マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

芸術の秋・・・ヴァイオリン・チェロ発表会 そして『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木は言うことを聞くであろう。』

2022-10-02 14:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月2日。日曜日。快晴。

今日は、
故郷・東京での旅、
5日目となりました。
明日は神戸に戻ります。

旅行最終日の今日。

   友人の・・・    『ヴァイオリン・チェロ発表会』
   
                       写真掲載禁止でイラストです。

        ♪ シューベルト:第15番カルテット
        ♪ モーツアルト:魔笛序曲
        ♪ シューベルト:第5番シンフォニー


       素人といえども、プロではないだけで、すばらしい♡♡

        自分から求めて、食らいついていく意欲。
        それが人を進歩させ、その人を高める。
           道が開ける。


       素人といえども、プロではないだけで、お上手です♡♡

        日々の努力、頑張ったことが、血と肉となり、 
        勉強の日々、力となる実感が、その人を作り上げる。
        年齢に関係なく、継続は力となり、大きなことを成し遂げ る。
           勝利が開ける。

  
      今日は、
      友人の奏でる音楽の調べに、感動し、よいしれました。
      友人の堅実で沈着で着実な姿に、教えられ、感動しました。
                  感謝!感謝!

そして。

今日は10月2日。年間第二十七日曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたは天と地、それに、天の下すべての驚くべきものを造られたました。
    あなたは万民の主、だれも主であるあなたに逆らうことはできません。』
           エステル記(ギリシャ語) C-3-4節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ  
  『あなたがたに宣べ伝えられた福音は、
     永遠に変わることのない主の言葉なのです。』
        ペトロの手紙Ⅰ 1章25節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『使徒たちが、
    「わたしどもの信仰を増してください」
                  と言ったとき、
    主は言われた。
    「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、
       
      この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』
                   と言っても、
         言うことを聞くであろう。」』
           ルカによる福音書 17章5-6節


     今日のイエス様は、
     「わたしどもの信仰を増してください」という弟子たちに、
     『からし種一粒ほどの信仰があれば、桑の木が言うことを聞くであろう。』
           と、答えました。


       人は、
       ※偉大な信仰を持っているから、
          大きなことを成し遂げるわけではないのです。
       ※からし種ほどの信仰もないのですが、
          信仰の力の源であるイエスを信頼して、一歩踏み出せば、
          『神の力』が働いて、
          大きなことを成し遂げさせてくださるのです。
          
   使徒ペトロも言いました。     

       『イエスの御名が、
        その御名を信じる信仰のゆえに、
          人を強くしたのです。』
           使徒言行録 3章16節

   弟子たちは、
   「信仰を増してください」、と師・イエスに頼みました。
   『信仰』とは、『イエスの御名を信じること、イエスの神の力を信じること』
          である。とイエス様は答えました。


   私たちも、
   少しでもイエスに対する信仰があれば、
   すべてが変わっていくことを経験するのです。
   私たちの中で『神の力』が働いてくださるように、
      神を信頼したいものです。
       祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人の努力するお姿には、感動すると同時に、刺激をいただきます。
私たちも、何事も一日にしてならずですので、
修行の後に生まれる『個性』を磨きたいものですね。
『芸術の秋』を楽しみましょう。 お元気で!

電車中読書・・・『勉学の秋』 そして 『十字架称賛 祝日』・・・『モーセが荒れ野で蛇を上げたように、 人の子も上げられねばならない。』

2022-09-14 09:20:22 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
9月14日。水曜日。晴れ。

コロナ感染対策の緩和
政府より発表されました。


    電車中の読書・・・     『新約聖書』
  
  軽くてコンパクトで持ち運びが楽・・・         日本聖書協会・JBS発行の、無料配布の『新約聖書』


          皆様、電車中での『時間つぶし』?方法、は何ですか。

         スマホ派、黙々とスマホに向かう姿、がほとんどでしょうか。
         読書派、革製ブックカバーが恰好良い、読書家なのでしょうね。
         私は、聖書100週間・聖書通読会の予習も兼ねて、いつも聖書通読です。


内閣官房が発表しました。
『コロナ感染対策の緩和』

『外出についても、
混雑した場所や感染リスクが高い場所を訪れる場合を除き、
ワクチン接種の有無にかかわらず
国として自粛要請の対象とはしないこととします。』 
    内閣官房HPより


              いよいよ秋本番です。
              学生さんたちは、新学期の始まりです。
              私たちの『聖書100週間』も、明後日から新学期の始まりです。

                日常生活や経済社会活動を継続できるよう、
                行動制限の緩和も発布されて、
                いよいよ『勉学の秋』ですね。


            私も、
            昨日は白内障手術後検診で、
            久しぶりに、電車中の人となりました。
            車中で『聖書』を読みながら・・・
             外出緩和を味わいました♡♡
            三年ぶりほどのStay homeからの解放感に、胸踊る思いがいたしました♡♡
                      感謝!感謝!


そして。

今日は9月14日。年間第二十四水曜日。

       『十字架称賛 祝日』
     
     『聖コンスタンティンと聖エレナ』
            
ヴァシーリー・サザノフ作品
               聖十字架を発見した母太后エレナと、
          その息子であり皇帝であるコンスタンティンが描かれている。 

          エレナは、夫クロルスが亡くなった後、息子コンスタンティヌスが後継者となり、
          312年に、息子は皇帝マクセンチウスとの戦いに勝って、ローマ皇帝となった。
          母ヘレナには皇太后アウグスタの尊号を贈り、貨幣に彼女の像を刻ませた。
          ヘレナは、63歳のときに洗礼を受けてキリスト信者となった。
            自らは質素な生活を送り、教会を建て、貧しい人びとを助けた。
          324年には、ヘレナはエルサレムに巡礼し、カルワリオの丘に大きな教会を建て、
                そこでキリストの十字架を発見したのです。 

      今日は、人々の救いと勝利の希望である、
      キリストの十字架を思い起こす祝日です。

 5世紀から、エルサレムではすでに、復活聖堂の献堂を記念する9月13日の翌日に、
     キリストの十字架を礼拝する習慣がありました。

    これは次第に東方教会全体に広まっていきました。
  ローマにこの習慣が取り入れられたのは 7世紀になってからです。


『今日の入祭唱』
  
   『わたしたちには、主イエス・キリストの十字架のほかに、
       誇るものが決してあってはなりません。
     キリストのうちに、救いと命と復活がある。』
         ガラテアの信徒への手紙 6章14節参照

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
     『キリストよ、あなたを拝み、たたえよう。
      主は十字架によって世をあがなわれた。』
        典礼聖歌 266番『十字架称賛』  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』
   
