マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『よからぬ過去を清算するということです。』 そして 『どこへでも従って参ります。』

2019-06-30 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

6月30日。日曜日。大雨のち曇り。
 今日もいろいろありました。


 朝9時半。  
        『主日ミサ』
 

 ろうそくに火を灯し、ミサの始まりを待つ。

  『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。』
                     『今日の入祭唱』 詩編47-2

      
   今朝は、侍者の小学生4人と共に、私は『聖体奉仕』のお勤めでした。


    『ご自分の命を捧げてくださったキリストに合わせ、
    わたしたちも自分自身をささげることができますように。』
                    『今日の奉納祈願』

       
  小学生たちは、蒸し暑く祭服の下の体は汗、立派に奉仕をこなします。
                                                               素晴らしい。かわいい。


午後3時47分。

 
 トランプ氏とキム氏・・・      『パンムンジョムで面会』
  
 お二人で見つめ合って、『軍事境界線』を、歴代アメリカ大統領初、超えました。
  
 その瞬間。 

  キム氏: 『よからぬ過去を清算するということですね。』
  トランプ氏: 『友情を感謝します。素晴らしいことが起きています。
              初めてお会いした時から好きでした。』
                   と、言い合った。

    
 この、『面会第一声』を聞きたくて、興味津々で、
          テレビの前に張り付いていた私です。

      キム委員長の『言葉』に魅かれました。

そこで私は思い出しました。

 神は、  『食物を収穫する時は畑の隅まで刈り尽してはならない。
     これらは貧しい者や、寄留者のために残しておかなければならない。
レビ記 19章9-10節 
                と、『命令』された。

 禅宗は、『自分たちの一番大事なものは他人のためのものであるから残しておく。」
                と、『天の理』を教える。

        
     『よからぬ過去の清算』 は 『分配』 から始まる。
                
 と、私は考えました。

 

そして。

今日は6月30日。年間第十三主日。


  『天の理=イエス』 に従うことは、生易しいことではありません。


『今日の福音 イエスの御言葉

  『イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。

        一行が道を進んで行くと、

イエスに対して、
   「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。

イエスは言われた。
   「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

そして別の人に、イエスは言われた。

         [死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。
                あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」

また、別の人も言った。
      「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」』
               ルカ福音書 9章51-62節

 

           イエス様に従うということは、生易しいことではない。
      『神の命令』に従うには、尋常ではない覚悟が必要なのです。

  同様に。
     
    『天の理』に従うことも、自己を捨てることであり、覚悟がいるのです。


     
    イエスは、
         『最期の時=十字架上での死』を悟り、
   愛する弟子たちと共に、エルサレムに登られる覚悟をなさいました。

        その道中。
   
    愛する弟子たちに、御自分の弟子であるゆえに味わう『苦しみ』 と、
        弟子であるための『覚悟』を、述べられました。
    
  
  動物ですら寝床がある。しかし、寝る所もないほどに迫害を受けることもある。

  父親の葬儀は、信仰者でない者に任せなさい。
         親の埋葬の時間は『神の国』を言い広めるために使いなさい。
     
  宣教を始めた者が、世を懐かしんで、後ろを振り向くことは許されない。

           
      
   『覚悟』は、『忍耐』を要し、必ず『希望』につながるのです。

    
    
      私たちキリスト者も、イエスの弟子です。

         宣教者としての『使命』を与えられた者です。
            『覚悟』を要求されるのです。


   当時の弟子たちは、一緒に、共に行動しました。
   今の私たちも、共に信仰を分かち合いながら、共に頑張りたいものですね。


『今日の奉納祈願』

   『わたしたちの父である神よ、主キリストの招きにこたえて祈ります。
     ご自分の命をささげてくださったキリストに心を合わせ、
     わたしたちも自分自身を捧げることができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末はいかがでしたか? 雨にも負けず、今週も明るくいたいものですね。 お元気で!


『どうぞお話しください。僕は聞いております。』・・・サムエル・・・『主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。』

2019-06-29 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

6月28日。金曜日。夏日。晴れ。

  
   毎金曜日は、深みが益々増してくる味ある仲間たちと、『聖書100週間』
 
 毎週、相当量の聖書を読んできて、電車に乗りバスに乗って集まり、自分の感想を述べる。
         これは、大変な心身の鍛錬となる。
            鍛錬の日々を重ね・・・
  皆様のお顔が変わってくる。素敵な人間味にあふれるお顔になってくる。美しい。


      今日の通読範囲は、『サムエル記 1章~15章』

  
           サムエルの人生が語られます。
     
        『幼きサムエル』     ジュジュア・レイノルズ作品
      

     父エルカナ。 母ハンナ。
  サムエルは、長きにわたって子供を望んでハンナがようやく授かった子でした。


誕生前。

        母ハンナは、『誓い』を立てて(神に)言った。

 「万軍の主よ、はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授け下さいますなら、
     その子の一生を主にお捧げし、その子の頭には決してかみそりを当てません」』
                                サムエル記 1章11節


    サムエルは、生まれる前から、母の誓いによって、
       生涯を『神に捧げる者』とされたのです。

 

          今日は、『神に生涯をささげる者』 の一生を見てまいりましょう。
                 長いですが、よろしくお願いいたします

 

乳離れしたサムエル。

    母ハンナは、サムエルを司祭エリのもとに連れて行って、言った。

  「わたしはこの子を授かるよに祈り、主が願ったことをかなえてくださいました。
         わたしは、この子を主にゆだねます。
        この子は、生涯、主にゆだねられた者です。」』
                   サムエル記 1章28節


シロの主の家で。          

       『司祭エリと両親はそこで主を礼拝した。 

         ハンナは、主を賛美して、言った。

     「主にあってわたしの心は喜び、御救いを喜び祝う。  
     聖なる方は主のみ。 あなたと並ぶ者はだれもいない。   
       岩と頼むのはわたしたちの神のみ。」』 
            サムエル記 2章1-2節


          乳離れしたばかりの幼児サムエルは、           
        両親から離され、司祭のもと・主の家で育ちます。
         厳しいことです。寂しかったことでしょう。

      乳離れしたばかりの我が子を司祭に託し、
   子との別れをする両親も、どんなにか悲しく、寂しかったことでしょう。
          しかし…私情をはさむ余地はなく、
      『神との誓い』を、我が子のために、厳守する両親の愛です。

