マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『秋の花』と『神の御言葉』 そして 『聖ヒエロニモ司祭教会博士 記念日』・・・『あなたがたの願う平和は、平和の子にとどまる。』

2021-09-30 11:58:28 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月30日。木曜日。晴れ。

明日は10月というのに
今日日中は真夏日の30度になるそうです。


                『秋の花』
  

     それでも  季節は秋です。  りんどうに菊

     そのうちに  庭に、
     良い香りを放ちながら、金木犀が咲き出すことでしょう。

     更には、
        酸味のあるりんご、甘い葡萄、かたい栗、
          
       神に感謝と賛美の、秋の花々と秋の味覚です。


    今日は、一日落ちついて、明日の『聖書100週間・聖書通読会』の予習です。
       『生きている』とは単に空腹が満たされるときだけではなく、
          美しい花々を見て、美しいと感動できた時、 
          神の御言葉によって、心が平安に満たされた時、
          今日も『生きている』実感を味わうのです。
                      感謝!感謝!


   ♡『人を養うのはもろもろの収穫物ではなく、信じる人を守るあなたの言葉である。』
                    知恵の書:16章26節  
   ♡『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』
                    マタイによる福音書:4章4節



そして。

今日は9月30日。年間第二十六木曜日。

        『聖ヒエロニモ司祭教会博士 記念日』
   
       『ヒエロニムス』        ドメニコ・ギルランダイオ作品  
  
     ヒエロニモは、古代教会の重要なラテン教父である。

340年頃。 ダルマチア(現ユーゴスラビア西部)のストリドンにまれる。

     裕福な家庭環境と豊かな才能によって、短期間でギリシャ語とラテン語を習得し、
     ローマに留学し古典を学び、洗礼を受けた。
     その後、アクィレアで隠修士の仲間に入り、禁欲生活に入る。
     その後、東シリアの荒野に行き、聖書を研究しヘブライ語を学んだ。
     そして、アンチオキアに戻ってから司祭に叙階された。


382年~385年。42歳~45歳。 ローマで、教皇ダマソ1世の秘書となる。

    聖書のラテン語訳(ヘブライ語からブルガタ訳)を完成した。
    又、修道生活を広めた。

教皇の死後。 ヒエロニモの反対者によってローマを追われ、仲間とともにベトレヘムに移る。

    困難な状況にある教会のために尽くし、
    男子と女子の修道院を創立し、また聖地巡礼者のための宿泊所も建てた。
    また、聖書の注解書に代表される多くの著作活動に励んだ。

420年。80歳。 ベツレヘムで死去。

   ヒエロニモは、大学、神学科の守護の聖人とされている。
         『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『いつくしみ深い父よ、
 あなたは聖ヒエロニモに、聖書を学び、深く味わう恵みをお与えになりました。
    信じる民があなたの言葉のうちに命の泉を見出し、
    日々の生きる力を汲むことができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、主はほかに七十二人を任命し、
 御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
     
       そして、彼らに言われた。

      「収穫は多いが、働き手が少ない。
 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。
          行きなさい。
       わたしはあなたがたを遣わす。

    
    それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。
       ※財布も袋も履物も持って行くな。
       ※途中でだれにも挨拶をするな。

    
        どこかの家に入ったら、
    まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。

 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。
   もし、いなければ、 その平和はあなたがたに戻ってくる。

   その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。
      働く者が報酬を受けるのは当然だからである。

       ※家から家へと渡り歩くな。

    どこかの町に入り、迎え入れられたら、
      ※出される物を食べ、
      ※その町の病人をいやし、
      ※また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

   しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、
       広場に出てこう言いなさい。
  『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。
     しかし、神の国が近づいたことを知れ』 と。

 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」』
                   ルカによる福音書 10章1-12節


  今日は、
  イエスは、72人の弟子を、宣教に派遣します。

     弟子たちの宣教活動は、沢山の困難にであい、
     『狼の中の羊』のように感じることでしょう。
      それでも、
     何も、『財布も袋も履物も持って行くな』 
       と、イエス様は派遣する弟子たちに命じるのです。

こういうことではないかと
私は考えました。

  弟子たちは、
  宣教の日々において、
  反対者の中で、何も持たずに、自分を守ることに困難を感じることがあっても、
   『どんな時にも神から守られている。神が守ってくださる』ことを体験し、
       『深い平和』を心に保つようになることが、
        とても大事で、大切なことなのです。


  イエス様は、
  死の『十字架』の上でさえ、
   最後に『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』と言われ、
           ルカによる福音書 23章46節  
    神への信頼による『深い平和』を保たれました。


      イエスの弟子たちは、 
      人々に、  
      『福音』を伝えると同時に、
      この『深い平和』を伝えることができるのです。
      この『深い平和』こそが、信仰による『賜物』なのです。


 今も、現在も、
 神を探しておられる方、神の御言葉を聞きたい方、良い生活を望む方、
   信仰生活に興味を持っておられる方、
      たくさんおられます。
 その方々のために、刈り入れの主・神に、信仰の恵みを願いましょう。
      

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』
       マルコによる福音書 1章15節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しい秋の到来ですね。心も体も清くなりますね。 お元気で!

『夜明け』・・・自民総裁選投開票日 そして 『聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使 祝日』・・・『天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』

2021-09-29 08:20:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月29日。水曜日。晴れ。

       
真っ赤に燃える今朝の空・・・

              『夜明け』
 
 今日の新幕開けを祝福するような・・・        この美しい景色は一瞬でした。


        自民総裁選きょう投開票
    緊急事態宣言もまん延防止処置もあしたをもってすべて解除

       今日は新しい日本の夜明けとなるだろうか?
      山積みする課題をいかにこなしていかれるのか。


   他国では。

    『欧州の盟主』と世界中から称賛される『メルケル独首相』
      
        26日投開票のドイツ総選挙に出馬しない。
      新政権発足まで首相を務めた後、政界を引退する。
   『EUの顔』であったメルケル氏の穴を即座に埋める存在は見当たらない。
         EUは重要な『まとめ役』を欠いたまま、
         山積みする課題に直面することになる。


    それでも、

        『ポスト・管&メルケル』の時代に入っても、
      新しい世界の夜明けを期待を持って待ち望みましょう。


        今日は、歴史好き、政治好きの私は、
      頭をフル回転で・・・私の次期自民総裁の予想。 当るか?否か?
      自分の判断能力の診断を待ちます。
      というより、総裁選の結果にドキドキしますね。
      それにつけても、メルケル氏の頭脳明晰をあこがれますね。
                       感謝!感謝!


