6月28日。金曜日。夏日。晴れ。
毎金曜日は、深みが益々増してくる味ある仲間たちと、『聖書100週間』
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毎週、相当量の聖書を読んできて、電車に乗りバスに乗って集まり、自分の感想を述べる。
これは、大変な心身の鍛錬となる。
鍛錬の日々を重ね・・・
皆様のお顔が変わってくる。素敵な人間味にあふれるお顔になってくる。美しい。
今日の通読範囲は、『サムエル記 1章~15章』
サムエルの人生が語られます。
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『幼きサムエル』 ジュジュア・レイノルズ作品
父エルカナ。 母ハンナ。
サムエルは、長きにわたって子供を望んでハンナがようやく授かった子でした。
誕生前。
母ハンナは、『誓い』を立てて(神に)言った。
「万軍の主よ、はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授け下さいますなら、
その子の一生を主にお捧げし、その子の頭には決してかみそりを当てません」』
サムエル記 1章11節
サムエルは、生まれる前から、母の誓いによって、
生涯を『神に捧げる者』とされたのです。
今日は、『神に生涯をささげる者』 の一生を見てまいりましょう。
長いですが、よろしくお願いいたします![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
乳離れしたサムエル。
母ハンナは、サムエルを司祭エリのもとに連れて行って、言った。
「わたしはこの子を授かるよに祈り、主が願ったことをかなえてくださいました。
わたしは、この子を主にゆだねます。
この子は、生涯、主にゆだねられた者です。」』
サムエル記 1章28節
シロの主の家で。
『司祭エリと両親はそこで主を礼拝した。
ハンナは、主を賛美して、言った。
「主にあってわたしの心は喜び、御救いを喜び祝う。
聖なる方は主のみ。 あなたと並ぶ者はだれもいない。
岩と頼むのはわたしたちの神のみ。」』
サムエル記 2章1-2節
乳離れしたばかりの幼児サムエルは、
両親から離され、司祭のもと・主の家で育ちます。
厳しいことです。寂しかったことでしょう。
乳離れしたばかりの我が子を司祭に託し、
子との別れをする両親も、どんなにか悲しく、寂しかったことでしょう。
しかし…私情をはさむ余地はなく、
『神との誓い』を、我が子のために、厳守する両親の愛です。
親は、最終的には、”子の信仰が守られ、その道を全うできますように!”
・・・と。 子のために祈ることしかありませんね。
少年サムエル。
『サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の前に仕えていた。
少年サムエルは主のもとで成長し、
すくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。』
サムエル記 2章18-26節
神への絶対なる信頼を持つ両親から生まれる子は、
”神に守られている!” と、子にも確信が生まれるのでしょうね。
サムエルは生涯神から離れることなく、神もサムエルから離れることがありませんでした。
サムエルへの主の呼びかけ。
『少年サムエルは、神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。
主は三度サムエルを呼ばれた。 「サムエルよ。」
サムエルは、その度、答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
祈りとは、神様と私、汝と我、の対峙ですよね。
祈りとは、神様に聞くことです。
「神様、どうぞお話しください。僕は聞いております。」
祈りとは、神と話しながら、神のお考えを尋ね求めることですね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
それにしても、
サムエルは、寝ても覚めても、昼は主のもとで働き、寝るときは神のおわす神殿で寝て、
主と一時も離れることなく、いつも直接に、主から学んでいったのですね。
サムエルの生涯は、常に神と共に、神のそばを離れることない毎日でした。
『神と一体』となる生活も、『神と同化』する生き方も、
幼いころからの習慣から、『生涯の生き様』へと浄化されていったのでしょう。
『主はサムエルに言った。
「祭司エリは、自分の息子たちが神を汚す行為をしていることを知っていながら、
止めなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く。
この家の罪は、とこしえに贖われることはない。」
『祭司エリは言った。
「我が子、サムエルよ。お前に何が語られたのか。私に隠してはいけない。」
サムエルはエリに一部始終を話し、隠し立てをしなかった。
『エリに神の裁きを伝えるサムエル』
こうして・・・
サムエルの師・祭司エリは、息子二人の死の後、神の裁きを受けるのです。亡くなりました。
サムエルは、『神の言葉』を告げる『預言者』 になっていくのです。
預言者として成長していくサムエル。
『サムエルは成長していった。
主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。
イスラエルのすべての人々は、
サムエルが『主の預言者』として信頼するに足りる人であることを認めた。
主は御言葉をもって、引き続き、シロでサムエルに御自身を現された。
サムエルの言葉は全イスラエルに及んだ。』
サムエル記上 3章19節ー4章1節
サムエルは、成長して、『主の預言者』として認められるようになりました。
主御自身が、サムエルに語り続け、サムエルに御自身を現されたのです。
宗教的指導者:司祭 かつ 政治的指導者:士師 のサムエル。
ペリシテ人に責められ敗北したイスラエル・・・
『サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。
「あなたたちの中から異教の神々を取り除き、心を正しく主に向け、ただ主のみに仕えなさい。
そうすれば、
主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出して下さる。」
イスラエルの人々は、バアルとアッシュタロットを取り除き、ただ主にのみ仕えた。
ペリシテ人は鎮められ、サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。
サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行った。』