  親は、最終的には、”子の信仰が守られ、その道を全うできますように!”
        ・・・と。 子のために祈ることしかありませんね。



少年サムエル。

   『サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の前に仕えていた。
             少年サムエルは主のもとで成長し、
      すくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。』 
           サムエル記 2章18-26節


     神への絶対なる信頼を持つ両親から生まれる子は、
      ”神に守られている!” と、子にも確信が生まれるのでしょうね。

 

  サムエルは生涯神から離れることなく、神もサムエルから離れることがありませんでした。 



サムエルへの主の呼びかけ。

       『少年サムエルは、神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。

   は三度サムエルを呼ばれた。 「サムエルよ。」
サムエルは、その度、答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」


       祈りとは、神様と私、汝と我、の対峙ですよね。
          祈りとは、神様に聞くことです。
     「神様、どうぞお話しください。僕は聞いております。」   
      祈りとは、神と話しながら、神のお考えを尋ね求めることですね。


  
  それにしても、
     サムエルは、寝ても覚めても、昼は主のもとで働き、寝るときは神のおわす神殿で寝て、
       主と一時も離れることなく、いつも直接に、主から学んでいったのですね。

 

  サムエルの生涯は、常に神と共に、神のそばを離れることない毎日でした。
      『神と一体』となる生活も、『神と同化』する生き方も、
  幼いころからの習慣から、『生涯の生き様』へと浄化されていったのでしょう。

 

   
   『主はサムエルに言った。

 「祭司エリは、自分の息子たちが神を汚す行為をしていることを知っていながら、
     止めなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く。
      この家の罪は、とこしえに贖われることはない。」

 

    
 『祭司エリは言った。
   「我が子、サムエルよ。お前に何が語られたのか。私に隠してはいけない。」 

   
    サムエルはエリに一部始終を話し、隠し立てをしなかった。
      
      『エリに神の裁きを伝えるサムエル』

こうして・・・
  サムエルの師・祭司エリは、息子二人の死の後、神の裁きを受けるのです。亡くなりました。

   
  サムエルは、『神の言葉』を告げる『預言者』 になっていくのです。  



預言者として成長していくサムエル。

     『サムエルは成長していった。

 主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。
       イスラエルのすべての人々は、
    サムエルが『主の預言者』として信頼するに足りる人であることを認めた。  

   主は御言葉をもって、引き続き、シロでサムエルに御自身を現された。

        サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。』
            サムエル記上 3章19節ー4章1節           

 

   サムエルは、成長して、主の預言者』として認められるようになりました。
      
    主御自身が、サムエルに語り続け、サムエルに御自身を現されたのです。



宗教的指導者:司祭 かつ 政治的指導者:士師 のサムエル。


  ペリシテ人に責められ敗北したイスラエル・・・

     『サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。

 「あなたたちの中から異教の神々を取り除き、心を正しく主に向け、ただ主のみに仕えなさい。
    そうすれば、
      主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出して下さる。」

  イスラエルの人々は、バアルとアッシュタロットを取り除き、ただ主にのみ仕えた。
  ペリシテ人は鎮められ、サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。


     サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行った。』
            サムエル記上 6章2ー15節

 

   サムエルは人々に、
  一心に主に仕え立ち返るなら、主はペリシテ人から救って下さると言い、
       皆を集めて祈った。
 そこにペリシテ人が攻めてくるが、雷が敵の上に轟くと、敵は乱れて逃げて行った。

     こうして、主はいつもサムエルと共にいて、
     サムエルの指導者としての地位も確立していったのです。

 サムエルの一生の間、
          主の手が、ペリシテ人を防いだ。
イスラエルはその周囲の地をもペリシテ人から取りかえし、イスラエルには平和があった
                    サムエル記上



そして。

年老いたサムエル。

   『サムエルは年老い、イスラエルの裁きを行う者として息子たちを任命した。
     ところが。
   イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、彼に申し入れた。

     「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。
  今こそ、他のすべての国々のように、我らのために裁きを行う王を立ててください。」

    サムエルの目には、裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、と写った。
         
          
          そこでサムエルは主に祈った。
         主はサムエルに言われた。

       「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。
          今は彼らの声に聞き従いなさい。」

   サムエルは、王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。

  「あなたたちの上に君臨する王の権限は絶対であり、あなたたちは王の奴隷になる。
      その日、あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。
      しかし、主はその日、あなたたちには答えて下さらない。」と。

 

      ところが、民はサムエルの声に聞き従わず、言い張った。

       「いいえ、われわれには王が必要なのです。   
  王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、われわれの戦をたたかうのです。」
                サムエル記上 8章1-19節

 
    何事も、自分で決める前に、主に祈る。主に尋ねる。
          それが、サムエルの生涯の姿でした。
           私たちも見倣うべきことです。


国王の擁立


     サムエルは、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。
     
        『サウル王 イスラエル初代王』

  「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」
               サムエル記上:12: 17 - 18)


サムエルと国王・サウルとの葛藤

 

   サムエルは、
     サウルの度重なる背信行為に対して、
「そのため、わたしはサウルを王にしたことを後悔し、わたしはサウルを捨てて王の位から退ける」
「あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退ける
            と、サウルに『神の言葉』を告げた。

   
    そしてサムエルは、

      二度とサウルに逢うことは無く、しかしサウルのために悲しんだ。
              サムエル記上 15:章20 - 23節


     以上。神と共にその生涯を送った、サムエルの『神の使徒』としての一生でした。

    
死の床のサムエル。

 「今日、私の手に何一つ訴えるべきこと(罪)を見出さなかったことについて、主が証人だ。」 
               とサムエルは言った。


    死を悟ったサムエルは、
        自ら、神に、『正しく、清く、信仰深く、生涯』を宣言したのです。

     
    『全イスラエルは言った。

  「あなたは我々を押さえつけたこともなく、踏みにじったこともありません。
     だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」』

 

    いよいよ最期。

     
        サムエルは『告別の辞』を述べた。

      「あなたたちに 正しく善い道を教えよう。
    主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
    主がいかに偉大なことをあなたたちに示したかを悟りなさい。」
               サムエル記上 12章

 
     

      以上。今日はサムエルの一生を学びました。
 

    私たちも、生涯、サムエルに倣って、サムエルのように、
      正しく、清く、信仰深く、生涯を送りたいものです。
 『どうぞお話しください。僕は聞いております。』と、
  『神の御言葉=聖書』を読みながら、聞きながら、『信仰の旅路』 を全うしたいものですね。
    更には。
  この現代の社会の中で、私たちが確信している『信仰の喜び=信仰の希望』を、
     周りの人々に、自身の信仰の喜びの姿をもって、分かち合っていきましょう。
                       
                           頑張りましょう。ファイト!

