マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

娘家族の引っ越し・・・『木の芽時の部屋』そして『天空の部屋』

2022-03-31 05:41:52 | 娘と娘家族
3月31日。木曜日。曇り時々雨。

娘夫婦の新居の様子です。


 孫息子の部屋・・・   『天空の部屋』
 

       見上げる空の上に広がる『天空』


      二日間ががりの娘家族の引っ越しが終わりました。
     29日には、娘が転勤先で始めた『東京』からの荷物の搬入。
     30日には、婿殿の最終職場の『松本』からの荷物の搬入。

        夫婦それぞれの場で一軒の家を構えていたので、
           その荷物は二軒分です。
         二軒分なので、一軒分は捨てることになる。
         もったいないく残念なところも多々あるが、
           新居に収まりきれないので、
           仕方ないとあきらめるのです。

        物だけでなく、人間関係も同様です。
   引っ越しには、
   親しく、楽しく交流を頂いていた職場や学校やご近所さんとの別れが伴います。
        娘夫婦は、50歳前の我が娘にして、15回目の引っ越しです。
           別れの涙を重ねてきたのです。
         結果・・・人間が鍛えられ、強くなります。

  一方、

   引っ越しは、
   その度に新しい家に合わせて『所帯』を作ることになるので、
      💖新しい生活が始まります。
      💖新しい人間関係の構築です。
             楽しみでもあります。


       この度の新築で、
       娘家族は、4人の『個室』にこだわりました
       一人一人のイメージと好みに合わせての※『個室』※にしたのです。

   ※孫息子の部屋は、好みの濃い青色に合わせて、『天空』
    高い壁部分の一部が濃い青色『プラレタリューム』のようです。
        カーテンもベッドカバーも濃い青色。
    ベットカバーは、濃淡の多色の青色のパッチワークで 部屋に暖かみが出ます。

   ※孫娘の部屋は、アイデンティチーの形成途中のイメージの薄赤色で、『木の芽時』
   ※パパの部屋は、落着いた強さの茶系のレンガ色のイメージで、『クール』
   ※ママの部屋は、熱血先生の優しいイメージの薄紫色で、『エレガンス』

         すべて私による楽しい『命名』です。
       各部屋に入る度に、『異世界』が開かれます。
        


      世の中の各お宅・・・
      どのお宅もそこにお住まいの方たちを想像しますよね。   
  
   お庭でも、
   玄関先のかわいいお庭。バラ一色の垣根。フェラーリ・スポーツ・カーの止まる玄関先。
   お家でも、
   純和風のお玄関の家。スペインを思わせる白色の家。家庭団らんの明かりのもれる居間の家。
        それそれが本当に素敵です。


      ”私も、家に帰ったら、もっともっとDIYを励みましょう!” 
       そんな”刺激”をもらった引っ越し手伝いの一日でした。
            感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ明日からは4月です。
心だけでも、萌いずる新芽のように、新しいスタートを切りましょう。
                      お元気で!        

『発射不能の銃』・・・世界から武器が消える日・・・『勝利ではなく平和を求める人類の最大の祈り』 そして 『ワールドカップ』・・・世界から銃の消える日・・・『国際大会の目的は国を超えること』

2022-03-29 18:54:18 | 日々のこと。 世界のこと。
3月29日。火曜日。曇り。

 世界平和を願う今日。


         『発射不能の銃』

    特大コルトパイソン.マグナム回転式拳銃のブロンズ彫刻
       銃口が結び目で閉じられている。

       
      現在、同作品は世界の31か所に存在する。
          日本には存在せず、
        私は、子ども二人を連れて、
  ニューヨーク国連本部の入り口前に見に行ったのを思い出しました。


    スウェーデンの芸術家カール・ロイテルスワルトによる作品。
    第7代国連事務総長コフィー・アナンは、
    「この作品は、
     勝利ではなく平和を求める人類の最大の祈りを、
     いくつかの単純な曲線で包み込む強力なシンボルとして、
        人類の意識を高めた」
           と述べた。

  1985年。 ジョン・レノンの銃による殺害事件後、ロイテルスワルトは、この彫刻を制作[。
  1988年。 ルクセンブルグ公国はそれを国際連合に寄贈、
        作品は国連本部すぐそばに移されたのです。
  1993年以来。この彫刻作品は、
     暴力防止教育プログラムを通じて社会の変化を促進する非営利団体(NPO)
       である非暴力プロジェクト(NVPF)のシンボルとなっています。


      まだ高校生だった子供たちと、
     『世界平和』を願い、誓った、『国連訪問』でした。


そして。

世界平和を願う今日。


        『カタール・ワールドカップのアジア最終予選』
 
        ベトナム代表とホームで対戦。
      勝てばグループBの首位通過が決まる一戦で、
        森保ジャパンは1-1と引き分けた。

 
    予選を含めて世界中のチームがこの大会への出場を目指し、
         「国別」対抗でしのぎを削り、
    国際的にも、政治的にも、しがらみなき間柄の対戦は、
       それでも、各国間で緊張が生まれながらも、
       サッカーにしてもオリンピックにしても、
  『国別蹴球合戦』の目的は『国を超える』ことであるはずです。


      家族全員でサッカー・サポーターの娘家族
       そんな家族と私も今日の試合を楽しみました。


       世界中の人々が平和を望んでいる。
   『発射不能の銃』を作り、平和をアッピールする彫刻家。
   『世界一』を目指し、平和をアッピールするサッカー選手たち。
   『世界平和』を改めて願い、誓った、今日の私でした。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一人一人のあきらめない心が『世界平和』を造るはずです。
4年に一度の大会の年を、世界中の人々で『世界平和』を強く願う年にいたしましょう。 お元気で!

