マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなた方の時はいつでも備えられている。』

2022-10-21 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月21日。金曜日。快晴。

今日は、
金曜日。
聖書100週間・聖書通読会です。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
   

     今日の『聖書100週間・聖書通読会』クラスは、
      2018年10月19日に『説明会』を開催して、
        参加者10人が決定しました。

     その後、
     新クラスがスタートして、
         今日で3年10か月が過ぎました。
     途中からコロナ流行が始まり、『オンラインクラス』となりました。
     今日を含んで、残り3回で、全聖書完読となります。


        聖書完読の達成感の喜び、と共に
        仲間との最後が近く、さみしさでいっぱいです。


        4年近く、毎週金曜日には顔を合わせて、
           自分の思いや考えの丈を話す。
        それは、
        💕聖書全体の流れが理解でき、聖書の知識が深くなる日々でした。
        💕仲間との深い心のつながりを経験する日々でした。
        💕参加者一人一人の教会共同体意識も深まり、
          教会の『奉仕者』として成長する日々でした。

      
     今日も、仲間全員のお元気でお優しいお姿に、癒されます。
                感謝!感謝!


そして。


   今日の通読範囲は、『ヨハネによる福音書 7章~12章』です。

      
       『ヨハネによる福音書』の著者
      
        『福音記者ヨハネ』
   
   ヨハネは、
   イエスの最初の12人の弟子の中で、唯一人殉教することなく、
   長寿を全うしました。

   80歳近くなって、
   キリストの人格やキリストの使命、キリストの復活の意味などを
       相当深く悟っていました。
   そこで、
      それまで思いめぐらしてきた  
      『主イエスの受難、復活』
   についての考えを『ヨハネによる福音書』に書き遺しました。


     今日の通読範囲の冒頭で、
     イエスは語ります。ヨハネ 7章1-7節


    『ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた時、
     イエスを信じていない兄弟たち(親戚)が質問をします。

     「ユダヤに行き、あなたのしている業を見せてやりなさい。
      公に知られようとしながら、ひそかに行動する人はいない。」』と。

    そこで、イエスは兄弟たちに言われます。

      『「わたしの時」はまだ来ていない。
       しかし、「あなた方の時」はいつでも備えられている。』と。
     
      
     『仮庵祭』は、
      過越しの祭り、五旬節、に並ぶユダヤの三大祭りの一つでした。
      それは、彼らの先祖がエジプトを出た時、
         仮の庵、仮庵に住んだことを覚えるために、
      七日間、仮小屋か木の枝を張って造った天幕に住み、
         主の前で喜ぶように定められていたものです。

      「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、
        生き残った者はみな、毎年、
        万軍の主である王を礼拝し、
       仮庵の祭りを祝うために上って来る。ゼカリヤ14:16

    すなわち、
    メシヤがエルサレムから全世界を支配するようになる時、
       異邦人たちはメシヤを礼拝するために、
       この祭りに上って来るということです。


    そこで、
      イエスの兄弟・親戚の人たちが、イエスに、
      「仮庵の祭りの期間にエルサレムに上り、
       自分をメシヤとして世に示すように。
    自分がメシヤであることを示す絶好の機会になるのではないか。」
      と言ったのは、こうした慣習があったからです。


    その時に、
    イエスは答えられたのです。
      『「わたしの時」はまだ来ていない。
       しかし、「あなた方の時」はいつでも備えられている。』と。


         『イエスの時』とは、
        『神の御心』が成就される時。
       『人類の救い』の『十字架』の『時』です。
        
   

 そして。
  
     今日の通読範囲の最後で、
     イエスは語ります。ヨハネ 12章23-32節


     『人の子が栄光を受ける「時」が来た。
      はっきり言っておく。
      一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
      だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
       たしはこの「時」のために来たのだ。
       今こそ、この世が「裁かれる時」。』
  
      
        イエス様は、『時が来た』と、
     『死』:『十字架』に向かって、エルサレムに上られるのです。
   メシヤ・イエス様がエルサレムから全世界を支配する『時』が来たのです。


   それにしても、
   イエス様は、『御自分の時』の前に、

      『しかし、あなた方の時はいつでも備えられている。』
    『光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。』と。

       人々に、沢山の『神の働き』:『奇跡』を見せ、
           ”私を信じなさい!”と、
         人々に改心を呼びかけたのです。


   それでも。
   イエス様の一番近くにいた兄弟たちも、
     イエスは神、メシアである。とは信じられなかったのです。
   家族であればいつも一緒にいて、
   互いの言葉なり、行動というものをつぶさに見ています。
   ですから、
   彼らはイエス様のことを見て、よく知っていたはずなのに、
   信じていなかったのです。
   ユダヤ人たちも、
   多くのイエス様のなさる『しるし』を見ても、
     イエスは神、メシアである。とは信じられなかったのです。


   わたしたちキリスト者は、
   イエス様から派遣されたものです。
   イエス様に倣って、『神の愛』を示すことが求められています。
                祈りましょう。
   

     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     聖ヨハネに示された『イエス様の時』を、嬉しく有難く読みました。
     正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
朝昼夜の寒暖の差が大きいこの頃です。
どうぞご自愛の日々で、穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!

