソロモンが受け継ぎます。


   『イスラエル第三代王:ソロモン』

  神が、預言者ヨナタンによって、ダビデに約束した、
   『ダビデの子孫によって永遠の王位を約束』
     を引き継いでいくことになるのです。


   神の計らいは計り知れなく、人の人生も計り知れない。
私たちも、光を仰ぎ見て道に迷うことなく、人生を全ういたしましょう。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
先が分からない、先が見えないからこそ、希望を持って、人生に優勝しましょう! お元気で!


『百日参り』・・・信仰の証  そして  神の御心を行う人は・・・『イエスの兄弟、姉妹、また母である。』

2020-01-28 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月28日。水曜日。曇り。4月の暖かさ。

     
   神仏に祈願するために同一の社寺に百度参拝する

                『百度参り』
 

  お参りの祈願の内容は、その内容が切実なものである場合に、
                  一度の参拝ではなく、
                       百度の参拝をすることで、
       心願が成就するようにと願うのである。


元は・・・ 
『百度参り』ではなく    『百日詣』

     社寺に、百日間、毎日参拝する。 というものでした。
        それが簡略化され、
 また、百日もかけていられない急を要する祈願があって、
     一日に百度参るという『百度参り』で、
    『百日詣』の代わりとするようになった。


私の母は、とても信仰深く、朝夕の祈りを欠かさない人でした。
 若い時の母は、ある一日、『百度参り』 をしたのです。

     幼児の私の高熱が下がらず、
  医者も手の施しようがないような、そんな時に、 
母は、「必ず神仏が娘を治してくださる」 との 深い信仰心で、
  素足で、一日で、願掛の『百度参り』をしたのです。
     

  母の深い信仰心が願うままに、私は回復いたしました。
     満願かなった母は、それ以来、
       今まで以上に
 神仏への朝夕の祈りを欠かさない信仰者となりました。

 
 私は、今日も、『イエスの御言葉』 を思い出しています。
  『あなたの信仰があなたを救った。』ルカ福音書 7章50節


そして。
実は・・・

今朝。私も終えました。
母のように若いときでなく、年を重ねた今日、終了いたしました。


         『シナイ山 百日詣』

     こちらは本物の『シナイ山』 神がモーセに『十戒』を与えた山

  私が、100日間詣でた目的地として目指して上った山は、
    私が名付けた『シナイ山』:『近くの小山』です。


   一日に一回で100日、『百日詣』をすると決めまして、
         『シナイ山 百日詣』
      
       お一人のために祈り続けて、

  今日が百日目。 『百日詣』の完了の日となりました。
      私も、母同様、
必ず、『信じたとおりになる』、『満願』となると信じて終了いたしました。
                      神に感謝!感謝!


   10月から初めて・・・
     
 10月。一日一回:11km×30日・30回=300km 『30日詣:300km』終了。
 11月。一日一回:11km×30日・30回=300km 『60日詣:600km』終了。
 12月。一日一回:11km×30日・30回=300km 『90日詣:900km』終了
 1月。一日一回:11km×10日・10回=110km  『100日詣:1010km』満願!

   『シナイ山・100日詣』で走った距離は『1010km』
    『ウルトラ100kmマラソン』の約10回分でした。
  『100kmウルトラ』を走っていた頃を思い出していました。
どんなにつらくても・・・今苦しみながら頑張っている友を思ったら、走れた!


      私も、信仰深い母の模範に倣って、
   神様への感謝の祈りを朝夕捧げることと致します。
               感謝!感謝!
   


そして。

今日は1月28日。年間第三火曜日。

   『聖トマス・アクィナス司祭教会博士 記念日』
  

      キリスト教に合った哲学と神学の書を著わした。
    『神学大全』は、神の愛、神の内にすべての完全さがある
      ことを表現した不朽の名著とされている。

1226年。北イタリア・ロンバルディアの伯爵の家庭に生まれる。
 
 幼いころからベネディクト会のモンテ・カッシーノ修道院で、
 次いで、ナポリ大学で学問を修めた。
 後に、ドミニコ会に入り、
 大聖アルベルト・マグヌスに師事して、哲学、神学などを修めた。

 パリやイタリアの大学で、哲学や神学を教えるとともに、
 それらに関する多くの優れた著作を残した。

1274年。 リヨン公会議に赴く途中、病に倒れ没。48歳。
 95年後の

1369年1月28日。 遺体がトウールーズに移されたことからこの日が『記念日』となった。
                 『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

  『神に従う人は、口に知恵の言葉があり、その舌は正義を語る。
     神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩む。』
             詩編 37章30&31節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

  『そのとき、イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、
    人をやってイエスを呼ばせた。
  
   大勢の人が、イエスの周りに座っていた。

 「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」
 
                          と知らされると、
イエスは、
    「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」 と答え、

周りに座っている人々を見回して言われた。

   「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
 
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」』

              マルコ福音書 3章31-35節


イエスの母マリア様は、
  『イエスの言葉の意味が分からなかった。
   母はこれらのことすべて心に納めていた。』 ルカ福音書 2章50&51節
イエスを理解できないときは、黙して、すべてを心に納めました。


イエスの母マリアの態度は、
息子イエスを信じるからこそ、イエスを信頼して、
     『信じて時を待つ』
  『信仰者の態度』 だと思います。
   『御心を行う人』 なのです。


 イエスの母マリアの姿は、私の母の信仰の姿。 二人は重なります。
    『神の御旨に従って生活をしたい者』 の姿です。

   深い信仰を持って、神とイエスと深くつながった者です。
     『イエスの御言葉』を心にとめて、
     黙して、信仰を深める者たちです。
   イエスの兄弟、姉妹、また母 なのです。
 

 
私も、マリア様や 聖トマス・アクィナスや 私の母の、信仰深い模範に倣って、
     信仰を深めてまいりましょう。
          感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人の幸せを願って神に祈る。これぞ『神の御旨の行為:愛の行為』ですね。 お元気で!