バイク・ドライブ・・・『自転車輸送』 そして 『息子は、死んでいたのに生き返り、 いなくなっていたのに見つかった。』

2022-03-27 09:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
3月27日。日曜日。晴れ。


今日は、
櫻満開の道路を
自転車で走ります。


   婿殿と共に・・・   『バイク・ドライブ』
   
     今の娘夫婦の自宅から、建設中の新居まで。
     約12kmの距離を、婿殿とサイクリング。
     家族の自転車の運搬です。

     孫たち、
     ”おばあちゃん大丈夫?” と心配します。
     私は、
     ”おばあちゃんはトライアスロンアスリートよ! 心配ご無用!” 
                     と返事しました。

思い出すのは、
あるトライアスロン大会の日。
小雨が降り出しましたが、決行となりました。
泳いだ後・・・
次は自転車です。
全速力の自転車で、下り坂まで来ました。
下り坂の突端で左に曲がります。
私の前の全速力で走る男性が、
雨に濡れた道で左に曲がり切れず、
全速力で転倒、崖っぷちに落ちていきました😲😲

同様に全速力で走る私は、
申し訳ないが何もできません。
途中で立って経過をチェックしている人に
連絡が入ったことでしょう。
トライアスロンのこわさを
目の前に見て、実感した瞬間でした。

       
        人は、経験から沢山を学びます。 
        今になって考えると、
        トライアスロンのこわい経験から、
        どれほどトライアスロンの多くのことを学んだかわかりません。
        トライアスロンの知識はまずは本から学びました。
        そして
        トライアスロンの楽しさと深さ、風を切るときの風の匂い、等々、
        トライアスロンの本質を知ったのは、
            体で知ったそのときでした。



         今日も、
         満の満開を楽しみながら、
         1時間の自転車ドアイブを楽しみことができました。
              感謝!感謝!
        
        
そして。

今日は3月27日。四旬節第四主日。

『今日の入祭唱』

   『神の民よ、喜べ。
    神の家を愛するすべての者よ、喜べ。
    神は豊かな慰めであなたを満たしてくださる。』
       イザヤ書 66章10-11節参照


『今日の福音 放蕩息子のたとえ

   『徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
     
    すると、
     ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
     
   「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」
                  と不平を言いだした。
    そこで、イエスは次のたとえを話された。
     「ある人に息子が二人いた。

  の方が父親に、
  『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』
                      と言った。
      それで、父親は財産を二人に分けてやった。

         何日もたたないうちに、
     下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、
   そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。

         何もかも使い果たしたとき、
   その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
   それで、
      その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、
        その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
     彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、
        食べ物をくれる人はだれもいなかった。
   そこで、
          彼は我に返って言った。
      『父のところでは、
     あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、
        わたしはここで飢え死にしそうだ。
        ここをたち、父のところに行って言おう。
     「お父さん、
      わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
        もう息子と呼ばれる資格はありません。
          雇い人の一人にしてください」と。』

       そして、
       彼はそこをたち、父親のもとに行った。
     
     『放蕩息子の帰還』      レンブラント作品 

        ところが、まだ遠く離れていたのに、
   父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
   息子は言った。
   『お父さん、
    わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
       もう息子と呼ばれる資格はありません。』
   しかし、
   父親は僕たちに言った。
      『急いで一番良い服を持ってきて、この子に着せ、
       手に指輪をはめてやり、足に履き物を履かせなさい。
      それから、
      肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
        この息子は、死んでいたのに生き返り、
       いなくなっていたのに見つかったからだ。』
          そして、祝宴を始めた。』
         ルカによる福音書 15章1-3&11-24節


 今日のイエス様は、
  『父親の心を知らなかった二人の息子のたとえ話』で、
      『御父・神の心』を現します。
    『神の深い慈悲』を教えられるのです。
   
  
   『神の慈悲』は、
    すべての人を大切になさるということです。
    だから、
    神は、罪人を棄てることはなく、改心を呼びかけられるのです。

    私たちは、
    すべての人が、改心が必要な、『失われていた弟』なのです。
    一人では改心ができません。

    神様は、
    『放蕩息子の父』のように、私たちを捜していてくださるのです。
    そして、
    私たちが、神の慈悲を思い出して、
    少しでも『改心の心』を見せるなら、神は喜んでくださるのです。


   私たちは、
   神に対する信頼は少なく、お人には愛が足らないことが多くあります。
   それを認めることが、『改心の第一歩』となるのです。
   自分の過ちを認め、それでもありのままに愛してくださる神の慈悲を、
     深く信じるようになりましょう。
       祈りましょう。
    
    
『今日の詠唱』

   『父のところに行って言おう。
 「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。」』
       ルカによる福音書 15章18節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しく咲く桜を眺めながら穏やかな日々をお暮らしください。
私は、娘夫婦の引っ越し手伝いを楽しんでいます。 お元気で!

学びの場・・・新築娘宅 そして 『わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、 神の国はあなたたちのところに来ているのだ。』

2022-03-24 12:00:00 | 娘と娘家族
3月24日。木曜日。晴れ。


訪問中の娘宅。
今日は
我が娘は職場の学校で
卒業式です。
そこで、
今日の昼食は、
留守番の孫息子の手作りです。

          『ラーメン』
  

       ゆで卵を作り、 
       豚肉をゆで、そのゆで汁でラーメンスープを作る。
       麺をゆでていいる間に2種のトッピングを手際よく作り、
       最後の仕上げに焼き海苔をのせる。


    この4月から中学に入学する孫息子。
       働く両親の姿を生まれたときから見ている孫息子には、
         料理はママが作るもの、料理は女性の仕事、
           という考え方はまるでない。



                                           『親は子の鏡である。』
       人は、一人で自分のことを考えていたのでは、成長はできない。
       手本となる人に自分を比べて見て、初めて、本当の自分の姿が見え、
             反省を重ねて、
         更なる成長が可能となるのでしょう。
    


