マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

7月最終日・・・『充実の一日』 そして 『畑に宝が隠されている。』・・・『聖イグナチオ(ロヨラ)司祭 記念日』

2019-07-31 09:27:42 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月31日。水曜日。連日の猛暑日。

連日の猛暑日の7月。
いよいよ明日から本格的夏到来の8月です。

7月最後の一日。

①朝4時半~7時。

  昨日の続きで・・・   『11のごみ袋 剪定の木々や雑草』
  

     今朝の庭仕事。

  妻は、4時半~7時まで、2時間半。 夫は、5時半~7時まで、1時間半。
      二人で、合計4時間、合計11ごみ袋、の朝仕事。

     8月に入る前に、庭の床屋、庭がすっきり、きれいになりました。
       夫婦の心まできれいになった感じです。感謝!感謝!

 

②朝9時~12時。

  明日は『聖書100週間』。
  全聖書の完読日を迎える・・・  『聖書100週間 聖書完読日の予習』
  

   今回の『聖書100週間』も、
  読み続けた者の信仰を育てる力となり、見えない事実を確信する恵みとなりました。 

         通読を重ね、分かち合いを重ね・・・
          仲間と神を確信していく過程は
       御言葉の力と恵みを実感する過程でもありました。

       
    聖書完読の日を迎えるには、長~い年月がかかりました。
        それは、仲間は信仰の兄弟となり、
   互いに思いやり、支え合い、祈りあい、共同体の力を学ぶ年月でもありました。

       明日で、旧約聖書と新約聖書の完読です。
    最後の予習を、心を込め、魂を込め、力を尽くして、仕上げました。
           感無量です。
       神に感謝!感謝! 仲間に感謝!感謝!

 

③昼1時~5時。

    月一の・・・  『聖書の会』
 

  
       6人の、酸いも甘いも噛み分ける、マダムの会。
     ”人生の仕上げは宗教しかないわね!” とおっしゃる。

       おっしゃることが、理に適って、すばらしい!
        聖書の読みも深く、人生の深みが出ます!

      分かち合う範囲は『ヨハネ福音書 4章46-54節』
     わずか9節の分かち合いでも、4時間かけて、深まっていく。
  仲間の洗礼は、分かち合い範囲の『王室の役人』のように、近いかもしれない。

            年齢は無駄には重ならない。
        神に感謝!感謝! 仲間に感謝!感謝!


④一日の〆。     

     7月最後の日の今日を充実して送ることができました。
  7月最終日の〆は『カクテルアワー』と称して、野球観戦でした。
                      感謝!感謝!


 

そして。

今日は7月31日。年間第十七水曜日。

      『聖イグナチオ(ロヨラ)司祭 記念日』
  

    1491年。 スペイン北東部のロヨラに生まれる。
       宮廷と軍隊の生活を送っていたが、後に神に立ち帰り、
           パリ大学で神学を学んで、
    最初の同士を集めて、やがてローマで正式に『イエズス会』を創立した。

     著作と会員の養育によって、実り豊かな使徒的活動を行い、
     その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。

   1565年。 教皇領ローマで死去。 64歳。

 

 『今日の集会祈願』

『すべての救いを望まれる神よ、
 あなたは偉大な栄光を残すために 、ロヨラの聖イグナチオをお選びになりました。
     聖人の助けと模範に励まされて、わたしたちも悪と戦い、
     ともに勝利の栄冠を受けることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは人々に言われた。

    「天の国は次のようにたとえられる。
      畑に宝が隠されている。
見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

    また、天の国は次のようにたとえられる。
     商人が良い真珠を探している。
高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」』

                 マタイ福音書 13章44-46節

 

  その昔。
  ユダヤの人たちは、持っている宝物を、金庫でなく、自分の畑に隠したそうです。
  

    
   そんな時。

    畑の持ち主の雇人が、畑を耕しながら、宝物を見つけることがある。
   
  雇人は、黙って、宝物をポケットに入れるなんてことはご法度。許されません。
      そこで、その畑全部を買い取る。ということをしたそうです。


     
  神が持っておられる 『神の宝物=信仰=救い』 はどうでしょう?

       
      私たちは、信仰によって、『神の宝』を見つけ出します。
 その『神の宝』は、すべての多くの『宝物』より価値があることに気づきます。

       さて、どうしましょうか?
    持ち物をすっかり売り払って、『神の宝物』を手に入れましょうか?
     
       信仰者は、
 信仰のためなら、すべてを手放すことになっても惜しくはないと、考えるでしょうか?

      
     いえいえ。

       
     神様は、無償で『神の宝物=信仰=救い』 を下さるお方です。

私たちは、全身全霊で・・・見つけた『神様の宝物=信仰』を、守り続けていくのです!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から、本格的夏の8月です。ご自愛下さり、豊かな8月になりますように。 お元気で!

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夏休み準備その②・・・『樹木の剪定』 そして 『生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない』・・・『聖マルタ記念日』      

2019-07-29 04:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月29日。月曜日。33度の猛暑日。

  猛暑日らしく。
  居間の絵の掛け替え・・・ 『ひまわり』
  
            『真っ赤な花瓶のひまわり』

   孫娘の絵画教室を見学しながら・・・
     教室の小、中学生、一人の美大受験希望の高校生に交じって、
   飾られた素朴などっしりした『真っ赤な花瓶』に魅かれて、私も走り描きした。
     忘れられない『孫娘絵画教室』の思い出の絵となりました。



今朝。夏休み準備その②・・・『樹木の剪定』をしました。

   私が、4時半~8時半まで。4時間。 剪定をした。
   夫が、7時~8時半まで。1時間半。剪定した木々をかき集め、手伝ってくれた。
          二人で、合計5時間半の朝仕事。

   陽もすっかり明けて、これ以上続けては熱中症の危険あり、続きは明朝に伸ばした。
         明日は、夫は手伝うだろうか?


     楽しい夏休みに入る前に、立つ鳥跡を濁さず、家中のかたずけです!


