マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

2019年夏の終わり・・・『ワイン16本』 そして 『互いに愛し合いなさい。』・・・『新しい掟』

2019-08-31 05:11:52 | 休日(GW。夏休み。冬休み。休暇。)

8月31日。土曜日。薄曇り。一時雨。

2019年8月最終日。夏の終わり。

  
  16本・・・   『8月のお家ワイン』
 

          暑かった2019年の盛夏・8月。
      旅行や何やかやで、家に居たのは、8月の1/3。
            控えめの『16本』 ビールは数に入らず。

         楽しかった2019年の夏を終え・・・
         明日から9月です。秋です。

     食欲の秋・・・どこまで本数は増えるやら!!


そして。

今日は8月31日。年間第二十一土曜日。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『あなたがたに新しい掟を与える。
  互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように。』アレルヤ、アレルヤ。


   イエス様は、『互いに愛し合いなさい』 と私たちに命令します。
     イエスは、友・人類を愛して、御自分の命を人類に与えました。
       私たちに、『愛の模範』をお示しになりました。

     私たちは、それほどまでに、友を愛せるのだろうか?



『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。

    「天の国はまた次のようにたとえられる。

  ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
     それぞれの力に応じて、
 一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

   早速、
 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。

   同じように、
 二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。

   しかし、
 一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。


   
 
さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。


   まず、

 五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。
   『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。
        ほかに五タラントンもうけました。』

       主人は言った。
     『忠実な良い僕だ。よくやった。
   お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。
        主人と一緒に喜んでくれ。』

    次に、
 二タラントン預かった者も進み出て言った。
    『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。
        ほかに二タラントンもうけました。』

        主人は言った。
   お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。
      主人と一緒に喜んでくれ。』

   
    ところで、
 一タラントン預かった者も進み出て言った。
     『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、
   散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
     
恐ろしくなり、出かけて行って、

   あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。
     御覧ください。これがあなたのお金です。』


     
主人は答えた。

       『怠け者の悪い僕だ。
  わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
    それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。
   そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
  さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ

    
    だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、
    持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。

      この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。
      そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
          マタイ福音書 25章14-30節

 

          大切なタレント・愛を、人々に預けたのは、神様です。
     神様は、預ける人を信用しているので、預けるのです。


   まずは、
     独り子・イエスに、『タレントン・愛』を預け、この世に派遣されました。
        イエス様は、御父・神に忠実に、
      『御自分の命を与える愛』で、神に仕え、『任務』を果たされました。
          結果・・・
    『忠実な良い僕だ。よくやった。』とほめ、『神の栄光』をお与えになりました。

 

   次に、
    5タラントン、3タラントン、1タラントンを預けられているのは、
         私たち、人類の全員です。
       神様に信用されて、
         私たちも『任務・タラントン』を果たすのです。


     
       神様は、すべての人に平等な人です。

  お人に与えられている『大きなタラントン』をうらやましく思う必要はないのです。
      その人でなくてはできない『タラントン・愛』を預けて下さるのです。
          大きさは、価値の大きさではないのです。

 

       5タラントン、2タラントンを預けられた人たちは、
         すぐに出かけ、神を信じて、『働き』ました
             結果は、
     神様に協力したことであり、神様に『おほめの言葉』を頂けるのです。

 

         1タラントンの人は、どうでしょうか?
     神様からの信用を素直に喜んで、すぐに、働きに出たでしょうか?
        いえいえ。
      神様からの信頼を信用しないで、むしろ 神様を恐れました。
     自分の判断で行動し、与えられたタラントンを土に中に隠しました。
      神様を信用しないどころか、お人に配るべき『愛』を配ることなく、
          自分の考えに頼り、自分の安全だけを考えたのです。

 

       私たちも、
 自分に与えられた『タラントン・愛』を最大限に使って、お人に『愛』を配って、
          お人も私たちも幸せになりましょう!

    『忠実な良い僕だ。よくやった。』『私と一緒に喜んでくれ。』
       ・・・と。 神様の『お言葉』を頂きましょう!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から9月。食欲、読書、旅行、そして おしゃれの秋ですね。 お元気で!


2019年夏の最終章・・・『二つの世代』 そして 『立って、彼らに語れ。彼らの前におののくな。』・・・『洗礼者聖ヨハネの殉教』

2019-08-29 16:03:00 | 休日(GW。夏休み。冬休み。休暇。)

 8月29日。木曜日。夏日。薄曇り。

      2019年の盛夏は、美しい、輝かしいものでした。

そして。
今日は、二つの世代の、その二つの2019年夏の最終章。終わりです。

まずは。

  活動と躍動の、まぶしい輝きの・・・  『娘家族世代』
  
   孫たちの所望で、 『31アイスクリーム』

    月曜日~今日・木曜日まで、4日間、夏休みの終わり、娘家族と過ごした私。
        そこは、美しく、輝かしく、未来に躍動していた。

      未完の人格を、形成し続ける躍動感 にあふれる世代である。


    

一方。

  新幹線に一人座り、東京から神戸へと、
       『躍動』から『静寂』へと、
スイッチを入れ替える。

  そこは。

     静寂と達観の、
      いぶし銀の・・・『熟年夫婦世代』
    
     富士山頂で、夫に書き送った 『スケッチ・葉書』
        帰宅すると届いていた。

  神戸に帰宅すると・・・
    今年の夏が終わり、静かな『秋』が待っていた。

      今年の夏も最終章を迎えた。終わりです。

  微笑み と 静寂 と 厳粛 と 信仰の世代。 自分の世代に戻った。

    今年の夏も、美しく、思い出深く、
        二つの世代共に、輝かしいものでした。

                神に感謝! 神に感謝!

 

そして。

今日は8月29日。年間第二十一木曜日。

    『洗礼者聖ヨハネの殉教 記念日』
    
    サンドロ・ボッティチェッリ作品

  洗礼者ヨハネの殉教は、エルサレムでは、すでに5世紀に、記念されていた。
    サマリアのセバステで、
 『キリストの先駆者』であった彼に捧げられた教会堂の記念日。 がこの日に当たる。
    その誕生においても死においても 『キリストの先駆け』 となった。
      
      今日は、洗礼者ヨハネの生涯を思い起こす記念日である。

                  『毎日の読書』より。


『今日の集会祈願』

    『すべてを導かれる神よ、
洗礼者ヨハネは、その誕生においても死においても、御子キリストの先駆けとなって
      『主の道』を備えました。
   真理と正義のためにいのちを捧げた聖人に倣い、
私たちも、力を尽くして福音の証しとなることができますように。』

 

   今日は、 『ヨハネの生涯』 を振り返ってみましょう!

