「死の門」・
アウシュヴィッツ第二強制収容所への鉄道引込線
1979年「負の世界遺産」に認定
今日のテーマ:『アウシュヴィッツとは何か』
先週のテーマ:
『なぜに人類は、真に人間的な状況に踏み込んでいく代わりに、一種の野蛮状態に落ち込むのか』
連続で、大学院クラスで、人間の本性を追求していきました。
全体主義国家・ドイツにおいて・・
「生きる資格のない者」「生きるに望ましくない者」という新概念・『無資格者』がつくリ出された。
法によって裁かれ、かつ罰せられることのできるのは、『有資格者』
「生きる資格のない者」「生存以前の無意味な存在者」とされた者は、殺されて当然の『無資格者』
生きる資格のない者は、生存以前の無意味な存在者は・・
罰せられて裁判所に記録として残されるわけでなく、
「あたかもかってこの世に存在したことがなかったように」抹殺されて当然とした『新概念』なのである。
「あたかもかってこの世に存在したことがなかったようにする」有効で合理的方法は・・
・・・『記憶をうばうこと』
Ⅰ:アウシュヴィッツの実態は・・『生をうばう』
人間(生物)は、「生きた記念(人の記憶)」を遺こそうとする本能がある。子孫とかキリストの聖体とか・・・。
アウシュヴィッツは、『生をうばう』ことで、人の記憶を消し去ろうとした。犠牲者を生きている人間達の記憶から抹消しようとした。
落ち込んだら・・かってこの世に存在しなかったように消滅してしまう、『忘却の穴』、がアウシュヴィッツに仕立てられた。
記憶の合理的な剥奪。『忘却の穴』の方法は・・
①囚人番号に還元
収容した犠牲者を侮辱し痛めつけ「間化」し、
人間性、自己人格の人間性を奪うために「囚人番号に還元」する。
②焼却
その犠牲者本人をガス室で殺し焼却炉の灰にして消す。
③生存記憶の消滅
このようにして消される本人が、記念品として貴重品として所持し、自分の思い出を伝えるもの、生存のための財産、写真、日記、芸術家の作品などを、奪い取って消す。
④知人の絶滅
その人間をこよなく愛し記憶にとどめた家族や友人なども絶滅収容所で消してしまう。
⑤収容所の消滅
絶滅収容所も、その施設や書類などと共に、犠牲者の記憶の証拠となるので、跡かたも残らぬように爆破したり焼却してしまう。
⑥記憶をなくした人間の成立
忘却の穴から生還する人がいたとしても、その深いトラウマによって、自らの収容所体験を忘れたり、信じたり出来なくことである。
犠牲者を捕らえ、行く先を知らせぬままに汽車で『死の門」をくぐらせ、裸にし、体を綺麗にするかと思う「シャワー室」にいれ、お湯の代わりにシャワーから致死量のガスを放出し殺し、焼却して灰にし、骨は砕かれてビスチュラ河に捨てらた。
Ⅱ:アウシュヴィッツの実態は・・『死をうばう』
人間は、死の可能性(いつかは死ぬとの自覚)を引き受けることによって、本来的な存在を実存できる。
人間は、その死を生の完成として生き、死を媒介としてその個人的な死を乗り越えて、普遍的な生死の価値を示す。
アウシュヴィッツは、「死をうばう』ことで、個を奪った。
アウシュヴィッツの実態は、個人が死んだのではなく、個人番号とされたサンプルが消えただけである。
授業のここまでは、アウシュヴィッツの実態の把握。
授業の本筋は、これからです。
現代においてはいかに・・と現代にも及ぶ。
あらゆる尺度が破壊され、「生ける屍」を作り出す巨大な正体不明の機構的支配を懸念する。
・人間を無用化し、無意味化する装置
・装置は、他者を無用、無意味に見る実体
・・・・
・そこからの「脱出」の可能性はどこにあるのか? 探っていきました。 深い。難しい。
「死の門」
ポーランドにはユダヤ人が比較的多く住んでいた。400万人もの罪なき人々が虐殺された場所。
西ドイツのブラント首相が、ポーランドを訪れて、ゲットー跡でひざまづきポーランドの群衆が環視する中で真剣な表情で犠牲者に謝罪し祈りを捧げた。
この姿をみて、ポーランド人達は、ドイツと和解する気持ちになったと伝えられている。
1970年、死の門の61~66年後、ドイツとポーランドの国交が回復した年のことです。
現実を直視し・・罪を認め・・謙遜になって・・謝罪。
こんなところにも『脱出』の道がありますよね。