               
      御一緒してくださり、ありがとうございました

   


そして。

今日は6月28日。
        
            『イエスのみ心 祭日』
    

    『神のはからいはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。
   神は人々の魂を死から救い出し、飢えから救い、命を得させてくださる。』
                         詩編 33章11&19節

 

      『イエスのみ心はキリスト教信仰の象徴です。
   なぜなら、イエスのみ心は、単純で真実なしかたで愛の『福音』を表し、
        受肉とあがないの神秘を要約するからです。

        神はその限りない愛の広がりから、
      限界のある歴史と人間の条件に入ることを望まれました。
       こうして、
     わたしたちは限界のあるもののうちに無限のものを仰ぎ見、
       これと出会うことができるようになりました。』
              教皇ベネディクト十六世の『講和集2008』より。
    


『今日の叙唱』

              『イエスのみ心
     キリストは限りない愛を持って、わたしたちのためにみずからを渡し、
  十字架に上げられ、その貫かれた胸から血と水が流れて、教会の秘跡となりました。
          イエスのみ心を慕うすべての人は、
    この救いの泉からいのちの水をくみ、喜びに満たされます。
  あなたをたたえるすべての天使、聖人とともに、わたしたちも賛美の歌をささげます。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末から大雨になるようです。皆様にとって穏やかな週末でありますように。 お元気で!


『わたしの名を知らないとは言わなかった。』・・・神の国入国・・・『わたしの天の父の御心を行う者だけが天の国に入るのである。』

2019-06-27 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

6月28日。木曜日。大雨。

   
      毎木曜日は、仲間の情熱が湧き出る分かち合い、『聖書100週間』
  
       残すところ5回で 『全聖書完読』 の日を迎える。
   
     『一日は千年のようで、千年は一日のようです。』 ペトロの手紙Ⅱ 3章8節

    長かった、聖書完読の日を迎えるまでの、『聖書通読』 の忍耐の年月。
    思い出せば、千年のようでもあり、一日であったようでもあります。
    終わりの日を向かえることは、喜び以外の何もない。 神に感謝!

 

      今日の通読範囲は、『ヨハネの黙示録1章~11章』

        
           告げられていた『主の日』は必ず来る。
  
    『イエスの再臨の日』


   イエスは語ります。

     『私は、あなたの行いと労苦と忍耐を知っておる。
  あなたはよく忍耐し、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。
       しかし、あなたは初めの頃の愛から離れてしまった。
       だから、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。

     勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。』
             ヨハネ黙示録 2章2ー7節

 

     『七つの封印』 『七つのラッパ』 『七つの杯』
     神の楽園に入る前の、試練の厳しさを強調します。

      それでも、

   教会共同体は、
        さまざまな迫害にさらされながらも、
  父なる神と父なる神の子羊キリストに対する信仰を表明し、信仰に忠実にとどまり、
    『来たるべき新しい世界』 に目を向けるようにと、
     人々に呼びかける『証人』となっているのです。

 

 ヨハネ黙示録は続けて語ります。

      
       『その方が次のように言われる。

     
      「わたしはあなたの行いを知っている。

     見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。
 
           『天の国への門』

        誰もこれを閉めることはできない。

      あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、
      わたしの名を知らないとは言わなかった。

    あなたは忍耐についての私の言葉を守った。
      それゆえ、
 地上に住む人々を試すために全世界に来ようとしている『試練の時』に、
   わたしもあなたを守ろう。

         わたしはすぐに来る。

  あなたの栄冠を誰にも奪われないように、持っているもの(信仰)を固く守りなさい。
      勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。」』
              ヨハネの黙示録 3章7-12節

 

     キリストは、
   ヨハネに手紙を書かせ、聖霊によって七つの教会に語りかけます。
 迫害されている信徒が、教えを守る困難に遭遇しても、妥協しないようにと、励まし忠告します。


  今この世に生きるキリスト者は、
 教会共同体として集まり、主キリストの復活をたたえ、
      死の勝利を記念するミサ聖祭において、
 天のすべての天使と聖人と共に、声を合わせて『神の子羊』をほめたたえるのです。

 

 『神の子羊』をたたえる『黙示録』 までたどり着いた 『聖書100週間・聖書通読会』の私たち。
    忍耐で、残り五回、『全聖書完読・勝利の栄冠』 を勝ち取ります!
                         感謝!感謝!

 

そして。

今日は6月27日。年間第十二木曜日。


『今日の福音 イエスの御言葉

   『イエスは弟子たちに言われた。

  「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
     わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」』
                 マタイ福音書 7章21-29節


   信仰の土台は、『神は私たちを無条件に愛してくださる方』 との信頼です。

      神への絶対なる信頼を、神様方は何よりもお喜びになります。
     神様への信頼は、日々何事が起ころうとも、変わることはありません。

    
    神への信頼と信仰を持つ者は、
 三位一体の神から力を頂き、『父の御心=愛神愛隣』を行うことができるのです。
     

 

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
『わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のもとに行く。』
                アレルヤ、アレルヤ。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
忙しい日々ですが、『心のオアシス』を確保しながら、心豊かに過ごしましょう。 お元気で!   


真夏日の東京&梅雨入りの神戸 そして 『あなたがたは、その実で彼らを見分ける。』

2019-06-26 17:03:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

6月26日。水曜日。東京は快晴の真夏日 & 梅雨入りの神戸。

二泊三日の東京にお別れ。

             新幹線から・・・  『日没』
 
        
         今回の東京への旅では、
     富士山も日没も雲の中。 さすがの梅雨時期です。

   4時間ほどの新幹線車中は、明日の『聖書100週間』の予習に終始した。
       範囲は 『ヨハネの黙示録 1章~11章』
      隣の男性が、「聖書ですか?」 と興味を示された。
「はい。明日の聖書通読会の予習です。」 のみの返事に終えさして頂きました。

        聖書を読む姿のみで宣教になる。
      それは、長年の経験で確信することです。


 4時間後。 新神戸到着で、ヨハネの黙示録をちょうど読み終えました。ほっ!