誕生 ヨハネの母エリサベト と イエスの母マリアは、親戚だった。
     
       聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ
              ラファエロ・サンティ作品

    聖母マリアが身につけている
     ドレスの赤色は、『深い愛 又 犠牲の血の色』 を表しており、
     マントの青色は、『天上の真実』 を表している。

   左下の幼児は、イエス・キリスト。
      母親マリアの膝の上から、『旧約聖書』 を取ろうとしている。

   右下でひざまずいている幼児は、ヨハネ。
     葦でつくられた十字架の杖を手にし、イエスに従うようなしぐさを見せている。
    『らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物とする人物』です。
       

又。

使命。洗礼。

   『ヨルダン川河畔で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、
          罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。』
               マタイ福音書3章


       ヨハネの洗礼は、
  悔い改めた者に対する神の赦しの確証 と 新しいイスラエルの一員として受け入れられた確証。
        ・・・を意味する『預言的しるし』としたのである。
 

      28年頃。 イエスもヨハネの洗礼を受けた。

     ヨハネが求めた「悔い改め」とは、
        道徳的な改心ではなく、
  従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換することでした。

   
使命。救済。

  『谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くなる。』
       ・・・と。『イエスの先駆者としてその道を整える。』

  『曲がった道はまっすぐに、でこぼの道は平らになる。』
       ・・・と。『社会的不均衡の是正』 が示唆されている。
                 ルカ福音書 3章5〜6節
 

    

     
      『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』
             カラヴァッジオ作品

    ヨハネは、当時の領主ヘロデが自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤを娶り、
        その結婚を非難したため、捕らえられた。
      そして、
  ヘロデヤの娘が、祝宴での舞踏の褒美としてヨハネの首を求めたため、処刑された。
       衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、
    盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。

  ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。
 
 
 洗礼者ヨハネは、
      その誕生においても、死においても、
    御子キリストの先駆けとなって、『主の道』を備えたのです。
 
 

『今日の第一朗読 エレミヤの預言
 
   『その日、主の言葉はわたしに臨んだ。

     「あなたは腰に帯を締め 立って、
   彼らに語れ わたしが命じることをすべて。

     彼らの前におののくな 。

  彼らはあなたに戦いを挑むが勝つことはできない。
    わたしがあなたと共にいて、救い出す」

          と 主は言われた。』
          エレミヤ書 1章17-19節

 
    罪がないのに、義人が死刑の判決を受けるのです。

エレミヤは、『民が主の御言葉を受け入れないなら、町も神殿も破壊される』 と告げました。
洗礼者ヨハネは、『世の罪を取り除く神の子羊を告げ、悔い改めの洗礼』 を告げました。
キリストは、『私は神の子、唯一の罪の償いとなる者である。私を信じなさい』 と告げました。

                 そして。『死の宣告・判決』を受けるのです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『神の正しさのために迫害される人は幸いである、天の国はその人たちのものである。』アレルヤ、アレルヤ。
                   マタイ福音書 5章10節

 

そして。

『今日の奉納祈願』

『聖なる父よ、
「荒れ野に叫ぶ声』と呼ばれた洗礼者ヨハネが、
 言葉で教え、殉教によって証ししたあなたの正しい道を私たちにも歩ませてください。』

 

    今日、『聖ヨハネの殉教』を記念した私たちも、
      日々の生活で、『救いの恵み』を味わっていきましょう。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
2019年の夏の終わりです。続く秋も実り豊かでありますように。 お元気で!


富士登山の魅力・・・『世界一美しい独立峰』 そして 『主イエス・キリストを身にまといなさい。』・・・『聖アウグスチヌス司教教会博士』

2019-08-28 05:00:00 | 登山・ハイキング

8月28日。水曜日。秋雨。

5日前の富士山登頂がよみがえる。

   
   やっとたどりついた・・・   『八合目』

 
            『3,100m』

           風の吹きぬける場所。
   強風が吹き、転倒しそうになるほどで、両足とストックで踏ん張ります。


 
 左側眼下には・・・   『八ヶ岳』
 

      
   雨と霧の晴れる時が一瞬ある。 
そんな時に、雲の下に景色が広がる。


  右側の雲の下には・・・   『山中湖』 
 

        なぜ? これだけ多くの人が、富士登山をするのだろうか?

      私の場合は、
  長年の日本人の登山愛好家として、日本の最高峰に自分の足跡を残したかった。
                       ・・・ということであろうか。

      
  いやいや。

     カナダやスイスの超高山の山々に登った時には感じなかった、
       特別な気持ちが、今回の富士山登山では感じられる。
    
     いままで約60年間、山に登ってきた日本人登山愛好家として、
                             日本の最高峰に登ったということで、
      ”やるべきことを成し終えた!” という安堵感であろう。
  
 安心感ともいえる満足感と充実感 そして 私が登頂した山々への感謝の気持 が、
           心から湧き上がってくる。


そんな気持ちの中。

    到着・・・      『本八合目』
    
            『3,400m』

     ここから上は神域です。 神様の領域です。
 
     『御来光館』を最後に、
  神の領域・3400m以上には、山小屋はなくなります。

路面は砂礫で、傾斜も更に急になり、歩を進めるのもいよいよ厳しくなります。

     
    『本八合目の鳥居の二本の柱に挟み込まれた硬貨』

     『トレドの泉』に投げるコインのように・・・
     ”再び来れますように!” と願ってだろうか?
   私は、”すべてに感謝します!” と、はさみました。


    登山は単独行動のようでいて、実はそうではない。
 私は、どの山登りの際も、先人たちの登山資料を集めて、シュミレーションをする。
 山は、頂上への一方通行ではなく、登ったら、必ず降りなくてはならない。
    『途中棄権』ができないリスク、を伴う『真剣勝負』である。

      
     
『本八合目』からは、
      『頂上・3775,6m』 まで、200mと少し。

   
      急な登りで、足元に注意しながら登る。
 頂上はもうすぐなので、呼吸を整えながら、ゆっくりと進む。

    
        『胸突八丁』の九坂を上り、
      『久住氏神社』 の鳥居をくぐれば、
 

         ついに吉田口山頂でした。
           『3775,6m』


 

  私たち『櫻会』メンバーは、大雨&1m先の見えない霧の中の登頂でした。


    大ベテランの山岳リーダーに尋ねました。
     『富士山登山の一番の魅力は何ですか?』

お答は・・・
       『独立峰の姿の美しさです。

     世界の山々でも3700m級の独立峰は少なく、
  
          正に世界遺産の美しさです。』    
即答でした。

 

