イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
『娘よ、元気になりなさい。』
花は、疑うことなく、神の『時』を待ちます。
『時』を待つ姿が気高い。
『娘』さんも、疑うことなく、『神の時』 を待ちました。
「イエスは言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。』
今日。2月28日。金曜日午前中。聖書深読会。 マタイ9章18~26節。
今日のテーマ:『信仰とは何か?』
12年間も、病気の回復を願い続けた『娘』さんは、
『後ろからイエスの服の房に触れた。
「イエスの服に触れさえすれば治してもらえる』と思ったからである。
イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。』
マタイ9章18~26節
娘さん同様に、私も治りたい。 元気になりたい。 誰もが願うことですよね。
『御言葉』は、逆に言えば、信仰を持てば、元気になれる。 ともいえるということでしょうか?
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです』
ヘブライ人への手紙 11章1節
信仰とは。
『確信』する。
「イエスの服に触れさえすれば治してもらえる』と思った娘さん。
・・・信仰とは、『主の力で、私が信じたとおりになる』 という 『確信』です。
『確信』を得たなら、
祈りが聞かれたこと、問題は神の御手の中で解決されることを喜んで・・・平安に、神の『時』を待てばよいのです。
信仰とは。
『確認』する。
「イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。』
『神の時』 に 『神の方法』 によって、問題の解決が、現実のものとなります。
・・・信仰とは、『主の力で、主の『時』が来た』 という 『確認』です。
ここで・・
更に
今日の講師は、問題定義です。
父なる神が、私たちの願いを聞いてくださることは、確かなことです。
しかし・・・
ひとつの問題は、「願いが聞き入れられた」という 『確信』が持てるかどうかです。
現実には・・・
『神の方法』は、私たちの考えていた方法とは 別のことがあります。 それでも『確信』を持てますか?
たとえば・・・
イエスは、十字架にかけられる時、『確信』して、神に祈りました。
『父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取り除けてください。』
そして、
イエスは、更に、大事なことを、祈りに付け加えました。
『しかし、わたしが願うことではなく御心に適うことが行われますように。』 と。
神の『現実』=『御心』は、イエスの祈りとは逆でした。
マルコ福音書 14章36節
それでも・・・
あなたは、
「私の願いが聞き入れられた」という 『確信』が持てるかどうかです。 非情に難しいことです。
イエスは、
『確信』して、十字架の道を歩まれて 主の愛を 『確認』出来ました。
この『確信』を持つためには、
疑わないで信仰をもって、願い求めることです。
「かなえられた」と心から信じられるまで、神に祈りつづけることです。
『確信』は神から与えられるものです。 神の『恵み』です。
以上。
聖書深読会講師の講話の一部でした。
『確信』して、神を信じて願い求める。 そして 神を信じて結論は神に委ね て『確認』する。 ということでしょうか。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 明日は、娘の在所に、孫たちを迎えに参ります。
12日間の孫たちとじいちゃんばあちゃん」の生活の始まりです! ブログ画面でお騒がせ致すことと存じます。
よろしくお願いいたします
『娘よ、元気になりなさい。』
花は、疑うことなく、神の『時』を待ちます。
『時』を待つ姿が気高い。
『娘』さんも、疑うことなく、『神の時』 を待ちました。
「イエスは言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。』
今日。2月28日。金曜日午前中。聖書深読会。 マタイ9章18~26節。
今日のテーマ:『信仰とは何か?』
12年間も、病気の回復を願い続けた『娘』さんは、
『後ろからイエスの服の房に触れた。
「イエスの服に触れさえすれば治してもらえる』と思ったからである。
イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。』
マタイ9章18~26節
娘さん同様に、私も治りたい。 元気になりたい。 誰もが願うことですよね。
『御言葉』は、逆に言えば、信仰を持てば、元気になれる。 ともいえるということでしょうか?
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです』
ヘブライ人への手紙 11章1節
信仰とは。
『確信』する。
「イエスの服に触れさえすれば治してもらえる』と思った娘さん。
・・・信仰とは、『主の力で、私が信じたとおりになる』 という 『確信』です。
『確信』を得たなら、
祈りが聞かれたこと、問題は神の御手の中で解決されることを喜んで・・・平安に、神の『時』を待てばよいのです。
信仰とは。
『確認』する。
「イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。』
『神の時』 に 『神の方法』 によって、問題の解決が、現実のものとなります。
・・・信仰とは、『主の力で、主の『時』が来た』 という 『確認』です。
ここで・・
更に
今日の講師は、問題定義です。
父なる神が、私たちの願いを聞いてくださることは、確かなことです。
しかし・・・
ひとつの問題は、「願いが聞き入れられた」という 『確信』が持てるかどうかです。
現実には・・・
『神の方法』は、私たちの考えていた方法とは 別のことがあります。 それでも『確信』を持てますか?
たとえば・・・
イエスは、十字架にかけられる時、『確信』して、神に祈りました。
『父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取り除けてください。』
そして、
イエスは、更に、大事なことを、祈りに付け加えました。
『しかし、わたしが願うことではなく御心に適うことが行われますように。』 と。
神の『現実』=『御心』は、イエスの祈りとは逆でした。
マルコ福音書 14章36節
それでも・・・
あなたは、
「私の願いが聞き入れられた」という 『確信』が持てるかどうかです。 非情に難しいことです。
イエスは、
『確信』して、十字架の道を歩まれて 主の愛を 『確認』出来ました。
この『確信』を持つためには、
疑わないで信仰をもって、願い求めることです。
「かなえられた」と心から信じられるまで、神に祈りつづけることです。
『確信』は神から与えられるものです。 神の『恵み』です。
以上。
聖書深読会講師の講話の一部でした。
『確信』して、神を信じて願い求める。 そして 神を信じて結論は神に委ね て『確認』する。 ということでしょうか。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 明日は、娘の在所に、孫たちを迎えに参ります。
12日間の孫たちとじいちゃんばあちゃん」の生活の始まりです! ブログ画面でお騒がせ致すことと存じます。
よろしくお願いいたします