It means something。・・・『英語ミサ』&『新年会』 そして 『ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤにおいて、闇の中を歩む民は大いなる光を見た。』

2020-01-26 11:15:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月26日。日曜日。曇り。

11時15分。
時間の都合で、ご近所教会のミサに参加。


       『カトリック神戸中央教会 ミサ』
 
                『英語ミサ』

『今日の福音 Gospel

  『The  people who sat in darkness have seen a great iight,
 
                          『光が射し込んだ』
  
 upon those who sat in the region and shadow of death light has dawned。』
                 Matthew 4ー16 マタイ福音書 4章16節

司式司祭様の説教。ほんの一部です。

      「私たちは、キリスト者です。
 寒い今日も、私たちカトリックも、プロテスタントも、教会に集まります。
 
 キリスト者の皆様は、
 決められた規則だから、日曜日に教会に来るのですか。義務だからですか。
    It means nothing。 それは何の意味もないことです。

 キリスト者は、
   現われてくださっった『光』である『キリスト』に出会うために、
『光』の導きを信じて・・・『光』をもっと知るために、日曜日に集まるのです。
    皆様、又、来週も『光』の元に集まりましょう!



続いて。

16時~20時半。
大阪のホテルで、卒業校校友会関西支部総会に参加。

          『新年会』

                                                                                                94名

『主なる神よ 今日集まりました私たちを祝福してください。』
                私の『開会祈祷』、主の賛美で始まりました。

そして。      

    『又会う日まで God Be With You』
 『慈しみ広き 御翼の陰に 絶えず育みませ。』
                皆の『賛美歌405番』、大合唱で終わりました。 


     私は今日は、二つの『集会』に参加しました。
色々の『集会』で、私は何のために、私は何を目的に生きているのかを、学びます。
   『集会』はそれでなくてはIt means nothing、かもしれません
    
    皆で集まり、楽しくお話し、楽しく食べる、
    それも人生の大きな目的、大きな幸せですよね。
      It means something!

 

そして。 

今日は1月26日。年間第三主日


『今日の第一朗読  預言者イザヤの預言 
  
 
       『預言者イザヤ』          ミケランジェロ作品


『先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は、辱めを受けたが、
  後には、
 海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。

    
      闇の中を歩む民は、大いなる光を見

 
      死の陰の地に住む者の上に、が輝いた。

    あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、

        人々は御前に喜び祝った。

 刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。

   彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を

  あなたはミディアンの日のように、折ってくださった。』
              イザヤ書 8章23節ー9章3節

 
紀元前722年。
         『イスラエル王国 滅亡』

  イスラエルの民は、アッシリア王国によって侵略され、
    住民の多くは強制的に移住させられたり、
外国から連れてこられた異国人と強制的に結婚させられるという混血策など、
      大きな辱めの中で過ごしていました。


紀元前740年。 『イザヤの召命』
   神は、『神の御言葉』を民に話す者として、イザヤを召し出しました

そこで。

預言者イザヤは、
    辱めの中で過す、絶望的なイスラエルの民を、
『闇』:『光のない状態』を歩み、『死の陰の地』に住んでいる、と表現しました。

  真っ暗な夜道・『光・希望』を見いだせないをあえて進もうとすれば、
 どこへ行くべきか、どのように歩んだらよいか分からなくなります。
       そして迷ってしまいます。


では。どうすれば良いのか?


何よりも『覚えるべきこと』があるのです。
  イスラエルの 『希望なき現実:国家的崩壊』 の 『原因』です。

その『原因』は、神の御言葉に聞き従わない民の『背信の罪』にある
                   と、イザヤは警告します。
     イスラエルの民は、歴史を導く主を信頼せず、
シリアと同盟という『人間的手段』によって危機を回避しようとしたのです。
 神への信頼への欠如  自己本位な場当たり的な人間的手段 
      による 『背信の罪』 だと警告するのです。

 

それでも。
そんな時に。

イザヤは、
 『慰めと希望に満ちた未来の到来』を告げて、イスラエルの民を慰めます。

    『闇の中を歩む民は、
   大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

     彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、
 あなた(神)ミディアンの日のように、折ってくださった。
 9章1節 と。

  
  『ミディアンの日』とは、ギデオンのわずか300人の兵が、

 
    13万5千人のミデアン人を打ち破った日 士師記6章33ー35節 
    
    主が敵を打ち破ってイスラエルを敵から解放し、

    その重いくびきから解き放って下さった日です。
      民への『救いの預言の日』でもあります。


イザヤは、更に、『主の言葉』を語ります。

  『落ち着いて、静かにしなさい。恐れることはない。』イザヤ書 7章4節
  『信じなければ、あなたがたは確かにされない。』 イザヤ書 7章9節
   『万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』 イザヤ書 9章6節

 

   神は、
神を信じる者たちが『心を尽くし魂を尽くして』神に仕えることを、要求します。
 同様に、
全世界にご自身の栄光を現すためにも、信じる者たちを、決して見捨てられません。


