マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

備えあれば憂いなし  そして  『キリストの日に備えなさい。』

2014-09-30 22:54:42 | 登山・ハイキング
山女の私。
2ヶ月前の同じ日に御嶽山山頂に立っていたことを、噴火当日に書きました
御嶽山山頂あたりの様子や道が 手に取るように分かるので、
    テレビに流されるNewsを我が事のように胸を痛めながら、目が離せないでいます。

夫も同様です。
夫は山には登りません。 いつも私を送り出してくれる立場です。
「僕が、家族の一人で山のふもとに駆けつけていたかもしれない。」と、人事でない思いで、Newsを見ています。
「こんなに身近に感じる恐ろしさを見ても、まだ山に登るの?」 と、夫は聞きます。

今のところ。
”又山に登る!” と考えるだけで・・・恐ろしさで、体が硬くなって緊張します。 この反応には我ながら驚いています。
      ”ついさっきあの頂上に立っていたのだ!” と。
  大きな恐ろしさが、テレビに何回も何回も繰り返される頂上の姿を見る度に、襲ってきます。

    登山ベテランのアドバイスが、テレビから流れてきます。
無慈悲に降り注ぐ火山弾から頭を守るためには、『ヘルメット』
そして。 積もった火山灰の中を歩くためには、『2本のストック』。 を準備しましょう。 と。

    私のいつもの 『常備品』 は
ストック1本。 完全防水の雨具。 携帯用特殊毛布(遭難時用。7cm四方ほどの大きさで普通の毛布の2~3倍の保温力があります)。 ヘッドライト(換え電池も2個)。 熊よけ鈴。 遭難時のための笛(小さいのに非常に大きな音が出る)。 万能ナイフ(遭難時。草や実を食べる)。 三角巾(骨折時のため)。

早速に加えました。   『ヘルメット & ストックをもう一本』

常備品だけでは、『備えあれば憂いなし』 とはいかない。  
    常備品。 事前訓練。 強い心と覚悟。 以上の3つ。
                『備えなくして登山はなし』 と、思い知らされました。

私が、再び高山に登れる日は くるのだろうか?
私が、恐ろしさを乗り越えて、登山を再開できる日は いつだろうか? 来るのだろうか?


ここで。   
  いまだに山に残る方々が、一日も早く下山できますようにと、お祈り申し上げます。
    又
  過酷な状態の中、救援活動をなさっている方々が、決して事故のないようにとも、お祈り申し上げます。


そして。
聖書も語ります。
      『備えあれば憂いなし』 と。

   たとえ今の暮らしが平穏であっても、人生には何が起こるか分からない。
                      ・・・と。コヘレトは備えを呼びかけます。

   『長生きし、喜びに満ちているときにも
  暗い日々も多くあろうことを忘れないように。』
                          コヘレトの言葉 11章8節


     青年時代は、まさにそうした『備えの時期』です。
やがて訪れる困難や苦しみに耐える力を養う時期。 といえるかもしれません。

      では・・・備えの時期に、何を備えるのか?

コヘレトは答えます。
   『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
       苦しみの日々が来ないうちに。
 「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
     太陽が闇に変わらないうちに。
       月や星の光がうせないうちに。
    雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。』
                       コヘレトの言葉 12章1&2節

    そして。
      いつの日か・・・『その時』 が必ず来ます。 と。


   『何事にも時がある。
  生まれる時、死ぬ時。
  保つ時、放つ時。 黙する時、語る時。』 
                    コヘレトの言葉 3章1&2&6&7節

           
      最後には・・・
  私たち一人一人が、それぞれに、準備しなくてはならない 『備え』 があります。
      聖書は、
 『終わりの日にキリストに会うための備えをしなさい。』 と教えています。


    『わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。
    そして、
キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、
    イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、
  神の栄光と誉とをたたえることができるように。』
                         フィリピへの手紙 1章9~11節

以上。
山の恐ろしさに肝を冷やし、驚き恐ろしく、改めて…自然を畏れかしこまっている私の報告でした。
         『備えあれば憂いなし』 と。 考えさせられています。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
何事にも備えが大事ですね。 いろいろの目標に向かって・・・楽しい備えの日々でありますように!
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減らないろうそく。  そして  『いちじくの木の下にいるのを見た』

2014-09-29 20:32:03 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
こちらの世界とあちらの世界をつなぐ   『ろうそくの火』

NHK。心の時代。 リクエストに答えて再放送の録画。
    『末法の世を生きる』  今日観ました 拝聴しました。
作家・高 史明 が語ります。
    「信仰と生活は一体でなければならない。」 と。

  仏法を分かる。 あるいは 分からない。 とは。
   活字の上で、分けるのではなく  あるいは 分かるということではなく・・・
     それは
   物事を理解するというよりは・・・
『自然に手を合わせる。』  合わせざるをえない。 という動作があって
  初めて、『分かる』という暗がりが、『分かる』となる。  のではないか? 

