マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『シンプルイズベスト』 そして 『あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。あなたたち律法の専門家も不幸だ。』

2022-10-12 06:00:00 | 私のこと
10月12日。水曜日。曇り。

今朝も、
早朝ウォーキング。

頭を空っぽにして、
あれこれと考える♡♡
楽しい時間です。

             『公園の花壇』
  
    可愛い花々・・・        
        癒されます。元気をもらいます。


    ♡花々は、シンプルに、そして輝いている。
      私も、自分らしく、独創的で、本物でありたい。

    ♡花々は、命の水を与えられて輝いている。
      私も、自分に命の水を与えなければならない。

    ♡花々のように、
     私の趣味と意向を代弁してくれる好きなもの。
        そんなものだけに囲まれて
      自分らしくシンプルに生きたいものです。


     今日も、
      『シンプルisベスト』
     シンプルを目指して、プチ断捨離の実行でした。
                 感謝!感謝!
      

そして。

今日は10月12日。年間第二十八水曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、わたしの道の光。
      わたしの歩みを照らす灯。』
        詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
    『わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
    
      『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』
             我が家の居間にかかるミレー作品

    わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。』
       ヨハネによる福音書 10章27節 アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは言われた。
    
    あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。

   薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、
   正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。
      これこそ行うべきことである。
 もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。

    あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。
       会堂では上席に着くこと、
     広場では挨拶されることを好むからだ。

        あなたたちは不幸だ。
    人目につかない墓のようなものである。
      その上を歩く人は気づかない。」


   そこで、律法の専門家の一人が、
     「先生、そんなことをおっしゃれば、
     わたしたちをも侮辱することになります」
                 と言った。

   イエスは言われた。
     「あなたたち律法の専門家も不幸だ。

     人には背負いきれない重荷を負わせながら、
   自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。」』
      ルカによる福音書 11章42-46節


   今日のイエス様は、
   ファリサイ派の人々と律法の専門家の不信仰を、
             非難します。

  
   ファリサイ派の人々や律法の専門家は、
   律法の細かいことまで守る立派な人です。自慢もしていました。
   しかし、
   律法の細かいことを守るように人々に教えながら・・・
    ※自分自身は『掟』を免除されること、
      『掟』を守る必要がない口実を作っていました。
   また、
   自分の評判、ほめられ大切にされることを重視して・・・
    ※イエスさんのおっしゃる『一番大事な掟』=『愛の掟』
      人を大切にし、人を赦す『愛の掟』
         を怠っていました。
    ※神様のおっしゃる『一番大事な掟』=『愛神愛隣』
        正義の実行と神への愛
         をおろそかにしていました。 
   それは、
   あたかも、外は白く塗る習慣の『墓』のようで・・・
    ※中身は『愛』を失い、
       心はきれいにならないのです。


   私たちも、
   イエス様の『愛の掟を大切にしなさい』との呼びかけに答えて、
   隣人を大切に、そして愛することが出来ますように。
   神様の愛に応えて、神様に感謝することが出来ますように。
                祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人から、あの方らしい!と言われるような、自分らしさは素敵です。
芸術の秋。自分らしさを磨きましょう。 お元気で!

The 故郷・・・『サンドイッチ』 そして 『聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使 祝日』・・・『神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』

2022-09-29 17:00:00 | 私のこと
9月29日。木曜日。快晴。

 昨日・28日
故郷・東京入りです。
そして、
今日・29日
懐かしい故郷での一日でした。


  それは・・・ 

     故郷の味・・・  『サンドイッチ』
  
                                於。『代官山T‐SITE』 

          故郷に戻り、自分の若かりし頃に戻る。
         それは、若かりし頃の『時間』が戻る時間です。


       結婚前より結婚後の年数が、大幅に多くなった今。
        娘時代の私。と 妻となり母となった私。
       私にとっては、いまだに、東京風と神戸風の違いの経験、の日々でもあります。
         感慨無量の『二つの時間』です。

       
       娘時代の自分に戻ることは、
       『老化防止策』の重要な一つの策ではないかしら♡♡


 それは・・・

     故郷のオアシス・・・    『代官山T‐SITE』
  

            喧騒の渋谷の街中の、静かな『オアシス』

             結婚前の私のテリトリーの渋谷で、
                昔の私に戻って、          
             娘時代に戻った私と我が娘との
             『おしゃべり・ゴールデンタイム』です。


         今日は5か月ぶりの故郷。
         故郷はいいな。娘はいいな。♡♡
           感謝!感謝!



そして。

今日は9月29日。年間第二十六木曜日。

  『聖ミカエル    聖ガブリエル    聖ラファエル大天使 祝日』
  
   
   聖ミカエルは、『神と似た者』という意味。ダニエル書10-13
       イスラエルを助ける天使。ヨハネ黙示録12‐7

   聖ガブリエルは、『神の力』という意味。
       旧約・ダニエル書では、神のメッセージを預言者に伝えている。
       新約聖書では、ザカリアに洗者ヨハネの誕生を、
       聖母マリアに救い主イエスの誕生を伝えている。

   聖ラファエルは、『神はいやされた』という意味。
       人びとの祈りを聞き入れて神にとりなす天使。トビト書
       堕落した天使たちに汚された地を清らかにする天使。エノク書


      神の使いである天使たちと心を合わせて、
      神を賛美し、その取次ぎを願う祝日である。
            『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』
  
    『神の使いよ、神をたたえよ。
     御言葉を聞き、これを行う者よ、神をたたえよ。』
           詩編 105章20節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『神の使いよ、神をたたえよ。み旨を行うしもべたちよ、神をたたえよ。』
             詩編 105章20-21節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、
    彼のことをこう言われた。
     「見なさい。
      まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

