2月15日。月曜日。雨のち曇り。
今日は雨の止んだ間に車を始動させました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/11/f3ff819ee431477d3cc0a7698be11385.jpg)
自粛生活で外出のなくなった日常。
公共交通手段に乗ることなく何ヶ月がたつだろう?
車にも乗ることが殆どなくなった。
運転をしないでバッテリーが上がってしまっては大変と
久しぶりにエンジンをかけて、始動、近所を走りました。
コロナウイルス終息の後には、
車だけに限らず、”ビフォーアフター”で、生活様式がすっかり変わってしまいそうです。
あるいは、”喉元過ぎれば熱さを忘れる” となるのだろうか。
コロナ禍で学び、考えたことを、コロナ後は必ず生かしたいと願っています。
まるで違った『人生』が始まるだろうかと、期待しています。 感謝!感謝!
そして。
今日は2月15日。年間第六月曜日。
今日は、旧約聖書も新約聖書も、『しるし』について述べます。
聖書においては、
『しるし』は 『超自然的な意味を担うもの』 として使われることが多いのです。
『聖書思想辞典』より
まずは。
『今日の旧約聖書 創世記』
『さて、アダムは妻エバを知った。
彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/1e/0bf9fbf6613342828b57579ad4d38e23.png)
彼女はまたその弟アべルを産んだ。
アべルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、
カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/43/9a7f5d51fe9055c7255d398d90453ad8.jpg)
アべルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
主はアべルとその献げ物に目を留められたが、
カインとその献げ物には目を留められなかった。
カインは激しく怒って顔を伏せた。
カインが弟アべルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/02/c40fa5f8bc3ec30cbca2b3b3fa5d4f16.jpg)
『カインとアベル』 ルーベンス作品
カインは弟アべルを襲って殺した。
カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、
わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、
カインにしるしを付けられた。』
創世記 4章1-15節
神は、弟を殺し殺人者、放浪者となったカイン、をなおも保護するために、
カインに『しるし』をつけました。
旧約の『しるし』から何を学ぶのでしょうか?
『神のあわれみ』 と 『神の救いの約束』 を学ぶのです。
神は、罪を犯した人をも見捨てることなく、『神のあわれみ』で、かえって人を救うお方なのです。
不和の関係が、『神の救いの約束』によって、回復される希望が与えられるのです。
弟を自分の怒りから殺す兄は、『人間の弱さ』の象徴であり、『人間の姿』、ではないでしょうか。
私たちはいつも自分の自尊心が傷つくと怒ります。 恨みや妬みを持ちます。
更には、隣人を赦すことが出来ず、また隣人の喜びを喜ぶことのできない、罪深い者なのです。
神からの赦しなくては、救われることがない者です。
そんな私たちでも、神の愛を知れば、
神と同じように、隣人を愛し、時には敵対する者でさえ愛し、
隣人の救いのためにとりなす人になることが出来るのです。
弟・アベルの『理不尽な死』は、『罪なきイエスの死』の『前表』:『しるし』 といわれます。
次に。
『今日の新約聖書 イエスの御言葉』
『そのとき、 ファリサイ派の人々が来て、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/00/d159d8b3818ad59a130bd8a2cbf015a8.jpg)
イエスを試そうとして、
天からのしるしを求め、議論をしかけた。
イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
はっきり言っておく。
今の時代の者たちには、決して『しるし』は与えられない。」
そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。』
マルコ福音書 8章11-13節
イエスに接した多くの人々は、
イエスの行う奇跡に、『神の子』としての『しるし』を読み取りました。
『奇跡』は、特別な現象ではなく、イエスが『救い主』であることを現わす『しるし』であると分かりました。
それゆえ、
ただ特別な現象を求めるような人たちや、信仰もなく『しるし』だけを求める人には、
イエスは『しるし』を与えることは拒否されました。
イエスは、そこを立ち去って、別の所へ行かれました。
イエスの、『日々の生活』、『神への従順』、『十字架上の死』 こそ、
イエス様は、 『神の子・救い主』であられる、 真の『しるし』なのです。
私たちも、
日々の生活の中で、
神のなさっている『しるし』を
見いだすことができるようになりたいですね。
『今日の祈願』
『いつくしみ深い父よ、
救いの計画によって養われるわたしたちが、
真の信仰に成長することができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
更なる自粛生活の中でも、心に栄養を与え心の筋肉を劣らせないようにいたしましょう。
今日は雨の止んだ間に車を始動させました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/11/f3ff819ee431477d3cc0a7698be11385.jpg)
自粛生活で外出のなくなった日常。
公共交通手段に乗ることなく何ヶ月がたつだろう?