   
   猛暑日らしく。   
   もう一つ。絵の掛け替え・・・ 『ひまわり』
   
         『ドイツのひまわり』
   
     兄のドイツ土産の入っていたドイツの紙袋の絵。 
   描かれたドイツらしい『素朴なひまわり』に魅かれて・・・
        私が下絵を描いて、刺繍をした。
   忘れられない『兄妹のつながり』の思い出の絵となりました。 

 

そして。

今日は7月29日。年間第十七月曜日。

          『聖マルタ 記念日』
     
『マルタとマリアの家のイエス』         アレッサンドロ・アッローリ作品。

       マルタはマリアとラザロの姉妹であった。
       ベタニアではイエスをあたたかくもてなし、
   また、イエスは彼女の祈りにこたえて、死んだラザロを復活させた。 
                    『毎日の読書』より。


『今日の入祭唱』

        『イエスがある村にお入りになると、
       マルタという女が喜んで家にお迎えした。』 
              ルカ福音書 10章38節

 

  今日は、イエス様とマルタの『2カ所での会話』を聞きましょう。

 

イエス様とマルタの会話。
 一つ目。

    『そのとき、イエスはある村にお入りになった。
   すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。

彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。

  
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、

      そばに近寄って言った。
  
   『イエスとマルタとマリア』           フェルメール作品
   

  「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
      何ともお思いになりませんか。
    手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

主はお答えになった。
  
  「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
     
しかし、必要なことはただ一つだけである。

   マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」』
                ルカ福音書 10・38-42

 

  マルタは、”主よ!” と呼びかけ、イエスは主・神の子と、信じていました。  
     マルタは、イエスに、一回目の『信仰宣言』 をしたのです。

     
 当時のイスラエル社会では、

 女が客の世話をする。 女は聖書の勉強は必要なし、会堂でもしゃべらないこと。等々。
             ・・・と。 女性に対して偏見があったようです。

     聖書にも、
 婦人たちがイエスや弟子たちの世話をした。 と書かれています。
    しかし。一方。
 イエスの十字架の下にいたのはヨハネと女性3人でした。
 復活のイエスに初めて出会い、イエスの復活を弟子たちに伝えたのは一人の女性です。


      イエス様は、優しく、マルタに語りかけたのでしょう。
  
      「マルタさん、おもてなしに感謝します。ありがとう。
  あなたは、私を ”主よ!” と呼ぶ程に、私が神の子であることを信じています。
       素晴らしい信仰をお持ちです。

    更に、私の話に耳を傾けて、信仰を深めて下さい。」 と。

 

イエス様とマルタの会話。
    二つ目。

    『そのとき、マルタとマリアのところには、
   多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。

    マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行った
 

        が、マリアは家の中に座っていた。

マルタはイエスに言った。

 「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
   
しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、

        わたしは今でも承知しています。」

    イエスが、「あなたの兄弟は復活する」 と言われると、

 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

  イエスは言われた。

   「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
  
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

マルタは言った。

「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」』
                    ヨハネ福音書 11章19-27節

 

      マルタは、イエスはがラザロを復活させると、信じました。  
      マルタは、イエスに、二回目の『信仰宣言』 をしたのです。

 
    マルタは、兄弟ラザロの死の床で、知り合いたちと祈っていました。
      そんな時、イエスがマルタの家に向かっていると知り、
  マルタは、いてもたってもいられなくなり、飛び出し、イエス様を迎えに走りました。

    イエス様を見るなり・・・
      マルタはイエス様に、自分の信仰をぶつけました。
 
 「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
     どうしてもっと早く助けに来ていただけなかったのでしょうか?」 

      更に。 マルタは『信仰宣言』を、イエスに申し上げました。

   「あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、         
          わたしは今でも承知しています。」
   「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると信じています!」


     イエスは、マルタの信仰を知り・・・
       マルタに言われたのです。

    『生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。』
 『 わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 』


    
 兄弟ラザロは、マルタが信じた通りに、復活しました。
       イエス様は、マルタにも言ったことでしょう。
     『あなたの信仰が、ラザロを救った。』
ルカ福音書 7章50節 


  マルタの信仰が、『イエス様の救いの御言葉』 を引き出したのです。

   イエスは、終わりの日だけでなく今この世で、『命』を下さる方です。
 『唯一真の神と、神がお遣わしになったイエスを知ることが『永遠の命』なのです。』 ヨハネ福音書 17章3節

    
  私たちも、マルタの信仰と生き方に倣って、同じ信仰で生き生きと生きていきましょう!

 

『今日の拝領祈願』

  『いのちの源である神よ、わたしたちを、過ぎ行くものの誘惑からお守りください。
        聖マルタに倣い、真心をこめて日々あなたに仕え、
       永遠の国であなたを仰ぎ見ることができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みの準備は着々とできていますか?猛暑でご無理はなさいませんように。 お元気で!

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猛暑の一服・・・『弦楽五重奏』 そして 『求めなさい。そうすれば、与えられる。』

2019-07-28 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月28日。日曜日。猛暑の晴れ日。


 一服の清涼剤・・・  『弦楽五重奏』
 

  クラッシク:ドビュッシーの小組曲、J.シュトラウスのラデッキー行進曲、等々。 
   日本のメロディ:花、浜辺の歌、この道、出船、川の流れのように、等々。
      美しい音色に、心が洗われ、心身ともに癒されます。

 学生時代の友が、出身校が全部違う男5人で、『五重奏団』を結成して24年目。
     阪神大震災の年に結成し、あちこちに慰問にも出かける。
 施設等の訪問は、無償で、お人のお心を癒すために、共に祈る様な訪問なのです。

 全員が黒のポロシャツが似合って、心意気がうかがえるようなさわやかさが、恰好いい。

    友人は、学生時代の『オーケストラ・クラブ』以来の腕の持ち主です。
  ず~と、アマチュアとして、”趣味だよ!”と、続けておられるのが素晴らしい。
    『神戸市民交響楽団』に属していて、定期講演会も開いておられる。
      真摯な生き方に、学ぶところが多く、感謝のひと時でした。

 

そして。

今日は7月28日。年間第十七主日。

『今日の集会祈願』

『いのちの源である神よ、主イエスはわたしたちにあなたを父と呼ぶことを教えてくださいました。
    主のことばに従い、共に祈るために集まったわたしたちを祝福してください。』


   今日は、神を信頼して、ひつこく、願い求める大切さを、二つ 学びます。


その一つ目。



       神に『その信仰ゆえに義と認められた』アブラハム。
   
     神への願いは、神を信頼して、あきらめることを知りません。

アブラハムの祈りを聞いてみてください。

 

『今日の第一朗読』

 『その日、主は言われた。

    「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。
       
わたしは降って行き、

 彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

 
アブラハムは進み出て言った。

  「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
  
    
あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、

   その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。

 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、
    あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。
     全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」


主は言われた。

「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」


アブラハムは答えた。

    「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。
      もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。

    それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」


主は言われた。

          「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」


アブラハムは重ねて言った。

        「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」


主は言われた。

           「その四十人のためにわたしはそれをしない。」


アブラハムは言った。

      「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。
       もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」


主は言われた。

        「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」


アブラハムは言った。

  「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」


主は言われた。

         「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」


アブラハムは言った。

     「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。
          もしかすると、十人しかいないかもしれません。」


主は言われた。

         「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」』
                創世記 18章20-32節


  神様は、アブラハムの『お人の救いを願う祈り』のひつこさに、応えました。

      この世に罪のない人は、
    50人も、45人も、40人も、30人も、20人も、10人も、いません。
    
    この世の人は、イエス様とマリア様を除いて、皆が罪深いのです。
     それを、神様は勿論、アブラハムも知っていたことでしょう。

       しかし。
    
   神様は、『アブラハムの心=他者の救いを願う心』 をご存じだったのです。
       神様は、アブラハムが神を信じて・・・
   ただひたすらに、『すべての人の救いを願う祈り』 を聞き入れたのでしょう!
        