そして。

今日は9月29日。年間第二十六水曜日。

     『聖ミカエル    聖ガブリエル      聖ラファエル大天使 祝日』
  
  今日は、
  神の使いである天使たちと心を合わせて神を賛美し、その取り次ぎを願う祝日である。

     ミカエルは、「神と似た者」という意味で、
     旧約では、『イスラエルを助ける天使』として描かれる。ダニエル書10ー13
     新約では、『悪魔に対して戦った』と記されている。ヨハネ黙示録12ー7

     ガブリエルは、「神の力」という意味で、
     旧約では、『神のメッセージ』を預言者に伝えている。ダニエル書
     新約では、特別な役割をもち、ザカリアに『洗者ヨハネの誕生』を、
        また、聖母マリアに『救い主イエスの誕生』を伝えている。

     ラファエルは、「神はいやされた」という意味で、
        神のみ前にいる7位の天使の1位である。
     旧約では、人びとの祈りを聞き入れて『神にとりなし』トビト書
      又、『汚された地を清らかにする天使』として描かれている。エノク書
                    『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』
 
   『いつくしみ深い神よ、
 あなたは限りない英知をもって天使と人間にそれぞれ使命をお与えになりました。
 あなたに仕える天使の助けによって、
   わたしたちもゆだねられた使命を果たすことができますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、
        彼のことをこう言われた。

   「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

 ナタナエルが、
     「どうしてわたしを知っておられるのですか」  と言うと、
 イエスは答えて、
     「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
       いちじくの木の下にいるのを見た」 
     
               と言われた。
 ナタナエルは答えた。
        「ラビ、あなたは神の子です。
        あなたはイスラエルの王です。」
 イエスは答えて言われた。
    「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、
           信じるのか。
       もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

 更に言われた。
         「はっきり言っておく。
    天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
        あなたがたは見ることになる。」』
                 ヨハネによる福音書 1章47-51節


 今日は、
 イエス様が、まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。』と言われた
        『ナタナエルの改心』について学びます。


   初めの頃の弟子たちは、
   自分の友達を誘って、イエスのもとへ連れて行ったのです。

   ナタナエルの友人・フィリッポも、ナタナエルを誘いました。
   すると、
   ナタナエルは、『ナザレから何か良いものが出るだろうかと、
      田舎町・ナザレから『救い主』が生まれるはずはないと、疑ったのです。
   すると、 
   フィリッポは、『来て、見なさい』と言ったのです。 ヨハネ1-43~45
   そして、
   ナタナエルは、フィリッポとの会話の直後に、イエスのもとへ出向くのです。


       ナタナエルに限らず、信仰を求める人は、
      自分で『イエス』を体験する必要があるのです。
      イエスとの個人的な接触により、イエスを段々知るようになるのです。
         イエスの考え方が解ってくるのです。

 私も考えてみました。

     ナタナエルの※『素直さ、無垢さ』※を、イエスはほめたのでしょう。
     ナタナエルは、
     ※素直に自分や世間の『偏見』を捨てて、イエスを自分の目で見ようとしたのです。
     ※無垢な気持ちで、自分の足で、イエスを見に行ったのです。 確かめに行ったのです。
     ※素直に自分の目で確信し、改心し、イエスを信じたのです。


    イエス様は、信じたナタナエルに、更なる確信をさせたのです。
       「さらに大きなことを見ることになる。」   
    『天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
         あなたがたは見ることになる。』
               と、おっしゃったのです。

       それは、
       ※人間イエスの素晴らしさを見るだけでなく、
   ※更なる イエスの『受難』と『復活』が、天の天使たちから告げられるのです。
     イエスの『本当の姿』を見ることになり、理解することになるのです。


『今日のハレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『主の万軍よ、主をたたえよ。御もとに仕え、御旨を果たすものよ。
    主に造られたものはすべて、主をたたえよ。』
         詩編 103章21節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日午後1時の選挙の結果を見守りましょう。 お元気で!

人の善意の結集・・・『美しい公園』 そして 『聖トマス西と十五殉教者 記念日』・・・『イエスは、天に上げられる時期が近づき、エルサレムに向かう決意を固められた。』

2021-09-28 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月28日。火曜日。曇り。

今朝も人の善意のあふれる・・・

            『美しく大きな公園』
 

         毎朝のウォーキングの最終目的地です。
      真ん中に小山があり、二回上ったり下りたりします。
    鉄棒等のアスレチック器具が沢山用意されており、筋トレをします。
    外周は緑のトンネルを通る舗装道路になっており、ジョグをします。

   等々・・・
   私は、毎朝、公園を、有り難く利用させて頂くばかりです。感謝感謝です。
   
   ところが・・・

   一人の若い女性は、
   毎朝、ポリ袋を手にして、公園全体を歩きながら、
       『ゴミ拾い』をしていらっしゃいます。

   一人の若い男性は、
   週1~2回、自転車に家庭用芝刈り機と自家発電機を乗せてきて、
   公園内の皆がおしゃべりなどを楽しむ東屋あたりの、
        『草刈り』をなさるのです。
     Top の私の写真ように、大木の下あたりの草は丸く美しく、   
       緑のグラデーション状態に草を残して、
   大木の下の散歩を楽しむように草を刈り込み、『散歩道』を作るのです。

        この若い男性は、
     ウォーキングもお人と話すこともなく、
   草刈りが終わると、自転車にご自分の器具を乗せてお帰りになるのです。
   

     このお二人は、私の「ありがとうございます」の言葉に、
        笑顔で、会釈をなさるのみです。
      このお二人の心情はいかなるものでしょう。
    神が送り込んだ高尚な道徳行為の『模範者』でしょうか?
    こういう方は、どこでも、時々、お見受けしますね。
    私も、少しでも、こんな方たちの心情にちかづきたいものです。


      私は、今朝も、
      美しい公園で、一日の英気を充満しました。
      そして、
      美しい人々のすばらしい善意が心にしみて、美しい一日の始まりとなりました。
                           感謝!感謝!


