マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

地鎮祭・・・『ヒソプの枝』 そして 『あなたの神である主を愛しなさい。そして、隣人を自分のように愛しなさい。』

2021-10-31 14:00:00 | 娘と娘家族
10月31日。日曜日。雨降ったり止んだり。

今日は、
娘夫婦新居建設予定地の『起工式の祝別』です。 


             『灌水式』
  
     建築予定地に、ヒソプの枝で『聖水』を降り注ぐ神父様


        今日は、カトリック信者の娘家族の新居建設開始前の
            『起工式の祝別』
          日本元来の『地鎮祭』です。


    まずは、
    家を建てる土地で、出席者全員で円になり、

              『お祈り』

         司祭様が、その土地におられる神様に工事に入る前のご挨拶、
             家庭の繁栄、工事の安全など、
             聖書の言葉も踏まえながら、
             お祈りをしてくださいました。
         出席者皆で、司祭様の祈りの度に、応唱しました。
             ”主よ、私たちの祈りを聞き入れてください。”

    次に、
    司祭様が聖水の祝別を行い、

              『潅水式』

        ヒソプの枝で潅水器に入った聖水を、建設地に降り注ぎ、
            その土地が聖なるものとなるように、
            土地の祝別をしてくださいました。
        

      『ヒソプの枝でわたしの罪を払って、わたしを清めてください。
       わたしを洗ってください 、わたしが雪よりも白くなるように。 』
                詩編 51章7節


          転勤も多く、居住地の引っ越しも15回以上と多く、
           三度目の『我が家の建設』の娘夫婦です。
        今回も、設計士さんと共に、家の設計を考え続けて半年。
          設計に満足して、今日の『善き日』を迎えました。
              おめでとうございました。
          式を執り行って下さった神父様は、孫息子の代父様で、
            娘家族との深いご縁も有り難いことです。
                 感謝でした。


       今日は、母の私も、式に出席して、娘家族の健康と繁栄を祈りました。
       神様に、そして 娘家族を支えて下さる皆様に、感謝致しました。
                ありがとうございます。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は10月31日。年間第三十一主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、わたしを見捨てないで下さい。 わが神よ、わたしに遠ざからないでください。
       主、わが神よ、すみやかに私を顧み、助けて下さい。』
             詩編 38章22&23節


『今日の福音』イエスの御言葉』

     『そのとき、 一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。
        
              「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」

                            イエスはお答えになった。
                          「第一の掟は、これである。
       『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
               心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、
                       あなたの神である主を愛しなさい。』

                           第二の掟は、これである。
                    『隣人を自分のように愛しなさい。』

                        この二つにまさる掟はほかにない。」

                            律法学者はイエスに言った。
                       「先生、おっしゃるとおりです。
        『神は唯一である。ほかに神はない』 とおっしゃったのは、本当です。
                    そして、
      『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』
         ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」

                 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、
                「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。
                       もはや、あえて質問する者はなかった。』
                    マルコによる福音書 12章28-34節


   今日のイエス様は、
     『愛神』と『愛隣』は、『掟』の中で最も大切な『二つ』である。
             と、おっしゃいました。


       神を愛すること。 そして 隣人を愛すること。
     『この2つの掟に、律法全体と預言者が基づいている』 マタイ22 : 40、
     神への愛と、人への愛に、 神の掟・神の戒めの全てがかかっている。
           と言われたのです。

  同様に、

   使徒パウロは、
      『人を愛する者は、律法を全うする』ローマ人への手紙12章10節
             と、言いました。

  『他のどんな掟よりも、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。』
             と、言ってます。

      このパウロの言葉は、
      神への愛を前提にして、隣人への愛を語っているのです。

  
   私たちは、至らぬ者で、弱い者です。
     それでも、
   神は、ありのままの私たちを愛し、悔い改めるすべての者を赦されるのです。
  
      そんな『神の愛』に気づいた私たちは、
      何とかして、その『神の愛』に答えたいと思うものです。
      わたしたち自身も、人への関わり方が変わってくるものです。


      神様が大切になさるすべての人を、私も大切にしたい。
      神様は、ご自分に変わって、私たちに、人を愛することを望んでおられる。
           そのことに気づくのです。


      神から頂いた恵みを知って、神に感謝し愛し、お人を自分のように愛する。
         それが、『律法』で一番大切なことであり、
      『愛神愛隣』が、すべての『律法』を全うすることになるのです。


          私たちは、神から頂いたすべてを感謝し、
          神の愛に応えられると良いですね。
           祈ってまいりましょう。
      

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。
 そして、わたしの父はその人を愛し、私たちはその人のもとに行き、一緒に住む。』
       ヨハネによる福音書 14章23節     アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から11月が始まります。残り2ヶ月となった今年です。
『ウイズコロナ』で、残り2ヶ月の2021年を楽しくお過ごし下さい。 お元気で!

コロナ緊急事態宣言解除・・・スポーツの秋 そして 『だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』

2021-10-30 13:44:15 | 息子と息子家族
10月30日。土曜日。晴れ。

穏やかない土曜日。
スポーツの秋です。
   
息子夫婦をお迎え・・・

           『秋の花 コスモス』   

                        お嫁さんにぴったりです。

      コロナウイルス対策の緊急事態宣言が解除されてから、
         明日で、早や一ヶ月が経過する。


          超アスリートの息子夫婦は、
     待ちに待った種々の『競技大会』参加が始まったようです。

      手始めに、数週間前の千葉での『トライアスロン大会』
         大変な感染予防対策が取られた大会だったようです。
      次には、明日・31日の『金沢フルマラソン大会』
         恒例のように『雨大会』が続いた大会、
         ”明日は珍しくお天気のようだ!”と張り切っています。


        そんな息子夫婦が、東京から金沢入りを、
           神戸回りにして、
        昨夜、神戸の我が家に寄ってくれました。
           一年数ヶ月ぶりの再会に、
         ”互いに元気で良かった!良かった!”
           と、ハグをしました♡♡


私も緊急事態宣言解除後の行動開始です。
私の『手始め』は、24日・日曜日の、
一年半ぶりの登山、『奈良行き』でした。


          次なる行動は、私の東京行きと致しましょう。
          コロナ禍で、一年以上会うことが出来なかった
             思いがけない息子夫婦の訪問で、
              やる気が生まれてきました。

       二年ぶりの両親や兄たちの『墓参り』と、二年ぶりの『娘家族との再会』、
             の実現です。

       長いSTAY HOMEだけの毎日を過ごしていましたので、
            とても緊張しますが、
          今日は思い切って東京入りです。
          行ってまいります。 感謝!感謝!
            