  神は、約束通りに、
  イザヤの預言以来、神を信じて、静かに、待ちに待った民の前に、

     『世を照らす光=救い主イエス』   を与えました。
 

  『暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。
   暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
   光の子となるために、光のあるうちに、を信じなさい。
  わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、
       わたしはとして世に来た。』
        ヨハネ福音書 12章35-36&46節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

 『イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
それは、預言者イザヤを通して「言われていたこと」が実現するためであった。

   
     
「ゼブルンの地とナフタリの地、

  湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、
   暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に

         光が射し込んだ。」

そのときから、

イエスは、
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

イエスは、
  ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、
  また、
    民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された。


             マタイ福音書 4章12-17&23節

     イエスの宣べる 『天の国』。
  それは イザヤの預言: 『イエスの到来』 です。

天の国の王は、
その平和は終わりなく、正義と公平によって王国を支配し続けるのです。

天の国は、
    『剣を打ち直してとし、槍を打ち直してとする。

   国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。

       ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

  弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。
 その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
   正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。

    狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。』 そんな国です。
           イザヤ書 2章4&5節 11章4ー6節 

旧約において。

イザヤの『預言』によって、
『異邦人のガリラヤの人々』 が慰められたように、
希望なき圧迫と苦しみの中でも、『真の主を信じ、希望を失わずに生きる人々』にも、
      慰めが与えられる『預言』として響きます。

新約において。

 神は、イエス・キリストにおいて、信じる者を慰めてくださるのです。



皆様!

御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『暗闇に輝く星』は何ですか?希望を持って若々しくありましょう。 お元気で!


腐ってしまった麻の帯と真理の帯・・・『聖書100週間』 そして イエスはこれと思う人々を呼び寄せた・・・『十二人の使徒の任命』

2020-01-24 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月24日。金曜日。曇り。

 金曜日は 『聖書100週間』。 聖書通読会。


 頭をいっぱい使った後は・・・   『お茶タイム』
 
 和菓子司の老舗・・・   『仲間のお土産』    おいしい

  ご主人様の病院のお手伝いのために3ヶ月ぶり。お仲間の復活。
      3ヶ月×4回=約12回の欠席。
    その間・・・彼女は一回も欠かすことなく
    ”皆様と共に出席している思いです” と
    通読範囲の『感想文』をFAXされてきた。

      私たち出席の仲間は
 彼女の、なかなかできることではない、毎回の『感想文』
  "彼女の信仰の喜びと実践にあやからなくちゃ!” と
     励まされました。勇気を頂きました。
   

   『聖書100週間』は、
 信仰の喜びを共に味わい分かち合う 『信仰の実践』 の場です。
       聖書は奥深い。 仲間は最高! 感謝!感謝!


   『今日の通読範囲』 は 『エレミヤ書13章~23章』
 
    
 国中で『いさかいの 絶えぬ男』エレミヤ書15ー10 と称され
       『苦悩する預言者エレミヤ』
 

                          レンブラント作品

 『彼らを恐れるな。私があなたと共にいて必ず救い出す』 エレミヤ書 1章8節
         エレミヤと共に歩む神。


 エレミヤは、『神の言葉』を受けて、イスラエルの民に警告します。

  『主なる神に特別に仕えるように選ばれたイスラエルの民は、
主に信頼し、主の保護に頼り、主に従い、律法を守って暮らすなら、
     神との約束と使命を果たすことができる。
しかし。
実際には、
主に頼らず、人間に信頼し、軍事力に頼っているのはである。』  と。
        


更に。
神も、イスラエルの民に警告します。

   『人が帯を腰にしっかりと着けるように、
私はイスラエルのすべての家を私の身にしっかりと着け、私の民とし、
    名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。

しかし、彼らは聞き従わなかった。

   この悪い民はわたしの言葉に聞き従うことを拒み、
      かたくなな心のままにふるまっている。
また、彼らは他の神々に従って歩み、
      それに仕え、それにひれ伏している。

  見よ、彼らは全く役に立たない腐った帯のようになった。
わたしの魂はその傲慢に泣く。主の群れが捕らえられていくからだ。』

              エレミヤ書 13章1-11節


    神は、人に、『自由』を与えました。
人は、『命の道』と『死の道』21章8節 のどちらを選ぶのも自由です。
  
  神に選ばれたイスラエルは、
自由の『木の実』に魅了されて、『背信の道:死の道』 を選びました。


    さて・・・私はどうなのでしょう。
  『自由』を使って、『命の道』を選んでいるだろうか?


パウロはこう言っています。

『最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
   悪魔の策力に対抗して立つことができるように、
      『神の武具』を身に着けなさい。

    立って、真理を帯として腰に締め、
正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
  なおその上に、信仰を盾として取りなさい。
それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。』
           エフェソの信徒への手紙 6章14-17節


イスラエルの民も 私たち・キリスト者も、
   素手で戦っても悪魔の策略に勝つことはできません。
 『神の武具』でしっかりと武装しなければならないのです。

 
『真理の帯』
悪と戦うキリスト者の腰には、『真理』が帯のように、巻かれるのです。
   
『真理』とは、
 イエス・キリスト御自身であり、聖霊様ご自身でもあります。
聖霊様を通してイエス・キリストがわたしたちの体の中心におられることが『真理』なのです。

  

  私も・・・
  『信仰の武具』 を身に着け、武具に守られて、主の保護に頼り

誘いに負けることなく、『信仰の戦い』 勝利を納めたいものです!