友とのこの世のお別れ会・・・『諸聖人の集いのうちに迎えられ、み国のよろこびにあずかる。』

2022-10-16 11:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月16日。日曜日。快晴。

今日は、
学生時代からの友人に
この世でのお別れをしてまいりました。

コロナ禍では、


   葬儀と49日をまとめての法要でした。     『豪徳寺』
  
                                       友人の嫁ぎ先の菩提寺です。

          友人は、聡明な方でした。


     大学一年の時。
     「家に泊まりにいらして」との友人のお誘いに応じた私。
     友人の部屋で。
     友人とおしゃべりする私に、
     友人は、「この本を読んでみて」と『我と汝』の本を差し出されました。
  
                             
                 友人の『読書の世界』に引き込まれた私は、
      自分の幼さを初めて自覚して、
      『活字』を読むことを始めたのです。
      心理学、哲学、宗教学、そして歴史書にと、
      興味を深めていきました。
     

         友人は、私を『未知の世界』へ導いてくれました。


  友人のために祈りました。

      『主よ、みもとに召された人々に、永遠の安らぎを与え、
         あなたの光の中で憩わせてください。

       神は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。
       神は、すべての罪から、イスラエルを救われる。』
            『デ・プロフンディス』詩篇130より


そして。

曹洞宗の僧侶と共に、

               『納骨式』
  
      『友人の同僚からの献花』     友人がcabin crewとして働いたJALの有志一同からの花束です。


            友人は、美しい方でした。


     初めて訪ねた友人の部屋で。
     女子の部屋らしく『鏡台』がありました。
       兄3人の末子としての私は、個人の『鏡台』の存在すら知りませんでした。
     友人は、お風呂の後で、朝の起床時に、
     鏡台の前で、髪を整え、クリームを顔に塗られました。
  
                             
                 友人の『女性の美の世界』に引き込まれた私は、
      自分の幼さを初めて自覚して、
      『女性の美しさ』は自分で培うことなのだと覚えたのです。
      整髪、整顔、そしておしゃれにへと、
      興味を深めていきました。
     

          友人は、私を『美の世界』へ導いてくれました。


  友人のために祈りました。

       『御子キリストは、わたしたちに約束されました。
        「わたしは復活であり、いのちである。
         わたしを信じる人は、死んでも生きている。
     わたしを信じて生きているものは、すべて永遠に死ぬことはない」と。
       いつくしみ深い神よ、
         この世からあなたのもとにお呼びになった友人を、
         お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。  
       すべての慰めの源である神よ、
         あなたは永遠の愛をもってわたしたちをつつみ、
         死の暗闇をいのちの夜明けに変えてくださいます。
         悲しみに沈むあなたの家族を顧みてください。
      キリストの恵みに支えられて希望に生き、人生の旅路を終えて、
      ふたたび兄弟とまみえ、わたしたちの涙がすべてぬぐわれますように。』
            カトリック『祈りの友』より


          人は、『汝・人』との”対話”という関連の中で、
             大きな成長をしていきます。

            友人は、二人の深いつながりの中で、
            私に『人生』を教えてくれました。

            私個人にも大きな影響を与えた友人は、
            神のもとに帰られました。
            友人の『教え』を忘れず、続けていくことこそが、
            私のできる友人への最高の『供養』でしょう。


       今日は、
       友人の冥福を祈り、友人に感謝する一日でした。
                 感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
家族や友人や知人とのお別れの時は、さびしいものです。
お別れした後は、大切な人と心の中で対話しながら、つながって生きていたいものです。 お元気で!

ゴルフ・エージシュートの優勝と聖書100週間・聖書通読会・・・『花金』 そして 『初めに言があった。言は肉となって、私たちの間に宿られた。』

2022-10-14 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月14日。金曜日。快晴。

今日は、
スポーツの秋。
秋真っ盛りです。

今日の夫は・・・
                『ゴルフコンペ 優勝』
   

           ♡優勝賞品の『牛肉500g』ですき焼の『花金』


             夫のゴルフはプロ並みです。
         ♡今日は、ねらったとおりに、『エージシュート』でした♡


           なんと素敵で楽しい時間だったことでしょう。

             ハーフ・前半半分を回った昼食時に、
               ”今日はいけるかも!”
           ”年齢ちょうどの打数でホールアウトしよう!”
               と、悟ったそうです。

                後半ハーフは、
             年齢の『80打』ちょうどで終えるために、
              ⛳一打一打を計算しつつ・・・⛳

           結果は、『80打』、『優勝』となりました♡♡
                  お見事です。


            30代から続けた夫の『努力の日々』は、
         一つ事を長年続けた者だけが味わえる『人生の喜び』を
               生み出しています。
               味わっています。
        

『エージシュート』とは、
自身の年齢以下の打数でホールアウトすること。
ところが、
プロ並み?の夫は、
『年齢以下の打数』ではなく、
『年齢ぴったりの打数』を狙ったそうです♡♡


             『スポーツの秋』そして『食欲の秋』
          今夕の宴は、おいしい『純米吟醸』を楽しみながら、
                心豊かに、
           秋満載の『花金』を楽しんだ私たち夫婦でした。
                感謝!感謝!

そして。

今日は、
勉学の秋。
秋真っ盛りです。

今日の私は・・・


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
  
  
      今日の『聖書100週間・聖書通読会』クラスは、
        2018年11月16日にスタートして以来、
         今日で3年10か月が過ぎました。

      残す通読個所は、『ヨハネによる福音書』のみです。
      今日を含んで、残り4回で、全聖書完読となります。


           仲間の皆様、お見事です。
      
       初めから終わりまで真面目に聖書を読み続けた仲間は、
     聖霊に導かれて、すばらしい💕『恵み』💕をいただきました。

    この『恵み』は聖書を一瞬に悟ったとか、手軽に手に入れたというものでなく、
          4年近く”忠実に読んで集まる”という
          努力の結果によって得たものです。

        💕3年10か月の間の『努力に日々』で、
   聖書に記されているイスラエルの歴史やイエス・キリストの生涯などを知りながら、
         参加している私たちの心も少しずつ変えられ、照らされて、
          神ご自身を、前よりもいっそう知るようになりました。
      更にイエス・キリストとの個人的な心のつながりも深められました。
   

        💕家族に支えられて、続けることが出来た『3年10か月』で、
          家族とのつながりが深くなりました。
          更に仲間とのつながりは、
          毎週顔を合わせ、毎週同じ声を聞きながら、
            一人一人の心が次第に開かれ、
          お互いが仲間として意識されるようになり、
          今まで自分が感じていた孤独や孤立から解放されました。
          共同体の兄弟姉妹として交わりの力強さや支え
                体験してきました。


          今日も、仲間全員の元気なお姿に、癒されます。
                感謝!感謝!