そして。

今日は10月30日。年間第三十土曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
       あなたの教えを胸に刻みます。』
          詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

         『安息日のことだった。
 イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
       人々はイエスの様子をうかがっていた。
     


   イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、
        彼らにたとえを話された。

     「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。
       あなたよりも身分の高い人が招かれており、
        あなたやその人を招いた人が来て、
        『この方に席を譲ってください』
          と言うかもしれない。


    そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
     招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。
       そうすると、あなたを招いた人が来て、
       『さあ、もっと上席に進んでください』
             と言うだろう。
   そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。


   だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』
          ルカによる福音書 14章1&7-11節

       
  イエス様は、『天の国の宴会』に、すべての人々を招待してくださいます。
      

  天の国の宴会は、
  イエスの時代では
  ユダヤ人たちは、神から選ばれた『選民』として、先に信仰に召されたと信じていました。
  そこで、神の国において、上席に着く権利があると考えたかもしれません。
  しかし、結果としては、ユダヤ人の中の偉い人たちは、
     イエスをメシア・救い主だと信じることができず、
     『神の国』に入れなかったのです。
  『神の宴会』に入れたのは、
     平凡なユダヤ人たちや、イエスや弟子の話を信じた異邦人たち、
     いわゆる末席に座る人たちでした。

  現代においては、
  『天の国の宴会』は『教会の信者の集まり』にもたとえられるものです。
  主のもとに集る信者たちの間に、差別があってはならないのです。
  上席と末席はないのです。


      いつの時代においても、
      『神の国』に入れる人は、
      自分を低くして・・・
      神の恵みを受ける資格はないと思う謙遜な人なのです。


   神様は、差別なく、すべての人の救いを望んでおられるのです。
   イエス様は、誰をも、罪人をも、差別なく、宴会にお招きになりました。
   私たちは、神の愛を信じて、謙遜に、神の国に入れるように祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしは平和で謙遜だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。』
       マタイによる福音書 11章29節   アレルヤ、アレルヤ。
 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
穏やかな週末です。秋の美しい景色を満喫いたしましょう。 お元気で!

聖書100週間・聖書通読会・・・『マルコによる福音書』 そして 『自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。』

2021-10-29 09:15:12 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月29日。金曜日。晴れ。

今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。


      『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
   
 
        何と便利なオンラインクラスなのでしょう!    
        遠く離れている仲間と、
        一瞬にして、目の前で、臨場感豊かに、お話が出来るのです。
        今日も、コロナ禍の心配なく、会が開催されるのです。
                 有り難いことです。感謝です。
         
 
先週から始まった新約聖書。
新しい生き方、キリスト教の始まりです。
すべての人々に開かれる『神の国』の実現である、
『新しい時代』の始まりを、イエスは告げたのです。


         新約聖書通読会の始まりは
        マルコによる福音書からでした。

     先週の、マルコによる福音書1章~8章は、
     イエスが12人の使徒を選んで、
     一気に、安息日から安息日までの1週間・7日間で、
        『使徒たる者の姿』を、
      ご自分の『宣教の姿』から教えるものでした。


       『サタン、引き下がれ!
    あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』マルコ 8:33 
      と、ご自分の『死と復活』の予告をなさるイエスに、
     人間的に当たり前と思える発言をするペトロに向かって、
       ”神の思いは人間の思いとは違うのである。
           神に従いなさい!”
     と、使徒たち皆に、使徒の『究極の心構え』を教えて、終わりました。


     今日の通読範囲は、『マルコによる福音書 9章~16章』
        先週とは、うって変わって、
           一気に、
         イエスの『言動』を、
      最後の『イエスの受難と復活』まで、語り尽くします。


        イエスは、その生涯において、
        ご自分の『言動』によって、
    人々の改心を呼び覚し、信仰にまで行き着かせたのです。
       

      キリストの時代の人たち同様に・・・

    私は、マルコによる福音書を読み終えた今回は、
    改めて改心をし、
    私の『歩むべき道』を示されたように思いました。
    イエスの示す『新しい道』に入り、その生き方に従って歩むのです。
    そして、
    この『良い知らせ』を、世の隅々まで告げ知らせなさいとのイエスの声が、
    聞こえてくるのです。


       今日も、新世界・新約聖書に一歩踏み入れた仲間の皆様の
            発表がとても楽しみです。
               感謝!感謝!



そして。

今日は10月29日。年間第三十金曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、永遠の喜びをいただきます。』
        詩編 16章11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『安息日のことだった。
 イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
     人々はイエスの様子をうかがっていた。

  そのとき、
     イエスの前に水腫を患っている人がいた。
    
  そこで、
  イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
 「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
    
        彼らは黙っていた。

  すると、
   イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
        そして、言われた。
   「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
  安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」

     彼らは、これに対して答えることができなかった。 
          ルカによる福音書 14章1-6節


      今日のイエス様は、
      安息日に、律法の専門家たちやファリサイ派の人々の前で、
      病人を癒しました。

   安息日は、
   イスラエルの人々にとって、
   神の恵みを感謝する日であり、
   また、イスラエル人がエジプトから救われた日を感謝する日でした。
   神にささげる日であり、労働をすることは許されない日でした。
     
     それでも、
     イエス様は、安息日に、病者を癒されるのです。


   イエス様は、安息日に、
   ファリサイ派の議員の家で食事をする前に、
   律法の専門家たちやファリサイ派の人々に
   「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」と尋ね、
      人々が返事をしないのを見届けて後に、
        病人さんを癒されたのです。


