マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

2021年大晦日・・・『センリョウ』 そして 『言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』

2021-12-31 18:29:05 | 日々のこと。 世界のこと。
12月31日。金曜日。曇り。

お正月の縁起木
『センリョウ』
花言葉は、『寿ぎ』『徳のある人』『慶祝』。


           『センリョウ』 
 

     2021年も残すところあと僅かとなりました。

  ブログを今年も一年間無事に書き続けることができましたのも、
     御訪問下さいます皆様に励まされたお陰様です。
     今年一年間、誠にありがとうございました。
           感謝申し上げます。
  
     コロナウイルス禍の収束の目処が立たないままに
        今年が暮れていきます。
   それでも希望を失うことなく、新年を迎えたいと思います。


 2022年が皆様にとって良い年でありますようにお祈り申し上げます。
    世界も平穏でありますようにと祈ります。
 
    来年もどうぞ宜しくお願いいたします。


そして。

今日は12月31日。主の降誕第七日。

『今日の入祭唱』

   『一人の男の子がわたしたちに与えられた。
       権威が彼の肩にある。
    その名は、「永遠の御ことば」と呼ばれる。』
       イザヤ書 9章5節 参照


『今日の福音 神の言葉』

   『初めに言があった。言は神と共にあった。
   
        言は神であった。
     この言は、初めに神と共にあった。

       万物は言によって成った。
  成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

       言の内に命があった。
      命は人間を照らすであった。

       光は暗闇の中で輝いている。
       暗闇は光を理解しなかった。
  その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

        言は世にあった。
   世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
   しかし、
     言は、自分を受け入れた人、
   その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
 この人々は、
 血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
       神によって生まれたのである。


     言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
  わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、
         恵みと真理とに満ちていた。
    わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
       恵みの上に、更に恵みを受けた。

      律法はモーセを通して与えられたが、
    恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

      いまだかつて、神を見た者はいない。  
 父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。』
          ヨハネによる福音書 1章1-4&9-14&16ー18節


       初めに、『神のことば』があった。
      『ことば』は人となって、私たちの世に来られた。
   それは、私たちに『命』を与え、『神の子』とするためであった。


     『神のことば』である『イエス』です。
   旧約時代には、天地創造の時、
     『神のことば』によって、すべてが造られたのです。
   新約時代になって、神に遣わされて、
     『神のことば』はこの世にお生まれになりました。
      すべての人に、神からの『救い』を告げるためでした。

     
   私たちは、
   『神のことば』が受肉したイエス様の話によって、
      ※神がどのような人であるかを知るようになりました。
   イエスの話を信じる人は、
      ※本当に生きるのです。
      ※神と一緒に生きる、『神の子』だと言われるのです。
                   感謝!感謝!


『今日のアレルヤ唱』 

 アレルヤ、アレルヤ。
 『みことばは人となり、わたしたちのうちにお住みになった。
   主を受け入れる人には神の子となる恵が与えられた。』
      典礼聖歌 259番 公現前① アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明朝が、2022年世界の素晴しい夜明けとなりますように。 お元気で! 

行く年の惜しくもあるかな・・・『忘年会』 そして 『預言者アンナは、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。』

2021-12-30 19:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
12月30日。木曜日。晴れ。

行く年。
今年もあと一日で終わりです。


    家族で・・・  『忘年会』
    
                       チーズフォンジュウ&オイルフォンジュウ 

          明日は、新年、お正月です。


         行く年の惜しくもあるかな・・・
         そこで
         今年に感謝して、家族で忘年会でした。

    家族それぞれの今年一年間の ※『楽しかったこと』※ を振り返りました。

  中学二年の孫娘は、コロナ禍にもかかわらず、
    デズニーランドを初め、大好きな『遊園地』に、友人たちと8回も行けたこと。
  ※息子のお嫁さんは、コロナ禍にもかかわらず、
    燕岳から常念岳まで縦走できたこと、トライアスロン参加、箱根駅伝全コースを走ったこと、
      それら『登山とトライアスロンとランニング』を、夫(私の息子)と共にできたこと。
  ※息子の『楽しかったこと』は、『毎日の日々』だったそうです。

  等々。
  コロナ禍の中でも、
  家族の今年の日々は、例年に負けず劣らずの『祝福の日々』だったようです。
                 有り難いことでした。


      私の今年は、STAY HOMEの毎日、時間はたっぷりあったのですが、
        なぜか、とても早く過ぎたように思える一年でした。
      ともかく、家族が健康であった一年に『感謝の日々』でした。
             感謝!感謝!


