
ヴェネツィア...ソ連で生まれ米国人になった
ヨシフ・ブロツキーが、生涯、愛した土地
ノーベル賞詩人・ブロツキーは、(

今のマイブーム! 何を読んでも面白い!)
1940年:レニングラード(かつてのロシア帝国の首都)で、ユダヤ人家族に生まれる。
独学で様々に学び

本はゴミ捨て場で手に入れ

32才でソ連から追放され米国に移る。
ミシガン大学で教鞭を執り、
その後ニューヨーク市立大学クイーンズ校、スミス大学、コロンビア大学、イギリスのケンブリッジ大学の客員教授。
マウント・ホリヨーク大学の文学教授となって・・・。
32才~49才の、17年間、
非常に寒い

ヴェネツィア

(日本の稚内よりも北部)で、大学の冬休中、毎冬過ごす。
47才でノーベル賞受賞。 55才没。
『ブロツキーをそこまでとりこにした、冬のヴェネツィアには,何があるってんの

』
金沢に孫のベビーシッターに向かう車中の私


ブロツキーの、『WATERMARK(ヴェネツィア)』、を読んで、秘密

探しです。
12ページ:
「何の変哲もない普通のところーーたとえば自分の生まれた場所ーーを、久しぶりに訪れている感じだった。」
帰国を許されない懐かしい故国・寒いレニングラードと重なるってことで、夢中になったの?
な~んて、単純な気持で、読み進みます

。
13ページ:
「荒涼たるアドリア海の海の深み」。そう、深みだ。ここは奥地だ、荒涼たるアドリア海のただ中、忘却の片隅に迷ってしまったのだ・・・。」
”う~ん! そおこなくちゃあ! このブロツキーの文章に魅かれる。”

『荒涼』 とか 『忘却の片隅』 なんて言葉に魅かれる
暖かい神戸を出発・・湖西線のトンネルを抜けたら・・そこは

銀世界

『荒涼たる忘却の片隅』 本とぴったりの世界出現に感激でパチリ
感激にむせぶ私・・なぜか?息子にメールしてしまう

「敦賀まで来たら大雪!!旅はいいね~。」 ってね。

仕事中の息子は、母さんからの突然のメールの意味がわからなくて・・
「何じゃいな?」 って返事!!
28ページ:
ブロツキーの真冬のヴェネツィアの美しさの表現・・奇抜な発想で好き!
「なんといわれようと、僕は夏にここへ来る気にはならない。銃口を突き付けられてもいやだ。
冬という象徴的な季節にこそ、人生はその真の姿を現すと僕には思えるのだ。
冬はすべてのものを厳しくありのままに見せるからだ。
いや、いや、二本脚の生き物なら誰もかれもが、この町に来ると狂ったように買い物をしたり着飾ったりするのは、ただ実用性を考えてのことではない。
それは、町がいわば人に挑戦するからなのだ。
この町では、一歩足を踏み出すたびに、ふりかえるたびに、景色を見わたしたり、行き止まりにたどりついたりするたびに、コンプレックスはひどくなり、不安も増してくる。
そんなわけで女はとくにそうだが、男もこの町に着くやいなや、ブティックめがけて突進する。
町の美しさは、すぐさまそれと同化したい、負けたくないという動物的な欲求をかきたてるのだ。
町が二本脚の原始人に、普通の生活では目にしたことのなかったすさまじいまでの視覚的な美しさを見せつけるからである。」
『WATERMARK(ヴェネツィア)』 読み終えた私は、
真冬のヴェネツィアに行きたい。 行かねばならない! って感化されています
たどりついた金沢も銀世界。ブロツキーのヴェネツィアの「忘却の片隅」と重なります。

目についた金沢女性の大層なオシャレ度が、ヴェネツィア同様に、
美しい町の挑戦に対抗しているからなの

、って考えました。
なぜか? 厳しい寒さを持つ地に、あこがれる私

厳しさの現実を知らないからだ。と、私の憧れを一笑する夫

でも!寒さで年の1/3は自宅で謹慎する

?生活に、あこがれている私です