 

そして。

今日は6月26日。年間第十二水曜日。

     偽預言者に警戒しましょう!

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

   「偽預言者を警戒しなさい。
彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。

     あなたがたは、その実で彼らを見分ける。
  茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。

   すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
  
      『真の預言者 イエス・キリスト』

良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。

  このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」』
            マタイ福音書 7章15-20節


    預言者は、
  『神の言葉』を話す人たちです。
  人々に、『神の言葉』を思い出させる人たちです。

     それは、『言行一致』で、『良い実』 をつける人たちです。

       
       一方。

    偽預言者とは、
  『神の言葉』を話しながら、その生活が『神の言葉』を伴わない人たちです。
     それは、『言行不一致』 の人たちです。


      それでは。

 
  イエス様は、その生涯中、『言行一致』、『真の預言者』 でした。
   『神の言葉』を話し、人々を神に導くことを目指しておられました。
   人々に、『真の信仰生活』=『愛神愛隣』 を教えました。
          神に感謝を忘れず、お人を大切にすることです。


   私たちも、
    聖霊から力を頂き、『言行一致』=『愛神愛隣』
          『真の預言者』 
を目指しましょう!
                  
頑張りましょう! ファイト!


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『わたしのうちに留まりなさい。わたしもあなたがたのうちにいる。わたしに留まる人は多くの実を結ぶ。』
                       アレルヤ、アレルヤ。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日本のシンボル=『富士山芸者』 と言われますよね。日本の美しさの極みということでしょうか。
私は、芸者さんは京都でお見受けするのみですが、どちらも大好きです。 お元気で!


My東京・・・『しあわせ地蔵』 そして とこしえに揺らぐことがない・・・『主の道を歩む者』

2019-06-25 08:00:00 | 娘と娘家族

6月25日。火曜日。真夏日。


  『My東京』

その


   大都会・東京の駅前・・・   『しあわせ地蔵』
     

          『しあわせは歩いてこない。
       だから 
       歩いていくんだね。』
         しあわせ地蔵


 沢山の人人人人 沢山の車車車車 沢山のビルビルビルビル
    そんな中で・・・
 お天気の日も、雨の日も、雪の日も、真夏日も、寒い日も、
     『しあわせ地蔵さん』 は笑って、
 御自分の前を歩く人に、”幸せになってね!”と、丸いお顔で、微笑みかける。


    こんな、周りに動じない『お姿』が、私は大好きです。


その

 大都会・東京のとある一軒家・・・    『ヘンデル:ソナタ第四番ニ長調』
 

  
  テレビも漫画もゲームもなく、あるのは、おいしい料理と幸せの笑い声だけ。 
        そんな中で・・・  
     お天気の日も、雨の日も、雪の日も、真夏日も、寒い日も、      
        『バイオリン』を笑顔で弾いて、  
       『ヘンデル』が流れてくる 

     

    こんな、周りに動じない、『孫息子』が、私は大好きです。

 

そして。

今日は6月25日。 年間第十二火曜日。

『今日の詩編』

      『しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者。
 

       あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。

  それは
     とがなく歩み、正義を行い、心から真実を語る者。
     言葉で人をきずつけず、友に悪を行わず、隣人をはずかしめない者。
     誓った事は自分の損害になっても変えることのない者。
     利息を取って金銭を貸すことなく、罪のない者の不利を計ることをしない者。

     これらの事を行う者は、とこしえに揺らぐことがない。』
                 詩編 15章1-6節
   

 
『今日の第一朗読 神の契約・約束

     『主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。

  「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。 
 

  見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
       
あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。

   大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
  
さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」


   
アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、

         そこに主のために祭壇を築いた。』
              創世記 13章5-18節

 

   『 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。』
                    創世記 15章6節               

        主を畏れ、主を信じ、『主の御言葉』 に従ったアブラハム。
   アブラハムこそは、聖なる山に住むべき者。 とこしえに揺らぐことがない者。です。 

 

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

  「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
         これこそ律法と預言者である。

         狭い門から入りなさい。
  滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
    
しかし、

  命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」』
             マタイ福音書 7章12-14節


  アブラハムの子孫であるキリストは、
       神を畏れ、 神を信じ、『十字架上の死』 によって、 
  『神の無償の愛』=『律法と預言』=『神の救い』=『狭い道』 を証しなさいました。

  
   キリストこそ、聖なる山に住むべき者。 とこしえに揺らぐことがない者。なのです。 


 
   私たち、キリスト者も、
     アブラハム、イエス、・・・、に続く、霊的一族です。

      
       神を畏れ、神を信じるとき、義とされるのです。

      『人は皆、 罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、   
        ただキリスト・イエスによる償いの業をとおして、
         神の恵みにより無償で義とされるのです。
    

          人が義とされるのは律法によってではなく、
            信仰によると考えるからです。』       
            ローマの信徒への手紙 4章21~28節

    
      私たちも、主を畏れ、主を信じ、救われるとき・・・
    聖なる山に住むべき者。 とこしえに揺らぐことがない者。 となれるのです。

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様、そこに行けば心癒される『心のふるさと』をお持ちですか? 
皆様の『心のふるさと』は、故郷、山、景色、本、お人、どこにおありでしょう。 お元気で!       


28584歩&23231歩・・・『入山準備』 そして 私は足の履物をお脱がせする値打ちもない・・・『洗礼者聖ヨハネ』

2019-06-24 09:29:00 | 登山・ハイキング

6月23日(日)と24日(月)

  ほぼ二か月後になった・・・ 『富士山登山』
 
                             3776、24m

    富士登山は、危険度は少ない、体力を必要とする。 と一回目で記憶している。

      年を重ねて、油断禁物、体力Upを計る日々です。


  23日(日)・・・     『28584歩』
 
 再度山山頂。     満開の『アジサイ』          神戸市の花です。
 
  
   朝9時半:新神戸駅(布引の滝)出発。 
               ~  再度山  ~  下山:3時半 

         
  登山仲間と、ひたすら速足で歩いた。28584歩
    
    ”なぜ? なぜに?こんな苦労を好んでするのだろう?”