        私にとっての、『富士山登山の一番の魅力』は、
   日本一厳しい、それでいて あくまで誠実な、自然の中に身を置くことでした。

 

そして。

今日は8月28日。年間第二十一水曜日。

    『聖アウグスチヌス司教教会博士 記念日
  
             フィリップ・ド・シャンパーニュ作品。  

     
     古代キリスト教の神学者、哲学者、説教者。
    ラテン教父とよばれる一群の神学者たちの一人。

  キリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、
    正統信仰の確立に貢献した教父であり、
  古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力をもった理論家である。


354年。 キリスト教徒の母モニカ(聖人) と 異教徒の父パトリキウスの子として、
      
      『聖モニカと聖アウグスティヌス』  アリ・シェフェール作品


        北アフリカのタガステ(現在のアルジェリア)まれる。

         若い頃から弁論術の勉強を始める。

370年。16歳から。 タガステの富裕な市民ロマニアヌスの伝で、西方第2の都市カルタゴにて学ぶ。
371年。17歳。 父パトリキウスが、死の直前に受洗した。

       
     若い時に放蕩生活を送り、マニ教に入ったが、後にマニ教と距離をおくようになる。

383年。32歳。 当時ローマ帝国の首都であったイタリアのローマに行く。
384年。33歳。 イタリア・ミラノで、弁論術の教師を始める。
387年。33歳。 後に、ミラノの司教アンブロジウスおよび母モニカの影響によって、回心して、
        カトリック信仰を受け入れ、息子アデオダトゥスとともに、
           アンプロジオ司教から洗礼を受ける。

387年。33歳。 母モニカが没後、アフリカに帰り、息子や仲間と共に一種の修道院生活を送る。
   
       この時に彼が定めた規則はアウグスティヌスの戒則』と言われ、
           キリスト教修道会規則の一つとなった。

 

391年。37歳。 北アフリカの都市ヒッポの教会の司祭に就任。
396年。42歳。 司教に選出された。

   以後34年間。

  模範的司牧者として説教と多くの著作によって教区民を教え導き、
  当時の異教徒によるキリスト教への非難に対しては勇敢に争い、
  深遠な学識をもってキリスト教を解説した。

430年。76歳。 死去。
                     『毎日の読書』より。

     
  アウグスティヌスの母モニカは、
  異教徒の夫 と 放蕩息子の回心のために祈る半生が続いた。
  そして。
  この祈りが届いたのか、届いて、
  夫は、死の前年に、回心してキリスト教徒となった。
  夫の死後、息子を追ってイタリアに渡っていたモニカは、ミラノ司教アンブロジウスの知己となり、
  ここで、アウグスティヌスは、アンブロジウスから洗礼を受けた。33歳でキリスト者となった。

 

  『イエスは女に、
 あなたの信仰あなた救った。安心して行きなさいと言われた。』
               
ルカ福音書 7章50節

 

そして。

『今日の入祭唱』

     『神の民の集いで彼は口を開いた。
 神は知恵と理解の霊で彼を満たし、永遠の名声を与えられた。』
                       シラ書 15章5節

 


そして。

      『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉
 
 『執筆中のパウロ』

    『兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。
       わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、
    夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。


      わたしたちは、父親がその子供に対するように、
        あなたがた一人一人に呼びかけて、
   神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。
 御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。


    
このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。

      なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、
  あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。
事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。』   
                テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章9-13節

 

      アウグスティヌスは、
 受洗の一年前の386年。
   ミラノの自宅で、隣家の子どもから、『lTolle, lege(とって読め)』という声を聞き、
      近くにあった聖書の中の、
 使徒パウロの書簡:『ローマの信徒への手紙』の13章14節、
『主イエス・キリストを身にまといなさい。肉欲をみたすことに心を向けてはならない。』
      を、とって読んで、回心したといわれています。

         
        聖アウグスティヌスも、聖パウロも、

      神と出会い、 そして 神から回心の恵みを頂き、
   勇気をもって『神の御言葉』を語る人となっていきました。


  私たちも、
    聖アウグスティヌス や 聖パウロの勧めに従い、
    聖モニカの祈りに倣い、

 『神の御言葉』で日々神と出会いながら、『救いの言葉』を語ってまいりましょう!
       

 

最後に。

 
『今日の集会祈願』

      『全能永遠の神よ、
    聖アウグスティヌスの精神を現代の教会によみがえらせてください。
英知の泉、愛の源を求めるわたしたちが、あなたのうちに憩いを見出すことができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちの言動が、お人に『真実』を知って頂くため、『神の道具』となれますように。 お元気で! 


心の洗濯・・・『そよ風』 そして 『あなたたち偽善者は不幸だ。』

2019-08-26 04:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

8月26日。月曜日。薄曇り。

 早朝・・・      『そよ風』
 
 
          出窓の向こうに緑の木々。
      窓を開けると、『秋のそよ風』が入ってくる。


    子育て真っ最中の娘宅は、当然ながら、物があふれている。
   沢山のものを見ているだけで、気持ちが動き出し、心が高鳴る。


   早朝に、
   出窓をかたずけ、緑を見やすくする。 窓を開けてみる。
       秋のそよ風が入ってきた。
  秋風が体にしみこみ、気持ちが静まり、心が落ち着く。
       高鳴る心の洗濯になった。


そして。

今日は8月26日。年間第二十一月曜日。


『今日の入祭唱』

     『神を敬う人よ、神をおそれよ。
神をおそれる人には乏しいことがなく、神を求める人はよいもので満たされる。』


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

    『偽善者』とは誰か? 『不幸』とは何か?


    『そのとき、イエスは言われた。

 
 
 「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。

     人々の前で天の国を閉ざすからだ。
  自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。


  律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。

   改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、
  改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。


    ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。

あなたたちは、
『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。
    だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。

  愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。

また、

『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。
   その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。

  ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。
  
   祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。
   神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。
   天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。」』

                   マタイ福音書 23章13-22節

 

  今日。

   イエスは、律法を最優先する 律法学者たちとファリサイ派の人々を、
           『偽善者』と呼んだのです。
      更に。
          『偽善者』は『不幸』 であると断言したのです。


旧約時代から・・・

  イスラエルの民にとって、
    モーセ五書を通して語られた『律法』は、絶対化され、崇拝されてきました。


     『律法』を守ることが最優先されていきました。
   『信仰』により、自分の救いを『神の愛』にゆだねるのではなく、
   『自力』により、自分の救いを『律法の厳守』にゆだねるようになったのです。

 

       神の支配が、律法の支配に変わって、
    律法の根底に流れる『神の愛の精神』が薄れていきました。


そんな時。

新約時代となり・・・

  イエスが出現したのです。

     イエスの『使命』は、『神の国の実現・人類の救い』でした。

 

    そのイエスが言われる『偽善』とはなにか?