 

そして。
今日は1月24日。年間第二金曜日。

『今日の福音 イエスの12人の弟子の選び

   『そのとき、イエスが山に登って、
これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。
  そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。 
   彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、
      
悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。

       こうして十二人を任命された。

①シモンにはペトロという名を付けられた。
ゼベダイの子②ヤコブとヤコブの兄弟③ヨハネの二人には
   ボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。

④ペトロの兄弟アンデレ、⑤フィリポ、⑥バルトロマイ、⑦マタイ、⑧トマス、
アルファイの子⑨ヤコブ、⑩タダイ、⑪熱心党のシモン、
それに、⑫イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。』
           マルコ福音書 3章13-19節

 

 神様は、イスラエルの民を『自分の民』として、お選びになりました。
 イエス様は、これぞと思う人を『使徒』として、お選びになりました。

 イエス様が言われるとおりです。
     『あなたがたがわたしを選んだのではない。
      わたしがあなたがたを選んだのである。』
           ヨハネ福音書 15章16節

 言い換えれば・・・
   『神が先に私たちを愛してくださったのです。
 神の愛を経験して初めて、人は神の愛を伝えることができるのです。』
            ・・・ということではないでしょうか?

 
三位一体の神は、キリスト者を『キリストの贖いの恵み』で、お選び下さいました。

それにしても。
   イエス様の選んだ12人はどんな人だったのでしょうか。


先ずは。


 ①『ペトロと名をつけられたシモン   ④兄弟のアンデレ』
  
   エル・グレコ作品
       
   『イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、
ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、
 海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。
  イエスは彼らに言われた、
「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。』 マタイ 福音書 4:19

 
ペテロとアンデレ兄弟は、イエスに最初に声をかけられた人たちです。

ペテロはイエスに「私はこの岩の上に私の教会を建てる」と言われ、
   初代ローマ教皇になり、『天の国の鍵』を預りました。


次に。 

 『②ゼベダイの子ヤコブ      ③ヤコブの兄弟ヨハネ』 
  
             エル・グレコ作品

 兄ヤコブと弟ヨハネはともにガリラヤ湖で漁師をしていたが、
 イエスと出会い、すぐにその場で、その最初の弟子となりました。

    「雷の子」と呼ばれるくらいに激しい性格の兄弟で、
 いちずにキリスト敬愛し、兄ヤコブは使徒の第一殉教者となりました。
弟ヨハネは、イエスの最も愛された弟子で、福音書他沢山の著書を書きました。


   ペトロ と ヤコブとヨハネ兄弟の 三人は、
   ともに特に地位の高いイエスの弟子とされ、
イエスの『御変容の場面』 や ゲッセマネにおける『最後の祈りの場面』では、
      彼ら三人だけが伴われました。
『最後の晩餐』の準備は、ペトロとヨハネの二人だけ、イエスから仰せつかいました。


もう一人。

     ⑫イスカリオテのユダ』
  
             ジェームズ・ティソ作品

  このユダがイエスを裏切ったのである』

   『十二人の一人でユダという者が先頭に立って、
      イエスに接吻しようと近づいた。
 イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか』と言われた。』
                 ルカ福音書 22章47&48節

   
      神様の選びも、イエス様の選びも、
   人間には計り知れない、『神の神秘』ですね。


『今日の入祭唱』

『神は仰せになる。
「わたしはわたしの心、わたしの望みのままに行う忠実な祭司を立てよう。」』
                 サムエル記上 2章35節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
はや、今日は1月最後の金曜日です。豊かな週末をお過ごしください。 お元気で! 


至福の時間・・・『カクテルタイム』 そして 『汚れた霊どもは、「あなたは神の子」だと叫んだ』

2020-01-23 17:00:00 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。

1月23日。木曜日。雨のち曇り。

午後5時。
明日の『聖書100週間』の予習終了。一日の活動終了。

   

 ホッとして・・・  『カクテルタイム』
    
          『至福の時間』

    一日の活動開始以来、13時間後、午後5時。
        ホッとして『カクテルタイム』

       一日を振り返りながら・・・一杯
       おいしいつまみで飲むことに専念
        6時の夕食前の『解放の時間』
       一日が私の中で浄化されていきます。
       神とお人への感謝を深める時間です。
 

 

そして。

今日は1月23日。年間第二木曜日。

    秘跡の恵みによって、
 心と体を癒やしてくださるイエス様です。


『今日の福音 イエスの御言葉

    『そのとき、おびただしい群衆が、
イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。
そこで、

    イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。

     群衆に押しつぶされないためである。

     イエスが多くの病人をいやされたので、
病気に悩む人たちが皆、
  イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。
汚れた霊どもは、
  イエスを見るとひれ伏して「あなたは神の子だ」と叫んだ。

イエスは、
自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。』
        マルコ福音書 3章7-12節


  イエスは、人々に神の言葉を述べ、病人を癒やしました。
    大勢の人が、イエスの回りに集まってきました。
  ユダヤ人だけでなく、異邦人も、悪霊もやってきました。