   『そのとき、イエスはニコデモに言われた。
     
     『イエスと語るニコデモ

     「天から降って来た者、
   すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。

     そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、
     

       人の子も上げられねばならない。
     

  それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

    神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

  独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

        神が御子を世に遣わされたのは、
         世を裁くためではなく、
      御子によって世が救われるためである。」』
        ヨハネによる福音書 3章13-17節


    今日のイエス様は、
    『信じる人が聖霊によって生まれ変わる。』
           と、ニコデモに教えます。


    ニコデモは、  
    熱心なユダヤ教徒でした。
    それでも、イエスに出会って、イエスから話を聞きたいと思いました。 
    そこで、 人目を避けて、夜にイエスを訪問しました。
     イエスがどなたであるのかを、知りたかったのでしょう。


         イエス様は、『神の独り子』です。
          神からこの世に派遣され、
          人間の罪の償いのために『十字架』上で血を流された、
            イエス様は『メシア』です。


          イエスを信じる信仰のためには、
          考え方を変えなくてはなりません。
       神を中心にして生きて、『神の国』に入るのです。
 

   モーセは、
   荒れ野で上げた『蛇の十字架』を見上げる人々が、
     荒れ野の蛇がもたらす病気が癒されるようにしました。
     『蛇の十字架』を見上げる人は救われたのです。


           『本当の救い』は、
         『イエスの十字架』を信じる者に、
           神から与えられるのです。


   私たちも、
   聖霊に導きによって信仰が生まれ、
   イエスから救われるのです。
     祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、電車の中で、どのように過ごされますか。
『勉学の秋』、『読書の秋』、をお家の中で楽しみましょう。 お元気で!

第二の人生の心・・・『HHP』 そして 『聖マルタ 聖マリア 聖ラザロ 記念日』・・・『あなたが神の子、 メシアであるとわたしは信じております。』

2022-07-29 04:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
7月29日。金曜日。快晴。


今日も、
楽しく始めましょう。

  ハッピー、ハッピー・・・  『パソコンおばさん』
      

        朝から、
        昨日読んだ本に感動して、
        御訪問くださる皆様に
        その内容をお伝えしたくて、
        ブログを書いています。
        ハッピー、ハッピー♡♡
          ウインク😉


   著者は語ります。

      世の中には・・・
      『PPK』:『ピンピンコロリン』がいい!
      『健康寿命』を伸ばしたい!と思う方が多く、
       人としては自然な願望でしょう。


      それでも、   
      コロナ禍、自然災害、病、退職、そして老後で体が動かない、等々、
      元気だった昨日の自分と突然のお別れの時があります。
          ピンピン健康年齢が一瞬にして消え去るときがあります。


      ならば・・・
      『HHK』:『ハッピー、ハッピー、コロリン』がいい!
      『幸福寿命』を伸ばしたい!
       死を迎えるまで、ハッピー、ハッピー。
      「自分はおおむね幸せだなと思いながら、毎日を生きている」
          それが『幸福年齢』なのです。


      人生の義務(勤め、子育て、など)からリタイヤしても・・・
         あるがままの自分に幸せを感じ、
         自分の人生からリタイヤしないで、
         まだできることを探して、感謝して、
         自分らしくイキイキと幸せに、
      しなやかで『生命力あふれる人』でいましょう。


      たとえ、行動範囲が狭まり、座わることが多くなったとしても、
         でも、できることがいっぱいあります。
      お人のために『祈る』ことで、自分も癒されて、ハッピー、ハッピー♡♡
      『パソコン』に挑戦して、自分の脳細胞の退化に驚き、教えてくださる方と笑って、ハッピー、ハッピー♡♡
                   ラジオから流れる大好きな『落語』を聞いて、笑って笑って、ハッピー、ハッピー♡♡ 
      『絵画』などに挑戦で、昔からやりたかった夢の実現で、心の充実感でハッピーハッピー♡♡
      『おしゃれ』に挑戦で、周りの人たちの称賛を得て、自分の変身にハッピー、ハッピ―♡♡
          小さなことに『しあわせ』を感じるのは、素敵です。


          数え上げれば、新しい人生の始まりに、終わりがありません。
      年を重ねても、好きなことに夢中になれる! なんてステキなことでしょう!
   できる範囲で、自分の始めたいことを始められる新しい人生・第二の人生で、
       ハッピー、ハッピーです。『幸福年齢』が伸びるのです。 

                  以上。皆様にお伝えしたい本の一部です。


   なるほどねです。
       私も、こんな『HHK人生』を身につけたいものです。
          失ったものを嘆くのではなく、
          まだできることを探しながら、
        今日もハッピー、ハッピーでまいりたいものです。
                 感謝!感謝!


そして。

今日は7月29日。年間第十七金曜日。

     『聖マルタ 聖マリア 聖ラザロ 記念日』

     マルタとマリアとラザロは兄弟姉妹であった。
       彼らはベタニアで主を温かくもてなし、
    
    『マルタとマリアの家のイエス』
            
アレッサンドロ・アッローリ作品

        マルタは主に心をこめて奉仕し、
       マリアは敬虔に主の言葉を聞き入った。
     そして、
        イエスは二人の祈りにこたえて
     
     『ラザロの蘇生』 フアン・デ・フランデス作品

        ラザロを復活させた。
         『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『イエスがある村にお入りになった。
   するとマルタという女がイエスを家に迎え入れた。』
        ルカによる福音書 10章38節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしは世の光である。わたしに従う人は、命の光を持つ。』
       ヨハネによる福音書 8章12節     アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』 

   『そのとき、マルタとマリアのところには、
  多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。

    マルタは、イエスが来られたと聞いて、
        迎えに行ったが、
   
     
    マリアは家の中に座っていた。

     マルタはイエスに言った。
   「主よ、もしここにいてくださいましたら、
    わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
   しかし、
   あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、
     わたしは今でも承知しています。」

   イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
   マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」
                        と言った。

   イエスは言われた。
       「わたしは復活であり、命である。
       わたしを信じる者は、死んでも生きる。
    生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
        このことを信じるか。」
   マルタは言った。
     「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、
       メシアであるとわたしは信じております。」 』
          ヨハネによる福音書 11章19-27節



   今日のイエス様は、信仰深いマルタに、
   『わたしは復活であり、命である。
       わたしを信じる者は、死んでも生きる。』
             と宣言なさいました。