    「私は、アブラハムの祈りと神への信仰ゆえに、わたしは滅ぼさない。」
         ・・・と。 神様は、決心なさったのでしょう!


     ”神様は、私たちの祈りを聞き入れない!” と思ってはいけないのです。  
     神様は、必ず、私たちが考える通りに、私たちにお答えになります。

      
      神様が愛を下さるのは、私たちの信仰への、『神様の答』 です。

        まずは。     
      神の愛をもっと深く信じることができるように、祈りましょう!
   


祈りの二つ目。

      イエス様の勧める、神に信頼しきった人のする 祈りです。


『今日の福音 イエスの御言葉

『イエスは、弟子たちに言われた。

     「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、
       真夜中にその人のところに行き、
     
         ノック!ノック!


        次のように言ったとしよう。

       『友よ、パンを三つ貸してください。
  
旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』

    すると、その人は家の中から答えるにちがいない。

         『面倒をかけないでください。
   もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。
    起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』


しかし、言っておく。
   その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、
    しつように頼めば起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。

       
    そこで、わたしは言っておく。

  求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
       門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

   だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。


 
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。

    また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
     
このように、

  あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
 
      まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」』
              ルカ福音書 11章1-13節


     イエス様は、弟子たちに、どう祈ればよいかを教えました。
  

           神は、あなたたちの父です。
       人の父親でも、我が子に最高のものを与えます。
  友人も、”夜中の訪問は面倒だな!” と思っても、ドアを開け、必要なものをくれます。
   まして、
    天の父・神が、あなたたちに最高のものをくれないはずがないのです。

     
      天の御父・神の愛情とあわれみを信じて・・・
    
    神・御父に求めなさい。そうすれば、与えられる。
       探しなさい。そうすれば、見つかる。        
    神・御父の門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 のですと。

    
    私たちに問われるのは、”神を信じていますか?”、信仰です。

  イエスは、いつもおっしゃるのです。

   『あなたの信仰が、あなたを救った。』ルカ福音書 7章50節 と。


   ”神様は、私たちの祈りを聞き入れない!” と思ってはいけないのです。
    神様は、必ず、私たちが考える通りに、私たちにお答えになります。

    
    神様が愛を下さるのは、私たちの信仰への、『神様の答』 です。

      まずは。
    神の愛をもっと深く信じることができるよに、祈りましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
愛は辛抱が要ります。愛を与える人も、愛をもらう人も、相手を信頼する辛抱が問われますね。 お元気で!

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夏休み準備その①・・・『赤ワイングラス』 そして 『これは主があなたたちと結ばれた契約の血である。』

2019-07-27 07:28:27 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月27日。土曜日。台風通過。大雨のち曇りのち時々雨。


昨日金曜日で、『聖書100週間』の一つのクラスが、夏休みに入った。
お仲間に1か月間お会いできないのは寂しい限りだが、30度を超す日々、休養するのも必要でしょう!


そこで。
夏休み準備開始。

   その①・・・ 『赤ワイングラス 購入』
   
   以前にうっかり割ってしまった2つのグラス。その補充。
       リーデル。ヴィノム・シリーズ。
    カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、用グラス。


   夏休みは来客が多い。
   ”まずはシャンパンで一杯!” の我が家は、ワイングラスがおもてなしの必需品。

    来客様は、ワイン尽くし我が家流で楽しんでいただく。
        ”郷に入れば郷に従え!”
       よろしくお願いいたします

 

そして。

今日は7月27日。年間第十六土曜日。


『今日の入祭唱』

『わたしの神よ、御旨を行うことはわたしの望み。あなたの教えは胸に刻まれている。』


  モーセの時代。民は、”御旨を行うことはわたしの喜び!” と歓呼しました。


『今日の第一朗読』

      『その日、モーセは(シナイ山から)戻って、
   主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、
  
          民は皆、声を一つにして答え、
   「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。

 

     モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、
           山のふもとに祭壇を築き、
 
      十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。

   彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす捧げ物をささげさせ、
       更に和解の捧げ物として主に雄牛をささげさせた。

        モーセは血の半分を取って鉢に入れて、
         残りの半分を祭壇に振りかけると、
   
        契約の箱を取り、民に読んで聞かせた。

 

 彼らが「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」 と言うと、
 
       モーセは血を取り、民に振りかけて言った。
  
      「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいて
     あなたたちと結ばれた契約の血である。」』
         出エジプト記 24章3-8節

     
      モーセは、一晩で、
   『主のすべての言葉=律法』を、二つの石の上に書き記し、『契約の箱』に納めました。
      『契約の箱』『主は共にいる』 目に見えるしるしです。

     
旧約において、

  神はイスラエルの民と人格的関係を持ち、『契約』を結んだことが示されています。

    その一つが、

    律法の授与に関する、
         神とイスラエルの『契約』 である。

  神を唯一の神となし、これに帰属することについての民との『契約』 である。

    
       神が、イスラエルの民が選ばれ、契約を結ばれたのは、

   イスラエルの民が神と交わりを成すに十分な資格と実力があったからではなく、
        事実はその反対であったが、
     しかし、神は自由な意思の行為として選ばれたのである。

    

    『契約』は、
           律法によって支えられ、
    イスラエルの民族には、律法への忠誠と服従とが要求された。
    神は、民の律法の厳守により、民族への祝福を約束されたのです。

     
    『契約の血』は、
   血には生命、すなわち霊魂があると考え、血は命そのものであるとし、
        焼き尽くし捧げ物や和解の捧げ物として、
           動物を主とする供犠において、

     血は生命に代わって、『贖罪』するという原理に基づいています。
                       
聖書辞典より。


神の側からの、『契約』の応答は『祝福』です。

旧約では、『動物の血』が『イスラエルの民の罪の償い』、『契約の血』とされ、
新約では、『キリストの血』が『人類の罪の償い』、『契約の血』 となり、
     ・・・神様の『愛の応答=祝福』です。