『偽善』とは、
   特に宗教や道徳的信念に関し、
   真の性格・性向を隠す一方で、
   美徳または善といった見せかけの外観をつくることを言う。

    したがって、一般的な意味において偽善には
     「不誠実なそらとぼけ」、「見せかけの振りをすること」、
       または
      「まやかし」が含まれることがある。

『偽善的な行動』とは、
   他を批判するのと同じ行動を自らも行っていることを指す。
   自ら表明する道徳的な規則や原則に従わないことを指している。
                 広辞苑より。

     言い換えれば
        『行動の伴わない言葉だけ』  ということでしょうか?

        どれだけ主の教えや、律法を知っていたとしても、
       口先だけの信仰は、『真の救い』をもたらしません。


そんな『偽善』に対して・・・

   イエスは、『偽善』との戦いに挑まれたのです。
   それは、 神に逆らう力との闘いです。  


    どれだけ主の教えを、律法を知っていたとしても、
    口先だけの信仰は、真の救いをもたらさないどころか、
    

       私たちが良かれとする行動が、
   神の国の門をくぐろうとする善良な人の足を、
          引っ張っている。 とイエス様はおっしゃるのです。

 
現代において・・・


  私たち、そして 私は、どうだろうか?

      
     イエスの『救い』に依り頼みながら、
        『律法・愛神愛隣』の行動も伴っているだろうか?

     私の生き様が、
 お人のつまづきとなることなく、お人を天の国の入り口にご案内しているだろうか?

     日々、謙虚に、反省しながら、
         神に、私もお人もゆだねてまいりましょう!

 

『今日の祈願』

   『いつくしみ深い父よ、
      私たちが、まことの信仰の成長することができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
娘宅で孫たちと夏休みの最後を楽しんでいます。さわやかな秋風が流れます。
                          お元気で!


『2019年8月23日午前11時22分02秒』・・・『富士山登頂成功』

2019-08-23 11:22:02 | 登山・ハイキング

   8月22日。金曜日。大雨。1M先の見えない霧の中。

 

                            『富士山  3375、6m』    
   

                                    『霊峰富士』

   
       人々は古来よりその天高くそびえる富士山を、
 幾度となく噴火を繰り返す荒ぶる神の山として、崇敬し畏敬の念を抱いてきました。

        いつしか霊山として神格化され、
 信仰の対象として日本人にとって大きな存在となっていった富士山へのおもいは、
  時代と共に変わっていくものの、今も一夏20数万人が富士吉田登山道から訪れ、
      心の拠りどころ信仰の山として、受け継がれています。

   古道として麓から唯一、山頂まで歩いて登れる『吉田口登山道』
  数ある登山道の中でも、吉田登山道は富士参詣の中心的な登山道であり、
   山頂に至るまでの沿道には、数多くの史跡や文化財が残されています。

        裾野の深い原生林の中を、
      植物や野鳥、信仰の歴史を踏みしめながら、

            『日本一高い頂点』に向かって、
          いざ! 山頂へ!

 

入山二日目。
朝4時半。
 『八合目・3200m』の場所です。

        真っ白になった霧の大雨です。

    
 我がパーティーは、
   素人の18人+男性山岳リーダー2人+山岳会員の女性添乗員1人=計21人。

    

    3000mまで登ると、空気が薄くなり、高山病のため、苦しむ人が現れます。
         岩場の登山で、足を痛める人も出ます。
         

  今朝は。

        私たちの中でも中年男性2名の棄権で・・・
         19名のパーティーでスタートです。
           

朝5時。

          霧の晴れ間を見逃さず・・・
     『八合目・3200m』 からの出発です。

        いざ! 頑張るぞ!

 途中。

    ともかく、険しい岩場を、足腰を駆使して・・・
       大雨に打たれながら、晴れ間も時々、進みます。
         雨が多いためか、登山者はとても少ないです。


  白人青年男女の登山者が多く、
      一人白人若者登山者も多いのが、印象的です。

   
     途中に、二か所?、『救急隊待機場所』 があります。


   私たちの登山途中で・・・
   下って来る白人青年二人のパーティーの一人が、足をくじいて動けなくなっていた。
   その方の処置を、救急隊員が英語でなさっていました。

       霧のために、ヘリコプターが飛べないとのことでして、
       あの背の高い青年を、スマートで小さな?日本人救急隊が、
        どうやって運び降ろすのでしょう?

       無線で連絡を取り合っている救急隊員を横目に、
    私たちは、集中して、登り続けるよりほかはありませんでした!

     ”あの青年が、救急隊のお助けで、無事に下山なさいますように!”
                       祈りました

     

      我がパーティーの、最年少者は小学6年生。
        柔道を5年?も続ける、好少年です。

     途中から、
      呼吸が苦しくて・・・頭痛で苦しくて・・・
          座りこみます。

    
       一番元気な私
    小学生と一緒に、一人のリーダーの後に続きます。
                      もう一人のリーダはしんがりです。

    小学生が、”苦しい! 苦しい!” としゃがみ込むのを、立たせて、
       深い深い深呼吸を、私と一緒に繰り返して・・・
        登頂を果たしました。

 

       『2019年8月23日午前11時22分02秒』
 

 
                右から2番目。女性にはさまれた、両手でVサインの紫雨具の笑顔が、私です  マイナスの温度です。

  
        『日本一高いてっぺんの地:富士山山頂』

            我が『櫻会の4名』
   大雨と1m先の見えない霧の中で、登頂を果たしました。
                

      
         登頂を果たせたのは、
        私たちの努力もありましたが、
 私たちを優しく応援し、協力してくださった、周りの皆様や家族のお陰様でした。
        皆様!ありがとうございました!
                

 

     我がパーティの『最高齢登頂者』は、
      『78歳の細い美しい御婦人』 で、一人参加でした。

      淡々と、Myペースを崩さず、登られるお姿。
       お見事でした。
        
     感動して、美しい『雄姿』 を眺める私でした。
     ”私だって、まだまだ!”、 と勇気を頂きました。
                 感謝!感謝!

 

   それにしても、
   あの華奢な78歳のご婦人のバイタリティーは、どこから生まれるのか?
 