                                                             
その一つの例が語られました。

    『減らないろうそく』(←私の命名です)

今でも、日本海側の深い村、周りの自然と共に生きている村がある。
人は種を蒔いて育てて生きる。 人間の生き方の原点がある。
  そこを訪ねた時に出会った 『おばあさんの話』 です。

      そこは・・・
 寺と神社。そして民家。 隣同士。 当たり前に存在する。
    家に鍵をかけることもしない。 開けたまま農作業に出る。
 家族の『月忌参り』(がっきまいり。月命日のお参り) を大切にしている。
    ばあさんは、坊さんが来る時間は、畑にいる。 家は空っぽ。
  若い坊さんは、勝手に家に入り、『月忌参り』 をすませる。

      ということは・・・
 ばあさんも若い坊さんも、家族の月命日をちゃんと覚えている。 
                ちゃんとお参りをする。 ということです。

 若い坊さんは、お参りの帰路に、農作業中のばあさんに声をかける。
      『参っといたよ~!』 と。
 ばあさんは、帰ってみて、『事実』 に気がつくのです。
      『坊さんは、お経を短くへし折ったな!!』 と。

   後日に・・・
若い坊さんが聞きます。 『どうして、お経をへし折ったことが 分かったの?』 と。
ばあさんは答えます。『仏壇のろうそくが、朝の私の祈りの時から比べて、減っていなかったのじゃ。
              ちゃんと祈っていれば、火を消す時は、ろうそくはもっと減っているはずじゃよ!』 と。

  祈りと信仰が生活とつながっている世界。
      それが・・
  『分かった!』 ということです。

ばあさんの 『日々の信仰生活』 が・・・坊さんの信仰を 『本物の信仰』 へと育てます。 
                そして 村の若者の信仰を育てるのです。

そんないろいろ。 
 録画で拝聴しました。 その中の 『一つ』 を皆様に分かち合いました。 
                           ありがとうございました

そして。
今日は9月29日。月曜日。
                  『今日の御言葉』
『イエスは、
ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。
「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」
 ナタナエルが、
「どうしてわたしを知っておられるのですか」 と言うと、
 イエスは答えて、
「わたしは、あなたがフィリッポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。

    ナタナエルは答えた。
「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」
    イエスは答えて言われた。
「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。」』
                           ヨハネ福音書 1章47~49節

     イエスも、
東北のばあさんが、若いお坊さんの信仰を、理論でではなく、日々の生活の中で育てるように・・・
   ナタナエルの偽りのない信仰を、
日々の生活のシーンの 『イエスの一言』が・・・『本物の信仰』 へと育て上げました。
    「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と。 ナタナエルは本物の信仰へ導かれました!


  『分かる』 とは・・・
  理屈ではなく。 『思わず手を合わせる』 こと。 体で分かることなのですね!


こちらは。
9月28日。日曜日。  
  『孫娘と仲間のサッカー・エスコートキッズ・デビュー』

キッズたちも。  言葉ではなく・・・
               体で喜びを表現しました
孫娘は小野選手と手をつないだのかな?  楽しかったね!       
                於:松本平広域公園球技場アルウィン

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
   皆様も、夢ある楽しい一日をお過ごしください!
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幼児洗礼式  そして  『後で考え直して出かけた。』

2014-09-28 11:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
普通預金今日は9月28日。日曜日。主日です。
   ミサの中で、一人の赤ちゃんの 『幼児洗礼式』 がありました。

司式司祭の祈り。
『いつくしみ深い神よ、
わたしたちの家族を、互いの愛と助け合いによって、一致させてください。
今日洗礼を受けたこのお子さんが、
     家庭の中で、神と人々に対する愛に成長しますように。』


  赤ちゃんは
      家庭の中で、
  両親の後姿を見ながら、成長します。 子は親の価値観を受け継ぎます。 そっくりです。 
    姿もしゃべり方も、声までも そっくりになりますよね。 『親子は瓜二つ』
           親の責任の重さを感じます。  子は親の鏡です。