 翌日。24日(月)・・・    『23231歩』
 
  新幹線の中から・・・   『隠れ富士』      早朝。東京へ向かう途中。

    
    ”今日の富士はどんな姿を見せてくれるだろう?” 楽しみでした。
      それは、富士山の辺りだけ雨、『隠れ富士山』でした。
                 幻想的でこれも美しい。


        雲に覆われた富士山。
   富士山の頂上から下界を見ると、雲の下から雨が降っていることでしょう。

 
    今年も、高山・大自然が私を待っている。
      何も語ることはなく、それで すべてを持っている大自然。
      大自然の中に身を置く、あの喜びが今年も私を待っている。


    入山させて頂くための『心身準備』をさぼるわけにはいきません。


そして。

今日は6月24日。
   
       『洗礼者聖ヨハネの誕生 祭日』
   
   『洗礼者ヨハネ』        レオナルド・ダ・ヴィンチ作品


   イエスが 『燃えて輝くともし火』 ヨハネ福音書 5-35 と呼ばれた
      洗礼者ヨハネに対する崇敬は古くから行われています。

紀元前6年から前2年頃  父の祭司ザカリア と母・エリサベトから生まれる。
  
   イエスの誕生の六か月前に当たるこの日は、
  
  母の胎内にあったとき聖霊に満たされ ルカ福音書 1-41
  荒れ野で、『悔い改めの洗礼』を述べ伝え、
  救い主キリストを迎える準備をしました。

    洗礼者ヨハネの喜ばしい誕生を祝う日である。
             『毎日の読書』より。


『今日の入祭唱』

   『神から遣わされた人がいた。その名はヨハネ。
  彼は光についてあかしするため、また、主の道を整えるために来た。』
          ヨハネ福音書 1章6-7節


そして。

『今日の第二朗読 パウロの言葉

『その日、パウロは言った。

       「神は約束に従って、
  このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。

      ヨハネは、イエスがおいでになる前に、
  イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。

  その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。

    「わたしを何者だと思っているのか。
  わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。
      その方はわたしの後から来られるが、
   わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。」

 兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、
    この救いの言葉はわたしたちに送られたのです。」
           使徒言行録 13章22-26節


『今日のアレルヤ唱』

   アレルヤ、アレルヤ。
『幼子よ、お前も神の預言者と呼ばれ、主の前を歩み、その道を整える。』アレルヤ、アレルヤ。


 ヨハネの父・祭司ザカリアは、
     天使ガブリエルによって、息子・ヨハネの誕生を予言されました。
 ヨハネは、
        母・エリサベトの胎内にいるときに、

     同様にマリアの胎内にいるイエスから、聖霊に満たされました。

  
  『聖母子とザカリアとエリザベトと幼児ヨハネ』      ラファエロ作品

      イエスト洗礼者ヨハネはいとこ同士でした。

 ヨハネは、救い主の到来を準備する『悔い改めの洗礼』を民に与えていた折に、
     公生活に入るイエスに『洗礼』を授けました。
       
       『イエスの洗礼』 エルゴレコ作品

 
  イエスの先駆者としてその道を整える『使命』が与えられた聖ヨハネでした。

      
      『その方はわたしの後から来られるが、    
    わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。」

       ・・・と、『救い主・イエス』の到来を述べ、

     『人は皆、神の救いを仰ぎ見る』

      ・・・と。『使命』を全うして、殉教し、命を終えました。

  イエスの最初の弟子のシモン・ペトロとアンデレは、元は洗礼者ヨハネの弟子でした。



『今日の拝領祈願』

『恵み豊かな神よ、
    聖ヨハネの告げたキリストを、
 新しいいのちの与え主としてあがめ、たたえることができますように。』

 

 皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私は今月二回目の東京入りです。走り回わっております。 お元気で!


パンは、あなたがたのためのわたしの体。・・・「キリストの聖体 祝日』・・・すべての人が食べて満足した。

2019-06-23 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

今日は6月23日。

           『キリストの聖体 祭日』
    

     聖体はキリスト教生活全体の泉であり頂点です。
     聖体はわたしたちの信仰の要約であるり、頂点なのです。


  今日は、『聖体』の秘儀について、学びましょう。
     それは、神の秘跡であり、人間が学ぶことは難しいことですが、
              よろしくお願い申し上げます
  


『今日の第二朗読 最後の晩餐

      『主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
        
感謝の祈りをささげてそれを裂き、

   
    「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
 
     わたしの記念としてこのように行いなさい。」
               と言われました。』


      聖体祭儀によって、私たちはすでに天上の典礼に一致し、
  「神がすべてにおいてすべて」(コリントⅠ 15-28)となられるときに先立って、
      永遠の命に前もってあずかっています。

       
      聖体が『コムニオ(交わり)』と呼ばれるのは、

           この秘跡によって、
  私たちはキリストと一致し、キリストとただ一つのからだを形づくるために、
      私たちをご自分の体と血にあずからせてくださるからです。

 

      『また、食事の後で、杯も同じようにして、
  
     「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。
 
    飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい」
                  と言われました。

    だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
     主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』
           コリントの教会への手紙Ⅰ 11章23-26節


    『主の晩餐』と呼ばれるのは、
   受難の前夜にキリストが弟子たちとともになさった晩餐を再現すると同時に、
   天上のエルサレムで行われる『子羊の婚宴』に前もってあずかるものだからです。

    
      キリストの命令に忠実に従う教会は、

   キリストの最後の晩餐で行われたことを、記念として、
      その栄光の再臨の時まで行い続けます。

   
   パンとぶどう酒が精霊の働きによりキリストの体と血になることによって、

   パンとぶどう酒は、創造のわざのすばらしさを表すしるしともなり続けます。

        イエスはカファルナルムで予告されたとおり、
  ご自分の体と血を弟子たちに与えるために過越祭のときを選ばれました。

   
     イエスは言われました。
       『これを、わたしの記念として行いなさい』

       『ご自分が 「来られるときまで」 』 コリントⅠ 11-26 と。
 
  主の来られる時  『主の再臨』

     ご自分の動作と言葉を繰り返すようにとのイエスの命令は、
 イエスとイエスがなされたことを思い出すようにと求めているだけではありません。
        その目指すところは、
 使徒やその後継者たちがキリストの生涯、死、復活、御父のもとでの執り成しを
         記念する典礼を挙行することなのです。
  

