マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『今、あなたがたには理解できない。』 そして 『真理の霊は、真理をことごとく悟らせる。』

2019-05-29 05:32:35 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
 

5月29日。水曜日。
1週間ぶりに、夏日から、平年気温に戻る。薄曇り。

毎水曜日は、明日と明後日は『聖書100週間』、2回分のクラスの予習勉強の日です。


  明日は新約聖書:『ヤコブの手紙』  そして 明後日は旧約聖書:『申命記』

    
   机上に・・・     『聖書 2冊』
  
    新約を読んで・・・ 旧約を読んで・・・ 内容を比較して読む。 
                        重なる部分が多くて、面白い。

                  でも。聖書の理解は難しい。それが又面白い。

まずは。
新約聖書。

      『ヤコブの手紙』の主張。

       『アブラハムは神を信じた。
   
             それが彼の義と認められた。

     私の兄弟たち、
   自分は信仰を持っていると言う者がいても、
         行いが伴わなければ何の役に立つでしょう。

   行いが伴なわないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
 
       
         アブラハムの信仰が、

    息子イサクを祭壇の上に捧げるるという行いと共に働き、
    
    『我が子・イサクの奉献』   レンブラント作品
       
       
       アブラハムの信仰は完成されたのです。


 人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。

   
        魂のない肉体が死んだものであるように、
     行いが伴なわないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
        行いによって、自分の信仰を見せましょう。』
          ヤコブの手紙 2章14-26節


    『ヤコブの手紙』は、
      あくまで、
 『人が義とされるのは、行いによってであり、信仰だけによるのではない。』
                   ・・・と。 主張しているように読めます。


一方。
同じ新約聖書。

        『ローマの信徒への手紙』の主張。

    『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた。』とあります。
   

    不信心な者を義とされる方を信じる人は、
        働きがなくても、その信仰が義と認められます。

 
     『不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。』

    従って、信仰によってこそ、世界(神の国)を受け継ぐ者となるのです。
      

    『神を信じたことがアブラハムの義と認められた』という言葉は、
       アブラハムのためにだけに記されているのではなく、
         わたしたちのためにも記されているのです。


   私たちの主イエスを死者の中から復活させられた方(神)を信じれば、
       わたしたちも義とされます。
   
       わたしたちの罪のために死に渡され、
    わたしたちが義とされるために復活させられたのです。』
                 ローマの信徒への手紙 4章1-12節

 

        『ローマの信徒への手紙』は、  
 あくまで、
          『働きが伴わなくても、
  不信心な者を義とされる方を信じる人は、その信仰が義と認められます。』

                 ・・・と。 主張しているように読めます。


私の理解が浅いのでしょうか?!

      『ヤコブの手紙』と『ローマの信徒への手紙』は、
       相容れない主張をしているかのようにも 読めます。


どんな時も。
      キリスト者は 『真実の信仰』に根を下ろさなくてはなりません。
     
『真実』とは何か?

      人間は、アダムとイブ以来、神から心が離れ、罪の下にある。
   
    『原罪と楽園追放』       アダムとイブの背信  ミケランジェロ作品
        
        
      心は鈍く、神の怒りを受けるのは当然な絶望的である。
          それでも。
        『イエス・キリストの福音』 を信じる者は、
   
   
    神のあわれみによって、『義とされる恵み』 を与えられるのである。
         
                      ・・・ということでしょうか?



心配ご無用。
        二つの『手紙』の理解は難しいが・・・
             『真実の答』は、必ず、与えられます。
                 ・・・と。イエス様は励まして下さいます。

 

イエス様の励ましと応援歌です。

今日は5月29日。復活節第六水曜日。

 『今日の福音 イエスの御言葉

    『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

 「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
     
しかし、

        その方、すなわち、真理の霊 が来ると、
        
         『聖霊降臨』

       あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。

     その方は、わたしのものを受けて、あなたがたに告げる。』
             ヨハネ福音書 16章12-15節


          復活されたイエス様は、
            御昇天なさり、
       
            父である神の所へ戻られます。
         そこから、聖霊を送ってくださるのです。

  聖霊は、父である神様がイエスに教えられたことを、私たちに教えてくださるのです。

  イエス様は、この世においでの時に、教えなくてはならないことを全部教えたのです。
     しかし。
   弟子たちは、イエスの言葉を聞いても、完全には、理解できませんでした。
     聖霊降臨後。
   弟子たちは、聖霊に導かれて・・・
     前に語っておっれた『イエスの言葉』を、もっと深く理解するようになるのです。
       これから起こることも、教えられ、理解することができるのです。

 

     今の時代も。 私たちも。
  聖霊は、弟子たちと同じように、私たちを導き・・・
    『聖書の言葉』を理解させ、私たちの生活で起こることの意味を、
                   理解させてくださるのです。

       聖霊の導きを信じ、信仰を深めていただきましょう!


皆さま!
ご訪問に感謝申し上げます。
物事を理解し悟ることは難しいことですが、謙虚に学び続けてまいりましょう。人生の醍醐味です。 お元気で!


身体の活性化・・・『ノーカーDay』 そして 救われるために・・・『神を信じる者』

2019-05-28 06:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

5月28日。火曜日。雨。


   年を重ね・・・
   今日も、あえて、心して、『身体の活性化』 を計ります。


その①

脳の活性化。

   雨にも負けず・・・ 『歩く歩く』
  

      『脳の活性化』

数100万年前。
アフリカで誕生した人類が二本足で立った、まさにその瞬間から人間の脳は発達を始めました。
     立つことにより、手が自由に使えるようになり、
        その結果、
 大脳皮質が発達し、火を使ったり、道具を操ることができるようになりました。

      脳が活性化し、発達するために、
  なくてはならなかった最も重要な行為の一つが、つま先の蹴り出しといわれています。
   脳の発達の1/4は、歩くことによってもたらされたものだそうです。


その②
体の活性化。
誘惑への勝利。


  せめて週3回・・・   『ノーカーDay』
 
 
           ”奥様!楽したら!” 誘惑の声がかかる。   大好きなMy Car。

  
 『歩けば』・・・
   人類の祖先ならずとも、私たちにとって、血液の循環がよくなります。
      体が活性化します。 同時に、脳を刺激してくれます。
      
   使わない体は退化するばかりです。 反省!反省!