      信者になる人もあり、
  ただ病気を治してもらいたいために集まる人もいました。


大勢の人は、イエスが誰であるかを理解するのは、まだまだ難しいことでした。

 悪霊は、イエスが誰であるかが良く分かって、『神の子』だと言いました。
  
      イエスは、御自分は
 魔法で病人を癒やす者ではなく、神の権威で癒やす者。
神の独り子でありながら、『神の御心』を実現させるために、この世に派遣された者。
        これらの『事実』を人々に知ってもらいたいのです。
 と同時に。
人々が、イエスの本当の姿を知り、イエスへの『信仰心』を持ってもらいたいのです。


      信仰』は神からの『恵み』です。
 
   その『恵み』に人が気づくまでには時間がかかります。
   悪霊のお人の『イエスは神の子』だとの言葉だけでは、
       反発も生まれたりして、
   信仰に至る障害になる可能性すらもあるかもしれません。
    
     頂いた『恵み=信仰』を深めていくには
  互いに助け合い、癒やし合う、『神の国』の広まりの中で
       さらなる時間がかかります。
   

    私たちはキリストから何を望んでいるのでしょう。
   神の言葉。癒やし。病気の回復。信仰。そして 永遠の命。
                   欲張りですよね。
何よりも『イエスの本当の姿』を知ることができますようにと願いましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
『わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音によって生涯を照らしてくださった。』アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『至福の時間』はどんな時ですか?楽しい時間をお過ごしください。 お元気で!


似たもの親子・・・『朝練』 そして 安息日に律法で許されているのは、善を行い、命を救うこと・・・『愛は律法を全うする。』

2020-01-22 05:20:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・

1月22日。水曜日。曇り。

 
朝5時20分。
 「一つ聞きたいことがあって・・・。」  息子から電話があった。

朝5時半。電話の後。 
     「じゃあな!」 「体に気をつけてね!」  互いに挨拶を済ませて
    
     息子と私の、それぞれの一日の始まりです。

 
 息子。
 ジムで 飛び込んだ・・・   『朝練 スイム』
 

 鉄人アスリートの息子。
 出勤前にスイム。 帰宅時にラン。 日曜日にバイク。
                   練習スケジュールである。

 
 母。私。
 走り出した・・・   『朝練 ジョッグ』
 

 鉄人アスリートの『上席』を息子に譲った母。
 子育ての頃も、鉄人アスリートの頃も、年を重ねた今も、
               練習時間は世の中が起き出す前である。

     
   『朝練』は息子と私の『日常』です。
           『似たもの親子』の私と息子。
私の『大切なもの・道』が、きっちりと息子に伝承されているのが嬉しい。楽しい。頼もしい。
                     感謝!感謝!

 

そして。

今日は1月22日。年間第二水曜日。


『今日の入祭唱』

    『神よ、あなたはいのちの道を示してくださる。
 あなたの前にはあふれる喜び、あなたのもとには永遠の楽しみ。』
                   詩編 16章11節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

   『そのとき、イエスはまた会堂にお入りになった。
 
        そこに片手の萎えた人がいた。

人々はイエスを訴えようと思って、
  安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。

イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
そして

人々にこう言われた。

     「安息日に律法で許されているのは、
      を行うことか、を行うことか。
      を救うことか、すことか。」

彼らは黙っていた。
そこで、

イエスはって人々を見回し、彼らのかたくなな心をしみながら、

   その人に、「手を伸ばしなさい」 と言われた。
 
       伸ばすと、手は元どおりになった。

ファリサイ派の人々は出て行き、
早速、
ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。』
            マルコ福音書 3章1-6節


ヘロデ派の人々やファリサイ派の人々は
『律法』の新しい解釈を述べ、『福音』を述べ、『病者を癒やす』 等、
 民から大きな支持を受けるイエスを、おとしめる機会を狙っていたのです。

イエスは、
人々の『かたくなな心』悲しみ、
『律法』は『善を行い、命を救う』ために定められている、のだと人々を怒ります。


使徒パウロは、
大切な『言葉』を言いました。

 『「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、
    他にどんながあっても、

 「隣人を自分のように愛しなさい」 という言葉に要約されます。
     愛は隣人に悪を行いません。
  だから、愛は律法を全うするものです。』
      ローマの信徒への手紙 13章9ー10節

     
     『愛は律法を全うする』 のです。 
  『愛』は、すべての人を尊重し、大切にするのです。


『律法』を言い換えれば、
  「隣人を、自分と同じように愛しなさい。」
  「隣人は神が造られた人であり、大切にしなさい。」 となります。


確かに。

『律法』はこうあります。

   『安息日を心に留め、これを聖別せよ。』 出エジプト記 20章8節
      神を愛しなさい。『愛神』 ということです。

一方。

神は言われます。

『私の目にあなたは値高く、貴く、わたしはあなたを愛している。』 イザヤ書 43章4節
                    

イエスも言われます。

 『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
    わたしにしてくれたことなのである。』

          タイ福音書 25章40節

   
 一人一人を大切にするということは、
   相手をかけがえのない存在』 として大切にするということです。
   すべての人を、神さまからの『尊厳をもった存在』 として大切にすることです。
神様を大切にするということは、

   隣人を大切にする』 ことで全うできるのです。

    
    日々、『愛神愛隣』 を全うしていきましょう!

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『イエスは神の国の福音を告げ知らせ、民の病いをいやされた。』アレルヤ、アレルヤ。
        マタイ福音書 4章23節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は朝に強いですか?息子と私は低体温で低血圧ですが朝に強いです。 お元気で!


