マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

主の祈りと天使祝詞を各10回・・・『お百度参り』 そして 『これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。』

2020-08-11 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
8月11日。火曜日。晴れ。

神戸・私地方で34度。真夏日。
東京・娘地方では44度の猛暑日を記録、
温度計の証拠写真が送られてきました。

少しでも涼しい朝のうちに
『仕事』を終えなくては・・・。

     
       早朝仕事・・・    『お百度参り』
 

   『祈り』とは、
   心の呼吸とか、神との対話、人間に与えられた最も美しい特権である と言われています。
   『祈りの心』というのは、
   正しく解釈すれば『人間の心』と同意語であるはずです。  
   祈らないというのは死んだのと同然です。
      カトリック祈祷書『祈りの友』より  


私の母は、
私の高熱が下がり、命が助かることを願って
朝のお寺で、裸足で、一回で『100往復』
『お百度参り』をしてくれました。
私は、無事に回復しました。

ヘミングウエイは、 
巨大な魚との格闘の折に、大海原の中、一人で、

『この魚を捕まえるためなら、 唱えたっていい。』 と、
主の祈りを十回に、アベ・マリアを十回、 を唱えました。
大魚を、無事に捕まえることができました。

      
       私は、
       大切な人から、『祈願が成就するように祈ってほしい』 との依頼を受けました。
       大切な人の『依頼』を受けて・・・
          祈らないわけにはいきません。
        祈るのは、義務感ではなく、生きている証拠なのです。


          朝ジョグの途中の『小山』で、毎朝、
          大切な人の『祈願成就』を願って、
      主の祈りを十回に、アベ・マリアを十回、 唱える私です。
                        感謝!感謝!



そして。

今日は8月11日。年間第十九火曜日。

『今日の入祭唱』

   『若者よ、 おとめよ、 老人よ、 幼子よ、 主の名を賛美せよ。
      主の御名はひとり高く、 栄光は天地に満ちている。』

          詩編 148章12&13節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『イエスは一人の子供を呼び寄せ、 彼ら(弟子たち)の中に立たせて、 言われた。
 

「はっきり言っておく。
   これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。

あなたがたはどう思うか。
          ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、
        九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。


はっきり言っておくが、
            もし、それを見つけたら、
  
        迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。

そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」』
               マタイ福音書 18章10&12-14節


  『99匹の羊』は、
   神様を信頼しきっていて、どんなことがあっても神様から離れることのない人たちです。
     神様も、その人たちの『信仰』に安心しておられることでしょう。
  『1匹の羊』は、
   神様を信頼したいのですが、人生の荒波に出会うと、神様への信頼を失い、神から離れていく人です。
     神様は、改心をいつも呼びかけながら、『離れていった羊』 を探しておいでなのです。


     皆様は、 『99匹の羊』の『正しい羊』ですか?  『1匹の羊』の『罪人』ですか?
         私は、 一人では改心のできない、 『失われた羊』です。
       私は、 神様に見捨てられることはないと信じていても、 『薄い信仰者』です。

      神様は、私たちが少しでも悔い改めるなら、大喜びしてくださるお方です。
           神様は、すべての人の救いを望んでおられるお方です。

      私達は、 生活では愛が足りない、 神様には信頼が足りない、
           そんな 『薄い信仰者』 であることを認めて、
         私達のありのままを愛してくださる神様を、深く信じましょう。
 99匹の羊を置いておき、1匹の『迷える私』を探し続けてくださる神様を、 深く信頼いたしましょう。


今日も。
イエス様は、弟子たちに、教え、導き、教育をなさいます。
      決して、 『小さな子供』 を軽んじることのないように、
      決して、 『薄い信仰者』 を見捨てることのないように、
   神がすべての人を愛しているように、 あなた方もすべての人を愛しなさい。
神がすべての人の救いをお望みなので、 あなた方もすべての人の救いのために働きなさい。
 
                       ・・・と、教えました。
       


『今日の祈願』
 
   『信じる者の光である神よ、
 わたしたちが、いつもあなたの愛に満たされて歩むことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みが来ました。ウイズコロナで、『新しい夏休み』が見つかるといいですね。
家の中での楽しみを見つけましたか? それは何でしょう? お元気で!
コメント

『アンネのバラの教会』・・・『アンネ・フランク資料館』 そして 『耳のある者は聞きなさい。世の終わりに、不法を行う者どもと正しい人々は分けられる。』

2020-07-28 18:07:04 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月28日。火曜日。曇り。

 外出自粛期間ですが・・・
   いつの日か
  お訪ねください。
 

     お近くにお出での節に・・・   『アンネのバラの教会』
 

               世界の恒久平和を願って・・・

  世界記憶遺産:『アンネの日記』の著者アンネ・フランクを記念する世界初の教会です。
      アンネの父・オットー氏との親交から創設されたユニークな教会。


     教会に併設された・・・      『アンネ・フランク資料館』
  
              『アンネ・フランク ブロンズ像』


アンネの父オットー氏から託された『アンネのバラ』をはじめ、世界的に貴重な遺品や資料
         が所蔵されています。
           アンネの生涯 や ホロコーストを通じて、
     世界共通の願いである『平和』をつくり出す学びの場となっています。

          資料館公開日は土曜日。 ガイドは午後の1時と3時。
        西宮(0798-74-5911)にお出での節は是非お立ち寄りください。



『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』
  8月6日(木)午前8時~8時50分
広島県広島市に原爆が投下されて以来75年目の今年の8月6日。


        皆様で 『世界の恒久平和』 をともにお祈りいたしましょう。  

     

そして。

今日は7月28日。年間第十七火曜日。

『今日の入祭唱』

  『神よ、あなたの御言葉は、 わたしの道の光、 わたしの歩みを照らす灯。』
            詩編 119章105節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


      今日、イエスは、
  『最後の審判・公審判』 について話されます。
又、 『最後の審判』をテーマにした芸術作品をお楽しみください。



    『そのとき、  イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。
        すると、 弟子たちがそばに寄って来て、

         「畑の毒麦のたとえを説明してください」  と言った。
 
 イエスはお答えになった。

 「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
               毒麦を蒔いた敵は悪魔、
              刈り入れは世の終わりのことで、
              刈り入れる者は天使たちである。

          だから、 毒麦が集められて火で焼かれるように、  
                 世の終わりにもそうなるのだ。

 
             『最後の審判』     ミケランジェロ作品 バチカン・システィーナ礼拝堂 


人の子は天使たちを遣わし、
つまずきとなるものすべて と 不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、
          燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。
 