   
      
      『最後の晩餐の席で、イエスは杯を取り、感謝の祈りを唱えて、

    

      弟子たちにお渡しになった。彼らはその杯から飲んだ。
          そして、イエスは言われた。
  「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」』 
         マルコ福音書 14章22-24節

 

   エジプトで奴隷状態の民は・・・今も罪の状態にある人間の姿を示しています。 
エジプトの奴隷生活からイスラエルの民が救い出され、自由の地へ解放されたことは・・・
罪の状態にある人間がキリストの血によって清められ、神と共に生きるように救い出されたことを示します。
  モーセがイスラエルの民を導いたように・・・キリストは神の民を導くのです。

 

 モーセがシナイ山で結んだ『契約』は・・・キリストによる『新しい契約=新約』の前表なのです。


  正に、
            『新約聖書は、旧約聖書の中に隠されており、
   旧約聖書は、新約聖書の中に現されている。』 byアウグスティヌス のですね。

 

皆様!  
御訪問に感謝申し上げます。
いっぺんに猛暑到来です。十分な、睡眠と食事と水分と休養をお忘れなく。 お元気で!

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新しい掟・・・『互いに愛し合いなさい。』 そして 主の掟・・・『心を尽くし、魂を尽くして、主の道を歩みなさい。』。

2019-07-26 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月26日。金曜日。32度。晴れ。

水木金曜日、三日間、聖書三昧。 聖書にどっぷり漬かりました。

   

     聖書もいろいろ・・・  『HOLY BIBLE』
       
               格調高く黒表紙。英語版。

         娘の高校留学時期の聖書だろうか?
     『AMERICAN BIBLE SOCIETY  NEW YORK』
            原語より翻訳。
       等と、いろいろ、英語で書かれている。

     ページの間に。
     我が娘らしい、繊細で美しく丁寧な字の『メモ』がはさんである。
        
                    『Exodus 集団移動(出エジプト記)』
  『Revelation 隠れているもの、秘密などを明らかにすること(黙示録)』 等々。

             『「愛」の属性
  Love is ①patient and ②kind.  かんよう 親切
       love is ③not jealous  or  ④boastful ねたまない じまんしない
  it is not arrogant  or  ⑥rude ごうまんでない 粗野でない、無作法をしない 』

      ”なるほどね!” と感心し、娘の留学時代の苦労が偲ばれる。涙。 

      
         我が家には、沢山の聖書がある。
    娘や息子たちが、
       小学校時代に『食前の祈り』の時に読んでいた、日本語小型聖書
       アメリカ在住中の小学校時代に読んでいた、絵入り英語大型聖書。
       日本の中学や高校の授業で読まされた、日本語英語両用聖書。 等々。
    
    私が、
       学生時代に指導司祭と読んでいた、5冊になった、小型版旧約新約聖書
       親から受け継いだ、大正時代発行の、文語体聖書。 等々。


    本棚の中のそれぞれの聖書が、読む人の肉となった、家族の歴史を語る。

 

そして。

昨日と今日は 『聖書100週間』でした。 
    
   イエス様とダビデの最期。 お二人の『遺言』が語られます。

 

まずは。
昨日・木曜日の通読範囲は、新約聖書、『ヨハネ福音書 13章~17章』

   
   イエス様の『遺言』・・・『互いに愛し合いなさい』
  

イエス様の遺言を授ける時が来ました。


   『イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、
      世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

  イエスは、御自分が神のもとから来て、神のもとへ帰ろうとしていることを悟り、
      食事の席から立ちあがって上着を脱ぎ、
       手拭いを取って腰にまとわれた。

    それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
 
  『弟子の足を洗うキリスト』             ティントレット作品

 

        腰にまとった手拭いで吹き始められた。

     さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、
        上着を着て、再び席について言われた。
 
 『最後の晩餐』            レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

     
      
「わたしがあなた方にしたことが分かるか。
   あなたがたは、わたしを「先生」とか「主」とか呼ぶ。
 ところで、主であり、師であるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、
    あなた方も互いに足を洗わなければならない。

   わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、
         模範を示したのである。

   子たちよ、今、あなたがたに言っておく。
 
    あなたがたに新しいを与える。
互いに愛し合いなさい。
     わたしがあなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。

  互いに愛し合うならば、それによってあなたがが私の弟子であることを、
      皆が知るようになる。」』
       ヨハネ福音書 13章1-35節

  
      イエス様は、弟子と別れる最後の晩餐の席で、
 弟子たちを愛して、愛するだけでは足りなくて・・・この上なく愛し抜かれた。 のです。


  イエス様の人生は、神の御心を実現する、『信仰の人生』でした

     
    『わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる。

    もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

        心騒がせるな。
    神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
      わたしは道であり、真理であり、命である。
  わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない。』
            ヨハネ福音書 14章1-11節

 
   イエス様は、
    『神の御心』=『子イエスを信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
     イエスがその人を終わりの日に復活させること』ヨハネ福音書 6-40 
        ・・・を、
      成就するために、自らの命を人類のために捧げられたのです。

 

  イエス様の人生は、私たちの苦しみと共に歩いてくださる、     
 人類を愛して愛して、この上なく愛し抜かれた、『愛の人生』 でした
   

 

 


次に。
今日・金曜日の通読範囲は、旧約聖書、『列王記 1章~11章』

  
 ダビデの『遺言』・・・『心を尽くし、魂を尽くして、主の道を歩みなさい』
                        『主の神殿を建設せよ』  


ダビデの遺言を授ける時が来ました。


      息子ソロモンに油注ぎをし、王座につかせて後、
       ダビデは、ソロモンに遺言を託しました。
 

       『死期が近づいたとき、
    ダビデはこう言って王子ソロモンを戒めた。

 「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。
      あなたは勇ましく雄々しくあれ。

      主の掟と戒めと法と定めを守れ。
 そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。

     また主は、わたしに告げてくださったこと、
     『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、
 まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、
    イスラエルの王座につく者が断たれることはない』

     という約束を守ってくださるであろう。」

   ダビデがイスラエルで王であった期間は四十年に及んだ。』
         列王記上 2章1-11節

 

    ダビデの人生は、主の力を信じた、『信仰の人生』でした

   
    いつも。 『詩編を祈るダビデ』

     『主よ、あなたは私を極め、わたしを知っておられる。』 詩篇 139:1 



  ダビデの人生は、神の権威を第1とする、『信仰の原則を守る人生』 でした。

  

 『主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにはならない。』
                  サムエル記上  26章11節
 