   マルタは、
   弟ラザロが亡くなった時に、
   イエス様が村にいらしたことを聞き、イエス様のもとに走りました。
   そして、
   イエス様に出会ったとき、
   イエス様に向かって、『信仰宣言』をしたのです。

      主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、
       メシアであるとわたしは信じております。』


  イエス様は、
  マルタの『信仰宣言』に応えて、『宣言』をなさったのです。

        わたしは復活であり、命である。
       わたしを信じる者は、死んでも生きる。』


  イエス様を信じるすべての人は、
  『本当の命』を得て、すでに『復活』に参加しているのです。


       『わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わした方を信じる者は、    
           もう永遠の命を得ている』 ヨハネ5章24節


   私たちも、
   『唯一の真の神を知り、神が遣わされたイエスを知ることは永遠の命です。』ヨハネ17章3節 と言われます。
   マルタと同様に、イエス様を知り、神様を知り、
   『信仰宣言』ができるようになりたいですね。
         祈りましょう。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
どんなにつらい時も、”私はまだまだできることがある!” と前向きにいられるように、
皆で励ましあいましょう。互いに応援しあいましょう。互いに認め合いましょう。
今日も、皆様の一日が、穏やかでハッピーな一日でありますように。 お元気で!
      

劇団四季と夏目漱石 そして 『あなたがたは、その実で彼らを見分ける。』

2022-06-22 18:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
6月22日。水曜日。晴れ。

今日は、
孫娘は、
授業の一環として、
午後から、クラス全員で、
『劇団四季』の『ミュージカル鑑賞Day』でした。


           『バケモノの子』
   
                       孫娘が劇場で撮った写真です。

      「9歳の男の子が高校生になるまでの物語で、
         テーマは「父と子」なのよ。

        自分は何者なのかと悩みながらも、
       まわりの人々に支えられ、力強く成長する蓮なのよ。

           感動したのよ♡♡
      舞台って素敵ね。 俳優さんたちってすごい!」

 午後6時。

       下校時の、家の最寄り駅から自転車で、家に向かう孫娘。
         スマホから聞こえる孫娘の、弾む声。
         孫娘の感動が伝わってきました♡♡

     「今度は一緒に、劇団四季の舞台を観に行きましょうね!」
      孫娘のリクエストに、私にまで感動が伝わりました。
      

四季劇場による、
   ミュージカル『バケモノの子』
 
2015年公開の細田守監督による
アニメーション映画「バケモノの子」を原作に、
劇団四季史上、最大規模で創作する新作オリジナルミュージカル。
細田監督作品のミュージカル化は本作が初となります。


    授業の一環として、『舞台・ミュージカル』、を中学三年生に観せる学校。
          知識の詰込みではなく、
       『本物』から感じる『感動』を重視する教育。
         それにも感動する祖母の私です。

一方。
今日は、
祖母の私は、一人静かに、
『読書三昧Day』でした。


         『こころ』
  

    コロナ禍だからこそ、
      できることを・・・
      と、私が始めたのは、夏目漱石の沢山の作品の再読の挑戦です。


    吾輩は猫である。それから。行人。草枕。坊ちゃん。三四郎。を終えました。
    昨日に、道草。を終え・・・
    今日から、『こころ』。再読の始まりです。


       コロナ禍によって与えられた『静寂の時間』。
        その話に何か昔懐かしいにおいのする本。
        底に流れる清らかな倫理観に満ちた本。
       永遠不滅のそれらの価値に戻る時間です。


      今日も、孫娘も私も、感動に満ちた一日でした。
                  感謝!感謝!


そして。

今日は6月22日。年間第十二水曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、わたしの道の光。
     わたしの歩みを照らす灯。』
       詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
    人がわたしにつながっており、私もその人につながっていれば、
      その人は豊かに身を結ぶ。』
      ヨハネによる福音書 15章4&5節    アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    

     「偽預言者を警戒しなさい。
   彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、
      その内側は貪欲な狼である。

     あなたがたは、その実で彼らを見分ける。

   茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。

      すべて良い木は良い実を結び、
       悪い木は悪い実を結ぶ

      良い木が悪い実を結ぶことはなく、
    また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
  良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

    このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」』
       マタイによる福音書 7章15-20節


     今日のイエス様は、
     『あなたがたは、その結ぶ実で、偽善者か否かを見分けなさい。』
         と、弟子たちに教えます。


     旧約時代。
     預言者は、『神の言葉』を話す人でした。
       人々に、『神の言葉』を思い出させる人でした。

     新約時代。
     ファリサイ派の人たちは、『神の言葉』を話す人であると自称していました。
     しかし、
     イエス様は、
     そんなファリサイ派の人たちは『偽善者』である、とおっしゃいました。
     というのは、
     ファリサイ派の人達は、人々に『神の言葉』を伝えながら・・・
      その『心』は、行いとは合わない、偽りの生活をしていました。


        人の『行い』によって、その人の※『心』※がわかる。
            と、イエス様はおっしゃるのです。

         人は、神のために生きていますか?
           『愛神愛隣』を大切にしていますか。
         それとも、
         人は、自分のために、生きているのですか?
           神から愛されているすべての人、
           隣人を大切にしているでしょうか。
           『偽善者』の生活になっていませんか。


      私たちも、
      誰にでも、偽善的な生活をする、危険性があります。
      神のために生きているか? 自分のために生きているか?
      時々は、自分の生活を見直して、反省しなければなりません。
      信仰生活とは、神を大切にし、又 
         神に愛されているすべての人を大切にする、
          『愛神愛隣』の生活のことです。
      神様から力をいただき、
         キリストに倣った生活をしていきたいですね。
                  祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様も、最近、大いに感動したことがおありですか。
感動を見出しながら、今日という一日が素敵な一日となりますように。 お元気で!