           『公審判』       ハンス・メムリンク作品 ウィーン美術アカデミー付属美術館  

          彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

そのとき、
      正しい人々は その父の国で 太陽のように輝く。

       『公審判』        フラ・アンジェリコ 作品 フィレンツェ。サン・マルコ美術館

        耳のある者は聞きなさい。」』
          マタイ福音書 13章36-43節


          世の終わりの 『最後の審判』 

   まずは。   「正しい者も正しくない者」も、 すべての『死者の復活』が、
               『最後の審判』 の前に行われます。

   その時。       キリストは栄光のうちに来臨し、
           すべての国の『復活した民』 がその前に集められるのです。

   次に。     悪に対する善の 『決定的勝利』 を実現されるのです。
             『最後の審判』 が行われるのです。


  最後の審判の席で・・・

           イエスは、 人の隣人に対する態度が、
  神の恵みと愛とを拒否したか、あるいは受け入れたか、 を明らかにされるはずです。

          イエスは、 次のように言われるのです。
     『わたしの兄弟である子のもっとも小さい者の一人にしたのは、
         わたしにしてくれたことなのである。』
 マタイ福音書25章40節


   この世で。  この『善と悪』とは、 畑の中の『良い麦 と 毒麦』のように、
             歴史の中で、 ともに育っているのです。         

   世の終わり。  『世の終わり』に、 『神の国』が完成するのです。

                  以上。『カトリック教会のカテキズム』より。

 私たちは、
 死を迎えるその時まで、回心を重ねながら、決して諦めずに、『良い麦』に育っていきましょう。
       お人の幸せのために、尽力いたしましょう。
 私たちの行いで、 お人が『神の愛』を知ることができるように、 祈りましょう。




『今日の祈願』

  『いつくしみ深い父よ、
       あなたはわたしたちを選び、光の子として下さいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、いつも真理の光のうちに歩むことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
毎年8月になると巡り来る『広島平和祈念日』です。
忘れることなく『世界の恒久平和』を祈りましょう。 お元気で!
コメント

友の洗礼 そして ソロモン・・・『聞き分ける知恵』 パウロ・・・『復活されたイエス・キリスト』 イエス・・・『信仰』

2020-07-26 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月26日。日曜日。雨。

全国的に大雨が続く様子です。
十分に用心するようにとの
天気予報です。

コロナウイルス感染者も、
午後4時現在で346人です。
十分に用心するようにとの
ラジオのニュースでした。

    そんな中。

          今日のいい話・・・   『友人の洗礼式』
      
           8月15日:『聖母被昇天祭日』に洗礼を受ける友人。
         今日、洗礼式でかぶるベール、を友人と私で探してきました。
            当日まで私がお預かりです。 ぽぽちゃんがかぶってみました。

        「まだまだ学びたいことがいっぱいあるのに、洗礼になりました。
            洗礼後に、新たな学びができるのが楽しみです。」


            今日の打ち合わせでの、友人の「言葉」でした。
        なんて、新鮮で、美しい、そして謙遜な、 「言葉」なのでしょう!

           『新しく生まれる洗礼式』・・・今日のいい話でした。
                           感謝!感謝!


そして。

今日は7月26日。年間第十七主日。

私は、今日は一ヶ月ぶりのミサの参加でした。
  嬉しくなって・・・
『主日の典礼』の分かち合いを致します。 よろしくお願いいたします


『今日の入祭唱』

  『主は恵み深く憐みに富み、
   主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留めてくださる。』

           詩編 111章4&5節


      今日の三つの『聖書の言葉』は、
   お三人が語る、それぞれ、三つの、 『宝物』についてです。



まずは。

『今日の第一朗読 ソロモンの宝物』

     『その夜、 はギブオンで  ソロモンの夢枕に立ち、

             『主と話すソロモン』
      
        「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」   と言われた。

ソロモンは答えた。

    「わが神、主よ、 あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。
     しかし、 わたしは取るに足らない若者で、 どのようにふるまうべきかを知りません。
          僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、
      その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。

どうか、あなたの民を正しく裁き、 善と悪を判断することができるように、
       この僕に聞き分ける心をお与えください。


    そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」

主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
  神はこう言われた。
      「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、
             訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
     見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。
            あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」』

                列王記上 3章5&7-12節



紀元前973年。   ソロモンは、父ダビデ王から、イスラエル王国を受け継ぎます。

            ダビデ王は、人間の弱さによる過ちも多かったのですが、
            神に対する『単純な信仰』を失うことなく、神から評価されたのです。

            ソロモンは、王になった当初、神に『知恵』を求め、神に良しとされ、
            知恵に満たされた王として『正しい判断力』を持っていました。
紀元前950年。   ソロモンは、ダビデ王に代わって、エルサレムに『第一神殿』を建てました。
            神殿に『契約の箱』安置の時の、『ソロモンの祈り』は素晴らしい未来を預言したのです。
               『主よ、上は天、下は地のどこにもあなたに並ぶ神はありません。
                  いつか、異邦人も同じ神を拝むときが来る。』
列王記上8章参照


       神は、 ソロモンの『願い』を、 お喜びになったのです。
                ソロモンのように、
           『自利』ではなく、 『他利』を求める人、
               真心から、主に、『他利』を祈り求める人を、
             神は、必ず、祝福なさるのです。


     『他利』こそが、 『情けは人の為ならず』、 自分の『宝物』になるのです。


次に。

『今日の第二朗読 使徒パウロの宝物』

   『皆さん、神を愛する者たち、 つまり、御計画に従って召された者たちには、
    万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

        神は前もって知っておられた者たちを、
     御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。


  それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。

          『復活されたイエス・キリスト』

       神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、
           召し出した者たちをとし、
      義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。』

         ローマの信徒への手紙 8章28-30節福音朗読


     パウロは、 『宝物』=『福音』=『復活されたキリスト』  を伝えます。
      
私たちは、洗礼によってキリストと結ばれて、罪と死の支配から解放されて、『義人』とされ、
               『聖霊の宿る神の子』 となるのです。
             『神の長子』であるキリストと『兄弟』になり、
       栄光のキリストと共に、『神の遺産』=『永遠の命』を受け継ぐのです。


      私たちは、ソロモン王の預言どおり、『異邦人も同じ神を拝むときが来る』と、
           『福音』=『宝物』 を手に入れたのです。


最後は。

『今日の福音 イエスの御言葉』
   
   『そのとき、イエスは人々に言われた。

            「天の国は次のようにたとえられる。 
               畑に宝が隠されている。

  
          見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、
            持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