   ナタナエルが、
     「どうしてわたしを知っておられるのですか」 と言うと、
   イエスは答えて、
     「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
       いちじくの木の下にいるのを見た」 と言われた。
       
   ナタナエルは答えた。
     「ラビ、あなたは神の子です。
           あなたはイスラエルの王です。」
   イエスは答えて言われた。
     「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、
             信じるのか。
       もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

     更に言われた。
        「はっきり言っておく。
      
    天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
         あなたがたは見ることになる。」』
            ヨハネによる福音 1章47-51節

   
    今日のイエス様は、
    ナタナエルに改心を促します。


    ナタナエルは、
    はじめは、イエスを信じることができなかったのです。
    「ナザレトは、田舎の町で、そんな所から、『救い主』が生まれるはずがない」 
        と言いました。
    でも、フィリッポから「見に来なさい」と勧められました。


         信仰が出来上がるためには、
         ☆イエス様を見なくてはいけません。
          イエス様を自分で体験しなくてはなりません。
         ☆イエス様と個人的接触を持つことにより、
          イエス様を理解するようになり、
          イエス様を知り、自分の考えが変わっていくのです。
         ☆イエス様の『人格的すばらしさ』を見るだけでなく、
          イエス様の『復活』を知らなければなりません。

      
           イエス様は、
           ☆神から遣わされて、
            天から降って『人間』となりました。
           ☆復活により、また再び、天に上られ、
            『神の世界』にもどられました。 

   
    弟子たちも、ナタナエルも、
    イエス様に出会って、イエスを神の子と認めました。
    又、イエス様の復活において、本当の『改心』ができたのです。
    ナタナエルは、イエスの12人の弟子のひとりになりました。


    私たちも、
    聖書を読み、人々や自然界の姿を見ながら、
    イエスがどのようなお方であるか知るようになりたいものです。
              祈りましょう。
          

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様の古郷はどちらでしょうか。「故郷は遠くにありて・・・」といいますよね。
故郷での懐かしい日々を思い出しながら、元気になりましょう。
私は今日午前中、私の故郷の地に住む孫娘の体育祭を応援しながら、元気をもらいました。 お元気で!

白内障手術・・・『人は鏡』 そして 『聖ビンセンチオ・パウロ司祭 記念日』・・・『イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。』

2022-09-27 09:30:00 | 私のこと
9月27日。火曜日。曇り。一時大雨。

昨日は、
白内障手術でした。
3週間前は右目の手術。
昨日は左目の手術でした。

               『涸沢カール』
  
   上高地の奥に広がる氷河圏谷   「涸沢カール」    北アルプスの南部・穂高連峰の中腹 です。


          今日は、昨日の手術の経過観察でした。
          お医者様から太鼓判をいただきました。

        今日からでも、旅行OK。登山OK。運転OK。ワインOk。
          両目ともに、手術大成功です。
           私の『好み』の再開です!
             感謝。感謝。


 そうとなれば・・・

      登山。今年は、よく見える目でもう一度、『唐沢の紅葉』を見に行きたい。
          10年ほど前に制覇した、穂高連峰。
      奥穂高岳(3,190m)。涸沢岳(3,110m)。北穂高岳(3,106m)。前穂高岳(3,090m)。西穂高岳(2,909m)。 
           我が登山人生の絶頂期でした。


         穂高連峰の雪溶け水が、槍沢と合流して梓川となり、
           上高地へ注ぎ込んでいます。 
         涸沢カールは、景勝地・上高地の『母なる自然』なのです。


             10年前の眼力に戻った今、
          美しい涸沢紅葉』の見納め登山をいたしましょう!


  そして。

      旅行。早速に、明日から、孫たちの体育祭応援で、東京行きです。

        孫娘は、コロナも落ち着いて、中学三年になって初めての中学校体育祭です。
         午前と午後の二部制競技で、父兄の応援も二部制です。
         恒例の『運動会の昼食』はなしで、生徒は教室でお弁当。
            父兄は競技の参観のみです。

          中一の孫息子も姉の三日遅れで体育祭です。
        
         「白内障の手術も成功なら、応援に来てね。」
        「おばあちゃん参加の競技では、優勝しますよ!」と私。

           
            10年前の眼力に戻った今、
          孫たちに負けないで、走ることにいたしましょう! 


 そして。
 何十年も前の視力に戻った目で、
       私はを見ることにいたしましょうか。

       考えました。 『人こそ人の鏡』

       眼力が戻った高齢の私。
       鏡に自分の姿をうつして正すように、
       他人様の言動をよく観察して、
       自身を正すのによい手本として、学ぶことにいたしましょう。


       『書経』曰く。
         『人は水に鑑みること無く、当に民に監みるべし』


       多くの方と出会い・・・
       良く見える目で、お一人お一人からしっかり勉強させていただき、
       そのたびごとに、新たに自分を見直し、
       高齢者にふさわしい『豊かな人格』を磨くことにいたしましょう!
                     感謝!感謝!