そして。


   今日の通読範囲は、『ヨハネによる福音書 1章~6章』です。
      
       『ヨハネによる福音書』の著者
      
      『福音書記者聖ヨハネ 』  マティアス・ストム 作品 
   
   西暦80~90年頃。    
   主の復活から五、六十年たつ間に、
   教会共同体と共に経験を重ねてきた80歳近くなったヨハネは、
   キリストの人格やキリストの使命、キリストの復活の意味などを
       相当深く悟っていました。
   そこで、
   聖母マリアから教えられたことなどを含めて、
      それまで思いめぐらしてきた  
      『主イエスの受難、復活』
   についての考えを『ヨハネによる福音書』に書き遺しました。


       『ヨハネによる福音書』1章1~18節
        ヨハネは、自分の福音書の初めに、
       イエスはどういう御方かを紹介しました。


        『初めに言があった。
      言は肉となって、私たちの間に宿られた。
      万物は言によって成った。
      それは、私たちに命を与え、神の子とするためであった。』
                1章1&3&14&12節


         ※イエス御自身が『神の言葉』である。
       イエスは、神が望まれることを知らせるために、
         神によってこの世に遣わされたのです。
       それによって、
       イエスは人間に告げられた『神の言葉』といわれるのです。

         ※イエスは、初めから、神と一緒におられました。
             神から遣わされて、
          この世にお生まれになりました。
        すべての人に『神からの救い』を告げるためでした。
        この『使命』を果たした後、
        イエス様は、御父のもとへ帰っていかれました。

         ※イエスの話を信じる人は、本当に生きるのです。
         神と一緒に生きる、『神の子』と言われるのです。


     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     聖ヨハネが悟られた『イエスの生涯』を、嬉しく有難く読みました。
     正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日・金曜日から、明日明後日の土曜日日曜日は、温かい日々で、最高の行楽シーズンになるそうです。
楽しい、それぞれの『秋』をお楽しみください。
そして、朝夕の寒暖の差が大きいので、体調を崩さず、穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!

ハロウィン・・・『友の逝去』 そして 『預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それは、アベルの血から、ゼカルヤの血にまで及ぶ。』

2022-10-13 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月13日。木曜日。快晴。

季節の先取り。
行事の先取り。
10月31日のハロウィンの先取りです。


          『Halloween の Treat』
  
            
          『ハロウィン・チョコレート』
            
         息子のお嫁さんからのプレゼントです♡♡
         私の大好きなリンツのチョコです♡♡


      ハロウィンでは、
      魔女やおばけに仮装した子どもたちが、
      
                     ネットより拝借
      日没後に近所の家を訪問して
      「トリック・オア・トリート!(Trick or Treat!)」
         と唱えている風景が有名ですね。

      「お菓子をくれる? それとも いたずら?」
         子どもに聞かれた大人は、
       「ハッピーハロウィン」と答えて、
         お菓子をあげるのです。


ハロウィンの起源は、
2000年以上昔古代ケルト人までさかのぼります。
古代ケルト人とは、
アイルランドやスコットランドを始め、
ヨーロッパの多くの地域に居住していた人々のことです。

古代ケルト人の宗教であるドルイド教では、
10月31日「サウィン祭」というお祭りを行っていました。
サウィン祭は、
ケルトにおいて1年の終わりである10月31日
に収穫物を集めて盛大に行う、
夏の終わりと冬の到来を告げるお祭りです。
その後、
歴史の中で古代ケルトの文化
10月31日をお祭りとする風習は残り続け、
現在に伝わるハロウィンへと変化しました。
          Wikipedia より


       ハロウィンは、毎年10月31日に行われるイベントです。
       キリスト教では、
          ハロウィンの翌日・11月1日は
          「諸聖人の祭日」にあたります。
        
          アメリカの小学校での諸聖人の祭日・All Saints’ Day』

          神のもとに迎えられ、
         すべての人のためにとりなす聖人たち
         
              『聖人』となった我が娘

            に心を向ける祭日です。
       ハロウィンは「諸聖人の日の前夜祭」の意味があります。


    今日は、
    嬉しく、おいしく、『ハロウィン・チョコレート』を食べていると、
    驚くことに、
      学生時代からの親友の突然の逝去を知らせる葉書が、
         親友の娘さんから届きました。
        コロナのために、葬儀は家族で執り行い、
        『納骨式』を母の友人たちと行いたい、
           とのお知らせでした。

      『すべての慰めの源である神よ、
       あなたは永遠の愛を持ってわたしたちをつつみ、
       死の暗闇を命の夜明けに変えてくださいます。  
       悲しみに沈むあなたの家族を顧みてください。
       人生の旅路を終えて、ふたたび兄弟とまみえ、
       わたしたちの涙がすべて拭われますように。』
           カトリック『祈りの友』より


          親友の娘さんと私は、
            突然の逝去
         電話を通して、悲しみを共にしました。
        亡き人の思い出を語り、涙を共にしました。
          
      
そして。

今日は10月13日。年間第二十八木曜日。

『今日の入祭唱』

     『わたしたちの神は来られる。
   上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけ、
      神は御自分の民を裁かれる。』
         詩編 50章3-4節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしは道であり、真理であり、命である。
   わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
        ヨハネによる福音書 14章6節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは言われた。
    

      「あなたたちは不幸だ。
   自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。

   こうして、
      あなたたちは先祖の仕業の証人となり、
         それに賛成している。
    先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。


      だから、神の知恵もこう言っている。
     『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、
    人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』

  こうして、
    天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、
      今の時代の者たちが責任を問われることになる。
    それは、
  アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。

       そうだ。言っておくが、
     今の時代の者たちはその責任を問われる。


      あなたたち律法の専門家は不幸だ。
       知識の鍵を取り上げ、
   自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」

   イエスがそこを出て行かれると、
     律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、
      いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
      何か言葉じりをとらえようとねらっていた。』
          ルカによる福音書 11章47-54節