     ”富士山に登ろうと思った日から・・・
  毎日曜日は近所の山に登りました。毎日は1時間半歩きましたのよ。”
          とおっしゃる。

 

 私も同様の練習を重ねた結果、疲れを覚えることなく、登頂できました。

     富士登山の成功の道は、『二つ』、に尽きると思いました。
  一つ目は、『たゆまない自主練習・特訓』で、体力と精神力を養う。
  二つ目は、『周到な完全装備の準備』で、当日の体力消耗を軽減できる。

     

 
          
入山三日目。
土曜日。24日。登山最終日。

  午前5時。出発。

    一気に。延々と続く、『九十九折の道』、右へ左へと、降ります。 

      
   午後11時・・・   『下山』 
 

          『五合目 吉田登山道』                                         
            座っておられるのが大ベテラン、
                    私たちの過酷な天気状態の中を登頂させてくださった、リーダー。
 緑が私。

     スタート地点に戻ってきました。
   後ろに見える山道、からスタート & ゴール、終了です。

        無事終了の富士山登山でした。
        ありがとうございました

   
   沢山の美しい写真を、後日にアップさせていただきます。

     どうぞ、ご訪問くださり、ご覧ください。

      


只今。
下山翌日の日曜日の午後2時。

   登山装備品や洋服の、山ほどの洗濯を終え、今から東京に向かいます

       又。明日にお目にかかりましょう!



『私の人生のモットー』のご紹介です。

       『オリンピックモットー』

   『オリンピックにおいて大切なことは、
      勝つことではなく、参加することである。
    人生において大切なのは、
      勝つことでなく、努力すること。
    征服することでなく、よく戦うことである。』
           byクーベルタン


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今年の夏休みはいかがでしたか?何かに御挑戦なさいましたか?挑戦は人生の醍醐味ですね。
                          お元気で!


秋の気配・・・『富士山登山』 そして 『聖ピオ十世教皇 記念日』 & 『それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

2019-08-21 04:00:00 | 登山・ハイキング

8月21日。水曜日。30.2度。夏日。

早朝。 
  秋の気配に驚きました。  いよいよ『実りの秋』を迎えますね。
  
 

そして。

 明日に迎えた登山・・・ 『富士山』
   
            『3776、2m』          

   5月18日の『櫻会 例会』で、『今年の夏山縦走山』を決定して以来、3か月。
     
    その決定以来、『夏山特訓』を3か月間重ね、今日を迎えました。

  
  私の両親。60代に二人一緒に挑戦したが、気分が悪くなり、8合目で下山。
   私の夫。60代で私と挑戦したが、気分が悪くなり、8合目で下山。
我が息子嫁の弟さんとその息子さん。昨夏、40代と小学3年で挑戦したが、気分が悪くなり、8合目で下山。

      
 富士山登頂挑戦者の『関門』は、8合目・3200mから起こる、『高山病・酸素不足』です。
        頭痛。吐き気。等々。 下山するしか『回復方法』がない。


    
   今回は私の二回目の挑戦。
      両親と他3人の『リベンジ』。沢山の人たちの応援と共に歩くのです。


       行ってまいります!
 『富士山頂の写真』などで、『富士山登頂ブログ』をUpさせていただきます。
     是非、又、我がブログに御訪問下さい。
            ”悲しいかな、高山病で途中下山でした!” となりませんように・・・。

 

そして。

今日は8月21日。年間第二十水曜日。

       『聖ピオ十世教皇 記念日』
    

    16世紀のピウス5世以来、400年ぶりに、教皇として列聖された
       カトリック教会の司祭であり、聖人です。
     
           第257代ローマ教皇。
     
在位:1903年8月4日 - 1914年8月20日。11年間。

 
 1835年。 イタリア・リエーゼで、農家の息子(本名:ジュゼッペ・サルト)として生まれた。
        父は配達の仕事をしていた郵便局員。
        パドヴァとトレヴィーゾの神学校で学ぶ。

 1858年。23歳。 司祭に叙階。

      その後。後にカトリック教会の教会博士となるトマス・アクィナスと『教会法』を学んだ。
      イタリア・マントヴァの司教となる。

 1896年。61歳。ヴェネツィアの枢機卿として、大司教に任命された。

 1903年8月。68歳。 レオ13世の後継者として 第257代ローマ教皇に就任。 

     この時のコンクラーヴェは、拒否権が行使された最後の選挙となった。
    拒否権は、最有力候補であったマリアーノ・ランポッラ枢機卿に対して行使され、
      結果として選ばれたのが、サルトであった。
    サルトは、教皇になるとまず、このコンクラーヴェにおける拒否権を廃した。

    
  ピオ十世は、保守的な教皇として知られ、
  「近代主義」と「相対主義」を、キリスト教を脅かす思想として警戒した。
    また、
  異端的キリスト教思想:ジャンセニスムの影響で、
        聖体拝領を敬遠する信徒が多くなっていた現状を顧み、
        頻繁な聖体拝領と子供の早い時期での初聖体を奨励した。

    また、
   日本の教会に対しても配慮し、
  幕末以来パリ外国宣教会しか入っていなかった日本に、他の修道会の布教を許可した。
     自身も、イエズス会に日本での活動を依頼している。
     これが、後の上智大学創立へつながることになった。


   また。
   第一次世界大戦回避に手を尽くそうとした。
   自分の治世に、歴史上なかった大戦争が勃発したことにショックを受け、この世を去った。

 1914年。79歳。没。
 1954年5月29日。没後40年目。 ピオ十二世によって列聖された。

 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『神のことばは生きており、力を発揮し、心の思いや考えを見分けることができる。』 アレルヤ、アレルヤ。
              ヘブライ人への手紙 4章12節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。

    「天の国は次のようにたとえられる。
  ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、

夜明けに出かけて行った。
   
主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

 

また、

九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、

   『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
         それで、その人たちは出かけて行った。

主人は、

十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、

    『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
      彼らは、『だれも雇ってくれないのです』 と言った。

  主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。


夕方になって、

   ぶどう園の主人は監督に、
     『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、
 
 『沢山働いた労働者 と 短時間の働きの労働者』


     最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。

そこで

    五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。


    最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。
       
       
しかし、彼らも一デナリオンずつであった。


      
それで、受け取ると、主人に不平を言った。
 
     
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
       まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、
         この連中とを同じ扱いにするとは。』


主人はその一人に答えた。

       『友よ、あなたに不当なことはしていない。
        あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
        自分の分を受け取って帰りなさい。

     わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
         自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
       それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』


     このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
           
       マタイ福音書 20章1-16節 

 

