マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

9月最終日・・・『残りの秋』  そして 『神より正しいと主張できる人間があろうか。』

2020-09-30 15:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
9月30日。水曜日。曇り。

今日で9月も終わりです。
今日のご近所さんの景色二つです。

             『実りの秋』
 
                                        もうすでに鈴なりです
            明日からは、新しい季節が始まります。


            情熱の曼珠沙華』
 

  曼珠沙華の「花ことば」も色々です。
  白の曼珠沙華は「また会う日を楽しみに」。 黄の曼珠沙華は「深い思いやりの心」

  『情熱』の似合った季節を記憶の中に保存し、 『また来年会う日を楽しみに』・・・
        木枯らしが吹き始める前の穏やかで美しい季節を、
          心整えながら
        心おきなく楽しむことにいたしましょう。

  曼珠沙華の 花の命は短くて  苦しきことのみ多かりき』 林芙美子・放浪記より

    さまざまの苦しみも、新しい明日を目指して、乗り越えてまいりましょう。


そして。

今日は9月30日。年間第二十六水曜日。

『今日の入祭唱』

 『神の言葉を昼も夜も思いめぐらし、記されたすべてのことを守り行え。』


      『今日の第一朗読 ヨブの言葉』

  ヨブも、さまざまの苦しみを、新しい明日を目指して、乗り越えていくのです。

  『ヨブは友に答えた。
         それは確かにわたしも知っている。
    
      神より正しいと主張できる人間があろうか。
 神と論争することを望んだとしても  千に一つの答えも得られないだろう。
      御心は知恵に満ち、力に秀でておられる。

     神に対して頑になりながらなお、 無傷でいられようか。
         神は山をも移される。
      怒りによって山を覆されるのだと誰が知ろう。
     
   神は大地をその立つ所で揺り動かし、 地の柱は揺らぐ。
      神が禁じられれば太陽は昇らず
       星もまた、封じ込められる。
 
    神は自ら天を広げ、 海の高波を踏み砕かれる。
   神は北斗やオリオンをすばるや、南の星座を造られた。

  神は計り難く大きな業を 数知れぬ不思議な業を成し遂げられる。
     神がそばを通られてもわたしは気づかず
      過ぎ行かれてもそれと悟らない。

     神が奪うのに誰が取り返せよう。
    「何をするのだ」と誰が言いえよう。

わたしのようなものがどうして神に答え、 神に対して言うべき言葉を選び出せよう。
      わたしの方が正しくても、答えることはできず
       わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。

    しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。
    わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。』
         ヨブ記 9章1-12&14-16節


ヨブ記は
イスラエルの民の
バビロン捕囚(紀元前598年~538年の60年間)の終わりの頃
書き終えたといわれます。


     ヨブ記は、
    不幸の中で苦しむ人々の悩みが、『ヨブの言葉』で訴えられるのです。
 

         イスラエルの民は、 捕虜になるほどむごい罰の中で、
           「どうして神は黙っておられるのか?」
            「正義の神はどこにいるのか?」
 と。
          自分たちの悩み、悲しみ、不満、不幸を
           『ヨブの言葉』 で訴えるのです。  
        それは、すべての人の、理不尽と思える悲しみへの訴えでもあります。


そんなヨブ(イスラエルの民)に
神は直接に『答』を与えるのではなく、
ヨブの目を大自然に向けさせ、
 
偉大な神と人間との隔たりを見せようとします。
又、 神の偉大さ と 神の前で人間とはどういうものか、
『答』を、ヨブ(イスラエル)自身に考えさせようとするのです。
私も、考えてみました。


  次第に。

    ヨブ(イスラエル)は、神の尊厳が分かるようになり、
    自分が神の前に正しい者のように振る舞っていた自分の愚かさに気づいていくのです。

ヨブは自問自答するのです。  
        神より正しいと主張できる人間があろうか?
      神に対して頑になりながらなお、 無傷でいられようか?
      神は大地をその立つ所で揺り動かし、 地の柱は揺らぐ。
      神は自ら天を広げ、 海の高波を踏み砕かれる。
   は計り難く大きな業を 数知れぬ不思議な業を成し遂げられる。
      神が奪うのに誰が取り返せよう。
 わたしのようなものがどうして神に答え、神に対して言うべき言葉を選び出せよう。
   わたしが呼びかけても返事はなさるまい。

  更に。
        ヨブ(イスラエルの民)は、『神の御心』を悟ります。
    神は、人間が造り上げる『神の姿』 を打ち砕き、
    神は、人間に、『神への信仰と信頼してゆだねる謙虚な心』 を求められる。 のだと。


       イスラエルの民が、
         苦労の中で、 『神の御心』を悟った時に、
    イスラエルの民のバビロン捕囚時代が終わりとなるということでしょうか?
     神が『終わりの時』を『答』として、準備してくださったということでしょう。
                   ・・・と、私は考えた次第です。
     

       私たちも、
    神が私たちを信頼してくださるお心に応えて、
心静かに、『神の答』を見つけることができますようにと、祈ってまいりましょう。


『今日の祈願』

   『いのちの源である神よ、
あなたの言葉に耳を傾け、その教えに照らされて信仰の道を歩み、
    永遠のいのちに達することができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋はおしゃれの秋でもあります。 ウイズコロナの生活が当たり前になった今、
お家の中でもおしゃれをして、気持ちを盛り上げてまいりましょう。 お元気で!