そして。

今日は9月27日。年間第二十六火曜日。

     『聖ビンセンチオ・パウロ司祭 記念日』
         

 1581年。 ビンセンチオは、フランス南西部のアキテーヌ州の農家にまれる。
 1600年。19歳。トゥールーズで神学を学び終えると、司祭に叙階される。
          パリに行って小教区の主任司祭として働いた。

      旅行の途中に、乗っていた船が海賊に襲われ、
      ビンセンチオは北アフリカのチュニスに奴隷として売られ、
      2年間の苦しい生活を強いられた。
      フランスに戻ることができたビンセンチオは、
      生涯を貧しい人たちの救いのために尽くすことを決心した。

 1625年。44歳。聖職者の養成と貧しい人や囚人たちを助けるために、
          『布教宣教会』を設立。

 1633年。52歳。ルイーズ・ド・マリアックの協力を得て、
          『愛徳姉妹会』も創立。
          慈善事業をさらに発展させた。

 1660年。79歳。 パリで死去。
                  『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせ、圧迫されている人を自由にするために、
      主がわたしに油を注がれたからである。』
           ルカによる福音書 4章18節


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
 また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである。』
       マルコによる福音書 10章45節    アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『イエスは、天に上げられる時期が近づくと、
     エルサレムに向かう決意を固められた。
     
      エルサレム入城』
          受難週の最初の日曜日に、
             イエスはロバの子に乗って、エルサレムに入城します。
 
     そして、先に使いの者を出された。
     彼らは行って、イエスのために準備しようと、
       サマリア人の村に入った。

     しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。
   イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。

   弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
   「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、
      彼らを焼き滅ぼしましょうか」 と言った。

    イエスは振り向いて二人を戒められた。
     そして、一行は別の村に行った。』
      ルカによる福音書 9章51-56節


  今日のイエス様は、
  ガリラヤを去り、エルサレムに向かいました。
  しかし、サマリア人たちは、イエスを歓迎しませんでした。


      イエス様が苦しみを受ける時が迫ってきました。
      イエスさまに反対する人は、主にエルサレムの偉い人たちでした。
      それでも、
      イエス様は固い決心をなさり、
      そこで苦しみを受けることを知っておられるエルサレムに向かっていきました。
        

   弟子たちは、
   以前に、何回も、イエス様の『苦しみを受ける話』を聞きましたが、
   イエスの『苦しみ』を理解することはできませんでした。
   イエス様が、『偉い人』になるために、
   エルサレムに向かうのだと、思っていたのです。 
   そこで、
   イエス様がサマリアから受け入れられないのを見て、
   弟子たちは怒り、『この人たちの上に罰を落とすように』と頼んだのです。


       弟子たちの信仰は、まだ浅いものでした。
       イエスにとって『苦しみの旅』が始まったのですが、
       弟子たちは、本当の意味では理解できていなかったのです。
       

        信仰には、何よりも『忍耐』が求められるのです。
        悪者は、罰するのではなく、『改心』を勧めるのです。


        イエス様は、弟子たちをも『忍耐』しておられるのです。
            弟子たちは、イエスに倣って、
            人を『罰する』ことではなく、
          人を『赦す』こと、人を『救う』ことを、
            学ばなければならないのです。


    私たちも、
    イエス様の模範は簡単なことではないのですが、
    イエス様に倣って、成長し、お人を許すことを学ぶのです。
         祈りましょう。

          
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
老化の一つが、だれでもが迎える『白内障』だそうです。
医学の発展により、完治する白内障です。
その時が来ましたら、手術で、鮮明な目を取り戻してくださいね。 お元気で!

友の引っ越し・・・『終の棲家』 そして 『イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』

2022-09-12 21:21:01 | 私のこと
9月12日。月曜日。晴れ。

平成元年。33年前。
今の住まいに越してきました。

神戸市のニュータウン開発事業の一つとして、
33年前に、
私の住む大きなニュータウンが出来たのです。

沢山の引っ越し家族にとって、
御近所さんたちも、街も、何もかも、
すべてが新しかったのです。


            『秋桜』
  

    あれから33年・・・

              秋も深まる10月早々に、
           33年間仲良くしてきたお向かいさん・友人が、
               お引っ越しです。

           お向かいさんと共に過ごした33年間は、
         子供の子育て、同居となった互いの親御さんとの交流、
             お惣菜や頂き物の分かち合い、
            そして、互いの夫の定年退職、等々。
              人生の大切な時期でした。
         私たちは互いの人生に喜びをもたらしあいました。

       
         お向かいさんと共に過ごした33年という長き時間は、
             とても価値ある時間でした。
             心から誇りに思う時間です。



「ここが終の棲家かと思っていたのに…。」
と、お向かいの奥様はおっしゃいます。
長年連れ添ってこられた御主人様が突然の他界。
奥様・友人は大きな家にお一人住まいとなった一年間に
終わりをつげ、
息子さん家族の住む家の近くのマンションに
お引っ越しです。そこでお一人住まいを始めます。


           人の人生は、計画通りにはいきません。
               住まいも然りです。

               ありのままの姿で、
            流れに身を任せて、生きていく。


             素敵なお向かいの奥さまは、
           熟年者の毅然たる模範を示しながら、
         新しい生活に喜びを見つけられることでしょう。


        私は、
        『終の棲家』は『天国』であると再確認しながら、
          お向かいさん家族たちとの出会いに感謝し、
          奥様・友人とのお別れの寂しさ以上に、
          又の再会の日を楽しみにいたしましょう。

          私も『流れ』に身を任せて生きる覚悟を
              新たにした今日でした。
                 感謝!感謝!


そして。

今日は9月12日。年間第二十四月曜日。

『今日の入祭唱』

      『主は驚くべき御業を記念するよう定められた。
  主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留められる。』
          詩編 111章4-5節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
     『神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠のいのちを得るためである。』
        ヨハネによる福音書 3章16節        アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、
        カファルナウムに入られた。

     ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、
          病気で死にかかっていた。

        イエスのことを聞いた百人隊長は、
       ユダヤ人の長老たちを使いにやって、
      部下を助けに来てくださるように頼んだ。

     長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。
     
    「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
   わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」

        そこで、イエスは一緒に出かけられた。
     ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、
       百人隊長友達を使いにやって言わせた。
       

         「主よ、御足労には及びません。
  わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
     ですから、
     わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。
   
        ひと言おっしゃってください。
      そして、わたしの僕をいやしてください。

      わたしも権威の下に置かれている者ですが、
         わたしの下には兵隊がおり、
        一人に『行け』と言えば行きますし、
        他の一人に『来い』と言えば来ます。