  
  車好き。更に 年を重ね。 だんだん歩く機会が少なくなってきた私。

     せめて、週に3回ぐらい『ノーカーDay』を作って、
       体を進化させていきましょう。
            神に不可能はない! ファイト!

   
   雨の今日は、傘をさして散歩、『ノーカーDay』 の一日でした
                        続けなくちゃ! ファイト!

 

そして。

今日は3月28日。 復活節第六火曜日。


  パウロは、宣教旅行で、迫害されながらも、歩きに歩いたのです。


『今日の第一朗読 パウロとシラスの迫害と奇跡


 『その日、フィリピの町の群衆も一緒になってパウロとシラスを責め立てたので、
    高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」 と命じた。
 
 
 そして、

  何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。

   この命令を受けた看守は二人をいちばん奥の牢に入れて、
 
                 足には木の足枷をはめておいた。

    真夜中ごろ、
   パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、
 

        ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
 
 

 

      突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。
   たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。

   
     目を覚ました看守は、
           牢の戸が開いているのを見て、
  囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。


     
パウロは大声で叫んだ。

    「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」


     看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、
  

         パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、


二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」    

  二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

      そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。



   
 まだ真夜中であったが、

       看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、

       自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。
 
 この後、
         二人を自分の家に案内して食事を出し、
    

         神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。』
              使徒言行録 16章22-34節

    
    信じられないような『奇跡』が、牢獄の中で、起こったのです。


まずは。

獄中の賛美 
    
    パウロとシラスは、

      獄中で、怒るのでもなく、嘆くのでもなく、
         神への賛美の歌を歌うのです。

     

     恐ろしい牢獄の中に讃美歌が流れる。 それって『奇跡』ですよね。


次に。

賛美の歌
         神を賛美して歌う。
      それは、神を信じる者の行為です。

   『神にできないことは何一つない。』 ルカ福音書1ー3
           ・・・と。信じるのです。

   何でもできる神が、いかなる時も、私に最上のことをしてくださる。
           ・・・と。信じるのです。

      
   信じる時・・・神を賛美する。歌がほとばしでる のです。
   信じる時・・・どんな逆境も、『神の計らい』 であると受け入れられるのです。
                          それって『奇跡』ですよね。


更には。 

神の計らい
      

    パウロとシラスは、真夜中の牢獄の中で、神を信頼して祈り歌っていました。
        他の囚人たちは、讃美歌に耳を傾けて聞いていました。

      囚人たちは、明日の希望もない中で、讃美歌を聞きました。
        心癒される時間だったことでしょう。

  すると。

    驚くべきことが起こりました。大地震が起きたのです。
 牢屋の戸がみな開いてしまいました。囚人を牢屋につないでいた鎖も外れてしまいました。

     看守はどんなに驚いたことでしょう。
   囚人が逃げ出し、自分も死刑に処せられると思い、命を絶とうとしました。
     ところが。
   パウロもシラスも、他の囚人たちも、逃げ出さずに、牢獄に留まりました。


         
      牢獄の全員は、逃げ出すことが出来るチャンスを使わずに、
        過酷な牢獄の中に、神と共に、留まったのです。
                それって『奇跡』ですよね。


  あたかも。
    
  囚人たちは、牢獄の中でも、神と共にいる『安心感』を、つかんだようです。
  看守は、『神の働き』を感じて、二人を牢から連れ出し、二人の前にひれ伏しました。

        「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか?」
           ・・・と。看守は、自らの魂の救い を求めて来たのです。


 囚人たちも、看守も、
   パウロとシラスの信仰を通して・・・主が働くのを見たのです。主を信じたのです。
 パウロとシラスは、
   神を信頼することで・・・
       神は、人が『信じる通り』行う方だと、周りの人に、主の証しが出来ました。
                        それって『奇跡』ですよね。


     
      私たちも、
        どんな逆境においても、
      主を賛美し、主に感謝をすることによって、
 パウロやシラスや囚人や看守のように、神の働きを見せていただくことができるのです。
          信じる者には・・・神様が働き、必ず『奇跡』が起こるのです。

 

『今日の祈願』

『聖なる父よ、
 救いの力がいつもわたしたちのうちに働き、永遠の喜びの源になりますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
5月も残すところ3日間となり、6月・今年の後半を迎えます。
庭の花が、つつじからさつきの花に変わったことで、夏の到来をも知らせることも奇跡ですよね。 お元気で!


生命力・・・『ドクダミの花』 そして 神をあがめる・・・『リディアという婦人』

2019-05-27 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 5月27日。月曜日。夏日の皐月晴れ。


   生命力あふれる・・・  『ドクダミの花』
 
      可憐で真っ白で楚々とした4枚の花びら?の真ん中に・・・
        凛と立つ、真黄色の『めしべ』

   じっと眺めていて…『生命力あふれる姿』 に、ほれぼれ
         思わず…クレヨンで走り描きしました。


調べてみると。

   めしべのような黄色いものが、『花穂・花』だそうです。
     
一本の中に多くの花が集まっていて、一つ一つの花には花弁も額もなし。               

    4枚の白い花状のものは、花にあらず、『総包』 だそうです。
       若い花を保護し、開花時に昆虫を誘い込む役目をします。

 

     小さな小さな花が、私の心をつかまえるのです。
         そこには、何があるのでしょう。
  小さな小さな花が持つ、一貫した『普遍性』が私をつかむのです。


      ドクダミのように・・・
     
 雑草のようにたくましく、生命力にあふれ、誇り高く、揺るぎなく、凛と、あくまでも美しく。
             そうありたいものです。あこがれます。

 

そして。

今日は5月27日。復活節第六月曜日。


『今日の第一読 使徒パウロの宣教旅行

        『わたしたち(使徒パウロとシラス)は、
     マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市である フィリピ に行った。
   
      ローマ時代の間に、そこは染色設備で有名だった紫布の貿易の中心でした。

 


         そして、この町に数日間滞在した。

    安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。
      そして、
     わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。

         ティアティラ市出身の
   紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、
    主が彼女の心を開かれたので彼女はパウロの話を注意深く聞いた。