読書の秋・・・『家事休業宣言』 そして 『聖ミカエル  聖ガブリエル 聖ラファエル大天使 祝日』・・・『天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』

2020-09-29 10:00:00 | 私のこと
9月29日。火曜日。晴れ。

朝一の仕事=早朝ウォーク
まじめに済ませました。
その後は
家事休業宣言です。
それは
手抜き食事です。


     超手抜き昼食・・・    『三色どんぶり』
 

               肉と卵と野菜(気休めの少量)。 豆腐とわかめ。
                一応栄養分を賄ったつもりで一安心して
             家事休業宣言となれば・・・昼食からワイン付きです。 


       この度、本を出版なさった知り合いの方お二人から、
         それぞれに、『本』を賜りました。
      二つの『本』共に、私の興味の尽きない分野の御本です。

             『読書の秋』
      家事休業宣言で、集中して読ませてもらうことにした次第です。

続けて。

    超手抜き夕食・・・     『刺身盛り合わせ』
 
  
           近海魚、遠海魚、深海魚、で動物性タンパク質
         枝豆、 で植物性タンパク質  の栄養分の補充夕食です。


          『読書の秋』
      以前、有名女流作家のエッセイで読んだことを、覚えています。
一作品を書く毎に、歯をくいしばって書くので、 歯を一本折ってしまうのです。 と。
   「骨身を削る」と云うことはこういうことかと、作家の方々のご苦労を初めて知った時でした。


          作家さんは、『本』を出すことが本業です。
今回、私が頂戴した本は、大変な重責の本業をお持ちのお二人が、 お書きになった御本です。
        何本の歯を失ったことでしょう?  と想像するだけでも、
      襟を正して正座して読まなければ申し訳ない、と思った次第です。
          そんなわけで、家事休業宣言の一日でした。

          お陰様で、心も体もそして頭もリフレッシュ。 
            有り難い一日でした。 感謝!感謝!

    
そして。      

今日は9月29日。年間第二十六火曜日。

        『聖ミカエル  聖ガブリエル  聖ラファエル大天使 祝日』
 

五世紀。 ローマに建てられた聖ミカエル大聖堂の献堂、が行われました。
現代。  ミカエルの他に、ガブリエルとラファエルが加えられて共に記念するようになりました。
          神の使いである天使たちと心を合わせて神を讃美し、
               その取り次ぎを願う祝日です。

ミカエルは、
 「神と似た者」という意味で、
  ダニエル書(10.13)には、 イスラエルを助ける天使として描かれ、
  ヨハネ黙示録(12.7)でも、 悪魔に対して戦ったと記されています。
   
     1549年。 聖フランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられ、
           キリスト教宣教の許可が出たのは同年の 9月29日であったことから、
           ザビエルは、9月29日聖人の聖ミカエルを日本の守護者と定めました。

ガブリエルは、
 「神の力」という意味で、
  ダニエル書では、 神のメッセージを預言者に伝えている。
  新約聖書の中では、 洗者ヨハネの父・ザカリアに洗者ヨハネの誕生を、
             又、 聖母マリアに救い主イエスの誕生を伝えている。
         通信・報道の保護者といわれています。

ラファエルは、
 「神はいやされた」という意味で、神のみ前にいる7位の天使の1位です。
  トビト書では、 人びとの祈りを聞き入れて神にとりなし、
  エノク書では、 堕落した天使たちに汚された地を清らかにする天使として描かれている。
       旅人、薬関係の仕事に携わる人、パイロットの保護者といわれている。
               『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『御使いたちよ、 主をたたえよ。 
 主の語られる声を聞き、 御言葉を成し遂げるものよ、 主をたたえよ。』

            詩編 103章20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは、 ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、
彼のことをこう言われた。
     「見なさい。まことのイスラエル人だ。 この人には偽りがない。」
ナタナエルが、
      「どうしてわたしを知っておられるのですか」 と言うと、
イエスは答えて、
      「わたしは、 あなたがフィリポから話しかけられる前に、
      
       いちじくの木の下にいるのを見た」
  と言われた。

ナタナエルは答えた。
      「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
イエスは答えて言われた。
      「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。
         もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

更に言われた。
            「はっきり言っておく。
           天が開け、 
       神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、

  
           あなたがたは見ることになる。」』
             ヨハネ福音書 1章47-51節

  最初の弟子たちは、
    今日、フィリポから誘われたナタナエルが イエスと出会ったように、
    自分の友達を誘って、 イエスの所へ連れて行きました。

今日は
イエスの12人の弟子の一人
ナタナエルの『招命の時』の話です。


       フィリポから誘われたナタナエルは、
   「ナザレのような田舎の町から救い主が出るだろうか」 ヨハネ福音書 1ー46
       と、初めは、イエスを信じられなかったのです。
    でも。
      フィリポは、諦めず、「来て、見なさい」 と言ったのです。 ヨハネ福音書 1ー46

       ナタナエルは、 思い切って、 一歩踏み出したのです。
本当のイエスを知るためには、想像や噂ではなく、直接に見て、自分で体験しなくてはなりません。
   

  人はイエスとの個人的な出会いによって、 確信を持ち、 イエスを知るようになるのです。


  ナタナエルは、イエスと二言三言話すうちに、イエスが誰であるかの確信を持ちました。
    「先生、あなたは神の子です。 あなたはイスラエルの王です。」 と。
  イエスは、 そんなナタナエルに、 『秘密』 を打ち明けました。
    「あなたは、 もっと偉大なことをあなたは見ることになる。
     神の天使たちがイエスの上に昇り降りするのを見ることになる。」 と。
       それは、『イエスの復活と昇天』の預言でもありました。

    
   イエス様は、ナタナエルの『招命の時』 を準備なさったのです。


  私たちも、
  イエス様を一層知ることができますようにと願い、
  神が準備してくださった聖書の『御言葉』を通して、 一層イエス様と出会ってまいりましょう。


『今日の祈願』

   『万物を治められる神よ、
 わたしたちも、天使の守りのもとに、力強く救いの道を進むことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
読書の秋を今日は楽しみましょう、と色々の秋を意識しながら、
豊かな秋にしたいものですね。  お元気で!

早朝散歩・・・『秋の絶景』 そして 『聖トマス西と十五殉教者 記念日』・・・『あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』

2020-09-28 07:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
9月28日。月曜日。晴れ。

秋の早朝は
一段と空気が澄んでいます。

   
    散歩途中・・・      『秋の絶景』

      
    真っ青な空と浮かぶ雲。 池を囲む木々。 空を写す青い池に映る緑の木々と白い雲。
        三層になった絶景は、地球の丸さと大きさが感じ取れました。

            なんと壮大で美しい景色でしょう。
           自然の啓示に畏敬の念すら覚えて・・・
     私もその自然の一つ・・・何をあたふたと悩む必要があろう。

         今朝も散歩で、 心身共に整えられていきます。
                       感謝!感謝!
                   