        孫息子は、
        『料理は、年齢に差なく、一番作りやすい状態の人が作るもの』
            鏡である両親から学んだことです。
              孫息子の『常識』です。


    そして、
    私も、只今、
    鏡である娘夫婦から学んでいます。

    娘夫婦は、今の住まいから、より東京の中心地へ越すことになりました。
    ということは、
    一般的には、
    都心中心地ほど土地代の値段が高い。
    土地代に比例して、住まいが益々狭くなるということです。   


       娘夫婦は、智恵を絞って、
        『狭くても最高の我が家』にと、工夫を凝らしています。
       私は、身近に、娘夫婦の工夫を見て、
         初めて我が家 私の工夫のなさを自覚しています。
         『娘夫婦』が、わたしの『鏡』となっています。


     『人は鏡』と、謙虚に、娘夫婦から学んでいるこの数日です。
            感謝!感謝!      
        
       
そして。

今日は3月24日。四旬節第三木曜日。

『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
 「わたしは民を救い、苦悩の中からわたしに叫ぶ者を救い出す。
      わたしはとこしえに神である。」』


『今日の福音 イエスの御言葉』
 
   『そのとき、イエスは悪霊を追い出しておられたが、   
    
     それは口を利けなくする悪霊であった。

        悪霊が出て行くと、
     口の利けない人がものを言い始めたので、
        群衆は驚嘆した。

  しかし、中には、
   「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」
                 と言う者や、
  イエスを試そうとして、
        天からのしるしを求める者がいた。

     しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。
          「内輪で争えば、
    どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
    あなたたちは、
    わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、
         サタンが内輪もめすれば、
       どうしてその国は成り立って行くだろうか。

      わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、
      
       あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。
      だから、
        彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

    しかし、
     わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、
      神の国はあなたたちのところに来ているのだ。

     強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、
         その持ち物は安全である。
     しかし、
        もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、
         頼みの武具をすべて奪い取り、
          分捕り品を分配する。

       わたしに味方しない者はわたしに敵対し、
      わたしと一緒に集めない者は散らしている。」』
         ルカ福音書 11章14-23節


    今日のイエス様は、
    悪霊を追い出されます。
    そして、『神の国はあなたたちの所に近い』と言われます。


    群衆は、
    イエスが悪魔を追い出すのを見て、感嘆しました。
    一方、
    ファリサイ派の人々たちは、
    イエスの奇跡を否定はしませんでしたが、
    それを、「イエスは悪魔の力で追い出している」と言います。    
    更には、新たなる『しるし』を求めました。


    イエスは、
    そんな人々の言葉を聞いて、
    『たとえ』を用いて話されるのです。

      『強い人に勝つためには、もっと強い力が必要である。
       悪魔に勝つためには、悪魔より強い力が必要なのです。
       それは、
       イエスが悪魔を追い出すためには、
        イエスにおいて『神の力』が必要な証拠です。』

       同様に、
       悪魔の働きであるとされる病人さんを癒やすためにも、
        イエスにおいて『神の力』が働いているのです。


  私たちも、
  イエスの言葉を実行したくないのは『悪魔の仕業』かもしれません。
  悪魔の力以上の『イエスの力』を願いながら、
  『イエスの言葉』に従えるようになりましょう。
        祈りましょう。
  
     
『今日の詠唱』

   『心からわたしに立ち戻りなさい。
       わたしはいつくしみと恵みにあふれる神である。』
           ヨエル書 2章12&13節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『人生一生勉強』と云いますよね。
お人を鏡として自分の姿を知って、一生勉強、更なる学びで人格を高めたいものです。 お元気で!

新幹線・・・『帰郷』 そして 『律法を守り、そうするように教える者は、 天の国で大いなる者と呼ばれる。』

2022-03-23 13:00:00 | 私のこと
3月23日。水曜日。晴れ。

神戸から東京へ。


    車窓から・・・      『日本一の山』
 

           『雪景色の富士山』

      私の故郷は東京です。
      神戸に嫁いで何十年たっても、
      新幹線に乗って神戸から東京に向かう道中は、
      懐かしい故郷の景色に涙が出る。
      美しい景色が、なお一層の郷愁の念を誘う。


  東京に着けば、
  忙しさに
  時が早く流れる。
  新幹線の中で、
  早々に準備です。

        『聖書クラスの予習』
  
        金曜日の『聖書1000週間・聖書通読会』の準備です。


     品川駅を過ぎ、最終駅・ターミナルの東京駅到着前に、
         有楽町駅を通り過ぎます。
    
      有楽町の景色が見えてくると、
      学生時代に闊歩して楽しんでいた銀座が思い出され、
         涙が出る前に、
       懐かしさに心臓がドキドキするのです。
       久しぶりの恋人との再会?のようです。


       有楽町駅で、新幹線に止まってもらって、
            下車したい。
        いまだに いつまでもかなわぬ夢です。


    『故郷』は
     存在してくれるだけで、
     私のアイデンティティーがすべて集約されているようで、有り難い。  
       今日も私を励ましてくれるのです。
          感謝!感謝!