     そして、
        彼女も家族の者も洗礼を受けたが、
     そのとき、
 「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」
      と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。』
               使徒言行録 16章11-15節

 

     

      使徒パウロとシラスは、
第2回の旅行の間、一般的な周辺でいくつかの小さい名前のついていない町を訪問しました。
     ピリピにいる間、ティアテイラを訪問したのです。

     
      ティアテイラの町は
 聖書:ヨハネの黙示録に登場するアジアの7つの教会の第4番目に登場する町です。
    この町には太陽神テュリムノスを祭る神殿があり、
   ユダヤ教と異教の混交宗教がはびこり、不道徳な習慣が蔓延していました。
   黙示録は、このような状況下にあったクリスチャンを励ましたものである。

 

   ティアティラ市出身の神をあがめるリディアという婦人は、
      主が彼女の心を開かれたので、
     彼女はパウロの話を注意深く聞いた。
        

 そして。

    神をあがめるリディアは、
      聖霊の注ぎを受け、パウロの話を聞き・・・
        一気に、迷うことなく、潔く、回心したのです。
   熱心なユダヤ教徒から、熱心なキリスト教徒に、回心したのです。

       
       その後も。

   パウロとシラスが投獄され、解放された後でさえ、彼らを助け続けました。
     ティアテイラの町の教会建設の礎となっていったのです。

 

     一回の出会いで、パウロはリディアの心をつかむのです。
         そこには、何があるのでしょう。  
 パウロが持つ一貫した『普遍性』:『揺るぎのない信仰』が、人の心をつかむのです。

 

 

      神をあがめるリディアのように・・・
              
      『神をあがめるユダヤの女性』        
     ダビデの墓の前で熱心に祈り続けていました。              
         昨夏イスラエル巡礼折に    


  信仰深く、たくましく、誇り高く、潔く、揺るぎなく、凛と、あくまでも美しく。
             そうありたいものです。あこがれます。            

 
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
あこがれを持つことは、人を成長させるといいますよね。
   皆様は、どのようなものや人にあこがれますか? お元気で!


わたしは天から下ってくるのを見た。・・・『聖なる都エルサレム』・・・『子羊が都の明かりである。』

2019-05-26 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は5月26日。復活節第六主日。

 

  今日は、『過ぎ越しの神秘の秘跡祭儀』について、朗読と考証です。  
                お勉強いたしましょう。 よろしくお願いいたします


まずは。

9時半。 主日ミサのはじまりです。

   
   奉仕職・・・    『聖書朗読』

  
                        ネットでお借りした写真

   私は、今朝の主日ミサで、『聖書・第二朗読』、聖書朗読奉仕でした。


勉強その①

      祭儀を行う集会は、受洗者の共同体であり、
        「母なる教会は、すべての信者が、
 典礼の執行への、充実した、意識的な、行動的参加へ導かれるようせつに希望しています。

      このような参加は、
 キリストを信じる民は『選ばれた民、主の系統を引く祭司、聖なる国民、神の者となった民』
                               ペテロの手紙Ⅰ 2章9節  
   として、
     洗礼によってこれに対する 権利と義務 を持つものである。』
              『カトリック教会のカテキズム』より。

        
  私も、今朝は、喜んで、『祭儀・ミサ』への、行動的参加の権利と義務、を果たします。



今日の朗読。


『今日の第二朗読 ヨハネの黙示

  『一人の天使が、〝霊〟に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、
       聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、
 
 『天使と 聖なる都・エルサレムを黙示するヨハネ』

        
         天から下って来るのを見せた。
 
 『聖なる都エルサレム』

        
         都は神の栄光に輝いていた。

  その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。


       
わたしは、都の中に神殿を見なかった。
    
全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。

     この都には、それを照らす太陽も月も必要ではない。
         
 神の栄光が都を照らしており、
 

         子羊が都の明かりだからである。』 
             
ヨハネの黙示録 21章10-23節

       
勉強 その②


      教会の典礼で読まれる黙示録は、

  天に設けられた玉座 と 玉座に座っておられる方、『主・神』イザヤ書 6-1 を示します。

     次に。

  『ほふられたように立っている子羊・イエス』黙示録5-6  を示します。   
     十字架につけられて復活したキリスト。真の聖所の唯一の大祭司。 である子羊です。

     最後に。

  『神と子羊の玉座から流れ出る・・・いのちの水の川』黙示録22-1 を示します。

  

勉強その③

   『典礼』は、全キリスト、すなわちその頭とからだとの『行為』です。 
        
            現在典礼を挙行している人々は、
 
 『我が教会の典礼』


           しるしを超えて、
       すでに 『天上の典礼』 に加わっているのです。
    その典礼は、完全な交わりであり、『祝祭』 なのです。


   私たちの大祭司・キリストは、
       『典礼』を、天上の礼拝で、
 聖母マリア、使徒たち、すべての聖人、すでに御国に入った人々とともに、
                 たえず挙行されておられます。



勉強その④

   『地上の教会』は、
 自分たちが、『天上の礼拝』と一致していることを表します。
 共同体が集まることが出来る場所、すなわち見える教会堂、聖所を必要としています。
   これらは、
  私たちが向かっている巡礼地である『天上のエルサレム:聖なる都』かたどりです。

    同時に。


   『地上の教会』は、

 教会堂の中で、『聖三位の栄光』をたたえて公の祭儀を執行し、
       教会堂の中に秘跡的に現存する『キリストの犠牲』をささげます。
  
       教会堂は、また、潜心と個人の祈りの場でもあります。

                        以上。『カトリック教会のカテキズム』より。

 
勉強その⑤ 

    めでたし。めでたし。

    光に包まれ、飾られた花嫁のように、
          『聖なる都:神の住まい』が、

  
      いつまでも神は人と共におられるために、
         天から下って来るのです。

     その時。

        地上のもの、前のものは 消え去り、
              『新しい天と新しい地』が現れるのです

    『新しい天と地』は、
        主と子羊が、この都の『神殿』であり、
 神の栄光が都を照らし、『子羊が都の明かりとなり』、太陽も月も暗闇もない。 のです。

 