    ファリサイ派の人や律法学者は、
    安息日は、仕事を休む日。
    困っている人を助けるより、律法を守ることが大切なのです。
      病人の癒やしは、安息日以外の日にすれば良い。
      『安息日ファース!』を考えていたのです。
  一方、
    イエス様は、
    安息日であるからこそ、
       『人々の幸せファースト!』を考えるのです。
       イエスにとって、『安息日』は『救いの日』。
          神の恵みを感謝する日です。


    イエス様は、
    ファリサイ派の人や律法学者の方々に、
    安息日に対する考え方を直すようにと、呼びかけておられるのです。
    ファリサイ派の人や律法学者の方々は、
    考え方を変えるつもりはないのです。
    それどころか、イエスの間違いを、指摘するのです。


      ここに両者の間で、『争い』が起こるのです。
    イエスの『愛の業』を、
    賛美する者とそれを悪く解釈する者の、二者の『争い』が始まりました。
    『イエスは反対をうけるしるしとして定められています。』
     と、イエスの誕生時に預言されたとおりでした。ルカ 2章34節
   

    私たち・キリスト者も、
    安息日・主日には、御ミサにおいて、キリストとともに食卓につきます。
    ミサで、キリストから力と癒やしを頂いた後に、
    困っている人の力と癒やしとなれる、そんな主日が送れたら良いですね。
       祈ってまいりましょう。

 
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
    わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。』
     ヨハネによる福音書 10章27節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日、今週のお仕事も終わりでしょうか? お疲れ様でした。
皆様の明日からの週末が素晴しく穏やかな日々でありますように。 お元気で!

心と体のビタミン剤・・・『シニアのおしゃれ』 そして 『聖シモン 聖ユダ 祝日』・・・『弟子の中から十二人を選んで使徒と名付けられた。』

2021-10-28 12:39:43 | 日々のこと。 世界のこと。
10月28日。木曜日。晴れ。

緊急事態戦艦解除
更には
コロナ感染者の全国的減少傾向。
そこで
今までの自粛生活を取りもどすかのように
外出を楽しむ人が増えてきました。


 外出といえば・・・

            『裏起毛パーカー』
  
                       メットSale写真より
   
     ふわっとあったか、寒い時季に大活躍する裏起毛パーカー。
       カジュアルな定番デザインは毎日に大活躍します。

            シニア男性は
       パーカーやチノパンで若々しく見せましょう。


   なるほどね。
   新聞に、週一回ほどの掲載記事:『人生100年クラブ』があります。
   その度に、シニアが『100年を楽しむため』の『知恵』が掲載されます。

     今週のテーマは、シニアのおしゃれ 心と体のビタミン剤』
      73歳の男性からの『投稿』で、今週の『テーマ』が決まったそうです。

      『若い頃からアイビールックを愛用しているが、
        気がつけば決まった色や形の服ばかり。
        巾を広げて新しい自分を見つけたい』
           との投稿に、
   芸術工学部教授による※『シニアのおしゃれの基本』※が掲載されました。


ちょっと考えさせられまして、
その一部を書き起こしてみますね。
皆様はどうお感じでしょうか。


      健康のため、食事や運動を気にするように、
     健康Upのために、おしゃれを意識してほしい。

    ♥毎日着替えて体を動かせば、機能や筋力が活性化する。
    ♥何をどう着るかを考えれば、頭が活性化する。
    ♥おしゃれが心や体を動かす刺激になり、
     社会活動への参加など、生きがいや生活の張りにつながる。


   何をどう着れば似合うか分からない、いつもの格好で困らない、
        で、おしゃれを諦めていませんか。
       今のご自分の魅力を磨いてください。

     ♥きれい、かっこいいといわれた若い頃は二度と戻らない。
          過去の栄光は忘れて、
        年を重ねた今の魅力を磨きましょう。


 続いて具体例が書かれていまして・・・

     その中の三つ。
     ①四季の色を取り入れたコーディネートは自然でおしゃれです。
        秋なら、オレンジ、黄、赤、茶など。
     ②セーターは背中が丸くなり、老けて見えます。
        男性なら、パーカーやチノパンは若々しく見える。
     ③何より大事なのは清潔感。
        家にいる時間が長いことを言い訳にせず、    
        洗濯をまめにする。

     
       年齢や体の機能、障害の有無などにかかわらず、
       「すべての生活者」が、
     生きがいや喜びを感じられるファッションをしましょう。
     おしゃれはするだけでなく、
     そこから何を始めるか、どう生きるかが大事です。
            と、結ばれていました。


      なるほどね。いろいろと勉強しました。
      おしゃれは『心と体のビタミン剤』ですね。
      緊急事態宣言解除で外出が始まります。
      ただ出かけるだけでなく、その時のおしゃれが大切なのですね。
      
        今日は、私も、秋のMyファッションを、
        若々しく、見直してみましょうかしら。
         おしゃれは、心と体を健康にする健康法なのです。
        まだしばらくは、おしゃれで健康になって、
        私はワンランク上のSTAY HOMEを楽しむことにいたしましょう。
                        感謝!感謝!

  
そして。

今日は10月28日。年間第三十木曜日。

          『聖シモン 聖ユダ 祝日』
 

   シモンは、使徒の名簿の十一番目に記されている。
   シモンについては、「熱心党のシモン」と呼ばれていたことのほかは、
   何も知られていない。

   ユダは、イスカリオテのユダと区別するためにタダイとも呼ばれ、
   最後の晩餐のとき、
    「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、
     世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」ヨハネ14・22
        とイエスに尋ねた使徒である。
    小ヤコブの兄弟であると記され、キリストの親類とされている。
   64年頃、小アジアの諸教会に書簡『ユダの手紙』を書き、
    信者たちが神の愛にとどまるよう教えました。

     後の伝承によれば、シモンとユダはペルシャで宣教し、
        そこで殉教したといわれている。
            『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『すべてを治められる父よ、
 わたしたちは、使徒の証しを通してあなたへの信仰に導かれました。
   使徒シモンとユダの祈りに支えられて、
 神を信じる人が日ごとに増し、教会が絶えず成長しますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのころ、イエスは祈るために山に行き、
      神に祈って夜を明かされた。
   