観正会定式能・・・『百萬』 そして 『わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。』

2022-05-04 11:40:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
5月4日。水曜日。晴れ。

今日は、
GWの六日目。
みどりの日。

私は、
『能』定式会を楽しみました。


         『能楽堂』
  
                           上田観正会能楽堂
          『観正会定式能』
   

私の大学時代の友人。
大学時代の『コーラス部』以来・・・
社会人時代を経て
80歳を迎えた今まで、
能の『和吟』を続けておられます。
大学時代のもう一人の友人はクラリネットを続けておられ
六日前の29日は『クラリネット・コンサート』でした。
無芸の私は、
友人たちの『発表会』に寄せていただくのみです。


  一番目『題目』は、
  
           『百萬』

      『百萬の子』を演じた小学5年生の『南櫻子』
        お見事で、かわいらしく、立派でした。


     ある春のこと。僧が男の子を拾います。
     その子を連れて、嵯峨野の寺の大念仏に参加します。
     そこへ、
     『百萬』と呼ばれる『狂女』が現われ、念仏を唱え始めます。
     狂女は、子供と生き別れて正気を失ったことを語り、
     子供に遭わせてください、と祈ります。

     子供は、しばらくその様子を見ていると・・・
     狂女は『自分の母親』だと気づき、僧に話します。
     僧に狂女は、『人前で恥をさらす真似をするのは、子供に遭うためだと言って、
        さまざまの舞を見事に舞うのです。

     
         物語りでも涙を誘そわれ、
     櫻子さんのけなげなお姿にも涙を誘われました。


『能』は、
八世紀・奈良時代に中国から渡来した『散楽』
という芸能を源流としています。
平安期に入ると、
平安京の都市文化・宮廷文化の影響を受けて、
『散楽』は大いなる変質を遂げるのです。
『能』と呼ばれる、新たな演劇へと進化したのです。
なかでも『観世座』のスターの、観阿弥、世阿弥、以降、
現在に至っています。


     私は、鑑賞を重ねる度に、少しずつ知識を増やしながらも、
     能を見ている間は、ただただ『能』に没頭します。
     そんな私に、『能』自身が「能の何であるか」を教えてくれるのです。
       その感覚・醍醐味が好きです♡♡
     

第二『演目』は、

       狂言 『茶壺』
     
              武蔵野大学のHPより拝借しました。

     詐欺師が近づき、
      『茶壺』の所有権を奪い争うという演目です。


      止めに入った『代官』の前で・・・
      身振り手振りの仕方話で説明する『持ち主』。
      持ち主の説明を盗み見て、真似て代官に説明する『素っ破・詐欺師』。
                   ところが結果は・・・
                     思わぬ展開で、信じられない裁きを下す『代官』です。

        
      終われば、開いた口がふさがらない結末に、大拍手でした。
        さすが狂言! 笑いを誘いました。





最後の『演目』

          『野守』
      

      前半の、雅味を持つ『尉』の語り。
      後半の、力強い『鬼神』の舞。

       二人は対照的でありながらも、
       『能』の持つ芸術性の極みで、
        厳粛に展開していきます。 


      本作は、
      『新古今和歌集』や歌楽書にある
    『はし鷹の野守の鏡得て しがな思い思はずよそながら見む』
      という和歌に構想を得て世阿弥が作った作品だそうです。


    
        日本の伝統芸術の『能』
      ※演じる方々、詠う方々、が
    狭い能舞台において、広い世界を感じさせながら、
         『松』の前で、
         
      自分たちの演技を見事に演じ上げます。
          感服いたします。

      ※そのご苦労と訓練は、いかばかりのものかと、
        その芸術の継承にも、感服いたします。


        皆様のすばらしい演技を見ながら・・・
        『日本の伝統芸・能』を背負っていらした
          皆様の『重責』を思って、
          涙がこみ上げた私でした。
        私の友人も『伝統の継承者』のお一人です。
          感服します。尊敬します。


        今日は、芸術性豊かなGWとなりました。
        私の『日本人気質』に火が尽きました!
         『日本人』の何であるかを、
      『日本伝統芸能』から学んでいきたいものです。
            感謝!感謝!

そして。

今日は5月4日。復活節第三水曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの口は賛美に満ち、
     絶えることのないあなたの輝きをたたえます。
 あなたが贖ってくださったこの魂は、あなたをほめ歌います。』  
       詩編 71章8&23節


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしの父の意志は、子を見て信じる者が永遠のいのちを保ち、
       終わりの日に復活することである。』
         ヨハネによる福音書 6章40節  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは人々に言われた。
    
     「わたしが命のパンである。
  わたしのもとに来る者は 決して飢えることがなく、
  わたしを信じる者は 決して渇くことがない。
  
     しかし、前にも言ったように、
  あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。

  父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。
  わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。


      わたしが天から降って来たのは、
      自分の意志を行うためではなく、
   わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。

     わたしをお遣わしになった方の御心とは、
   わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、
     終わりの日に復活させることである。

        わたしの父の御心は、
    子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、
  わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」』
       ヨハネによる福音書 6章35-40節


    今日のイエス様は、
    人々に語りました。
    『イエスを信じて、イエスの体を食べる者には、
      「永遠の命」が与えられる』 と。


     神が『すべての人の救い』を望んでおられること。
      その『事実』を教えるために、
     イエス様は神からこの世に派遣されたのです。


        神がなさることはすべて、
       私たちの『幸せ』のためです。
     私たちに起こる、悲しいことも嬉しいことも、すべては、
       私たちを『救い』に導くためであると、
       信じることができる者は『幸せな人』です。


      イエス様を信じる者、イエス様に従う者、
      その人には『永遠の命』があるのです。
     信じることができる者は『幸せな人』です。


      神は、イエスを信じる者を復活させるのです。
      その時、
    私たちは、信仰によって頂く『永遠の命』に入るのです。
         それは永遠に続くのです。
    神にお会いでき、いまままでの信仰に、感謝するのです。


   私たちも、
   神の恵みによって、信仰ができました。
   神にお目にかかるまで、信仰に感謝してまいりましょう。
        祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大型GWも明日で終わります。
難病の友人から、『「ショートステイ」に初めて出かけて、
同居の娘家族に思いっきりにGWを楽しんでもらいました。』と御報告でした。
いろいろのGWがあります。
与えられた場所で、残りのGWを、穏やかにお過ごしください。 お元気で!   

室内楽四重奏・・・『クラリネット四重奏曲』 そして『聖カタリナおとめ教会博士 記念日』・・・『座っている人々に欲しいだけ分け与えられた。』

2022-04-29 14:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
4月29日。金曜日。雨。

今日は、
友人の『室内楽』コンサート。

         『四重奏』 
  

         ヘルメルの♭『クラリネット四重奏曲』♭


           私の友人のクラリネットの管楽器
       一族の皆様のバイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽器
            4人による『室内楽』でした。


私の大学時代の友人。
大学時代の『オーケストラ部』以来・・・
社会人時代を経て
70歳を迎えた今まで、
吹き続けるクラリネットです。
今は『神戸市民交響楽団』
のメンバーとして吹いておられます。

昨年12月の『第九』
又、あちこちの老人ホームへの『慰問演奏』
等々、頑張っておられます。


       今日の『室内楽』は、
       弦楽器を何代にもわたって続ける老舗:『呉服屋』さん一族と
         
           我が友人の管楽器のコラボです。
              紳士三人のネクタイと淑女のブラウスは
                呉服屋さんの製品の『楽器柄』のおしゃれです。
                                         