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉


イエスは、『聖なるエルサレム』の降下の時に備え、準備しなさいと、警告します。

   
     『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。

       心を騒がせるな。おびえるな。

     「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る。」
     
     『イエスの昇天』

    

    わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。

     事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、
      今、その事の起こる前に話しておく。」』
           ヨハネ福音書 14章23-29節


イエスの警告は、続きます。   

    『その日、その時は、だれも知らない。
   天使たちも子も知らない、ただ父だけがご存知である。

  ノアの時と同じだからである。誰も、何も気がつかなかった。
   人の子が来る場合も、そのようである。

     だから、あなたがたも用意していなさい。
  人の子は思いがけない時に来るからである。』
         マタイ福音書 24章36-44節

 

   私たちは、小さな人々の中におられるキリスト、を見失しなうことなく、
      小さな人々と共に、すべての人々の救いを望みながら、
      『その日、その時』:『イエスの再臨』 を待ちましょう。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
トランプ米国大統領が、六本木の居酒屋で、ポテト揚げを差し出されていましたね。面白いですね。 お元気で!


モーセ五書の総仕上げ・・・『純米酒』 そして 『アシジの聖フランシスコ大聖堂の献堂の祝日』

2019-05-24 12:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

5月24日。金曜日。観測史上最早の猛暑日記録更新。

    毎金曜日は、今日は3人のお休みで10人、『聖書100週間』 。


 モーセ五書の完読祝いで・・・  『純米酒・獺祭』
 
      『薩摩切子と江戸切子の切子グラス そして オーストリアのリーデル・白グラス』

    ユダヤ人の命である『モーセ五書』の完読祝いは、
         いつものワインではなく、
     日本人魂の、純米酒・日本酒で、祝いたかった。私の一人よがりです。こだわりです。

      

熟年女子たちの、

ちらし寿司、カツオたたき、しめ鯖、煮豆、煮物、ケーキ、等等、手作りのお味は最高です。
特別顧問・グループ指導者の神父様の、
お姉さま方や妹たち(年齢上)への聖書への情熱へのご指導は、深い信仰で最高です。


  今日のクラスの半分は、神父様のご指導で、『モーセ五書』の総まとめでした。



神・主は、そしてモーセも、くり返します。

       『あなたはエジプトで奴隷であったが、
 あなたの神、主が救い出してくださったことを思い起こしなさい。』 申命記 24章18節。

      『あなたたちはわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、

       これをしるしとして手に結び、 覚えとして額に着け、
 
 『掟』のしるしを手に巻き付け、覚えとして 掟の書かれた書状を箱に入れ額に着け・・・
      早朝に祈るユダヤの人々。
                        昨夏イスラエル巡礼時に

   
 ユダヤの青年の、成人とみなされる年齢は、
   ユダヤ法を守る宗教的・ 社会的な責任を持った青年のことである。
      男性の 場合は13歳。 女性の場合は12歳

  成人とみなされた男性は、仕事や学校に行く前の、朝の30分間、
      祈りの場で、祈りを捧げるそうです。
           祈りの場で、祈りを終えた男性に、教えていただきました。


申命記は続きます。
申命記 11章18節ー20節

       『子供たちにもそれを教え、

            家に座っているときも、道を歩く時も、
 

 『朝の祈りを終えた青年たち』 でしょうか。       
                     早朝に、清々しい、素晴らしい姿でした。
                             昨夏イスラエル巡礼時に  

    
    『寝ているときも起きているときも、語り聞かせ、
     あなたの家の戸口にも門にも書き記しなさい。』
 
 
 ユダヤの道々の壁に据え付けられた 『掟の書かれた書状を納める筒状の箱』
                                昨夏イスラエル巡礼時に

    綿々と、エジプトから脱出(1250年頃)以来、
       2019年の現代にいたるまで、770年間、
          モーセの『遺言』通りに、
 ユダヤの人々によって、順守され、語り継がれ、祈り続けられる、『律法・掟』です。
       

     『ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、
       目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、
         子や孫たちにも語り伝えなさい。』
             申命記 4章9節

その昔。
旧約時代。


   神・主とモーセは、
  エジプト脱出以来・・・40年ほどが過ぎ、
 いよいよ『新地・カナンの地』に入国するイスラエルの民に、言い渡しました。

      
      『あなたはエジプトで奴隷であったが、    

   あなたの神、主が救い出してくださったことを思い起こしなさい。』と。
      神を忘れるな。神こそ救い主。神こそ力。であると。


そして。

今の時代。新約時代。

  神とイエスは、
  イエスの『磔刑』以来・・・1990年ほどが過ぎ、
  

    現代を享受する人類に、言うのです。

     
 『あなた方は、
 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
     それらのものの行き着く所はです。
  
   しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、
      聖潔に至る実を得たのです。
  その行き着く所は、私たちの主キリスト・イエスにある、永遠のいのちです。』
               
ローマの信徒への手紙 6章20〜23節


あなたは罪の奴隷であったが、

イエスが、御自分の命を差し出すことで、罪から救い出してくださったことを思い起こしなさい。』と。
     イエス・キリストを忘れるな。神・イエスこそ救い主。神こそ力。であると。

 

    神への恩義。イエスへの恩義。
  それらを忘れることなく、そこから力を頂いて・・・
     私たちも、誠実に、清々しく、信仰深く、
       神が望むように・・・
 『心ひるむことなく、恐れることなく、慌てずに、』 申命記20-3 生きたいものですね。


そして。

今日は5月24日。 復活節第五金曜日。

  今日は、『アシジの聖フランシスコ大聖堂の献堂の祝日』 です。
 
 『イタリア・アッシジに建つ世界遺産』

    聖人・アッシジのフランチェスコの功績をたたえるために建設された。
      1228年。 教皇グレゴリウス9世によって建築開始。
      1253年。 766年前。 一応の完成をみた。
      その後。  何度も改修が行われて、現在の姿になった。


      1996年。 23年前の4月6日。 

    夫は、訪問先の『アシジの聖フランシスコ大聖堂』で祈りを終えて、
           突然に言った。
        『僕は洗礼を受ける!』と。

      夫は、『何か自分よりも強いものに強いられて・・・』と、
        生まれてはじめて、神の前に膝まずいた


  神のはからいは限りなく、生涯、わたしはその中に生きる。』 
詩篇90章                                                                           『御言葉』を実感した私たち夫婦でした。
                         私たちのアッシジ滞在は、2日間の予定でしたが、
                           離れがたく、3日間に旅程を伸ばしましたよ。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

      『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

  「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
          これがわたしのである。

   友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

  わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
     わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

    あなたがたがわたしを選んだのではない。
     
わたしがあなたがたを選んだ。
 
 あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと。

    互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」』
                 ヨハネ福音書 15章12-17節 

 

      すでに信者であった私と結婚して、25年ほどたって・・・
      
  神は、夫を選んで、イエスの兄弟にした。
      フランシスコ大聖堂は、夫を選んで、夫に豊かな聖霊を降した。
                 
 神の不思議な計らいに感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
異常な暑さの続くこの頃です。水分補給を忘れないで。 お元気で!