そして。

今日は9月28日。年間第二十六火曜日。

     『聖トマス西と十五殉教者 記念日』
     
   今日記念する聖人は、
    いずれもキリシタンへの迫害が激しかった
     秀吉時代から徳川家光の時代までの、
       1633年~1637年にかけて、
       長崎で殉教した人たちです。

 十六名は、
 ドミニコ会の司祭、修道者、修道女、そして彼らのために働いた信者たちで、
 九名の日本人のほかに、スペイン人、イタリア人、フランス人、フリッピン人が含まれている。

 日本人の司祭の、トマス西、サンタマリアのヤコブ朝長、十字架のビンセンチオ塩塚の3人と、
          女性2人がいた。
     彼らは、日本で列聖された最初の日本人司祭と女性である。
     またフィリピンの最初の聖人であるロレンソ・ルイズなど、
     日本から追放されたが死を覚悟して再び来日した外国人司祭もいた。

1981年。 トマス西と15殉教者は、フィリピンで列福された。
1987年。 バチカンでローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
           『毎日の読書』より
 
『今日の集会祈願』

   『聖なる父よ、
    あなたは聖トマス西と十五人の同志を聖霊によって強め、
 キリストのあかしとして苛酷な迫害に耐え、殉教する力をお与えになりました。
    聖人たちの殉教を記念するわたしたちに、
 信じるために必要な謙虚さと信じたことを宣言する勇気をお与えください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』   

   『イエスは、 天に上げられる時期が近づくと、
     エルサレムに向かう決意を固められた。
   
      そして、先に使いの者を出された。

 彼らは行って、
    イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
 しかし、
      村人はイエスを歓迎しなかった。
    イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。

 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
     「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、
      彼らを焼き滅ぼしましょうか」  と言った。

      イエスは振り向いて二人を戒められた。
       そして、一行は別の村に行った。』
          ルカによる福音 9章51-56節


     イエスは、ガリラヤを去り、エルサレムに向かいます。
      ところが、
     その途中のサマリア人は、イエスを歓迎しませんでした。


  イエスがエルサレムで『苦しみ』を受けるとき、が迫ってきました。

  ※イエスに反対する人の多くは、エルサレムに住む偉い人たちでした。
   それでも、
  ※イエスは、固く決心して、エルサレムに向かって行かれるのです。
   ところが、
  ※弟子たちは、イエスから『苦しみ』の話しを聞いても理解できずに、
    イエスが、『偉い人』になるために、エルサレムに向かうと思っていたのです。
    そこで、
    イエスがサマリア人から受け入れられないのを見て、   
    弟子たちは怒って、サマリア人たちに『罰』を下すように、イエスに願ったのです。


      弟子たちの信仰は、
      長年イエスと寝食をともにしていても、イエスの気持ちも分からず、
      浅い信仰でした。
 
      イエスは、弟子たちに、
    ※『本当の弟子』になる意味を、教えなくてはなりません。
    ※『本当の弟子』になるために、何が必要かを、身をもって教えるのです。


     神は、
     悪い人を、すぐに罰するのではなく、忍耐をもって、その人に『改心』を勧められるのです。
     イエスは、
     弟子たちの『改心』を、忍耐強く、待っておられるのです。
     弟子たちも、
     サマリア人をすぐに罰するのではなく、忍耐をもって、
       サマリア人の改心を呼び起こさなければなりません。

        
     弟子たちが、『本当の弟子』になるためには、『忍耐』が必要なのです。
      それは、人を罰することではなく、人を裁くことでもなく、
           人を赦すことです。
         人の『改心』を求めることです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『人の子は仕えるためではなく仕えるために、また、
  多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』
       マルコによる福音書 10章45節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も、互いの思いやりを大切にしながら、STAY HOMEを乗り越えましょう。
                 お元気で!


自民党総裁選挙と『平和アピール』 そして 『聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭 記念日』・・・『皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』

2021-09-27 13:38:58 | 日々のこと。 世界のこと。
9月27日。月曜日。晴れ。

自民党総裁選挙
投開票が29日、二日後に迫ってきた。
目が離せません。


  我が家の庭も・・・
  満開が近い・・・    『椿』
  
                        その美しさに目が離せません。

   思い出すのは、
   初来日した教皇ヨハネ・パウロⅡ世の『言葉』

     『過去を振り返ることは未来に対する責任をおうことです』 
               
   この言葉を繰り返し、
   全世界に向け、平和と核廃絶のメッセージ『平和アピール』を発信なさったのは、
       35年前の粉雪の舞う広島の『平和公園』でした。

       35年の間に、世界情勢は平和に向かっただろうか?
       日本政府はどうだっただろうか?

       緊迫感のただよう最近の世界情勢です。

ちなみに、
『過去問題』を繰り返しながら、
数ヶ月後に迫った中学受験のための準備
をする孫息子です。

   

   日本政府も、孫息子も、
   過去を十分に振り返り、未来に対する責任を果たしてもらいたいものです。 
   人それぞれの努力がある。頑張ってほしいものです。
       
それにつけても・・・

   次期自民党総裁はどんな『就任挨拶』をするのだろうか?

   私が良く覚えているのは、ケネディ大統領の『大統領就任演説』です。
   『(新たな世界の建設は)最初の100日間では果たせまい。
   最初の1000日間でも、この政権の間でも、そして恐らくは我々のこの惑星上における一生涯の間ですらも果たせないかもしれない。
   それでも、始めようではないか。』
   『国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――
    諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい』 でしたね。
        『演説』は、61年前の1961年でした。


    今こそ、私たち・国民も国家のために何ができるのか? 考えなくてはいけませんね。



そして。   

今日は9月27日。年間第二十六月曜日。

      『聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭 記念日』
     

1581年。 フランスの西南部の小村プーイにまれる。
      生家は、子どもの多い貧しい農家で、牧童として家事の手伝いをした。
      少年時代から母親の影響を受けて、
      貧しい人びとに対して深い同情心を授けられた。
      父親は学問を授けるてだてを講じた。

1600年。19歳。 司祭に叙階。パリに行き主任司祭として働いた。

      聖職者の養成と貧しい人々を助けるために、
       『布教宣教会』を設立する。
      この会を通じてフランスの主任司祭の刷新に寄与した。

1633年。52歳。 聖女ルイズ・ド・マリヤックの協力を得て、
          『愛徳姉妹会』も設立した。
         その生涯を通じ、多くの慈善事業を行った。