     朝になると弟子たちを呼び集め、
   その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。
    
 それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、
 そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、1マタイ、トマス、
 アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、
   それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。


     イエスは彼らと一緒に山から下りて、
       平らな所にお立ちになった。
     
       大勢の弟子とおびただしい民衆が、
 ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、
         イエスの教えを聞くため、
      また病気をいやしていただくために来ていた。
     汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。

      群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。
   イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。』
          ルカによる福音書 6章12-19節


      今日のイエス様は、
      弟子たちの『共同体』をつくります。
      祈ってから、弟子の中から十二人を選び、
      多くの弟子たちとは別に、使徒と呼び、
      『使徒の共同体』をつくったのです。


        任命された12人の使徒たちは、
     イエスから遣わされて、イエスの後を継いで、
       宣教する『使命』が与えられるのです。

        イエス様は、
       12人を指名した後、早速に、
   12人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになって、
        ご自分の『宣教の姿』を見せ、
      又、一日の始まりの『祈る姿』を見せ、
       12人の使徒の教育を始めたのです。


     私たち・キリスト者も、
     イエス様から派遣された『使徒』です。
     イエスの証人となり、その仕事を続けることが出来るように、
     『イエスの御言葉』から離れてはなりません。
     重大なことを決めるときは、いつも御父に祈るイエス様でした。
     私たちも、イエス様の本当の弟子になれるように、
        祈ってまいりましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
   栄光を受けた使徒の群れも あなたをたたえて歌う。』
    典礼聖歌 277番 聖シモン・ユダ祝日  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いくつであっても、おしゃれをするのは楽しいですね。
そのおしゃれも、ちょっと考えて、高級おしゃれでまいりましょう。 お元気で!

『我のみの菊日和とはゆめ思はじ』 そして 『人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。』

2021-10-27 11:23:01 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
10月27日。水曜日。快晴。

庭に白菊が咲き誇る
そんな季節になってきました。
今日は菊日和です。


         『ノジギク』
 
                            庭に咲き誇ります

          『我のみの菊日和とはゆめ思はじ』
                   虚子


           昭和29年11月3日・文化の日
      高浜虚子・81歳が、文化勲章を受けた際に詠んだものです。
      多くの俳人、妻や兄たち、子供や孫曾孫たちに囲まれての
            受賞だったそうです。

       回りの方たちへの感謝の気持ちが詠まれていますよね。
          美しい日本の国花のような『菊の花』
           になぞらえての『勲章』が
          なお一層輝きを増すようです。


 11月3日・『文化の日』は、
 『自由と平和を愛し、文化をすすめる日』 だそうです。
 そして、
 今日・ 10月27日~11月9日までは『読書週間』
 『最後の頁を閉じた 違う私がいた』
      今年の『読書週間標語』だそうです。


        今日は、読書週間の初日。
        三日前に買って準備しておいた『本』の
           第Ⅰページを開いて、
         My文化をすすめてまいりましょう。
          そして、
           最終ページを閉じた日に、
         違う私を発見してまいりましょう。
                感謝!感謝!




そして。

今日は10月27日。年間第三十水曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。
   右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
          詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、 イエスは町や村を巡って教えながら、
    エルサレムへ向かって進んでおられた。
 すると、
    「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」
                と言う人がいた。


       イエスは一同に言われた。      
   
    狭い戸口から入るように努めなさい。
       言っておくが、
    入ろうとしても入れない人が多いのだ。


  家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、
      あなたがたが外に立って戸をたたき、
     『御主人様、開けてください』と言っても、
      『お前たちがどこの者か知らない』
      という答えが返ってくるだけである。

       そのとき、あなたがたは、
     『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、
    また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』
                    と言いだすだろう。
         しかし主人は、
      『お前たちがどこの者か知らない。
     不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』
                    と言うだろう。

      あなたがたは、
 アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、
      自分は外に投げ出されることになり、
      そこで泣きわめいて歯ぎしりする。

    そして人々は、東から西から、また南から北から来て、
        神の国で宴会の席に着く。
 そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」』
         ルカによる福音書 13章22-30節


    今日のイエス様は、
    『皆が神の国の宴に招待されるが、その戸口は狭い。』
                  と警告なさるのです。


      『救われる者は、多いか、少ないか』
  
    当時の人にとっては『重大問題』だったことでしょう。 
  イエスは、一人の方の質問に対して、直接の返事をすることなく、
      『たとえ話』でお答えになりました。


      ★イスラエルの人たちは、『選民』として、
        救われるはずと思っていました。

   しかし、
   ※旧約時代のアブラハム、イサク、ヤコブ、預言者の子孫で あるイスラエルの人々。
       そのことは、救いに関係がないのです。
   又、
   ※新約時代に、イエスの話を聞いたことがあり、イエスと共に食事をしたことがある人々。
       それも、救いには関係なく、役には立ちません。


        『救い』をうけるためには、
  イエスの呼びかけに応え、イエスの弟子になりたい、イエスについていきたい、
        更には、その仲間に入りたい。
        との『決心』が大切なのです。
         それは『狭い門』です。


      自動的に『救い』をうける『資格』はないのです。
        神から選ばれるだけではたりません。
       神からの呼び掛けに答えなければなりません。
       私たちの『努力』『決心』が必要なのです。

  
   ★イスラエルの人たちは、自分たちは『選民』として救われるが、
      異邦人は救われない。 と思っていました。

   救いには、イエスの言葉を受け入れ、実行することが必要なのです。
  『救い』は、すべての人に、平等に、与えられている『権利』なのです。

  しかし、
        『神の働き』と『神の呼び掛け』を
     多くのイスラエル人は見出すことが出来ませんでした。
  かえって、
         イエスの『良い知らせ』を
       多くの異邦人が喜んで受け入れたのです。


     昨日も、今日も、明日も、
  イエス様は、すべての人の心を『ノック』なさっておられるのです。
     
       私たちも、イエスの『呼びかけ』
        答えることが出来るといいですね。
       『救い』の『宴』に入りたいですね。
         祈ってまいりましょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『神は、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、
   わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。』
      テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 2章14節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
菊は秋のシンボル。家の中に一輪飾るだけで、秋の雰囲気です。
穏やかな一日でありますように。 お元気で!