『希望どおり永遠の命を継ぐ者とされたのです。』 そして 『わたしたちすべての者は、主イエスの恵みによって救われる。』

2019-05-23 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

5月23日。木曜日。快晴。夏日。

   
 朝5時に仕込んだ・・・  『ビーフカレー』
 
                          今朝は、走る代わりに昼食作り。
  
   5個の玉ねぎでルーを作り、思いっきりたっぷりのビーフを焼いて加える。
       ビーフステーキが大好物の私の『裏メニュー』
                         うまい!

   
    毎木曜日は、聖書好きが教会に集まって、『聖書100週間』
       12時クラス終了後、ダッシュで帰宅 
     味のしみ込んだステーキ カレーに、夫と二人で、舌鼓を打った。
                            うまい!



  今日の『聖書100週間の通読範囲』 は 『テモテへの手紙 Ⅰ&Ⅱ と テトスへの手紙』

  使徒パウロの、愛する弟子・テモテとテトスへの『親心』 がにじみ出る箇所です。

  
  『信仰によるまことの子テモテへ』と。 『信仰を共にするまことの子テトスへ』と。
      パウロにより入信した『God Children』 達への『親心の愛』です。


パウロは、愛する霊的子ども達に、しっかりと教えました。
        
  『常に信仰心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送りなさい。』 テモテⅠ 2章2節
  『信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。』 テモテⅠ 6章12節
『聖書は、キリストへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与える。』 テモテⅡ 1章10節


 
    『パウロとテモテ』


     パウロは、テモテに、『信仰』をしっかりと保つようにと、教えます。

  
 『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』
                       ヘブライ人への手紙 11章1節


  信仰の日々の中・・・
      テモテとテトスは、

        パウロのそばを離れることなく、パウロの姿から学び、
    『望んでいる事実=永遠の命』を、徐々に、確信していったのです。

 

後に。

   二人は、『信仰の極み』 に達するのです。

    『わたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、
     希望とおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。』
          テトスへの手紙 3章7節


   二人は、信仰生活の中で、
      『望んでいること=永遠の命』 を確信したのです。
      『見えない事実=イエスは神の独り子』 を確認したのです。

 
    『テモテ』                    『テトス』
  
  二人は、パウロの弟子となり、パウロの協力者となり、
         パウロの宣教の助け手になるまでに、成長していきます。

 テモテはパウロの宣教活動に同行します     テトスは、教会の指導者となります。
                  

  そして。

     パウロによって洗礼を受け、キリスト者になった二人。
         後には、 パウロに按手されて・・・
    テモテはエフェソの司教に、      テトスはクレタ島の司教に、
                  なり、

     パウロが望んだとおりに、『真実』 を主張する人生を送るのです。

 

パウロは、私たちキリスト者にも、
        『聖書=イエス』から離れることなく・・・
    『信仰』に立ち、雄々しく、品格を保ち、平穏で落ち着いた生活をし、
      すべての人の『見本』となることを、望んでおられるのです。


   私たちキリスト者も、
 『信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れる。』 
        ・・・そんな人生を送りましょう!

 

そして。

今日は5月23日。復活節第五木曜日。


『今日の第一朗読 使徒ペトロの言葉

   『その日、議論を重ねた後、ペトロが立って使徒たちと長老たちに言った。
    
    『ペトロの説教』

     「兄弟たち、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。
 それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。

       人の心をお見通しになる神は、
   わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、
     彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。

      これは、彼ら異邦人も同じことです。

      神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。」』
          使徒言行録 15章7-21節

 

  イエスは、主を信じる者たちの集まる 『教会』の基礎を造られました。
      イエスの御昇天後・・・
     『聖霊』が降り、教会を完成なさいました。

その後。

  神は、教会の中で、パウロのように、『福音』を伝える者=使徒、を選びました。
        使徒達は、権限が与えられ・・・
    福音を宣べ伝え、福音を信じる者に、洗礼を授けました。


   『福音』とは・・・
イエスの十字架によって、神と人とを和解させたことです。
イエスの十字架によって、敵意も差別も分断も死すらも、葬り去られました。ということです。
            すべての人に知らされる『良き知らせ』 です。

 

   イエスの十字架によって・・・
       モーセの律法は完成され、
イエスの元に、ユダヤ人も異邦人もすべての者の隔たりはなくなり、すべての者が一つになるのです。

    
    信仰において・・・
  ユダヤ人も、日本人も、アメリカ人も・・・世界中が兄弟になったのです。
  
   神に立ち帰る者すべての者の『国籍』 は一つ。そこは『天国=神の国』 なのです。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界中の皆が、神の子供で、イエスの兄弟。それって嬉しいですね。楽しいですね。 お元気で!


『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。』・・・曇りのち晴れ・・・『わたしの平和をあなた方に与える。』

2019-05-21 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は5月21日。火曜日。曇りのち晴れ。

 
   朝5時・・・   『雲の中の月』
 
 雲に隠れて白い塊。 『光のない月』

     「月が見えるということは、曇りのち晴れだね!」
            ・・・と。
  早朝から、夫は友人と、『日本海方面への日帰り旅行』に出かけた
  早朝から、妻は一人で、『朝練』に出かけた

      夫婦ともに、充実の一日でした。感謝!感謝!