1660年。79歳。 パリで死去。

1737年。没後77年。  列聖。
1885年。没後225年。 教皇レオ13世は、彼をあらゆる慈善団体と病院の『守護聖人』と宣言した。 
               『毎日の読書』より 

『今日の集会祈願』

      『すべての人の父である神よ、
   貧しい人の福祉のため、また司祭の養成のため、
あなたは聖ビンセンチオ・ア・パウロを使徒の熱意で満たしてくださいました。
わたしたちも同じ熱意をもって、聖人の理想を追求することができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

    そのとき、弟子たちの間で、
   自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。

イエスは彼らの心の内を見抜き、
        一人の子供の手を取り、
      
       御自分のそばに立たせて、
 言われた。
    「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、
       わたしを受け入れるのである。
        わたしを受け入れる者は、
   わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。

  あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

そこで、ヨハネが言った。
  「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、
     わたしたちと一緒にあなたに従わないので、
        やめさせようとしました。」
 イエスは言われた。
       「やめさせてはならない。

  あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」 』
       ルカによる福音書 9章46-50節

   
     今日も、イエス様は、弟子たちを教育するのです。
      『一番小さい者は一番偉い者である。』 と。


   イエス様は、二回、
    ※自分が苦しみを受けること。
    ※『へりくだりの道』が、ご自分の『道』であること。
               を、弟子たちに打ち明けました。
 しかし、
   
   弟子たちは、
   『イエスの話』を理解できず、イエスの話の正反対のこと、
     『弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いか』
             という議論をしていたのです。
    更に、
    イエスの名を使って悪霊を追い出している人の話を聞き、
    彼を自分たちの競争相手と思って、
             彼の働きをやめさせようと考えたのです。
    
そんな時、

   イエス様は、
   小さな子供を呼んで、真ん中に立たせて、言われました。
      「この子供を受け入れる者は私を受け入れ、
         御父を受け入れる者である』 
    と、弟子たちに話しをなさるのです。教育するのです。
   

   小さな子供達は、
   社会的に力のない者、弱い者として、何でも感謝し、誰をも受け入れる者たちです。
      『世の中で最も小さい者で、最も偉い者たち』です。 
       弟子たちの『模範』となるのです。
   イエス様も、
   社会から捨てられる『道』を選んで、神を信頼しながら自分の命すら人類のために献げるのです。
       弟子たちの『模範』となるのです。

        自分の力に頼らず、神にお任せする、
    そんな『へり下りの道』こそ、神に近づく『近道』 である、
          とイエスは言われるのです。


     イエス様に従う『道』は、
     偉い人になることを目指すのではなく、
     『人に仕える道』、『見捨てられた人に仕える道』 なのです。


『今日のハレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、
   多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』
        マルコによる福音書 10章45節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
時代は変わる。いろいろ変わります。 皆様はお変わりなく お元気で!

秋の訪れを告げる・・・秋明菊 そして 『もし片方の手や足があなたをつまずかせるなら、 切り捨ててしまいなさい。』

2021-09-26 13:40:56 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
9月26日。日曜日。曇り。

5日後はいよいよ10月。
本番の秋に入ります。

秋の訪れを告げてくれる・・・

               『秋明菊』
 
                         我が家の庭に咲く

     
     秋明菊の持つ『花言葉』は、
     花がアネモネと仲間ということもあって、儚げな雰囲気の言葉が多い。

      「薄れゆく愛情」、「あせていく愛」、「多感なとき」
       そして 「淡い思い」、「忍耐」 もあります。


  『花言葉』には、はかなげな、さびしげな言葉が多いように、
  『花』も、いかにもすぐに消えてなくなりそうな薄花で、はかないげな様です。


  
                        元気に咲く秋明菊。2年前。

       こんなに元気に咲いていたのに・・・
       とてもさびしいことに、
       昨年から姿を見せなくなった。


    夏から秋へ・・・季節もいつまでも夏が続くわけにはいかない。
    花の美しさ・・・命も、いつまでも元気に続くわけにはいかない。


       今日は、新しい『秋明菊の鉢』を買ってきて、
       庭に新たな秋明菊の命を咲かせましょう。
       秋の準備です。     感謝!感謝!


そして。

今日は9月26日。年間第二十六主日。

『今日の入祭唱』

 『主よ、我らは罪を犯し、不法を行ない、あなたから離れて、罪を犯しました。
    我らのためにお命じになったことを守らず、実行しませんでした。
  主よ、驚くべき御業をもって、我らを救い、御名の栄光を輝かせてください。』
      ダニエル補遺・アザルヤ 6&7&8&1929節 参照
          

『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、 
  ヨハネが イエスに言った。
  
  『福音記者ヨハネ』部分    エル・グレコ作品

  「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、
   わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

イエスは言われた。
       「やめさせてはならない。
  わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
   わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。

       はっきり言っておく。
 ※キリストの弟子だという理由で、
  あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。

 ※わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、
  大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。

 ※もし片方の手があなたをつまずかせるなら、 切り捨ててしまいなさい。
     両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、
        片手になっても命にあずかる方がよい。

 ※もし片方の足があなたをつまずかせるなら、 切り捨ててしまいなさい。
     両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、
        片足になっても命にあずかる方がよい。

 ※もし片方の目があなたをつまずかせるなら、 えぐり出しなさい。
     両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、
       一つの目になっても神の国に入る方がよい。

   地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。」』
         マルコによる福音書 9章38-43、45、47-48節


イエスの時代。
  人々は、人の病気、不幸の原因は、『悪魔の仕業』であると考えました。 
  そこで、
  ユダヤ人の中でも、異邦人の中でも、悪霊を追い出す祈りをする人がいました。
  イエス様も、悪霊を追い出すことを度々なさったので、評判は高くなっていたのです。

そんなある日・・・

   ある人が、『イエスの名』を唱えれば特別の結果があると思って、
         『イエスの名』を使って悪霊を追い出していました。 
   ヨハネは、
        その人がヨハネたち弟子の仲間には入ろうとはしないので、
        イエスの名前を使うべきではない、又、
        その人の働きをやめさせるべきだと、イエスに進言したのです。