 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは天から下ったいのちの糧。このパンを食べる人は永遠に生きる。』アレルヤ、アレルヤ。

 

続けて。

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、
   イエスは群衆に、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。

      日が傾きかけたので、
イエスは(12人の弟子に)言われた。 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」

彼らは言った。 
   「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません。 男が五千人ほどいます。」

  
  群衆の中の一少年が差し出した 『パン五つと魚二匹』
     
       
 イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。

    弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。

    すると、
      イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、
    天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、
 

       裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。

      すべての人が食べて満腹した。
 

     そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。』
                 ルカ福音書 9章11-17節


     多くの人々に食べさせるためにイエスがパンを祝福して裂き、
        弟子たちを介して配られたときのパンの奇跡は、
      御自分の聖体唯一のパンがあり余るほどのものであることを
             前もって表すものです。

 

     こうして、旅する神の民は聖体祭儀が行われるごとに、
         『主が来られるまで』コリントⅠ 11-26
       イエスの過越の神秘を告げ知らせながら、
    すべての選ばれた者が主の食卓に加わって行われる天の饗宴に向かって、
         『狭い十字架の道』を進んで行きます。


         以上。『カトリック教会のカテキズム』から学びました。感謝!感謝!
             ありがとうございました お疲れ様でございました

 

    私たちも、キリストの『御聖体』について学んだ今日、
       天の饗宴にあずかるその日まで、
        『キリストの道・愛の道』を
       困っている人と共に、歩み続けてまいりましょう。
             


『今日の拝領唱』

     『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
   いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。』
                    ヨハネ福音書 6章57節

そして。

『今日の拝領祈願』

『信じる者の力である主よ、
御子キリストの尊い体と血をいただいたわたしたちを、約束された永遠の命にあずからせてください。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末はいかがでしたか? 仕事でお忙しく過ごした方も多くおありのことと思います。
    皆様の新しい一週間が良い一週間でありますように。 お元気で!


イスラエルから一つの部族も失われないようにしなければならない。・・・『神の契約』・・・あなたのはしための一人にも及ばぬ私です。

2019-06-21 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

6月21日。金曜日。晴れ。30度の真夏日。
 

 毎金曜日は、聖書を指南書とする者が集まり、『聖書100週間』です。
    今日の通読範囲は、『士師記17章~21章 ルツ記』

 

まずは。

士師記。

    『そのころ、イスラエルには王がなく、
        それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた。』
          
17章~21章まで、すべての章に記載されている『言葉』です。


  当時は、エジプトから脱出後40年かけて着いた異国の地:『カナンの地』で、
     イスラエルの12の部族は、原住民と戦いの日々で、無政府状態の中、
      自分の力を信じる気持ちが大きくなっていったのでしょうか?
   神を指導者として、神にまずはお伺いを立てることを忘れていったのでしょうか?

      
 
そんな中、
    
     イスラエル12の部族
 
   その中の、1部族のベニヤミン族の悪道非道を制裁するために、
   『ベニヤミンがイスラエルの中で行ったすべての非道を制裁しよう。』 20章10節
     ・・・と。
『イスラエルの者が皆、一人の人のように連帯を固めてベニヤミンの町に向かって集まった。』20-11 のです。


その結果①

       ベニヤミン族の滅亡です。

  『その日、ベニヤミンの全戦死者剣を携える者二万五千人で、彼らは皆、軍人であった。
一方、イスラエル人はベニヤミンの人々の所へ戻って、町の男から家畜まで、残らず剣で打った。』
                               士師記 20章46-48節


その結果②。

       神の計らいによるベニヤミン族の再興です。

  『イスラエルの民は帰って、夕方まで神の御前に座り、声をあげて泣き叫んだ。

    「イスラエルの神、主よ。
        なぜイスラエルにこのようなことが行われ、
   今日イスラエルから一つの部族がかけることになったのですか。」 と。

  翌日、朝早く民は起きて、そこに祭壇を築き、焼き尽くす捧げ物と和解の捧げ物をささげた。

  イスラエルの人々は、イスラエルの兄弟ベンヤミンが切り捨てられたことを悔やみ、
     そのベンヤミンの生き残りの者たちに妻を与えた。
    
    ベンヤミンの生き残りの者たちは、自分たちの数だけ妻を連れ去って、
        自分の嗣業の土地に帰り、町を築き、そこに住んだ

  イスラエルの人々もそのときそこを去り、
        それぞれ自分の部族、自分の氏族のもとに帰って行った。』
                    以上。士師記 17章~21章

     後に。王制が出来上がると・・・
     悪道非道であったベニヤミン族は、『ユダ王国』を作り、
        イスラエル民族の中心となっていくのです。

        
   人は、変われる。 改心、回心によって、人は生まれ変われるのです。

 

考えてみました。

   全能なる神は、イスラエルの民族を選び、イスラエルの背信が重なっても、
          イスラエルの民族を守り通されるのです。

    『神の契約』は、何事にも左右されることなく、実行されるのです。

       
         現在では、イスラエルの12民族の集団は、

      キリストを頭とする『教会』と言えるのかもしれません。

   全能なる神は、人間とは違う次元で、人間の愚かさに左右されることなく、
     『教会』において、『神の愛・神の救い』 を実現なさるのです。

       ・・・ということでもあるか? と考えてみました。感謝!感謝!

 

次に。

ルツ記。
    
      エリメレク一族の夫と二人の息子を亡くしたナオミが、
   イスラエルの民が、ベニヤミンン族がイスラエル民族から絶やさない努力をしたように、

          『信仰心』を支えに、
   息子の妻・嫁のルツと共に、『家』を絶やさないための努力が成されます。

 

 『ナオミは、

 「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。   
     あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。
                        死んでお別れするのならともかく、     
       そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、
      
          主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください。」

と言いながらついてくる息子嫁の(異邦人のモアブの女)ルツと旅をつづけ、
      
         ついにベツレヘム・故郷に着いた。

到着後。

  食べる物に事欠く中、ルツは、畑の『落穂拾い』に出かけます。
   
   我が家の居間にかかる…  『落穂拾い』       ミレー作品。

     主・神は、以前に、民に命じました。
 食物を収穫する時は、
    畑の隅まで刈り尽してはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。
 ぶどうも積み尽してはならない。ぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。