そして。

今日は9月28日。年間第二十六月曜日。

     『聖トマス西と十五殉教者 記念日』
   

1633年~1637年。
十六聖人は、いずれもキリシタンへの迫害が厳しかった頃にかけて、長崎で殉教した人々です。
秀吉時代から徳川家光の時代までの、 宣教師として最後の殉教者です。
十六名は、日本人の司祭トマス西、ドミニコ会の司祭、修道者、修道女と彼らのために働いた信徒たちで、
九名の日本人の他に、スペイン人、イタリア人、フランス人、
   フィリピンの最初の聖人であるロレンソ・ルイズが含まれている。

1987年。 彼らは列聖されました。
             『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

  『キリストに従い、キリストの愛のためにいのちをささげた殉教者は、
       天の国でキリストと共に終わりなく喜び歌う。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、 弟子たちの間で、
       自分たちのうちだれがいちばん偉い  という議論が起きた。
 

  イエスは彼らの心の内を見抜き、
     一人の子供の手を取り、   御自分のそばに立たせて、
 
    言われた。
   「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
    わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。
      あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」


そこで、ヨハネが言った。
     「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、
   わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」


イエスは言われた。
           「やめさせてはならない。
     あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」』

           ルカ福音書 9章46-50節


     今日の、弟子たちの『議論』 は、二つのことでした。
 自分たち弟子の間で、誰が一番偉いのか?
イエスの名前を使って悪霊を追い出す人が、イエスに従うのでなければ、追い出すべきではないか?

     今日の、イエス様の、弟子たちの議論への『答』は、二つのことでした。
 イエスの名のために、力のない小さな子供を受け入れる者は、イエスを受け入れるのである。
     イエスを受け入れる者は、イエスをお遣わしになった方・神を受け入れるのである。
 弟子の中で、最も小さい者こそ、最も偉い者である。


イエス様の教えはどういうことでしょうか?
私も考えてみました。

      イエス様は、
          神の身でありながら、その力に固執することなく、フィリピの信徒への手紙 2章6節
        罪人として、最も小さな者として、十字架上の死を受け入れて
            最も偉い人になりました。


      子どもは、
          自分では何の力もなく、
        大人や神様のなさるままに保護を受ける小さな者であり、
            弟子たちの『模範』となるのです。


    弟子たちは、
       自分の力で互いの偉さを競う『誘惑』に負けがちになります。
    悪霊を追い出す力を持つ者を競争相手のように思ったりするのです。
        そうではなく
          イエスや子どもたちに倣って
      人々の中で、目立たず、『人に仕える者』 となる者が
        弟子たちの中で最も偉い人なのです。

   私たちも、
        イエス様の教えに従って
      自分が目立つのでなく、 お人に仕える道を選びながら、
     イエス様を 又 神様を 受け入れる者となりたいものです。
        

『今日の祈願』

  『すべての人を愛してくださる神よ、
私たちが悔い改める心を持ち続け、神に従う生き方を示すことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋の涼しい空気と美しい景色に癒されます。
思い切って一歩踏み出して散歩を楽しみたいものですね。 お元気で!

スマホ派?それとも手紙派?・・・『サンマの秋』 そして 『兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。』

2020-09-27 09:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月27日。日曜日。曇り。

今年は秋刀魚が不漁とか。
今日見つけた秋刀魚はまだ細い。


          『今年初物の秋刀魚』


       毎年巡り来る秋刀魚の秋・・・
            ”いよいよ秋ね” と
       心ゆったりとなり、いいものですね。 とてもおいしい。

ゆったりと云えば・・・
皆様は
大切な連絡は
スマホですか? 手紙ですか?
スマホは、一押しで、手っ取り早い。
手紙は、ペン書きで、手間がかかります。

           私は、耳の聞こえない友人が二人います。
             彼女たちと私の連絡方法は
       友人が私に電話をしてきて一方的に話され、 電話を切る。
       次に、私が話の続きや他色々を紙に書いて、 FAXをする。
        それを数回繰り返して、 『会話』が終わるのです。
      勿論、先に私からFAXをして、友人が電話をして下さる、という逆バージョンもあります。

     手間がかかるようでいて、 その『会話』には、いつも心がこもります。
        両者がとてもゆったりと時間をかけるからでしょうか?
友人は、時々は、 わき出る気持ちを電話ではなく文字にして、 FAXで知らせてくれます。

        そんな耳の聞こえない友人との会話の後、 ふと考えます。
 私は生活の中で、 日々忙しく、 大事な人との会話をおろそかにしていないだろうか?
     与えられている大事な時間の配分を、おろそかにしていないだろうか?

こんな『御言葉』を思い出しました。
   『安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。』
                  マルコ福音書 2章27節


          この秋は、 時間に振り回されるのではなく、 
  時間を大事に扱い、家族や友人たちと、ゆったりとした時間を大切にしてみたいものです。
        と、そんなことを思った今日・主日でした。
                                  感謝!感謝!