すると・・・

   イエス様は、そうはお考えにはなりませんでした。
        そして、ヨハネに言ったのです。    
          「やめさせてはならない。
     わたしの名を使って良い行いをする人が、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
     わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのです。」 と。
   
そして・・・

   イエス様は、この機会をとらえて、使徒たちを※教育※なさるのです。
    
     ※神は、どなたでも使って、良いことをなさるのです。
       他の人が良いことをし、成功するのを見ても、嫉妬心を起してはならない。
     ※人は、人の行いを裁く資格はないのです。
       神だけが人の心を知っておられので、裁きは神にお任せするのです。
     ※人は、人の良い行いを認めるべきです。
       認められた者は嬉しく感じ、更なる良い行いをするものなのです。

   イエス様は、弟子たちの『在り方』についても※話し※をなさいます。

     ※互いの、どんな小さな善意でも、必ず報いがあります。
       神は、どんな小さな善意をも見逃すことなく、報いてくださる御方です。

     ※一番小さな人にも『つまずき』とならないようにすることです。
       『つまずき』となるものが自分の中にあるなら、それらを捨てなくてはなりません。
       たとえそれが自分にとって大切なもの:手や足や目であっても、
       それらを捨てるときに、自分の中に『平和』が訪れるのです。

     地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもないのです。
       我が身を削って「愛と犠牲」の気持ちを失っている弟子たち、キリスト者は、
       この世に『神の国』をもたらすことはできない。
       この世を清めることができないのです。


   私たちも、互いに認め合って、『平和』を築いていきたいものですね。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『父よ、真理によって、彼らを聖なる者としてください。
    あなたの御言葉は真理です。』
     ヨハネによる福音書 17章17節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
秋涼爽快の候となりました。皆様は秋の準備に何をなさいますか?
自粛生活の続く秋ですので、STAY HOMEの秋の楽しみを見つけましょう。 お元気で!


明けない夜はない・・・コロナ禍への祈り そして 『「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」弟子たちはその言葉が分からなかった。』

2021-09-25 05:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
9月15日。土曜日。晴れ。

今朝も明ける。
私の一日も明ける。

  
                 『小径』
 
       
    この『小径』はどこに向かうのだろう。 どこへ続くのだろう。


      地裁が下した民事に対する『判決』が頭を離れない。
                 (昨夜テレビで聞いたニュース)
      『正義』を下す側の難しさを改めて考えせせられる。
      『判例』が、その時代の世相が影響することがあるのだろうか?
       今件の『判決』を受けた側のその後を知りたい。
      


             『朝陽』
 

       『小径』の先には、昇ってくる『朝陽』があった。


       神の『時』は、変わることなく、揺るぎなく、時を刻む。
          その不動な姿にいつも癒されます。
       一方、
       人間の『複雑さ』は、いつも想定外に、予想ができない。
          それでも、どんな事態にも『希望』を捨てないで! と祈る。


         『コスモス』
   
   
      更なる『小径』の先には、幹線道路脇いっぱいに、
       市民の好意による『秋桜』が咲いていました。
        皆さんの優しいお気持ちに、癒されます。


    先が見えない日々でも、『人の優しさ』に希望を持って・・・
    私は、今朝のウォーキングは『祈り』で終えることができました。
                      感謝!感謝!


        『いつくしみ深い神よ、
     新型コロナウイルスの感染拡大によって、
    今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。

       病に苦しむ人に必要な医療が施され、
      感染の終息に向けて取り組むすべての人、
   医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。

      亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、
     尽きることのない安らぎに満たされますように。

      不安と混乱に直面しているすべての人に、
       支援の手が差し伸べられますように。

         希望の源である神よ、
    わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
       世界のすべての人と助け合って、
    この危機を乗り越えることができるようお導きください。』     
      『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』より


そして。

今日は9月25日。年間第二十五土曜日。

『今日の入祭唱』

 『見よ、主は御目を注がれる。 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
   彼らの魂を死から救い、命を得させてくださる。』
        詩編 33章18節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、
        イエスは弟子たちに言われた。
    

     「この言葉をよく耳に入れておきなさい。
    人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」

       弟子たちはその言葉が分からなかった。
    彼らには理解できないように隠されていたのである。
    彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。』
           ルカによる福音書 9章43-45節


  イエス様は、
  悪霊がけいれんを起させ、さんざん苦しめ続けられた青年を、癒されました。
すると・・・
  群衆は、
  そのイエスのなさった不思議なことを見て、驚いていました。
  更には、それ以上の素晴しいことばかりをイエスから期待していました。


       イエスは、弟子たちを育てなければなりません。
       弟子たちが、群衆同様に、
   すばらしいことばかりをイエスから期待する考え方にとらわれてはならないのです。
       そこで、
  イエスは、弟子たちに、『自分が苦しみを受けること』 を預言なさったのです。

       弟子たちにとっては、
    イエスから聞く、二回目となる、『イエス受難』の預言でした。
  一回回の預言は、ペトロが『イエスはメシア』と宣言した直後の時でした。
    二回とも、『イエスの預言』を理解できない弟子たちでした。
     しかし、それをイエスに訪ねることを恐れていました。


      弟子たちには、大きな疑問もあったことでしょう。

     イエスはなんでもおできになる力をお持ちの方なのに、
       なぜ? 人間に我が身を渡されるのでしょう?
          どうしても理解できないのです。
           大いなる疑問でした。


        旧約の預言者・イザヤは、
    『苦難のしもべ』イザヤ53章 を預言しました。
      『彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
         彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであった。
         民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から絶たれた。』
  
       イエス様は、『イザヤの預言:苦難の僕』が、
       ご自分に当る『預言』、『神の計画』である
                 と、解っておられたのです。


    『栄光』に入るためには、『苦しみ』を通らなければならないのです。


  私たちも、
  『神の喜び』に入る前に、一人一人が、いろいろの辛い目を経験をします。
      どうして? と思うことも多いのですが、
    イエス様がそういう『道』を、先に歩んでくださったので、
      それが本当の『道』なのだと、理解できるのです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。
   キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現わしてくださいました。』
          テモテへの手紙Ⅱ 1章10節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は9月最後の週末です。皆様はどのようにお過ごしになりますか?
穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!