そして。

今日は12月30日。主の降誕第六日。

『今日の入祭唱』
 
 『沈黙の静けさがすべてを包み、夜が速やかな歩みで半ばに達したとき、
     神よ、あなたの言葉が天から下った。』
       知恵の書 18章14&15節参照


『今日の福音 主の奉献』

   『そのとき、アシェル族のファヌエルの娘で、
      アンナという女預言者がいた。

       非常に年をとっていて、
   若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
    夫に死に別れ、八十四歳になっていた。
   
   彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、
       夜も昼も神に仕えていたが、
     そのとき、近づいて来て神を賛美し、
 エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。


    親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、
     自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
    
       幼子はたくましく育ち、
     知恵に満ち、神の恵みに包まれていた』
            ルカによる福音書 2章36-40節


       神殿で奉献されたイエスは、
     『万人の光』として啓示されました。


   幼子イエスが神殿で神に献げられた時、
   預言者アンナは、聖霊に導かれて、
   幼子に『救い主』を感じて、皆にその『喜び』を伝えました。


   アンナは、預言者と呼ばれました。
   預言者は、『神の言葉』を伝える『使命』を受けている人です。
   アンナは、『使命』を果たすために、
      『神の言葉』をよく聞く気持ちがありました。
      そのため、神殿を離れず、良く神に祈り断食し、
         神と一緒に生活していたのです。

   私たちも、
   聖書を読みながら、『神の言葉』と親しくなり、
   又、祈りながら、『神のみ旨』が分かるようになりたいですね。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『偉大な光がきょう地上に下り、聖なるこの日はわたしたちを照らした。
      諸国の民は来て主を礼拝せよ。』
       典礼聖歌 258番 主の降誕日中   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年のこり一日、明日・大晦日をお大事にお過ごしください。 お元気で!

行く年の惜しくもあるかな・・・『断捨離』 そして 『イエスは、異邦人を照らす啓示の光.』

2021-12-30 16:49:46 | 日々のこと。 世界のこと。
12月29日。水曜日。晴れ。


行く年。
今年もあと二日で終わりです。


            『正月のしつらえ』
     

            明後日は、新年、お正月です。
         ポインセチアからユリの花へと、正月準備です。


         行く年の惜しくもあるかな・・・
         それでも
         正月を喜んで迎えることに致しましょう。

     日中茶飯事のささやかな喜びが、生き甲斐となる年齢になりました。
         いろいろのものを手放して
         肩の荷が下りて身軽になり
           自由になって、
        『引き算の仕合わせ』の年齢です。


       今日の私は、もっともっと身軽になるために、
           断捨離の一日です。
            感謝!感謝!


そして。

今日は12月29日。主の降誕第五日。

『今日の入祭唱』

  『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
      独り子を信じる者が一人も滅びないで、
        永遠の命を得るためであった。』
          ヨハネによる福音書 3章16節


『今日の福音 主の奉献』

   『モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、
       両親はイエスを主に献げるため、
        エルサレムに連れて行った。

    それは主の律法に、
   「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」
                    と書いてあるからである。

      また、主の律法に言われているとおりに、
 山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。


    そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
       この人は正しい人で信仰があつく、
 イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
  そして、
     主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、
        とのお告げを聖霊から受けていた。

   シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、
    両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、
          イエスを連れて来た。

     シメオン幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
                               
   
     「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
      この僕を安らかに去らせてくださいます。
     わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

     これは万民のために整えてくださった救いで、
         異邦人を照らす啓示の光、
       あなたの民イスラエルの誉れです。」

  父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
    シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。

       「御覧なさい。
   この子は、
   イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、
     また、反対を受けるしるしとして定められています。
      ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――
    多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」』
         ルカによる福音書 2章22-35節

   
         神殿で奉献されたイエスは、
       『万人の光』として啓示されます。

    
     エルサレムの町は、『救いの町』です。
 ※人間の救いのために来たイエスは、エルサレムで神に献げられたのです。
 ※イエスを献げる両親は、一番貧しい人の一人としての『供え物』をしました。
 ※イエスを抱いたシメオンは、この子は『逆らいのしるし』となると言いました。
    イエスに神の働きを認める人 と イエスに神の働きを認めない人
      イエスを受け入れる人  と イエスを受け入れられない人
           『万人の光』の始まりでした。


       イエス様は、
    神が整えてくださった、『万民の救い』の成就なのです。

  
    私たちも、
    『信仰の模範』のマリア様に倣って、
    『神の神秘』:『神の独り子の誕生』を
       清い心で賛美いたしましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの光栄。』
      典礼聖歌 258番 主の奉献  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の今年の残りの三日間が素晴しい日々となりますように。 お元気で!