     今日のイエス様は、
     ファリサイ派の人たちや聖書学者の不信仰を、
             非難します。


     ファリサイ派の人と律法学者たちは、
     熱心に聖書を研究し、それを人に教えていました。
     しかし、
     自分たちの聖書解釈を重んじ、
     ※他の人たちの解釈を認めなかったのです。
     ※昔の預言者たちの話を認めませんでした。
     ※イエスの言葉をも信じませんでした。
     更には、
     預言者たちの墓を作りましたが、
     ※預言者たちを尊敬するふりだけだったのです。


    イエス様は、
    そんなファリサイ派の人や律法学者たちを非難したのです。
     『あなたがたは預言者の墓に責任を持っている』
     流されたすべての預言者の血について、責任を問われる』と。
     また、
     『他の人がイエスの言葉を聞いてイエスを信じ、
         救いを得ることを妨げている』と。


        イエス様の『厳しい叱責』は、
     イエス様の心からの『改心の呼びかけ』なのです。
     イエス様は、すべての人の『救い』を望んでおられるのです。


   私たちも、
   イエス様の呼びかけに、すぐには答えないときがあります。
   それでも
   イエス様は決してあきらめないことを、知っています。
   そんなイエス・キリスト様に支えられて、改心ができるようになりたいものです。
               祈りましょう。
       
     
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
全ての人に、思いがけなく、突然に、『逝去の時』は来ます。
ハロウィンは、楽しみながらも、自分の『生涯』を考える日にしたいですね。 お元気で!

聖書100週間・聖書通読会・・・『ヨハネの黙示録』・・・『すぐにも起こるはずのこと、死者の裁かれる時を、キリストが僕ヨハネにお伝えになった。』

2022-09-30 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月30日。金曜日。晴れ。

今日は、
金曜日。
聖書100週間・聖書通読会です。

     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
  
  
      オンラインクラスは、どこからでも参加可能です。

        仲間は、全員、神戸の自宅からの参加です。
         私は、旅の途中で、東京から参加です。


       仲間全員の元気なお顔と、画面上での再会です。
         ITの世の中、ありがたいことです。
                感謝!感謝!



そして。

   今日の通読範囲は、『ヨハネの黙示録 1章~11章』です。
      
       『ヨハネの黙示録』の著者
       
       『聖ヨハネ』   エル・グレコ画


      ヨハネは、イエスに愛された弟子でした。ヨハネ19章26節

   ※イエス様が初めてヨハネをお呼びになった時は、18歳頃でした。マルコ1章16-20節
   ※磔刑のイエス様のおそばに、12人の弟子の中で唯一佇んだヨハネは、
        
         『キリストの磔刑』 ジョバンニ・べッリー作品 

         21歳頃でしたでしょうか。ヨハネ19章26節

    ちなみに、
    磔刑のイエス様のおそばに佇む母マリア様は、
    結婚なさったのは17歳頃と言われていますので、
    17歳+十字架上のイエス様の年齢は33歳頃=50歳頃でいらしたのでしょう。
  
   ※ヨハネは、兄弟ヤコブとともに『雷の子』とイエスに名付けられるほどに、マルコ3章17節
         その性格は激しい二人だったようです。

   ※ヨハネは、ペトロ、ヤコブとともに、『イエスの側近』の三人の一人で、
         重大な時期にはイエスと共にありました。      

   ※『黙示録』を書いたヨハネは、
    キリスト者迫害のあった第一世紀が終わる西暦90年頃、
                 60歳を迎える頃でした。


   『黙示文学』とは、
    殊な表現方法を用いて、
    『神の言葉』を人間に伝えようとするものです。

    旧約聖書の『黙示文学』では、
     エゼキエル書、ゼカリア書、ダニエル書などのユダヤ黙示文学の中に、
     黙示文学的な部分があります。
     そこでは、人々に神の民の歴史と使命を想起させ、
     同時に、現在遭遇している困難を乗り越えて存続し続け、
     神の民が発展することを強調しています。

   一方、

    新約聖書の『ヨハネ黙示録』では、
     ユダヤ黙示文学との決定的な違いがあり、
     そこでは、『イエス・キリストの復活』を述べるのです。    

    
   『ヨハネの黙示録』は、
    ☆『イエス・キリストの黙示。
     すぐにも起こるはずのことを、
     神が、その僕たちに示すため、キリストのお与えになり、
     そして、
     キリストが、その天使を送って、僕ヨハネにお伝えになったものである。』1章1節
    ☆イエス・キリストによって、
     神に民イスラエルの歩み、現在の旅する教会、天上の勝利の教会、
      過去、現在、未来、を一つに結ぶ壮大な神秘を語っているのです。
         


          『イエス・キリストの復活』
     ※復活したイエス・キリストは、
       屠られた子羊、人の子、大祭司、アルファとオメガである。
        すべてのものの初めであり、終わりである。
     ※宇宙のすべては、神の手にあり、
       歴史を支配し治めるのは、神と復活した神の子羊キリストである。
     ※キリストの復活によって、歴史はすでに終末の時代に入った。
       全世界において、古いものと新しいものが共存し、互いに争う状態にある。
     ※『時の終わり』に、復活したキリストは、裁き主として『神の裁き』を完成する。
       預言者たちの告げた『新しい天と新しい地』の約束を成就し、     
       万物は新しくなり、神の右に座る子羊キリストが『最終的勝利』をおさめる。
         こうして、告げられていた『主の日』は実現するのです。



       『ヨハネが見ると、
        「見よ、開かれた門が天にあった。
       
        見よ、天に玉座が設けられていて、
       その玉座の上に座っている方がおられた。
        その方の右の手には『巻物』があり、
         七つの封印でとじられていた。
    その周りには二十四人の長老がひれ伏して礼拝している。』黙示録 4章
                  


      『一人の長老がヨハネに言った。
       「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、
        『七つの封印』開いて、その巻物を開くことができる。』 黙示録5章 