                             
イエスも洗礼を受けました。

      『イエスの洗礼』

                                   ヴェロッキオ作品。
『イエスが、がリラヤからヨルダン川の ヨハネのところへ来られた。
  彼から洗礼を受けるためである。
      ところが、
ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った
 「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、
  あなたがわたしのところへ来られたのですか。』
       しかし、
 イエスはお答えになった。
「今は、止めないでほしい。 
  正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」
                        マタイ福音書 3章13~15節


  イエスは
民に、神の到来を準備するために、『悔い改めの洗礼』を授けていたヨハネ のところへ行きます。
    ヨハネは、
イエスの洗礼を、自分の考えで、思いとどまらせようとします。
    イエスは答えます。
「あなたがしている 『悔い改めの洗礼』=『正しいこと』 をすべて行うこのは、我々にふさわしいことです。」 と。15節。
 
  ヨハネは、
『そこで、イエスの言われるとおりにした。』 15節。
                 ヨハネは自分の考えに固執することなく、イエスの言うとおりにしました。
  イエスも、
先駆者ヨハネの『悔い改めの洗礼』の勧めに、自分の身に固執することなく素直に従ったのです。


つまり。
こういうことです。
             『今日の第二朗読』
 『キリストは、
    神の身分でありながら、
神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、
    僕の身分になり、
  人間と同じ者になられました。
    へりくだって
死にいたるまで、それも十字架の死にいたるまで従順でした。
                      フィリピへの手紙 2章6~8節

  イエス・キリストは、
 自分の身分や考えに固執することなく、
生涯、『長上者の意見に従順の生き方』 を貫きました。
           生涯、『神に従順の生き方』 を貫きました。
              
    その結果。
『このために、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をおあたえになりました。』 9節


    私たちも、
キリストの、生涯を貫いた、『長上者の意見に従順の生き方』 を模範とせねばなりません。
   自分を無にして、、『神の御旨に従って生きる』。 
              これこそが 『人生の極意』です! 保障します!


そして。
もう一段深めて。
            『今日・主日の御言葉』
『イエスは言われた。
「あなたたちはどう思うか。
 ある人に息子が二人いたが、
   彼は兄のところへ行き、
『子よ、今日、ぶどう園に行って働きなさい』と言った。
   兄は
『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
                         マタイ福音書 21章28&29節

   兄も、
 一度は、『いやです!』と、洗者ヨハネのように、自分の考えを押し出します。
   しかし・・・
 後で考え直して
父親(御父・神)の言うとおりに、イエスの神の考えに忠実な生き方同様に・・・ぶどう園に働きに出かけました。

   人は、
 自分の考えに固執せず、一度は固執しても、
 後で考え直して、長上(父親)の考えに従う。 大切なことです。

  キリストに倣って、
 自分の考えから開放されてこそ
    初めて、
 『真理』 が見えてくるのでしょう!
      
  キリストに学ぶ、『人生の生き方の極意』 です。
           『後で考え直して・・・。』 が、キーポイントです!

以上。
今日の主日ミサから、学んだことでした。  お粗末さまでした

夕食。
    「今晩は、秋深く、今秋最初のおでんはどう?」
長上(夫)の考えに従って・・・
実行です。    『極意の生き方』

学びも一歩一歩です。                    スペインワインもおいしい

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
孫娘家族は、『松本山雅』の強力なサポーターです。 ホームは勿論。アウェイにも駆けつけます。
    今日はホーム。 孫娘は、選ばれて、『エスコートキッズ』 ですって!
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御嶽山噴火。命拾い。  そして  『青年の日々に創造主に心を留めよ。』

2014-09-27 21:42:32 | 登山・ハイキング
9月27日。土曜日。午前11時50分ころ。
        『御嶽山 噴火』

                                      NHK Newsより。
Newsで。
    震えが、私の体を走った。


2ヶ月前の今日。午前5時。 
   私は、あの美しい御嶽山の頂上に、                
              『仲間と立っていた』

                                