         イエス様の『たとえ話』は、世間の常識からかけ離れた考え方です。
        丸一日働いた人にも、数時間しか働かない人にも、
             
同額の賃金を払うというのです。

 

      『世間の常識』は、『効率』で考えられます。
             
              『チクタク チクタク』
  
 一方。


     『イエスの常識』は、神の本質の『愛』と『慈悲』 で決まるのです。
      
         
    『皆好き!好き! 皆平等。 皆神の子。』

 

     今日の『賃金』は、神様からの『救いの呼びかけ』なのです。
        先に選民として呼びかけられた『イスラエル人』も・・・。
        後に呼びかけられる『異教徒』も・・・。

     神様にとって、すべての人が、同じく大切な人たちなのです。

            

    神の愛と慈悲は、誰にも、いつの時代でも、『同じ重さ』なのです。
     


    朝:最初から働いたイスラエル人も、昼:後から働いた異邦人も、

  ”他の人たちの方が恵まれている!” と、腹を立てること不平は許されません。
         

  神様が与えて下さる、神の愛と慈悲の『幸せ』、を見つめることが大切なのです。
 
        もし、
    神様が、世間と同じ『効率』本意で、『給料・救い』を与える御方なら、
      私たち全員が、『神の愛・恵み』に、値しないことでしょう!
        『お給料』は頂けないことでしょう!


        幸いに、
   神様は、世間の常識で動く方ではなく、
      御自分の『正義』と『愛』で、すべてを判断なさるお方なのです。


  私たちは、ただただ、神様の『寛大さ』『愛の深さ』に、感謝するのです。
                        感謝!感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みも残り10日ほど。孫たちは夏休み宿題に追われ・・・。いつの時代も同じですね。
                           お元気で!


登山三日前・・・『登山装備準備』 そして 『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。』

2019-08-19 19:28:52 | 登山・ハイキング

8月19日。月曜日。時々雨。31.1度。夏日。

登山まで、今日を含めて3日になりました。

  
 装備準備・・・  『3日分』  
 
 

  さすがの富士山登山は、ヘルメット と ダウン・ジャケットが必需品です。
     
    転倒などの負傷事故から、命を守る『ヘルメット』です。
        登山開始の五合目は気温15度。
    富士頂上は0度~-5度で、『コンパクト・ダウン』と『使い捨てカイロ』、が必携です。

  
  山のトイレは、一回200円の有料で、『100円硬貨』を20枚、ジッパー付きビニール袋へ。
  山の入山料は強制ではないのですが、『1000円札』を1枚、携帯カバーに差し込みました。

    財布から出すのでは、その作業ゆえに集中力がそがれるので危険、時間がかかりすぎます。


  三日分の登山洋服 と 下山後の温泉ではおしゃれ着に着替えましょう

    それぞれの着替える各シーンで、別々に、
    ナイロン製のスタッフバッグ(収納袋)に収納し、出し入れをしやすくします。

  
  レインスーツは、防寒・防風着としても使え、必需品です。

     
     並んだ11個の荷物の山を、大型リックに納めて、準備完了です。
 のこり2日間で、11個をあれこれと入れ替え、計量機とにらめっこ、30㎏内に納めます。

 

そして。

今日は8月19日。年間第二十月曜日。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ
  『心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』 アレルヤ、アレルヤ。
                 ヨハネ福音書 5章3節

 

  自分の財産や能力にではなく、神により頼む『心の貧しさ』こそ、幸いである。

 

 

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、一人の男がイエスに近寄って来て言った。
      

  「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」

イエスは言われた。

   「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」

男が  「どの掟ですか」 と尋ねると、

イエスは言われた。

 「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」

そこで、この青年は言った。

  「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」

イエスは言われた。

  「もし完全になりたいのなら、
       行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
  
  『貧しい人々を慈しむイエス』
       

         そうすれば、天に富を積むことになる。
         それから、わたしに従いなさい。」

     
       青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。
        たくさんの財産を持っていたからである。』
           マタイ福音書 19章16-22節

 

まずは。

       『永遠の命』 とは何なのでしょか?


聖書を調べると・・・

      永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、
    あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。』
                 ヨハネ福音書 17章3節


     『永遠の命』とは、『神と一緒の生活』 なのです。
     その『生活』は、イエス様のように生活することです。

 

辞書を調べると・・・

     『永遠』は、『終わりなく続くこと』 
     『命』は、『生物が生きていくためのもとの力となるもの』


  『永遠の命』とは、『いつまでも終ることのない、生きるための力』 なのです。
       生きるための力は、
    いきがいである家庭かもしれません。健康、趣味。
        ある人には、「お金もうけ」が生きる力になるかもしれません。

       しかし。
   それらは、虫が食って、いつまでも終ることない、とはいかないのです。


イエスは以前に、おっしゃいました。

    あなたがたは地上に富を積んではならない。
   そこでは、虫が食ったり、虫が食ったり、さび付いたりするし、
      また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
         富は、天に積みなさい。
  そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むこともなく、
     また盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
    あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。』
          マタイ福音書 6章19節〜21節

 

   『永遠の命』とは、『神様を知り、イエス様を知ること』 なのです。
 イエス様をじっと見つめて、イエスを知るなら、神様のことが分かるのです。

 

金持ちの若者は、律法に忠実な立派な人でした。

    イエス様は、青年がイエスと弟子の集団に入ることを、望んだようです。

   『完全になるために、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
         それから、わたしに従いなさい。』 とおっしゃいました。

       しかし。

    青年はこの『イエスの言葉』を聞き、
        たくさんの財産を持っていたので、悲しみながら立ち去ったのです。         

 

    『永遠の命』とは、
      イエス様のように生活する、『神と一緒の生活』なのです。      

 

      イエス様の生活は、
    『御自分の命すら他者の救いのために差し出す』
            『献身の生活』なのです。
    
    イエスの十字架の立てられた『聖穴』  
                        昨夏の巡礼地:聖墳墓教会。

 

      イエス様の生活を心の中で見つめるとき・・・
    見えるのは、何と言っても、『イエス様の十字架』です。

 

イエス様は、『神の御心』を実現するために、十字架で御自分の命を捨ててくださいました。
      それほどに、私たち・人類を愛してくださる御方です。
 
 神様は、私達・人類のために、ひとり子のイエス様を与えてくださいました。

      それほどに、私たち・人類を愛してくださる御方です。
      

   私達は、自分がそれほどに神に愛される、一人一人が尊い存在なのです

     私達のお金も健康も、家族すらも、なくなることがあります。
      ところが。
 『神の愛』は、永遠に、『私たちの生きる力』となって、『永遠の命』となるのです。



    『永遠の命』を望んだ金持ちの青年は、イエスのもとを立ち去りました。
        しかし。
          青年のその後は、聖書に記されていません。

 私は、
   神に忠実に律法を守る真面目なその青年が、『イエスの愛・十字架の磔刑』を見て後、
         自分の金に頼る今までの『古い人生』を捨て、
            神の力に頼る『新しい人生』を始めたいと回心し、

         イエスに従うために、
     持ち物を売り払い貧しい人々に施し、『天に富を積んだ』後、
       弟子たち・信仰者の仲間になった。 と信じ希望します。
                       心からそう願います。
                   

 

『今日の祈願』

     『いつくしみ深い神よ、
    わたしたちの供え物を御心にかなうものとして受け入れ、
      あなたに仕える者の愛を強めてください。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休み・8月も残り10日間ほどになりました。2019年夏に素敵な足跡を残しましょう。 お元気で!