    『ヨハネが見ていると、
      子羊が『第七の封印』を開いたとき、
        天は七時間ほど沈黙に包まれた。
      さて、七つのラッパをもっといる七人の天使たちが、
        ラッパを吹く用意をした。
      さて、第七の天使がラッパを吹いた。
      

         死者の裁かれる時が来た。
      そして、天にある神の神殿が開かれて、
    その神殿の中にある『契約の箱』が見えた。』黙示録8&11章

      『主の僕、預言者、聖なる者、御名を畏れる者には、
          すべてのものに報いが与えられる。
          そして、天にある神殿が開かれて、
         『契約の箱』が見えるようになる。』黙示録11章

             『契約の箱』とは、
                 旧約においては、『十戒』が刻まれた石版を収めた『箱』でした。
                 新約になって、イエスの『聖体』を収めた『聖櫃』となりました。


        こうして、イスラエルの歴史が裁かれます。
     『イエスの再臨』、『最後の審判』、『天の国の完成』の時です。

        世々限りなくすべてを支配する神は、 
      地上のどのような天国の権力者よりはるかにすぐれ、
        すべてのものの上に立たれるのです。



     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     聖ヨハネに示された『黙示』を、嬉しく有難く読みました。
     正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日・金曜日から、4日後の火曜日まで、30度になるそうです。
朝夕の寒暖の差が大きいので、体調を崩さず、楽しい週末をお過ごしください。 お元気で!

『The Greats 美の巨匠たち』・・・『キリストの祝福』 そして 『幼児キリストを礼拝する聖母』

2022-09-22 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月22日。木曜日。曇り時々雨。


霧雨の降る午前中。

観てまいりました。

                『The Greats 美の巨匠たち』
 
 『スコットランド国立美術館』・・・                    於:神戸市立博物館

    会場入り口の巨大な『スコットランド国立美術館』の写真が、壮大な『美への旅』を期待させます。


私は真っ正面に向き合って・・・

           『キリストの祝福(「救世主」)』
     
                          エル・グレコ 1600年頃

 
        右手を掲げて、『祝福』のポーズをとり、
        『世界』を表す水晶の球体の上に左手をおくキリストの『半身像』。
          『救世主としてのキリスト』と呼ばれる図像 です。


            穏やかで知的な『キリスト様の御姿』


        正面性の強い人物表現は、
        故郷クレタ島で学んだ
        ビサンティンのイコンの伝統が認められるそうです。


        キリスト様の目が、
        真正面に向き合って立つ私の目を離されない。
        私はキリスト様と目と目を合わせながら、
        キリスト様から『祝福』をいただきました。
        三回も戻って、三回の『祝福』をいただきました。
                   感謝!感謝!


エル・グレコ

1541年10月~1614年4月7日
ギリシャ・クレタ島で生まれたグレコは、
19歳~25歳頃。イタリア・ヴェネツィアに渡り、
ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノに師事した。
29歳。イタリア・ローマに移り、
工房を開き一連の作品を製作した。
37歳。スペインのトレドに移り、73歳の最期までそこに永住しました。

既存の会派には属さない非常に個性的な芸術家で、
劇的な構図の『宗教画』の大家です。
画家であると同時に彫刻家、建築家としても活躍しました。



もう一つ。
私は真っ正面に向き合って・・・

          『幼児キリストを礼拝する聖母』
    
                  アンドレア・デルヴェロッキオ 1470年頃


          幼児キリストに礼拝をささげる聖母マリア様。
          背景の壮大な遺跡は、
           おそらく古代ローマの神殿を表わし、
          古い宗教に対するキリスト教の勝利を象徴しています。
       

           穏やかで知的な『祈りの聖母マリア様の御姿』


         幼子、キリスト様の目が、
         母マリア様を見つめておられます。
         真正面に母を見つめる幼いキリスト様は、
         キリスト様を礼拝するマリア様を『祝福』なさっている。
           私はそう思いました。私はそう観ました。


         私も、
         幼いキリスト様を心の中で礼拝しながら、
         幼児キリスト様から『祝福』をいただきました。
         三回も戻って、三回の『祝福』をいただきました。
                   感謝!感謝!


アンドレア・デル・ヴェロッキオ
   
1435年頃- 1488年53歳6月30日
イタリアのルネサンス期の画家、彫刻家、建築家、鋳造家、金細工師。
その弟子たちには、
レオナルド・ダ・ヴィンチのほか、
ロレンツォ・ディ・クレーディ、ペルジーノ、ボッティチェリ、等、
次世代の錚々たる名前が並びます。

     
     スコットランド国立美術館は、
     上質で幅広い、世界でも指折りの西洋絵画コレクションを有する美の殿堂です。
     1859年・昭和34年の開館以来
     購入や地元名士たちの寄贈や寄託などによってコレクションの拡充を続け、
     世界最高峰の美術館の一つとなりました。
     上質で幅広い、世界でも指折りの西洋絵画コレクションを有する美の殿堂です。


     今日は、そのようなスコットランドが誇る至宝の中から、
     ラファエロ、エル・グレコ、ベラスケス、レンブラント、ブーシェ、スーラ、ルノワールなど、
     ルネサンス期から19世紀後半までの西洋絵画史を彩る巨匠たちの作品を
              堪能いたしました。 
     さらに、イングランド出身のゲインズバラ、レノルズ、ターナー、ミレイ、
     日本ではなかなか見ることのできない
     レイバーン、ラムジー、グラントなど。
              約90点堪能いたしました。


             正に、『THE GREATS』
          美術史に輝く巨匠たちの競演を楽しみました。
                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、美術館訪問がお好きですか?
『楽しみ』にはいろいろあります。
私は『美術館訪問』が好きです。
齢を重ね・・・
若い時にはわからなかったいろいろのことが、齢をとると見えてくる。
それがなんともいえず楽しいのです。
美術館訪問を続けていたことの意味が、この齢になってわかるのです。
皆様も『楽しみ』を続けて、楽しい時間をお過ごしください。 お元気で!