早朝ウォーキングの『おたのしみ』 そして 『からし種は成長して木になり、パン種は粉に混ぜると全体が膨れる。』

2021-10-26 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
10月26日。火曜日。快晴。

早朝ウォーキング時間の
後ろ半分の楽しみは
『街並やお庭拝見』です。


        『マンション路地』
  
      
         何と夢のある路地でしょう!♡♡
      マンションの住民たちが守る美しい景観なのでしょう。
          見ていて楽しい。素敵です。


        それぞれのお宅の個性あるお庭の景観に
         そこにお住まいの方々を想像します。
          庭は住人さんの個性の表れです。
        お庭の拝見も、住人さんの想像も、楽しい。
         出会う時があったら・・・想像通りかしら!? それも楽しみです。


        大きな木々が家にまで覆い被さったお宅は
          私の好みです。
        家の中の窓から眺める景色は、まるで『森』のよう?
       『森』を眺めながら、『ティータイム』を楽しむのかしら?
            いろいろ想像しながらのお庭拝見も楽しいのです♡♡


      『散歩道』
  

          市の管理が行き届いた道
     その美しさに、その上を歩く私まで背筋が伸びます。
          日頃から、いつも、整然と、・・・。
          私もかくありたいものです。
          我が身を反省し、律する『道』です。


我が家の近くまで戻ってきて・・・


        『ミニ公園』
 
  紅葉も始まって・・・    青空高く、雲高く、     美しい。

  ここまで来ると、
     車椅子に乗った友人を散歩させる私の友人に出会います。
     空気の綺麗な毎朝、友人を散歩に誘うMy友人の優しさに、
         感動します。 頭が下がります。
       My友人の友人は、私の友達にもなりました。

           ”おはようございます!”
       ”今日も、楽しい一日をお送りくださいね!”
        毎朝、3人で、笑顔で、交わす挨拶です。


        今朝も、私は、
        散歩前半は、筋トレを兼ねて、運動中心。
        散歩後半は、勉強も兼ねて、お楽しみ中心。
           朝の『運動』を終えて・・・
        今日は、御覧くださる方にも楽しんでいただけるような庭。
        そんな庭造りを頑張ってみましょうかしら。
                   感謝!感謝!


そして。

今日は10月26日。年間第三十火曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。
  国々に主の栄光を語り伝えよ。諸国の民にその驚くべき御業を。』
         詩編 96章1&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは言われた。

     「神の国は何に似ているか。
       何にたとえようか。
     それは、からし種に似ている。
  
   人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、
       その枝には空の鳥が巣を作る。」

また言われた。
     「神の国を何にたとえようか。
        パン種に似ている。
    
   
     女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、
        やがて全体が膨れる。」』
         ルカによる福音書 13章18-21節


   今日のイエス様は、
   からし種の木の小さな『からし種』と、パンの『パン種・イースト』、
      二つの種の『たとえ』で、『神の国の発展』が示される。
              とおっしゃるのです。


  ※からし種
   非常に小さな種ですが、育つと想像もできなかったほどの大きな木になり、
       空の鳥がそこで巣を作るほどに木は大きくなるのです。
もう一つ。
  ※パン種・イースト
   粉のように見えるパン種を、小麦粉の中に混ぜ込み、発酵させると、
    いくつものパンが出来るほどに、粉は大きくふくれあがるのです。

  
同様に・・・
 
        イエスの働きにおいて、
        『神の働き』がよく見えないほどに、
        信じる人が少ないように思えました。

        ところが・・・

        弟子たちによって、
        『イエスの働き』は受け継がれ、
        『イエスの働き・神の国』は、大きく発展していったのです。



       弟子たちは、弱い者で、平凡な者で、
         『小さい種』のようでした。
       ところが、神が弟子たちを通して働き、
        『神の国』が、大きく発展していったのです。

       お陰様で・・・

      鳥が、からし種の木に宿リ、一休みするように、
        人は、『神の国』で、神から愛され、
      平和を味わうことが出来るようになったのです。


     今も、信じる人の中で、神の働きが見えるのです。
     私たちは、弟子たち同様、弱い者で、平凡な者ですが、
         私たちの中で、確実に、
     『神の国』:『神の働き』は発展しているのです。
         神の助けを信じ、
      何事にもおいても、無事大きくなるまで、
        『待つ』事が大切ですね。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現してくださった。』
      マタイによる福音書11章25節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の散歩の楽しみは何ですか?
孫たちと散歩すると・・・電信柱5本分、孫を背負ったり、孫に背負ってもらったりです。
5本目電信柱前まで来ると新たにじゃんけんぽん・・・一番負けた者が、一番勝った者を背負うのです。
目的地の公園に着く前に、笑いすぎて、疲れちゃうのです♡♡ 今日もお元気で!

山歩きと歴史探訪・・・『談山神社』 そして 『安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。』

2021-10-24 09:00:00 | 登山・ハイキング
10月24日。日曜日。快晴。


奈良の山奥まで遠征して歩いてきました。
長年続く、卒業校の『喜歩会』例会です。

           『山道』 
 

         何という喜び!!♡♡
      大好きな山道を、再び歩める幸せ!!♡♡
        大好きな山、再び来ました!”♡♡


     コロナ禍が始まって以来、およそ2年ぶりの登山です。
           こぼれ陽の美しさ。 
     木々の生命力。 靴底に感じる山道のやわらかさ。等々。
          山だけが持つ季節感や特別感。 
         私の心いっぱいに満たされていきます。

山中に・・・

    『大和多武峰(とうのみね) 談(かたらひ)山神社』
   

      『歴史の証人』 の神社です。

 談山神社は、
 701年。藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)和尚が父の弔いのために建立した妙楽寺が起源です。
 その50年ほど前・・・
   蘇我蝦夷と入鹿父子の勢力が極まり、国の政治をほしいままにしていました。
   その頃、中臣鎌足(藤原鎌足)は、強い志を抱いて、国家の正しい在り方を考えていました。
   そして、中臣鎌足は、飛騨の法隆寺で、中大兄皇子(後の天智天皇)と出会い、意気投合。
 645年。二人は、多武峰の山中に登り現政府改革・国政改革の密談、を行なったのです。