秋の配達人・・・『秋の味覚』 そして 『わたしは平和ではなく、むしろ分裂をもたらすために来た。』

2019-08-18 15:52:41 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

8月18日。日曜日。34度。夏日。

今日は・・・

 『秋』が運ばれてきました。

     友人から・・・  『秋の味覚・梨』
 

  「秋を召し上がって、気持ちだけでも秋を味わってください!」

  大きい梨は、ジューシーで、おいしくて、心が秋になりました。
                    感謝!感謝!


そして。

 『食欲』も運ばれてきました。

     夫のゴルフ賞品・・・ 『牛肉 700g』
     

     「たくさん食べて残暑を乗り切りましょう!」

 おいしい肉は、優勝を逃した夫にはほろ苦い味、妻の心を秋にしてくれました。
                            感謝!感謝!

    
   『季節の先取り』は、確かに、新しい季節を運んでくれます。
       今日は、秋を感じた、穏やかな日曜日でした。

 

そして。

今日は8月18日。年間第二十主日。

 
 イエスは、『福音』を告げるために、神からこの世に派遣されました。
                         この世に運ばれました。

   『福音』とは、
 旧約時代から待ち望んできた、『救いの時の告知』 です。
 イエス・キリストによって始る、終末的救いの、『喜ばしい知らせ』:『よい便り』 です。


    『福音』とは、将来への『大きな希望』 なのです。


それは・・・


『今日の福音 イエスの御言葉


『 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

    「わたしが来たのは、地上にを投ずるためである。
 
      そのが既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。


    
しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。

             
   
     それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。


 
 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

 
          『平和 意見の一致』


          
       そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
  
           『分裂 意見の不一致』
  
     

      今から後、
          一つの家に五人いるならば、
    三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

父は子と、子は父と、 母は娘と、娘は母と、 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
          対立して分かれる。」』
          ルカ福音書 12章49-53節

 

        私たちは皆、平和を望んでいます。
  皆の意見が一致して、皆が穏やかな気持ちでいられるのは、嬉しいことです。

     しかし、
       私たちは皆、それぞれの意思があり、考えがあります。
皆の妥協点を見出すために、互いの不一致を認め、互いの尊厳が重視される必要がありますね。


  イエス様は、『神の平和』をもたらすために、この世においでになりました。

     しかし、
  イエス様の教え』は、それまでの社会常識を超える、『新しい教え』でした。
        今まで長年重視してきた価値観や環境を、
         完成させるものであったのですが・・
          否定するかのように見えました。

        そこには、当然、『分裂』が生じたのです。

 

 『一つの家に五人いるならば、 三人は二人と、二人は三人と対立して分かれる』のです。
     五人家族の中で、
   二人がイエスを信じ、三人はイエスを理解できない。受け入れられない。

       そこには、
      『意見の相違』:『対立』が生じることがあります。

 

 イエスは、
   ご自分の教えによって人々の間に『分裂』が生じることを、ご存知でした。

   反対に遭ってもご自分に従うには、『勇気』が必要であることも、ご存知でした。
     
    
    反対によって家族の平和な関係が脅かされることもあります。

      『父は子と、子は父と、 母は娘と、娘は母と、
    しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。』
         ・・・と。 イエスはおっしゃるのです。

 

    親しい友人や家族から、『イエスの福音』理解を得られない時、
      ただ一人で、イエスに従うのは簡単ではありません。

 

    イエスは、
          御自分自身が理解されないことを、
        皆に『信仰の火』が燃えていないことを、
                残念に思われました。苦しみました。

    
      しかし、イエスは決してあきらめません。

    
    イエスは、
        皆に理解してもらうためには・・・

 『わたしには受けねばならない『洗礼=十字架上での磔刑=受難と死』が必要である。
    それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。』
            ・・・と。
   
     『一致』に至るまでには、必ず、『苦しみ』が伴なう。
                   
ことを、人々に教えました。

   
      イエスは、
    家族の反対も、時にはあざけりも、
 キリスト者が耐えなければならない『苦しみ』の一部であることを教えました。
イエスの弟子たちも、キリストにふさわしい者であるために、耐え忍んできたのです。

 

     それでも。

  すべての人は、
      それぞれの人生の体験から、
『一致』のために失ったものよりも、はるかに多くのものを得ること、を知っているのです。
      『不一致』を降り越えて、
   『一致』を見出した時の『喜び』、を体験しているのです。

 

    やはり。
    イエス様は、地上に『火=信仰』を投ずるためにいらしたのです。
 
  イエス様は、『分裂』ではなく、『平和』をもたらすために、地上にいらしたのです。
                      感謝!感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
蝉の声が少なくなってきました。秋を思わす朝のさわやかさが感じられます。 お元気で!


富士登山まで4日・・・『特訓終了』 そして 『天の国は子供のような者たちのものである。』

2019-08-17 05:30:00 | 登山・ハイキング

8月18日。土曜日。快晴。33度。猛暑日ではなく久しぶりの夏日。

    富士登山まで、4日を残すところとなりました。

2か月間頑張った『My体力Up自主特訓』。

 
  今日をもって終了です。
  
 『早朝ジョグ』

        ダメージを与え続けた筋肉を、
         4日間のクールダウンで、
        筋肉の疲労回復を目指します。

                          『階段上り下り』  
 

『特訓』と同時に・・・ 
続けてきた『栄養管理』。

 こちらは・・・今日から益々の強化です。 
 
   『My体力UP朝食』  
       『山盛りの 紫蘇&レバー&黒ニンニク&納豆3箱』

『紫蘇』

βカロテンが、人参をはるかに超え、ヨモギやアシタバの2倍以上、トップクラスの含有量です。
  βカロテンは、活性酸素を抑え、細胞を正常に保ち、免疫力を高めます。

ビタミンB群やビタミンEやKなども、他の野菜に比べ、抜群に沢山含んでいますよ。

 
『レバー』

鉄分、亜鉛、ビタミンA、B1、B2、やB2、ビオチン、葉酸、たんぱく質
    
等の栄養素含有量が、トップクラスの優れて含まれています。

カロリー、脂質、炭水化物が低く、栄養のわりにヘルシーな食材です。
        私は、茹でてウスターソースに漬けるだけ、ワインのおともです!