       呉服屋さんの二階のギャラリー:『コンサート・ホール』
          で、友人も一緒に、長年続く室内楽です。


         ♭シューベルト『弦楽三重奏曲題意一番
         ♭我が友人が編曲したエルガー『愛の挨拶』

         4人の見事に共鳴する『音楽』を聞きながら・・・
             涙がこみ上げた私でした。
          ”すばらしい自分たちのアイデンティテーを
           どのように育んでいらしたのかしら?”
            うらやましさいっぱいの疑問が湧きました。

         きっと・・・
         沢山の人々が楽しんでくださる『音楽』を背負うという
          『任務』を果たしてきたのでしょう。
          社会に『音楽』で貢献してきたのです。
            感服します。尊敬します。


     5月6日には
     我が友人の神戸市民交響楽団の『定期演奏会』です。
     今日は、我が友人の『室内楽』でした。
       心動かされる『音楽会』が続きます。
          感謝!感謝!


そして。

今日は4月29日。復活節第二金曜日。

  『聖カタリナ(シエナ)おとめ教会博士 記念日』    
       

 1347年。イタリアのシエナにまれる。
    小さい頃から完徳の道を志し、ドミニコ会の会員になった。

    神と隣人に対する愛に燃え、
    イタリアの諸都市の平和と一致のために努力した。
    また、
    ローマ教皇の権利と自由を擁護し、
    修道生活の刷新を推し進め、
    聖霊による熱い信仰心とすぐれた教えに満ちた著作を残した。

 1380年。36歳。 死去。
           『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『賢い思慮深いおとめよ、
    あなたは、燃える灯を手にして、キリストを迎えに行った。
                      アレルヤ。』

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
   『人はパンだけでなく、神の言葉によって生きている。』
       マタイによる福音書 4章4節    アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスはガリラヤ湖、
   すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。
   
      大勢の群衆が後を追った。
  イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。

  イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。

    ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
  イエスは目を上げ、
    大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、
  フィリポに、
   「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」
                          と言われたが、
      こう言ったのはフィリポを試みるためであって、
   御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。

  フィリポは、
      「めいめいが少しずつ食べるためにも、
     二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」 と答えた。

  弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、
    イエスに言った。
  「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
      
    けれども、
    こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

    イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。
     そこには草がたくさん生えていた。
    男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。

    さて、
    イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、
   
      座っている人々に分け与えられた。
      また、魚も同じようにして、
       欲しいだけ分け与えられた。
   
        人々が満腹したとき、
    イエスは弟子たちに、
   「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」
                     と言われた。

     集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、
    なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。

     そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、
   「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」 と言った。

  イエスは、
  人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、
       ひとりでまた山に退かれた。 』
         ヨハネによる福音書 6章1-15節


    今日のイエス様は、
    モーセがしたように、
    荒れ野で民を養いました。


  イエス様は、
  人間の生活に※『欠かせないもの』※をくださるのです。
  ※お腹を満たす『パン』です。
  同時に、
  お金で買うことができない、
  ※心を満たす、イエスご自身である『パン・聖体』です。
  ※『神の御言葉』である『イエス様ご自身』です。


    今日のイエス様は、
    少年が持っていたパンと魚のお陰で、
    皆に足りる以上の『パン』を準備なさいました。
    更に、
    余った『パン』:『12籠分』は、他の人を満足させるので、
    大切にするようにと、すべての人々に配るようにと、
       12人の弟子たちに命じたのです。


    12人の弟子たちは、
    人々に『パン』を与えてイエスの仕事』を続ける
        『任命』を受けたのです。


   私たちは、
   今も、キリスト様から有り余るほどの『恵み』を頂いています。
   そして、
   お人に、イエスから頂いた『恵み』を渡す『使命』を受けているのです。
   私たちも、人々に、イエスを紹介できると嬉しいですね。
            祈りましょう。
    
   
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日からの皆様のGWが、楽しく幸せな日々となりますように・・・
     お祈り申し上げます。 お元気で!

村上春樹ワールド・・・『ドライブ・マイ・カー』・・・『その先にあるものを、僕はまだ知らない』

2022-04-02 10:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
4月2日。土曜日。晴れ。

今日は、
孫娘と映画鑑賞です。

      『ドライブ・マイ・カー』
 
  村上春樹原作    『SAAB車』  
                    確か、村上春樹氏の愛用車もSAABだったのでは?

     『その先にあるものを、僕はまだ知らない』


   主人公の舞台俳優兼演出家は、
   寡黙な女ドライバーのと出会い、
   これまで目を向けることがなかったこと、に気づかされていく。 



      私は、正に『ハルキシト』、村上春樹氏の大ファンです。
      初めて春樹に出会った『ノルウエイの森』以来・・・
      読みあさるという感じで、どの分野の本も読みます。

         どの本も難解なのが好きなのです。
         私にとって難しいのが面白いのです。
         村上春樹に挑戦をするのです。それが面白いのです。


      ※紀行文も大好きです。
       『もし僕らのことばがウイスキーであったなら』
          春樹の『ウイスキー巡礼』の道をそのままに、
          ウイスキー好きでもある私は、
          アイラ島を大雪の季節に、たどりました♡♡
      ※『辺境・近境』も大好きです。
        『村上春樹の青春クリニエル 故郷・西宮=神戸を歩く』
          阪神大震で傷を受けた私は、
          震災の傷が生々しく残る兵庫県内を
           ※春樹の文章と共に歩いた。
           ※私も常連の『ピノッキオ』では、
            春樹と共に?ピザを食べました。


映画:『ドライブ・マイ・カー』は、
中学三年になる孫娘には、
まだ難しすぎたようでした。
映画の途中で、
”あれは、どういうこと?”
と、何回も聞いてきました。


      村上春樹の文章は、
      平坦で(感情表現がなく)、メタファ-(たとえ)が多く、
       ※読む人の数だけ、その『解釈』があるのでしょう。
       ※一人の人でも、読む時の年齢によって、その『解釈』が違ってくるのでしょう。


      人は、
      若い頃には『見えないもの』が、年を重ねる毎に見えてくるようになる。
      若い頃には見えない『人の心』が、年を重ねて見えてくるのです。
      年を重ねる毎に、『この世のこと』が分かるようになってくるのです。


       今日の私も、
       以前に読んだ『女子高校生の空き巣』事件を
       『ドライブ・マイ・カー』の監督の『解釈』で読むことができました。
        『その先にあるものを、私は少し知ることができました』
       目に見えない何か空気のようなものを感じることができました。
       My『ハルキスト』に、深みを加えることができましした。
                 感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、映画がお好きですか? どんな映画がお好きですか?
私は、まず、映画の原作本を読み、次に、原作が映画化されてその映画を観て・・・
最後に、改めて三回目、”私ならこういう風に演出するでしょうに!” 等と考えながら、
読み返すのです。楽しいですね。   お元気で!