           また、天の国は次のようにたとえられる。
              商人が良い真珠を探している。


    高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」』
               マタイ福音書 13章44-46節


その昔。   
ユダヤ人の習慣があったそうです。



      ユダヤ人は、持っている『宝』を、強盗から守るために、
      一番安全な方法として、自分の『畑』に隠したそうです。
      ユダヤ人に雇われた人が、畑を耕し、『宝』を見つけます。
      雇われ人は、『宝』を得るために、『畑』全部を買わなければならなかったそうです。
      『宝』を見つけた人は、『畑』を得るために、持っているものを、全部売り払うそうです。

   
      イエス様は、『神の国』は、『畑の中の宝』に似ている、 とおっしゃるのです。
            『神の国』は『神の救い』です。
     

    『神の救い』は、畑の中に隠れているように、見つけにくいものであります。
        『神の救い』は『神の人類への愛』です。

      神から『愛』されていると信じる『信仰』は、 私たちの『宝物』です。
          『信仰』は見つけにくいものであります。
    幸いに『信仰』を見つけた私たちは、『宝物』である『信仰』を失わないために、
        私たちも持ち物を手放す必要があるときもあるでしょう。
             『殉教者』は、キリストに倣って、
        自分の『信仰』を守るために、 自分の『命』すら手放すのです。


     それでも、 『信仰』のある者は、 恐れる必要はないのです。
 『万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。』のですから。



『今日の祈願』

   『神よ、日常の生活の中で、まことの宝を見きわめる知恵をお与えください。  
   わたしたちが、あなたのことばにためらうことなく従う者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
続く雨模様、収束する兆しの見えないコロナ禍、の日々が続きます。
自粛生活の中でも、一日に楽しいこと一つ発見で・・・お元気で!
コメント

『信仰者の系図』 そして 『雅歌』・・・『わたしは恋い慕う人を見つけました。』 & 『聖マリア・マグダラ 祝日』・・・『わたしは主を見ました』

2020-07-22 14:06:10 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月22日。水曜日。晴れ。

 人には『家系図』があります。

     アブラハムから始まる・・・   『信仰者の系図』
 
      アブラハムの子孫は、
      ①イシュマエルに続き、アラブ民族となり、イスラム教が広がっていきました。
      ②イサクに続き、その子のヤコブの12人のうちユダの子がアブラハムから全部合わせて
           42代目のキリストに続き、キリスト教へと広がっていきました。

         家系を見ると、家系のアイデンティチーが明白になりますね。
         私たちキリスト者は、アブラハムのアイデンティチー、信仰を受け継ぐ者です。

       ちなみに、私の父方の家系は教育者、
       そのアイデンティチーは代々の子孫から我が娘に至るまで引き継がれて、学校の先生です。 環境ですね。




そして。

今日は7月22日。年間第十六水曜日。

今日も祖先の信仰を学びます。

      今日は、   『聖マリア(マグダラ) 祝日 』
        
            『十字架の下のマリア』   アリ・シェフェール作品 

         マグダラのマリアはキリストに従う人たちの一人。
         キリストが十字架上で亡くなられたときはそばに立ち、
       
       『十字架の下の聖母、聖ヨハネ、聖ジェローム、聖マリア・マグダラ』
          マリアは、イエスの遺体に塗るために『香油』を持っており、
           翌朝に墓を訪れた時に持っていることから『携香女』の称号も持つのです。


 イエスの磔刑後の三日目の朝早く、 復活したイエスに最初に出会った人です。 


エルサレム・ガリラヤ湖沿いの町・マグダラ
の裕福な家に生まれ、 幼くして両親を失う。
兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らした。

自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、
人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになった。
そのときに、 イエスと出会い、 悪霊からも解放され、
『真の愛』を知って回心し、 徹底して『信仰の道』を歩みました。

復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアにであり、
彼女が、他の弟子たちにイエスの復活を告げました。

イエスの復活後は、
使徒たちの宣教活動を助けて、
兄ラザロとともに南フランスに流され、
     洞窟の中で、

隠遁生活のうちに生涯を送ったといわれます。


『今日の入祭唱』

    『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、
 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。』

             ヨハネ福音書 20章17節


『今日の第一朗読 雅歌』


        《おとめの歌》
   『夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても、求めても、 見つかりません。
        起き出して町をめぐり、 通りや広場をめぐって、 
            恋い慕う人を求めよう。

        求めても、 あの人は見つかりません。
        わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
    
     「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」

      彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。』
              雅歌 3章1-4節


 紀元前5~3世紀。 

        『雅歌』は、 ソロモン王の詩もいくつか含まれて、
     色々の時代のいろいろな地方から詩が集められて、まとめられました。

         『雅歌』 は 『愛の詩』 です。

  『雅歌』は、男女の愛情の尊さを示しています。
男女の愛情は、 創造主なる神は人を男と女に創造され、 神に祝福されて美しいものである。
男女の愛情は、 二人を結ぶ絆であり、 時間をかけて育てていく努力が求められるのである。
愛し合う男女は、 互いに強制・束縛されることなく、 同等の立場にあり、平等である。

  同様に。

  『雅歌』 は 『神の愛の啓示』 です。
      神の愛は、 恋人同士の情熱的な愛で示され、 最も優れた『愛の神秘』です。
      『主なる神』 と 『選ばれたイスラエル』 との『愛の交流』をたたえる歌とされます。
         神は愛によってイスラエルを選び、イスラエルの不忠実には触れず、
              神とイスラエルの深いつながりを強調します。
        今も、 この『神の愛』に、 私たちが応えるように求められるのです。

   
  同時に。

  『雅歌』は、
       『キリストと教会』 又 『キリストとキリスト者』 との

           『愛の結びつき』をたたえる歌なのです。

         『教会』 は 『キリストの花嫁』 なのです。
キリストは、 教会(私)を愛し、 教会(私)の望みをすべて満たしてくださるのです。



そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


   週の初めの日、 朝早く、まだ暗いうちに、 マグダラのマリアは墓に行った。
         そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

  そこで、
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って
   彼らに告げた。
 「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
  そこで、
         ペトロともう一人の弟子は、外にで当て墓に行った。
           それから、この弟子たちは家に帰って行った。


       マリアは墓の外に立って泣いていた。
          泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、


      イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
        一人は頭の方に、 もう一人は足の方に座っていた。
     天使たちが、 「婦人よ、なぜ泣いているのか」 と言うと、
    マリアは言った。
             「わたしの主が取り去られました。
         どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」