そして。

今日は3月23日。四旬節第三水曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、御言葉の通り私の歩みを支え、
      悪の支配を退けてください。』
        詩編 119章133節
    

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    
 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、
            と思ってはならない。
   廃止するためではなく、完成するためである。

       はっきり言っておく。
  すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、
  律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
  だから、
    これらの最も小さな掟を一つでも破り、
     そうするようにと人に教える者は、
     天の国で最も小さい者と呼ばれる。
  しかし、
     それを守り、そうするように教える者は、
      天の国で大いなる者と呼ばれる。」』
        マタイによる福音書 5章17-19節

 
   今日のイエス様は、
   ご自身が、律法や預言者を廃止するのではなく、
     それらを完成する。とおっしゃいます。


   イエス様は、
   ユダヤ人の救いのためだけに来たのではなく、
   すべての人のために来られたのです。

   そのイエス様は、
   律法を完成なさるのです。
   一番重要な『愛の掟』を大切になさいました。
   持てる力を、ご自身のためにではなく、お人の幸せのために使いました。
   その『愛の掟』が、すべての律法を完成する、まとめるのだとおっしゃいます。
   

   私たちも、
   イエス様に倣って、
   『律法』をお人を裁くために使うのではなく、
   『愛』をもって、『律法』を完成いたしましょう。



『今日の詠唱』

   『主よ、あなたのことばは霊であり、命です。
    あなたは永遠の命の言葉を持っておられる。』
       ヨハネによる福音書 6章63&68節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『故郷は遠きにありて思うもの』流星犀星
成人し、故郷を離れて、それでも思う故郷があることは嬉しいことですね。
   善い日をお過ごしください。  お元気で!


東京上京・・・『立つ鳥跡を濁さず』 そして 『あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、 わたしの天の父もあなたがたをお赦しにならないだろう。』

2022-03-22 07:07:15 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
3月22日。火曜日。雨。

明日から
20日間ほど
東京へ上京です。


       『立つ鳥跡を濁さず』
  
   イメージ写真です。  『立つ鳥跡を濁さず』のイメージ写真をネットで検索した結果です。

  なるほどね。

    『立つ鳥跡を濁さず』とは、
     引き際が潔い様子も表しているそうです。

   
      イメージの『鶴』、引き際が潔いのです。

     日本最大のツルの渡来地である鹿児島県・出水には、
       毎年10月中旬から12月頃にかけて、
     1万羽を超えるツルが越冬のためシベリアから渡来し、
       3月頃まで滞留します。

     その生涯は、
        一万羽を越える鶴が、
     夏に、シベリア大陸および中国の北東部で繁殖し、
     冬は、鹿児島県の出水平野で越冬し、
     両国間の距離・2000~3000キロメートルを、
         春、秋に、往復するのです。 

           正に、鶴たちは、
         『立つ鳥跡を濁さず』と、
        後ろを振り向くことなく、潔く、
          家族繁栄のために、
        持てる体力を使い切るのです。
            立派です。
    

    そして。

    私は明日から上京です。
    『立つ鳥跡を濁さず』とは、
    去っていく者は、跡が見苦しくないように始末してから出立しなくてはならない、
         というたとえです。 
   
    なぜか、私も移動の多い人生です。
    移動の度に、『立つ鳥跡を濁さず』と・・・
      出発前に持てる力を使い切るのです?!

     ※立った跡はどなたが見ても美しいようにと・・・
         家中と庭中を大掃除。磨き上げます。
     ※去った後が見苦しくならないようにと・・・
         今回は冬物の洗濯をすべて終え、収納完了。
        その後に出かけるのです。


       今晩は、留守居をする夫のために・・・
     スペシャル・ディナーを作ることにいたしましょう。
            感謝!感謝!


そして。

今日は3月22日。四旬節第三火曜日。

『今日の入祭唱』

     『神よ、あなたを呼び求めます。
   わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
   瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の陰に隠してください。』
        詩編 17章6&8節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
    

    「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、
        何回赦すべきでしょうか。
          七回までですか。」

          イエスは言われた。
    
         「あなたに言っておく。
     七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
     そこで、
       天の国は次のようにたとえられる。

   ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
        決済し始めたところ、
     ※一万タラントン借金している家来が、
        王の前に連れて来られた。
      しかし、返済できなかったので、
    主君はこの家来に、
  自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。

    家来はひれ伏し、
    『どうか待ってください。きっと全部お返しします』
                  としきりに願った。

       その家来の主君は憐れに思って、
     彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

  ところが、
  この家来は外に出て、
  ※自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、
    捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
  仲間はひれ伏して、
    『どうか待ってくれ。返すから』 としきりに頼んだ。
  しかし、
  承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。

     仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、
      主君の前に出て事件を残らず告げた。

     そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。
        『不届きな家来だ。
     お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
        わたしがお前を憐れんでやったように、
     お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
     そして、主君は怒って、
        借金をすっかり返済するまでと、
         家来を牢役人に引き渡した。

    あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、
   わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」』
        マタイによる福音書 18章21-35節

    
     今日のイエス様は、
     弟子たちの長であるペトロに
       ※『イエスの弟子の覚悟』※を教えます。
     ※『イエスの弟子であるなら、兄弟として互いにゆるしあうこと』
       ※『ゆるさない人は、神にゆるされない』と。


  私たちは、
  友人や家族なら、何回でも赦すことができるでしょう。
  しかし、
  一般の人なら、2~3回は許せても、何回も許すことは難しいかもしれません。

  ペトロは、
  7回許せば、それは非常に寛大なことで、
  それ以上は許せないでしょう、と思っていたようです。


      神様は、私たちを何回でも許す御方です。
      一方、
      人間は、神の求める生き方はできず、
          神に借金を持っている状態です。
      更に
      人間は、神への借金は膨大なで、
          自分の力では、到底、返済は無理です。
      人間は、自力返済は無理な神への借金を抱えていて、
          神から許される資格はないのです。


      それでも、いつでも、
      神様は、人間の惨めさを見て、憐れに思い、
        何度でも赦してくださるのです。
      悔い改めの機会を何度でもくださるのです。


      神様は、いつも私たちを赦してくださいます。
      そして、
      私たちが、『神の赦し』を知って、深く理解して、
      お人に対して、神様同様に、何回も許すことをお望みなのです
      私たちが、『神の憐れみ』をよく知って、理解して、
      お人に対して、神様同様に、憐れみ深くなることをお望みなのです。


           お人を許すことができる人は、
        神様から受けた『赦しの恵み』を理解する人です。


  私たちも、
  神様から何回も許しを受けた『恵み』を理解するようになりましょう。
            祈りましょう。
      
『今日の詠唱』

   『今こそ、心からわたしに立ち帰れ。
  わたしは恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富むからだ。』
          ヨエル書 2章12&13節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
鶴たちの飛行距離は、南半球方面に向かうときは1万キロメートルを超えるそうです。
集団で助けあって飛行するので、大変な遠距離飛行も可能となるのでしょうか?!
私たちも今日も周りの人たちと助けあって、素敵な一日にいたしましょう。 お元気で!