そして。

今日は9月27日。年間第二十六主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、我らは罪を犯し、不法を行い、あなたから離れて、罪を犯しました。
あなたの正義といつくしみをを現わし、豊かな哀れみをもって、我らに臨んでください。』

       ダニエル書補遺 アザルヤの祈り 6&19&20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは 祭司長や民の長老たちに言われた。


        「あなたたちはどう思うか。

    ある人に息子が二人いたが、 彼は兄のところへ行き、
    『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』 と言った。
 兄は『いやです』と答えたが、 後で考え直して出かけた。

     弟のところへも行って、同じことを言うと、
 弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、 出かけなかった。

    この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」

        彼らが「兄の方です」と言うと、
イエスは言われた。
  「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
        なぜなら、 ヨハネが来て義の道を示したのに、
      あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。
    あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」』
             マタイ福音書 21章28-32節


   今日のイエス様の話は、
   信仰に入る者と、 信仰に進まない者、 との違いを話したのです。



今日の主日ミサ司式司祭様の説教
とても心に残った『御言葉』がありました。

   『祭司長や民の長老たちは、頭も良く、律法を守る努力家でした。
      救いに至るために、「自分で計画を立てた人たち」でした。
    一方。
    徴税人や娼婦たちは、自分の弱さを認め、
      救いに至るために、「神の計画に従った人たち」でした。』

         なるほどね。 そういうことですね、と納得いたしました。


       洗礼者ヨハネもイエス様も、人々に『改心』を勧めました。
 『神の御言葉』に耳を傾け、心に留め、神に近づくようにしなさい、と言われたのです。



祭司長や民の長老たちは、   
  ヨハネはイエスの言葉を聞いても、自分は律法を守る正しい人だから、
      改心は必要ではない。 と自分の計画をたてたのです。

一方。

徴税人や娼婦たちは、
  ヨハネやイエスの言葉を聞いて、自分の間違いを認め、改心をしました。
  今までは神に従わない生活であった、これからは生活を改めましょう、
      と、神の計画に従うことにしたのです。

私たち信仰者も、
  洗礼を受けたので大丈夫! と安心していては、
    祭司長や民の長老たちと同じことです。
  日々反省をして、自分の生活は間違いだらけであることを認めて、
   日々・・・神に許しを願い、 改心し続け、 信仰の進歩を願いたいものです。


『今日の祈願』

 『すべての人を正しい道に導かれる神よ、
    あなたは人々の思いをすべて知っておられます。
信仰の道を歩むわたしたちを支え、いつも神に心を向けて生きるものとしてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
食欲の秋、読書の秋、紅葉の秋、そしてSTAY HOMEの秋。
楽しい秋をお楽しみください。 お元気で!

秋涼の頃・・・『早朝の公園』  そして 『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。』

2020-09-26 06:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
9月26日。土曜日。曇り。

すっかり秋涼の公園となり
早朝の公園の景色もさまざまです。


     初秋の景色・・・     『紅葉の始まり』


          青春時代のような輝く太陽の季節は、 思い出となり
         成熟時代のように紅葉の美しい季節が、 始まりました。

       美しい紅葉の木々に、『熟成ワインの香り』 を覚える私です。


     初秋の景色・・・     『散歩仲間』


       夫が下りた空の車いすを押しながら、 ビハビリ歩行の夫を見守る妻
          ダンベルを両手に握りながら、 爽快な走りを見せる若者

   いつものように互いに挨拶を交わしながら、『生きている喜び』  を覚える私です。


          年を取ることなど想像もできなかった、若かった頃。
       若い頃には想像もできなかった、『自由』を満喫する熟年の今。
         それぞれの『年代』にそれぞれの魅力があるものです。
                         感謝!感謝!

そして。

今日は9月26日。年間第二十五土曜日。

『今日の入祭唱』

    『見よ、 主は御目を注がれる。
  主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。』

        詩編 33章18節


『今日の第一朗読 コヘレトの言葉』

    『若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。

         青年時代を楽しく過ごせ。

        心にかなう道を、目に映るところに従って行け。


知っておくがよい
  神はそれらすべてについて、 お前を裁きの座に連れて行かれると。
     

   青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。

         苦しみの日々が来ないうちに。
    「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
     太陽が闇に変わらないうちに。 月や星の光がうせないうちに。
        雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。

 
  その日には
          家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。
  粉ひく女の数は減って行き、失われ、 窓から眺める女の目はかすむ。

   塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。
         なんと空しいことか、 とコヘレトは言う。
              すべては空しい、と。』 
         コヘレトの言葉 11章9節ー12章8節 参照


    コヘレトの言葉は、
    イスラエルの民のバビロン捕囚時代(紀元前598年~538年の60年間)後の
         紀元前250年前後に書かれたものと云われています。


 人間は、この世のすべてを得ても満たされないほどの『大きな欲求』を持ち、
            『絶対的なもの』 を求めるものである。

          これを満たすにはどうすればよいのか?
             本当の幸せはどこにあるのか?
        真の知恵、日常生活の幸せ、 はどこにあるのか?
               と、コヘレトは問いかけます。


  どれほどこの世で成功しても、 地上のものはすべて過ぎ去るものである。
   地上のものには限界がある、すべては空しい、ことを知るように。

      『塵は元の大地に帰り、 霊は与え主である神に帰る。』
       『お前は顔に汗を流してパンを得る。土に帰るまで。
    お前がそこから取られた土に。 ちりに過ぎないお前はちりに返る。』
             創世記 3章19節  


    『幸せ』は、 節度ある素朴な常識の中にあるのです。
      すべてを主なる神に託する、 その中にある。
            と、コヘレトは教えるのです。 


『今日の祈願』

  『いつくしみ深い父よ、 あなたを深く愛する心をお与えください。 
        すべてにおいてあなたを愛し、
   人の思いをはるかに超えた幸せに与ることができますように。』

      


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 
美しい紅葉の始まる時期の到来です。
週末は、美しい木々の公園の散歩はいかがですか? お元気で!            

孫娘の夢・・・弁護士か?医者か? そして 『人の子は神からのメシア。必ず多くの苦しみを受ける。』

2020-09-25 17:00:00 | 娘と娘家族
9月25日。金曜日。午前中から午後3時まで大雨注意報。後曇り。

私の娘は働くママです。
仕事柄いつも勉強をしています。

そんな親を見ている孫たちは
勉強することは
必要のことと思っているようです。
ところが
自分たちが勉強をするか否かは別問題のようです。


 今年も美しく咲いてくれました・・・   『秋の野の花 野菊』


           野菊も代々
            毎年、美しく、咲いてくれますね。
                         感謝!感謝!