       また部下に『これをしろ』と言えば、
          そのとおりにします。」

        イエスはこれを聞いて感心し、
     従っていた群衆の方を振り向いて言われた。
     「言っておくが、イスラエルの中でさえ、
    わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

      使いに行った人たちが家に帰ってみると、
       その部下は元気になっていた。』
         ルカによる福音書 7章1-10節


     今日のイエス様は、
     信仰深い異邦人の百人隊長の依頼に応じて、
       そのしもべを癒しました。


     百人隊長は、
     ユダヤ人ではなく、異邦人でした。
     しかし、
     ユダヤ人の信仰に興味を持ち、
     ユダヤ人のために会堂を作り、
     ユダヤ人たちの祈りの集会に出ていたようです。
     そんな時、
     百人隊長の部下が病気になったのです。
     すると、
     異邦人の百人隊長は、部下の回復をイエスに直接に願う資格はないと考えて、
     ユダヤ人の長老たちに、イエスにとりなしてくれるように頼みました。


     イエス様は、
     彼らの願いに応えて、百人隊長の家に向かいました。

     その話を聞いた百人隊長は、
     ”イエス様が異邦人の家に入っては、汚れた者になります” と考えて、
     今度は、友人をイエス様のもとに送って、言わせたのです。
     「あなた様を私の家にお迎えする資格はありません。
      それでも『一言』おっしゃって下されば、部下は治ります。
      私も部下に命じると、彼らは言われたとおりにします。
      それと同じことです。」と。


      イエス様は、
      百人隊長の『言葉』を聞いて、驚きました。
      イスラエルの中でさえ、
        わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』と。


         信仰のある所には、
        イエス様の『一言』には、効果があるのです。
        イエス様がおっしゃったとおりになるのです。
       

        百人隊長は、
        信仰の深いユダヤ人たちを通して、神に導かれたのです。


    私たちキリスト者も、
    私たちを通して、人々が神を知ることが出来ますように。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
家族や友人との別れは寂しいものです。
それでも彼らと共に過ごした『幸せだった時間』を忘れることなく、
彼らを心の中にしっかりと残してまいりましょう。 お元気で!

お楽しみの再開・・・『白内障手術後』 そして 『まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになる。』

2022-09-09 21:02:38 | 私のこと
9月9日。金曜日。曇り。

私の日々の楽しみ。

  楽しみその

            『No Wine No Life』   
  
    今日は、
    ワインではなく・・・

    息子夫婦の『2022佐渡国際トライアスロン大会 』 頑張った完走土産です。
    私の好みTopの男優・ロバート・デニーロが愛する『北雪』です。
    そして、
    私がワインと同じように愛する、佐渡島の『北雪』初めての『拓』です。

                   ・・・大吟醸です♡♡
  

  楽しみその

          『旅行』
    
    今回の賞品は、
    いつもの『神戸牛』ではなく・・・

    旅行先のどこのゴルフ場でも使える『ゴルフ利用券』です。
    旅行を兼ねて『ゴルフを楽しみま賞券』です。

              ・・・コンペ参加者120人中『2位』、頑張った夫でした♡♡


  楽しみその

           『ドライブ』
  
  
        青空のもと・・・私の『心のリフレッシュ』です♡♡


    ところが・・・
    すべての『楽しみ』の再開は、
        今日から5日後です。
     
     約一週間後(9/13)の『術後検診』後までのお預けです。

     大好きなワインも、大切なアイメイクも、
      旅行も、ドライブも、
     13日まで我慢我慢です。お預けです。


     病人さんたちは、日々我慢に我慢を重ねて、
      完治の時を待っておいでなのだと
     改めて病人さんたちに思いをはせることが出来ました。
     病人さんたちの回復の日を心からお祈り申し上げます。


      私も、
      13日の『お楽しみ解禁日』を楽しみに、
      一日三回の目薬の点滴をしておる毎日です。
               感謝!感謝!



そして。

今日は9月9日。金曜日。年間第二十三金曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、わたしの道の光。
     わたしの歩みを照らす灯。』
       詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『主よ、あなたの御言葉は真理です。
    真理によって、わたしたちを聖なる者としてください。』
      ヨハネによる福音書17章17節  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちにたとえを話された。
    

    「盲人が盲人の道案内をすることができようか。
      二人とも穴に落ち込みはしないか。

      弟子は師にまさるものではない。
    しかし、だれでも、十分に修行を積めば、   
       その師のようになれる。

    あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
     なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

      自分の目にある丸太を見ないで、
 兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』
                と、どうして言えるだろうか。

     偽善者よ、
     まず自分の目から丸太を取り除け。
    
    そうすれば、はっきり見えるようになって、
    兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」』
          ルカによる福音書 6章39-42節


   今日のイエス様は、
    『お人の欠点を見ても裁いてはならない。』
       と、弟子たちにたとえ話で教えました。


   私たちは、
   自分のことと、お人のことを、※違った『ものさし』※で測りがちなのです。
   ※同じことでも、お人には厳しく、自分には甘かったりします。
      お人の足りなさを戒める時、
      自分自身の足りなさを思い出すべきなのです。
   ※自分の弱点は、自分では見えないのですが、お人には見えるのです。
      自分では気づかない自分の弱点の指摘は、
      謙虚に、ありがたく、受け入れるのです。


       神様は、私たちの良い点も悪い点も、よくご存じです。
        それでも、神様は私たちを愛してくださるので、
          欠点を気にせず、
       私たちをありのままに受け入れてくださる御方です。


   私たちも、
   お人の欠点に目を止めるのではなく、
   お人を本当に愛して・・・
   その人の良い点に目を留め、その人の欠点を探るようなことはよしましょう。
   自分の欠点を認めて・・・
   お人を十分に理解することが出来るようになりましょう。
             祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人は、順境の時も逆境の時もあり、元気な時も病むときもあります。
つらい時には、互いに支えあって、互いに寄り添いあってまいりましょう。 お元気で!     