『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』・・・『賛美の詩編』 そして 『あなたは神からのメシアです。人の子は必ず多くの苦しみを受ける。』

2021-09-24 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月24日。金曜日。快晴。

 金曜日の今日。
 今日も・・・

        『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
   

     旧約聖書完読まで、残すところ、今日と2回の計3回になりました。

        旧約聖書完読までの2年と11ヶ月間の長い日々は、
        仲間の謙遜と努力の日々でした。
        また長い日々は、
        凡人の私たちでもやればできるのだと、
            また完読による達成感から来る、自信と 
        そして 聖書が語る神への確信、をもたらしてくれました。
                      有り難いことです。


          今日の通読範囲は、詩編の中の『賛美の詩編』です。
       『賛美の詩編』は、全150編の詩編の中の約1/3、47編です。

          ナザレのイエスは祈るとき、
         詩編の祈りを ”わたし” と言われて、祈り歌われました。
         ”父よ、わたしは昼も夜も絶え間なくあなたに叫ぶ” と。
         復活して生きているイエスは、
         今も教会を通して、詩編を祈り歌われているのです。


   今日の私たち仲間も、
   『全聖書の心』といわれる『詩編』の祈りの味が、
   自分の中で、一層豊かな味わいになっていきます。 

       『主はシオンを選び、そこに住むことを定められた。』 詩編132ー13
        神は、『エルサレム』を、
        単なる場所的なものから、『天における神の都』
           として、象徴的に用いられたのです。


    今日の私たち仲間は、
    『生ける神の都』:『永遠のいこいの地』詩編132ー14 を目指して、
       どんな発表をなさるのでしょうか? 楽しみです。
     又、
    今日も、仲間の皆様と、聖書を読む喜びを分かち合えることは、
        なんという喜びでしょう! 楽しみです。
                   感謝!感謝!   


そして。

今日は9月24日。年間第二十五金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
  主を畏れる人には何も欠けることがない。
  主に求める人には良いものの欠けることがない。』
       詩編 34章10&11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『イエスがひとりで祈っておられたとき、
    
       弟子たちは共にいた。

 そこでイエスは、
   「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」 とお尋ねになった。
 弟子たちは答えた。
   「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。
 ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」

  イエスが言われた。
      「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
  ペトロが答えた。
         「神からのメシアです。」


  イエスは弟子たちを戒め、
  このことをだれにも話さないように命じて、 次のように言われた。

       「人の子は必ず多くの苦しみを受け、
     長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
       三日目に復活することになっている。」』      
                  ルカによる福音書 9章18-22節


   今日・・・
     ペトロは、イエスを『神からのメシア』と言い表しました。
   その時を逃さず・・・
     イエスは、
      重大発表をすることを決めて、 その前に先に祈りをしてから、
      もう一年以上も共に過ごした弟子たちに向かって、
      初めて、そして 口外しないようにと命じて、
        ※『ご自分の神秘』を教えたのです。


    ※イエスは、この世の『偉い王』になるために、この世に来たのではない。
    ※イエスは、貧しい人、差別を受けている人の味方になるために、来たのです。
    また、
    イエスは、イスラエルの民の期待に添わなかったために、
      ※迫害され、殺され、三日目には復活なさるのです。
       ・・・これが『イエスの神秘』なのです。


    弟子たちは、
    イエス亡き後は、イエスの仕事を続けなくてはなりません。
    そのためには、『イエスの神秘』を理解する必要があるのです。
    ペトロも、
    『イエスは神からのメシア』であると答えましたが、
    『イエスは神である』ことは、まだ理解できていませんでした。


    弟子たちは、
    『イエスは救い主』であると伝えるだけでなく・・・
    『イエスは苦しみを受ける神の子・救い主』であると伝えることが大切なのです。


        神の独り子・イエス様は、
        『苦しみを受ける救い主』となることが、
          ご自分の『使命』だったのです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『人の子は仕えられるためではなく、
  また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』
      マルコによる福音書 10章45節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日。一日、今週最後の日として頑張りましょう。
そして今日は『花金』。お仕事一週間お疲れ様でした。今夜はゆっくり致しましょう。
明日からの穏やかな週末をお祈り申し上げます。 お元気で!   

お彼岸中日・・・墓参り そして 『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』・・・『ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。』

2021-09-23 10:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月23日。木曜日。快晴。

今日はお彼岸の中日です。
今日・「秋分の日」を中日として前後3日間、
計7日間が「お彼岸」です。


          『お彼岸のお墓参り』
    

     コロナ禍のため、東京の墓まで出向くことができません。
       今日も、春のお彼岸や、親兄弟の命日同様に、
           我が教会で、
         お祈りを捧げ、花束を捧げました。


   大好きな両親と兄二人に、
   彼らが可愛がってくれた我が子供達や孫たちの元気な成長の報告をし、
                       感謝の言葉を伝えました。
              引き続き見守ってくれるようにとお願いをしました。
    
   私の目から涙が流れ落ちる。
   両親の子供であり、兄たちの妹であられたことに、感謝をし尽くせない。
   もっともっと話しをすれば良かった、と後悔の念にかられる。

   せめてもと、
   自分の家族と仲良く、又 いっぱいおしゃべりをします、
                       と、両親と兄たちに誓いました。


お彼岸とは? 
『般若心経』にも聞かれる、サンスクリット語の「パーラミター」が語源だそうですね。
「パーラミター」とは「完成する、成就する」という意味だそうです。
欲や煩悩、苦しみに満ちた輪廻の世界から解脱し、
迷いのない『悟りの境地』に達することを表します。

『悟りの境地』:『パーラミター』を、
川を挟んだ「向こう岸」、「彼岸」に例えたのが、
私達日本人独特の伝統行事「お彼岸」です。


       御先祖たちも、父母も兄たちも、
       今は、
       完成した『神の国』:『お彼岸』で、安らいでいることでしょう。

       いつの日か、
       私も、全ての苦しみから解き放たれて、
       『神の国』:『お彼岸』にまいることでしょう。
       御先祖さんたちや、父母兄たちと、あいまみえ、
       尽きぬおしゃべりの時を過ごせることでしょう。


  
   今日の昼食・・・   『おはぎ』
  

      お彼岸といえば・・・
      春のお彼岸は、ぼたんの花の季節で、『ぼたもち』
      秋のお彼岸は、はぎの花の季節で、 『おはぎ』


       母の手作りの『おはぎ』を思い出しながら、
       嬉しく、懐かしく、おいしく、『母の味』を頂きました。
                        感謝!感謝!
  

