マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

人間同志の深遠な絆・・・『道・ジェルソミーナ』 そして 『ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。』

2020-09-20 13:00:00 | 大学。大学院。本。映画。
9月20日・日曜日。曇り。

三連休の初日。
映画を観ました。
第29回アカデミー賞
「外国語映画賞」を受賞作品。

                『道・ジェルソミーナ』
         
              『哀愁に満ちたジェルソミーナ』   
         映画を見終った後、なんともやるせない悲しみに満ちた私
       その感動を、『ジェルソミーナの哀愁の目』 に描き残してみました。

          何回も観た映画であるが、観る度に感動が深まります。
         観る者の人生の経験が、映画の理解度に繁栄するようです。
                
   監督フェリーニ と ジェルソミーナを演じる監督の妻との人生を、反映させたとか。
    監督は、少年時に神学校を脱走してサーカス小屋に逃げ込んで連れ戻されたり
     ローマで放浪生活をして詐欺師にまでなっていた過去があるそうです。


フェリーニ監督は『道』に関して語りました。

『近代人としての私たちの悩みは『孤独感』です。
そしてこれは
私たちの存在の奥底からやってくるのです。

ただ人間と人間のあいだでだけ、
この孤独を断つことができるし、
ただ一人一人の人間を通してだけ、
一人の人間ともう一人の
『人間との深遠な絆』
発見させることができるのです。

それはまた、
私たちの本性を超越する
さまざまな価値への信仰が生まれ出るときでもあります。
大海とか、はるかな空のかなたに、
たぶんひどい苦しみか、涙のなぐさめを通して、
をかいま見ることができるでしょう 。
それは神学上の信仰のことというよりも、
魂が深く必要とする『神の愛と恵み』です。』


          カトリック信仰の根付くイタリアらしい映画でした。 
   ヨーロッハ映画は、結論を観る人に考えさせる風の終わりが、大人の世界を彷彿とさせて大好きです。 ←私の偏見?            
        我が家は、一日中、『ジェルソミーナ』が流れる
             楽しい連休の初日でした。
                感謝!感謝!

そして。

今日は9月20日。年間第二十五主日。

『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
       「わたしは民の救い。 
苦しみに中から叫ぶ民の願いを聞き入れ、 とこしえに彼らを治める。」』



        『今日の第二朗読   使徒パウロの言葉』
    
     『皆さん、 
                生きるにも死ぬにも、
わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、 希望しています。
    わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

  けれども、
         肉において生き続ければ、実り多い働きができ、
         どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。

          この二つのことの間で、板挟みの状態です。

    一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、
            この方がはるかに望ましい。
   だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。』
             フィリピの教会への手紙 1章20-24&27節


   西暦49~50年頃。

     パウロは、聖霊に導かれて、小アジアからヨーロッパに渡ったのです。
        ヨーロッパの最初の宣教地がフィリピの町でした。
        パウロは、そんなフィリピの町の信徒たちに対して
         特別な愛情を示し、心を許していたそうです。

        この手紙は、ローマで捕らえられていた牢獄から
  愛するフィリピの共同体へ、『勧めと励ましの言葉』 を書いたのです。

 パウロは監禁されているが、福音が伝えられていくことが、喜びです。
 迫害されても、恐れないように。
 信徒たちは、キリストにならって、へりくだって、互いに仕え合い、一致していなさい。
 ひたすら 『キリストの福音にふさわしい生活』 をするように。


    『福音』を、
    使徒パウロのように、 自分の『言葉』で、 直接に伝える人もおり、
    映画監督フェリーニのように、 自分の『映画』で、 間接的に伝える人もいる、
             と、いろいろ、今日も学びました。  感謝!感謝!


  私たちも、 自分の『言動』で、 『愛』を伝えることができるといいですね。


『今日の祈願』

  『父である神よ、 今日もわたしたちを遣わしてください。
 一人ひとりが与えられた場の中で、神の国のために働くことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は三連休をどのようにお過ごしでしょうか?
三日間が、楽しく、穏やかな日々でありますように。 お元気で!
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コロナ禍の効用・・・『再挑戦』 そして 『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。』・・・『あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。』

2020-09-10 17:14:19 | 大学。大学院。本。映画。
9月10日。木曜日。曇り。

一度くじけたものを
もう一度よみがえらせる。
そんなことが可能だろうか?
再挑戦です。

                   『メロンの網の目』
 
              
      『絵手紙のモデルのメロンの網の目模様を伝達鈍き脳が追いいる』

       長年の友人が、17年前の平成15年10月5日、出版した『歌集』です。
                       とても楽しく、見事で、私の愛読書です。

      『絵手紙』の趣味をたのしむ著者には、他にも多くの描画の作がありますが、
        自然の編み目模様にてこずる『人間の脳』、という見方は、
       さまざまな暗喩に満ちて、書題詩に相応しい広がりを持ちます。
      『メロン』は、深い暗喩を生かす絶妙な具象として、選ばれていて、
       歌人・友人の計り知れない資質が感じられます。すばらしい。
       

      御自身は、三人のお子さんを持ち、理科系の医療関係の仕事に携わり、
           『作詩』『絵手紙』を続けられました。(今は仕事は定年です)
        細い体に和服が似合う、 楚々と、穏やかな奥様の友人です。


ここで私事です。
私は一時『俳句』を
下手ながら楽しんでいました。 
そんなある時、 
先生が病を得て
クラスも私の句作も
終了となった。    

そんな私、
今日買いました。   
『古今和歌集』  
作詩の背景等が書かれています。
創作意欲が湧いてきます。  

      思い立って・・・
          STAY HOMEを余儀なくされているコロナ禍の今こそ、
      一度くじけたものを、もう一度よみがえらて、再挑戦してみようかしら?
        『我がメロン状の脳細胞』を 駆使してみましょうかしら?