断捨離・・・『昔と今の生活』 そして 『聖マリアの誕生 祝日』・・・『マリアの胎の子は聖霊によって宿った。』

2022-09-08 17:25:11 | 私のこと
9月8日。木曜日。曇り。

今日は、
テレビから刺激を与えられて、
快適な生活のために、
断捨離です。

         『ピカソのアトリエ』
  
                                テレビ画面を私が撮影

        テレビで放映された『ピカソ記念館』に遺る『ピカソのアトリエ』
   

           アトリエは、数時間、集中する所だったのでしょう。   
           そこは、シンプルにそして美しく整えられていました。


             何時間もかけて一枚の絵を仕上げていく。
          それには、何よりも集中力と持続力が問われるのでしょう。

              『シンプル&美しく』
          ピカソの快適な生活のための『キーワード』ではなかろうか。
          そんな風に考えながら、『ピカソのアトリエ』の映像を見ました。
               私も、『最高の満足』を味わうためには、
                  自分の書斎兼アトリエを整えていくことが第一かと、
                     学ばされ、感動した次第です。

そこで、
私も『美しく&シンプル』にと、
今朝から、家の中の断捨離を始めました。
驚くことに、
何十年も使っていない『こたつセット』。
部屋の温暖化で着ることがなくなった『セーター類』。
羽毛布団が主流となり、使っていない『嫁入り布団』。等々。


         昔と今の生活は大きく変わっているのです。


         この度新築を実現した我が娘や息子宅では、
           親の家より狭いのに、
         親の家より超シンプルで超美しいのです。


         今日は、
         我が家も、シンプルに&美しくと、
         ピカソ宅や子供たちの家を参考に、
         長年の思い出品を写真に残し、
          断捨離いたしました。
         少しづつ・・・『シンプル&美しく』の実現です♡♡
                   感謝!感謝!


そして。

今日は9月8日。年間第二十三木曜日。

       『聖マリアの誕生 祝日』
     
      『大公の聖母』  ラファエロ画
   
      9月8日に聖マリアをたたえる習慣は、
     エルサレムではじまったと言われています。
  
     5世紀に建てられた聖アリア誕生の大聖堂で、
      すでにこの祝日が祝われていました。
     7世紀に、ビザンチン典礼やローマ典礼では、 
     この日を『聖マリアの誕生日』として記念するようになった。

     救い主の母として選ばれた罪のないマリアの誕生は
        すべての人にとって希望であり、
          救いの夜明けである。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

 『いつくしみ深い神よ、
  あなたはおとめマリアの誕生を祝福し、救いの芽生えとしてくださいました。
    信じる者に恵みを注ぎ、今日、聖マリアの誕生を祝うわたしたちに
          平和をお与えください。』

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『幸せな方、おとめマリア、あなたはあらゆる賛美にふさわしい。
   正義の太陽であるキリストはあなたからお生まれになった。』
       典礼聖歌 276番 聖マリアの誕生     アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエス・キリストの誕生の次第』一部です。

    『イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
      母マリアはヨセフと婚約していたが、
          
     
        二人が一緒になる前に、
    聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

      夫ヨセフは正しい人であったので、
     マリアのことを表ざたにするのを望まず、
       ひそかに縁を切ろうと決心した。

    このように考えていると、
    主の天使が夢に現れて言った。
    
    「ダビデの子ヨセフ、
     恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
    マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
       マリアは男の子を産む。
      その子をイエスと名付けなさい。
    この子は自分の民を罪から救うからである。」

      このすべてのことが起こったのは、
  主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
   
      「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
      
      『歌を歌う天使達』ウィリアム・アドルフ・ブグロー作品

      その名はインマヌエルと呼ばれる。」
イザヤ書7章「14節
      この名は、
       「神は我々と共におられる」
         という意味である。』
         マタイによる福音書 1章18-23節


       『イエス・キリストの誕生の次第』
   『イエス』とは、『神は救う』という意味です。
   『キリスト』とは、『メシア=油注がれた者』という意味です。
     聖霊によって、イエス・キリストはマリアから生まれました。
   『インマヌエル』とは、『神は我々と共におられる』という意味です。


     神様は、
     人間を通して、人々を『救う』ことを望まれました。計画なさいました。
       神様のなさり方は『不思議なこと』です


    ヨセフ様は、
    神様から協力することを望まれ、※『使命』※を与えられました。
    ※婚約者・マリアが身ごもっていることに気づくと、
     神様がマリアに『不思議なこと』をなさったと信じました。
    ※そしてマリアの子が生まれたときに、
     天使が告げたとおりに、幼子に、
       『イエス』と名付けました。


    マリア様は、
    神様から協力することを望まれ、※『使命』※を与えられました。
    ※天使から
     『あなたは神から恵みをいただいた。  
     あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。』
         告げられたときに、
     『わたしは主のはしためです。
      お言葉どおり、この身に成りますように。』ルカ 1章26-38節
          と答え、神を信じました。
    ※そして男の子が生まれたときに、
        天使が告げたとおりに、幼子に、
          『イエス』と名付けました。
 

    私たちも、
    神さまから、神様に協力することを望まれているのです。
    お人を大切にし、お人を許し、『主の証し人』になるのです。
           祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いろいろのお人から、又 いろいろの事柄から、『刺激』をいただきますよね。
『刺激』を大切に、日々を豊かにしてまいりましょう。 お元気で!