行く年の惜しくもあるかな・・・『餃子専門店』 そして 『幼子殉教者 祝日』・・・『ヘロデは、ベツレヘムにいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。』

2021-12-28 11:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
12月28日。火曜日。晴れ。


行く年。
今年もあと三日で終わりです。


     伊丹・・・   『餃子 専門店』
     

  『行く年の惜しくもあるかなます鏡見る影さへにくれぬと思へば』
                        紀貫之

      ※去ってゆく年の何と惜しいことであろう。
    去ってゆく年に、思い残すことがあってはなりません。

  コロナ禍のために、4月の恩人の御葬儀に参列がかないませんでした。
      年の瀬となった今日、のこされた奥様を訪ねて、
        共に座って、
    御主人様のご功績を偲び、思い出を語ってきました。


    ※歳が暮れ、時が過ぎて、鏡に映る私の姿もまた老いて、
        光失せて思えるものだから。
                          
        先に逝かれた恩人です。
      私たち残された者も、年を重ねました。
        奥様の見舞いに同行した5人で、
      その帰路で、以前に訪ねた『餃子専門店』で、
      年の流れの速さを偲んで、語ってきました。

   
       行く年の惜しくもあるかな・・・
       年の瀬の今日、
       落着いて、今年を振り返りました。来年を思いました。
          有り難い時間でした。
            感謝!感謝!


そして。

今日は12月28日。主の降誕第四日。

   幼子殉教者 祝日』

 6世紀ごろから、教会は、主の降誕の季節に
  聖なる幼子の殉教を祝ってきました。
 
 ヘロデによって殺害されたこれらの幼子たちの殉教を祝ってきました。
    贖われた人の初穂である。
 イエスのために命をささげた彼らは、
 言葉は話せなかったが、その死によって信仰を証ししたのである。
      『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『罪のない幼子たちはキリストのために死に渡された。
     汚れのない神の小羊に従った者たちは今、
      「主に栄光」と絶え間なく歌う。』


『今日の福音 幼子たちの殉教』
 
     『占星術の学者たちが帰って行くと、
     主の天使が夢でヨセフに現れて言った。
   
 「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、
  わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
  ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
      ヘロデが死ぬまでそこにいた。
   それは、
   「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、
  主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。


   さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、
        大いに怒った。
  そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、
 ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

   こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

    「ラマで声が聞こえた。 激しく嘆き悲しむ声だ。
        ラケルは子供たちのことで泣き、
   慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」 』
        マタイによる福音書 2章13-18節


     幼子イエスは、イスラエルの民族の代表者となり、
     昔のイスラエルの人々が経験したことを、
        新たに体験なさるのです。


    旧約時代。
    イスラエルの幼子を全員殺したエジプトの王の手を逃れて、
    イスラエルの幼子モーセは、両親の計らいにより、その王女の息子となり、隠れていました。
    その後、神は、そのモーセを通して、イスラエルの民を、
      奴隷生活のエジプトから、救い出しました。

    新約時代。
    ベトレヘムの幼子を全員殺す命令を出したヘロデの手を逃れて、
    ベツレヘムの幼子イエスは、両親と共にエジプトに逃れ、隠れていました。
    その後、神は、ベツレヘムに戻ったイエスを通して、世界の人々を、
       死の罪の状態から、救い出したのです。

       旧約時代のモーセは、
       新約時代のイエス・キリストの前表となったのです
       旧約時代の幼子の殉教者は、
       新約時代の幼子の殉教者の前表となったのです。


    私たちも、
    私たちの生活の、楽しい毎日や悲しい毎日を通して、
    神が、救いの業を行なって下さるのです。
    それを信じることができるようになりたいですね。
        祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
  けだかい殉教者の群れもあなたをたたえて歌う。』
      典礼聖歌 258番 幼子殉教者 アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
残り少なくなった今年を、暮れの準備に忙しくお過ごしでしょうか。
皆様の今年の数日が、穏やかで、心温まる日々でありますように。 お元気で!

交響曲『第九』・・・『歓喜の歌』・・・『天上の喜び』 そして 『聖家族 祝日』・・・『両親は、イエスが学者たちの真ん中におられるのを見つけた』。

2021-12-26 16:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
12月26日。日曜日。曇り。

寒い一日。
雪がちらつきました。

年末と言えば
聞こえてきます。
聞いてきました。

            『歓喜の歌』
  
                          於:兵庫県立芸術文化センター

          ベートーベンの『交響曲第九番』
    
   合唱団150人(コロナのため通年の約半分)が『歓喜の歌』を力強く歌い上げました。
        1824年に音楽の都ウィーンで初演されて以来、
     『人類共通の芸術』と称されるほど親しまれてきた『お宝』です。
      