孫娘は
働く母親を見ながら育ったせいか?
自らも仕事に就きたいと願っているようです。

            現在の孫娘には夢があります。
      将来・・・『人の命を直接に守る仕事』 につきたいのです。
          幼いながらに考えつくのは、
          弁護士     と      医者 だそうです。
    
それでも、
      弁護士はあり得ないそうです。
      人の命を守りたい・・・
        そのための弁護に奔走したい。
         だけど
        たとえそれに価する罪人といえども
          死刑と判決を下し
        人の死を決める度胸はない。 
      一人の人の命を守りきれなかった時の
      罪悪感に耐えられないと思う。 そうです。
 一方、
     小児科か産婦人科の先生になりたいそうです。
     小児科で、
       これからの小さい命を助けて、人生を楽しませてあげたい。
     産婦人科で、
       これから生まれる命を全力で守ってあげたい。 そうです。

子ども達の夢は
いつ生まれるのでしょう?
やはり身近な人を見たり
忘れられない経験が
大きく影響するのでしょうか?

        孫娘の現在の夢は、いつまで続くでしょうか?
          気持ちが変わるでしょうか?
     新しい経験を積んで、どんどん変わっていくことでしょう。
   いかなる夢でも、心からわき出る夢を、追いかけてほしいものです。

  世界中の子どもたちの持つ夢が叶いますようにと、 今日も祈る私です。
        

そして。   

今日は9月25日。年間第二十五金曜日。

『今日の入祭唱』

 『主の聖なる人々よ、 主を畏れ敬え。
     主を畏れる人には何も欠けることがない。
   主を求めるに人には良いものの欠けることがない。』

          詩編 34章10&11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

         『イエスが ひとりで 祈っておられたとき、
   
              弟子たちは共にいた。

そこでイエスは、 「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」 とお尋ねになった。
弟子たちは答えた。 「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。
             ほかに、 『エリヤだ』と言う人も、
       『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』  と言う人もいます。」

イエスが言われた。 「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
ペトロが答えた。    「神からのメシアです。」

     イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、
次のように言われた。
        「人の子は必ず多くの苦しみを受け、
      長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
        三日目に復活することになっている。」』

           ルカ福音書 9章18-22節


   イエス様は、 大きな決断をなさるときは、 まず神様に祈られるのです。
    今日も、 祈り終えた後、
イエス様は、 『ご自分の身分・使命』を、弟子たちに、明かそうと決断なさいました。


        弟子たちは、 『イエスの仕事』 を受け継ぐのです。
 その弟子たちは、イエスについての正しい知識を持っていなければなりません。

   
      まずは、イエスは、
    世間の人の考えというよりは、 弟子たちの考えを知りたいのです。

       ペトロは、 『イエスは神からのメシアです』 と答えました。
  イエスが望む答は 『イエスは神の子・メシアです』 だったことでしょう。

   イエスは堅い決意の後・・・
     『ご自分の身分・使命』 を表わされ、 弟子たちに教えたのです。

       『人の子・イエスは、メシアいうだけでなく、
           必ず多くの苦しみを受け、
      長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
        三日目に復活することになっている。』
 と。

     
      弟子たちは、
   『イエスは神からのメシア』であると伝えるだけでなく、
   『イエスは苦しみを受ける神の子・メシア・救い主』 であると、伝えなくてはならないのです。

  私たちも、
   『イエス様は救い主』と言うだけでなく、
   『イエス様の十字架の犠牲によって、私たちにも救いがある』 
               と、感謝しなくてはなりませんね。  
                      感謝!感謝!

『今日の祈願』

   『いつくしみ深い父よ、
わたしたちが、 まことの信仰に成長することができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の夢は何でしょう? 夢を持ちたいものですね。
夢があれば、努力も楽しくなるかもしれませんので。 お元気で!   

友人夫妻との別れ・・・『萩の開花』 そして 『領主ヘロデは、イエスに会ってみたいと思った。』

2020-09-24 15:00:00 | 私のこと
 9月24日。木曜日。曇り。

秋はもの悲しく
寂しい別れに
似合うのだろうか?


    咲き出しました・・・    『秋の花  萩』


        『花言葉』は、 『思案』 『内気』 『柔軟な精神』
   萩のひかえめでこまやかな美しさに加え、どことなく寂しげな風情にちなむ花言葉です。 
                          

寂しいことに・・・

        今月末で、 長年の友人御夫妻とのお別れが決まりました。
        「85歳と82歳になって、 ここが潮時かなと決めました。
         娘家族の住む近くに転居することにしました。」

          直線で『644.6キロ』の先へのお引っ越しです。
             大きな決断だったようです。


           「長年住んだ所を離れるのはつらいわ。
         でも、年を取るってことはこういうことなのね。
    あなたのお母様も東京からあなたの住む神戸に移っていらしたのは
           確か、今の私と同じ82歳の時でしたよね。」

        友人のつらさは、私の母の時の体験と重なります。
          でも、大きな決断を伴う変化は、
     同時に、娘家族との楽しい時間の始まりでもあったのです。
    高齢になっても、新しい生活の始まりがあるのです。 希望です。


互いに別れに涙しながら約束しました。
     「コロナ禍が落着いたら遊びに行くから、 笑って迎えてね。」
       「約束よ。 それまでに新地に慣れているからね。」


友と話し終えた私は
『神の御言葉』を思っていました。

   『何事にもがあり 天の下の出来事にはすべて定められたがある。

     生まれる時、死ぬ時   植える時、植えたものを抜く時
      泣く時、笑う時       嘆く時、踊る時
     求める時、失う時       保つ時、放つ時
     愛する時、憎む時      戦いの時、平和の時。

神はすべてを時宜にかなうように造り、 また、 永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

      わたしは知った 
   人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と   
      わたしは知った
 すべて神の業は永遠に不変であり、 付け加えることも除くことも許されない、と。
    神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
   今あることは既にあったこと  これからあることも既にあったこと。
  すべての出来事、すべての行為には、定められたがある。 』
      コヘレトの言葉  3章1-17節 参照


    友人夫妻の新しい人生の幸多きことを、 お祈りさせていただきました。
 友人夫妻と、共に『信仰の道』を歩んだ豊かな日々に、 心から感謝いたしました。 
    別れとなっても、友人夫妻との友情は永遠に私の心に残るはずです。
      神様! 御夫妻に再会する『時』を私にお与えください!
                       感謝!感謝!