あの日は・・・    美しかった御嶽山

                                   楽しかった。 『木曽御嶽山登山』

今は・・・  大量の火山灰に覆われ、無残な姿をさらしている。

ヘリコプターに搭乗して上空から見えたのは、
     『あらゆる色を失った想像を絶する世界だった。』   とのことです。

考える度・・・
    ”私が巻き込まれていたかもしれない。” と。 震えが、私の体を走しる。

2ヶ月前の今日。朝4時。
    御嶽山霊山の 沢山の信仰者の皆様と
        『御嶽山 頂上』       


頂上で。  登山仲間と眺めた     『ご来光』


  頂上から眺めた・・・    『連山』


こんな景色も見えました。
    日本一深い・・・   『二の池』


    今は。
   全てが・・・灰の下。
    噴火が2ヶ月前の今日なら。
         私の命は吹っ飛んでいた。


実感しています。
         『私は命拾いをした。』
                          心より感謝です

  今日。
 不幸にも、お亡くなりになった登山者の方々の御冥福をお祈り申しあげます。
  今も。
 山に残る登山者の皆様の一時も早い無事の下山をお祈り申しあげます。


そして。
           『今日の御言葉』

『若者よ、
お前の若さを喜ぶがよい。
青年時代を楽しく過ごせ。
心にかなう道を、目に映るところに従って行け。

知っておくがよい。
神はそれらすべてについて お前を裁きの座に連れて行かれると。

青春の日々にこそ、お前の創造主を心に留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
太陽が闇に変わらないうちに。
月や星の光がうせないうちに。
雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。』
                  コヘレトの言葉 11章9節~12章1&2節

  若さも青春も一瞬。
   『なんと空しいことか、とコヘレトは言う。 すべては空しい、と。』 8節。

  若さも青春も一瞬。 
   それでも。それだからこそ。なんといとおしいことか。 と私は思います。

  若さも青春も一瞬。
   だからこそ。
   『青春の日々にこそ、お前の創造主を心に留めよ。』 と。神もコヘレトも私も勧めます。

  その輝きを永遠に失うことのない唯一は 
             『創造主の輝き』

    若者よ、
   お前の若さ輝きその日々を喜ぶがよい。 そして 『青春の日々にこそお前の創造主を心に留めよ。』

  そして。
    年を重ねる日々。  
   創造主との日々。 これ以上の楽しみと喜びはない。 と私は保証します!

皆様!
御訪問に心より感謝申し上げます。
明日は日曜日。 皆様の一瞬に終える一日が、輝く一日でありますように!
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魔の高速道路&ティファニーカップ&花金  そして  『イエスは喜びにあふれた』

2014-09-26 23:57:50 | 私のこと
今日は金曜日。
いつものように、一日中忙しい。

午前中。

今日も又・・・。    『魔の高速道路』

前方はるか。動かない車が続く。                
                        事故で、延々30分。だらだらと。
『60km制限』の標識を見ながら・・・ 
                    皆が標識を無視して100kmほど出す、出やすい高速道路。
 週一回通う道。 必ず毎週、事故がある。 
                    どこまでもまっすぐに一直線。 『魔の高速道路』です。

そして。
        午前中のミサの 『御言葉』

  『何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時。
 植える時、植えたものを抜く時。
殺す時、癒す時。 破壊する時、建てる時。
   泣く時、笑う時。
嘆く時、踊る時。 石を放つ時、石を集める時。
   戦いの時、平和の時。

神はすべてを時宜にかなうように造り、
   また、
永遠を思う心を人に与えられる。
   それでもなお、
神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。』
                        コヘレトの言葉 3章1~11節

     交通事故も『定められた時』?
         いえいえ。そんなことはない。単なる不注意です。 ですよね?

   コヘレトは、
すべての時に、『相対の時』 が在るという。
 生まれる時には死ぬ時。 泣く時には笑う時。 戦いの時には平和の時。
   一つ事には、必ず、他事が在る。
  物事は、必ず、他との関係において在るもの。 ということだろうか?
     それは、一種の救いではなかろうか? と考えてみたり・・・。

そして。
午後。

今日も又・・・。    『聖書通読会・聖書100週間』   

Myコップ持参で・・・     『Tea break』       最後に一休憩。
   今日のスナックは『旅の土産』。         皆がおいしい土産に喜ぶ。


そして。
        午後の勉強の 『御言葉』

 『イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。
    「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」
    それから、
イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。
 「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。」』
                       ルカ福音書 10章21&23節

   イエスが喜ばれる!
天地の父は、救いの真実を、幼子のように無垢な弟子たちにお示しになった! と。喜ばれます。
   私たちも、イエスを喜ばましょう!
幼子のような、純粋な一途の信仰心で!

そして。
夜。

今日も又・・・。        『花金』

  『隣人を自分のように愛しなさい。』
                ルカ福音書 10章27節
『律法の専門家は自分を正当化しようとして、言った。
  「では、わたしの隣人とはだれですか」』 29節。

   私の夫は言った。
 「隣人とは君だよ!」
    夫は、私を喜ばしました!