そして。

今日は5月21日。復活節第五火曜日。

『今日の入祭唱』

   『神を畏れる者たちよ、小さな者も力ある者も、わたしたちの神をたたえよ。
        今や、神の救いと力と支配が現れた。アレルヤ。』
              ヨハネの黙示録 19章5節&12章10節

そして。

『今日の第一朗読 パウロの宣教活動

『その日、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、
                                        パウロに石を投げつけ、
      
                     『石を投げられて死にかけるパウロ』  

       
       死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。
   
しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。

       そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。

           二人はこの町で福音を告げ知らせ、 
 

           多くの人を弟子にしてから、
      リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、

                弟子たちを力づけ、

  わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない
            と言って、
          信仰に踏みとどまるように励ました。』
                   使徒言行録 14章19-28節

  
        全く、迫害に屈することなく、迫害者を恐れることなく、
           迫害されても、そこにとどまり、
        迫害されても、又その地に戻ってくるパウロです。

            迫害を多く受けるキリスト者に、
   わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない
            ・・・と。
        自らの迫害に屈しない姿で、信仰者を励ますパウロです。

 

更に。
『死』に我が身が渡されることを悟ったイエスも、キリスト者を励まします。


『今日の福音 イエスの御言葉

       『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

  「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
   わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

         心を騒がせるな。おびえるな。
 わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る。

   
          もはや、あなたがたと多くを語るまい。
               世の支配者が来るからである。
 
  『ユダの接吻・ユダの裏切り』             ジョット作品


       だが、彼はわたしをどうすることもできない。」』
            ヨハネ福音書 14章27-31a節


     全く、迫害に屈することなく、迫害者を恐れることなく、  
         御父・神の元に戻ることは、
   弟子たちにも、すべての人類にとっても、良いことである。
     又、”私はすぐに戻ってくる!” ”平和を与える!”
     と、別れを悲しむ弟子たちを励まされるイエス様です。

         

いよいよ。
      『イエスの時』が近づいてきました。

神の独り子・イエスが、神と人間との和解を図るために、神からこの世に派遣され33年がたちました。           

         『イエスの時』は・・・
 『イエスの犠牲・磔刑』 と 『昇天』 と 『聖霊降臨』によって完成されるのです。
       『イエスの平和=真の平和』をもたらすのです。


    
            『イエスの平和=真の平和』 が成就するためには・・・
『多くの苦しみを経なくてはならない。』のです。

    イエスの磔刑。イエスの昇天は弟子たちとの別離です。パウロの石投げ。
        続く弟子たちの殉教。等々。多くの苦しみです。

わたしたちが、信仰の門をたたき、『イエスは神の子である』と、信仰に入らなければならないのです。 
  
     どんな逆境にも、『神が共にいて下さる』と、
    心を騒がせることなく、おびえることなく、
      信仰に留まることが必要なのです。


      曇りの日の後には、必ず、晴れの日が来るのです。

 

          信仰の世界は、霊の世界です。
    目に見えず、心に入ってくる霊を、確信する世界です。
 『イエスの平和』も、霊的平和であり、霊においてイエスと一致する平和です。
   心で確信する平和です。 誰にも侵されることのない心の安定と平安なのです。

 

『今日の拝領唱』

       『わたしたちはキリストと共に死んだのなら、
     キリストと共に生きることにもなると信じています。アレルヤ。』
          使徒パウロのローマの信徒への手紙 6章8節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
季節の良い時期になりました。土曜日の山は若者も家族ずれもいっぱいでした。
今日の夫の旅先も旅行客がいっぱいだったそうです。熱くなる前の初夏を楽しみましょう。 お元気で!


ニコデモの人生・・・『人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることが出来ない。』 そして 『聖霊が、あなたにすべてのことを教える。』

2019-05-20 13:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 


今日は5月20日。月曜日。薄雲り後雨。

今日は月一の『聖書の会

              聖書精読グループの月例会
 
        『OLD TESTAMENT 舊約全書』       
我が家の宝物

       大正五年六月廿一日印刷 大正五年六月廿四日発行
          綿々と、代々、引き継がれる『聖書』

 

  『聖書の会』   

   月一回、7人が集まり、意見を出し合い、聖書の一部を精読、深読する。
   最新の新共同訳聖書、古い聖書、英語の聖書 と、『御言葉』を比較する。
   『聖書100週間』を終了した一夫人が、お宅で開会。それ以来2年半の学びの日々となる。

 

   『今日の精読範囲』 は 『ヨハネ福音書 3章1節~15節』
   ニコデモが、イエスと出会い、人生の大転回をする場面です。
          
・・・人生の大転換! あこがれますよね。

    
    『ファリサイ派で最高法院の議員であったニコデモは、
      ある夜、イエスのもとに来て言った。
 

 「ラビ(先生)、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることは知っています。
神がともにいられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。

        イエスは答えて言われた。

はっきり言っておく。
      
人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。

     そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、
  
      『蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。』 民数記21-8

      
      人の子(イエス)も上げられなければならない。
  
    それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
                                                           
ヨハネ福音書 3章1節~15節

 

イエス様と話し合った後・・・

   伝承では、ニコデモは、イエスを信じ、キリスト教徒となりました。

 『実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
                                ローマの信徒への手紙  10章17節
       ・・・『パウロの言葉』が実感できますよね。


更に。
その後・・・
 
  ニコデモは、信仰者として、信仰が強まり、誰をも恐れることなく、
          雄々しくなっていくのです。

        
    ユダヤ人指導者たちが、イエスを非難する時、
 
 『我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめなければ、

    判決を下してはならないことになっているではないか。』 ヨハネ福音書7-51 
             ・・・と。 イエスを弁護します。


    イエスの処刑後、
 
 『
イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れてそのことを隠していたマタヤ出身のヨセフが、
   イエスの遺体を取り降ろしたいと願い出、遺体を取り降ろした。
     そこへ、
   かってある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、
    没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持ってきた。
    