          大変なコロナ禍にどう対応しましょうか?
      大変なときだからこそ、見ないようにしてきたものが見えてきました。
          自分を見つめ直す大切さに気づきました。
          
      人様との関係で、 自分の存在を確認してきたが、 今はそうはいかない。
       忙しさの中で、 自分をごまかしてきたが、 今はそうはいかない。
    人様との関係が、 いかに有り難いものかに気づいたが、 今はそれはままならない。
        『ウイズ コロナ』の、私の毎日の現実です。

      せめて、 我が思いを、 『57577』に、 絞り出してみましょうかしら?
         待ちに待った「芸術の秋」の到来です。



そして。

今日は9月10日。年間第二十三木曜日。

『今日の入祭唱』

   『キリストを信じ、キリストの愛のために命を捧げた殉教者は、
     キリストと共に終わりなく喜び祝う。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、  イエスは   弟子たちに言われた。

     「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。

      敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
  悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
      あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
       上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
           求める者には、だれにでも与えなさい。
        あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

    人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
      自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。
          罪人でも、愛してくれる人を愛している。
     また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
          罪人でも、同じことをしている。
      
     返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
      罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。

しかし、         あなたがたは敵を愛しなさい。
         人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
       そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。

      いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
    あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


           「人を裁くな。
       そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
   人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
       
        赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
       与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
  押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。

    あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」』
            ルカ福音書 6章27-38節


   『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。』
               これが『イエス様の教え』です。
                言葉にすれば『一言』です。

 人は『望む』のです。
     愛されたい。 親切にされたい。 何も当てにしないで貸してほしい。
      何も奪わないでほしい。 裁かないでほしい。 赦してほしい。 
           誰もが持つ、 『窮極的望み』 ですね。

   そして。

 人は私の『鏡』なのです。

      『あなたがたは、自分の量る秤で、量り返されるのである。』
         これが『イエス様の教え』です。
           とても厳しい『一言』です。

     愛した分だけ愛される。 赦した分だけ赦される。 与えた分だけ与えられるのです。
           私は、人を、愛し、許し、人に与えているだろうか?
             無理!無理!私にできることでない!

   では・・・私は愛されることも、赦されることも、与えられることもない。 どうしましょう!

   大丈夫!  神の愛は人間の愛に勝るのです。 神の赦しは無条件で与えられるのです。
      イエス様は、『十字架』を通して、『イエスの教え』を示してくださいました。

           まずは・・・イエス様が私たちを愛し、許し、
           『永遠の命』をも与えてくださったのです。

     
       今度は、私たちが、イエス様の『鏡』になる番です。

           神様は、私たちの『弱さ』を、よくご存じです。
       私たちは、 神の『愛』を理解し、 神から『力』を頂いて、
            『イエス様の愛』を『鏡』のように写して、
       『人を自分のように愛する』 ことができるようになるのです。
              一歩一歩です。


『今日の祈願』

   『聖なる父よ、わたしたちの心を愛で清め、
    永遠の命の希望で満たしてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で、内に向きがちな心を、解放致しましょう!
『贈与の連鎖』で! 『57577』もありですかね。 お元気で!        
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個々の唯一性や独自性・・・『戦場のピアニスト』 そして 御子イエスの母であり神の救いの業の協力者・・・『天の元后聖マリア 記念日』

2020-08-22 15:00:00 | 大学。大学院。本。映画。
8月22日。土曜日。31度。

連日の33度が
今日は31度。少し楽です。

映画を観ました。

            『戦場のピアニスト』
 
             『ある都市の死』

    ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの『体験記』
            脚色して映像化しているノンフィクション映画


               『生命力』
        残酷な戦場で生き延びた人=ピアニスト・シュピルマンには
               何があったのか?



私は、『何』=『答』 を見つけるべく
『夜と霧』を読み直してみました。


         『人生は彼等からまだあるものを期待しているということ、
      すなわち人生におけるあるものが未来において彼等を待っているということ。


  事実一人の人間には、彼が並外れた愛情を持っている一人の子供が彼を『待っていた』のであり、
    他の一人には人間ではないが他のもの、すなわち彼の仕事が『待っていた』のである。
     彼は科学者としてあるテーマについてのシリーズを書いていたのであるが、
        それはまだでき上がらず、その完結を待っていたのである。
    全く同様に他の一人もその子供にとってはかけがいのないものであったのである。

      個々の人間を特徴づけ個々の存在に意味をあたえる唯一性や独自性
          創造的な仕事に対してあてはまるばかりでなく、
         また他の人間とその愛に対してもあてはまるのである。

          他人によってとりかえられ得ないという性質、
            かけがえないということは、
            ーーー意識されればーーー
         持っている仕事、あるいは持っている愛する人間、
          に対して持っている責任を意識した人間は、
        彼の生命を放棄することは決してできないのである。』

                『夜と霧』より


              『生命力』
      ピアニスト・シュピルマンは、 『ピアニスト』として、
        他人によってとりかえられ得ないという性質、 
         かけがえない『ピアニスト』ということを、
            ーーー意識してーーー
          残酷な戦場で、 生き延びたのである。

           
      ・・・と。 私は大いに学ばせていただき、私は結論しました。
                          感謝!感謝!