 
 ダビデは、『神の権威』を最優先し、
 命を狙って執拗に追いかけるサウル王に歯向かうことは、決してなかったのです。

 

  ダビデの人生は、主に助けと導きを求め、『主に聞き従う人生』 でした。 

    
         『主よ、御もとに身をよせます。
    とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によって私を助けてください。
 あなたはわたしの大岩、わたしの砦。御名にふさわしく、わたしを守り導いてください。』
                  詩篇 31章1-3節  
    
    
    ダビデは、神の助けを信じて、いつも、勝利を収めることができました。
 

   ダビデは、いつも神とともに、『70年の人生』を勇敢に戦い終えました。
 
 
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
いよいよ夏休み真っただ中です。楽しい夏休みでありますように。 お元気で!
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花木の水やり・・・『家庭用スプリンクラー』 そして 『種をまく人はキリスト、成長させてくださるのは神です。』

2019-07-23 07:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月24日。水曜日。曇り。

  地熱は暑くて・・・    『花に水まき』
  
            『家庭用スプリンクラー』

    1本の大元ホースから、10本ほどの枝分かれのホースがついている。
       その各々の先に、小さなスプリンクラーがついている。
       木々の根元や花の植木鉢の中に設置され、水がまかれる。

         4年前の娘からの誕生日プレゼント
  娘は自分が使ってみて ”いいな!” ”便利だな!” と思う物は母親に贈ってくる。

   種をまくのは私。 水を撒くのは娘の愛。 育てるのは神様。 です。

 


そして。

今日は7月24日。年間第十六水曜日。

   イエス様は、花の種ではなく、『御言葉の種』 をまかれます。


『今日の福音 イエスの御言葉

       『その日、大勢の群衆がそばに集まって来たので、
   イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。

    イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。

      「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
   
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
 
  ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
     
しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

     ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。

     ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、
   あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。

           耳のある者は聞きなさい。」』
               マタイ福音書 13章1-9節


思い出します。

       種まきといえば・・・   『種まく人』
     
                       ミレー1850年の作品。

     当時。イスラエルでは、ミレーの絵のように、種をまき散らし・・・
           それから、土地を耕したそうです。

         だから、
    種がまかれるところは、
      道端あり、石だらけの所あり、茨の地あり・・・で育たず。
   一方、良い土地の上にまかれると・・・100倍にも60倍にも30倍にも、育ったのです。

        勿論。 育つには、必ず、神様の働きがあったのです。


ということで。
今日の福音です。


       イエス様は、『神の言葉』を、あちこちの場所で、話されました。
           それは。
       イエス様は、『神の言葉』の種を、色々の地にまいた、ということです。

    
  『神の御言葉』の種は、伸びずに枯れる場合も、鳥に食べられてしまう場合もありました。
  『神の御言葉』を、迫害する人あり、聞き流す人もありで、信じない人が多くいたのです。

    一方。

       種が良い土地に落ち・・・100倍もの実を結んだように、
      『御言葉』がある人の心にまかれ・・・信じる人もいました。  


『宣教』は、聞く人が少なくとも、あきらめないで、
     神の働きを信じて、『御言葉をまく』ことが大切なのです。 
 

 
使徒パウロも述べました。

     『わたしは植え、
    

    アポロは水を注いだ。
    

   しかし、成長させてくださったのは神です。
   
    交差点角に、どなた様かが種をまいてくださり、神様が成長させました
       

           ですから、
        大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、
          成長させてくださる神です。』
             コリントの信徒への手紙 3章6節

 

 『宣教』は、信仰の育ちが悪くとも、あきらめないで、
       神の働きを信じて、『水をまく』ことが大切なのです。 

 

参考までに。
見つけました。

        ゴッホの・・・   『種まく人』
  
   ゴッホらしい絵ですね。          
   ミレーの『種まく人』をモチーフに、ミレーの38年後、1888年の作品。


『今日の拝領唱』

     『御言葉を聞いて受け入れる人たちは、百倍の実を結ぶ。』
                マルコ福音書 4章20節 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
梅雨明けも間近、水まきの夏到来です。花々は愛に応えて、一杯咲いてくれますね。 お元気で!

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教会掲示板・・・『赦される』 そして 『主がエジプト人に行われた大いなる御業を見て、 民は主を畏れ、主を信じた。』。

2019-07-23 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月23日。火曜日。曇り。

朝5時半。ジョグ途中の交差点。

     プロテスタント教会・・・  『赦される』
  
   7月28日10時半の 『牧師の説教テーマ』     
                  
         大きな、個性ある『太字』感動して、


       何から? 誰から? 赦されるのか。
       キリスト教の『最大テーマ』ですね。


 次の交差点。

   
   どなたが植えたのか・・・   『ひまわり』
  
   こちらでも・・・

    大きな、個性ある『夏花』 と 『植えたお人の心』 に感動して、


        ジョグ途中には、いろいろの感動がある。
       
       毎朝、黙々と、道路の雑草を抜いている紳士には、
    いつものように、「おはようございます。ありがとうございます。」
       感動と感謝と敬意をこめて、ご挨拶をしました。


そして。

今日は7月23日。年間第十六火曜日。


『今日の第一朗読  イスラエル人のエジプト脱出の奇跡


    『その日、モーセが手を海に向かって差し伸べると、
 

    主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、
       海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

     
      イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、
 

        水は彼らの右と左に壁のようになった。
     

 
イスラエル民族のエジプトからの脱出は、イスラエルの歴史の基礎になる出来事です。

     イスラエルの民と神とのかかわりを明らかにしていきます。
      『イスラエル民族の最も重要な体験』を詳しく述べます。

      それは、
    神がすべての国々に、『神の栄光と愛』 を表す、前表なのです。
      神の民=イスラエルを養い、保護し、繁栄させられるのは、
      すべての国を養い、保護し、繁栄させられる、前表なのです。

    イスラエル民族のエジプト脱出は、『紀元前1250年頃の出来事』 です。



更に。
神の計らいは続きます。


        
エジプト軍はイスラエルの人々を追い、

  ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。

  朝の見張りのころ、
       
       主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、

 

       エジプト軍をかき乱された。
    
戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。

      
      エジプト人は言った。
 「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」

         
      主はモーセに言われた。

      「海に向かって手を差し伸べなさい。
   水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」

       
      モーセが手を海に向かって差し伸べると、

 
           夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。


    エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、
      主は彼らを海の中に投げ込まれた。

 水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、
       一人も残らなかった。

  
 主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。

    イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。
  
  イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。
     民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。』
           
出エジプト記 14章21節~15章1節

 