私は、東京の娘家族の引っ越しの手伝いが、すでに13日目になります。
あと二日ほどで手伝いを終えて神戸の家に戻るつもりです。
大好きな『毎日の聖書・典礼』の分かち合いを、皆様とブログ上でできないのが残念です。
また再開しました折りにはよろしくお願いいたします。    

映画:『ベン・ハー』・・・『感性』の成長の恵み そして 『イエスの姿が彼らの目の前で変わった。』

2022-02-19 14:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
2月19日。土曜日。曇り時々雨。

穏やかな土曜日。
ゆっくりした土曜日。

1959年のアメリカの叙事詩的映画
『ベン・ハー』を観ました。
222分・3時間42分の一大スペクタクル映画です。
11部門のアカデミー賞の史上最多受賞作品です。


  イエス・キリストの誕生・・・  『占星術の学者たち』
  

     映画は、
     タイトルがでる前に・・・
     『イエス・キリストの聖誕』が描かれます。
     
     空一面の暗闇の中で、
     『栄光の星』が、『救い主の誕生』:『馬小屋』のもとへと動きます。

     『そのとき、
      占星術の学者たちが東の方から来て、言った。  
      「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
       わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」』
                マタイによる福音書 2章1&2節


     映画の始まりは、『イエスの誕生』に始まり・・・
     映画の終わりは、『イエスの処刑・十字架』と『イエス復活』で終わりました。


   帝政ローマの時代。
   国を失ったユダヤ民族に生まれた、裕福なユダヤ貴族の青年:ベン・ハー。
   イエスの誕生と同じ頃に生まれたベン・ハーが、
   イエスの『霊の道』とは正反対の『この世の道』を歩くその人生の遍歴において、
         苛酷な運命に巻き込まれ、
    ある時は復讐に燃え、ある時は絶望に陥りながらも、
  
      『戦車競争』    旧友であり仇敵 のメッサラ と戦うベン・ハー(右) 

       神・イエスがなす『業』により、
   ベン・ハーの人生が『再生・復活』する迄の『軌跡・奇跡』が描かれます。

      その姿を顕わされた救世主:イエス・キリスト  ベン・ハー 
           が絡められて描かれます。

    
素晴らしい映画を観ながら・・・
考えさせられました。
私が初めて『ベン・ハー』を観たのは?
いつの頃だったろうか?
若い頃の私には、
映画『ベン・ハー』を理解する『感性』
まるでなかった。欠けていました。
・・・と考えさせられました。

    初めて『ベン・ハー』を観た若い私は、
    この映画の深い意味を、全く理解していなかったのです。
    今日、同じ映画を観ながら、
    イエスとベン・ハーの『人物』を理解でき、映画の意味も理解でき、
       そのことに、感動しました。

      私は、一回目の『ベン・ハー』を観て以来、
      何十年もかけて、
       私の『感性』は育てられていたのです。
        この気づきに、涙が出て来ました。


       平凡な私の人生も捨てたものではない
         と感動しました。
     沢山の人と出会って、沢山の本を読んで、沢山の映画を観て、
       それらの中で『素晴らしい人たち』に出会った
           長い『年月』は、
       確実に、私の『感性』を育てていたのです。
       人としての深みが育てられていたのです。


    私は、今日は、長い年月の『恵み』に感謝した次第でした。
           感謝!感謝!


そして。

今日は2月19日。年間第六土曜日。

『今日の入祭唱』
 
  『「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽して神を愛し、
    また隣人を自分のように愛する」ということは、
    どんな捧げ物やいけにえよりもすぐれている。』
      マルコによる福音書 12章33節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、
        高い山に登られた。

      イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
    
         服は真っ白に輝き、
   この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。

       エリヤがモーセと共に現れて、
      
        イエスと語り合っていた。

      ペトロが口をはさんでイエスに言った。
  「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。
       仮小屋を三つ建てましょう。
 一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

    ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。
      弟子たちは非常に恐れていたのである。
    すると、
      雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。
      「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

    弟子たちは急いで辺りを見回したが、
    もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。


    一同が山を下りるとき、
    イエスは、
       「人の子が死者の中から復活するまでは、
       今見たことをだれにも話してはいけない」
                と弟子たちに命じられた。

    彼らはこの言葉を心に留めて、
    死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。
    そして、
    イエスに、
    「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」
                    と尋ねた。
    イエスは言われた。
     「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
      それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受ける
       と聖書に書いてあるのはなぜか。
      しかし、言っておく。
      エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、
      人々は好きなようにあしらったのである。」』
          マルコによる福音 9章2-13節


   今日のイエス様は、
   三人の弟子とともに、山に登るのです。
   『イエスの神秘』が三人の弟子に示されるのです。
   
   弟子たちは
    『イエスの変容』の姿を見て、非常に恐れると、
    ※神の、『彼に聞け』と声が聞こえるのです。
    ※イエスは、『見聞きしたことを内緒にするように』と命じるのです。


    イエスは、
    ご自分の『使命』は、エリヤやモーセと同じように、
    『苦しみの道』であることが分かっていました。
    ところが、
    弟子たちは、
    変容するイエスの姿を、又、エリヤやモーセと話されるイエスの姿を、
    ただ喜ぶだけで、その意味は全く理解ができていませんでした。

              そのとき、
              神の存在を現す『雲』の中から、神の声が聞こえたのです。
                    『これはわたしの愛する子。これに聞け。』
   

                  イエスの神秘を理解できないで弟子たちへの
                         『返事』が『神の言葉』でした。

              弟子たちは、
              山から降りて、日常に戻って、
             イエス様を理解できなくても、
     『イエスの言葉』を信じて、イエスに従っていかなければなりません。 
     後になって、
               『イエスの受難と復活』を目にして、
       初めて『イエスの神秘』が理解できていくのです。
       弟子としての深みが育てられていくのです。


              私たちも、
             理解できないことが沢山ありますが、
                 『成功には苦しみが伴う』ことを学びつつ・・・
                  『イエスの言葉』を聞きながら・・・
              理解できる『時』を辛抱強く待ちましょう。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『天が開いて父の声が響いた。「これは私の愛する子、彼に聞け。」』
     マルコによる福音書 9章7節  アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
身近なことに感動しながら、素敵な週末をお過ごしください。 お元気で!