             こう言いながら後ろを振り向くと、
        

            イエスの立っておられるのが見えた。
           しかし、それがイエスだとは分からなかった。


イエスは言われた。  「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
マリアは、園丁だと思って言った。
    「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。
          わたしが、あの方を引き取ります。」


       イエスが、 「マリア」 と言われると、
彼女は振り向いて、ヘブライ語で、 「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

イエスは言われた。
    「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。


    わたしの兄弟たちのところへ行って、 こう言いなさい。
        『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
     また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』
 と。」

          マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
       「わたしは主を見ました」 と告げ、
            また、主から言われたことを伝えた。』
               ヨハネ福音書 20章1-2&11-18節


   『雅歌』では、
    恋い慕う人を求め探す乙女は、町をめぐる夜警に出会い・・・

       「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
 と、夜警に言って、別れると、すぐに、『恋い慕う人』 が見つかりました。

 同じように。

   『福音』では、
    マグダラのマリアが、墓の中にいなくなったイエス様を捜し求めるときに、天使に出会い・・・
        「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
          どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

       と、言うと、すぐに、『恋い慕うイエス』 が後ろにいらしたのです。


       愛する乙女達の『望み』を、 神様はすべて満たしてくださるのです。
                           素敵な神様ですよね。


イエスの磔刑の後の主日が開けた後、
マグダラのマリアだけが
『まだ暗いうちに』墓に行きました。
   暗いうちで、まだ見えない・・・
それは、まだ、世には、
  『信仰の光』がなかったのです。

『イエスの復活』が分からないので、
イエスを探しに行ったのです。

『復活の信仰』ができるために
イエスを『生きている方』として迎えない限り、
  『本当の信仰』はできないのです。
イエスとの『直接の出会い』が必要なのです。


     復活のイエスは、マグダラのマリアを、個人的に、『信仰』へと導かれるのです。

        マリアは、天使から復活のメッセージを聞いても、
         イエスのお姿を見ても、分かりませんでした。

  復活のイエスは、マグダラのマリアを、個人的に、『マリアの名前』でお呼びになったのです。
        マリアは、初めて、イエスだと分かりました。
          イエスから呼ばれたことを認めて、『信仰』ができたのです。

    復活のイエスは、『信仰』を持つことができたマリアに、
          「わたしにすがりつくのはよしなさい。
        まだ父のもとへ上っていないのだから。」
 と言いました。

           マリアは、 今まではでイエスを見、でイエスを感じたのです。
       復活後は、そういうことにすがりつき、こだわっては、イエスを見失うのです。
           見えないイエスと、 個人的出会いを重ねて、 信仰を深めるのです。
           

   復活のイエスは、 マリアの『本当の信仰』が生まれたことが分かり・・
       復活の訪れを弟子たちに、『復活のイエス』を告げるために、遣わされたのです。


         マグダラのマリアは、 初期キリスト教父たちから、
       『使徒たちへの使徒』 と呼ばれ、今日に至っているのです。


          神様は、見えないお方です。
      イエス様も、復活して神の世界に入り、お姿が見えなくなりました。
  イエスは、その後、わたしたちと一緒におられるために、聖霊を送って下さいました。
      聖霊は、見えないお方ですが、私たちの中にいて、愛する力を与えて下さいます。



『今日の祈願』

        『わたしたちの父である神よ、
  マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。
  聖所の祈りと模範に支えられて、わたしたちも復活されたキリストをのべ伝え、
      その栄光を仰ぎ見ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から4連休です。コロナウイルス感染が再び広がる日本列島です。
くれぐれも自粛生活で、穏やかな連休でありますように。 お元気で!
コメント

座禅・・・『一寸坐れば 一寸の仏』・・・瞑想  そして 『善とは、正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むことである。』

2020-07-20 16:25:41 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月 20日 。月曜日。晴れたり曇ったり。 


 坐禅・参禅が拓く世界。

             『一寸坐れば  一寸の仏』
 

          『一寸』とは、 線香一本が燃え尽きる時間です。
        『一寸の時間・・・座禅をするだけで、 人は仏になれるのです。』
                  沈黙と静寂の座禅の時間です。


      深い坐禅ができれば、 天地と同根、万物と一体、 という境地にも至るのです。


NHK:『心の時代』

     7月19日放送・・・    『岐阜県美濃加茂市、禅の修行道場、正眼僧堂』
     
             『禅の知恵に学ぶ(3)』            以前にも見ました。再放送。

        私は、日曜日5時からの 『心の時代』 が大好きです。
           毎回、 さまざまの学びをします。

       今回は、正眼僧堂住職『山川宗玄僧侶』の話を聞きました。


              坐禅と共に行われる参禅では、
        雲水たちが師家から与えられる公案(問題)に取り組みます。
 
 
             常識では解けない難問に挑むことは、
       『自己の究明』 であると同時に 『人生の探究』 ともなります。


            座禅により、 を整えることで、
               『今の瞬間に集中する』
             それは 『瞑想』 を招くのです。


『座禅』で・・・
自分の回りに起こる出来事に左右されない、
又、自分の中に起こる雑念にも左右されない、
 そんな心の状態ができていきます。
不安や悩み、悲しみや苦しみから離れて、
 身も心も解放されていくのです。


すがすがしく生きるために・・・
『座禅の精神』を日常に取り入れるのはいかがですか?
  朝と夜に『一寸の時』を確保するのです。
朝30分早く起きて・・・お茶 聖句を読む 散歩 等 静かな時を作る。
夜も30分確保して・・・心を素にして 一日を振り返る。
        

            今回の学びは、 『瞑想』 でした。
       私の場合は、 『毎朝の日程』の『効用』  の再確認になりました。
                          感謝!感謝!