そして。

今日は9月23日。年間第二十五木曜日。

       『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』
      
   
1887年。 南イタリアのベネベント県のピエトレルチーナにまれる。
      農家の家庭に生まれ、7人兄弟の4番目として育った彼は、
      信心深い母親の影響を受けて育った。

1903年。16歳。 カプチン・フランシスコ会に入会する。ピオという修道名を受けた。
1910年。23歳。 司祭に叙階された。
        
      サン・ジョバンニ・ロトンドの修道院で生涯の大半を過ごした。     
      霊的指導者として信者の告白を聴き、
      病者や貧しい人々の世話に従事して、
      神の民のために祈りと謙遜のうちに献身的に働いた。

1968年。81歳。9月23日。 生涯離さなかったロザリオを手にして、生涯を終えた。

    1999年・没後31年に列福され、2002年・没後34年に列聖された。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『全能永遠の神よ、
 あなたは聖なる司祭ピオをキリストの十字架の恵みにあずからせ、
 その奉仕をとおして神のいつくしみの偉大さを表わしてくださいました。
   聖人の取り次ぎによって、
 私たちがキリストの受難に固く結ばれ、復活の栄光へと導かれますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、領主ヘロデは、
    
     『ヘロデとイエス』 アルブレヒト・デューラー作品
   
    これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。
    というのは、
   イエスについて、
   「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」 と言う人もいれば、
   「エリヤが現れたのだ」 と言う人もいて、
    更に、
   「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」 と言う人もいたからである。

     しかし、ヘロデは言った。
       「ヨハネなら、わたしが首をはねた。
   いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」

     そして、イエスに会ってみたいと思った。』
          ルカによる福音書 9章7-9節


ヘロデ・アンティパス領主
古代イスラエルの領主(在位 紀元前4年-39年)
新約聖書時代の人物で、
イエスが宣教を始めたガリラヤとヨルダン川をはさんだ斜め向かい側のペレアの領主であった。


     イスラエルの領主・ヘロデ王は、イエスについて戸惑うのです。
     イエスが不思議なことをなさっているという噂を聞いたヘロデ王は、
     イエスはどんな方だろうと思って、会ってみたいと思ったのです。


    人々はイエスを
    ヨハネの生き返りだとか、エリアだとか、昔の預言者の生き返りではないかと、  
                    想像しました。
 
一方。

    ヘロデ王は、
    ヨハネを尊敬していたのですが、ヘロデ王の罪を叱るヨハネの首をはねたのです。
    そこで、イエスはヨハネの生き返りであるはずがないと思い、
    なお一層、人々がヨハネだと噂するイエスに会ってみたいと思ったのでしょうか。
    あるいは、ヘロデは、ヨハネに対して、良心の呵責を感じていたのでしょうか。
       どういう気持ちで、イエスに会いたいのでしょうか?


     人が、イエスに出会うためには、
     イエスに対する興味だけでは、出会うことができないのでしょう。
     人が、イエスを本当に知るためには、
        イエスは人の幸せを望んで働いておられる方だと、
         イエスに『愛』を見出し、
     イエスを信用する気持ちがなければならないでしょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『わたしは道であり、真理であり、命である。
  わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
        ヨハネによる福音書 14章6節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申しあげます。
今日は、自分が生を受けたルーツの御先祖様たちの冥福を祈る日です。
彼岸と此岸・あの世とこの世・御先祖と私たちとが交流する、お墓参りの日。
穏やかにお過ごしください。  お元気で!

『あ・い・う・え・お』から『か・き・く・け・こ』へ『人生100年時代』 そして 『イエスは、神の国を宣べ伝え、病人を癒すために十二人を遣わされた。』

2021-09-22 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
7月22日。水曜日。曇り。

今朝のNHKラジオから。

  
                       ウォーキング途中の道ばたの小花♡♡

         朝の仕事をしながらの『ながら族』のラジオ。
        大学の先生?の『対談』のようなのが流れていました。


      年を60台・・・70台・・・へと年を重ねた人は、
       心して、
    『あ・い・う・え・お』から『か・き・く・け・こ』へと、
       切り替えるべきです。 切り替えなくてはいけません。
                     と、話しておられました。



    年を重ねた人たちの『特徴』・・・
         『あ・い・う・え・お』
    『あ』:諦め。『い』:いじわる。『う』:内向き。『え』:遠慮。『お』:遅れる。
                    これでは、人生がおもしろくない。
    

    年を重ねてからの『モットー』として・・・
         『か・き・く・け・こ』
    『か』:何事にも感動する。 『き』:機嫌良く過ごす。『く』:昨日よりちょっとうまく工夫する。
       『け』:健康に気をつける。『こ』:人のために役立ち貢献する。
                 これらで、人生を面白く楽しく致しましょう。


        なるほどね。納得ですね。
        年を重ねる:『エイジング』は、『神の祝福』と言いますよね。

  つまりは・・・

     失うものを嘆くのではなく・・・
      年を重ねたからこそ与えられた『神の祝福』:『自由時間』を、
        お人のお役に立ちながら・・・面白く楽しく、
        健康に気をつけながら・・・機嫌良く楽しく、
        素敵ね!と声出しながら・・・感動を重ねながら楽しく、

                    ・・・ということですね♡♡


     残されたものを最大限に生かして・・・
        『か・き・く・け・こ』 で、
         『人生100年時代』
       温かく濃密な日々で、楽しみましょう。
    
           

そして。

今日は7月22日。年間第二十五水曜日。

『今日の入祭唱』

 『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える。
  主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。』
       詩編 19章9&10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは 十二人を呼び集め、
     
  あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。

  そして、
     神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、
         ※次のように言われた。

   「※旅には何も持って行ってはならない。
    ※杖も袋もパンも金も持ってはならない。
    ※下着も二枚は持ってはならない。
    ※どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。
    ※だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、
      彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。」

         十二人は出かけて行き、
      
        村から村へと巡り歩きながら、
     至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。』
          ルカによる福音書 9章1-6節


    今日のイエスは、十二人の使徒を宣教に派遣しました。
      イエスは父からこの世に派遣されたように、
     今度はイエスが弟子たちをこの世に派遣しました。