『泣く時、笑う時』・・・『共に佇む』 そして 『聖マタイ使徒福音記者 祝日』・・・『「わたしに従いなさい」マタイは立ち上がってイエスに従った。』

2022-09-21 13:58:33 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月21日。水曜日。曇り。

2022年度『台風14号』
14日(水)午前3時に小笠原近海で発生。
18日(日)午後7時頃に鹿児島市付近に上陸。
19日(月)九州を縦断したあと、本州の日本海側を進み、
20日(火)には東北を通過して、
20日午前9時に日本の東で温帯低気圧に変わりました。

1週間続いた、全国を巻き込んだ、
『大型台風』でした。

被害に遭われた皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を
心よりお祈り申し上げます。


    
                             ネットより拝借
            台風の中でも『元気な秋の花』
              なぐさめられます。

  昨日は、私の在所では雨もやみ、
  友人のお見舞いに行ってきました。

       人は皆、
       順境の時もあれば、逆境の時もあります。
       喜びの時もあれば、悲しみの時もある。
       元気な時もあれば、病気の時もあります。
       笑う時もあれば、泣く時もあります。


  思い出すのは『聖書の言葉』です。

      『何事にも時があり、
       天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

        生まれる時、死ぬ時
        植える時、植えたものを抜く時
        殺す時、癒す時
        破壊する時、建てる時
        泣く時、笑う時
        嘆く時、踊る時
        石を放つ時、石を集める時
        抱擁の時、抱擁を遠ざける時
        求める時、失う時
        保つ時、放つ時
        裂く時、縫う時
        黙する時、語る時
        愛する時、憎む時
        戦いの時、平和の時。』
        コへレトの言葉 第 3 章1-8節


      昨日は、友人と手を握り合って、別れました。
       その帰路に私が詠んだ『俳句』です。
 
       『病む友と 為す術もなく 共に佇む』

    友人の一日も早い回復を、心よりお祈り申し上げる私です。


そして。

今日は9月21日。年間第二十五水曜日。

    『聖マタイ使徒福音記者 祝日』
   
   『聖マタイの召命』  カラヴァッジオ作品

 マタイは、カファルナウムにまれ、
 イエスに招かれた時はユダヤの徴税人マタイ10-3として働いていました。

   ある日、収税所の前を通られたイエスから
   「わたしに従いなさい」と声をかけられてイエスに従いマタイ9ー9
       12使徒の一人となった。

 当時のユダヤ社会で使われていたヘブライ語(アラマイ語)福音書を書き記した。
   東方で福音を宣教し、エチオピアで殉教したと伝えられている。
         『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『イエスはおおせられた
    「あなたたちは諸国に弟子をつくりに行き、
    父と子と聖霊とのみ名によって洗礼を授け、
  私があなたたちに命じたとこをすべて守るように教えよ。」』
       マタイによる福音書 28章19-20節

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
    栄光を受けた使徒の群れもあなたをたたえて歌う。』
        典礼聖歌 277番 聖マタイ  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは通りがかりに、
   マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
      「わたしに従いなさい」と言われた。
     

      彼は立ち上がってイエスに従った。

   イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
      徴税人や罪人も大勢やって来て、
      イエスや弟子たちと同席していた。
     
      ファリサイ派の人々はこれを見て、
        弟子たちに、
  「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
                       と言った。

      イエスはこれを聞いて言われた。
          「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。

        『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
                  ホセア書6章6節
                  とはどういう意味か、行って学びなさい。

            わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
                          罪人を招くためである。」
        マタイによる福音書 9書9-13節


   今日のイエス様は、
   世間では罪人の仕事であるとする徴税人の一人・マタイを弟子になさいました。
   その後、マタイの家で食事をしておられた時に、
   『わたしは、罪を赦し救うために、この世に来た。』
     と、ファリサイ派の人々の疑問に、答えました。


         マタイは徴税人で、罪人と考えられていました。
    ※人は、そんなマタイはイエスから呼ばれる資格はない、と考えるのです。
    ※イエスは、すべての人は神の似姿創世記1-26すべての人に価値がある。
        すべての人が『神の愛』を受ける資格がある。
        マタイも、人には必ず善と悪の両面があり、『神の愛』を受ける資格がある。
              と考えるのです。
    ※イエスは、友情の印で、マタイの招きに応えて、一緒に食事をしました。


       人は、イエスの友情を経験すると、悔い改めが出来ました。
        マタイも、実は、イエスの『声かけ』に友情を感じて、
       初めて、自分の罪深さの悔い改め、が出来たのかもしれません。
        それは、マタイの『喜びの時』、『生まれ変わる時』。
         マタイは、どんなに嬉しかったことでしょう♡♡
         マタイは、立ち上がってイエスに従ったのです♡♡
       人は、自分の力を信じ、人の助けを必要と考えない人は、
          誰の赦しも救いをも、求めることなく、   
          必要性をも感じないのかもしれません。


    初代教会の時代も、今の時代も、
    教会の日曜日の礼拝で、『神の御言葉』を聞くとき、
    イエスがそこにおられ、赦してくださること、を感じるのです。
    マタイのように自分にはその資格がないと思っても、
    イエスに呼ばれ、イエスの憐れみを受け、赦されるのです。


    私たち・キリスト者も、
    神に呼ばれ、神の慈悲によって赦しを受けた者です。
    赦された者として、イエスに倣って、人を大切にするのです。
    特に、困っている人や弱い人を大切にできますように。
    友情を示すことが出来ますように。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人には、泣く時、笑う時。嘆く時、踊る時。戦いの時、平和の時。
思いがけない時、想定外の時、が必ず訪れます。
どんなときにも、皆で声かけあって、『時』を乗り越えましょう。 お元気で!   