『黒ニンニク』

ニンニクを熟成させることで、各種アミノ酸やポリフェノール等の健康成分が増大し、
         酷暑に負けない体つくりに向いています。

『納豆』

平常時は朝食に2箱を食べる私ですが、特訓時は3箱です。筋肉モリモリです!

 

   皆様も、『紫蘇&レバー&黒ニンニク&納豆』で、元気を蓄えて、
         酷暑の夏を折り切ってください!

 

そして。

今日は8月17日。年間第十九土曜日。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『天と地の主である父はたたえられますように。
     あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。』アレルヤ、アレルヤ。

 

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、
  イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。
  
            弟子たちはこの人々を叱った。

   しかし、イエスは言われた。

 「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。
      天の国はこのような者たちのものである。」

    そして、子供たちに手を置いてから、
  

       そこを立ち去られた。」』
        マタイ福音書 19章13-15節

 

     イエス様は、
    『天の国』へ確実に入れる人の『資格』、を述べられました。

  『天の国』に必ず入れる人は、『子供のような人』なのです。

   

     修行を重ねた人、律法を守った人、人を助けた人、等々、
  誰もが『立派な人』と認める人、が必ず天国に入るのではないのです。
        勿論、
       『立派な人』 が天国には入れないと言っているのではありません。

 

    『子供』には、どんな『特徴』があるでしょうか?
 素直。相手を疑わない。 誰かに頼らなければ生きていけない
           ・・・というところでしょうか。

  一方。

    『立派な人』には、どんな『特徴』があるでしょうか?
     誰にも頼らなくても生きていける。 自分の力に自信がある。
           ・・・というところでしょうか?

 

言い換えれば・・・


    イエス様の言われる『天国へ必ず入る人』は、
       『子供のように』
  『イエスの言葉』を、素直に、疑うことなく、信じる人で、
       『イエス様』を頼って生きている人。 なのです。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みの計画を楽しくこなしておいでですか?思い出多い2019年の夏休みとなりますように!
                           お元気で!


お盆明け・・・『送り火』 そして 『創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。』・・・『神の言葉』

2019-08-16 19:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

8月16日。金曜日。台風一過の快晴。

今日は盆明け。
 夜7時。
         玄関前で・・・  『送り火』
   

   今年も、亡き人たちをお迎えして、ゆっくりと語り合うことができたお盆でした。
       ”又来年ね!”
    今日は、亡き人たちの霊をお見送りしました。

       ”今の私の幸せは、皆様のお陰様です!”
   今年も、亡き方々の優しさを思い出し、感謝することができたお盆でした。
                             感謝!感謝!

 

そして。

今日は8月16日。年間第十九金曜日。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたがたは、神の言葉を聞いたとき、
    それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れた。』アレルヤ、アレルヤ。
                テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章13節


『今日の福音 イエスの御言葉

    『そのとき、ファリサイ派の人々にイエスはお答えになった。

      「あなたたちは読んだことがないのか。
    創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
    
    『人類の創造』          シャガール作品
     
   
      
そして、イエスは、こうも言われた。

  「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
   
   『花束の中のカップル』         
シャガール作品。
       花束の横には『バイオリン』。
           なんとも構図が、シャガールらしく、素敵です。
      ユダヤ人のシャガールは、戦中に米国に亡命、命を懸けて『愛』を描き続けました。すばらしい!


    
だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。

  従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」


       
イエスは弟子たちに言われた。

  「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。
  
 
結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、

       
        天の国のために結婚しない者もいる。
     これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」』
                    マタイ福音書 19章3-12節


旧約において・・・ 

           神様は、まずこの世界、そして この世にあるものすべてを、お造りになりました。
         お造りになった最後のものは、『男と女』でした。

       その後。

      神様は、世界の発展も、お造りになられたものすべての発展も、
          『男と女:人間』にお任せになりました。

        
        神は、造られた『男と女』に、
 『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。すべてを支配せよ。』創世記 1章28節
               ・・・と。祝福されて言われました。
    更に。
  『男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。』 創世記2章24節
         ・・・と。
      男と女に、神の本質である『愛する心』をお与えました。

    
    それは。
 
 男と女は、愛によって結ばれ、互いに忠実に、
    二人で・・・人間としての『責任』を果たす『使命』をお与えになったのですのです。
     
     つまりは。

 神は、男と女に、この世の世界の発展をお任せになったということです。
             

そして。

新約において・・・

    イエス様は、
    神様の思いとは反対のように見えますが、結婚をしませんでした。
     神の国のために、又 御自分の『使命』を果たすために、
     
     『イエスと人々』
            
          結婚しない方が良いと思われたのです。

 

    そこで。

  『天の国のために結婚しない者もいる。』    
  『天の国のために、結婚しないことを受け入れることのできる人は受け入れなさい。』
         ・・・と。 イエスは弟子たちにおっしゃいました。


 

     ミャンマーのヤンゴン競技場で信者と共にミサを捧げられた
        『第266代ローマ教皇・フランシスコ』      独身です。
   
    キリストから選ばれた『キリストの後継者・初代ローマ教皇・ペトロ』は、
                        結婚していました。

 

      つまりは。

  イエスは、弟子たちに、神の国の発展をお任せになったということです。

    

いつの時代においても・・・

          『男と女』に造られた人間は、
    神様から任された『使命=人類の発展や神の国の発展』を全うするために、
          自分に与えられた『生き方』において、
     『使命』を果たすために必要な力は神から与えられると信じて、
            明日への『希望』を持って、
          自分の命・人生を開花させるのです。
           
頑張りましょう! ファイト!
            
            

『今日の拝領唱 イエスの御言葉

         『わたしは世の光である。
     わたしに従う者は暗闇に中を歩まず、命の光を持つ。』
             ヨハネ福音書 8章12節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様のお宅の近くは台風はいかがでしたか?災害に遭われた御方に心よりお見舞い申し上げます。
                           お元気で!