 今日まで・・・
 イエスは弟子たちを集め、 
 ※イエスを中心にして、一つの団体を作りました。
 ※ご自分の仕事を継続するために、団体の中で、弟子たちを教育をしました。

そして

 時が満ち・・・
 イエスは、弟子の中から12人の使徒を選び、世の中に派遣したのです。
 イエスは、12人の使徒たちを派遣するに当り、12人の使徒たちに、
  ※ご自分が持つ『悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能』を与えました。
   また、
  ※『何も持たないように』 又 『1つの家に留まり宣教活動をするように』
                       と注意を与えました。


       使徒たちは、これからの厳しい宣教活動の中で、
          彼らは神に仕える者として、
 ※何も持たない生活で、
   神が必要なのもを与えてくださると、神に信頼することを学ぶ必要がありました。
 ※どんな時にも、
   自分の『使命』を果たすことが第一であることを、学ばなければなりませんでした。


      使徒たちの『使命』は、
      イエスの『模範』が教えてくれたように、
  『神の御言葉』を伝えること 病人さんや困った人たちを癒すこと でした。


当時の社会では、
ユダヤ人が旅行をする時、異邦人の所、汚れた場所を訪ねたなら、
自分の国、聖なる場所、に戻る時に、
足についた埃を払い落とす習慣があったそうです。


         使徒たちは、これからの宣教活動の途中で、
      使徒たちを迎え入れない人に出会うこともあるでしょう。
         その時は、その町を出ていくとき、
      『彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい。』
            と、イエスは12使徒に忠告したのです。

   
    私たちは、
    多くの弟子たちが、至る所へ、福音を伝えに行った、そのお陰様で、
      『福音』を知ることができるようになったのです。
    次は、
    私たちが、お人に『福音』を伝える番です。その力を祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』
         マルコ福音書 1章15節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
最近は、『ウイズ・コロナ』が定着した『新しい生活』の毎日です。
ウイズ・コロナを嘆くことなく、新しい自分の『生活形態』を模索してまいりましょう。 お元気で!

秋の全国交通安全運動週間 そして 『聖マタイ使徒福音記者 祝日』・・・『「わたしに従いなさい」マタイは立ち上がってイエスに従った。』

2021-09-21 05:30:00 | 
9月21日。火曜日。晴れ。

今日から9月30日まで1週間
『秋の全国交通安全運動週間』
     
   夜明け直後の・・・   
               『交通幹線』
    
                       我が家の前の道路

        スポーツカーが朝陽に向かって直進🚗
        絵になりますよね♡ 大好きです♡


         乗るからには、責任が伴います。
        安全運転には・・・               
       ※『車の点検』をおこたらないことは当然のことで、
       ※運転者自身の『体の点検』も怠ってはなりません。


       50年以上乗り続ける私だからこそ、
       長年の経験や勘に頼ることは厳禁です。
       目の具合、瞬発力の具合、判断力の具合、等々、
       自分の能力低下を自覚していることが原則です。

一方・・・
 

      歩行者も、『SAFETY ACTION』 が大切です。

        車が来ていないかチェック!
        車が止まったかチェック!
        横断中も車をチェック!
       +①手をあげる、車の方を見る等の動作で、
         ドライバーに渡りたい気持ちを伝えましょう


     お人の安全も自分の安全も、ましてや お人の命も自分の命も、
           何ものにも代え難い大切なものです。
      昨年は・・・
      交通事故による2020年の死者数、前年から376人減少して2839人。
      減少傾向にある交通事故での死者数だそうですが、大人数です。


        皆様! 今日も安全運転で、早めのライトで
          快適なドライブをお楽しみください。

      私も、今日は、『安全ドライブ』を再確認してみましょう。
                        感謝!感謝!

そして。

今日は9月21日。年間第二十五火曜日。

        『聖マタイ使徒福音記者 祝日』
   

    1世紀。マタイは、カファルナウムの町にまれた。
      イエスに招かれた時は徴税人であった。
     
         『マタイの召命』 カラヴァッジオ作品

    当時のユダヤ社会で使われていたアラマイ語(アラム語)
          で福音書を書き記した。
    東方で福音を宣教し、エチオピアで殉教したと伝えられている。

『今日の集会祈願』

   『すべての人の救いを望まれる神よ、
あなたは限りないいつくしみをもって徴税人マタイを選び、使徒とされました。
私たちも聖人の模範にならい、全てを越えてあなたに従うことができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエス通りがかりに、
    マタイという人が収税所に座っているのを見かけて
       「わたしに従いなさい」と言われた。
       彼は立ち上がってイエスに従った。

    イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
      
        徴税人や罪人も大勢やって来て、
        イエスや弟子たちと同席していた。

 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
 「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
                           と言った。
      イエスはこれを聞いて言われた。
   「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
     
   『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
          とはどういう意味か、行って学びなさい。

     わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
         罪人を招くためである。」』
          マタイによる福音書 9章9-13節


    今日のイエス様は、ファリサイ派の人々に、はっきりと宣言します。
  『わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
    わたしは、罪を赦し救うために、この世に来たのである。』 と。


   徴税人のマタイは、
   世で『罪人』と呼ばれる徴税人の職業で、
   イエスの弟子になる資格がないように思えます。
   そのマタイが、イエスから呼ばれて、『使命』が与えられたのです。

   イエス様は、
   誰をも差別することなく、お使いになるのです。
   誰にも価値があるとお考えなのです。
   更に、
   イエスは、『友情』のしるしとして、人々と共に『食事』をなさるのです。


   人は、
   イエスの友情を経験すると、悔い改めができるようです。
   自分には落ち度がなく、罪もなく、赦しも必要ないと思えば、
     悔い改めをすることもなく、イエスの赦しも救いも求めないのです。

  
      私たち皆は、イエス様から呼ばれているのです。
       そこに憐れみを感じ、
      私たちも、イエスの慈悲にゆだねましょう。
       そして、
      ゆるされた者として、お人を大切にし、
      特に弱い人に、慈悲を示すことができるようになりたいものですね。
   
   
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
     『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
  栄光を受けた使徒の群れもあなたをたたえて歌う。』アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
   今日は『中秋の名月』ですね。
     
                          気象庁より
 8年ぶりに中秋の名月と満月の日付が一致するそうです。
 夕方・満月がでる頃には晴れると良いですね。 お元気で!