そして。

今日は7月20日。年間第十六月曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしは主を愛する。 
    主は嘆き祈る声を聞き、 わたしに耳を傾けてくださる。
       生涯、わたした主を呼ぼう。』

         詩編 116章1&2節

そして。

『今日の第一朗読 ミカの預言』

    『聞け、主の言われることを。  聞け、山々よ、主の告発を。

      「わが民よ。  わたしはお前に何をしたというのか。
         何をもってお前を疲れさせたのか。
            わたしに答えよ。



        わたしはお前をエジプトの国から導き上り、
              奴隷の家から贖った。
 
         『モーセとイスラエルの民のエジプト脱出:紀元前1250年

             また、モーセとアロンとミリアムを
               お前の前に遣わした。」


     何をもって、 わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。
       焼き尽くす献げ物として、当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
     わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。


  人よ、何がであり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。』

              ミカ書 6章1-4&6-8節  


イスラエルの民のエジプト脱出の529年後。
  紀元前721年。  

          アッシリアの攻撃により、 北イスラエル・サマリア 陥落。


        その時。 北イスラエルの祭司たちは、 南ユダに避難ました。
        ところが。
    アッシリア軍は、更に、 南ユダ・エルサレムに向かっても、 攻撃を開始しようとします。
        
 そんな時・・・

     預言者ミカは、 そのエルサレムに向かって、 社会の不正を敏感に捕らえて、
              『預言』して、 叫ぶのです。

    神の民は、 を重ねながら、 悔い改めようとしない。
    民が重ねる『罪』が、 『災い』を招くのである。
    支配階級の暴虐 と 司祭たちの堕落のために、
         エルサレムの神殿も、 北サマリア同様に、 破壊される日が来る。
    呼びかけを聞こうとしない民に、神は 『嘆き』 を訴えておられる。


         『わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。
         何をもってお前を疲れさせたのか。 わたしに答えよ。』
         『私が望むことは・・・
     正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。』



      これを契機に・・・ 南ユダのヒゼキア王は、『宗教改革』 に乗り出すのです。



『今日の祈願』

  『聖なる父よ、 あなたをいつも敬い、 愛する心をお与えください。
   あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で、今までよりは『ゆっくりする時間』が持ててたのは、良かったのでしょうか。
今週が穏やかな日々でありますように。 お元気で!
コメント

木々の剪定時期を学ぶ。 そして 『主の道は正しい。神に従う者はその道に歩む。』

2020-07-10 16:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月10日。金曜日。大雨のち小雨のち大雨と大風。

  午後4時。
 小雨になってきた。

        我が家の前は・・・    『市の緑道』

                 『剪定』 が始まった。

 小雨になった今夕、 突然に、 『剪定の音』 が響き始める。

     見に行くと・・・
       低木の剪定の働き人は、 若い女性でした。 勿論ベテランでしょう。
       我が家の2階よりも高い木々の剪定は、 ベテラン風の男性でした。
               ”美しくしてくださってありがとうございます。”
                感謝感謝で、頭を下げて失礼しました
         

           私は、 我が家の木々の『剪定時期』を、
           『専門家の時期』に合わせれば間違いはなかろうと、
      『市の木々の剪定時期』 に合わせています。 学んでいます。
    私も、 『剪定時期』到来で、 ベテランさんのように、がんばらなくちゃ!

          
            『雨の中の剪定仕事』
世の中の沢山の仕事は、 何一つ欠けても世の中は動かない、 どれも尊く、気高い。
 今日は、大雨の中での剪定仕事の皆様に、心からの感謝で、頭を下げました
                            感謝! 感謝!


そして。

今日は7月10日。年間第十四金曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。 全地よ、主に向かって歌え。
   国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』

          詩編 96章1&3節
                

そして。

        『今日の第一朗読   預言者ホセアの預言』
 

    ホセアは、  神と民の会話のようにして、
   熱烈な 『神の普遍の愛と赦し』 を宣言します。
 
 

          『主は言われる。
      「イスラエルよ、立ち帰れ、 あなたの神、主のもとへ。
         あなたは咎につまずき、 悪の中にいる。
         誓いの言葉を携え、 主に立ち帰って言え。」


       「すべての悪を取り去り  恵みをお与えください。
          この唇をもって誓ったことを果たします。
         アッシリアはわたしたちの救いではありません。
           わたしたちはもはや軍馬に乗りません。
     自分の手が造ったものを再びわたしたちの神とは呼びません。
       親を失った者はあなたにこそ憐れみを見いだします。」


 
      「わたしは背く彼らをいやし、 喜んで彼らを愛する。
       まことに、 わたしの怒りは彼らを離れ去った。



         のようにわたしはイスラエルに臨み、 
     彼はゆりのように花咲き、 レバノンの杉のように根を張る。
 
          『レバノン杉』    ノアの箱舟の建材となりました。


             その若枝は広がり
       オリーブのように美しく、 レバノンの杉のように香る。
 
            その陰に宿る人々は再び
          麦のように育ち、 ぶどうのように花咲く。
         彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。」

  
  「ああエフライム(わが民)
       なおも、わたしを偶像(他の神々)と比べるのか。
       彼の求めにこたえ、 彼を見守るのはわたしではないか。
       わたしは命に満ちた糸杉。  あなたは、わたしによって実を結ぶ。」

 
  「知恵ある者はこれらのことをわきまえよ。
    わきまえある者はそれを悟れ。


          主の道は正しい。
神に従う者はその道に歩み、 神に背く者はその道につまずく。』

               ホセア書 14章2-10節


            昨日に続き・・・今日も又。
        預言者ホセアは、 声高らかに、 『宣言』 します。

  イスラエルよ、 神に立ち返れ、 あなたの神、主のもとへ。
           ・・・神の赦しは、山よりも高く、海よりも深く、
                神は、背くイスラエルをいやし、喜んで彼らを愛する。
  イスラエルよ、 わたしの愛は、 露のようにイスラエルに臨む。
           ・・・イスラエルは、百合のように花咲き、レバノン杉のように根を張る。
  イスラエルよ、 わたしは、 命に満ちた糸杉である。
           ・・・あなたは、わたしによって実を結ぶ。
  イスラエルよ、 耳ある者は悟れ。 わきまえよ。
           ・・・主の道は正しく、神に従う者は『主の道』を歩む。


       私たちも、主に立ち返り、主の恵みを頂きましょう!


『今日の祈願』

  『すべてを治められる父よ、
    み旨に従って生きる人に、あなたは神の国の喜びを備えてくださいます。
  あなたからいただくすべてのものが、救いのみ業の完成に役立つものとなりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分の仕事は、必ずお人の喜びにつながるのだと誇りを持って、お励みください。 応援いたします。
皆様の明日からの週末が、穏やかでありますように。 お元気で!
コメント

草の生長に驚異! そして 『わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいで担ってくだされば、生き返るでしょう。』

2020-07-06 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月6日。月曜日。曇りのち大雨が降ったり止んだり。

早朝5時半。
いつものように歩き出す。

   
                        驚嘆!