以上。
今日も一日。あれやこれやと元気に。 感謝!感謝!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人に喜ばれると嬉しいですよね。 やさしい一言で、一番身近な家族を、喜ばせちゃいましょう!
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『思い悩むな。恐れるな。』

2014-09-25 23:22:34 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
     『栄華を極めたソロモンでさえ、
 この花の一つほどにも着飾っていなかった。』

 『まして、あなたがたにはなおさらのことである。』
                           ルカ福音書 12章27節
清楚に。 『食卓の白一色の花々』 美しい。

今日は一日中。
 明日の聖書通読会・『聖書100週間』の予習です。

予習の中の   
         『御言葉』

『イエスは弟子たちに言われた。
「言っておく。
命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな
     烏のことを考えてみなさい。
種を蒔かず、刈り入れもせず、納屋も小屋も持たない。
     だが、神は烏を養ってくださる。

思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
     こんなごく小さな事さえできないのに、
      なぜ、ほかの事まで思い悩むのか

野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。
    働きもせず紡ぎもしない。 
     しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。
今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。
         まして、
   あなたがたにはなおさらのことである。

     思い悩むな。恐れるな。
 あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

   自分の持ち物を売り払って施しなさい。
擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。』
                          ルカ福音書 12章22~34節

以上で。
どうか皆様にとって、明日一日が良い日でありますようにと願って・・・
     こんばんは ここでごめんくださいませ。  おやすみなさいませ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
秋深し。 ゆるぎなく信仰深く。愛深く。 趣味深く。喜び深く。 人生深くいきましょう!
    

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またもや村上春樹を6冊  そして  『旅には何も持って行ってはならない。』

2014-09-24 22:14:24 | 私のこと
またもや、買ってしまった。
そして
届きました。     『村上春樹ワールド 6冊』

相変わらず・・・『一冊一円也』

届いて・・・
動きません。何もしません。 ただ・・読んでいます
まずは一冊目。
    『A Wild Haruki Chase 世界は村上春樹をどう読むか

  中を開けば・・・
   まずは。 『一部』
 『なぜ世界は村上春樹を読むのか
   タイトルの 『どう読むか』 ではなく 『一部』では 『なぜ読むのか』 と。
        東大教授・3人 と 明治学院大学教授。 4人での対談です。

面白い。 なりほどね~と。

   というわけで。
 今日一日。 私は動かない。何もしない。  ただ・・読んでいます

  そして。
 続く 『二部』
      『本題』に入りまして・・・『村上春樹をどう読むか』。         
 17カ国23人の翻訳家、作家、研究家が、2006年3月25日・26日・29日の三日間、一堂に会し、
    村上春樹作品について、熱く語り合った。 その全記録です。
  『国際シンポジュウム&ワークショップ
       春樹をめぐる冒険ーーー世界は村上文学をどう読むか』
 その全記録です。
                              こちらもなるほどね~。と。 面白い。
   だいたい。
 東京大学。駒場。900番教室に、一人の日本人作家を熱く論じるために、17カ国からの要人を集めて、
                         ワークショップが開催されること自体に、興味がわく。

   そんなわけで。
 今日は一日中。読書の私です。 ここまでで、今日はおいとま致します  私は本の続きを読みますね。


今日は9月24日。水曜日。
           『今日の御言葉』

『イエスは十二人(弟子)を集め、
神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、次のように言われた。
   「旅には何も持って行ってはならない。
杖も袋もパンも金も持ってはならない。 下着も二枚は持ってはならない。
どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。」 』
                               ルカ福音書 9章1~4節

   この『御言葉』 に、私には、忘れられない思い出があります。
     それは・・・。 私は大学2年生の夏休み。 洗礼を受けて間近でした。 何十年も前です。

  友人を誘って、友人と二人で。 
 ”私はキリストの弟子になったのだから・・・『御言葉』を実行しましょう!” と。 
         思い立ちました。 燃えていました  若かった  良き時代でした

  北海道に渡り・・・
     南から北へ。  西から東へ。 と。
『杖も 袋も パンも 金も 下着も 持たないで・・・
    夕方になったら・・・どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立とう!』 と。

実行しました。
日中は自力で移動し、夕方には見も知らぬ教会を訪ねました。
     教会で宿を与えられ・・翌朝ミサ後に朝食=お腹に染み渡る味でした=を与えられました。頂きました。
                                               どこも勿論の無料でした。

  日曜日に、ミサに立ち寄った教会では・・・
5人のお子さんがいて、ミサには前日から家族全員で汽車に乗ってくるという、家族に出会いました。
  その家族に招待されて・・・汽車に乗って、家に行き、泊まりました。
    (後日。そのお子さんが東京に修学旅行に来た時には、東京で再会をしました

   出会う皆様は、やさしく、慈悲にあふれ、心温かい人ばかりでした。
                    一宿教会は泊めてくれませんでした。 当然です。 これが当たり前です。