公民権運動の若き指導者・・・『キング牧師記念日』 そして 『主が喜ばれるのは、主の御声に聞き従うこと。』 『人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。』

2020-01-21 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月21日。火曜日。晴れ。

今はアメリカ時間の20日。月曜日。

   アメリカの休日・・・  『キング牧師記念日』
 
      『キング牧師とコレッタ奥様』

    黒人への差別の撤廃を訴えた公民権運動の若き指導者。
    非暴力を唱え、人々を動かし、社会を変えた指導者。

1929年1月15日。 キング牧師誕生
1968年4月4日。 52年前。キング牧師が暗殺されました。39歳。
毎年1月第三月曜日:キング牧師の誕生日。 『キング牧師 記念日』 アメリカの休日です。
                                  今年は、2020年1月20日(月)


      キング牧師の殉教を記念する私たちが、
   人々への愛のために命を捧げたキング牧師の信仰と勇気に、
        見習うことができますように!

 
 キング牧師の功績を讃え・・・  『キング牧師 通り』
 

 私が住んでいたニューヨークにもロスアンゲルスにもあった 『Dr King's道路』
    『偉人の名前』 を 『道路名前』 につけるアメリカ。
    『偉人の誕生日』 を『 国民休日』 にするアメリカです。
                   そんな寛大なアメリカを思い出し、懐かしい。


      私たちもすべての悪に打ち勝ち、
  キング牧師と共にあなたの国に入ることができますように。

 

そして。

今日は1月21日。年間第二火曜日。

 今日は、イスラエルの第一代サウル王の王位剥奪
イスラエルの第二代ダビデ王位成立に至る次第を学びます。

 
まずは。  

『昨日の第一朗読 イスラエル第一代サウロ王の王位剥奪の次第

    『その日、サムエルはサウルに言った。
  
     『ダビデの竪琴に聞き入るサウル王』
  
  「やめなさい。あなたに言わねばならないことがある。
    昨夜、主がわたしに語られたことだ。」

サウルは言った。「お話しください。」

サムエルは言った。

「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。
   しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。
  主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。

 主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ、
    彼らを皆殺しにするまで戦い抜け、と言われた。
     
何故あなたは、主の御声に聞き従わず、

 戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか。」

サウルはサムエルに答えた。
    「わたしは主の御声に聞き従いました。
 主の御命令どおりに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ましたし、
      アマレクも滅ぼし尽くしました。
  兵士が、ギルガルであなたの神、主への供え物にしようと、
    滅ぼし尽くすべき物のうち、
  最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです。」

サムエルは言った。

  「主が喜ばれるのは、
     焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。

    むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。

見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。

     反逆は占いの罪に高慢は偶像崇拝に等しい。
  主の御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」』
         サムエル記上 15章16-23節

 
それは。
士師時代から王国成立へと移行した時代。

   イスラエルを指導した最後の士師&預言者のサムエルに、
    イスラエルの民が『王政』の導入を要求し、
サムエルは『神の御心』に従って、
  ベニヤミン族のサウルを『イスラエルの初代の王』に選び、
        
  続いて、ユダ族のダビデを『イスラエル二代目の王』に選び、     
                         油をそそいで、 王に任命するのです。
       第一代サウル王の次女・ミカルは第二代ダビデ王の妻です。 


サウル王は、
  「罪を犯したアマレク人」を滅ぼし尽くせと神に命じられたのに、
アガク王を生け捕りにし、羊や牛など上等なものは滅ぼし尽くしませんでした。
 『主の命令』に背いた上に、自らの行動の正しさを『自己弁護』 までします。 


預言者サムエルは、

     そんな『サウルを退ける』と神が言われ、
自分が油を注いで王としたサウル王が神に捨てられたことを悲しみました。


     『嘆くサムエル と 嘆願するサウロ』
 
 『サムエルはサウロに言った。
     「あなたは愚かなことをした。
  あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、
主はあなたの王権をいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。
  しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。
主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。
  主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。』
       サムエル記上 13章13&14節

更に。

サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことをいた。

 主は、サウルを、イスラエルの王として立てられたことをいられた。』 のです。
               サムエル記上 15章35節   


次に。

    『今日の第一朗読 イスラエル第二代ダビデ王の王位着位の次第
  
     『ハープを弾くダビデ』   ヘラルト・ファン・ホルトホルスト作品

    『その日、主はサムエルに言われた。

  「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。
  わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。

    角に油を満たして出かけなさい。
  あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。
   なすべきことは、そのときわたしが告げる。
  あなたは、わたしがそれと告げる者にを注ぎなさい。」

サムエルは主が命じられたとおりにした。
彼がベツレヘムに着くと、町の長老は不安げに出迎えて、尋ねた。

 「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか。」
  
「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました。

   身を清めて、いけにえの会食に一緒に来てください。」

サムエルは
エッサイとその息子たちに身を清めさせ、いけにえの会食に彼らを招いた。

彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、
彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。

しかし、主はサムエルに言われた。

 「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。
    人間が見るようには見ない。
 人はに映ることを見るが、主はによって見る。」

エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。
サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」
エッサイは次に、シャンマを通らせた。

サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」
エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、

サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」

サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」
末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、
サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。」
   エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。

 
   彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。

主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」
    サムエルは油の入った角を取り出し、

      兄弟たちの中で彼に油を注いだ。

  その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。
     サムエルは立ってラマに帰った。』
        サムエル記上 16章1-13節