         大きな公園一面に、 昨日は気づかなかったのに、 今朝は見事に育っていた。
             草の生長はこれほど早いものかと、驚嘆しました。


       ちょっと待てよ!
          人の成長も、気づかないだけで、このような早さなのかもしれない!
          人の人生も、おちおちしていられない、このような早さなのでしょう!

            こんなことを考える年になったということでしょう。
              年を重ね経験を積むと、回りが見えてくる。
              ”私だって同じよ。” と、笑っていられる。
                  人生を楽しまなくちゃね。
                
        な~んて、一日で育つ草に驚嘆しながら、考えた今朝のジョグ道でした。


そして。

今日は7月6日。年間第十四月曜日。

『今日の入祭唱』
  

     『感謝の歌をうたって主の門に進み、 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。
              感謝をささげ、御名をたたえよ。
        主は恵み深く、慈しみはとこしえに、主の真実は代々に及ぶ。』

               詩編  100章4&5節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   イエスは、 イエスを信じる者には、
   益々その信仰を深めてくださいます。

      

 『そのとき、イエスが話しておられると、
            ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。 

  
           「わたしの娘がたったいま死にました。
          でも、おいでになって手を置いてやってください。
             そうすれば、生き返るでしょう。」


    そこで、 イエスは立ち上がり、 彼について行かれた。 弟子たちも一緒だった。


すると、そこへ  十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、
             後ろからイエスの服の房に触れた。


            『イエスの服の房に触れる女』        ヴェロネーゼ作品

          「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」  と思ったからである。

イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。

          「娘よ、元気になりなさい。
             あなたの信仰があなたを救った。」

                 そのとき、彼女は治った。


イエスは指導者の家に行き、 笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、 言われた。

      「あちらへ行きなさい。 少女は死んだのではない。 眠っているのだ。」

人々はイエスをあざ笑った。

     群衆を外に出すと、 イエスは家の中に入り、  少女の手をお取りになった。

                すると、少女は起き上がった。

             このうわさはその地方一帯に広まった。』
               マタイ福音書 9章18-26節


                 驚嘆!

   娘が死んでしまった指導者は、
       イエスの所に行って、 言いました。
             『わたしの娘がたったいま死にました。
          でも、おいでになって手を置いてやってください。
             そうすれば、生き返るでしょう。』
  と、信じたのです。

もう一人。

   十二年間も治らない出血の病の女性は、
        イエスに近寄って、イエスの服の房に触れたのです。
          『この方の服に触れさえすれば治してもらえる。』  と、信じたのです。 


                更なる驚嘆!

  イエス様は、 二人に本当の信仰があるのを見て、 二人の望みを叶えられたのです。
        死んだ娘を生き返らせました。 12年間も患っていた出血病を治しました。

          イエスは、 『あなたの信仰があなたを救った。』 と言われるのです。
            
     イエスとの『個人的な接触』 と 『イエスの言葉』 によって『救い』が実現するのです。
        人の目には絶望的に見えることでも、イエスの目にはまだ希望があるのです。


                驚嘆は奇跡です!
              信仰は奇跡を呼び込むのです!


    私たちも、信仰を持って、イエスに近づきましょう!
           解決はないと思うようなことでも、神は助けてくださるのです。
              私たちの信仰を更に深かめてくださいます。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『私たちの救い主イエス・キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現わしてくださいました。』
         テモテへの手紙Ⅱ 1章10節                   アレルヤ、アレルヤ。
                


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大雨の大きな被害が続いています。心よりお見舞い申し上げます。
 続けてお気を付け下さい。 お元気で!                       
コメント

主日・・・聖書朗読奉仕者の『注意事項』 そして 『霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。』

2020-07-05 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月28日。日曜日。主日。曇り。

今日は主日。  
コロナウイルス対策が成されて・・・
我が教会は信徒総数1400人を超える教会ゆえに、
一つ:約350人づつ、4ブロックに分かれて、
信徒はミサに月一回あずかります。

今日は、私は信徒奉仕者として参加です。

         
         今日は・・・         『聖書朗読 奉仕』
         
                                        ネット上の写真拝借

                『年間第14主日 第二朗読』

          『朗読奉仕者は、 感謝の祭儀において固有の役割を持っている。
            この役割は朗読奉仕者自らがはたさなければならない。』

                 ローマミサ典礼書の総則99、194‐198参照

          私は、信徒奉仕者として、『聖書朗読』 と 『聖体奉仕』 を担当しています。
             『祭儀においての固有の役割を自らがはたさなければならない。』
                  分かってはいるものの、責任重大です。
            何十年も続けていても、その度に、非常に気を遣います。緊張します。
                 

決められた『注意事項』があります。

『聖書朗読奉仕者』として・・・
1)姿勢と発声
できるうる限り真っすぐな姿勢をとる。
顔を上げて目線を信徒の席の方に向けます。
多くの朗読奉仕者は頭をさげ、
下向き加減で朗読する姿が見受けられます。
自分の声の質を見極めつつ発声することが肝心です。 
自分自身の声で会衆全体に神のみことばを届けるように
姿勢、発声練習等の努力がほしい。

2)事前に朗読箇所を予習及び練習をする。
滑らかに読めるよう、自分自身の息が続く長さを考え、
文節のどこで切れる確認必要があります。

3)ミサの前に、朗読台で実際に読んでみる。
4)自分が果たす朗読奉仕に見合う服装を心がける。


              当たり前のような 『注意事項』 ではありますが・・・
                 なかなか厳しい注意事項です。

                 『聖書』を聞く会衆の皆様が
              違和感なく『御言葉』に集中していただくために、
                欠くことの出来ない『注意事項』として、
                心に決めて、 私は出来る範囲で、 実行しています。

          1)『姿勢』の良さは、『発声』の良さにつながります。
              私は、肩甲骨をくっつけるイメージで、直立します。 日頃の練習の成果発揮です!!
          2)朗読箇所の『予習』としては、
              読む箇所の、 『意味』を把握し、 書かれた『時代背景』 を頭に入れます。
            朗読箇所の『練習』としては、
              その箇所を、暗記するほどに、 繰り返し繰り返し読んで、 覚え込みます。
          3)ミサの前に、朗読台で、『実際に読んでみる』ために、
              私は、前日土曜日に教会を訪れて、朗読台に立ち、朗読練習をします。
                それは、土曜日夕方に、明日のミサの『説教』を朗読台で読んでいらっしゃった神父様の真似です。
                  重なる時間の私たち二人・・・私の朗読の欠点を神父様に注意していただいたのは、今の私の『宝物』です。

          4)朗読奉仕に見合う『服装』としては、
              主日は、神の御前に出る『晴れの日』、季節に合う『晴れ着』(爽やかな服)です。


           今日も、私の『信徒奉仕者』としての『大任』
                  私なりに果たせて、ほっとしました。 
              今日の『カクテルアワ-』は特別になります
                               感謝!感謝!