ちなみに・・・
ピアニスト・シュピルマンの長男さんは
歴史学者となられ、
日本人学者と結婚し、
夫婦で、日本の大学で教鞭をとっておられます。
なんだか身近に感じられ、嬉しくなりますね。

 

そして。

今日は8月22日。年間第二十土曜日。

       『天の元后聖マリア 記念日』

          『大公の聖母』     ラファエロ作品


 1954年。 教皇ピオ12世が発表した回勅:
       『Caeli Reginam』(アド・チェリ・レジナム)によって
            この祝日が定められた。
          この回勅で、教皇は宣言されました。

        『マリアは、神子イエス、キリストの母であり、
      新しいイブとして、神の救いの業の協力者となった。』


   『原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れないおとめは、
   地上生活の道程を終えて、肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、
       そして主からすべてのものの女王として高められた。』

                 教会憲章より 
 
          天にあげられたマリアは、
        王であるキリストの栄光にあずかり、
          女王としてたたえられ、
     すべての人のために恵みを取り次いてくださっている。

              『毎日の読書』より



『今日の入祭唱』

   『諸国の王女、 あなたがたがめでる女たちの中から、
  オフィルの金で身を飾った王妃が、 あなたの右に立てられる。』

          詩編 45章10節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  イエスは群衆と弟子たち  にお話しになった。


     「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
       だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。

        しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。
          言うだけで、実行しないからである。

彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、
自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。
聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。

          だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。
          あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
           また、地上の者を『父』と呼んではならない。
            あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
              『教師』と呼ばれてもいけない。
           あなたがたの教師はキリスト一人だけである。


あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
  だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』

            マタイ福音書 23章1-12節


        『信仰』は、
           律法を教える先生でなく、
   私たちを導き、教え、信仰を与えてくださる、唯一のお方:神、 を『中心』に置くのです。



     私たちは、 本当の先生であるイエス様、本当の御父である神、 から導かれながら、
            『仕える者』、『へりくだる者』 となって、
    マリア様やピアニスト・シュピルマンのように、 自分の『唯一性』と『独自性』を意識して、
               信仰を守ってまいりましょう。


『今日の祈願』
  
  『天地を治められる神よ、
 あなたは聖母マリアを、天の元后、わたしたちの母としてくださいました。
 聖母の取り次ぎに支えられて、天の国の栄光にともにあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は映画はお好きですか?
素晴しい映画を観ながら、STAY HOMEを楽しみましょう。 お元気で!
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『老人と海』・・・『コレブの聖母マリア様』 そして 『どんな被造物も、主キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。』

2020-08-02 07:00:00 | 大学。大学院。本。映画。
8月2日。日曜日。快晴。

ジョグから帰ると
自分の水分補給の前に
庭の水まきです。
いよいよ夏本番です。


           水まき後・・・    『涼しげな庭』
     


今日は主日。

           縁側に座って、 庭を眺めながら、 しばし黙想です。
            ヘミングウエイの『老人と海』を思い出しました。


『(大魚との戦いに、)楽にはなったが、つらいことはつらい。
ただ、つらいと意識するのは拒んだ。
「おれは信心深い男じゃない」老人は言った。
「だが、この魚を捕まえるためなら、
主の祈りを十回に、アベ・マリアを十回 唱えたっていい。
コレブの聖母マリア様にもお参りにいくさ、
やつを首尾よくつかまえたらな。
ああ、はっきり誓うぞ
老人は型通りに祈りを唱えはじめた。

そして、つけ加えた。
「この魚が死ぬときにも祈ってやってください、マリアさま。
あっぱれなやつでございますから」』



             『コブレの聖母寺』
 
   『キューバの守護神、コレブの聖母マリア様、褐色のマリア像が祀られた聖母寺』

    1606年 『慈愛の聖母』と呼ばれる『褐色のマリア像』が、 3人の漁師に発見された。
    1608年  『褐色のコブレのマリア像』を安置する 『コレブの聖母寺』 が創建されました。
    1898年 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪問し、 『キューバ解放の感謝のミサ』 が行われました。
    1916年 訪れた教皇ベネディクト15世は、 『慈愛のコブレの聖母』を『キューバの保護者』 として宣言。
    2012年 教皇ベネディクト16世が、20万人の信者とラウル・カストロ国家評議会議長とともに、
            『聖母像発見400周年記念のミサ』 を捧げました。


         『コレブの聖母マリア様』
   

                 『慈愛の聖母:褐色のマリア像』
                 キューバの人々の『聖地』です。

   
『老人と海』の老人が、大海原の中、一人で、
「コレブの聖母マリア様にもお参りにいくさ、この魚を首尾よくつかまえたらな。はっきり誓うぞ」
          ・・・と誓いました。
      『本』の中で誓ったヘミングウエイは、
ノーベル文学賞を受賞したとき、 ノーベル賞の『メダル』  を、 『コレブのマリア様』 に奉納しました。


        老人になった漁師が、ただ一人で、大海原に出て、
          老人を苦しめる大鮫の群れといながら、
            命かながらにカジキを捕まえる。
             カジキはサメのえさとなり
              だけが帰港します。

 三昼夜に渡る苦難の末に、港に帰り着いた老人が、船のマストを背負って一歩づつ坂を登る。
        その『老人の姿』に、
      十字架を背負って坂を登り、十字架の磔刑の三日後に復活なさる
        『キリストの姿』が重なる。 のです。


    キリスト教の熱心な信徒の両親の元で育ったヘミングウエイ自身は
            『傑作』:『老人と海』 を書きました。

『(老人の小屋には)丈夫な繊維質のグアノの葉をひらたく重ねてつくった茶色の壁には、
       聖心を持つイエスとコブレの聖母のマリアの彩色画が飾ってある。
           どちらも亡き妻の形見だった。』


                ヘミングウエイは、
           『すべての被造物を愛し、憐れむ神・創造主』
           を発見したのでしょう。 と言われています。

             私たちも、 生涯の終わりまでに、 
         『すべての被造物を愛し、憐れむ神・創造主』
             を発見したいものですね。
          揺るぎのない『信仰』に至りたいものです。