ベツレヘムの長老たちは、
  高名な預言者サムエルの突然の訪問に、当惑と不安を抱き、
   不安げにサムエルを出迎え、
  彼の来訪が『平和なことのため』であるかどうかを確認しました。

サムエルは、
  彼らを安心させ、この長老たちをも会食に招きました。
  そして、エッサイとその息子たちを、
  神聖な儀式に出席させるため、身を清めさせ、会食に招きました。

主は、
 エッサイの息子たちが集まると、サムエルを戒めました。
     『容姿や背の高さに目を向けるな。
   人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。』と。


   サムエルは、
エッサイの七人の息子を年齢順に試みました。
     主は、そのだれをもお選びにはなりませんでした。


エッサイは、

祭儀的会食のため、未成年だったダビデを列席させていませんでした。
   
   八人兄弟の末の子であるダビデが連れて来られました。

主は、
  ダビデの『心』を見て、イスラエルの王になる者として選び、
    王とする『油』をダビデの頭に注ぐように
        サムエルに命じたのです。

 
  その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになったのです。
    その10年後、ダビデは王として即位します。

 

    主なる神は、『心によって見る』 お方です。
容姿、背の高さ、年齢、家柄、財産、学歴、職種、性格、能力、経験、等。       
       『外見』
で選ぶ方ではありません。

    主なる神は、その人の『心』を見、その人を憐れみ、
        愛するゆえに選ばれのです。
    
     それは、神の一方的な、自由な選びです。
 神の愛と選びの自由 と 神の摂理の不思議 でもあります。

    
   『油注ぎ』後10年目。
     ダビデ王の即位により
   
   『イスラエル統一王国』 が確立しました。

 権力者の夢は、
   たった一つの背信によって崩れ去る、はかないもの、必ず終わりがきます。
信仰者の夢は、
   信仰によって保証される、終わりのない、『永遠の命』です。
     どちらも、人には欠かせないものではあります。
      二つの事実を忘れないことが大事ですね。

 

主は、
アブラハムを、『主の御声に従う者』 として祝福されました。
イスラエルを、『どの民よりも貧弱な者』に対する愛ゆえに、『神の民』としました。
ダビデを、『ダビデの心』を見て、祝福されました。
キング牧師を、『信仰と勇気』を見て、祝福されたのでしょうか?

    神の選びは、ただ『神の御心』によるということです。

私たちの、何をよしとして、祝福してくださるでしょうか?
     神の御心に適う『心』を持って、
      神の恵みを賜りましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今は受験シーズン真っ最中。将来の『夢』を目指して頑張って下さい。 お元気で!


手作り品・・・『友からの贈り物』 そして 『イエスこそ神の子であると証ししたのである。』

2020-01-19 15:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月19日。日曜日。曇り時々晴れ。


    友から・・・  『手作り品の贈り物』

     「練り味噌と大根と一緒においておきます
          練り味噌は減塩 
 大根はまだ今冬霜がおりてないので甘味が今イチです。無農薬。
          お体ご自愛下さい』


   定年退職なさったご主人様と始めた友の家庭菜園の産物です。
      外出していた私のために玄関門扉に
      手紙と一緒に、引っかけてありました。

      
      持ち味を最高に生かして・・・
   昆布でじっくり炊いて、練り味噌をのせて頂きましょう!


   昨日の『春の花束』に続き、今日は『手作り珍味』
           いつも、私のことを気にかけて下さる方がいる。
     心が癒やされます。心が暖まります。
                            友達は有り難い。



そして。

今日は1月19日。年間第二主日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、全地はあなたに向かってひれ伏し、御名をほめ歌います。』
 
                    詩編 66章4節

更に。

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『御言葉は肉となって、私たちの間に宿られた。
   
  言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には
      神の子となる資格を与えた。』ヨハネ福音書1章14&12節
         アレルヤ、アレルヤ。


旧約時代。『神の御言葉』によって、すべてが造られました。
新訳時代『神の御言葉』が、『神の救い』を伝えるために、
      肉を持ち、イエスとしてこの世に遣わされました。


イエスの言葉と働きを信じる人は、
神と一緒に生きる『神の子』となり、本当に生きる者となるのです。

 

そして。

『今日の福音 洗者ヨハネの言葉

  『そのとき、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。
   
     「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」

そしてヨハネは証しした。

 「わたしは、〝霊〟が鳩のように天から降って、
    この方の上にとどまるのを見た。
 
    『ヨハネによるイエスの洗礼』

わたしはこの方を知らなかった。

しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、
  『〝霊〟が降って、ある人にとどまるのを見たら、
   その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』
              とわたしに言われた。

  わたしはそれを見た。
  だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
            ヨハネ福音書 1章29-34節


ヨハネの洗礼は、『水の洗礼』、イエスの準備、悔い改めに導く洗礼です。
イエスの洗礼は、『霊の洗礼』、聖霊の働き、罪の赦しを与える洗礼です。

    
    ヨハネがイエスに洗礼を授けたときに、
 『聖霊』が、イエスの上に鳩の形で留まれました。 
 『神』は、聖霊が降って留まる人が『神の子・我が子』であると宣言しました。
      これぞ、『三位一体』の働きです。 


   ヨハネは、日々の信仰生活を送るうちに、確信し、
      『イエスは神の子』であると証しし、
      イエスがイスラエルを救うために、
  『苦しみの僕』詩編53章1ー10節 となるでしょうと宣言しました。


   私たちも、ヨハネに倣い、日々の信仰生活を送るうちに、
    信仰が深まる『希望』を持ち続けてまいりましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大根や味噌、自分の持つものの分かち合いが世の中を変えていきますね。 お元気で!