                   
       談山神社の近くに
        『談合の場・御相談所』が記念されていました。


    中臣鎌足(藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)『密談』の結果・・・ 
     645年5月。『大化の改新』:国政改革が成功したのです。
        改革そのものは、天皇ではなく、
        中臣鎌足(内臣)の主導のもと、
     年若い両皇子(中大兄、大海人)の協力によって推進されたのです。
 

歴史は大切ですね。
過去を振り返り、現在を考える・・・。
正に今こそ過去を振り返って、政治を考えるときですね。

    
    談山神社境内の・・・  『十三重塔』
   
   談山神社のシンボル。          国定重要文化財

      678年。 父・藤原鎌足の追福のために、
      長男・定慧(じょうえ)和尚と次男・不比等によって
          建立されました。

     木造十三重塔としては、高さ17m、世界唯一のものです。


     昨日は、100%純粋の自然の中に居立つ、喜びの日でした。
     緊急事態宣言解除の喜びを満喫した、喜びの一日でした。
          大いなる癒やしの一日でした。
        これからも『コロナ対策』を怠ることなく、
        『ウイズコロナ』の穏やかな日々を祈ります。
                    感謝!感謝!


そして。

今日は10月25日。年間第三十月曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの支えとなってくださる。
 わたしを広い所へ導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。』
       詩編 18章19&20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
   
 
  そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。
  腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。

       イエスはその女を見て呼び寄せ、
      「婦人よ、病気は治った」と言って、
         その上に手を置かれた。

      女は、たちどころに腰がまっすぐになり、
            神を賛美した。

         ところが会堂長は、
  イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。
      
    「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。
         安息日はいけない。」

       しかし、主は彼に答えて言われた。
          「偽善者たちよ、
   あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、
       水を飲ませに引いて行くではないか。
  この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。
   安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」

       こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、
  群衆こぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。』
               ルカによる福音書 13章10-17節


     今日のイエス様は、
     安息日に、会堂で、
     『安息日は解放の日である』と述べ、
      18年間も患い腰の曲がった女性を癒されました。


  イエスの時代。
  安息日に、ユダヤ人たちは皆会堂に集まり、
  聖書の『言葉』を聞き、『祈り』をする習慣がありました。

  エスは、
  今日の安息日も、
  会堂に行き、皆に『神の言葉』を話してから、病人を癒されました。
  しかし、イエスの『良い行い』も、悪く解釈されることがありました。

 すると・・・

  会堂長は、
  イエスの行動は、律法に反すると、腹を立て、
  人々を導く立場から考えて、イエスにではなく、群衆に向かって、
  『安息日ではない日に癒してもらいなさい』と警告しました。


 それに対して・・・

  イエス様は、
  会堂長の考えは偽善的であると、警告するために、
  『安息日でも、牛や馬には水を飲ませ行くではありませんか。
   ましてや、癒やしを願う病人を救うのは当たり前でしょう」
                 と警告しました。


         大勢の病人が癒されるのは、
      『救い主の時代の始まり』『しるし』です。
     救い主・イエスによる、罪からの『解放』のしるしなのです。


   イエス様は、
   誤解される危険を感じ、ご自分が『救い主』であるとはおっしゃいませんでした。
      人々には、自分たちの『救い主のイメージ』があったのです。
   事実は、
   イエスは、『神の救い』の姿、『人間の幸せと解放』のために働く姿、
      イエス様は、『まことの救い主』の姿を現わしておられるのです。



    私たちも、神の姿の『しるし』を見出すのは、難しいのです。
      それでも、自分の毎日の生活の中で、
      『神の御業』を見出したいものですね。
        祈ってまいりましょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『主よ、あなたの御言葉は真理です。
  真理によって、わたしたちを聖なる者にしてください。』
     ヨハネによる福音書 17章17節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年の『読書週間』は、第75回で、明後日・10月27日~11月9日までの1週間です。
今年の『読書週間標語』は、『最後の頁を閉じた 違う私がいた』だそうです♡♡
今日はお気に入りの『本』を購入してきて、27日の読書週間の始まりの日に、
     読書の秋で、 第1ページを開けてみましょう。
 『最後の頁を閉じた 違う私がいた』 そんな私を捜すために! お元気で!

冬空の満月・・・『小雪』 そして 『あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』

2021-10-23 05:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
10月23日。土曜日。晴れ。

昨日から始まった
今年の二十四節気の第20。
  【小雪】
いよいよ冬近しです。


 今朝の6時・・・     『満月』
 
                       満月が美しく紅葉に冴えます。

       今朝も気温が下がり、冷え込みの朝となりました。
        ぐっと冷え込んだ早朝は、月がきれいでした。
           冬の空気の中に輝く満月は、
          冬ならではの美しさがあります♡♡


          地球上のすべてのものが美しく、
         共に、美しい全体像を創っていきます。
         今朝はそんな素晴らしさの実感でした。

      
『小雪』とは、
しょうせつ。二十四節気の第20。
冬とは言えまだ雪はさほど多くないという意味で、
木々の葉が落ち、山には初雪が舞い始める頃です。
冬の入口にあたります。
今年は『大雪』の12月7日までの15日間です。
 

           朝ウォーキングの途中で、
         陽が昇る前の冴えきった空気の中で、
         時々、不思議な感覚に襲われます。
         すべての生命の源の『エネルギー』を、
    冴えきった空気の中で、感じることが出来るような、そんな感覚です。


           寒い冬がやってきます。
        でも、冬の良さもいっぱいありますね。
    今日も、温かくして『素敵な冬』を見つけに行くことに致しましょう。
                   感謝!感謝!