そして。

今日は8月2日。年間第十八主日。

『今日の入祭唱』

  『神よ、速やかにわたしを救い出し、 主よ、わたしを助けてください。
       あなたはわたしの助け、 私の逃れ場。』

          詩編 70章2&6節


そして。

『今日の第一朗読 神の愛の賛美』

   『皆さん、 だれが、 キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
        艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。


しかし、これらすべてのことにおいて、
   わたしたちは、 わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

わたしは確信しています。
     死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
            高い所にいるものも、低い所にいるものも、
           他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、
    わたしたちを引き離すことはできないのです。』

            ローマの信徒への手紙 8章35&37-39節


  西暦49年頃。     ローマ皇帝クラウディウスの『命令』 が降りました。
                ユダヤ人達は、ローマから追放されました。
          
   当時。    ローマには大勢のキリスト者たちの共同体があり、
          ユダヤ系の者もいたが、 多くは地元の人であったと思われます。
          地元の信徒たちと、ユダヤ系の信徒たちの間で、いくらか反発しあっていました。

57年~58年の冬。  使徒パウロは、コリントから、ローマの信徒たちに、この手紙を送ったのです。

             パウロは、ローマの信徒たちに考えさせるために、
              『2点』 に焦点を当てました。  
                福音とは何か?
            キリスト者はどこに根を下ろしているのか?


     キリスト者とは、
     人間となった神の子イエス・キリストがあがない主(ゴエル)となって、
     私たち人間の罪をすべて引き受け、全人類の身代わりとなって自分の命を捧げ、
     死んで葬られ、三日目に復活されたという『神秘』を、信じて、認める者です。


     『福音:神の憐れみ』とは、
     限界も例外もなく、 『神の招きと賜物』 は取り消されることがないのです。


     キリスト者は、
     『神の栄光』のために、 キリストがあなた方を受け入れたように、
     わたしたちも、 『神の栄光』のために、互いに受け入れなくてはならない。

        以上。 使徒パウロが信徒たちに書いた『手紙の内容』です。


『今日の祈願』
  
     『いのちの与え主である神よ、
   キリストのことばをとおしていただいた豊かさを、
   すべての人と分かち合うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『ウイズ・コロナの生活』は、人の心を豊かにする『時間』をもたらすかもしれませんね。
与えられた時間を、しっかりと大切に致しましょう。  お元気で!
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ヘミングウェイの心の軌道・・・『老人と海』 そして 『ヨハネの弟子たちが来て、ヨハネの遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した。』

2020-08-01 10:00:00 | 大学。大学院。本。映画。
8月1日。土曜日。快晴。

 7月31日の梅雨明け。
  翌日の今日
 8月1日は快晴の青空。


      美しい青空を眺めていると・・・    『飛行機雲』
 
           まっすぐに・・・瞬く間に雲の中に消えていった。
            どこに行く飛行機だろう   
       私も、 ”Come & See"、 夏の空を飛んで、 どこかに行きたいな。
 

7月13日。NHKBS。1時間。
ハイビジョン特集 『時の旅人』
 『アメリカに背を向けた男の真実
人生の晩年をキューバで過ごしたヘミングウェイ
旅と釣りと酒を愛した作家の心の軌跡を辿る』

案内役の小説家・矢作俊彦 氏とともに、
ヘミングウエイの『誕生~死』までの軌跡を辿りました。

『時の旅人:ヘミングウエイの軌跡』が忘れられない。
とても、心に残りました。
私は、早速に、本棚から『老人と海』を取り出して
読み直しました。
作者の『人生の軌跡』を辿った後の『再読』は、
私の読書感動が、まるで違いました。

    更に。

     シンプルで叙述の文体に感動・・・     『英語版:The Old Man and the Sea』
   

       ヘミングウエイの『真の心』を読み取りたくて
            重要な部分と思うところを・・・
      『原版:英語版』に挑戦、 日本語版と原版の比較をしながら読んでいます。

 
始まりはこんな感じです。

   『He was an old man who fished alone in the Gulf Stream and he had gone eighty-four days 
now without taking a fish. 漁師は年老いていた。一人で小舟を探って、メキシコ湾流で漁をしていたが、
         すでに八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。』

         なるほどね。 句読点もカンマもない、一つのセンテンスを、
二つのセンテンス。 しかも4つのカンマをつけて、こんな風に訳すのですね! と言う感じで読んでいます。


     52歳で『老人と海』を書き上げ。 54歳で『ノーベル文学賞』受賞。 61歳自死没。
    波瀾万丈の人生の作家は、『遺作』のような作品を、どんな『心』で書いたのだろうか? 
              なるほどね。 と
    ヘミングウエイの偉大さは勿論、翻訳者の偉大さにも、 心動かされながら読んでいます。



そして。

今日は8月1日。年間第十七土曜日。

『今日の入祭唱』

  『主に従う人は、 口に知恵の言葉があり、 その舌は正義を語る。
      神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩く。』

           詩編 37章30&31節

そして。

           『今日の福音 洗者ヨハネの死』
  
  洗者ヨハネが授けた・・・   『キリストの洗礼』   レオナルド・ダ・ヴィンチ作品


  『そのころ、 領主ヘロデはイエスの評判を聞き、 家来たちにこう言った。
        
   「あれ(イエス)は洗礼者ヨハネだ。 死者の中から生き返ったのだ。
         だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」


実はヘロデは、
自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、 に入れていた。
 ヨハネが、
   「あの女と結婚することは律法で許されていない」 とヘロデに言ったからである。

      ヘロデヨハネそうと思っていたが、民衆をれた。
       人々がヨハネを預言者と思っていたからである。

ところが、 ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、 皆の前で踊りをおどり、 ヘロデを喜ばせた。
それで彼は娘に、  「願うものは何でもやろう」  と誓って約束した。
すると、
  娘は母親に唆されて、 「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」 と言った。