車にも乗ることが殆どなくなった。
運転をしないでバッテリーが上がってしまっては大変と
久しぶりにエンジンをかけて、始動、近所を走りました。
コロナウイルス終息の後には、
車だけに限らず、”ビフォーアフター”で、生活様式がすっかり変わってしまいそうです。
あるいは、”喉元過ぎれば熱さを忘れる” となるのだろうか。
コロナ禍で学び、考えたことを、コロナ後は必ず生かしたいと願っています。
まるで違った『人生』が始まるだろうかと、期待しています。 感謝!感謝!
そして。
今日は2月15日。年間第六月曜日。
今日は、旧約聖書も新約聖書も、『しるし』について述べます。
聖書においては、
『しるし』は 『超自然的な意味を担うもの』 として使われることが多いのです。
『聖書思想辞典』より
まずは。
『今日の旧約聖書 創世記』
『さて、アダムは妻エバを知った。
彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/1e/0bf9fbf6613342828b57579ad4d38e23.png)
彼女はまたその弟アべルを産んだ。
アべルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、
カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/43/9a7f5d51fe9055c7255d398d90453ad8.jpg)
アべルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
主はアべルとその献げ物に目を留められたが、
カインとその献げ物には目を留められなかった。
カインは激しく怒って顔を伏せた。
カインが弟アべルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/02/c40fa5f8bc3ec30cbca2b3b3fa5d4f16.jpg)
『カインとアベル』 ルーベンス作品
カインは弟アべルを襲って殺した。
カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、
わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、
カインにしるしを付けられた。』
創世記 4章1-15節
神は、弟を殺し殺人者、放浪者となったカイン、をなおも保護するために、
カインに『しるし』をつけました。
旧約の『しるし』から何を学ぶのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
神は、罪を犯した人をも見捨てることなく、『神のあわれみ』で、かえって人を救うお方なのです。
不和の関係が、『神の救いの約束』によって、回復される希望が与えられるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
私たちはいつも自分の自尊心が傷つくと怒ります。 恨みや妬みを持ちます。
更には、隣人を赦すことが出来ず、また隣人の喜びを喜ぶことのできない、罪深い者なのです。
神からの赦しなくては、救われることがない者です。
そんな私たちでも、神の愛を知れば、
神と同じように、隣人を愛し、時には敵対する者でさえ愛し、
隣人の救いのためにとりなす人になることが出来るのです。
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次に。
『今日の新約聖書 イエスの御言葉』
『そのとき、 ファリサイ派の人々が来て、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/00/d159d8b3818ad59a130bd8a2cbf015a8.jpg)
イエスを試そうとして、
天からのしるしを求め、議論をしかけた。
イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
はっきり言っておく。
今の時代の者たちには、決して『しるし』は与えられない。」
そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。』
マルコ福音書 8章11-13節
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
イエスの行う奇跡に、『神の子』としての『しるし』を読み取りました。
『奇跡』は、特別な現象ではなく、イエスが『救い主』であることを現わす『しるし』であると分かりました。
それゆえ、
ただ特別な現象を求めるような人たちや、信仰もなく『しるし』だけを求める人には、
イエスは『しるし』を与えることは拒否されました。
イエスは、そこを立ち去って、別の所へ行かれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
イエス様は、 『神の子・救い主』であられる、 真の『しるし』なのです。
私たちも、
日々の生活の中で、
神のなさっている『しるし』を
見いだすことができるようになりたいですね。
『今日の祈願』
『いつくしみ深い父よ、
救いの計画によって養われるわたしたちが、
真の信仰に成長することができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
更なる自粛生活の中でも、心に栄養を与え心の筋肉を劣らせないようにいたしましょう。