       

そして。

今日は10月23日。年間第二十九土曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしたちの神は来られる。
 神は御自分の民を裁くために、天と地に呼びかけられる。』
       詩編 50章3&4節



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『ちょうどそのとき、 何人かの人が来て、
 ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことを
        イエスに告げた。
    

       イエスはお答えになった。
  「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、
 ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
         決してそうではない。

          言っておくが、
       あなたがたも悔い改めなければ、
         皆同じように滅びる。

   また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、
    エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、
       罪深い者だったと思うのか。
        決してそうではない。

         言っておくが、
     あなたがたも悔い改めなければ、
       皆同じように滅びる。」


     そして、イエスは次のたとえを話された。
   「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、
   
     『実の成らないいちじくの木』 Jan Luyken作品

      実を探しに来たが見つからなかった。
       そこで、園丁に言った。
  『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、
         見つけたためしがない。
          だから切り倒せ。
       なぜ、土地をふさがせておくのか。』

   園丁は答えた。
    『御主人様、今年もこのままにしておいてください。
      木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
      そうすれば、来年は実がなるかもしれません。
     もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
                ルカによる福音書 13章1-9節


     今日のイエス様は、
      『事故は、『悔い改め』への忠告となる。』
                 と話されました。


   人生には、突然、思いがけない事故や不幸に見舞われることがあります。
        交通事故、飛行機墜落、震災、等々。

    
   イエスの時代にも、
    ガリラヤからの巡礼者がエルサレムに上って、
    神殿で供え物をささげた時、
    ローマ総督・ピラトは、巡礼者らを虐殺させたのです。

      この出来事をイエスに知らせに来た人がいました。
       巡礼者を革命家と勘違いしたのでしょうか?
       なぜ彼らがこんなひどい目に遭うのか?
       神は、巡礼者を助けてくださらなかったのか?

      イエスは答えました。
       イエスは直接の答をしませんでした。
       ただ災難に遭った人を、天罰とは考えてはいけないのです。
       神は、人の悪い行いのために、罰を与える方ではありません。
       神は、どんな時にも、人間の苦しみを望まないお方です。
       事故が起こったら、誰が悪いかを追求するだけでなく、
      ☆これからそのようなことが起こらないように考えるのです。
      ☆出来事が、私たちの『改心』のきっかけになるように考えるのです。
               

       私たちは、他人だけに間違いがあると、思いがちです。
         私たち一人一人にも足らないことがあります。
           なかなか治らない問題があります。
       しかし諦めてはいけないのです。
       改心して、キリストからの『救い』に希望をかけるのです。
 次に。
     
   イエスは、
   『たとえ話』をなさいました。
    イチジクを植えた主人は、3年間も実を見つけることが出来なかったのです。
      ”切り倒してしまえ!” と主人は怒りました。
    イチジクの世話をする園丁は、イチジクが大好きになっていたので、
      ”もう一年待ってください。 肥やしをやってみますから!” と頼みました。

       イエス様ご自身も、3年間、人々に話しをしてきました。
       ところが、
       人々は、改心する人は少ない。 信仰にはいる人も少ないのです。
       それでも、
       イエス様は、民に出会い、民が大好きになっておられたのです。
         ”もう一回改心を勧めてみましょう!” と頑張られるのです。
       私たちは、改心して、そのキリストの『愛』に希望をかけるのです。
 
    
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『主なる神はいわれる。 わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
   むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。』
       エゼキエル書 33章11節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末をいかがお過ごしですか?
冷えてきましたので風を引かないように、穏やかな週末でありますように。 お元気で!


聖書100週間・聖書通読会・・・『新約聖書はじまりの会』 そして 『偽善者よ、空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。

2021-10-22 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月22日。金曜日。晴れ。

今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会。
オンラインクラスです。


      『聖書100週間・聖書通読会 新約聖書はじまりの会』 
   
 
            今日は、新約聖書開始日
           ♡『新約聖書はじまりの会』♡
 
    新約聖書は、
    新しい生き方、キリスト教の始まりです。
    すべての人々に開かれる『神の国』の実現である、
    『新しい時代』の始まりを告げます。


       旧約聖書は、ユダヤ教を信じている人によって書かれました。
       一方、
       新約聖書は、イエス・キリストを信じる人によって書かれたのです。 
                指導司祭様の『言葉』より
                   

    キリストの弟子たちは、
    最初は、従来の聖書(旧約聖書)を使っていましたが、
    キリストにおいて成就した事柄を中心に、新しい目で聖書を読むようになったのです。
    『福音』の宣教の初めは、口伝で、人々にしていましたが、
    その後、二、三十年たってから、
    使徒たちの手紙や主キリストの生き方をまとめたが書かれるようになりました。
  
        こうして・・・
        二十七の書が、教会の中で、『新約聖書』として認められ、
        今に受け継がれているのです。
    
    
    
  私たち仲間は、
  新約聖書の始まりの今日は、
  既に読んだ旧約聖書とも関連づけながら、
  マルコによる福音書から読み始めます。

        マルコによる福音書は、
        エルサレム陥落前の、西暦60年~70年に書かれました。
        著者のマルコは、
        ローマの皇帝ネロの迫害やペトロとパウロの殉教を目撃し
        旧約聖書やユダヤ教をあまり知らないキリスト者のために、
        ギリシャ語で書き記しました。

         ということは、
        異邦人の日本人にもわかりやすい福音書ということでしょうか?
        新約聖書の始まりが『マルコによる福音書』と配慮してくださった
        100週間創立者・ルドールズ神父様に感謝です。


  私たち仲間は、
  今まで、天地創造~イエス・キリストの誕生までの長い『旧約の歴史』を学んできました。
  そして今日から、イエス・キリストの誕生から始まる『新約の歴史』を学び始めます。
    
    今日の『通読範囲』は、『マルコによる福音書1章~8章』
    新世界に一歩踏み入れる仲間の皆様の発表がとても楽しみです。
                      感謝!感謝!