       彼らは、
イエスの遺体を受け取り、
  
  『イエスの遺体を受け取った場所』          於。聖墳墓教会。昨夏の巡礼時に

     
      ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布に包んだ。』

     
       『イエスの遺体を降ろし、香油を塗り、亜麻布に包んだ』     
                       
於。聖墳墓教会。昨夏の巡礼時に  

             
  『場』に手を当てて、ある人は涙を流しながら、祈りの人々が絶えませんでした。
                        

 更に。
その後・・・

       ニコデモは、殺され、殉教したといわれています。


    ニコデモは、
  『新たに生まれる』という『イエスの御言葉』を、最初は理解できませんでした。
      文字通りに、『新たに母から産まれる』ことと思いました。

  『新たに生まれる』とは、洗礼を受け、霊的に産まれるということです。
        神を中心に、『新しい生き方』を始めるのです。
     イエスを知り、神を知り・・・『永遠の命』に生きるのです。

  『新しい誕生』は、聖霊の働きであり、目に見えるものではないのです。
      風は、目に見えなくても、確かに感じることができるように・・・
     聖霊の働きも、目には見えませんが、確かに働いているのです。
      

  洗礼によって『新たに生まれれば、神の国を見ることができる。』のです。
                   ヨハネ福音書 3章3節

 

    『聖書の会』で学ぶ7人は、2人がキリスト者、5人は求道者です。
    5人の女性が、イエス様にラブラブになる日 はいつでしょう?
        『神様の時』を待つ私は、『聖書の会』が楽しみです。大好きです。
            
   

そして。

今日は5月20日。復活節第五月曜日。

『今日の集会祈願』

 『永遠の父よ、約束された聖霊を待ち望むわたしたちの祈りを聞き入れてください。
   移り変わる世界の中にあって、わたしたちが心を一つにして愛の掟を守り、
       いつもまことの喜びに生きることができますように。』

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

      弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、
    
      『聖霊降臨』            エル・グレコ作品

  あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」』                  
                  ヨハネ福音書 14章21-26節

   

  イエスは、別れを告げる昇天直前に、母マリアや弟子たちに約束しました。

『わたしは父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われる。』
                   ルカ福音書24章49節

    
        見えなくなったイエス様は・・・
     『聖霊』において、
 私たちは、いつも、イエスと一緒なのです。イエスは共にいてくださるのです。
 私たちは、いつも、三位一体の神様とも一緒なのです。神様は共にいてくださるのです。

 

        ニコデモは、
      イエスと語り合い・・・聖霊を豊かに受けたのでしょう。
      何もかも、聖霊の力によって、一気に、理解ができたのでしょう。

 
    『聖霊』において、
       イエスの御言葉を学びながら・・・
       私たちも、『三位一体の神』がお住まいになる、

       『神の神殿』 になるのです。 コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章17節

 

     キリスト者は、『神の神殿』です。
 ニコデモのように、自分の生き様で、キリスト・イエスを証ししなくてはなりませんね。
              聖霊に助けられながら、頑張りましょう! ファイト!

    

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
昨夜、関西では大量の雨降りになりました。皆様の所はいかがですか? お元気で!


7時間&37242歩&19㎞・・・『夏山縦走自主トレ』 そして 『わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる。』

2019-05-18 08:00:00 | 登山・ハイキング

今日は5月18日。土曜日。薄曇り。

今日は月一の『櫻会』
       
         登山グループの月例会
      
8時。     『布引の滝』

        
 今日は、『長く&早く』 をモットーに、『夏山縦走のトレーニング登山』 です。

  
     息を整えて・・・スタート
     

   『櫻会』
   月一回の日帰り例会と 夏に2~3泊の縦走登山、を原則として、
     20年以上続く、山好き仲間の『4人会』。
  30年ほど前から所属する『ランニング会』の中で作った、『分会』です。

 
8時半。    『布引貯水池』             ダム湖百選。美しい。

    
    登山相棒の一人の女性と『二人会』で、20年ほど登り続けた、『高山登山』。
      その登山相棒の引退で・・・
    3人の仲間と『櫻会』を新結成、20年ほど続く、『中高山登山』仲間です。

 

 
10時。    『再度山』

   自然の力は山の姿をも変えていく。
   昨夏以来の台風が、通常道を閉鎖させ、迂回路を通常道に変えてしまう。
         崩壊した山が道を閉鎖する。
   
  今日も、自然の脅威に、”山は甘くない!”と、脱帽し、敬意を払いながら、
         お山に登らしていただく。

 

    
10時半。  『トウエンティクロス』


    大自然に魅了されて何十年も入山を続ける私は、
      山に癒され、山から学ぶ。山が好き。

  

     
11時半。   『桜谷出会』

      
 唯一の男性仲間は、
   いつも先頭で、女性の歩く道を確認してくれる。
 いつも大型リックで、水やビールや、重い荷物を担いで、仲間を喜ばして下さる。
    ”申し訳ない” と言うと・・・”喜んでくれるのが嬉しいんです!” と答える。脱帽です

 

  
12時。      『桜谷道』

     黙々と、ひたすら早く、長く・・・トレイルラン 夏山訓練です。


登り始めて4時間半。

12時半。 摩耶山に到着。 

 
  手作り弁当タイム・・・ リーダー恒例の『イカナゴ巻きずし』   Good!
  
      『黒ビール』が最高! 

 

  
  『記念撮影』

       専業主婦。看護婦さん。車ディーラー。郵便局員。
          それぞれの『働き』を終えて・・・
           『充実期』を楽しむ4人。

        私以外は、『100㎞マラソン』の現役者。
     私以外は、特技を生かして、目の不自由な方の『伴走者』を務める。
                     皆さん素敵な熟年者です。

 

   
1時45分。  『上野道』  下山スタート。

     
    2時間ほどかかるところを・・・

      『早く!』のモットーで、”1時間で降ろう!” 


3時。下山。

         『温泉と打ち上げ会』
  

      今日の『トレーニング登山』の終了。
       7時間。 37242歩。 19㎞。

    
    『今年の夏山縦走登山』 は 『3泊4日の富士登山』 に決定した。
 
          『3776、2m』          私は2度目の挑戦になる。


そして。

今日は5月18日。復活節第四土曜日。


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

  「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。
          いや、既に父を見ている。

    わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる。
 
           trinity 三位一体』

    
    わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。

    わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。」』
                     ヨハネ福音書 14章7-14節


     神様は、
        いろいろの方法で、御自分を人々に表されます。
  沢山の被造物。勿論の山々。 そして『イエス様』においても、顕現なさいました。

      
       神様のお姿は見えませんが・・・
  神様とイエス様と聖霊様は『三位一体』。 お三人は、同じ『一体』なのです。
  イエス様の『言葉』と『行動』は、神様から出ており、神様のそれらと同じなのです。
       イエス様を知れば・・・神様も見えるようになるのです!