そして。

今日は7月5日。年間第十四主日。

『今日の入祭唱』

    『神よ、神殿にあって私たちは、あなたの慈しみを思い描く。
        神よ、賛美は御名とともに地の果てに及ぶ。
         右の御手には正しさが溢れている。』

             詩編 48章10&11節


そして。
今日の私の『聖書朗読担当箇所』です。

         『今日の第二朗読 使徒パウロの宣言』

          
          パウロは、 『霊の法則』 を宣言します。


      『皆さん、 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、
        あなたがたは、 肉ではなく霊の支配下にいます。


      キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。

 もし、 イエスを死者の中から復活させた方の霊が、 あなたがたの内に宿っているなら、
               キリストを死者の中から復活させた方は、
        あなたがたの内に宿っているその霊によって、
    あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。



   それで、  兄弟たち、   わたしたちには一つの義務がありますが、
               それは、肉に従って生きなければならないという、
                   肉に対する義務ではありません。

               肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。

 しかし、  霊によって体の仕業を絶つならば、 あなたがたは生きます。』
             ローマの教会への手紙 8章9-13節

  
           パウロの宣言する 『霊の法則』 とは、以下のことです。

           私たちは、 洗礼によって  キリストに結ばれた者となり、
               『聖霊の宿る神の子』 となったのです。
                  そして。
               『罪と死の支配』 から解放されたのです。

          その意味は・・・

                私たちのうちに宿る『聖霊』によって、
       栄光のキリストと共に 『遺産=永遠の命』 を受け継ぐ 『相続人』となり、
                『永遠に生きる者』 となったのです。

           同時に。

           その 『新しい生き方』は・・・

         『このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、
     キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。』
 同6章11節
                         
          わたしたちは、キリストに結ばれた 『新しい生き方』 をするのです。
            それは、
          罪に死に、キリストに結ばれて、神に生きる生き方です。

          わたしたちが、キリストに結ばれる洗礼を受けたのは、
                その死にも与る者となり、
             キリストが死者の中から復活されたように、
            わたしたちも『新しい命』に生きるためなのです。

             キリスト者は、
             旧約の『律法』から解放されるのですが、
           『一つの義務』=『霊によって体の仕業を絶つ』 
                         が生まれたのです。
          今日の司式司祭様は、
            『イエスに真似ること』=『柔和で謙遜な者になること』
                          『今日の福音:マタイ福音書11-29』
           それが『義務を果たし、体の仕業を絶つ』ことになるのです。 
                            とおっしゃいました。


『今日の祈願』

       『天の父よ、いただいた恵みに感謝して祈ります。
          わたしたちが、キリストの弟子として、
     自分を低くして人々のために尽くすことが出来ますように。』




皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人のお役に立てる『仕事』は、たとえ小さな仕事でも、両者にとって喜びとなりますね。
皆で助け合いながら、平和が築けていけると良いですね。 お元気で!
コメント

3ヶ月半ぶりのミサ そして 『わたしよりも父や母を愛する者、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。』

2020-06-28 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月28日。日曜日。主日。曇り。

  
 3月1日の主日ミサ以来。
         
        私には・・・         『3ヶ月半ぶりのミサ』
    
                                       『福音テレビ』より拝借

                  『十勝カルメル会修道院』
                年間第13主日 2020年6月28日7時 

『ミサ』とは
『秘跡による救いの営み』です。

             
                     聖霊降臨の日、
                       
                      『聖霊降臨』    エル・グレコ作品

              聖霊を注がれた教会は世に姿を現しました。
         聖霊が与えられたことで、 『神秘の分配』の新しい時代 が始まります。

            それは、
         教会の時代であり、その間に、キリストはご自分の教会の典礼を通して、
            「ご自分が来られるときまで」その救いのわざを現し、
                現在化し、分け与えられるのです。

           教会の時代の間、ずっと、ご自分の教会の中で、また教会とともに、
             この新しい時代に固有な新しい方法で生き、働かれます。
                すなわち、諸秘跡を通して働かれるのです。

             それは、教会の「秘跡」の典礼の執行に際して
          
                キリストの過越の神秘の実り
              を分け与えることによって行われます。

                        『カトリック教会のカテキズム』より


我が教会の、今日の『ソーシャルディスタンス ミサ』
長椅子に一人だけの着席。
前の長椅子のお一人と、ずれずれに着席。
神父様とのミサの受け答は、声を出さず心の中で。
賛美歌はなし。
聞こえるのは、神父様と聖書朗読者の声のみ。
沈黙の中のミサは、
神様との交わりはより一層豊かですが
会衆者皆との交わりはなしでした。          感謝!感謝!


そして。

今日は6月28日。年間第十三主日。

『今日の入祭唱』

      『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。
     神の向かって喜び歌い、叫びを上げよ。』

           詩編47章2節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスの弟子になる覚悟』
    それはきびしいものです。


         『その時、 イエスは  使徒たちに言われた。
    
    

    「わたしよりも父や母を愛する者は、 わたしにふさわしくない。
   わたしよりも息子や娘を愛する者も、 わたしにふさわしくない。



  また、 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、 わたしにふさわしくない。
          自分の命を得ようとする者は、 それを失い、
       わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。」』
             マタイ福音書 10章37-39節


     
       イエス様のおっしゃることは、 大変厳しいですが、 『真理』なのです。

          神は、 『十戒』 を、 
  
             必ず守るようにと、告げられました。
                出エジプト記20章

            Ⅰ:『あなたには、私をおいて他に神があってはならない。』
            Ⅴ:『あなたの父母を敬え。』



               神は、『永遠の命』 の与え主です。
               親は、『この世の命』 の与え主です。

                『両命』共に、かけがえのないものです。
            どちらかが、 いる いらない、 の問題にはならないのです。
              たから。
           父母を選ぶか、キリストを選ぶか、を決める必要があれば、
            神を選びなさい。 と、イエスは断言なさるのです。


            『神の御心』は、 分裂ではなく、 『平和』です。
                神を選ぶということは、
            『平和』 と 『交流』 が始まるということなのです。
               『対人関係』 が深まるということなのです。