恩師の最終講義・・・恩師の第二の人生  そして 『ともし火を持って来るのは、燭台の上に置くためではないか。』

2022-01-27 20:35:16 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
1月27日。木曜日。晴れ。

          『恩師の最終講義』
  

        日時:2022/1/22(土)13:00-14:30
       演題:最終講義 ― 『教育と研究を振り返り    

  
     我が娘が学んだ大学の大学院に入学した60歳の私は、
     娘の恩師より『旧約聖書学』の講義を受けました。
       その先生は、私の大恩師になりました。

 その先生は、
 教育、研究、学務、更には 神戸の女子校の院長として、
       長き人生を献げられました。
 これからは、第二の人生として、
   お父上様同様に、教会の『牧師』として過ごされるのでしょうか。
   
 その『最終講義』は、
   コロナ禍のため、人数制限、事前申し込み、となりました。
   残念な形となりましたが、
   先生はこれも『神のお計らい』と受け取っておられるのでしょう。

 恩師の第二の人生は、  
   お父上も牧師であられ、ご自身も牧師様であられる先生には、
   大学で学ぶ若者の指導を終えて、
   あらゆる年代の人々の司牧、深い信仰への導き、をなさってほしいものです。

   恩師は、立派な学者であられたのは、皆様の納得のお姿でしょう。
   そして
   恩師の、穏やかな落着いたお姿は、そこにおられるだけでお手本のお姿でした。

 
      私は、コロナ禍の東京滞在中の身で、
      『最終講義』の出席はかないませんでした。
       残念至極でしたが、
       恩師の素晴らしい余生、素晴らしい第二の人生を
       祈るばかりでした。


      人の人生には、いくつかの『最終場面』があるものです。
   私も、恩師に倣い、素晴らしい『最終場面』を重ねてまいりたいものです。
                 感謝!感謝!

 

そして。

今日は1月27日。年間第三木曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたの御言葉は、私の道の光。
     わたしの歩みを照らす灯。』
      詩編 119章105節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 イエスは人々に言われた。
   
    『山上の垂訓』  カール・ブロッホ作品

      ともし火を持って来るのは、
     升の下や寝台の下に置くためだろうか。
      燭台の上に置くためではないか。

   隠れているもので、 あらわにならないものはなく、
    秘められたもので、公にならないものはない。

       聞く耳のある者は聞きなさい。」

        また、彼らに言われた。
     「何を聞いているかに注意しなさい。

    あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、
        更にたくさん与えられる。

       持っている人は更に与えられ、
  持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」』
       マルコによる福音書 4章21-25節


   今日のイエス様は、
   『神の国の神秘』の話をなさいます。
    イエスは、人々に、 ”よく聞きなさい!” と・・・
    『神の国の神秘』を『たとえ』で話をなさるのです。


   人々は、
   今までにも、イエスの『たとえ話』:『種蒔く人』の聞きました。
   しかし、
   人々には、信仰がなかったので・・・
    ※イエスの『たとえ話』の『呼びかけ』に、気づきませんでした。
    ※イエスの『言動』に、『神の国の働き』を、見ることができませんでした。
   

      今日の『イエスのたとえ』は『灯』です。

 『灯』は、
  『わたしたちの歩みを照らす灯』そして『私たちの道の光』です。
   そして、
     『灯』は、『イエスの御言葉』であるのです。詩編 119章105節
          
       ・・・と、イエス様は断言なさったのです。

   イエスの弟子たちは、
   ※イエスの生前には、
   『イエスの御言葉』の意味を、完全に分かってはいませんでした。
    それでも、イエスを信頼して・・・『イエスの御言葉』を受け入れました。
    その後、
   ※イエスの復活後に、
    聖霊に導かれて・・・『イエスの御言葉』の意味が良く分かるようになりました。
    更には、
    聖霊に導かれて・・・『イエスの御言葉』を人に伝える『使命』を感じたのです。


     いつの時代でも、
     弟子たちと同様に・・・
     『イエスの御言葉』を聞いても、信じない人も沢山います。
     『イエスの御言葉』の意味を理解できない人もいることでしょう。
     しかし、あきらめてはいけません。


     弟子たちは、
     自分たちの経験から・・・
     『イエスの御言葉』が、信じる人の中で、『豊かな実り』となること。
        を、知っていました。


    『信仰は、聞くことにより、
    しかも、キリストの『言葉を聞くことによって始まるのです。』
           ローマの信徒への手紙 10章17節


  私たちも、
  『蒔かれた種』が、土の中で育ち、豊かな実を結んでいくことを知っています。
  同様に、
  聞いた『イエスの御言葉』は、心の中で育ち、豊かな実を結んでいくのです。
  更には、
  神は、『神の御言葉』を受け入れる人には、
      今以上の『恵み』:『信仰』を大きくしてくださるのです。
  神は、『神の御言葉』を受け入れない人は、
      今持っているものも、失ってしまう恐れがあるのです。

    
    蒔かれた『神の御言葉』が、
    すべての人々の中で、豊かな実を結ぶことができますように。
         祈りましょう。
      
 
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたは命のことばを保ち、ともしびのように世界を照らしなさい。』
       詩編 119章105節 参照   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私の今の滞在地・東京では、二日後に『緊急事態宣言』の発表になるでしょうとのことです。
コロナ禍は三年目に入っても、収束を見せるどころか、感染者増大を見せる昨今です。
こんな時こそ、日頃の忙しさを少し忘れて、自分の将来を考えてみるのも良いですね。 お元気で!   