王は心を痛めたが、 誓ったことではあるし、 また客の手前、 それを与えるように命じ、
          人を遣わして、 牢の中でヨハネの首をはねさせた。
            その首は盆に載せて運ばれ、 少女に渡り、
  
             『ヘロディアの娘』      セバスティアーノデルピオンボ作品

少女はそれを母親に持って行った。

それから、
ヨハネの弟子たちが来て、 遺体を引き取って葬り、 イエスのところに行って報告した。』
            マタイ福音書 14章1-12節


昨日は、  イエス様が、 故郷ナザレトの人たちに認められず、 『苦しみの僕』となりました。
今日は、 『最後の預言者』であるヨハネが、 ヘロデ王の恨みのために、『苦しみの僕』となり、命を失います。
     ヨハネも、イエス様同様に、 『正しい行い』をしたのに、迫害されました。
     イエスは、そんなヨハネを認めて、 『一番偉い預言者』 と宣言なさったのです。


   ヘロデ王は、ヘロデの『不法の結婚』を責めたヨハネを恨らみ、ヨハネを殺そうと考えていました。
          その時が来ると、
       ヘロデ王は、 復讐心から、 ヨハネを殺しました。
   当のヘロデは、 しばらくたってからローマ帝国の前で告発されて、『追放の身』となります。


   イエス様は、『ヨハネの事件』から、ご自分の『使命』を、より確信なさったことでしょう。
    預言者達は、神様の『正しい言葉』を語っても、 反対され、 迫害を受けるのです。


        弟子たちは、 イエスやヨハネの 『僕の苦しみ』 のお姿から、
             多くを学び、 大きな希望を頂き、
               『宣教』を続けたのです。


        私たちも、 人様との理解は、 難しいことと知っています。
   それでも、『先人達の犠牲』のお姿から力を頂いて、相互理解をがんばりましょう!


『今日の祈願』

  『私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。
   召された者には、神の力、神の知恵であるキリストです。』

        コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章23&24節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小学生達は夏休みに入ったようです。大人の私たちが、良い手本を示しながら、
夏休みの子どもたちをコロナウイルスから守っていきましょう。 お元気で!      
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夏目漱石・・・『思い出す事など』 そして  『世の終わりにもそうなる。良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てられる。』

2020-07-30 15:00:00 | 大学。大学院。本。映画。
7月30日。木曜日。曇り時々晴れ。  


私の本の購入は
もっぱら「Amazon」からです。


     今日の買い物・・・   『夏目漱石 思い出す事など』
     

        1910年(明治43年)の『修善寺の大患』を、自ら描いた随想です。


私は好きな『テレビ番組』がいくつかあります。
好きな『番組』は、欠かすことなく録画しておき
後日に、ゆっくりと観るのが好きです。

一つは、以前にブログにも書いた
 『心の時代』

一つは、『100分de名著』です。
週1回25分で、月に4回の放送。
25分×4回=100分で、1ヶ月に一冊の『名著』を読み上げるのです。
私は、必ず、取り上げられる『名著』を買って読むのです。

          
          7月の『100分de名著』は、吉本隆明の『共同幻想論』でした。          
              今月の『名著』は難しい。 まるで分かりません。
        解説の先崎彰容先生の『指南』で、どうにか読み込んでいきました。


先生の『指南』・・・
現代社会は、極めて「多忙な時代」になっています。
その理由の一つが、インターネットやSNSの普及拡大による多忙です。
『民主主義のルール』
人々の対話と熟議を、なにより重視するもので、
本来、時間性を特徴とします。
時間をかけてでも、他者の意見を尊重し、すり合わせ、
最終的には、多数決の原則にしたがう、のが民主主義のルールです。
ところがSNSの普及は、民主主義の姿を変えてしまいました。
高速度化する現代社会は、
安定した人と人とのつながりが非常につくりにくいということです。
                 ・・・等々。

       
         吉本隆明は、 夏目漱石の随筆:『思い出す事など』 を用いて、
           『確信』に触れていきます。


  『平凡な生活がいかに奇跡的か、 当たり前に見える家庭がいかに必死に生きているのか。』
             を再認識するときに、
    人間は、『生き方の突破口』、『人が自立して思考する拠点』 を見つけるのです。
               と、先生は指南なさいました。


只今。 
私は、夏目漱石の随筆:『思い出す事など』に
大いなる興味を持ち、購入した次第です。 
早速に、読書中です。 楽しいです。


そして。

今日は7月30日。年間第十七木曜日。

『今日の入祭唱』

       『全地よ、 主に向かって歌え。
 
    国々に主の栄光を語り伝えよ、 諸国の民にその驚くべき御業を。』

            詩編 96章1&3節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは  人々に言われた。


         「また、天の国は次のようにたとえられる。

         網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。
       網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、

 
       良いものは器に入れ、 悪いものは投げ捨てる。


            世の終わりにもそうなる。
      天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、
           燃え盛る炉の中に投げ込むのである。
       悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

        あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」

  弟子たちは、     「分かりました」   と言った。
そこで、
 イエスは言われた。  
            「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、
       自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」


       イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去った。』
          マタイ福音書 13章47-53節


    今日も、イエス様は、 『天の国』 と 『最後の審判』   について話されます。


イエス様は話しました。

『天の国』は、
大漁の漁師が、魚を岸に上げてから、座り込んで、
良いものは器に入れ、 悪いものは投げ捨てる。
         のに似ている。
自分の倉から新しいものと古いものを取り出す
   一家の主人、  似ている。


   どういうことでしょう?
   私なりに考えてみました。

      漁師さんは、
        大量の魚の 『良い魚と悪い魚』 を見分けるときに、
         網から持ち上げて、すぐに、
             『悪い魚』 棄てるようなことはしない。
     家に持ち帰ってから、 『良い魚と悪い魚』 を区別するのです。
     急ぐことは間違いが多い。 ことを経験で学んでいるのでしょうか。