        コロナ禍のため、演奏会が2年ぶりに開かれました。
     クラリネットを吹かれた私の友人が、閉幕後にメールをくれました。

    『久しぶりの第九で、合唱とソリストの音の渦の中で、酔いしれてしまい、
         コロナのことなどすっかり忘れてしまいました。
         来年こそは良い年になるように祈りましょう。』

      
                      私の座席は全員が臨める最前列でした。

           二年ぶりの今年の演奏でした。
         聴くだけではなく、歌う方、演奏する方なども含め、
        今まで以上に、多くの人の人生に潤いを与えてくれました。


演奏が始まる前に・・・
指揮者の『挨拶』の中で、
『第九』の『4つの楽章』
各章の解説がありました。
指揮者・井村氏の個人意見でしょうか。


    『第九』の4つの楽章にベートーベンが込めた『意味』
  
    
     『第九』がウィーンで初演されたのは1824年5月7日。
       当時54歳になっていたベートーヴェンは、
        ずいぶん前から難聴に苦しんでおり、
     「第九」の作曲時はほとんど耳が聞こえていなかった。
      そんな『絶望』のどん底から這い上がって作曲した
       ベートーヴェン56歳没前の、最後の交響曲です。
      
    第1楽章:神の『天地創造』
    第2楽章:神が『人間創造』、人を立てます。
    第3楽章:『自然界』、山、川、等、純潔の世界を賛美する。
    第4楽章:Ⅰ章~3章全体を否定しつつ、『新しい社会』への期待。
          創造でもなく、『歓喜』、『喜び』である。
         天上にある『楽園』、『死後の天上の喜び』がある。

     ベートーヴェンが私たちに遺した重要な『メッセージ』です。


       「歓喜の歌」が後に続く、第4楽章の始まり。
       バリトン・ソリストが力強く歌いました。

      「私たちの音楽はこれなのだ、さあ歌おう」
     「勝利に突き進む英雄のごとく、自らの道を行け」
   「抱擁と接吻を全世界に」「すべての人々は兄弟になるのだ」


     私は、今日の『第九』からも学びました。
       友愛や勇気にも共感すれば、
     新しい年にもきっといいことがあるはずです! 
             感謝!感謝!


そして。

今日は12月26日。主の降誕第二日。

        『聖家族 祝日』
    

  『恵み豊かな神よ、
  あなたは、聖家族を模範として与えてくださいました。
  わたしたちが聖家族にならい、愛のきずなに結ばれて、
  あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。』
           『今日の集会祈願』

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスの両親は過越祭には 毎年エルサレムへ旅をした。
       イエスが十二歳になったときも、
       両親は祭りの慣習に従って都に上った。

      祭りの期間が終わって帰路についたとき、
     少年イエスはエルサレムに残っておられたが、
       両親はそれに気づかなかった。

  イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、
     それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
   見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。

   三日の後、
     イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、
    話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
    

   聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。

     両親はイエスを見て驚き、が言った。
     「なぜこんなことをしてくれたのです。
  御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」

  すると、イエスは言われた。
      「どうしてわたしを捜したのですか。
  わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
        知らなかったのですか。」
  しかし、
     両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
  それから、
     イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、
       両親に仕えてお暮らしになった。
     母はこれらのことをすべて心に納めていた。

  イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。 』
                 ルカによる福音書 2章41-52節


     十二歳のイエスは、
     神の家である神殿で、『御父・神との関係』
         を、両親に示します。


  ナザレの『聖家族』
  年三回の、ユダヤ人の義務としての、『エルサレムへの上京』を果たしていました。
  イエス12歳のエルサレムへの上京の折・・・
   ※イエスは、祭りが終わった後も、一人で、エルサレムに残られました。
   ※両親は、見失ったイエスを三日間捜し、エルサレムの神殿の中で探し当てました。
   ※母マリアは、お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』と言い、
   ※イエスは、わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、
        知らなかったのですか。』と答えます。


    イエスは、12歳になった時に、『自分の道』を歩き始めました。
  子供達は、12歳・中学生の頃から、『自分の道』を歩き始めるということです。
      それは、親の考え方とは違うことがあります。
      互いに理解し合えないときも、多々あります。


    私たちも、
    子どもの教育において、聖家族に倣い、
    親子で、互いに許し合い、助け合い、忍び合い、学び合いたいですね。
       祈りましょう。
    


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『神よ、わたしたちの心を開き、
   あなたの子が語られることに心を向けさせてください。』
      典礼聖歌 270番51    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒い師走となっています。
くれぐれもご自愛下さり、今年残り6日間を有意義にお過ごし下さい。 お元気で!