春うらら・・・『春分の日』 そして 『イエスは、エリアやエリシャのように、ユダヤ人のもとにだけ遣わされるのではない。』

2022-03-21 23:49:41 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
3月21日。月曜日。晴れ。

今日は
春分の日。
春うららと、
庭の花を生けてみました。


          『かすみ草と桃の花』
 

 『春分の日』とは、
  『春分』が起こる『春分日』が選定され、休日となったそうです。
       昼と夜の長さがほぼ等しくなる日、
       『春分』の起こる日だそうです。
        実際には昼の方が14分ほど長いそうです。
  『春分の日』と『春分日』の二つの『言葉』があるということです。

     
   なるほどね。知りませんでした。


玄関には・・・

        『紅白のボケの花』
 

  今朝は、
  明日からは昼がどんどん長くなっていく『春分日』にふさわしく、
      盛りを過ぎた『冬花』には・・・『お礼肥』
      これから咲く『夏花』には・・・応援肥 追い肥』
          たっぷり与えました。

     私がいくら肥料を施しても、育てるのは神様です。
        木々も花々も、神聖なものです。
     私たちは、謙虚に、木々や花々から、真理を学ぶのです。


      今朝も、花々と幸せな時間を過ごしながら・・・
        大きな惨事に苦しむ人たちを思って、
          申し訳ない気すらします。
        日本の平和、世界の平和を祈りました。


そして。

今日は3月21日。四旬節第三月曜日。

『今日の入祭唱』

   『主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。
    命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。』
        詩編 84章3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、イエスは、ナザレの会堂で人々に言われた。   
  

      「はっきり言っておく。
   預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

       確かに言っておく。
    エリヤの時代に
        三年六か月の間、雨が降らず、
      その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
      イスラエルには多くのやもめがいたが、
    エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
   シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。

      また、預言者エリシャの時代に、
   イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、
         シリア人ナアマン
    
       のほかはだれも清くされなかった。」

      これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し
          総立ちになって、
        イエスを町の外へ追い出し、
       町が建っている山の崖まで連れて行き、
     
          突き落とそうとした。
 
   しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。』
         ルカによる福音書 4章24-30節


     今日のイエス様は、
     『主の恵み』を告げる故郷・ナザレで、
        反対が始まります。


    イエスが
    故郷・ナザレを訪ねたとき、
    人々は喜んでイエスを迎えました。
    ところが、故郷の人々には本当の信仰はなかったのです。
     それで、
    イエス様は、
    故郷では特別なことは行なえませんでした。


    イエスの故郷の人々は、
    イエスの故郷の人々だということで、
      特別に恵まれる『資格』はないのです。
    同様に、
    ユダヤ人は、
    神から選ばれた民族ということで、
      特別に恵まれる『資格』はないのです。


      昔の預言者のエリアとエリシャも
      癒やした人たちは異邦人でした。
      同じ病気のユダヤ人はいやされませんでした。


      神は、ユダヤ人と異邦人の区別はなさらない御方です。
      神は、平等に、すべての人の幸福を願う御方です。


        イエス様は、
        『恵み』を受けるためには、
        『信仰』が必要だと言われるのです。

    私たちも、
    神から特別に『恵み』を頂ける資格はありませんが、
    キリストの『言葉』を受け入れて、資格が頂けるのです。
          祈りましょう。
    
    
『今日の詠唱』

   『わたしは主に望みをおき、私の魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。
     慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。』
          詩編 130章5&7節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分の置かれた場所に感謝して、その場所を大切にしてまいりましょう。
そのときは希望も生まれてきますでしょう。 お元気で!

友人の息子様の一回忌・・・『追悼ミサ』 そして 『「わたしはある」という方が わたしをあなたたちに遣わされた。』

2022-03-20 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
3月20日。日曜日。晴れたり曇ったり。

今日は、
友人の息子様の追悼ミサ。


         『追悼ミサ』
    

     友人の息子様が帰天されてからちょうど一年です。

  
        今朝もお仕事にでたパパ、
        ”夕方には帰ってくるよね” と持っていた
        二人の幼い子どもさんとママのもとに、
          帰ってきませんでした。

     突然の、思いもかけぬ、理不尽な別れがあるものです。

    あれから一年。
    今日は、『一年目追悼ミサ』でした。
    御家族と共に、私も、『追悼ミサ』に預かりました。


         『使者のための祈り』
   『神よ、
    御子キリストは、わたしたちに約束されました。
       「わたしは復活であり、命である。
      わたしを信じる人は、死んでも生きている。
    私を信じて生きている者は、すべて永遠に死ぬことはない」と、

    いつしみ深い神よ、
    世の世からあなたのもとにお呼びになった息子様を、
    お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。
    すべての罪の絆から解放されて、永遠の光のうちに迎えられ、
    救われた人々と共に、復活の光のうちに立ち上がることができますように。