司祭の祝福・・・『敬老の日』 そして 『あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

2022-09-18 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月18日。日曜日。曇り。


明日は、
『敬老の日』、祝日です。

今日は、
日曜日で主日。教会に集まる日でした。

そこで、
教会で、
       一日早い・・・  『敬老の日』
  
  主日・今日の祭壇前の   『祝い花』

      コロナ禍のため、教会での『敬老祝賀会』、3回目の取りやめです。


           今日は、敬老対象者の皆様は、
           祭壇前に集合することもなく、
            祈りの席に座ったままで、
        今日のミサ司式司祭様から『祝福』をいただきました。


   私も心から祈ります。
   
            『天地の造り主、主イエスの父なる神様、
          今日まで、一人一人の人生を導き、祝福し給うた事を
                 感謝いたします。
          また、一人一人の人生において、幾多の困難を乗り越え、
            頑張ってきましたそれぞれの「人生」を
                 祝福してください。

          これからも、高齢であるがゆえの「喜び」と同時に、
          高齢であるがゆえに向きあうべき「困難」が多くあります。

               神様の霊に満たされて慰めを受け、
            信仰と希望に支えられて「忍耐」の模範となり、
            あなたの「愛」の喜びを表すことが出来ますように、
                 お導きください。』



         今日は、ミサの中で、敬老者のために全員で心で祈る、
           静かな、心にしみる『敬老の祝会』でした。
          
          敬老の皆様のお幸せを心よりお祈り申し上げます。



そして。

今日は9月18日。年間第二十五主日。

『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
    「わたしは民の救い。
   苦しみの中から叫ぶ民の願いを聞き入れ、とこしえに彼らを治める。』

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『イエス・キリストは富かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。
   それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになりためだったのです。』
          コリントの信徒への手紙 8章9節     アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    

   ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。
   ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

    だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、
   だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
    また、他人のものについて忠実でなければ、
    だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。

    どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。
  一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、
                  どちらかである。

    あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」』
           ルカによる福音書 16章10-13節


    今日のイエス様は、
    自分に与えられたものが、たとえ『ちいさなもの』でも、
    それを忠実に使い、
    周りの人々の生活を豊かにするために使わなければならない。
    そうすれば、
    神様は、あなた方を信頼して、更なる『大きなもの』をお与えになる。
        と、弟子たちに話します。


       『不正にまみれた富』とは、
        不正な手段で得た富ではなく、
        『この世の富』:『金や財産』
        という意味での、イエス様の『言葉』です。


      私たちは、
      働いて金を得ます。そして生活のために使います。
      しかし『金』は、神様の『恵み』でもあります。
      それを自分のためにだけ使うのでは、
      『富』に仕える者、となってしまう危険性があります。
      一方、
      それを自分の周りの人たちの幸せのためにも使うときは、
      『神』に仕える者となれるのでしょう。



   私たちは、
   『不正にまみれた富』を有難く使わせていただきながら・・・
      『富』は神様からの預かりもの、
      『富』は神様から人に任されたもの、
   その使い方において、神様に喜ばれ、神様に信頼されますように、
      『神に仕える者』になりましょう。
        祈りましょう。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は『敬老の日』です。
コロナ禍で一緒に集まることが出来ないご両親様や御祖父母様に、
優しい言葉をかけて、感謝を申し上げましょう。  お元気で!


聖書100週間・聖書通読会・・・『ヨハネの手紙』・・・『わたしたちに現れた永遠の命、イエス・キリストこそ真実の神です。』

2022-09-16 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月16日。金曜日。晴れ。


今日は、
金曜日
聖書100週間・聖書通読会です。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
  
  
     7月22日が、夏休み前の、聖書100週間の最終クラスでした。


       それからは、灼熱の猛暑の夏休みでした。
      猛暑とコロナ禍の真っただ中の、夏休みでした。


      そして。
      9月16日の今日は、丸二か月の夏休み明けの、
        聖書100週間最初のクラスです。


    仲間と、猛暑の二か月の♡『夏休み』♡の分かち合いをしました。
    ♡ドイツに11日間の『巡礼旅行』に行ったのは、仲間の最高齢の82歳の婦人でした。
    ♡”この夏には!” と初めての『登山』に挑戦したのは、仲間の一番若い婦人でした。
    ♡『美術館』巡りをなさったのは、絵画を長年の趣味としておられる三人の仲間です。
       ♡それぞれに素敵な夏休みを過ごした仲間たち全員でした♡
           

          仲間全員が元気な姿で再会でした。
           『勉学の秋』の始まりです。
              感謝!感謝!


そして。

   今日の通読範囲は、『ヨハネの手紙一・二・三』です。
      
       『ヨハネの手紙』の著者
         『聖ヨハネ』
    
    『福音記者ヨハネ』 エル・グレコ画

聖ヨハネはどんなお方でしょう?
検証してまいりましょう。


      『イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いているとき、
       ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネが、
      船の中で網の手入れをしているのをご覧になると、
         すぐに彼らをお呼びになりました。
       
       この二人は父ゼベダイを雇人たちと一緒に船に残して、
         イエスの後について行った。』
         マルコによる福音書 1章16-20節

       ガリラヤ湖畔で、父ゼベダイは漁業を営んでおり、雇人を持つ裕福の家であり、
                 母サロメは、後にイエスに仕えるようになりました。
        イエスについて行った時のヨハネは、18歳だったといわれます。

      ヨハネは、兄弟ヤコブとともに『雷の子』と呼ばれる、
         その性格は激しい二人だったようです。
       
         ヨハネは、イエスの12人の弟子の一人で、
      ペトロ、ヤコブとともに、3人の『イエスの側近』の一人であり、
         重大な時期にはイエスと共にありました。

      イエスの『磔刑』の時には、
      聖母マリアと数人の女性と共に、十字架のもとに佇みました。
      イエスの『昇天』後は、
      ペトロに次ぐ重要な位置を占めて、ペトロと一緒に活動しました。
    