主の御降誕・・・『万物は言によって成った。』 そして 『言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』

2021-12-25 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月25日。土曜日。早朝。


闇の中にお生まれになった
イエス様。


       光が、地に住む者の上に、輝いた。
   
                             我が教会祭壇のイエス様
  
  ひとりのみどりご・救い主がわたしたちのために生まれた。
         権威が彼の肩にある。
  その名は、
   「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」
                     と唱えられる。
    その王に権威は増し、平和は絶えることがない。』
              イザヤ書 9章1&5節
  
   
           永遠の父よ、
           あなたは、人間を優れた者として造り、
           救いの業を通して、さらに優れた者にしてくださいます。

             神のひとり子が人となられたことによって、
             わたしたちに神の命が与えられますように。
                  『今日の集会祈願』   


『今日の福音 神である言(ことば)

      『初めにがあった。
    言は神と共にあった。言は神であった。
     この言は、初めに神と共にあった。

      万物は言によって成った。
    
     『天地創造』・・・『光あれ。』 創世記1章2節
     
  成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった

       言の内にがあった。
     命は人間を照らすであった。

      光は暗闇の中で輝いている。
      暗闇は光を理解しなかった。

  その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

         言は世にあった。
    世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
  言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
  しかし、
    言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には
       神の子となる資格を与えた。

 この人々は、
 血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
       神によって生まれたのである。


     言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
      
          『主の御降誕』

       わたしたちはその栄光を見た。
 それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

   わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
      恵みの上に、更に恵みを受けた。
   恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

       いまだかつて、神を見た者はいない。
 父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。』
                 ヨハネによる福音書 1章1-18節


    初めに、『神の言葉』がありました。
    まず、『言葉』は、万物を創造しました。
    それは、六日目に人を創造され、神は創造されたすべてを良しとされ、終わりました。
    更に、『言葉』は人となって、私たちの世に来られました。
    それは、わたしたちに『命』を与え、『神の子』とするためでした。


   旧約時代。
     ※天地創造の時。
       『神の言葉』によって、すべてが造られました。
     ※預言者たちによって、『神の言葉』が伝えられました。

 そして。

   新約時代。
     ※『神の言葉』である『イエス』が、
        『神の言葉』を伝えるために、この世に遣わされたのです。
     ※『イエス』は、『神からの救い』を人に告げるのです。


       本当の『光』は、『イエス』なのです。
       そのイエスの『話』によって、
       人は『神』がどういう方であるかを知るのです。

       イエスの『話』を信じる人は、本当に生きるのです。
       神と一緒に生きる、『神の子』と言われるのです。


     私たちも、
      イエスの『言葉』によって、神を知るようになりました。
         ますますイエスの『言葉』を聞いて、
         一層、神を知るようにりたいですね。
            祈りましょう。
 
  
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『偉大な光がきょう地上に下り、聖なるこの日はわたしたちを照らした。
      諸国の民は来て主を礼拝せよ。』
       典礼聖歌 258番 主の降誕日中  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も、待ちに待った『主の御降誕』が成就されて、一安心です。
主の御降誕を毎年迎える私たちの心も、年々に成長していきます。
来年のクリスマスまで、より感性を磨き上げていきたいですね。 お元気で!   

主の御降誕・・・『お前はわたしの子、 今日わたしはお前を生んだ。』・・・『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。』

2021-12-25 00:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月24日。金曜日。夜半。

   『神はわたしに告げられた。

            「お前はわたしの子、
       今日わたしはお前を生んだ。」
  
                  詩編 2章7節            神戸中央教会


      『聖なる父よ、
     あなたはこの神聖な夜を、
     まことの光キリストによって照らしてくださいました。 
     
         闇に輝く光を見たわたしたちが、
     その喜びを永遠に歌うことができますように。』     
              『今日の集会祈願』



『今日の福音 主の御降誕

   『そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、
        登録をせよとの勅令が出た。
     これは、
 キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

    人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

     ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、
          ガリラヤの町ナザレから、
     ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
  身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

   ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、
   マリアは月が満ちて、初めての子を産み、
 
    布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。

     宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 
       その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、
        夜通し羊の群れの番をしていた。

         すると、主の天使が近づき、
        主の栄光が周りを照らしたので、
          彼らは非常に恐れた。

           天使は言った。
   「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
   今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
        この方こそ主メシアである。
   あなたがたは、
   布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
       これがあなたがたへのしるしである。」 


   すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
   

    「いと高きところには栄光、神にあれ、
    地には平和、御心に適う人にあれ。」
                 ルカによる福音書 2章1-14節



      『闇の中を歩む民は、大いなる光を見、
      死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
  
     あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、
         人々は御前に喜び祝った。』
       イザヤ書 9章1&2節 『今日の第一朗読』


    神様は人間を救うために、
      イエスをこの世に遣わしてくださいました。
    『イエス』のお名前は、
      『神はお救いになる』という意味です。
    『イエス様の使命』は、
      『神がお救いになる神』だと人間に教えることです。

     
『今日のアレルヤ唱』

    アレルヤ、アレルヤ。
      『大きな喜びをあなたがたに告げ知らせよう。
       きょうわたしたちに救い主が生まれた。』
        典礼聖歌 258番 主の降誕夜半 アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
主の御降誕おめでとうございます。
主イエス様が皆様にお幸せをもたらしてくださいますように。 お元気で!