そして。

今日は9月24日。年間第二十五木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、 御旨を行うことをわたしは望み、
     あなたの教えを胸に刻みます。』

        詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、  領主ヘロデは、

      これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。
というのは、
イエスについて、
     「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」  と言う人もいれば、
        「エリヤが現れたのだ」       と言う人もいて、
更に、
      「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」  と言う人もいたからである。

しかし、ヘロデは言った。
        「ヨハネなら、わたしが首をはねた。
           いったい、何者だろう。
        耳に入ってくるこんなうわさの主は。」

    
       そして、イエスに会ってみたいと思った。』
            ルカ福音書 9章7-9節

イエスの時代。

   領主ヘロデは、イエスが不思議な業をなさっているという噂を聞いたのです。

    ヘロデは、そんなイエスについて ”誰なんだろう?” と戸惑ったのです。
      ヘロデは、そんなイエスに会いたいと思ったのです。
     ヘロデは、イエスに赦してもらいたいと思ったのでしょうか?

   ヘロデは、情報収集をしました。
     ある者は、 「イエスは死者の中から生き返ったヨハネだ」 と言いました
     ある者は、 「イエスは天上に上げられたエリアが現れたのだ」 と言いました。
     ある者は、 「イエスは昔の預言者が生き返ったのだ」  と言いました。

     その結果。

     ヘロデは、 「イエスはヨハネであるはずはない。
              私はヨハネの首をはねたのだから。
             それにしてもイエスは何者だろう?」  と考えました。

   ヘロデは、イエスに出会って、 単に、 不思議な業を見てみたいのです。
          イエスを受け入れる気持ちはなかったのでしょう。
   イエスは、そんなヘロデの気持ちを知って、 
          不思議な業を見せることはしませんでした。


 イエス様は、 イエスを信頼する人の心を見抜き、 その時『不思議な業』をなさるのです。
    まずは。
  人が、イエスはお人の幸せを望んで働いているお方であると認めなければなりません。


今の時代。

  イエス様は見えなくても、 今も、 私たちの幸せのために働いていてくださるのです。
私たちも、 日常生活の中で、
       イエス様がなさっている『不思議な業』を見ることができるといいですね。
そのためには、
     まずは・・・イエス様は、いつも、
お人の幸せを望んで働いているお方である。 と認めなければなりませんね。


『今日の祈願』

  『信じる者の力である神よ、
 あなたを愛し、人々に仕える熱意を、わたしたちの中に燃え立たせてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
思いもかけない家族や友人との別れの『時』は、突然に訪れるものですね。
その別れの『時』が来ることを忘れることなく、日頃から皆と仲良くありたいものです。 お元気で!

散髪・・・『自画像』 そして 『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』・・・『貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。』

2020-09-23 10:00:00 | 私のこと
9月23日。水曜日。曇り。

コロナ禍のお陰で
2月以来
美容院に行っていない。

伸び放題で
頭の上に『お団子』を作って
夏を越しました。

美容院にはまだ行かない。
そこで
10月も近くなって
『お団子』もなかろうと
バッサリ切りました。

       自分で散髪・・・     『自画像』
    
                               バッサリ切る前の記念スケッチ
           ”似ている!” と孫は評価してくれました。  本当かな??
     自作は、『しわ』を描かなくてもすむので、 ♡年より若くなれます♡


             私は『DIY』が大好きです。
          DIYは、『私らしさ』が出せるのが好きです。 
        『私らしさ』は、 『正解』がない、 『個性』です。
『庭作り』の楽しさを、お金を払って庭師さんに差し上げるなんて、私には考えられません。


『DIY』には
体力と気力が必要です。

    私の体力と気力の元・・・  『ニンニク』
   
             ”小鳥なの?” と孫は言いました。

    私には『絵画』も、 『DIY』、自己流、自己満足、自己完結です。
  『DIY』は、 下手でもなんでも、 自己完結がなければ、 続きません。

         今日もDIYで、楽しい一日でした。 感謝!感謝!

そして。

今日は9月23日。年間第二十五水曜日。

      『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』
 

1887年。 南イタリアの都市ベネベント近郊のピエトレルチナ村に生まれた。
      7人兄弟の4番目として育った彼は、信心深い母親の影響を受けて、
      幼いころから神に一生をささげたいと望むようになった。

1903年。16歳。 カプチン・フランシスコ会に入会。 ピオという修道名を受けた。
1910年。23歳。  修道会で勉学に励んだ後、司祭に叙階された。

1918年9月20日。31歳。 ミサ後に感謝の祈りをささげているとき、彼は聖痕を受けた。
              ピオ神父の前に現れたイエスの手足には傷があり、
              その示現が終わると、神父の手と足にも聖痕が現れた。

   サン・ジョバンニ・ロトンドの修道院で生涯の大半を過ごして、奉仕職に勤めた。
   霊的指導者として信者の告解を聴き、病者や貧しい人々の世話に従事して、
   神の民のために祈りと謙遜のうちに献身的に働いた。
 
1968年9月23日。81歳。ロザリオを手にして、祈りながら、平和のうちに生涯を終えた。死去。

   2002年。  没後34年という異例の早さで、列聖されました。


『今日の入祭唱』

   『主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げるために、 主がわたしに油を注がれたからである。』

        ルカ福音書 4章18節


『今日の第一朗読 箴言の言葉』

        『神の言われることはすべて清い。
         身を寄せればそれは盾となる。
 
        御言葉に付け加えようとするな。
   責められて偽る者と断罪されることのないように。

二つのことをあなたに願います。
わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。

むなしいもの、偽りの言葉をわたしから遠ざけてください。
貧しくもせず、金持ちにもせず、
   わたしのために定められたパンでわたしを養ってください。


   飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。
   貧しければ、盗みを働きわたしの神の御名を汚しかねません。』
            箴言 30章5-9節