友のお見舞い・・・『春の花束』 そして 『主が、御自分の民の指導者とされた。』・・・『油注がれた者』

2020-01-18 07:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

1月17日。金曜日。曇り時々晴れ。


    友の訪問・・・  『春の花束』
   
         「どうぞお身体おいとい下さい」

      
        私のブログのこの一ヶ月ほどの記事から
         私の様子を案じてくださった友が
             電車に乗って
        『見舞いの花束』を届けて下さった。
     私の手を握って、励ましと見舞いの言葉を下さった。


  人は、人に支えられて、人に助けられて、生きている。

私の見知らぬところで、
私の健康や癒やしを祈っていてくれる人がいるのだと教えられました。

ましてや、
神様は、私の友のように私をいつも見守り、守っていてくださるのです。
          
   友の優しさから、『つながり』を考えた一日でした。
            友に感謝! 神に感謝!


そして。

今日は1月18日。年間第一土曜日。

 今朝は朝ミサに与りながら、『神の御言葉』を味わいました。
  今日も、『御言葉』の感動の分かち合いです。よろしく。


『今日の第一朗読 イスラエルの初代王・サウルの誕生の次第


    『ベニヤミン族に一人の男がいた。
             名をキシュといい、勇敢な男であった。

           彼には名をサウルという息子があった。
 美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。   
             民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。

        あるとき、サウルの父キシュのろばが数頭、姿を消した。
キシュはその子サウルに言いつけた。
        「若い者を一人連れて、ろばを捜しに行ってくれ。」

                   彼はエフライムの山地を越え、
     シャリシャの地を過ぎて行ったが、ろばを見つけ出せず、
 
             シャアリムの地を越えてもそこにはおらず、
          ベニヤミンの地を越えても見つけ出せなかった。


         サムエルがサウルに会うと、は彼に告げられた。

          「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。
                    この男がわたしの民を支配する。」


城門の中でサウルはサムエルに近づいて、彼に言った。
        「お尋ねしますが、先見者の家はどこでしょうか。」
サムエルはサウルに答えた。
      「わたしが先見者です。先に聖なる高台へ上って行きなさい。
             今日はわたしと一緒に食事をしてください。

                  明朝、あなたを送り出すとき、
    あなたの心にかかっていることをすべて説明します。


      サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、

       
彼に口づけして、言った。
「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」』
                 サムエル記上 9章1-19節 & 10章1節


    『油注がれ』イスラエル初代王となった『サウル』
 
  『サウル王のために竪琴を奏でるダビデ』 レンブラント作品
     後にダビデがイスラエル第二代王となります


紀元前10世紀頃。            
サムエルが士師としてイスラエルを指導していた頃。
  
     民の中から王を求める声が強くなった。

年老いたサムエルは、

『王を求めることは、神が王であるイスラエルには、罪である』と民に説明する。

そんな時。

神は、サムエルに、
『王を、私が指示する王となるべき男を捜し、定めなさい。』と言いました。


サムエルは、
  『神の言葉』に従って、
  ベニヤ民族出身のキシの息子で、父親のロバを探すサウロに会い、
  サウロこそが神が選んだ人であることを悟って、油を注いだのです。

 
          『油を注ぐ』
        
            『聖油』

旧訳時代。   

    『油注ぎ』は旧約時代から行われていました。 
       王、祭司、預言者たちは、
神の特別な働きのために聖別され、神からの権威と力を賦与されたのです。

新訳時代。

   『キリスト』 とは 『油注がれた者』 という意味です。

キリスト・イエスは、
『神からの油注ぎを受けたであり、大祭司であり、そして預言者 なのです。

私たち・キリスト者も、
 洗礼の時に、神から油を注がれ、聖霊が注がれ、
   『王職』 『祭司職』 『預言職』 を受け継いだのです。
     イエスのものとなった私たち・キリスト者は、
      イエス様にならって『三職』を行使して
 『神の御国』の発展のために働く義務を持つ者となったのです。
                  喜んで働きましょう!


ここで。
最大の疑問が沸いてきます。
     
       『神は何を基準に人を選ぶのか?』

まず。
サウルの場合。
     
サウルは、
その出身はベニヤミン族で、長身の美男子でした。 サムエル記上 9章1&2節
又、
神が王として選ばれていることを告げた当初は謙遜の人でした。
  『私はイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、
  そのベニヤミンでも最小の一族の者です。
  どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか。』9章21節
                     と謙虚に答えています。

次に。
神の民:『選民・イスラエル』の場合。

 『あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、
  御自分の宝の民とされた。
  主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、
  あなたたちがたのどの民よりも数が多かったからではない。
  あなたがたは他のどの民よりも貧弱であった。
  ただあなたに対する主の愛のゆえに、
  あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、
  主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、救われたのである。』
                       申命記 7章6-9節


最後に。
私たち・キリスト者の場合。

 『あなたがたがわたしを選んだのではない。
       わたしがあなたがたを選んだのである。』
            ヨハネ福音書 15章16節


『神の選びの基準』は、人には計り知れない、『神の御心』によるのです。
  そして  謙遜。貧弱。愛。忠実。 かもしれませんね。
       

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『神の御国』の発展のために働く。『家庭』のために働く。
同じことですよね。皆で仲良くして義務を果たしてまいりましょう。 お元気で!