主の御降誕前日・・・主イエス様と孫娘が来る。 そして 『高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、我らの歩みを平和の道に導く。』

2021-12-24 13:57:19 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月24日。金曜日。快晴。


主の御降誕一日前。

我が教会
『馬小屋』を準備して
主イエス様の御降誕を
お待ちしています。


  我が教会の玄関に・・・    『馬小屋』
  

          マリアお母様 と ヨセフお父様
        天使も馬の親子も三人の博士も羊飼いたちも
           暖かい『寝床』も用意して
       
        皆で、主イエス様の御降誕をお待ちしています。


          『主イエスよ、早く来てください。
           あなたの愛に信頼をおく人々が、
      あなたを迎えて力づけられ、喜びに満たされますように。』
                『今日の集会祈願』より


今日は24日。
クリスマスイブです。
『降誕の前日』とは
どういうことでしょうね?

教会暦の『一日』は、
『日没から始まり日没に終わる』のです。
そこで、
教会暦において『クリスマス』は、
『12月24日の日没に始まり25日の日没にて終わる』のです。
   12月24日の日没から、
 『主の御降誕日』の始まりです。
 

      そして、
      今夜8時に、
      孫娘が、神様の国から東京から、神戸に、下向してきます。

   

      今日は、
      ちょうど日没時に、
      ※新幹線から降りてくる『孫娘』を迎え・・・
      その直後に、
      ※新幹線神戸駅の近くの『神戸中央教会』で
         『神の独り子・イエス様』
      
         『聖母子像』   女流陶芸家作品
       『クリスマスツリー&クリスマスリース』 私の手作り

           お迎えです。
           感謝!感謝!


そして。

今日は12月24日。主の御降誕前日。

『今日の入祭唱』

 『時が満ちると、
   神は、その御子を、世にお遣わしになりました。』
      ガラテヤの信徒への手紙 2章4節


『今日の福音 ザカリアの預言』

    『そのとき、ヨハネの父ザカリア聖霊に満たされ、
     
        『預言者ザカリア』 ミケランジェロ作品
 
          こう預言した。

   「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
       主はその民を訪れて解放し、
  我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
  昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。

  それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。

       主は我らの先祖を憐れみ、
     その聖なる契約を覚えていてくださる。
    これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。

         こうして我らは、
     敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、
       生涯、主の御前に清く正しく。

   幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
      主に先立って行き、その道を整え、
  主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。

     これは我らの神の憐れみの心による。
        この憐れみによって、
     高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
     暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
      我らの歩みを平和の道に導く。」』
          ルカによる福音書 1章67-79節


 洗礼者ヨハネの父・ザカリアは、天使から※『お告げ』※を受けました。
     それが『神からの知らせ』であると証明するために、
      ※『子どもの誕生まで、口がきけなくなる。
        誕生の日に、口はきけるようになる。』※

  実際・・・

   子ども・洗礼者ヨハネの誕生の日に、『お告げ』のとおりになりました。
       話ができなくなっていたザカリアの口が開いたのです。
    そこで、
    ザカリアは、すべては、本当の『神の知らせ』であったと分かりました。
         そして、神を賛美しました。
    すると、
       ザカリアは、聖霊に満たされて・・・
         旧約聖書の言葉をもって賛美し、
        『ザカリアの預言』を語ったのです。


         『昔、神はその民を救い、
         エジプトの奴隷生活から解放しました。
       今度も、神はその民を救うために来られる!
     神は、今度も、民を忘れることなく、赦しを与えてくださる。
     その前に、
     私の息子ヨハネが、『神の道』を準備するでしょう!』 と。


   私たちも、
   クリスマスに、神の独り子・イエス様をお迎えして、
     イエス様に救われて、赦しを受けて、
      『本当の平和』を喜びましょう。

   
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
     『さしのぼる朝日、永遠の光の輝き、あなたは正義の太陽。
 日のあたらない陰に生き、やみにうもれている人を照らしに来てください。』
     典礼聖歌 257番 12月24日    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
クリスマスを楽しまれる皆様に、『神の平和』をお祈り申し上げます。
  今夜が祝福に満ちた一日になりますように。 お元気で!