  これらは貧しい者や、寄留者のために残しておかなければならない。
    わたしはあなたたちの神、主である。』
        レビ記 19章9-10節

 
   ルツは出かけていき、
   借り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、
  
  そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。


その結果①

   (主、神の命令に忠実な)ボアズは、ルツに言います。

 「どうか、主があなたの行いに豊かに報いて下さるように。
  主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いて下さるように。」

 

   ルツもバズに言った。

 「わたしの主よ、どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。
    あなたのしもべの一人にも及ばぬこのわたしですのに、
  心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」


      そんな二人は結婚をします。
   
     ボアズの親戚の人は、ボアズに言った。
  「どうぞあなたがその人・ルツをお引き取り下さい。」

      ボアズはそこで、長老とすべての民に言った。
 「あなたがたは、今日、わたしがエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとく
      ナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。
  また、わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。

     故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。」

 
    こうして、ナオミは、嫁ルツとともに、
 亡くなった夫と二人の息子に代わって、エリメレク一族の『家』をつなぐことができたのです。

 

その結果②

       ボアズと結婚したルツは、男の子を産みました。

     女たちはナオミに言った。

 「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、
   家を絶やさぬ責任のある人を今日与えてくださいました。
   どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。」

      近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、
      その子に名前を付け、その子をオべドと名付けた。

     オべドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。

                      以上。ルツ記より。

       
         異邦人のルツは、ダビデの子孫となり、
    その後、ダビデから28代目のキリストの祖先となったのです。


    ナオミは、『家』を守るに十分な、とても賢い女性だったのです。
       一方、
     ナオミと生涯を共にした嫁のルツは、
  ”私の神はイスラエルの神です!”とナオミに訴え、イスラエルの信仰を持つ異邦人でした。
”私はあなたのはしためです!”と夫になるボアズに訴える、とても謙遜で忠実な人だったのです。


    モアブ出身の異邦人のルツは、選ばれた民イスラエルに受け入れられた上に、
    ルツの子孫からダビデが生まれ、又、その子孫からキリストが生まれるのです。
          
    
     神の憐みは、異邦人にも、全世界に及ぶことが宣言されたのです。
  神の救いは、神に信頼する者に神は応え、誰でも、異邦人にも及ぶのです。

  それは、

    神は、どんなことがっても神に忠実な者には、祝福をもって報いる方であり、
    神は、イスラエルと結んだ『契約』を必ず守る方である。
         ・・・との、私たちの確信なのです。


  私たちキリスト者は、洗礼を受けて、イエスの兄弟になりました。
    それは、
  ルツと、霊的家系の一員でもあるということですね。嬉しいですね。
  私たちも、ルツに倣って、謙遜で、忠実で、家族愛にあふれた人生を送りたいものですね。
      

                     以上。今日の100週間の私の感想の一部でした。おそまつさまでした。

 そして。

今日は6月21日。年間第十一金曜日。

     『聖アロイジオ・ゴンザガ修道者 記念日』
     

 1568年。 ロンバルディア(イタリア北部)のマントバ近郊で、
       カスティリョーネ侯爵の家に生まれる

  母親から宗教教育を受け、熱心な信仰生活を送るようになった。
  侯爵としての相続権を弟に譲って、ローマでイエズス会に入る。

 1591年。 神学生として病院で疫病患者の介護中に病に倒れ、死去。 23歳。
                       『毎日の読書』より。


『今日の入祭唱』

   『どのような人が、主の山に登り、聖所に立つことができようか。
        それは潔白な心と清い心を持つ人。』
                詩編 23章3-4節


『今日の拝領祈願』

       『全能の神よ、私たちが聖人の模範に従い、
 清い生活を通してあなたに仕え、日々を感謝のうちに過ごすことができますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
6月も後半です。光陰矢の如ごとしですね。皆様の週末が穏やかな日々でありますように。 お元気で!


2020年東京オリンピック聖火ランナー・・・『因果応報』 そして 互いに愛し合いなさい・・・『神は愛』

2019-06-20 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・

6月20日。木曜日。晴れ。

 
朝5時半。
早朝ラン開始。 すでに蒸し暑い。


       今朝から半袖・・・ 
            『名古屋ウイメンズ Finisher Tシャツ』
        
        背中にサイン入り・・・
        『2012年ロンドン・オリンピック 山本 亮』
    
  『ロンドン・オリンピック・マラソンランナー山本 亮 サイン入り FinisherTシャツ』

  『ロンドン・オリンピック・マラソン選手・山本 亮氏』 は Myラン師匠の甥御さんです。

   
   山本選手が、ロンドン・オリンピック出場後・・・

    Myラン師匠の御配慮で、
  山本オリンピック選手をお迎えして 『早朝強化練習会』 が開かれました。
 
                             あの日も8月の暑い日でした。

        先頭が『山本 亮オリンピック選手』
  『黄色Tシャツ』はMyラン師匠。 女一人『サイン入りFiniserTシャツ』は私。
       ラン仲間と楽しいひと時でした。


  今朝、『サイン入りTシャツ』を着て、色々を懐かしく思い出していると・・・
         突然にひらめきました!


     『2020年 東京オリンピック 聖火ランナ―』
 
  『東京オリンピック聖火ランナ―』 募集に応募することにしました!

       さて。結果はどうなりますか?

 
         『因果応報』
    
     『オリンピックマラソン山本選手の色紙』

 人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある。
    仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。
      「因」は因縁の意で、原因のこと。
   「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
    

   山本選手は、どんなに苦しい練習を重ね、当日を迎えたのでしょう?
  『因果応報』に込められた山本選手の御心を、思い巡らした私でしたね。

     ”私も頑張ろう!” と、勇気を頂いたことも思い出しました。

 

そして。

午前10時。
       毎木曜日は、『聖書通読会・聖書100週間』
       今日の範囲は、『ヨハネの手紙Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』



    使徒ヨハネは、
    
    『使徒ヨハネ』           エル・グレコ作品

 

    使徒ヨハネは、

イエスの生前は、
  「私のそばにいて見習うように!」と言われる師匠・イエスの御言葉に忠実に、  
     イエスの傍らを離れることなく、イエスに寄り添って過ごしました。


又。


イエスの死後は、
   「あなたの母です。」と十字架上で言われる師・イエスの御言葉に忠実に、
  イエスの死後すぐからイエスの母・聖母マリアを引き取り、共に住みました。
  