加齢現象・・・『白内障』 

2022-09-05 09:30:00 | 私のこと
9月6日・月曜日。晴れ。

今日は、
私も『加齢』を実感した一日でした。


     より美しく見える・・・  『庭の花』
  

        今日、私は右目の『白内障手術』を受けました。
        ものがはっきりと美しく見えるようになりました。

 
  『マリアの賛歌』を思い出しました

           『わたしを幸いな者というでしょう。
         力ある方がわたしにに偉大なことをなさいましたから。』
                ルカによる福音書 1章48-49節

         神様は御自分にかたどって人を創造されました。創世記1-27
         すべての人は、神に似て、大切な存在です。
         すべての人は、それぞれの役割があり、偉大なのです。


白内障の原因
白内障は様々な原因で起こりますが、
最も多いのは加齢によるものだそうです。
これを『加齢性白内障』と呼ぶそうです。
個人差がありますが、
誰でも年をとるにつれ、水晶体は濁っていきます。
加齢性白内障は一種の老化現象なのです。


         今日、
         手術椅子に座って寝転んで、
         手術を受ける間、一瞬、考えました。

         「気持ちは元気でも、
         体は、正直で、確実に老化に向かっているんだわ。
         これから、
         今まで生きてきた年数のどれ位生きることが出来るのだろうか?

            半分は無理。1/3も無理でしょう。

         私の残された人生は、限りが見えて、短いのです。
         短い残りの人生を、無駄にすることはできないのです。

            何が大事なことか?
            何が今から私のやるべきことか?

         白内障手術は、神様が与えてくださった、『好機』です。

            何よりも、
            ”楽しい人生だったな!” と思えるように、
            残された人生を豊かにしていきたいものです。」


          今日は、
          正に、「人生」について考えさせられた『好機』でした。
                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昨日は、手術前の検温や目薬の点眼で、心せわしく、
    皆様と『今日の福音』の分かち合いが出来ませんでした。
今日は、手術後でゆっくりしていまして、
    皆様と『今日の福音』の分かち合いが出来ませんでした。
ちょっと残念です。
またこれからも私のつたないブログをよろしくお願い申し上げます。 お元気で!

月一の美容Day…『グラジオラス』 そして 『真夜中に 「花婿だ。迎えに出なさい』」叫ぶ声がした。』

2022-08-26 08:26:20 | 私のこと
8月26日。金曜日。晴れ。


           『グラジオラス』
  

          華やかで迫力ある美しい花グラジオラスです。

        赤のグラジオラスの『花言葉』は、『堅固』、『用心深い』。
          「堅固」の意味は、かたくて、こわれにくいこと。
            意志がかたく、しっかりしていることです。
              更に、「用心深い」のです。


    思い出すのは・・・
    ずいぶん昔に、「あなたってグラジオラスのようなお方ね!」
         と、友人に言われたことがあります。

    その時は、 ”私ってグラジオラスのようなんだ!” 
         と、それが誉め言葉だったのか、何かわからないままに、
         その意味が分からないままに、受け入れた私です。


         友人は、きっと、
         グラジオラスの『花言葉』からイメージして、
            言われたのではないでしょう。
            でも、私は、『堅固』で『用心深い』面があります。
         グラジオラスの『迫力ある姿』からイメージして、
            言われたのかもしれません。
            確かに、私は、『背が高く』て『骨太』の体です。


    その後、
    今に至るまで・・・
     ”私は今日も『グラジオラス』のイメージを保てているだろうか?”
        と、元気で、健康で、堅固で、用心深く、ありたいと
           自分を励まし、心してきた私です。


        そして、
        今日は、私の月一の、『美容Day』です。
        長年お任せでお願いしている、個人営業の美容師さんは、
         「今日も、グラジオラスのイメージでいきますね」
          と、私に向いたヘヤーカットや髪染めを
          いつも通りに施してくださることでしょう。


         友人の『一言』が、私の半生に影響しているのです。


        今日も、   
        私も、お人を励ますような『一言』を言えるような、
        そんな私でありたいと願って、
            一日をスタートいたします。
               感謝!感謝!


そして。

今日は8月26日。年間第二十一金曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、わたしの道の光、
     わたしの歩みを照らす灯。』
       詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『人の子の前に立つことができるように、
     いつも目を覚まして祈りなさい。』
       ルカによる福音書 21章36節 アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。
      
      「天の国は次のようにたとえられる。
       十人のおとめがそれぞれともし火を持って、
         花婿を迎えに出て行く。

   そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
  
   愚かなおとめたちは、
   ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
   賢いおとめたちは、
   それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。

      ところが、花婿の来るのが遅れたので、
       皆眠気がさして眠り込んでしまった。

   真夜中に
    『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
   そこで、
      おとめたちは皆起きて、
      それぞれのともし火を整えた。
     
     『おとめたち』 ヤン・アダム・クルーゼマン作品

    愚かなおとめたちは、
    賢いおとめたちに言った。
    『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
    賢いおとめたちは答えた。
    『分けてあげるほどはありません。
     それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

        愚かなおとめたちが買いに行っている間に、
            花婿が到着して、
   
     『おとめたち』     Peter Lisaert IV 作品 

           用意のできている五人は、
        花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。

   その後で、
   ほかのおとめたちも来て、
    『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。

       しかし主人は、
      『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。

          だから、目を覚ましていなさい。
       あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」』
           マタイによる福音書 25章1-13節


   今日のイエス様は、
   『花婿を迎えるおとめたち』の『たとえ話』
     で、弟子たちを励ましました。


       『花婿を迎えるおとめたち』の『たとえ話』は、
         イエス様の『改心』への呼びかけです。

         『救い主』を待ち望むものは、
     ※イエスから招かれる機会を掴まえて、改心するように・・・。
     ※神から遣わされたイエス様を、いつでもお迎えできるように・・・。
       と、イエス様はいつも呼びかけられておられるのです。