   
  『ヨハネの手紙』は、
   西暦80~90年頃、イエスの死後50~60年頃、ヨハネが70~80歳頃、
   ヨハネは長老として、
   信徒たちが『イエス・キリスト』を正しく判断し、『落ち着いた生活』ができるように、
     小アジア地方の教会宛に書かれた手紙です。


      ◎『正しい教え』は何であるか。
      ◎キリスト者としての『正しい生き方』はどうあるべきか。
             それをどのように見分けるか。


   ◎神は『光』であり1章5節『真理』である。
      神は預言者を通して、更に御子イエスを通して、御自分を掲示し、
      『神の命』に私たち人間を参与させようと招いておられる。
   ◎神は、慈悲深く、憐れみそのものである。
      御子・イエス・キリストにおいて、私たち人間の罪や過ちを清め、
      人間を『神の子』の身分まで高めてくださる。
   ◎神は『愛』そのものである。4章8節
      神のあふれる『命と喜び』を、無償で、私たち人間に与えようとなさるのです。


   ◎キリスト者は、自分が正しい伝統的な教えに留まっているかを
      見分けることが出来ます。
       ①神からの『恵み』による『平和』が与えられ、
        喜びに満ちた生活を送ることが出来ている。か否か。4章18-19節
       ②兄弟を、実際に兄弟としてし、兄弟の交わりを保ち、
        ゆるしあっている。か否か。4章20-21節
 

      聖ヨハネは、
      『ヨハネの手紙』で、『神に近づく道』を示されたのです。
        手紙の最後に、締めくくりの『言葉』を書きます。

       『神の子を信じているあなた方に、これらのことを書き送くるのは、
          永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
            神の御子イエス・キリストこそ、
             真実の神、永遠の命です。』
             ヨハネの手紙三 5章13-20節


     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     2000年ほど前に書かれた『ヨハネの手紙』を、嬉しく有難く読みました。
        正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日・土曜日から『敬老の日』月曜日まで、三連休です。
大型台風接近で要注意の三連休のようです。お気を付け下さい。
御両親様や御祖父母様にお電話などして、喜ばせてあげたいですね。 お元気で!

『悲しみの聖母 記念日』・・・『あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。』

2022-09-15 17:23:53 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月15日。年間第二十四木曜日。


       悲しみの聖母 記念日』 
             
                  『悲しみの聖母』
      十字架の足元で七つの剣に胸を刺されている聖母

     『十字架称賛 祝日』の翌日にあたる今日、
      教会は、マリアがイエスの受難のとき、
       十字架のもとにたたずんで、
    母として苦しみをともにしたことを思い出している。

           1814年。この記念日がローマ教会歴に取り入れられた。
        『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

      シメオンは幼子の父と母を祝福し、
        母親のマリアに言った。
       
       『神殿のシメオン』   レンブラント作品

     「御覧なさい。
     この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたり
                    するためにと定められ、
       また、反対を受けるしるしとして定められている。

       
         『ピエタ』  ミケランジェロ作品

        あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」』
            ルカによる福音書 2章34-35節
   

    イエスが生まれてから40日の後、
    ヨセフとマリアは幼子イエスを神殿に連れて行きました。
       最初に生まれた子供は主に献げるという
      『モーセの律法』に定められた儀式のためでした。
    その神殿で、両親ヨセフとマリアは、
    シメオンという敬虔な老人と女預言者アンナに出会い、
    『幼子は異邦人を照らす掲示の光、イスラエルの民の誉れです。』
          と、シメオンから聞かされます。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『しあわせな方マリア、
   あなたは主の十字架のもとで共に苦しみ、殉教の勝利を得られた。』
            典礼聖歌 273番       アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスの十字架のそばには、
      その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア
         とが立っていた。

       イエスは、
       とそのそばにいる愛する弟子とを見て、
          
                           『キリストの磔刑』 ジョバンニ・べッリー作品
       
       母に、
       「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」
                   と言われた。

       それから弟子に言われた。
         「見なさい。あなたの母です。」

       そのときから、
       この弟子は
       
       『ヨハネの家』マリアの生涯をヨハネは共に過ごしました。

         イエスの母を自分の家に引き取った。 』
           ヨハネによる福音書 19章25-27節


    十字架上のイエス様は、最後に、
    母マリアに、「あなたの子」と言ってヨハネを示し、
    弟子ヨハネには、「あなたの母」と言ってマリア様を託しました。


       十字架のもとまでついてきたのは、
       イエスの母マリアと、イエスや弟子たちの世話をした婦人たち、
       そして、12人の弟子の中の『イエスの愛した弟子』・ヨハネでした。


    マリア様は、
    ※イエスの『奉献式』の時に、神殿で、
     イエスのために、嬉しいことも、悲しいこともあるでしょう。
     又、イエスのために『あなた自身も剣で心を刺し貫かれます』
       と、シメオンから言われました。
    そして、
    ※イエスの『磔刑』の時には、十字架上から、
     イエス様からマリア様と共に弟子のヨハネに声をかけていただき、
     同じ信仰によって、イエスの愛した弟子ヨハネと、
        新しい『関わり』が出来ました。


        マリア様は、
        母として、嬉しいことも、悲しいこともありました。
        最後には、十字架のもとにまでイエスについていって、
        イエスを信じる姿と、イエスを信頼する姿を、
                  我が子・イエスに見せました。


        マリア様は、
        イエス様を産んだ『母』であると同時に、
        イエスを信じるすべての人の『母』となり、
        キリスト者の信仰の『模範』、となっておられるのです。


 
    私たちキリスト者は皆、
    イエスの”愛する弟子”の一人として、
        聖母マリア様を自分の家に迎えましょう。
        
        マリア様と弟子ヨハネが過ごした『ヨハネの家』 今は巡礼地です。

        イエスへの信仰を、
        我が主・イエスに見ていただきましょう。
            祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分の母親に、そして我が子の母親であることに、感謝でいっぱいです。
母は、我が子の喜びの時も悲しみの時も、
『マリア様の模範』に倣って、ぶれることのない母親でいたいものですね。 お元気で!