    すべての慰めの源である神よ、
    あなたは永遠の愛をもってわたしたちを包み、
    死の暗闇を命の夜明けに変えてくださいます。
    悲しみに沈むあなたの家族を顧みてください。
    キリストの恵みに支えられて希望に生き、
    人生の旅路を終えて、再び兄弟とまみえ、
    わたしたちの涙がすべてぬぐわれますように。』
        カトリック祈祷文より


       若い息子様との別れは辛かった私の友人です。
       子に先立たれる親の悲しみは計り知れないものです。


    それでも、
    友人は、追悼ミサの後、
    「息子は、この世よりもずっと素晴らしい所に行っているのです。
      息子の死も神様のお計らいと思えるようになりました。
        事実そうなのだから、私はもう大丈夫よ。」
                と、言われました。


    私も、お祈りさせていただきました。
    「信じる者の光である神よ、
     あなたのもとに召された友人の息子様が御子の勝利にあずかり、
     永遠の国でよろこびのうちに、   
     あなたを賛美することができますように。」
         『カトリック祈祷書』より

       大切な友人の息子様の御冥福をお祈り申し上げます。


そして。

今日は3月20日。四旬節第三主日。

『今日の入祭唱』

   『わたしは、お前たちがわたしを聖なるものとしてあげめるとき、
  わたしはお前たちをすべての国から集め、お前たちの土地に導き入れる。
  わたしはお前たちの上に清い水を振りかけ、お前たちを清める。
  わたしはお前たちに新しいい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。』
        エゼキエル書 36章23-26節


『今日の第一朗読 神の顕現とモーセの召命』

   『そのころ、モーセは、
 しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、
 あるとき、
    その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。
 そのとき、
    柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。
         
     『燃える柴の前のモーセ』 シャガール作品
      My秘蔵画集『没後30年シャガール展 愛と色彩のファンタジ-』より

    彼が見ると、
    見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。


 モーセは言った。
     道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。
      どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
 主は、
 モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。
 神は柴の間から声をかけられ、
    「モーセよ、モーセよ」 と言われた。
     彼が、 「はい」 と答えると、
 神が言われた。
    「ここに近づいてはならない。
     足から履物を脱ぎなさい。
    あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
 神は続けて言われた。
    「わたしはあなたの父の神である。
     アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」

   モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
   

 主は言われた。
   「わたしは、
    エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、
    追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、
        その痛みを知った。
     それゆえ、わたしは降って行き、
     エジプト人の手から彼らを救い出し、
     この国から、
       広々としたすばらしい土地、
        乳と蜜の流れる土地
            彼らを導き上る。
 モーセは神に尋ねた。
   「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。
    彼らに、
   『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』
                     と言えば、
    彼らは、『その名は一体何か』 と問うにちがいありません。
    彼らに何と答えるべきでしょうか。」


  神はモーセに、
   「わたしはある。わたしはあるという者だ」 と言われ、
    また、
    「イスラエルの人々にこう言うがよい。
      『わたしはある』という方が
    わたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

  神は、更に続けてモーセに命じられた。
    「イスラエルの人々にこう言うがよい。
     あなたたちの先祖の神、
     アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が
     わたしをあなたたちのもとに遣わされた。

     これこそ、とこしえにわたしの名
     これこそ、世々にわたしの呼び名。」』
       出エジプト記 3章1-8&13-15節

   
    旧約時代。
    エジプトに住み着いたイスラエルの人々は、
    エジプト人が恐れるほどに増加し、大きな民となった。
    そこで、
    エジプトの新しい王はイスラエルの民を圧迫し始めるのです。

    神様は、
    エジプト人の圧迫と束縛に苦しんでいたイスラエル民族を憐れみ、
    エジプトから連れ出し、自分の民として養成するのです

    モーセは、
    神から『燃え尽きない柴』を見せられ、
    道をそれて、その『柴』を見に行くと、
    そこで御自分を『顕現』された神に呼び出され、
    イスラエル人を引き連れてエジプトから脱出させる『使命』を受けて、
    神からエジプトに派遣されたのです。
    それからシナイ半島を通り、
    アブラハム以来の『約束の地・パレスチナ』へ向かうのです。


『道をそれて』・・・
モーセは、
『柴』の不思議、『神の計らい』を見に行くのです。
『道をそれて』来るモーセを
神は御覧になって、
御自分をモーセに顕現します。
『神に出会う』ためには、
『世の道』からそれなくてはならない、
ということなのでしょう。
『道をそれる』ことは
『神の道』を歩み出す始まりなのでしょう。


話を戻しまして・・・

    主なる神は、
    シナイ山でイスラエルの民と『契約』を結び、
    イスラエルを『神に仕える民』=『神の民」としたのです。


     奴隷だったエジプトから脱出は『主の日の訪れ』であり、
      それは、
      『キリストによる救い』の前表でもあるのです。


      『わたしはある』『わたしはあるという者』
          と言う『名前』で
         御自分を顕現された神様。

      そんな神様は、
      虐げられた者の叫びを聞く神。です。
       『エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、
        追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、
           その痛みを知った。』と。 

      奴隷状態から救い出す神。です。
        『それゆえ、わたしは降って行き、
         エジプト人の手から彼らを救い出し、
         この国から、広々としたすばらしい土地、
         乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。』と。

      民と共にいる神。 です。
         『わたしはある。わたしはあるという者。』
          その『名前』のとおり、
          民の中に常に共にいてくださる御方なのです。

   
       ※エジプトで奴隷状態だったイスラエルの民は、
        罪の状態にある『全人類』を表しているのです。
     又、
    ※奴隷状態だったイスラエルの民が、『自由の地』へと解放されたことは、
        罪の状態にある人類が、キリストによって清められ、
       『不死の世界』へと過ぎ越すことを表しているのです。


     イスラエルの民は、
     自分たちをエジプトから救い出した『神の業』を見て、
     神をもモーセをも信じて『神の民』となったのです。

     私たちも、
     神を信じて、洗礼によって清められ、『神の民』となるのです。
          祈りましょう。


『今日の詠唱』

   『悔い改めよ。「天の国は近づいた」とイエスは言われた。』
       マタイによる福音書 4章17節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、シャガールの絵はお好きですか?
シャガールは、ユダヤ人としてロシアで生まれた自分の精神を司った旧約聖書の世界を多く描きました。
特に『出エジプト記』には赤や黄色の色彩によって、シャガールの『魂』の描写をみることができるそうです。
改めてMy画集の『燃える柴の前のモーセ』を楽しんでくださいね。 お元気で!