主の御降誕・・・『主を仰ぎ見て 光を得よ』 そして 『洗礼者ヨハネの誕生』・・・『いったい、この子はどんな人になるのだろうか』

2021-12-23 14:11:20 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月23日。木曜日。快晴。

主の御降誕二日前。

明日・24日の真夜中
主イエスがお生まれくださいます。 

 
    中学1年生の娘の・・・  『クリスマス』
  
                            我が家の宝物です。
   
       我が家にかかる『聖書の言葉』の色紙

        『主を仰ぎ見る人は光と輝き、
        辱めに顔を伏せることはない。』
           詩編 34章6節


   我が家の食堂の壁。
   娘が中学一年年生の時に描いた『クリスマス』の色紙がかかっています。
   何十年も前。
   中学校の宗教の時間に、
   『クリスマス』のイメージの『聖書の言葉』を選んで、描いたのです。

         宗教の時間に何回も歌った
           ♭『賛美歌』♭ 

       『主を仰ぎ見て 力を得よ 主は我が力 我が盾
      主を仰ぎ見て 光を得よ 主が全てを 成し遂げられる』♭ 

        こちらも、娘の心に残っていたようです。


 もう一つ。
 似た『預言者イザヤの言葉』があります。

    『地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いをえよ。』
                 イザヤ書 45章22節


       人はどうしたら救われるのでしょうか?

  『聖書の言葉』は語ります。

      『創造主なる神を仰ぎ見れば救われます。』と。

   なぜなら、
   この方は、
   『神である方、天を創造し、地を造り上げ固く据えられた方、
           正義と公平の方』 イザヤ書 45章18&19節
      救い主は神であって、ほかにはいないからです。


   旧約時代。
   イザヤが、このように、神の語る『救い主』を預言したのです。
そして。
   新約時代。
   神の語った『救い主』の預言が成就して、
       『救い主・イエス様』がお生まれになったのです。
         『新しい時代』の到来なのです。


     それでは、
     私たちは、救われるために何をしたら良いのでしょう。

   「地の果てのすべての人よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。」イザヤ45:22

     私たちは、
         この『神の救いの招き』
       どのように応答するか、にかかっているのです。
       特別の努力ではなく、ただ『仰ぎ見る』だけなのです。
       難しいことをする必要はなく、ただ『見る』だけなのです。


    私たちが、今、成すべきことは、『キリストを見る』ことです。
     イエス様が、病人さんに、
     『あなたの信仰があなたを救った。』 と言われるとおりですね。


   皆様! 
   明日の夜中に御降誕なさる『赤ちゃん・イエス様』を見てみましょう。
      必ず、『光・救い』を得ることができます。 
             感謝!感謝!


そして。

今日は12月23日。主の降誕二日前。

『今日の入祭唱』

   『ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
     ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
       権威が彼の上にある。
     「永遠の父、平和の君」と唱えられる。』
        イザヤ書 9章5節         


『今日の福音 洗礼者ヨハネの誕生の次第』

   『さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
     
        『エリザベトの出産』

 近所の人々や親類は、
   主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

 八日目に、
 その子に割礼を施すために来た人々は、
     父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
 ところが、母は、
    「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」 と言った。
 しかし人々は、
    「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」 と言い、
 父親に、
    「この子に何と名を付けたいか」 と手振りで尋ねた。

        父親は字を書く板を出させて、
         「この子の名はヨハネ」 
                と書いたので、人々は皆驚いた。

      すると、たちまちザカリアは口が開き、
       
       『預言者ザカリア』 ミケランジェロ作品

       舌がほどけ、神を賛美し始めた。

        近所の人々は皆恐れを感じた。
  そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。

        聞いた人々は皆これを心に留め、
    「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」 と言った。

      この子には主の力が及んでいたのである。』
                ルカによる福音書 1章57-66節



  洗礼者ヨハネの父親・ザカリアは、
  神が先祖たちに約束された※『救いの実現』※を啓示されるのです。


  ザカリアの妻・エリザベトは、高齢にもかかわらず、子どもが生まれました。
    とても喜ばしいことで、ザカリアも、近所の人々や親類も喜びました。

しかし、
  そのときの時代の習慣のように、
  親の名前の『ザカリア』と命名せずに、

  ザカリアも妻エリザベトも、我が子に『ヨハネ』と命名するとしました。
   すると、
  ザカリアが、天使に会って以来話せなくなっていたのが、話せるようになりました。
     
     それには、近所の人々や親類の者は皆、驚きました。


       このヨハネの両親に起こった事柄は、
       正に、『神の働き』であったことを示すのです。

       近所の人々が、『皆恐れた』のも、
       『エリザベトのヨハネの出産』『神の働き』を感じたからでしょう。
         人々は皆、これを心に留め、
         いったい、この子はどんな人になるのだろうか』
         と、敬虔な気持ちを抱いたことでしょう。