 『純粋に、単純に、神を信じたい。御言葉を信じたい。 神を経験したい。』 と。 一途な私でした。
      今では、諸々の危険も多くなって、考えられない旅かもしれません。

             以上。
  忘れることなく、心の奥深くに残っている、極限の旅のような、『経験』話でした。 お粗末さまでした

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
本に時間を忘れても、お腹は減りますよね。 今日の夫の食事は悲惨でしたよ。 たまには、こんな日も良しですね!
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カトリック大阪大司教区  『大司教着座式』

2014-09-23 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
      『聖ペテロの司教座』

バチカン・サン・ピエトロ大聖堂 。     ベルニーニ作品


  イエスは弟子たちの前で宣言しました。
    『司教座』 の設定でした。

イエスは、
『岩』という意味を持つ名の、弟子の一人、ペテロに向かって、
       『司教座』 を宣言しました。

『あなたはペトロ。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。』
                                        マタイ福音書 16章18&19節
   ペテロは、
   カトリック教会 『初代司教』 となりました。


バチカン・サン・ピエトロ大聖堂 。
9世紀のもの。フランク王国のシャルル王が教皇庁に贈ったもの。 と推測されている
        『聖ペテロの司教座』             『父と子と聖霊』も力を与えます
  
神学の基礎を築いた『4人の博士たち』によって支えられています。      
聖アンブロシウス。聖アウグスティヌス。聖アタナシウス。聖クリソストス。


キリストによって、ペトロが 『初代司教』 に任命されて以来・・・
  綿々とつづいて。
2000年近くの年月が流れた今日。
2014年9月23日。火曜日。14時。 於:大阪明星学園。マリアンホール。

     カトリック大阪大司教区
  第8代・トマス・アクィナス・前田万葉 司教
      『大司教着座式』

                                                  『新大司教座』
始まります。

聖書が読まれます。
             『御言葉』

『兄弟たち、
   神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい。
   これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。』
                    ローマ信徒への手紙 12章1節

 続けて。
駐日ローマ法王庁・代理大使による

             『任命式』

司教は
カトリック教会の位階の一つ、ある教区を監督する聖務職のこと。 教皇に任命されます。

司教に任命される者は、
①堅固な信仰、品行、信心、司牧に対する熱意、英知、賢明及び人間的諸徳に優れ、かつ当該職務上適当な才能を有する者。
②世評の高い者。
③35歳以上の者。
④司祭叙階後、少なくとも5年を経過している者。
⑤使徒座認可の高等教育機関において聖書学、神学若しくは教会法の博士号又は少なくとも教授資格を授与されている者。又はそれらに精通している者。 
                  であること。 教会法より。


そして。
      『着座式』

まずは。
18年間の第七代・大阪大司教・レオ池長潤 司教 から    
                  『交代式』     

       新大司教・第八代・大阪大司教・トマス・アクィナス・前田万葉 司教 へ。

     『司教杖』
        引き継がれました。
    司教が祭式の時に手に持つ杖です。 『牧杖』 とも言う。
        司教の権能の象徴です。 
司牧者としてその教区の信徒を牧することを表すため、『羊飼いの杖』 に似せた形をしています。


そして。
    『着座』             そして         『新司教紋章』            
  
65歳です                                   三つの円
                           Fides(信仰)。Spes(希望)。Caritas(愛)。
                     大阪教区大司教の司牧範囲の 大阪府。兵庫県。和歌山県。 をも示します。

ここで。
もう一つ。
         『御言葉』

『イエスは、シモン・ペテロに、
   「沖にこぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
 シモンは、
   「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。
      しかし、
 お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
      そして、
猟師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。

     すると、
イエスは、シモンに言われた。
  「恐れることはない。
      今から後、あなたは人間をとる漁師になる。
    そこで、
彼らは船を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。』
                             ルカ福音書 5章1~11節

続けて。
新大司教の『説教』。  一部です。

『皆さん、ほんとうにありがとうございます。 どうぞよろしくお願いします。
私の名前は、前田万葉です。 この名前は、親から頂いた宝物の一つです。
もう一つの宝物があります。 祈りです。
神を意識することを、いつも教えられ、身につけました。

  ”なぜ?広島から私が大阪へ?”
これが、今回の祈りのスタートでした。
  不満。つぶやき。 でした。
祈りは、愚痴から始まって。。。。神と通じるものがありました。

  ”大阪へ広島から行く!”
私は広島で司教になって丸3年。 いろいろの学びと経験をしました。
土の中で、生命の蓄えの時が、私の短い広島の3年と考えるようになりました。
 新しい風を神様は望んだ。 と。 納得しました。 