サムエル記上 6章2ー15節
サムエルは人々に、
一心に主に仕え立ち返るなら、主はペリシテ人から救って下さると言い、
皆を集めて祈った。
そこにペリシテ人が攻めてくるが、雷が敵の上に轟くと、敵は乱れて逃げて行った。
こうして、主はいつもサムエルと共にいて、
サムエルの指導者としての地位も確立していったのです。
サムエルの一生の間、
主の手が、ペリシテ人を防いだ。
イスラエルはその周囲の地をもペリシテ人から取りかえし、イスラエルには平和があった![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/3hearts.gif)
サムエル記上
そして。
年老いたサムエル。
『サムエルは年老い、イスラエルの裁きを行う者として息子たちを任命した。
ところが。
イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、彼に申し入れた。
「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。
今こそ、他のすべての国々のように、我らのために裁きを行う王を立ててください。」
サムエルの目には、裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、悪と写った。
そこでサムエルは主に祈った。
主はサムエルに言われた。
「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。
今は彼らの声に聞き従いなさい。」
サムエルは、王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。
「あなたたちの上に君臨する王の権限は絶対であり、あなたたちは王の奴隷になる。
その日、あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。
しかし、主はその日、あなたたちには答えて下さらない。」と。
ところが、民はサムエルの声に聞き従わず、言い張った。
「いいえ、われわれには王が必要なのです。
王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、われわれの戦をたたかうのです。」
サムエル記上 8章1-19節
何事も、自分で決める前に、主に祈る。主に尋ねる。
それが、サムエルの生涯の姿でした。
私たちも見倣うべきことです。
国王の擁立
サムエルは、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。
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『サウル王 イスラエル初代王』
「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。」
サムエル記上:12: 17 - 18)
サムエルと国王・サウルとの葛藤
サムエルは、
サウルの度重なる背信行為に対して、
「そのため、わたしはサウルを王にしたことを後悔し、わたしはサウルを捨てて王の位から退ける」
「あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退ける』
と、サウルに『神の言葉』を告げた。
そしてサムエルは、
二度とサウルに逢うことは無く、しかしサウルのために悲しんだ。
サムエル記上 15:章20 - 23節
以上。神と共にその生涯を送った、サムエルの『神の使徒』としての一生でした。
死の床のサムエル。
「今日、私の手に何一つ訴えるべきこと(罪)を見出さなかったことについて、主が証人だ。」
とサムエルは言った。
死を悟ったサムエルは、
自ら、神に、『正しく、清く、信仰深く、生涯』を宣言したのです。
『全イスラエルは言った。
「あなたは我々を押さえつけたこともなく、踏みにじったこともありません。
だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」』
いよいよ最期。
サムエルは『告別の辞』を述べた。
「あなたたちに 正しく善い道を教えよう。
主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたたちに示したかを悟りなさい。」
サムエル記上 12章
以上。今日はサムエルの一生を学びました。
私たちも、生涯、サムエルに倣って、サムエルのように、
正しく、清く、信仰深く、生涯を送りたいものです。
『どうぞお話しください。僕は聞いております。』と、
『神の御言葉=聖書』を読みながら、聞きながら、『信仰の旅路』 を全うしたいものですね。
更には。
この現代の社会の中で、私たちが確信している『信仰の喜び=信仰の希望』を、
周りの人々に、自身の信仰の喜びの姿をもって、分かち合っていきましょう。
頑張りましょう。ファイト!
御一緒してくださり、ありがとうございました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
そして。
今日は6月28日。
『イエスのみ心 祭日』
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『神のはからいはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く。
神は人々の魂を死から救い出し、飢えから救い、命を得させてくださる。』
詩編 33章11&19節
『イエスのみ心はキリスト教信仰の象徴です。
なぜなら、イエスのみ心は、単純で真実なしかたで愛の『福音』を表し、
受肉とあがないの神秘を要約するからです。
神はその限りない愛の広がりから、
限界のある歴史と人間の条件に入ることを望まれました。
こうして、
わたしたちは限界のあるもののうちに無限のものを仰ぎ見、
これと出会うことができるようになりました。』
教皇ベネディクト十六世の『講和集2008』より。
『今日の叙唱』
『イエスのみ心
キリストは限りない愛を持って、わたしたちのためにみずからを渡し、
十字架に上げられ、その貫かれた胸から血と水が流れて、教会の秘跡となりました。
イエスのみ心を慕うすべての人は、
この救いの泉からいのちの水をくみ、喜びに満たされます。
あなたをたたえるすべての天使、聖人とともに、わたしたちも賛美の歌をささげます。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末から大雨になるようです。皆様にとって穏やかな週末でありますように。 お元気で!