断捨離・・・Book Off そして 『聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士 記念日』・・・『イエスはサタンを追い出す。』

2022-01-24 22:24:43 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
1月24日。月曜日。晴れ。

孫娘が、
両親の新居への引っ越しをひかえて、
新居の自分の部屋を『理想の部屋』にするためにと、
今の自分の部屋の断捨離を始めました。

そんな孫の本棚に・・・

 2代で読み続けた愛読書・・・   『日本の歴史 学習漫画』
 

        我が長女が小学生になった時に、
      私が買い与えた『日本の歴史 学習漫画』です。

  第一巻:『日本のはじまり 旧石器時代・縄文時代』
  第二巻:『イネと国づくり 弥生時代・古墳時代』
  ・・・・
  第九巻:『室町幕府と一揆の世 室町時代Ⅱ』
  第十巻:『戦国大名の戦い 室町時代Ⅲ・戦国時代』
  ・・・・
  第十九巻:『戦後日本の歩み 昭和時代Ⅱ』
  第二十巻:『新しい国際社会と日本 昭和時代Ⅲ・平成時代』


       全二十巻の『日本の歴史シリーズ』です。

   第一代目愛愛読者。
        私の娘 そして その弟・私の息子。

        我が子供たちは、本の表紙が取れるほどに読み込み、
     小学校4年生の頃には、『日本の歴史博士』?になっていました。
     その後、学校で歴史を学ぶ年になった頃には、
        『日本の歴史』は、子供たちの『日本歴史辞書』となっていました。


そして、


   第二代目の愛読者。
         私の孫娘と その弟・私の孫息子。

          孫娘が小学生になった頃に、
      私は、我が子供たちが読み続けてきた『日本の歴史』を、
           孫たちに送りました。
     すると、
         孫たちも、本の表紙が取れるほどに読み込み、
       私は、読めないほどに痛んでしまった『日本の歴史』を、
         順次、一冊づつ、新しい『日本の歴史』に買い換えました。

     孫たちも、小学校4年生の頃には、『日本の歴史博士』?になっていました。
         その後、学校で歴史を学ぶ年になった頃には、
         孫たちの『日本歴史辞書』となっていました。

    
昨夜・日曜日。
『NHK大河ドラマ 鎌倉殿の13人 The 13 Lords of The Shogun』
    登場人物全員の詳しい『人物像』
その人物像の解説を『日本の歴史博士』の孫たちに教わった次第です。
    大好きな番組を、倍も楽しく観ることができました♡♡
    
 


何十年も、何百年モ続く『古典』は素晴らしいものです。
『日本の歴史 学習漫画』も、『古典』の一つではないでしょうか?
私の孫たちは、
『シリーズ』の中の好きな『時代』の本を、
各自の好みに合わせて分け合って、自分の本棚にしまっています。


次には、
孫の本の断捨離で・・・

  とりあえず30冊の・・・  『Book Off』
   
         
    初めて訪ねてみて驚きました。
    客も多い、本も多い、活気にも満ちています。

    孫娘は、
    昔に読んだ、子供用の『小説』を30冊、処分しました。
     ”ただ捨てるより、誰かに読んでもらえるのは嬉しい”
            との気持ちでした。

       その売値は、30冊で300円でした。
    孫娘は、その300円で、お気に入り『本』を買いました♡♡


私は、
本の断捨離をしたときは・・・
図書館に持って行きました。
図書館から、三条件を言われました。
①図書館の本にふさわしく、美しく、書き込みのない本であること。
②自分で運び込むこと。 ③無料。
私は、孫娘同様に、
”ただ捨てるより、誰かに読んでもらえるのは嬉しい” との気持ちでした。


     ※Book Offに持って行く本。 図書館に持って行く本。
       どれもこれも、大好きな本ばかりです。
       自分が好きだからこそ、誰かに読んでもらいたい。
            そんな気持ちです。
    
     ※Book Offにも、図書館にも、持って行けない本。
       どれもこれも、大好きで、いつも手元に置きたい本ばかりです。
        『生涯の友』として、折りにつけ開きたい。
          そばに居てくれる喜びにしたりたい。
             そんな気持ちです。


       今日も、大好きなそれぞれの『本』をかかえて、
       孫娘と私は、二人並んで、ソファーで読書です。
               感謝!感謝!


そして。

今日は1月24日。年間第三月曜日。

  『聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士 記念日』
   

 1567年。 フランス、サヴォアの貴族の家にまれる。
       パリ大学とパドバ大学に学んで、法学博士となり、
       周囲からの期待も大きかったが、世の道を望まず、
       司祭となることを選んだ。
  
 1593年。26歳。 司祭に叙階され、ジュネーブ教区の司牧にあたった。
           当時は、宗教改革以来の混乱の中にあり、
           祖国のカトリック教会の復興のために尽力した。

 1602年。35歳、 ジュネーブの司教に選ばれると、
           教区の聖職者や信者たちの指導に全力を尽し、
           著作と活動によって彼らの信仰を育て、
           すべての人にとって模範となった。

 1610年。43歳。 聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタを指導し、又 協力して、
          「聖母訪問修女会」を創立した。

 1622年。55歳。 リヨンでし、遺体はアンネシーに埋葬された。
              『毎日の読書』より


『今日の集会祈願』

   『いつくしみ深い神よ、
 あなたは人々の救いのために聖フランシスコ・サレジオを選び、
   すべての人の友となる恵みを注がれました。
 聖人の模範に励まされて、わたしたちも人々に仕える者となり、
   あなたの愛と寛容をあかしすることができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 エルサレムから下って来た律法学者たちも、
      「あの男はベルゼブルに取りつかれている」 と言い、
    また、
      「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」  
                  と言っていた。
       
         そこで、
         イエスは彼らを呼び寄せて、
          たとえを用いて語られた。

     「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
      国が内輪で争えば、その国は成り立たない。
      家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
      同じように、
    サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
      また、
         まず強い人を縛り上げなければ、
 だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。
      まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

          はっきり言っておく。
    人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
    しかし、
   聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

       イエスがこう言われたのは、
 「彼は汚れた霊に取りつかれている」 と人々が言っていたからである。』
           マルコによる福音書 3章22-30節


   イエスは、
   病人の病気を癒やされたとき、
   その病気の原因と思われていた『悪霊』を追い出されておりました。
   しかし、
   イエスは、それを理由に、反対者から訴えられるのです。
     ※イエスは罪人の仲間となって、悪霊の仲間となっている。
     ※イエスは「悪霊の力」を得て悪霊を追い出している。
              ・・・と、訴えられるのです。
   すると、
   イエスは、反対者に、訴えるのです。
     ※反対者の考え方は矛盾している。
     ※悪霊を追い出すことができるのは、悪霊より力を持つ者だけです。
     ※悪霊を追い出す力を持つイエスの中では、
        神の霊・聖霊が働いているのです。
      

   聖霊は、すべての人の中で、働いておられるのです。
   聖霊は、イエスに反対する人の中でも、働いておられるのです。
     聖霊の働きは、人に『改心』を呼びかけることです。


  私たちは、
  自分の理解の浅さ、足りなさを認め・・・
  改めて改心し、聖霊の働きに感謝いたしましょう。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしたちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、
    福音を通して不滅の命を現してくださっった。』
       テモテへの手紙Ⅱ 1章10節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
本にしても、お人にしても・・・
長い人生を輝かしてくれる『素晴らしい出会い』がありますよね。
それぞれの出会いを大切にして、育てていきましょう。 お元気で!