     ※愚かなおとめ5人は、
       ”花婿はまだ来ないだろう” と考えて、準備不足でした。
         『油・改心』が足りなかったので、
         『宴会』に参加できませんでした。  
     賢いおとめ5人は、
       キリストの再臨のために、いつも準備・改心をしていました。
          キリスト様の到来と共に、
        キリスト様と共に、『宴会』の席に入りました。


        『改心』は、自分でするものです。
     常日頃から、キリスト様をお迎えする準備、が問われるのです。
       お人のために改心・油を準備することはできません。
       そこで、『油』を常日頃から準備するように、
     『信仰・ともし火』を深める『改心』を怠ることがないようにと、
     イエス様は、生前に、折あるごとに、何回もおっしゃったのです。


   私たちも、
   日頃から、キリスト様と一緒に生活するように、招かれています。
   それは、この世ですでに、『宴会』に参加していることになるのです。
   この世で、信仰生活の喜びを味わいながら、
      必要な準備をしてまいりたいものです。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。  
お人が何気なく言った言葉が、妙に心に残ることがありますよね。
それは、一種の『ご縁』と思って大切にしたいですね。 
今日も穏やかな一日でありますように。 お元気で!        

夫はゴルフ・・・妻は店屋物三昧。 そして 『聖バトロマイ使徒 祝日』・・・『見なさい。まことのイスラエル人だ。 この人には偽りがない。』

2022-08-24 21:17:43 | 私のこと
8月24日。水曜日。曇り。

今日は、
夫はゴルフ。
私はおひとり様。

  おひとり様で・・・

            『朝食』
  

            『カスクート』
 
          パリ生まれのサンドイッチ2種。
         🥪ハムとチーズとゆで卵 🥪ツナ


      4時半に起きてゴルフの準備する夫。
      シングルゴルファーの夫のゴルフ出発前は、
         『精神統一』に徹するのです。
        日頃と変わったことで、精神を乱すことは禁止のようです。
          日頃通りに、ゆっくり朝食、新聞で世の中の情報収集、シャワーと着替え。
               6時半に出発していきました。

      私は、
      そんな夫に付き合って、軽く朝食を済ませました。
      夫が出発後、お気に入りのパン屋まで足を延ばしてみました🚴


        家中に、
        引き立ての香り豊かなコーヒーの香りが漂います。
        コーヒーの香りには、
        リラックス効果や脳をスッキリさせる効果があります。


        朝は、
        コーヒーの香りに癒されながら・・・
        好物の『カスクート』で朝食です♡♡
    

  そして。

  おひとり様で・・・

            『昼食』
  

              『鰻丼』
 
       おいしい国産うなぎを日本中の皆様にお届けするのを
        目指していますという『うなぎ屋』さんの鰻です。
       
      『ふるさと納税の返礼品・鰻』を、娘から数年前に贈られて以来の、
           私の猛暑の『必需品』です。
        猛暑を乗り切るために、『お取り寄せ』して、
          冷凍室で出番を待っていた鰻です。


        昼は、
        ちょっと贅沢な鰻に癒されながら・・・
        好物の『鰻丼』で昼食です♡♡


      今日は、
      夫は、久しぶりのゴルフで、仲良しの三人と『野外活動』で・・・
      私は、私好みの食事で、おひとり様で『店屋物三昧』で・・・
         夫婦それぞれの日中を楽しみました。
      そして、
      夫婦で、手作りの食事の、いつもの『日常生活』で・・・
         穏やかな夜の確認となりました。
             感謝!感謝!


そして。

今日は8月24日。年間第二十一水曜日。

       『聖バトロマイ使徒 祝日』
      
        『最後の審判』(ミケランジェロ作品)
       殉教により、はがされた自分の体の皮を持つ、
          聖バルトロマイです。

   バルトロマイは、イスラエルのガリラヤのカナに生まれ、育った。
       別名ナタナエルと呼ばれていました。

   イエスとの出会いの喜びを彼に伝える使徒フィリポによって、
       イエスのもとに導かれました。 
   このイエスとの出会いをきっかけに、
   バルトロマイは、12人の弟子の一人として、イエスに従うことになりました。

   イエスの昇天の後、フィリポと共にインドに行き、福音を宣教しました。
       アルメニアで宣教していたときに捕らえられ、
       残虐な『皮剥ぎの刑』を受け殉教しました。

   983年。 彼の遺骸はローマに移され、
        聖バルトロマイ大聖堂に安置されました。
              『毎日の福音』より

『今日の入祭唱』

   『主に向かって歌い、御名をたたえよ。
   日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
     国々に主の栄光を語り伝えよ。』
         詩編 96章2-3節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。』
      ヨハネによる福音書 1章49節  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、フィリポナタナエルに出会って言った。
    
      「わたしたちは、モーセが律法に記し、
      預言者たちも書いている方に出会った。
    それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」

       するとナタナエルが、
    
    「ナザレから何か良いものが出るだろうか」
               と言ったので、

     フィリポは、
      「来て、見なさい」 と言った。

   イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、
    彼のことをこう言われた。
      「見なさい。まことのイスラエル人だ。
         この人には偽りがない。」

   ナタナエルが、
    「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、
   イエスは答えて、
    「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
       いちじくの木の下にいるのを見た」
      
            と言われた。

   ナタナエルは答えた。
    「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
   イエスは答えて言われた。
    「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、
           信じるのか。
      もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」
   更に言われた。
       「はっきり言っておく。
     天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
      