       『あなたたちの信仰が、あなたがたを救った。』
                『イエスの御言葉』 ルカ7-30
         ザカリアとエリザベトに倣って、
         私たちも『信仰』深くありましょう。
         そして『救い』を得ましょう。


     私たちにも、
     日々の生活において、必ず、『神の働き』があるのです。
     それを見いだすことができると嬉しいですね。
        祈りましょう。
  
     
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『諸国民の待望の王、神と人とを一つに合わせるいしずえの石、
    あなたが土から造られた人を救いに来てください。』
         典礼聖歌 257番12月23日   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
クリスマス・主の御降誕が、皆様に『良い知らせ』を運んでくださいますように。
御訪問下さいます皆様のために、お祈り申し上げます。 お元気で!

星のリース・・・『わたしたちは東方でこの方の星を見たのです』 そして 『マリアの賛歌』・・・『力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました』

2021-12-22 07:51:04 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月22日。水曜日。曇り。


今日は冬至。
「一年で最も昼の時間が短い日」です。
昼間を大切に過ごしましょう。

そして今日は、
イエスの御降誕
三日前となりました。


  我が家のクリスマス・・・ 『星のリース』
  
           『星』を真ん中に、   
      17個の鈴がリンリンと『星』を囲む、鉄のリースです。
        7年前の女4人の「ハワイ旅行」の折りに一目惚れで購入以来
         我が家の玄関にかかり、毎日、我が家に『星』をお迎えしています。


 クリスマス時には・・・
 ポインセチアを飾って、

      『ポインセチア・リース』に変身です。

    ポインセチアの花言葉は、『博愛』、『祝福』、『聖夜』。
      ポインセチアはクリスマスに飾られる花として、
      クリスマスを意味する「聖夜」や「祝福」などの
          花言葉がついたそうです。

 もう一つ。

      クリスマスはイエス・キリストの生誕祭であり、
      ポインセチアのつぼみを包む 『苞(ほう)の形』が
       『ベツレヘムの星』を連想させることから
     『私の心は燃えている』の花言葉もあるそうです。


 聖書の『星・イエス様誕生』の話です。

      『イエスは、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
   そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
         
         『博士たちイエスを拝む』
        我が家のクリスマスの居間にかかります。 小磯良平作品

   「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
    わたしたちは東方でこの方の星を見たので、拝みに来たのです。』
          マタイによる福音書 2章1-2節


  イエス様は、異国の占星術の学者たちによって、『王』と認められたのです。
       私たちも、占星術の学者たちに倣って、
    ベツレヘムでお生まれになった『星』を見つけてみましょう。
        

     私も、今日は、
     『星』を見つけに、東から西に向かってみましょうかしら。
              感謝!感謝!


そして。

今日は12月22日。降誕三日前。

『今日の入祭唱』

   『城門よ、頭を上げよ。 とこしえの門よ、身を起せ。
       栄光に輝く王が来られる。』
          詩編 24章7節


『今日の福音 マリアの賛歌』
  
    『そのとき、マリアは言った。
   

      「わたしの魂は主をあがめ、
    わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
  
  今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
   力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
    
     その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、
        主を畏れる者に及びます。

        主はその腕で力を振るい、
  思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、
   身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、
      富める者を空腹のまま追い返されます。

        その僕イスラエルを受け入れて、
         憐れみをお忘れになりません、
      わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
     アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


   マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、
         自分の家に帰った。』
                ルカによる福音書 1章46-56節



      マリア様も、 エリザベトも、
  『熱心に救い主を待ち望んでいる貧しい人たち』の『代表者』である、
       と言われるそうです。


     神から選ばれた『選民』、イスラエルの人々は、
  『神は、いつの時も、民を守って下さる御方』であると信じる者
        の『代表者』です。
     マリア様も、エリザベトも、その代表者です。


     今の時代は、『新しい民』となった『教会』において、
      マリア様は『教会の代表者』、『教会の母』です。


      『マリアの賛歌・マニフィカト』の祈りは、
        神の前の『貧しい人』の祈りです。


   私たちは、
   神の前の『貧しい人』の一人であることを自覚して、
   『マリアの賛歌』を、私たち一人一人の『祈り』であると受け取り、
       日々、祈ってまいりましょう。

         
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『諸国民の待望の王、神と人とを一つに合わせるいしずえの石、
    あなたが土から造られた人を救いに来てください。』
       典礼聖歌 257番 12月22日  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も残り10日間ほどになりました。皆様の今年はどんな年でしたか。
今年一年間を振り返ってみるのも素敵なことですね。 お元気で!