     神様も、
        この世の 『良い人と悪い人』 を見分けるときに、
                すぐには、
             『悪い人』 を裁くことはなさらないのです。
      『神の国』の働きは、 まだ終わっていないのです。
 『神の国』の統治者の神様は、 『悪い人』の『改心』 を待っていてくださるのです。
 神様は、 『神の裁き』 を、 『神の国の完成』の時まで、 お待ちくださるのです。


     弟子たちは、
       『イエスの説明』を、 『分かった』と言いました。
       神様と同じように、
   すぐに裁くことなく、 人に『改心』の時を与える必要があるのです。


     私たちキリスト者も、
        『イエスの説明』 が分かれば・・・
 私たちにも、最期の時まで『改心』のチャンスがあると分かり、感謝と喜びです。
    又。
        『裁きは神の仕事』 と悟り・・・
 お人を、 すぐに裁くことなく、 『共歩』 の道を探ってまいりましょう。


    イエス様は、弟子たちやキリスト者が、『神の国』を理解できたのを認めれば・・・
       ご安心なさって、 まかせて下さり、  立ち去られるのです。
                 責任重大です。 でも 感謝!感謝!   


『今日の祈願』  

   『万物を治められる神よ、
 わたしたちがまことの礼拝を捧げ、 永遠の幸せにあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、本を読むのは、活字派ですか? それとも キンドル派ですか?
娘家族は全員、孫達もキンドルです。 私は、キンドルには慣れなくて、いまだに活字です。
読書で、自粛生活が満たされますね。楽しいですね。  お元気で!
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『古典三昧』・・・新しい自分を創造する  そして 『見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。』

2020-03-23 20:16:02 | 大学。大学院。本。映画。

3月23日。月曜日。快晴。

         コロナウイルス対策・外出自粛の日々が続きます。

 今日も。
 読書三昧で・・・   『それから』
 
       ネット購入代金:326円 本体69円&送料257円)


   日曜日新聞の私の楽しみは、『コラム』:『昨日読んだ文庫』
  
      コラム投稿者の『記事』に共感すると、
        すぐに。
   ①:『コラム』 を切り抜き、 『日付』 を記入しておく。
     ②:ネットで、『昨日読んだ文庫』 予約する。
                            (購入を忘れることがなくなる)
        数日後。
 ③: 『予約本』が届いて、早速、読書三昧の一日となる

  

    私は、 『コラム』:『昨日読ん本』 が大好きです。

    コラムニストの『読書体験』 を、追体験させていただく。
      コラムニストの追体験が、
   一冊の本を、私とは違う、別方面から読む楽しみを与えてくれる。

   
 15日・日曜日の 『昨日読んだ文庫本』 は 『それから』 でした。
    
  「思えば、古典小説を真剣に最後まで読み切り面白いと思ったのは
         『それから』 がはじめてだった。」 と
       コラムニスト・古幡氏の読書体験も,
                  なるほどね! と面白く読んだ。


        私は、『古典』 が大好きです。
         私は、現代本はまず読まない。読む時間もない。

   『古典』には現状の世の『外』に心が向かう現代本に比べて、
      自分の 『内』 に向かわせてくれる、魅力がある。

      作者の描く『自分』 を、追体験させていただく。
        作者の追体験が、
   私の中に、 『外』に惑わされない、 『普遍』 を築き上げていく。
     私の中に培われた 『普遍』 を強固なものとしてくれる。


 『温故知新』
 古きを心に温め、私の心に生き返らせ・・・『新しい自分』 を創造するのです。

 

今日も、心が満たされる『古典三昧』で、『外出自粛の一日』は瞬く間に終わりました。
                              感謝!感謝!

 

そして。

今日は3月23日。四旬節第四月曜日。

『今日の集会祈願』

    『救いの秘跡によって世をしくされる神よ、
     わたしたちがあなたの恵みのうちに成長し、
   困難の中にも助けを見いだすことができますように。』

 

『今日の第一朗読 主の御言葉

  神様は、個人だけでなく、世界中を新しくなさいます。


『主は言われる。
    見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
 


     初めからのことを思い起こす者はない。
     それはだれの心にも上ることはない。
     代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。

      わたしは創造する。

    見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
 
    その民を喜び楽しむものとして、創造する。

  そこには、泣く声叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。 
         もはや若死にする者も

      年老いて長寿を満たさない者もなくなる。

        彼らは家を建てて住み
   
      ぶどうを植えてその実を食べる。』
        イザヤ書 65章17-21節


      神様は、『新しい世界』 の創造を告げられました。

       
        神は、新しい天と新しい地、を創造され、 
         これまでの『敵対』は消え去るのです。
     病も死もなく、泣く声、叫ぶ声も聞こえない、新地なのです。
  主のまなざしは、貧しい人、虐げられている人に、向けられたのです。

         神は、全ての人を神のもとに集め、
         神は私たちとに住まわれるのです。

  『新しい世界』 は 『神とアブラハムとの約束の成就』 なのです。
        そこは、この地ではなく、『神の国』 なのです。
      
        
    私の造り上げる『新しい心』も、神が造り出される『新しい国』も、
        古きを心に温め、心に生き返らせた、
         『真理』が支配する境地ですね。


『今日の詠唱』

     『善を求めよ、悪を求めるな。
    お前たちが生きることができるために。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
外出自粛の日々、屋内の楽しみを見つけて、穏やかにお過ごしください。 お元気で!