          『イエスの御昇天』

         あなたがたは見ることになる。」』
           ヨハネによる福音書 1章45-51節


    今日のイエス様は、
    ナタナエルの『改心の姿』を一部始終見ていました。
    そして、ナタナエルに会った時、
    『まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。』
         と、おっしゃいました。


    ナタナエルは、
    最初は、世間的な考えで、
    「ナザレのような田舎に、救い主が来られるはずはない。
        何か良いものが出るはずがない。」と、
       フィリポのイエス様の話を疑いました。
    次に、更なるフィリポの「来て、見なさい。そうすればわかる。」
           という言葉に従って、
          イエスのもとにいきました。
    すると、イエス様は、
        フィリッポの素直な心からの改心を
          見抜いたのでしょうか。
      『まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。』
         と、おっしゃいました。
    最後に、ナタナエルは、すべてを御存じのイエスの能力を見たとき、
       イエスさまこそ『神の子』、『イスラエルの王』
         と分かり、イエスの弟子となりました。


          イエスを信じるためには、
         イエスを見なくてはなりません。
      イエスを自分で体験しなくてはならないのです。

         イエスとの個人的な接触により、  
     人は、段々と考えが変わり、イエスを知るようになるのです。
      人間であるイエスのすばらしさを見るだけでなく、
        神の独り子として『神の意志』を果たす、
        神であるイエスを見るようになるのです。

  
   弟子たちは、
   イエスの御受難御復活、御昇天を見て、
   神の子でありながら、人の救いのためにご自分の命を捧げる
         『イエスのヘリ下り』を知り、
   本当の改心が出来、自分の命を捧げるまでイエスに従ったのです。

    
   私たちも、
   聖書の『御言葉』から、イエスを一層知ることが出来、
   イエス様は、いつも私たち一人一人をご覧になっていて、
   一人一人にに必要な『言葉』をかけて励ましてくださる、
      神の子だと分かるようになりたいですね。
          祈りましょう。
  
   

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で外出もできないで、朝から晩まで夫と二人で顔を付き合させる毎日です。
そんな夫婦が別々の半日を過ごすときは、思い切り『自分風』を楽しむのもいいですね。
二人の時間と一人の時間の、二つの時間を経験して初めて、深めていける両者の良さです。 お元気で!            

雨の朝・・・「諦め」と「潔さ」  そして 『わたしは柔和で謙遜な者である。』

2022-07-14 05:00:00 | 私のこと
7月14日。木曜日。雨のち曇り。

今朝は、
コロナワクチン接種後5日目です。
早朝は雨でした。

  
                      実がつきました。

   昨夜は、
   五日ぶりに、”明日から始めましょう” と
   早朝ウォーキングの準備をして休みました。
   ところが今朝は雨降り。
   きっと、「もう少し待ちなさい」との天からの助言でしょう。
   
   今朝は、
   五日ぶりの早朝ウォーキングをきっぱり諦めました。


       決めていたことをきっぱり諦める。潔さ。
       諦めには、迷いに迷いがつきものです。
           「諦め」と「潔さ」 


     自分で大事なことを決心する。それは最上の喜びです。
      小さな決心でも、心の満足が伴う今朝の私でした。
                   感謝!感謝!



そして。

今日は7月14日。年間第十五木曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。
    右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
             詩編 98章1節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
       休ませてあげよう。』
       マタイによる福音書 11章28節    アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは言われた。
    
      疲れた者、重荷を負う者は、
     だれでもわたしのもとに来なさい。
        休ませてあげよう。

     わたしは柔和で謙遜な者だから、
    わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
   そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

  わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』
     マタイによる福音書 11章28-30節


  今日のイエス様は、
  世の中で『小さい人々』と呼ばれる人たちを、
  「神は、小さな人々に、神の国を示されます」
                と話され、励ました後に、
  更に、
  「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
        休ませてあげよう。」と、慰めました。


  イエスの時代。
  ユダヤ教の人たちは、
     『律法』を守ることで、『救い』があると信じ、
         真面目に守っていました。
  一方、
  一般の人々は、
     してはいけないこと、守らなければならない、
     600ほどもある細かい『規則』:『律法』を
       覚えることも、守ることも、
         難しいことでした。
     それは『重荷』であり、疲れることでした。

 そんな時・・・

   イエス様は、
   ※疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
        休ませてあげよう。」
          と、おっしゃるのです。
   更には、
   わたしのを負い、わたしに学びなさい。
      そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。』
          と、励ましてくださるのです。

   
        『イエス様の軛くびきとは、
   それは、600以上の『規則』を、一つの『愛の掟』にまとめたものです。

      『隣人を自分を愛するように愛しなさい』
      これが『イエスの軛』:『愛の掟』です。

   最後には、
   ※『イエスのは、軽いから、負いやすい。
     だから、わたしのを負い、わたしに学びなさい。』
          と、人々を励ましました。
 

    イエス様は、いつも、『隣人』:『一番小さな人々』を大切にし、
          御自分の生活で、
  『イエスの軛』:『隣人愛』を、実施し、見せて、教えてくださいました。


   私たちも、
   一人で、自分の『十字架』を背負うことは、重くて、苦しいものです。
   でも、イエス様が、
    重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。』
      とおっしゃるように、
     イエス様が、共に、私たちの『重荷』を担ってくださるのです。
     『重荷』を軽くするのではなく、一緒に担ってくださるのです。
   私たちも、
   イエス様が共に歩いてくださることを信じて、
   イエスに支えられて兄弟を大切にし、
   イエス様に学びながら兄弟を迎え、
    『イエスの軛』を背負っていきたいものです。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みに入るというのに、雨どころか、コロナ感染者拡大で、
夏休み計画が立てられません。ままなりません。残念です。
それでも、諦めと潔さで、有意義な夏休みにしていきましょう。 お元気で!