私が聖書を読むときに
唯一参考書とする
『聖書100週間』の手引きを
調べてみました。


   『箴言』は、 
    主なる神に対する『信仰』が基礎にあり、
    これまでの『信仰体験』が『一本の筋』となって本書を貫いているのです。

   『信仰』に従って生きる者は、
    本当の『知恵』に満たされ、 『知恵』に導かれるのです。

   『知恵』は、
    本来は神のものであります。
    『神の知恵』は、民を正しく導くための判断力と実行力になる。

    こう考えるイスラエルの民は、
 『箴言』は、主なる『神ご自身の言葉』 である。 として受け取っているのです。
                  以上。 『聖書100週間手引き』より


       今日の『箴言』は、 正に、 『神の御言葉』でしたね。
     むなしいもの、偽りの言葉を、あなたから遠ざけなさい。
 貧しくもなく、金持ちでもなく、定められたパンで満足することを覚えなさい。


    私たちも、
    飽き足り過ぎて・・・主を裏切り、主など何者か、と言うことのないように。
     又。
    貧し過ぎて・・・盗みを働き、神の御名を汚さないように。 したいものですね。


『今日の祈願』

  『命の源である神よ、 私たちの祈りを聞き入れてください。
   神の恵みに支えられて、永遠の喜びに入ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
STAY HOMEが続く日々、家を改造? DIYを楽しむのもいいですね。
次は何をしようかな? ワクワクしますね。  お元気で!

黄色の彼岸花・・・『お彼岸中日』 そして 『イエスの母、イエスの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである。』

2020-09-22 16:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月22日。火曜日。曇り。

今日は三連休最終日。
秋分の日。
お彼岸の中日です。

      秋のお彼岸といえば・・・  『彼岸花』

           『黄色い彼岸花   ショウキラン 』

         ご近所の玄関前。 風に波打つ花弁が豪華で美しい。


   お彼岸・・・
   コロナ禍で、 夫の家の墓にも私の家の墓にも、 墓参りに行けません。
     せめてもと。夕方一人。 冥福の祈りを、教会で捧げました。

 『死者のための祈り』

   『神よ、あなたのもとにお召しになった私の家族を心に留めてください。
     キリストは死者を復活させるとき、 私たちのみじめな体を、
       主の栄光の体と同じ姿にしてくださいます。
   また、今はこの世を去った私の父母と兄たちをあなたの国に受け入れてください。
     わたしたちもいつかその国で、いつまでも共にあなたの栄光にあずかり、
       喜びに満たされますように。
     その時、あなたは私たちの目から涙をすべてぬぐい去って下さいます。
     わたしたちは神であるあなたをこの目で仰ぎ、あなたに似る者となり、  
       永遠にわたって、あなたをたたえることができるのです。』

           『カトリック祈祷書 祈りの友』より


 祈りを終えて
 ホッとして帰宅。


       私を迎えてくれた・・・   『夕陽』
 
      「ありがとうね。 又ね。」 亡き家族の声が聞こえるようでした。    2階の私の書斎から
                 

     春分の日・秋分の日は、
     この世(此岸) と あの世(彼岸) がもっとも通じやすい日と考えられ、
          『死者を偲ぶ日』
      又、 『来世を偲ぶ日』 としても捉えられる。 そうです。

     太陽の動きや天文学と、 至彼岸の浄土信仰が合わさって、
      「お彼岸」という風習が成り立っていきました。 そうです。


      いつも心の中に住んでいてくれる父母と兄たちですが、
      改めて『お墓参りをする日』があることはいいことですね。
      心集中して、亡き家族への感謝を表わすことができました。
                      感謝!感謝!

そして。

今日は9月22日。年間第二十五火曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの光、 わたしの救い、 わたしは誰を恐れよう。
  主はわたしの命の砦、 わたしは誰の前におののくことがあろう。』

            詩編 27章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  イエスのところに母と兄弟たちが来たが、
           群衆のために近づくことができなかった。


 そこでイエスに、
    「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」 
                              との知らせがあった。

 するとイエスは、
 「わたしの母、 わたしの兄弟とは、 
      神の言葉を聞いて行う人たちのことである」

                              とお答えになった。』
            ルカ福音書 8・19-21

私も母親の一人として
こんな風に考えました。

       イエスは、 人に教えるとき、 
       『たとえ』を用いるときもありますが、 
   聞く者にわかりやすい『事例』を用いて、教えるときもありました。

    
    今日は。   イエスの母マリア様と兄弟がおいでになったとき、
        皆がわかりやすい『事例』を用いて、『説明』をなさったのです。


 『神の声を聞いてそれを行う人が、 本当の母、本当の兄弟、本当の弟子、なのです。』

     このイエスの『説明』は、まず、マリア様にあてはまることでした。

        マリア様は、イエス自身から言われる『言葉』、
           イエスについて言われる『言葉』、
  を聞いて後、 その『言葉』を心に止めて、 『言葉』に従って生活をなさいました。

  そこで。
       『マリアこそ本当の母』、『マリアこそ信仰の模範』、 
          であると、イエス様はおっしゃったのです。

  マリア様には、 『言葉』の意味が分からないことが、沢山ありました。
  『我が子・イエス』がどういう人であるのかも、はっきり分かりませんでした。
        それでも、神をいつも信頼していました。
    神がご自分になさった『偉大なこと・イエスの誕生』を心に止めながら、
       自分は『主のはしため』 ルカ福音書 1章38節 であり、
       神の望むとおりに生きたいと望んでおられました。

     そんなマリア様こそ、『本当の母』であり、『信仰の模範』である
        母マリアに倣って『信仰生活』を送るように
         と、イエス様はおっしゃったのです。


   私たち信仰者は、
    マリア様を『模範』にして、いつも『本当の母』に倣って、
       『御言葉』を聞いたら、心に止め、
       『御言葉』にしたがって生活できるといいですね。


『今日の祈願』

  『いつくしみ深い父よ、 
      御ひとり子の豊かなたまもので満たされ、
   いつもそのいのちに生きることができますように。』



皆様1
御訪問に感謝申し上げます。
3連休の終わりです。皆様は楽しくお過ごしになられましたか?
鋭気を養われたことでしょう。残り約1/3年を頑張りましょう。 お元気で!