  『聖母マリアと使途ヨハネの住まい』             
今は巡礼地です。

 

その結果。

  紀元90年頃。         
        イエス・キリストの死後55年ほどたって、


       『神は愛である』と宣言したのです。

      
聖書に書き残したのです。

       『愛する者たち、互いに愛し合いましょう。

 愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から産まれ、神を知っているからです。
        愛することのない者は神を知りません。
   
           神は愛だからです。

       神は、独り子を世にぉ遣わしになりました。
     その方によって、私たちが生きるようになるためです。

       ここに、神の愛が私たちの内に示されました。

 神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。

          ここに愛があります。

       神がこのように私たちを愛されたのですから、

     愛する者たち、私たちも互いに愛し合うべきです。』
             ヨハネの手紙Ⅰ 3章7-11節


イエス様は、
 生前に、弟子たちに話されていました。

    『わたしがあながたを愛したように、互いに愛しあいなさい。
          これがわたしの掟である。

    友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
          互いに愛し合いなさい。
        これがわたしの命令である』

         ヨハネ福音書 15章12節〜17節


    イエス様は、自らの十字架上での磔刑の姿で、『神は愛』を示されたのです。
   
    

使徒ヨハネは、
 イエスの生前は、
   イエスのそばを離れることなく過ごし、イエスから直接に学びました。
 イエスの死後は、
   イエスの母マリアのそばを離れることなく、
      我が子を奉献なさった聖母マリアの悲しみと苦しみの姿から、多くを学びました。

     その結果・・・『神は愛である』 と深く理解していったのでしょう。



私たちも、今、

  『聖書』のそばを離れることなく、『神の御言葉』を読み続けて、
         イエスから学び続けましょう。

    その結果・・・
      『神は愛である』 と深く理解するようになるのです。

    
      そして。

      『神は愛』であることを知った者として、互いに愛し合えるのです!

                      以上。今日の聖書通読の私の感想の一部でした。お粗末様です。

 

今日は6月20日。年間第十一木曜日。

     『神は愛』であると宣言します。

『今日の入祭唱』

    『父がその子をいつくしむように、神は神を畏れる人を愛してくださる。』
                      詩編 103章13節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日はオリンピック入場券抽選の発表がありました。皆様はゲットできましたか?
観戦がだめなら、聖火ランナーとしてオリンピックに参加しちゃいましょう! いかがでしょうか? お元気で!


実は私の夫はアイアンマン・鉄人・・・『父の日のプレゼント』 そして 『喜んで与える人を神は愛してくださる。』 

2019-06-19 06:00:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。

6月19日。水曜日。晴れ。

朝6時。  

    いつものように朝練の始まり・・・  『アイアンマン・鉄人の夫』
      

          昨年度の『名古屋マラソン Tシャツ』
    
   『マラソン大会Tシャツ』の夫は、さまになる。それらしく見える。なかなか恰好いい。
      
  ”大会にお出になっていたのですね!” ”すばらしい!” "さすがです!”
     ラジオ体操仲間のおばさま方が、お声をかけてくる。
     
     鼻の下を長くした 夫は、寡黙男で、微笑むのみ。
  それがまた・・・『アイアンマン・鉄人』の貫録をかもし出す。 それらしく見える。


実は・・・
   
   おばさま方、ごめんなさい 

        夫は『アイアンマン』には程遠く、
    『プロゴルファ―』 プロ並み『アマチュア・ゴルファ―』に過ぎません

 

      息子夫婦から・・・ 『2019年父の日のプレゼント』

  
     息子がゲットした『アイアンマン・鉄人Tシャツ』
         
夫によく似合う。夫はランナーに見える。毎日着ている。

   そして。

 
     息子嫁さんがゲットした『マラソン大会タオル』
                マラソンタオルを使うだけで、元気が湧き出てくる!

    
    「いつまでも若々しく・・・いつか大会に一緒に出ましょう!」
   体力Upのための『ステーキ肉とアワビ』も贈られてきた。感謝!感謝!

   
          夫は、今朝も、頑張る息子夫婦から元気をもらって、
         『鉄人Tシャツ』を着て、ひたすら歩く。歩く。


 

そして。

今日は6月19日。年間第十一水曜日。


     パウロは、人に施すことを、奨励する。
      『施しの慈しみは永遠に続く。』
    『喜んで与える人を神は愛してくださる。』 と。


『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、
   惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、
     惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。

     各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、
      こうしようと心に決めたとおりにしなさい。

     喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

   神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、
      あらゆる善い業に満ちあふれるように、
  あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。

「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。 彼の慈しみは永遠に続く」
        と書いてあるとおりです。

         パンを糧としてお与えになる方は、
      種を蒔くあなたがたに種を与えて、それを増やし、
    あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。

  あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、
  その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。』
              コリントの信徒への手紙Ⅱ 9章6-11節

 

      心広く、愛深く、神への信頼揺るぎなく、
   お人と仲良く、互いに分かち合いながら、互いに愛し合いたいものですね。

 

    
           『使徒ペトロ と 使徒パウロ』


『今日の拝領唱』

       『種をまく人は、神の言葉をまくのである。
    御言葉を聞いて、それを受け入れる人は百倍の実を結ぶのである。』
                マルコ福音書 4章14&20節


  お人に、自分の持っている『何』を分かち合いましょうか?

     
    使徒ペテロは、
 『わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。
   イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』 使徒言行録 2章6節

      ・・・と。

    『神にできないことはない』との、ペテロの深い信仰を分かち合い、
 生まれながらに足の不自由な人を、『神の御名』によって、歩けるようにしました。


      信頼してペテロをじっと見つめる足の不自由な人と
    足の不自由な人を愛するが、与える物を何も持たないペテロと、
            二人の間で、
 言葉にはできない『深い信頼・愛』が生まれたのではないでしょうか?


  ペテロは、思いもかけず、初めて、
      『イエスの名』において、
         互いの信頼の間で、『大きな実』を結んだのです。

  私たちも、小さな者ですが、『信仰』を分かち合うことはできます。
      『イエスの名』が、『大きな実』を結んでくださるのです。
              
  私たちも、『キリストの言葉』を伝えることが出来ますようにと、祈りましょう!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人に、お人が『元気になるプレゼント』をする。まずは『愛』を差し上げましょう。
  それって、差し上げる人も頂く人も、嬉しいですね。 お元気で!