聖書100週間・聖書通読会・・・『一人でも滅びることは、天の父の御心ではない』 そして 『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。』

2022-03-18 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
3月18日。金曜日。晴れ。

今日は金曜日
聖書100週間・聖書通読会、
オンラインクラスです。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
  

     今日も、仲間の皆様の『感想』が素晴らしいのです。
     それは、
     読んでいる聖書と自分の生活を照らし合わせての発表となり、
     仲間の前でする、お一人お一人の『信仰告白』のようです。


         単なる聖書の勉強ではなく、
         非常に大事な信仰の実践が伴うようになり、
      お一人お一人の『発表』が、
      『信仰の喜び』を共に味わう『聖書100週間』になっています。

    
     それは、
     毎週の集まりに欠かさず出席している間に、
      全聖書の『基本』が身について・・・
     有り難いことに、
     その『基本』を自分の人生と重ねて、
       徐々に、自分の『心の耳』が開かれいるのです。


        『神の御言葉』を『心で聴く』ことができるように、
          読み続ける間に、段階を経て、
     私たち仲間の信仰は、目に見えるほどに、どんどん育てられているのです。
                             感謝です。
 
         

   今日の通読範囲は、『マタイによる福音書 18章~23章』です。

    弟子たち全員は、初めて、
    湖の上を歩くイエス様 
  
       
  又 強い風を静めるイエス様を見て、
  

   『本当にあなたは神の子です』
  『信仰宣言』をしてイエスを拝みます。
     マタイによる福音書4章22ー33節

      
    イエス様も、初めて、
    全員の『信仰宣言』を聞いて、
    弟子たちに強い『信仰』が育ったことを確信しました。
    そこで、
    弟子たちの『信仰宣言』を『転機』として・・・
    弟子たちを『使徒』として、本格的に育てていくのです。


       イエス様の弟子たちの『教育方法』は、
    まずは、
    御自分の『死と復活』を予告しました。

      『人の子は、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
          三日目に復活することになっている』16章21-22節
    次に、
    『神の御心』を教えました。
     
        『小さな者が一人でも滅びることは、
        あなたがたの天の父の御心ではない。』18章14節

    最後に、
    『弟子の覚悟』を教えました。
    イエス様が『受難、死、復活』の『道』を歩むように、又、
    弟子である者の『道』も、『イエスの道』と同じであることを教えました。

     『あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者となりなさい。
       だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』23章11-12節

    それ以降・・・
    イエス様は、弟子たちに、本格的に、
    「弟子としての生き方」『共同体のあり方』を教えていくのです。


   今日も、心に響く、『マタイによる福音書』を読んで、
   仲間の皆様と、『イエスを知る喜び』を分かち合うことができました。
          感謝!感謝!
       


そして。

今日は3月18日。四旬節第二金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、御もとに身を寄せます。
 とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によってわたしを助けてください。』
         詩編 31章2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。
   

    「もう一つのたとえを聞きなさい。

  ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、
  その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、
   これを農夫たちに貸して旅に出た。

 さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、
   僕たち農夫たちのところへ送った。

     だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、
 一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。

また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。
そこで最後に、
    『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、
         主人は自分の息子を送った。

     農夫たちは、その息子を見て話し合った。
 『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』
  そして、
    息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。

       さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、
        この農夫たちをどうするだろうか。」


          彼らは言った。
     「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、
ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」

          イエスは言われた。
   「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
  
    『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
        これは、主がなさったことで、
       わたしたちの目には不思議に見える。』

        だから、言っておくが、
      神の国はあなたたちから取り上げられ、
    それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

   祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、
     イエスが自分ちのことを言っておられると気づき、
      イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。
    群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。』
       マタイによる福音書 21章 33-43&45-46節


    今日のイエス様は、
    祭司長や民の長老たちに『たとえ話』をされました。
    『主人の息子を殺すぶどう園の農夫』の『たとえ』です。
      それは
      後になっての
    『神の独り子・イエスを殺す祭司長や民の長老たち』の予言でした。


     神様(ぶどう園の地主)は、
     人間の背きに対して、考えられないほどに、忍耐深い御方です。
     『ぶどう園の実り』=『神の愛』=『神の国』を人間に与えるために、
       沢山の預言者(僕たち)を、次々に、派遣なさったのです。

     今日の『たとえ話』では、
     ぶどう園の主人(神)は、
     次々と派遣する僕たち(預言者たち)が、次々と殺されても、
     最後には、我が独り子(イエス)をお遣わしになりました。


       『神の国』は、
       『イエスの死と復活』を通して実現するのです。
         『イエス』は人から棄てられましたが、
         新しい『神の国』、新しい『神の民』の
         『角石』、『基礎』となられたのです。



  私たち・キリスト者も、
  私たちの信仰の『基礎』として『イエス・キリスト』が与えられたのです。
  『イエス様の犠牲』によって、『信仰の実』を結ぶことが出来るようになったのです。
        祈りましょう。
     

『今日の詠唱』

    『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
  独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』
       ヨハネによる福音書 3章16節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
金曜日は正に『花金』です。
私は今日の金曜日も、聖書100週間の勉強会で持てる力を使い果たし(大げさです)
勉強会が終わってホッとして、早朝散歩に代わりに夕方散歩に出て、
    いつもと同じ楽しい金曜日が終わりました。
 皆様の週末が素敵な週末になりますように。 お元気で!