   
   神は、
     エジプト人の圧迫と束縛に苦しんでいたイスラエル民族を、
 
    エジプトから連れ出し、自分の民として養成していくのです。

        『主は(モーセに)言われた。

    「わたしは、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、
  追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
  それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、
 この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。」』
                        出エジプト記 3章7&8節

 

       『奴隷状態のイスラエル民族』

イスラエル民族は、子を産み、おびただしい数を増やし、益々強くなって国中に溢れました。
     虐待されればされるほどイスラエル民族は増え広がったので、
        益々エジプト人はイスラエルの民族を嫌悪し、
    あらゆる重労働によって、イスラエル人の生活を脅かしたのです。


そこで。

      『神の人類救出計画』 が始まったのです。

   神は、ご自分の愛ゆえに、イスラエルの民を選び、『契約』を結びました。
   イスラエルの民が選ばれたのは、民が賢く謙遜だったからではありません。
     

  
   『あなたの神、
主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
     主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、
  あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。
    あなたたちは他のどの民より貧弱であった。   

     ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、
 あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、
    主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、
エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。』
                    申命記 7章6-8節

                              

その昔。 
紀元前1850年ころ。

   神は、
   神に選ばれ、神に素直に従ったアブラハムと、『誓い』 を結ばれました。
  

  そして。
  あれから約600年後。再び。

        神は、永遠に変わらぬご自分の知恵によって、
    神は、ご自分の『人類の救いの御業』 を全世界に表す器として、
         イスラエルの民を自由に選ばれたのです。

    
       エジプトに移り住んでいたイスラエルの民は、
 先祖アブラハムたちが出会った神に、自分たちも又出会うという体験をしたのです。


   『主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。
      イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。
  イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。
     民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。』 のです。

 

そして。
今の時代。

       神がイスラエルの民に語る『聖書の言葉』は、
        私たち人類に語る『神の言葉』なのです。

   『あなたを愛す』『あなたを赦す』『あなたを救う』『あなたと共に住む』

     私たちも、今日、エジプトから救われたイスラエルの民を、学びました。
        さてさて。私たちは、どのように反応しましょうか?
            神から問われています。

 

『今日の拝領唱』

       『何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
    そうすれば、それに加えて、すべての必要なものが与えられる。』
                 マタイ福音書 6章33節


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
感動は、心に感じて動くこと、若さの秘訣です。感動を重ねましょう。 お元気で!

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一時の涼・・・『キキョウの花』 そして 『イエスが「マリア」と言われると、マリアは振り向いて、「先生」と言った。』・・・『マグダラの聖マリアの祝日』

2019-07-22 21:35:40 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月22日。月曜日。雨時々曇り。


   庭の切り花で・・・  『一時の涼』
   
   キキョウの花とビールジョッキーの水とが相まって、
                    涼し気にスケッチ。

      蒸し暑い日は・・・
        水を眺めながら、精神統一。瞑想。
         
      無限の宇宙の広さに、思いをはせてみる。
        涼しさが増していく。

 

そして。

今日は7月22日。年間第十六月曜日。

            『マグダラの聖マリア 祝日』
       

          キリストに従う人たちの一人で、
    イエス・キリストが十字架上で亡くならたときにそばに立ち、
          イエスの埋葬を見届け
    磔刑後三日目の朝早く、復活されたイエスと最初に出会った。
      又。
    復活の訪れを使徒たちに告げるために、イエスから遣わされた。
  このため、初期キリスト教父たちから『使徒たちへの使徒』 と呼ばれました。
                    『毎日の読書』より。


そして。

『今日の福音書 イエスの御言葉

 イエスは、磔刑後三日目に復活なさり、最初にマグダラのマリアに出会うのです。


  週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。
       そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

 そこで、
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。

       「主が墓から取り去られました。
     どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

  
   そこで、ペトロともう一人の弟子は、外に出て墓に行った。
         二人は一緒に走ったが、
 
 『ヨハネとペトロは復活の朝に墓に急ぐ』        ウジェーヌ・ビュルナン作品

    
     もう一人の弟子のほうが、ペトロよりも先に墓についた。
      身をかがめてのぞくと、亜麻布が置いてあった。
       しかし、彼は中に入らなかった。

        続いて、シモン・ペトロも着いた。
     彼は、墓の中に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
   
     それから、先についたもう一人の弟子も入って来て、
            見て、信じた。

  
 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、
      二人は、まだ理解していなかったのである。
   
       それから、その弟子たちは家に帰って行った。

      
        マリアは墓の外に立って泣いていた。
  
     
      泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。

     
      
    一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

  天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」 と言うと、
  マリアは言った。 「わたしの主が取り去られました。
     どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」

    
  こう言いながら後ろを振り向くと、
 
       イエスの立っておられるのが見えた。
      しかし、それがイエスだとは分からなかった。

 
  イエスは言われた 「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
   マリアは、園丁だと思って言った。
     「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。
          わたしが、あの方を引き取ります。」

   
     イエスが、「マリア」と言われると、
  彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

  
     イエスは言われた。
「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。
   わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。

     『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』 と。」

   
     マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
        「わたしは主を見ました」 と告げ、
       また、主から言われたことを伝えた。』
              ヨハネ福音書 20章1-18節

    
今日。
    マグダラのマリアは、
     イエスへのひたむきの愛から、イエスに従い、
イエスのもとから離れず、
          イエス様がメシアであることが分かっていく。
             そんな 『信仰の過程』 を学びました。

現在。

     私たち・キリスト者は、聖書・イエスの御言葉を離れず、
          『信仰』 を学びます。

イエスは神の一人子である。イエスは人類の贖罪のために十字架上で御自分の命を差し出された。
 イエスは死後三日目に復活なさり、神のもとに帰られ、神の霊・聖霊をこの世に送られた。
  最後の日に、再臨なさり、聖者と死者をさばきに来られます。

           ・・・と。信じていきます。


そして。
当時。

   イエスが、生前に『復活』について話されても、
         弟子たちはなかなか理解できませんでした。


     『イエスは必ず死者の中から復活される』 といるという聖書の言葉を、
  弟子たちは、復活は肉体の復活であると考え、イエスの体を探したのです。
     同様に。
   マグダラのマリアも、一生懸命に、肉体のイエスを探したのです。


    マグダラのマリアは、
  天使に出会い、復活のイエスに出会っても、『イエスの復活』が理解できません。
    そして。

  イエスに『マリア!』と名前で呼ばれたとき、初めて、イエスだと分かったのです。
    
更に。
  イエス様に、「わたしにすがりつくのはよしなさい。」 と忠告を頂きます。


   『復活のイエス』は、
  目で見、手で感じることに、こだわってはいけません。
目で見えなくても、手で感じなくても、信仰の目で、『イエスの存在』がわかるのです。

    
   イエスが、父のもとへ上った後、『聖霊』を送ってくださいました。
  その『聖霊』が、私たちに『イエスが見える』ようにしてくださるのです。


         私たちも、
    マグダラのマリアのように、イエス様に出会えるように、
      聖霊に願い求めて、祈ってまいりましょう。


『今日のアレルヤ唱歌』

アレルヤ、アレルヤ。
 『主キリストは復活された。勝利の王、キリストよ、あふれるいつくしみをわたしたちに。』アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
厳しい蒸し暑さの毎日です。涼を取り入れる工夫をしましょう。 お元気で!