       ペテロがイエスにに言った『言葉』。
     『お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』
 神学生になっても、神父になっても、
    『この言葉』 しかない。 と考えるようになりました。

    『御言葉』 は不思議です。
      縛られたように・・・断れない。

   今回も、祈りの内に・・・
    『拝受します。』 と。サインをいたしました。

 まいりました。  よろしくお願いいたします。』
                     以上。 説教(ご挨拶)の一部でした。


最後に。
        『共同祈願』

前田大司教の祈り。

 『救いの源である神よ、
あなたの導きに信頼して祈るわたしたちに勇気と力をおあたえください。
心をひとつにして神の国に使えることができますように。
  わたしたちの主イエス・キリストによって。』 

以上。
カトリック大阪大司教区  『大司教着座式』 の様子でした。
          ご一緒していただきまして ありがとうございました

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
家族を信頼する。友人を信頼する。そして 神を信頼する。 こんなに幸せな人生はありませんね!
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『万物はメタファー(たとえ)である。』 そして  『御言葉は道の光。キリストはたとえを用いて話した。』

2014-09-22 22:33:44 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
一気に読み終えました。
難解な村上春樹。     『海辺のカフカ 上下』

 『万物はメタファーである』 と。            たとえなのだ。と。

今回も難しい     『村上春樹ワールド』
 いつものように・・・
   『こっちの世界』 と 『あっちの世界』 が 同時進行します。 
両世界が並列に並ぶ、この世の世界。 それこそが、現実的で、当たり前の、この世の世界ではないのか? 
                             今回もそう思ってみたり・・・。

   村上春樹は、この小説で 『父の呪い』 をテーマとしながら・・・
    『万物はメタファーである』 と。 たとえなのだ。と。   
      『悪』は、顔を出すか?出さないか? 全員の中に住んでいる。 とも。
そして。
本の最後の言葉。
『やがて君は眠る。そして目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている。』
                   皆様! 難しいですよね。 解き明かしてまいりましょう!

難しくとも。
2年前。
舞台になりました。     『海辺のカフカ』

実現不可能だといわれる  『村上春樹の世界』。             
                           天才的な蜷川さんが、演出しました。
        主演・カフカに柳楽優弥さん。 
 佐伯さんには田中裕子さん。 大島さん役は長谷川博己さん。    
                               さすが。配役はイメージぴったりでしたね。
                                  
      村上春樹は、
 『万物はメタファーである。』 といいます。 メタファー(たとえ)であると。
      キリストは、
『弟子たちは、たとえはどんな意味か と尋ねた。
      イエスは言われた。
「あなたがた(弟子)には、神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。
      それは、
  『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」
                                   ルカ福音書 8章9&10節
                 
そこで。
今日は9月22日。月曜日。

     『ミサ入祭唱』
『あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯火。』
                                詩篇 119章105節
そして 
     『今日の御言葉』

  『キリストは、人々にたとえを用いてお話になった。
「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。
    入ってくる人に光が見えるように、燭台の上におく。
  隠れているもので、あらわにならないものはなく、
 秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。
        だから、どう聞くべきかに注意しなさい。』
                              ルカ福音書 8章16&17節

友人からの土産。     『イスラエルの銅の燭台』

 『隠れているもので、あらわにならないものはなく、
       秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。』

つまり。
イエスの 『灯火のたとえ』 は、こおいうことでしょうか?

    『灯火』 は 『イエスの御言葉』。 『イエス様』です。
燭台の上に置かれた 『灯火』 で周りが見えるようになります。
   『光』は、
ごまかしがきかない、全部あるがままで、見えてきます。
   『御言葉』は、
『隠れているものは、あらわに。 秘められたものは、公に。』 するのです。

  困ったな~!
 キリストに、私のありがままを見られるのは、恥ずかしいな~!
  確かに。
イエス様である『灯火』=『イエスの御言葉』に目を向けると、私自身も、私の誤りや至らなさが、はっきり見えてきますよね。

   『だから、どう聞くべきかに注意しなさい。』 と。キリストは言うのです。
 『キリストの御言葉』 を聞く。その聞き方ですね。 これが大事なんですね。

   自分の周りを明るくしたければ・・・
   自分のあるがままを見られても恥ずかしくないためには・・・
   自らを清くありたければ・・・
 イエス様の 『灯火』 に目を留めながら歩むことが大切です。

   『あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯火。』
                              詩篇 119章105節

  『灯火』に目を留めて、『御言葉』を聞いて、
    信仰心を養う。
     そして
 私たちの信仰心も『灯火』となって・・・『お人の光』 となる!
                                   素敵ですね。

今晩は、『キリストのたとえ話』 で終わりです。
 『村上春樹のメタファー』 については、『海辺のカフカ』 をお読みください。 面白いですよ。
        そして、『村上春樹のたとえ話』 について、お気づきのことを教えてくださいね!

