マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

大河ドラマ・『青天を衝け』・・・『徳川家康です』 そして 『イエスは荒れ野で、四十日間、サタンから誘惑を受けられた。』

2021-02-21 20:00:00 | 大河ドラマ。テレビ。ラジオ。新聞。映画。
2月21日。日曜日。晴れ。

日曜日の楽しみの一つは
歴史好きの私には
『大河ドラマ』です。
ドラマの作者が
私たちの良く知る歴史上の人物を
どの角度から、どのような人間として、
描き出されるのかが、とても楽しみです。
なるほどね!と、
私の中で人物像が膨らんでいくのも、とても楽しいのです。


               『青天を衝け』

      『徳川家康です』                 『徳川家康 遺訓』

        『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
  不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
           堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
        勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
             おのれを責めて人をせむるな。
            及ばざるは過ぎたるよりまされり。』


    
     今回の大河ドラマは、毎回、 『徳川家康です』の『言葉』 で始まりますね。
             私の父の書いた『徳川家康 遺訓』
            我が家の和室の床の間に掛けてあります。


    今回の大河ドラマでは、家康様のお陰で、亡き父のことが思い出されます。
    私の父は生粋の関東人で、『巨人・大鵬・卵焼・そして 家康』 でしたから
          家康様と私の父が、私には重なるのでしょう。

   晩年の父が、『人の一生は・・・』と筆で書く時、何を考えていたのでしょうか?
         そんな話をしておけば良かった。
     『家康の遺訓』を書いた頃の父と今の私、年が同じになりました。
         
       年は同じでも、父と私の成熟度は、比べものになりません。
 『徳川家康・遺訓』を『掛け軸』にするほどに、その精神を生きた父だったのでしょう。
       父と母の教えがあっての今の私です。 親を乗り越えるのは至難の業です。
            父母の成熟度に到達が、私の一生をもっての挑戦課題です。



『急ぐべからず。不自由を常と思え。いかりは敵。負くること知れ。人をせむるな。及ばざるがまされり。』
     今日も、『父の家康の遺訓』を読みながら、襟を正した次第です。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月21日。四旬節第一主日。

『今日の入祭唱』

  『彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、
 苦難の襲うとき、彼とともにいて助け、彼に名誉を与えよう。
  生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。』

        詩編  91章15&16節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 〝霊〟は イエスを荒れ野に送り出した。
 
          『キリストの誘惑』

      イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
  その間、
   野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

   ヨハネが捕らえられた後、 イエスはガリラヤへ行き、
        神の福音を宣べ伝えて、
  「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
                 と言われた。』

         マルコ福音書 1章12-15節


    イエスの生涯において、 洗礼者ヨハネを欠かすことはできません。
    
         『鶸(ひわ)の聖母』
     幼児として描かれた洗礼者ヨハネはイエスよりも六か月年長です。ラファエロ作品  

    主イエスが人々の前に現れて救い主としての働きを始める前に、
      洗礼者ヨハネが『先駆者』としての働きをしました。

    『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。
       わたしよりも先におられたからである』

        と、ヨハネは言って、救い主の現れを予告しました。
          ヨハネ福音書 1-15

   又。

    ヨハネは、 「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」 を宣べ伝えていました。
イエスは、宣教活動を始める前に、まずヨハネのもとにやって来て、ヨハネから洗礼を受けられたのです。

       イエスは、洗礼を受けられた後、“霊”によって、荒れ野へと送り出され、
        荒れ野の厳しい状況の中で、サタンの霊的な誘惑の力にさらされ、
         また野獣に象徴される身体と命の危険に囲まれて、
            同時に、神の力に囲まれて、
            40日を過ごされたのです。
 

      イエスは、大祭司であられ、
   『わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。』

             ヘブライ人への手紙 4章15節


    洗礼者ヨハネは、『民衆に福音を告げ知らせた。
   ところで、領主ヘロデは自分の行った悪事について、ヨハネに責められたので、
          ヨハネを牢に閉じ込めた。』 ルカ福音書 3章18-20節 のです。

      イエス様も、荒れ野での『試練』の後に、
        『”霊”の力に満ちてガリラヤに帰られ』 ルカ4-14
             ガリラヤで伝道を始められたのです。
   
私たちも、
人生において、
イエスが悪魔の誘惑を受けられたように、
神に服従しようと生き始めたそのときから、
周囲からのさまざまな力が脅威として
襲いかかってくることがあります。
そんな時、
霊と天使たちによって、主イエスを守ってくださったように、
神は、わたしたちを守ってくださるお方です。
主を信じて、日々、信仰に生きていきたいものですね。

                
『今日の叙唱』

  『主キリストは四十日の断食によって、
 四旬節の務めを行うわたしたちに模範を示されました。
    悪霊のいざないを退けられた主は、
 わたしたちが罪の力に打ち勝ち、復活の喜びを迎えるように導かれます。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も皆様の日々が穏やかでありますように。