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2年ぶり再開&14勝1敗・6度目優勝&西武球場ピッチ入り・・・『アスリート魂三つ』 そして 『来年の今ごろ、サラに男の子が生まれているでしょう。』

2019-07-21 06:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 7月21日。日曜日。曇り。

  スポーツ三昧。
  一つ事に夢中になる、心身ともに鍛えられる、三昧が好き。

 
 朝6時。
 
 ジョッグ。

   
         再会・・・  『ラン師匠と私』
 
        ”ひょっとして?”   ”やはりMyラン師匠だ!”
         
     信号を渡るお姿を見つけて、すぐに、”My師匠だ!” と気づきました。
       
    私が足底の故障でマラソン大会にご一緒できなくなっていたので・・・
          再会は、2年ぶりにもなるのだろか? 
        又、ご一緒できるだろうか? 嬉しい!嬉しい!

         ラン師匠との再会で、一日中、
     師匠への感謝の気持ちいっぱいで、心がほっこりでした。  


午後5時45分。
 大相撲。

     アスリート魂発揮・・・  『14勝1敗・6度目優勝』
    
            『横綱白鵬を寄り切った横綱鶴竜』
      
  単独トップの1敗で千秋楽を迎え、1差で追っていた横綱白鵬を寄り切りました。
           6度目の優勝。
  横綱在位32場所目。 幕内出場1000回の節目の日に、自身の令和初優勝を決めた。

          ”ひと味違った優勝でした。
    本当に場所前は最後にこういう形で終わると思えない状態だった。
     たくさんの人に支えられていい成績を残すことができた。
  ここ3年、名古屋では途中休場で名古屋の皆さんに申し訳ない気持ちだった。
      名古屋の皆様に いい報告ができて最高です。”
       『勇者・鶴竜の優勝インタビュー』


         尋常でない努力・練習の結果が、1分ほどの体当たりで決まる。
  その厳しさ、潔さ、は学ぶところが多く、私は大相撲が大好きなのです。

 

夜8時半。
野球観戦。

  孫息子は夏休み突入で・・・  『西部ライオンズ戦 球場観戦』
    
       『西武 10 対 3 オリックス』

         勝利で・・・子供たちに御褒美。
  ピッチに入って、友達のお父様にバッティング・コーチ?をする孫息子です。

       只今、野球に夢中の孫息子。
  学校昼休みは、お弁当を食べる時間も削って、野球試合をする孫息子です。

        
         孫息子よ! 燃えろ!燃えろ!
    若者が一つ事に、全身全霊、その姿が好き。尊くて涙が出る私です。

 

そして。

今日は7月21日。年間第十六主日。

    今日は、信仰の祖・アブラハムとその妻・サラの後半生です。


『今日の第一朗読 アブラハム夫妻を訪ねる三人の天使

  
  『その日、主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。

   暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。
  
目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。

  アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った。

  「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。
水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。

 何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。
     せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから。」


    その人たちは言った。 「では、お言葉どおりにしましょう。」

   アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。

  「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」


    
アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、

  柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。
  
アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。

  
   『アブラハムと三人の天使』              シャガール作品

    
     そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした。

  
  『アブラハムと三人の天使』                レンブラント作品

 
         彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」
   
      「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、
 


         彼らの一人が言った。

      「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、
そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」』
                        創世記 18章1-10節


『創世記』は続きます。


   『その三人はそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。
     アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。

   主は言われた。

  「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があるだろうか。

アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。』
                         
創世記 18章16-18節
                         

 

   『神の救いの計画』が、アブラハムの選びによって始まるのです。

         『神の約束の第一歩』    
  神はアブラハムを召し出し、彼とその子孫に特別な導きと祝福を与えるのです。
    『アブラハムの子孫』 は 『選民・特別に選ばれた民』と呼ばれ、      
     その子孫から生まれるキリストを通して全人類は救われるのです。


       選ばれたアブラハムは、神一筋、神三昧。
     その信仰が、アブラハムを『信仰の父』に育てたのです。


『主の言葉』は続きます。


       『わたしがアブラハムを選んだのは、
アブラハムが息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うように命じ、
  主が、アブラハムに約束したことを成就するためである。』
           創世記 18章19節


  神は、選んだアブラハムに『約束』を与え、『契約』を結ぶのです。

         『契約』は、両者間の約束です
  ①神の側の約束アブラハムの子孫に、神が共に住む、土地を与える。
               この約束された土地は、
             イエスキリストがもたらす『神の国』の前表でもあります。
            アブラハムの子孫を増やす。
               アブラハムの子孫は大きな民になり、
              新しい民となり、キリストの教会として発展するのです。

   ②アブラハムの側の約束神の約束を信じて、忠実に従い、
                     神の前を歩むのです。

 

聖書は、続きます。

        
      『三人の天使の約束の子・イサクの誕生』です。

  『サラは身ごもり、
 
       年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。』
              創世記 21章2節

 ここから・・・

    アブラハムの子孫、キリストまで続く、『神の民』が育っていくのです。
    

     アブラハムと正妻サラ との間に イサクが産まれます。
          イサクから
    ユダヤ教が生まれ、 40代目がキリスト教の開祖イエス様です。

     
 ②アブラハムと正妻サラの女奴隷のハガル との間に イシュマエルが産まれます。
          イシュマエルから
     イスラム教のアラブ人へとつながるのです。

   
       正に、
   主が言われたとおりに、
『アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る』のです。
     それは。
 唯一で絶対、完全で聖なる神が、万物を主宰しておられるということでもあります。

   
      私たち・キリスト者は、
         アブラハムの子孫なのです。 
    イエス・キリストと、霊的につながる、兄弟なのです。
                  嬉しいですね。

 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『善い心で神のことばを聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人は幸い。』アレルヤ、アレルヤ。
               ルカ福音書 8章15節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
学生たちは夏休みです。すべての学生の夏休みが無事で実りありますようにと祈ります。 お元気で!