15回目・・・『娘夫婦の引っ越し』 そして 『見なさい。あなたの母です。』

2022-03-17 15:40:31 | 娘と娘家族
3月17日。木曜日。晴れ。

娘の新居。
建設中の家
出来上がりも間近になってきました。

 

     娘夫婦の今回の引っ越しは
     結婚してからすでに15回目になるそうです。

     まだ50歳前の娘にしては
     15回の引っ越しとは驚くべき回数です。
        親の私は結婚以来、転勤族の夫と共に、
         今の終の棲家にたどりつくまで14回の引っ越しでした。


        なぜこれほどの引っ越しを繰り返す娘夫婦でしょう?
        今回ともう一回、二回の自宅建設の引っ越しを除けば、
           娘夫婦の夫婦の引っ越しは、
         すべて『転勤』のための引っ越しなのです。


        現代は、夫婦共に仕事を持つ方が多いようです。
        ご夫婦のお一人だけが『仕事』を持つご夫婦より
        共働き夫婦の娘たちの『転勤』は、
        『2倍』になるということかもしれませんね。
     
  
  『バークレーYmcaホテル』  単身赴任の娘の転居先です。 これも転居の一回です。
                         異国の地での長期単身赴任は安全第一の住まいでした。

     娘夫婦の場合、
     夫と妻、互いの転勤の度に、
     独り身単身赴任あり、子連れ単身赴任ありと、
     転居回数が増えていったのです。
 
       
       時代が流れ・・・
       今と昔では、生活様式もまるで変わっていきます。
       転居数の変化も、
       お人の考え方一つで、まるで変わっていきます。
       転居は、
       新しい世界を知り、学ぶチャンスと楽しむのです。

      今日も、私は、若き世代より学ぶ『現代様式』です。
        若き世代を心より応援するのです。
             感謝!感謝!


そして。

今日は3月17日。四旬節第二木曜日。

   『日本の信徒発見の聖母 祝日』
  
   『信徒発見のマリア像 』 大浦天主堂

 1865年3月17日。157年前の今日。
    日本カトリック教会にとって特別な日、
    世界にとっても驚くべき歴史的な日です。

 
 200年以上にもわたる厳しいキリスト教への迫害が少し穏やかになった
       この日、
  十数名の男女が、建てられてまもない長崎の大浦天主堂を訪れ、
      プチジャン神父に
   「わたしたちは皆、あなたと同じ心です。」と、
  キリスト教の信仰をもっていることを告白しました。

  彼らは、二百年以上にも及ぶキリスト教への厳しい弾圧を、
   不屈の信仰をもって耐え忍んできた人々の子孫です。
    その方たちが、公の場に現われた日なのです。

 2015年。この日の『名称』は『日本の信徒発見の聖母 祝日』となり、
    日本固有の祝日として、祝うことになったのです。    
       『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『慈しみ深い神よ、
  あなたの恵みに支えられて、日本のキリシタンは厳しい迫害に耐え、
      七代にわたって信仰を守り抜きました。
  この日、サンタ・マリアの導きによって、
  長崎でその末えいが発見されたことを喜び祝うわたしたちも、
      聖母の祈りに守られて試練に耐え、
    力強く信仰の道を歩むことができますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 
    イエスの十字架のそばには、
   

      その母と母の姉妹、
 クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。

  イエスは、とそのそばにいる愛する弟子とを見て、
  母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」 
                   と言われた。
  それから弟子に言われた。
      「見なさい。あなたの母です。」

      そのときから、この弟子
    
    『弟子・ヨハネとマリア様が過ごした家』
            今は巡礼地になっています。

    イエスの母を自分の家に引き取った。
        ヨハネによる福音書 19章25-27節


    今日のイエス様は、
    十字架上から話されるのです。
              母マリアに、『あなたの子』と言ってヨハネを示し、
             弟子ヨハネには、『あなたの母』と言って、マリアを託します。


    十字架につけられたイエス様。
    ※イエスを見て、反対者たちは、あざ笑い、ののしっていました。
       『十字架から降りるなら信じる』マタイ27-42 と。
    一方、
    ※イエスを信じて、十字架の下までついてきた人もいました。
      イエスの母マリア、イエスの世話をした婦人たち、
        そしてイエスから愛された弟子ヨハネです。
    
    
   十字架上のイエス様は、最後の最後まで、優しい御方でした。
   一人になる母マリアを思って・・・弟子のヨハネに母を託しました。
 まだ10代の若いヨハネを思って・・・『あなたの母』とマリアを示しました。


       マリア様を引き取ったヨハネと
    イエス亡き後の生涯をヨハネと過ごしたマリア様。
  喜びの時も悲しみの時も、愛するイエス様の話をして、慰め合ったことでしょう。
    イエス様の昇天後は・・・
    ※マリア様は、すべての『教会の母』として、
    ※ヨハネは、ペトロに次ぐ重要な位置を占め、
      又、ヨハネ福音書、ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録、等を書いて信仰を広め
      二人は、信じるすべての人の『模範』となったのです。


   私たちも、
   喜びの時だけでなく、悲しみの時にも、『神の愛』を信じ、
   キリストに対する信頼を深めてまいりましょう。
         祈りましょう。


『今日の詠唱』

   『見なさい。あなたの母です。』
     ヨハネによる福音書 19章27節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
♪『神の計らいは限りなく、私は生涯その中に生きる。』♪ 聖歌52番
  引っ越しをするのもしないのも、神様の計らいです。
   聖歌を歌いながら・・・今日も神様の計らいの中で
      楽しい日々でありますように。 
         お元気で!