そして。

今日は10月22日。年間第二十九金曜日。

『今日の入祭唱』

   『感謝の歌をうたって主の門に進み、感謝をささげ、御名をたたえよ。
    主は恵み深く、慈しみはとこしえに、主の真実は代々に及ぶ。』
         詩編 100章4&5節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは群衆に言われた。
 

 「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、
     『にわか雨になる』と言う。
      実際そのとおりになる。

   また、南風が吹いているのを見ると、
      『暑くなる』と言う。
        事実そうなる。


         偽善者よ、
 このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、
    どうして今の時を見分けることを知らないのか。

 あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
   あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、
     途中でその人と仲直りするように努めなさい。
 さもないと、
    その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、
    裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。

         言っておくが、
最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」』
            ルカによる福音書 12章54-59節



    イエス様は、
    『神の国の実現を見分けるしるしがある。 時は迫っている。』
         『そのしるしは私である』
          とおっしゃるのです。


     ユダヤ人たちは、
     気象の現象を見分けるうことはできるのですが、
     『新しい時代』の意味は見分けられません。分からないのです。
     イエスにおいて『旧約聖書の言葉』が成就されたことは見えないのです。


      イエスの『言葉と業』が、時代の『しるし』なのです。
       神の、この世に対する『働きかけ』なのです。


     当時の人々は、
     イエスに対して、無関心ではいられないはずです。
     イエスを認めるのか、 イエスを認めないのか、
     決心しなければなりませんでした。
     ユダヤ人のある人たちは認めなかったのです。


     今の私たちも、
     いろいろの自然を見たり、気象状況を見たりして、
     神の呼びかけや、神の働きを、見ることが出来るはずです。
        そうなれるように祈ってまいりましょう。
     
      
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『天と地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
これからのことを知恵ある賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。』
       マタイによる福音書 11章25節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新しいことに挑戦することは、胸ワクワク、嬉しいことですね。
明日からの週末に、何かに挑戦してみませんか。 お元気で!

父と私・・・『子どもは親の鏡』 そして 『わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。むしろ分裂だ。』

2021-10-21 12:41:58 | 父と母のこと 兄弟のこと
10月21日。木曜日。晴れ。

父と私。

    『花の都・パリの路地』
  
     
       父が愛した、単身赴任が長かった花の都、パリです。

                『花の都・セーヌ川とエッフェル塔』
              
                  父は、セーヌ川のほとりで、
               絵描きさんが描いていた『絵』を購入しました。


  4人の兄妹の中で、私が一番父に似ているそうです。
  4人目にして産まれた、初めての『女の子』だった私は、
  何の指示もなく、期待を受けることもなく、
  ただただ無条件に愛されたお陰で、『父』を受け継いだのでしょうか。


      父は、パリでの単身赴任についても、他事でも、
             父の頃は会社の事務所もなく、異国での取引の難しさはいかばかりだったかと想像しますが、  
             泣き言や愚痴を言うことはありませんでした。
      私は、自分の置かれた境遇について、
             どんな過酷な状態でも、それを受け入れ、
             泣き言や愚痴を言うことを知りませんでした。
             親からそれを学ぶことがなかったのです。
      
  私も年を重ねて、
    『子どもは親の鏡』といわれるように、
  親から口に出して教えられなかったことでも、
  親にそっくりだと思うことが多くなりました。


      子を一生懸命に育てている我が子どもたちを見ているときに、
         あれこれと言葉に出して言う必要はなく、
       自分の『背中』を見せれば良いのだと思います。
         愛情深く育てるだけで十分だと思います。


       今日は、父の命日が近くなって、
       コロナのために行けなかった『墓参り』が2年ぶりに可能かな?
       墓参りを夢見ながら・・・、父が遺した6枚の『パリ』を見ながら・・・、
           父を偲んでいます。  感謝!感謝!



そして。

今日は10月21日。年間第二十九木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしは主を愛する。
  主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。』
        詩編 116章1&2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
  
  「わたしが来たのは、地上にを投ずるためである。
 そのが既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
 しかし、
     わたしには受けねばならない洗礼がある。
  それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。


 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
       そうではない。言っておくが、
         むしろ分裂だ。


     今から後、一つの家に五人いるならば、
  三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

   父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、
    しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
       対立して分かれる。」』
       ルカによる福音書 12章49-53節



旧約時代。
神は、モーセの口を借りて、『言葉』を遺されました。


       『きょう、私は、生と死、
      
        祝福と呪いをあなたの前に置く。
   あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、
 あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につきしたがいなさい。
    それがまさしくあなたのである。』
      申命記 30章19&20節

同様に、

新約時代。
イエスも、『言葉』をおっしゃいました。


     イエスは、ペトロとアンデレに言われた。
       『わたしについて来なさい。』
    
    『わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。
     そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。』
           マタイによる福音書 11章29節

   
  神様もイエス様も、その御意志は、
  すべての人が、『命』を得、『安らぎ』を得ることです。

  イエスは、すべての人に、『命』と『安らぎ』を与えるために、
  神からこの世に派遣されたのです。


    ところが・・・
    そのイエスを信じ、弟子になった人もいましたが、
    そうでない人もおりました。
    そのために・・・
    キリストへの信仰のため、同じ家庭の中でも違いがあり、
    分裂が生まれたのです。


  神も、キリストも、
  すべての人、一人一人に、いつも、呼びかけておられるのです。

    私たちは・・・
    その呼びかけに対して、無関心でいることは出来ません。
    答えるか、答えないか。 選ぶか、選ばないか。
    けじめをつけて、はっきりとした『答』を出すとき、
    ある人とは違う『答』となり、『分裂』が生まれることもあるのです。


        信仰は、個人的な『決断』:『決心』です。
           神は強制をなさいません。
         自由に選ぶように呼びかけられるのです。


     私たちキリスト者は・・・
     『キリスト』の呼びかけに応えました。
     その時には、反対の意見の人もいたかもしれません。
     そのために、辛い目にあう人もいらしたことでしょう。
     でも、そのために、
     『分裂』以上の、『相互理解』が深まったのです。

   
    
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしたちの主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに、
キリストのゆえにすべてを失いましたが、それらをちりあくたと見なしています。』
         フィリッピの信徒への手紙 3章8&9節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も穏やかな日です。深まってきた秋をお楽しみください。 お元気で!