               
            『神とキリストに従う』 ことに 『価値がある』 のです。
       キリストが、 私たちの力以上に、より両親を愛する力を、必ず、くださるのです。

           弟子たちは、父や母や息子や娘以上に、キリストを愛し、
              『キリストに従うもの』 の模範を示すのです。
                 信仰者の模範を示すのです。



『今日の祈願』

 『人の求めるものをすべて知っておられる神よ、
    真実の生き方を問い続ける力を私たちにお与えください。
     「自分の十字架を担ってわたしに従いなさい」
  という主の呼びかけのうちに真の光を見出すことが出来ますように。』




皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
神は、ミサで、『秘跡による救いの営み』を分け与えてくださいます。
私たちは、神の愛の応えて、お人に『愛の営み』を分け与えてまいりましょう。 お元気で!
コメント

朝ジョグの楽しみ  そして 『わたしの天の父の御心を行う者だけが、天の国に入るのである。』

2020-06-25 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月25日。木曜日。曇り時々雨。


今朝も5時半出発。

爽やかな空気に、心身が清められていく。
コロナ禍発生以来の、食品調達以外の、私の毎日の外出です。


朝ジョグにも楽しみがある。

       季節の変化を教えてくれる・・・   『街道の花々』
   

         『朝練』を本格的に始めたのは、第二子誕生後の、結婚4年目頃からです。
           家族が起きてくる前に、 『朝練』も『朝食用意』 も完了!
                        今は夫が朝食を作ってくれる。

             登山とテニスのための『筋力作り』で始めて以来、
        私のようなサボり屋が、ぶれることなく40年以上続いているのが、我ながら不思議です。
                         今は心身の健康維持のためですね。

40年以上の間に、
夫の転勤や何やらで、我が家の引っ越しは12回。
その度に、朝練の景色も雰囲気も、ご当地の特徴があり、
がらりと変わるのが面白い。たかが朝ラン、されど朝ラン。
たかが朝ランでも、忘れられない思い出がいっぱいです。


     ジョグ中の楽しみ。

           旬の服を教えてくれる・・・    『セレクトショップ』
        

     美しい店員さん・・・
       「朝ジョグの時に楽しみに見ているのよ」 と私。
       「嬉しいです。 これからも色々と旬をお届けしますね」  と店員さん。
                                コロナ前の会話。今も頑張っていらっしゃるでしょうね。

     その日のマネキン風の洋服スタイルで、 一日を過ごすようにしている私です。
          ちょっとしたこだわりからセンスが磨かれていくことを願って・・・
      年を重ねた者に似合う 『大人の馥郁とした魅力』  を目指している私ですが・・・。
                                ハードル、目標は高くですね。


そして。

今日は6月25日。年間第十二木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、 御旨を行うことをわたしは望み、
       あなたの教えを胸に刻みます。』

          詩編 40章9節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


    『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。



    「わたしに向かって、 『主よ、主よ』 と言う者が皆、
     天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。



     かの日には、 大勢の者がわたしに、
     『主よ、主よ、 わたしたちは御名によって預言し、
      御名によって悪霊を追い出し、 御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』
     と言うであろう。
     そのとき、 わたしはきっぱりとこう言おう。
         『あなたたちのことは全然知らない。
                  不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』



    そこで、     わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、

            『岩:神と聖書:不動の基盤の上に佇む家』

        岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
       雨が降り、 川があふれ、 風が吹いてその家を襲っても、 倒れなかった。
          を土台としていたからである。



     わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、

            
    『砂の上に家』 を建てた愚かな人に似ている。
       雨が降り、 川があふれ、 風が吹いてその家に襲いかかると、 倒れて、
       その倒れ方がひどかった。」


イエスがこれらの言葉を語り終えられると、 群衆はその教えに非常に驚いた。
彼らの律法学者のようにではなく、 権威ある者としてお教えになったからである。』
               マタイ福音書 7章21-29節


イエスの時代。
      イエスの話を聞いた人は、 ユダヤ人も異邦人も指導者も、 沢山いました。

   そして。
      
      イエスは、イエスの話を聞く中の一部の人たちを・・・
            「『砂の上に家』 を建てた愚かな人に似ている。」 とおっしゃるのです。

             『主よ! 主よ!』と言いながら・・・
        ある者は、 ユダヤ教の律法こそが大切であると、 耳を貸しませんでした。
        ある者は、 イエスの話を聞いても反省はなく、 すぐに忘れてしいました。
        ある指導者は、 イエスの話を伝えながら、 自分では守らない人もいました。

             イエスは、その人たちを、
      「最期の日に、 『あなたたちのことは全然知らない。』 と言う』 と言われるのです。
         『神の国』に入れてもらえない! ということですよね。 大変!どうしましょう!


 一方・・・

      イエスは、イエスの話を聞く一部の人たちを・・・
              「『岩の上に自分の家』 を建てた賢い人に似ている。」 とおっしゃるのです。

           雨が降り、 川があふれ、 風が吹くように・・・
        困難、 災害、 不幸、がその家を襲っても、 その人たちは倒れない。
          『 岩:神と聖書:不動の基盤の上に佇む信仰』
               を土台としていたからである。

                 と、言われるのです。

       「その人たちこそが、 『神の御心を行う人』:『互いに愛し合う人』 で、
              『神の国』 に入る人である。」
 
               と、イエスはおっしゃるのです。

 今の時代。

             イエスは、私たちにも同じことを、言われるのです。

          私たちの『信仰生活』にも、 『強い土台』が必要なのです。
      『強い土台』 は、 すべての人を愛される『神の愛』を  信じることです。

   
            私たちの信仰を強めるためには・・・

            『イエスの御言葉に耳を傾けて 心に留める』 
          『イエスの言葉を自分に向けられた言葉として 受け入れる
        『イエスの言葉の中に、すべての人を愛しておられる 神の愛を見出す
            更に。
          『イエスの言葉を聞いて反省し 『神の御心』を 実行する


         その時・・・
          イエスは私たちの『信仰』を、強めてくださいます。


       勿論、イエスの御言葉を受け入れ、実行することは、とても難しいことです。
          しかし、その自分の弱さは、自分の中に原因があると認めて、
                イエスの助けに依り頼むとき、
             イエスは私たちの信仰を強めてくださるのです。



『今日の祈願』

   『全能永遠の、神である父よ、
    わたしたちの行いが、いつも御旨にかなうよう導いてください。
    御子キリストのうちにああって、豊かな実りを結ぶことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様も長年続けておられる『こだわり』がおありですか?
それは、もう自分の『一部』ですよね。 お元気で!
コメント