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フレンドリーコンサート・・・『クラリネットと弦楽四重奏』 そして 『ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。』

2019-10-03 22:25:10 | 大学。大学院。本。映画。

12月3日。木曜日。曇り時々雨。


   室内楽・・・  『クラリネットと弦楽四重奏』
  

   音楽好きの方が2階大広間を開放されて、演奏者は5人、聴く者は25人

      『クラリネットと弦楽四重奏 フレンドリーコンサート』
           5人演奏家ともが大ベテラン

『出演者』

 クラリネット奏者は大学のオーケストラ部以来の「僕の人生はクラリネットと共にある」、私の同窓生。
 チェロリストは、ヴィオラ奏者の妻と第一バイオリンの息子と、家族三人で演奏家、見事なご家族。すばらしい!
 第二バイオリン奏者は、いつもニコニコと全体を和ませ、緊張を消しフレンドリーさを生む、初老の好紳士。


   王侯貴族の館の部屋で演奏される世俗音楽を指す「ムジカ・ダ・カメラ」(部屋の音楽)という言葉が
            『室内楽』のはじまりです。
      私にとって、目の前で演奏を聴くなんてことは、初めての経験でした。
            映画のシーンのようでした。


曲目』
  
  ロベルト・フックス『クラリネット五重奏曲 変ホ短調 op.102』
    
             アントニン・ドヴォルザーク『ソナチネ ト長調 Jack Brymer 編』
    元々は『4重奏曲』に作曲されたのをクラリネットとの五重奏曲に編曲されたとか?

     一曲、30分の演奏です。
     「どうしてこんな難曲ばかりを選んだのですか?」といわれる、難しい曲でした。
         すばらしい、息つく間もない、感動の演奏でした。

   私の友人のクラリネット奏者は、弦楽器を引っ張るような時もあり、額から汗を流しながらの、名演奏でした。
   一人女性の美しく華奢なヴィオラ奏者は、「フルマラソンを走った後のようだわ!」と、演奏後の一声でした。

      全員(私の友人以外)、自分のお仕事を持ちながらの、二つ目の顔は『演奏家』です。
      私の友人は、神戸市民交響楽団に属して演奏会、『木管五重奏団』を作りあちこちに講演活動、
            教会の式典の演奏も引き受け、『演奏家』の第二の人生を送っています。

  すばらしい演奏を聴きながら・・・
    ”私は学校卒業以来、
      演奏家の皆様のように、何かを残してきただろうか?”
      私の友人のように、施設訪問をして『懐かしのメロディー』演奏で、お人の人生を輝かしているだろうか? 
      世界に時代を超えて『曲』を遺された二人の作曲家のように、何かをお人のためにしてきただろうか?
        ・・・と。私の心揺り動かされた そして 5人の演奏家のお顔ガ輝いた、『演奏会』でした。
                   

 
そして。

今日は10月3日。年間第二十六木曜日。


『今日の第一朗読 祭司エズラの言葉

    祭司であり学者であったエズラは、
    バビロン捕囚から帰還するユダヤ人たちを
    エルサレムに導き帰った指導者でした。

 

   『その日、民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。
  彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた。

    祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。
彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、
 
    夜明けから正午までそれを読み上げた。
    民は皆、その律法の書に耳を傾けた。

エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。

    彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。
エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、

    ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。

レビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。
彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。』
         ネヘミヤ記 8章1-12節

 

   エズラは、
   バビロン捕囚前にある程度まとめられていた聖書や口伝などの資料と、
   捕囚期の新しい資料とを、総合的にまとめる作業をしました。
   現在私たちが手にする聖書の大部分が、このときに完成しました。

 

   エズラは、
   ユダヤ教の厳格主義を貫き、異邦人とイスラエル人との分離を推進し、
   ユダヤ教を国家宗教とするために働きました。

 

   イスラエルの人々は、
   エルサレムに戻ってもペルシャの支配下にあリ、異教徒に囲まれて暮らしていたが、
   エズラの話や教えに耳を傾け、
   神に選ばれた民として、
   安息日を守り、定期的に祭りを行い、モーセの教えに従う生活ができるように、
   日常生活を安定させることに、配慮していったのです。
   

   エズラは勿論、イスラエルの人たちは、
   生涯をかけて、信仰を守り、国の復興を計ったのですね。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
私も、演奏家や聖書の中の人々から元気と勇気を頂き、生涯をかけて『一つ事』に挑戦です。 お元気で!

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『だから、目を覚ましていなさい。用意していなさい。』・・・『卒業校関西支部総会』 そして 『宴会に招待されたら、上席についてはならない。』

2019-09-01 12:00:00 | 大学。大学院。本。映画。

9月1日。日曜日。晴れ。


12時~5時。

              『最終卒業学校校友会関西支部 2019年度総会』
 
     100人ほどの懐かしき友たち。           於。リッツカールトン大阪

 

   『だから、目を覚ましていなさい。その日、その時は、誰も知らない。
   いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなた方にはわからない。
 だから、あなた方も用意していなさい。主は思いがけない時に来るからである。』
                     マタイ福音書 23章36-44節


         総会は、『開会祈祷』 で始まる。

 『開会祈祷』を、私の担当であり、必ず、『主の御言葉』で、まとめることにしています。


  『5月1日より令和元年が始まって以来、今日で、ちょうど4か月がたちました。
    皆様にとって、新年号:令和の始まりはいかがでしたでしょうか?
    素晴らしい始まりであったことを、願う次第です。
    しかし、日本全国を大雨や大洪水が襲う、想定外の令和の幕開けでもありました。
        被害に遭った皆様に心よりお見舞いを申し上げます。


    主イエスは、災害がそうであるように、
       人の最期の時は、災害以上に、突然襲うというのです。

       私は、自分の兄と友で、それを経験しました。
     ”ちよっと待ってください。”  ”もう少し猶予を下さい。”
                    と、申し上げることはできませんでした。