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
明日・9月23日は秋分の中日。 『祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日』として、1948年に法律で制定されたそうです。
皆様は、お墓参りでしょうか?  自分のルーツに感謝する一日でありますように!
                                足跡10736歩 お休みなさいませ。 
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Myホームドクターたち  そして  『忍耐して実を結ぶ人たち』

2014-09-20 20:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『Myホームドクターたち』
歩いて3分。ご一族で開業する3病院。 ご近所さんです。

今日の私のドクターは、姉の内科。    
待合室の楽しみ。 女医さんが活ける       
         『患者さんの向え花』

患者の心が癒されます。             女医先生の優しさが伝わります

幸いなことに、マラソン大会後に発症する諸々の回復に伺うだけの私。
   ところが今日。
毎朝のランニングの日焼け止めクリームを変えたから?
   顔面全体が赤くなった。 かゆさもある。

女医さんの言葉。
「よかったじゃない。これくらいで。 あなたの肌は敏感ね。 いつか治りますよ。」
私の願い。
”いつかでは困るんだよな~。 早くつるつるに治りたいの。”
    
     アレルギー対策の点滴となりました。
ベットで寝ながら点滴を受けました。
  ベット2つの私の部屋をはさんで。
右側は先生の診察部屋。 左側は看護婦さんによる事前診察部屋。
  寝ている私に、途切れることない、患者さんたちの様子が伝わります。

皆さんのお姿を見聞きし大いに反省する私です。
”よかったじゃない。これくらいで。いつか治りますよ。” そのとおりでした。 忍耐に欠けます。 
                      多くは望んでは ばちがあたります!
 
家に帰って。
私も活けました。
          『感謝の心花』   


ご近所の『Myドクターたち』
お姉さんの内科の前には、弟さんの『外科&整形外科』。
   弟さんにも、ランニングしすぎで故障。 時々、お世話になります。
そして。
弟さんの『外科&整形外科』 の隣は、弟さんの奥様の 『小児科』。
孫息子が一度お世話になりました。

   3姉弟たちの3病院。Myドクターたち。
 3兄弟ともに、本当に優しい。 心の優しさがにじみ出る3人です
   いつもいつも患者さんがいっぱい。 わかります。
  医療は、最終的には 『心』 ですものね。 

今日は9月20日。土曜日。
             『今日の御言葉』
イエスはたとえを用いてお話になった。
蒔く人が
種を蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
ほかの種は、
石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
ほかの種は、
の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
また、
ほかの種は良い土地に落ち、生え出で、百倍の実を結んだ。

   このたとえの意味はこうである。
    種は神の言葉である。

道端のものとは、
御言葉を聞くが、信じて救われないことがないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
石地のものとは、
御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
の中に落ちたのは、
御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
良い土地に落ちたのは、
立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。』
                                   ルカ福音書 8章4~15節

     今日も、病院には、たくさんの患者様たち
皆様は、すがるような心で医者の言葉を聞かれ、よく守り、忍耐され、回復の日を待っています。
           その忍耐するお姿に頭が下がります。
                 一日も早く治りますようにと、お祈り申し上げます

   種まき、水をやり、雑草を抜き、かかしを立てて、野菜を育てる農家の皆様たち
  蒔いた種も育った実も鳥に食べられます。  実った作物は、自然災害に、ゼロにされてしまいます。
でも・・・農家の人たちは失望はしません。 忍耐すれば・・・一粒の種が何倍にも増えることを 知っているのです。    
      忍耐すれば実を結ぶ。 信じることの大切さをご存知なのです!

      私たち、教会の信者はどうでしょうか?
   『神の御言葉』を、本当に信じていますか? 『御言葉の力』を、本当に信じていますか?
何事があっても・・・。 『御言葉』を蒔いていきましょう! 伝えていきましょう!  それが大切です!
       どこで? いつ? 『御言葉』が芽を出すことは・・・神に任せましょう!
    『御言葉』を信じましょう!  忍耐して実を結びましょう!

    『わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。』
                             コリントへの手紙Ⅰ 3章6節

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
土曜日。日曜日、火曜日。と3休日です。 素敵な休日でありますように!
                                足跡4073歩 お休みなさいませ。  
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