働いた後は『カクテル・タイム』 そして 『聖マタイ使徒福音記者 祝日』・・・『「わたしに従いなさい。」マタイは立ち上がってイエスに従った。』

2020-09-21 10:00:00 | 私のこと
9月21日。月曜日。晴れ。

三連休の中日。
衣替えをしました。
思い切った方法を採用
しっかりと働き
ちょっと満足です。


      働いた後は・・・    『カクテル・アワー』
   
           体を動かして働いた後は、 我が身を労る至福の時間です。         
        つまみは、自家栽培野菜は終わりとなって、好物を集めて、購入品のみ。

        ワインは、フランス・カベルネソーヴィニヨン。ミディアムボディ。 満足。
   ユダヤ人が『過越の日』に食べる『種なしパン』には、ナチュラル・チーズをのせて。 大好きです。
         『ホワイト・コーン』は甘い。 旬のものは体に良い。 元気モリモリ。
         青魚好きの私。 今日は『鰯の甘露煮』で大満足。 血液サラサラ。


今までの衣替えは、 簡単に・・・
クローゼットに収まる季節の衣類 と 納戸にしまってある次の季節の衣類の、 総入れ替えでした。
今日の衣替えは、  頭を使って・・・
納戸にしまってある次の季節の衣類の中の、 気に入っている洋服だけを出して、 部分入れ替えにしました。
             季節外の洋服は、すべて、見えないように、納戸に収納してあります。
            これだけでよしと選んだ季節の洋服は2/3以下。どんな結果になるのか? とても楽しみです。


    結果は。
       クローゼットがスッキリ・・・気分も頭までも、晴れやかに、自由になったようです。


       断捨離とは、
       持ち物を減らすことによって、心の訓練をするということのようです。
              『断念』することで、
    自分が捨てられるものを見きわめる。今の自分のままでいいのか?と考え直す訓練です。
           ものを持つ自由でなく、心の解放による自由の獲得です。
              『真の自由』の獲得に向かうのです。

                         
       今日は、心の断捨離の一歩を踏み出しました♡♡  
       そんな今日はワインが特別においしいのです♡♡
                  感謝!感謝!


そして。

今日は9月21日。年間第二十五月曜日。


           『聖マタイ使徒福音記者  祝日 』
      

マタイは、カファルナウムで生まれ、その町で、徴税人として働いていました。
  当時の徴税人は、ローマの手先となって同胞からお金を取る者として、
         罪人とみなされ人びとから疎まれていました。

   ある日、 収税所の前を通られたイエスからかれたマタイは、
          すぐにイエスにい、12人の使徒の一人となったのです。

マタイは、福音書を当時のユダヤ社会で使われていたアラマイ語で書き記し、
         旧約の預言がキリストにおいて実現されたことを主張し、
         キリストが真の救い主、神であることを強調した。
 
  その後。  東方で宣教し、エチオピアで殉教した、 と伝えられています。
             『毎日の読書』より



『今日の入祭唱』

   『あなたがたは行って、 すべての人を私の弟子にし、 洗礼を授け、
    あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。』

           マタイ福音書 28章19-20節



『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、  イエスは   通りがかりに、
      マタイという人が  収税所に座っているのを見かけて、
 
        『聖マタイの召命』    Juan de Pareja作品

        「わたしに従いなさい」 と言われた。
      彼は立ち上がってイエスに従った。



    イエスがその(マタイ)家で食事をしておられたときのことである。

     『取税人と食事をするイエス』      小磯良平作品
   
    徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。

      ファリサイ派の人々はこれを見て、 弟子たちに、
    「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」 と言った。

        イエスはこれを聞いて言われた。
     「医者を必要とするのは、  丈夫な人ではなく病人である。
     『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』

             とはどういう意味か、行って学びなさい。

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」』
          マタイ福音書 9章9-13節 


      当時。 マタイは、徴税人ゆえに罪人とみなされていました。  
  イエスは、 イエスから呼ばれる資格がないと思われていたマタイを、呼ばれたのです。
    一方。
   ファリサイ派の人々は、 食事する所まで押しかけてきて、
         イエスの『律法の違反』を、追求しました。
   イエス様は、 そんなファリサイ派の人々に向かって、
         『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。
                  学び直しなさい。』
 と諭しました。

  私も学び直しました。

       『私が喜ぶのは 愛であっていけにえではなく、
         神を知ることであって、焼き尽くす捧げ物ではない。』

                ホセア書 6章6節


   イエスは、人を差別することなく、 万人が価値ある者である、 と教えました。
       『万人は神の似姿として造られた』 創世記 1章27節 のです。
   マタイは、イエスから呼ばれたことを喜び、 すぐに立ち上がり、イエスに従いました。


     人は、自分の存在を、
     価値あるものとして認めてくれる人に出会うとき、喜びに満たされるものです。

      マタイは、 イエスからの『愛情』を経験し、 素直に『悔い改め』ができました。
              イエスの態度から、『愛』以上のものはないと悟り、
              一瞬のうちに、 心の断捨離ができたマタイさんだったのでしょう。

        『マタイ福音書』を書き記すほどに、 信仰深い者となったのです。



     私たちも、神から、すべての罪を赦されるほどに、愛情を頂いています。
      私たちも、 すべての人を愛するようにと、 呼ばれたのです。
    お人を大切にして、『キリストの救いの業』 に参加、協力したいものですね。


『今日の祈願』
 
   『すべての人の救いを望まれる神よ、
 あなたは限りない慈しみをもって徴税人マタイを選び、 使徒とされました。
 わたしたちも聖人の模範にならい、すべてを超えてあなたに従うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日で三連休も終わりです。お幸せな一日であリますように。 お元気で!