5月29日。水曜日。
1週間ぶりに、夏日から、平年気温に戻る。薄曇り。
毎水曜日は、明日と明後日は『聖書100週間』、2回分のクラスの予習勉強の日です。
明日は新約聖書:『ヤコブの手紙』 そして 明後日は旧約聖書:『申命記』
机上に・・・ 『聖書 2冊』
新約を読んで・・・ 旧約を読んで・・・ 内容を比較して読む。
重なる部分が多くて、面白い。
でも。聖書の理解は難しい。それが又面白い。
まずは。
新約聖書。
『ヤコブの手紙』の主張。
『アブラハムは神を信じた。
それが彼の義と認められた。
私の兄弟たち、
自分は信仰を持っていると言う者がいても、
行いが伴わなければ何の役に立つでしょう。
行いが伴なわないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
アブラハムの信仰が、
息子イサクを祭壇の上に捧げるるという行いと共に働き、
『我が子・イサクの奉献』 レンブラント作品
アブラハムの信仰は完成されたのです。
人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
魂のない肉体が死んだものであるように、
行いが伴なわないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
行いによって、自分の信仰を見せましょう。』
ヤコブの手紙 2章14-26節
『ヤコブの手紙』は、
あくまで、
『人が義とされるのは、行いによってであり、信仰だけによるのではない。』
・・・と。 主張しているように読めます。
一方。
同じ新約聖書。
『ローマの信徒への手紙』の主張。
『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた。』とあります。
不信心な者を義とされる方を信じる人は、
働きがなくても、その信仰が義と認められます。
『不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。』
従って、信仰によってこそ、世界(神の国)を受け継ぐ者となるのです。
『神を信じたことがアブラハムの義と認められた』という言葉は、
アブラハムのためにだけに記されているのではなく、
わたしたちのためにも記されているのです。
私たちの主イエスを死者の中から復活させられた方(神)を信じれば、
わたしたちも義とされます。
わたしたちの罪のために死に渡され、
わたしたちが義とされるために復活させられたのです。』
ローマの信徒への手紙 4章1-12節
『ローマの信徒への手紙』は、
あくまで、
『働きが伴わなくても、
不信心な者を義とされる方を信じる人は、その信仰が義と認められます。』
・・・と。 主張しているように読めます。
私の理解が浅いのでしょうか?!
『ヤコブの手紙』と『ローマの信徒への手紙』は、
相容れない主張をしているかのようにも 読めます。
どんな時も。
キリスト者は 『真実の信仰』に根を下ろさなくてはなりません。
『真実』とは何か?
人間は、アダムとイブ以来、神から心が離れ、罪の下にある。
『原罪と楽園追放』 アダムとイブの背信 ミケランジェロ作品
心は鈍く、神の怒りを受けるのは当然な絶望的である。
それでも。
『イエス・キリストの福音』 を信じる者は、
神のあわれみによって、『義とされる恵み』 を与えられるのである。
・・・ということでしょうか?
心配ご無用。
二つの『手紙』の理解は難しいが・・・
『真実の答』は、必ず、与えられます。
・・・と。イエス様は励まして下さいます。
イエス様の励ましと応援歌です。
今日は5月29日。復活節第六水曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
しかし、
その方、すなわち、真理の霊 が来ると、
『聖霊降臨』
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、わたしのものを受けて、あなたがたに告げる。』
ヨハネ福音書 16章12-15節
復活されたイエス様は、
御昇天なさり、
父である神の所へ戻られます。
そこから、聖霊を送ってくださるのです。
聖霊は、父である神様がイエスに教えられたことを、私たちに教えてくださるのです。
イエス様は、この世においでの時に、教えなくてはならないことを全部教えたのです。
しかし。
弟子たちは、イエスの言葉を聞いても、完全には、理解できませんでした。
聖霊降臨後。
弟子たちは、聖霊に導かれて・・・
前に語っておっれた『イエスの言葉』を、もっと深く理解するようになるのです。
これから起こることも、教えられ、理解することができるのです。
今の時代も。 私たちも。
聖霊は、弟子たちと同じように、私たちを導き・・・
『聖書の言葉』を理解させ、私たちの生活で起こることの意味を、
理解させてくださるのです。
聖霊の導きを信じ、信仰を深めていただきましょう!
皆さま!
ご訪問に感謝申し上げます。
物事を理解し悟ることは難しいことですが、謙虚に学び続けてまいりましょう。人生の醍醐味です。 お元気で!