    
      『イエス様の道』は、『御父』へ通じる『道』なのです。
 イエス様を信じることは、神を信じることにもなり、『御父の家族』になれるのです。

 

     私たちキリスト者は、洗礼によって、イエス様の兄弟となりました。
  私たちは『似た者家族』で、神様とイエス様に似た者になるはずですよね。
神様とイエス様に似た者の私たちは、私たちの姿で『お三人様の神の愛』をお人に示しましょう。
      そして、お人も、『家族の一員』にしちゃいましょう!
               頑張りましょう! ファイト!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
GWが終わり、夏休みの準備開始の私です。皆様も同様でしょうね? お元気で!


戒めを守り、ヨルダン川を渡って入国する・・・『カナンの国』 そして イエスを通って入国する・・・『御父の家』

2019-05-17 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は5月17日。金曜日。快晴。

   毎金曜日は、我が家に聖書好きが集まって聖書通読、『聖書100週間』です。
       今日の通読範囲は、『申命記1章~11章』


いよいよ。今日。

          イスラエルの民は、エジプトから脱出、荒れ野で40年過ごし、
            ヨルダン川を渡って、
  
     『神の約束の地=カナンの国=乳と蜜の流れる地』へ入国です。

 
その昔。
今からおよそ3500年前。

   紀元前1800年
       主はアブラハムと、『契約』を結ばれて、言われました。

  
   
   『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す土地に行きなさい。
   あなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたを高める。
    地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。

    
     七十五歳のアブラハムは、主の言葉に従って旅立った。
 妻のサライ、甥のロトを連れ、財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共に、
    神の命じたカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。

 
しかし。
200年の後・・・

紀元前1600年。

  アブラハム一族は、『神の約束の地:カナンの地』から、飢饉や諸事情で、エジプトに移住。
         エジプトに住む400年間に、
     神は、アブラハムの一族:ヘブライ人を強大なものとします。

エジプト移住から400年後。
 
  紀元前1200年。


    神は、高く上げた御腕をもって、
       ヘブライ人・アブラハムの子孫をエジプトから導き出します。

   

          その後。 四十年の間、荒れ野を移動。

   
    『眼下のカナンの地を眺めるモーセ』       自身の入国は不可能と悟ったモーセです。

        
 エジプト出発時の大勢の中の二人と、砂漠で生まれた次世代のイスラエル人だけで、
        ・・・再び、『カナンの地』へ入国。

  神は、カナンの地では七つの民族を滅ぼし、『約束の地:カナンの地』 
        
を、新世代に相続させてくださったのです。

    
    これらの『事実』は、

   アブラハムが、神に召し出されからは、650年後。
   アブラハムの一族がエジプトに移住してからは450年にわたることでした。


   砂漠を移動中。
   神がモーセを通して民に示された・・・ 『十戒』
   

  自身のこの世の終わりを悟ったモーセは、民に『遺言』を遺しました。

 
 『イスラエルよ、今、あなたの神、主があなた方に求められていることは何か。

  
 ただ、あなたの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕えること。
 わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、こうして、あなたたちは勇ましくなり、
      ヨルダン川を渡って、
 得ようとしている土地に首尾よく入り、それを得ることである。あなたが幸いを得ることでる。』
                       申命記10章12節ー11章8節

 


    モーセは、
 イスラエルの民をエジプトから導き出し、長い40年の旅の後に、モアブの平原に至り、
    『神の約束の地』を前に、ヨルダン川を渡ろうとする民に、
     イスラエルの民がシナイ山で神と結んだ『契約=十戒』を、
       忠実に、愛を込めて、るようにと諭したのです。

 

  『神のはからいは限りなく、生涯、わたしはその中に生きる。』 詩篇90章
                                                                           …実感しますよね。

 


    私たち、今を生きる者にも、
  神と結んだ『契約=十戒』は生きているのです。
    忠実に愛を込めて守り・・・『生命の道』を選び・・・
イスラエルの民が『カナンの地』に入ったように、私たちも『神の国』に入るのです。

 

              以上。今日の聖書100週間の私の感想の一部でした。お粗末様でした。

 

そして。

今日は5月17日。復活節第四金曜日。

   
『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

   「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。

     わたしの父の家には住む所がたくさんある。
  行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、
    あなたがたをわたしのもとに迎える。
  こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

    わた しは道であり、真理であり、命である。
  わたしを通 らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」』
                        ヨハネ福音書 14章1-6節

 

    イエスは、
  モーセ同様に、この世との別れの時が近いことを悟り・・・

モーセが民を『カナンの地』に送り出す別れの時に、『言葉』をかけて、民を慰め励ましたように、

    
  弟子たちに、最後の晩餐の席で、『言葉』をかけて、慰め励ましました。
 

心騒がせるな。私は父の所に行き、すべての人を迎え入れる所を準備したら、戻ってくる。
      わたしが、『父に至る道』であり、真理であり、命である。
         神と私を信じなさい。


       私たちは、神を信じて、イエスを通って、
           『神の国』に入るのです。

 
     神が、誰よりも謙遜で信仰深いモーセを協力者として、
     
     イスラエルの民を『カナンの地』に導いたのは、
        
          神は民といつも共にいて、
     
      神が、神の御一人子・イエスを協力者として、
   

          人類を『神の国』に呼び入れるための、
          『しるし=前表』でもあったのでしょう。

 

『今日の祈願』

『聖なる父よ、救いの恵みを受けた人々を、いつくしみをもってお守りください。
御子イエスの死によってがなわれた者が、その復活の喜びに生きることが出来ますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
温故知新・・・私は毎週、世界の古典:聖書を読んで、我が心に温め、今に生き返らせています。学んでいます。
      面白いですよ。 お元気で!