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伊勢 海老せんべい・・・『聖書100週間』 そして 『神はダビデの国の祈りにこたえられた。』

2019-07-19 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 7月19日。年間第十五金曜日。雨時々曇り。


     聖書100週間・・・   『コーヒーブレイク』
 
        『聖書』  と   『伊勢 海老せんべい』

 今日の『お茶菓子』は、仲間の伊勢神宮参りの『お土産・海老せんべい』でした。
        
     仲間がお持ち下さる色々各地の美味しい『お土産菓子』が、
      聖書の『御言葉』で満杯となった頭を、ほぐしてくれる。
          おいしさに、心がなごみ、
        楽しい旅行話に、笑い顔があふれます。

          仲間っていいな!
      聖書もいいな! お土産菓子もうれしいな! 
                          今日も 感謝!感謝!

 

そこで。


     今日の通読範囲は、『サムエル記下 13章~24章』

         イスラエル二代目王・ダビデ。
   ダビデ王の、神への謙遜、従順、献身、そして祈り、を学びました。

        
      『詩編を祈るダビデ王』
   
                        フラ・アンジェリコ作品。


ダビデの治世。
事件が一つ起こりました。

      『ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。
          ダビデは主に託宣を求めた。

      主は言われた。
     ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある。」

        ダビデ王はギブオン人を招いて言った。
       「あなたたちに何をしたらいいだろうか。」

     
      ギブオン人はダビデ王に答えた。
          「わたしたちを滅ぼし尽くし、
   わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、
        あの男サウルの子孫の中から七人を私たちに渡してください。
       サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらしものにします。」

      
       ダビデ王は、(神の言われるとおりに)「引き渡そう」と言った。

    ギブオンの人々は彼らを山で主の御前にさらした。七人は一度に処刑された。』

 

   ダビデ王は、事を起こす前に、必ず、『主の託宣』を祈り求めました。

  ダビデは、自分の考えではなく、主の託宣によって、自分の行動を決めたのです。
       そんなダビデに。
   『主は、ダビデと共におられ』サムエル上18-12、ダビデの力となられたのです。
   『主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた。』サムエル下8-6、のです。
  

 ギブオン人がサウル一族の7人を処刑後。

    『ダビデ王は、
 ぺリシテ人が、処刑してさらし者にした、
     イスラエル第一代王・サウルとその子ヨナタンの骨を引き取りました。
         更に。
 ギブオン人が、山で処刑してさらし者にした、サウル家一族の七人の骨を引き取ります。

       
     ダビデは、サウル王とその子ヨナタンとサウル一族七人の骨を共に、
           サウルの父キッシュの墓に葬った。

         人々はダビデ王の命令をすべて果たした。

       この後、神はこの国の祈りにこたえられた。』
                以上。サムエル記下 21章1-14節


  神は、ダビデの神を畏れる態度を見て、ダビデの国を飢饉から救ったのです。
ダビデ王は、いつも、神に謙遜で従順で、『神が油注がれた者』を畏れ敬いました。

   
      ダビデ王は、
自分を殺害しようとしたサウル王を、決して恨むことなく、あくまで 畏れ敬いました。
     かえって。
そんなサウル王の息子ヨナタンと『契約』を結び、サウル家が滅びることのないようにしたのです。


     神は、
ダビデが、サウル王やその息子や一族の7人を、その祖先の墓に丁重に葬ったのを良しとされたのでしょう、
     『ダビデの国の民の祈りにこたえられた。』のです。

 

     ダビデの生涯は、争いに明け暮れる、苦しみの人生でした。


  ダビデは、兵士ウリアを殺させ、その妻バト・シェバを奪う、大罪を犯しました。
       『そのとき、イスラエルの神、主はこう言われた。
      「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。
      それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。」』


  『主の御言葉』通りに、ダビデの生涯、剣・戦いが去ることはありませんでした。

          

  ★サウル王に、家臣として素晴らしい働きをするが、命を狙われるダビデの運命でした。
     更に。

★息子のアブサロムにも、もう一人の息子を殺された上に、命を狙われるダビデの運命でした。

    そんな中・・・  

      ダビデが息子アブサロムと和解するときもありました。
    
       『ダビデとアブサロムの和解』   レンブラント作品  

  しかし。       

  当初、息子アブブサロムの反乱は成功するかにみえたが、
      兵を集めた父ダビデは反撃に転じ、息子アブサロムが死を迎えるのです。

 



ダビデの治世。
もう一つ。
ダビデの信仰を試す、事件が起こります。


  『主は、「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた。』のです。
                     命令ではなく、誘い試されたのです。


   以前。  主はダビデに『約束』をなさいました。

         『主がダビデのために家を興す。
 ダビデから出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。』サムエル記下 7章12節  

       
        ダビデや民たちの王は、神ご自身です。

 『人口調査』は、神への信頼が揺らいでいる行為であり、許されるものではありません。


   しかし・・・
   ダビデは、『神の誘い・試し』に乗って、『人口調査』を実施してしまいます。
     その罪の代償が、国民の上に『疫病』として、主からもたらされます。

   七万人が疫病に死んだとき・・・
   ダビデは神に祈ります。

  『ご覧ください、罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。
      この国民が何をしたのでしょうか。
     どうか御手がわたしとわたしの家にくだりますように。』

   
   ダビデは祈った日・・・

   ガドの告げるままに、祭壇を築きます。

     『「民から疫病を除きたい」と、主のために祭壇を築き、
            焼き尽くす捧げ物と和解の捧げ物をささげた。

        主はこの国のために祈りにこたえられ、
        イスラエルに下った疫病はやんだ。』  のです。 

 

    神は、ダビデの神を畏れる態度を見て、ダビデの国を疫病から救ったのです。
   ダビデ王は、いつも、神に謙遜で従順で、『神の意向』を畏れ敬いました。

 
        ダビデの生涯は、
      自分の罪を認めて、回心して、常に、神に謙遜、従順、でした。
        神に油注がれ、選ばれ、守られた、のでした。


                                                  以上。私の今日の通読範囲の感想の一部でした。お粗末様でした。


  私たちも、ダビデのように謙遜で、お人の平安のために役立ちたいものですね。

 

そして。

『今日の叙唱』

『聖なる父、全能永遠の神、
 あなたは唯一のまことの神、初めもなく終わりもなく、すべてを超えて光り輝く方。
      あふれる愛、命の泉、万物の造り主。』

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
冷夏や大雨が、所々で起こっています。お気をつけ下さい。穏やかな週末をお祈りします。
                    お元気で!

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