    だから、主イエスは、その『時』は突然来ることを忘れることなく・・・
     『目を覚ましていなさい。用意していなさい。』 と言われるのです。


    私たちも、最期の時に、”我が人生に悔いはなし!” と言えるように、
    隣人と仲良く、神に感謝しながら・・・十分な準備をしていましょう。』

 

   我が母校の『スクールモットー』 は 『地の塩、世の光』 マタイ福音書5章13&14節

    
 長年にわたり学ぶ学校の『モットー』は、
 卒業生皆の『アイデンティティー』となって、卒業生の一人一人の人生を輝かしていきます。

              旧友たちの謙遜の素晴らしさ感動する『秋のひと時』でした。             


      

そして。

今日は9月1日。年間第二十二主日。


    『ファリサイ派のある議員の家で食事をするイエス』 
    
         『左側が上席』


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。』アレルヤ、アレルヤ。
                マタイ福音書 11章29節

 

『今日の福音書 イエスの御言葉

  『安息日のことだった。
 イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
       人々はイエスの様子をうかがっていた。

    イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、
       彼らにたとえを話された。

    
     「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。
 あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、
      『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。

      そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。

     招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。
   そうすると、
  あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。

     そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。


  
 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」


     
また、イエスは招いてくれた人にも言われた。

  「昼食や夕食の会を催すときや、宴会を催すときには、
    むしろ、
貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。

     
      
そうすれば、

     正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」』
                 ルカ福音書 14章1-14節

 

   食事に招かれたエス様は、
      『最期の食卓』:『神の国の宴会』 を考えていました。

        そこで、
          ファリサイ派の人たちに、忠告なさったのです。

     
   
    『目を覚ましていなさい。その日、その時は、誰も知らない。

   いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなた方にはわからない。
 だから、あなた方も用意していなさい、主は思いがけない時に来るからである。』


     『神の国の宴会』
ここに招待されるためには、この世での『愛神愛隣』の行いが、問われる。
                      と、イエスは言われるのです。

    

  あなたは、貧しい人をお食事に招き、『隣人愛』を示しましたか?
  あなたは、いつも、上席ではなく、下席に座る、『謙遜』 さで生きましたか?
  あなたは、いつも、どなたとをも平等に、『差別』 を遠ざけましたか?
  あなたは、小さな一人にしたことは神へしたことであり、『隣人愛』を実行しましたか?


    
   イエス様は、
  その地上での生涯においても、今も、『隣人愛』と『謙遜』に満ちた方で、
        誰にも『差別』ない御方です。


     イエス様の愛も、神様の愛も、
    海よりも深く、空よりも高く、
  差別なくすべての人を、『救い=天の国の宴会』 に招いてくださいます。

      

    私たちは、
   『神の愛』を受ける資格のない者であると、自覚を忘れることなく、
     目の前で宴会場の門が閉められることなないように・・・
      目を覚ましていましょう! 準備いていましょう!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昔の友と同級会や同窓会でお会いするのは、自分を振り返る好チャンスですね。 お元気で!

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神戸にも雪・・・『全国的雪』 そして 『聖霊を冒涜する者は赦されない。』

2018-01-22 22:52:23 | 大学。大学院。本。映画。
他所に比べ暖かい神戸にも、雪が降った。

窓から眺めるだけ・・・  『初雪』
 
土に降りるととけてしまう。 美しい。

東京でも、高速道路のいくつかが走行禁止になったとか。
美しい!なんて言っていられない。 大事になりませんように!

雪といえば思い出します。
夫の転勤で、ニューヨークからロスアンジェルスに転居となった時のこと。
忘れられない夫の誕生日の11月9日に雪のニューヨークを飛び立った・・・・・
5時間半ほど後に降り立ったロス空港・・・御嬢さんたちはビキニ姿でした。

 アメリカは広い!大きい!でっかい! 改めて思い知らされた経験です。


そして。

今日は1月22日。年間第三月曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『律法学者たちも、
「あの男(イエス・キリスト)はベルゼブル(悪霊の長で、サタンの同義語)にとりつかれている。」と言い、
「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している。」
と言った。

そこで、イエスは律法学者たちを呼び寄せて、語られた。

「はっきり言っておく。
人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」』

              マルコ福音書 3章22-30節

イエスは、
病人をいやされた時、その病気の原因と思われた悪霊を追い出しておられました。

そこで、
イエスは、反対者から、訴えられるのです。
「イエスは罪人の仲間になって、悪霊の仲間になっており、悪霊の力で、悪霊を追い出している。
イエスの中で、聖霊ではなく、悪霊が働いているのだ。
イエスは聖霊ではなく、悪霊の頭:『ベルゼブル』に取り憑かれているのだ。」
と。


そこで・・・
イエスは、律法学者を呼び寄せ、断言なさったのです。
 

  『聖霊を冒涜することだけは、決して赦されることがない。』と。
  『聖霊』から勧められても、赦しを断る人は、赦されないのです。


イエスは、
何をしたら、『聖霊に逆らう冒涜の罪』を犯したことになるのか、はっきり特定されたのです。
この『冒涜』は、イエス.キリストが聖霊に満たされている代わりに、悪霊に取り憑かれているとすることです。


悪霊を追い出すことができるのは、悪霊より力ある者だけです
イエスの中で、悪霊より大きな力が働いているのです。『聖霊』がイエスの中で働いておられるのです。


しかし、
律法学者や、それを認めたくない人が、大勢いたのです。
それでも、
イエスは、それらの反対者の中でも『聖霊』が働いているので、反対者にも改心を勧めるのです。


 三位一体の神は、人に赦しを与えることを、諦めることはありません。
   ず~と、すべての人の改心を待ち続けておられるのです。
            感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は雪の被害はありませんでしたか? 皆様のご無事をお祈り申し上げます。 お元気で!
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