マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『ヨハネの黙示録』・・・『すぐにも起こるはずのこと、死者の裁かれる時を、キリストが僕ヨハネにお伝えになった。』

2022-09-30 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月30日。金曜日。晴れ。

今日は、
金曜日。
聖書100週間・聖書通読会です。

     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
  
  
      オンラインクラスは、どこからでも参加可能です。

        仲間は、全員、神戸の自宅からの参加です。
         私は、旅の途中で、東京から参加です。


       仲間全員の元気なお顔と、画面上での再会です。
         ITの世の中、ありがたいことです。
                感謝!感謝!



そして。

   今日の通読範囲は、『ヨハネの黙示録 1章~11章』です。
      
       『ヨハネの黙示録』の著者
       
       『聖ヨハネ』   エル・グレコ画


      ヨハネは、イエスに愛された弟子でした。ヨハネ19章26節

   ※イエス様が初めてヨハネをお呼びになった時は、18歳頃でした。マルコ1章16-20節
   ※磔刑のイエス様のおそばに、12人の弟子の中で唯一佇んだヨハネは、
        
         『キリストの磔刑』 ジョバンニ・べッリー作品 

         21歳頃でしたでしょうか。ヨハネ19章26節

    ちなみに、
    磔刑のイエス様のおそばに佇む母マリア様は、
    結婚なさったのは17歳頃と言われていますので、
    17歳+十字架上のイエス様の年齢は33歳頃=50歳頃でいらしたのでしょう。
  
   ※ヨハネは、兄弟ヤコブとともに『雷の子』とイエスに名付けられるほどに、マルコ3章17節
         その性格は激しい二人だったようです。

   ※ヨハネは、ペトロ、ヤコブとともに、『イエスの側近』の三人の一人で、
         重大な時期にはイエスと共にありました。      

   ※『黙示録』を書いたヨハネは、
    キリスト者迫害のあった第一世紀が終わる西暦90年頃、
                 60歳を迎える頃でした。


   『黙示文学』とは、
    殊な表現方法を用いて、
    『神の言葉』を人間に伝えようとするものです。

    旧約聖書の『黙示文学』では、
     エゼキエル書、ゼカリア書、ダニエル書などのユダヤ黙示文学の中に、
     黙示文学的な部分があります。
     そこでは、人々に神の民の歴史と使命を想起させ、
     同時に、現在遭遇している困難を乗り越えて存続し続け、
     神の民が発展することを強調しています。

   一方、

    新約聖書の『ヨハネ黙示録』では、
     ユダヤ黙示文学との決定的な違いがあり、
     そこでは、『イエス・キリストの復活』を述べるのです。    

    
   『ヨハネの黙示録』は、
    ☆『イエス・キリストの黙示。
     すぐにも起こるはずのことを、
     神が、その僕たちに示すため、キリストのお与えになり、
     そして、
     キリストが、その天使を送って、僕ヨハネにお伝えになったものである。』1章1節
    ☆イエス・キリストによって、
     神に民イスラエルの歩み、現在の旅する教会、天上の勝利の教会、
      過去、現在、未来、を一つに結ぶ壮大な神秘を語っているのです。
         


          『イエス・キリストの復活』
     ※復活したイエス・キリストは、
       屠られた子羊、人の子、大祭司、アルファとオメガである。
        すべてのものの初めであり、終わりである。
     ※宇宙のすべては、神の手にあり、
       歴史を支配し治めるのは、神と復活した神の子羊キリストである。
     ※キリストの復活によって、歴史はすでに終末の時代に入った。
       全世界において、古いものと新しいものが共存し、互いに争う状態にある。
     ※『時の終わり』に、復活したキリストは、裁き主として『神の裁き』を完成する。
       預言者たちの告げた『新しい天と新しい地』の約束を成就し、     
       万物は新しくなり、神の右に座る子羊キリストが『最終的勝利』をおさめる。
         こうして、告げられていた『主の日』は実現するのです。



       『ヨハネが見ると、
        「見よ、開かれた門が天にあった。
       
        見よ、天に玉座が設けられていて、
       その玉座の上に座っている方がおられた。
        その方の右の手には『巻物』があり、
         七つの封印でとじられていた。
    その周りには二十四人の長老がひれ伏して礼拝している。』黙示録 4章
                  


      『一人の長老がヨハネに言った。
       「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、
        『七つの封印』開いて、その巻物を開くことができる。』 黙示録5章 


    『ヨハネが見ていると、
      子羊が『第七の封印』を開いたとき、
        天は七時間ほど沈黙に包まれた。
      さて、七つのラッパをもっといる七人の天使たちが、
        ラッパを吹く用意をした。
      さて、第七の天使がラッパを吹いた。
      

         死者の裁かれる時が来た。
      そして、天にある神の神殿が開かれて、
    その神殿の中にある『契約の箱』が見えた。』黙示録8&11章

      『主の僕、預言者、聖なる者、御名を畏れる者には、
          すべてのものに報いが与えられる。
          そして、天にある神殿が開かれて、
         『契約の箱』が見えるようになる。』黙示録11章

             『契約の箱』とは、
                 旧約においては、『十戒』が刻まれた石版を収めた『箱』でした。
                 新約になって、イエスの『聖体』を収めた『聖櫃』となりました。


        こうして、イスラエルの歴史が裁かれます。
     『イエスの再臨』、『最後の審判』、『天の国の完成』の時です。

        世々限りなくすべてを支配する神は、 
      地上のどのような天国の権力者よりはるかにすぐれ、
        すべてのものの上に立たれるのです。



     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     聖ヨハネに示された『黙示』を、嬉しく有難く読みました。
     正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日・金曜日から、4日後の火曜日まで、30度になるそうです。
朝夕の寒暖の差が大きいので、体調を崩さず、楽しい週末をお過ごしください。 お元気で!

The 故郷・・・『サンドイッチ』 そして 『聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使 祝日』・・・『神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』

2022-09-29 17:00:00 | 私のこと
9月29日。木曜日。快晴。

 昨日・28日
故郷・東京入りです。
そして、
今日・29日
懐かしい故郷での一日でした。


  それは・・・ 

     故郷の味・・・  『サンドイッチ』
  
                                於。『代官山T‐SITE』 

          故郷に戻り、自分の若かりし頃に戻る。
         それは、若かりし頃の『時間』が戻る時間です。


       結婚前より結婚後の年数が、大幅に多くなった今。
        娘時代の私。と 妻となり母となった私。
       私にとっては、いまだに、東京風と神戸風の違いの経験、の日々でもあります。
         感慨無量の『二つの時間』です。

       
       娘時代の自分に戻ることは、
       『老化防止策』の重要な一つの策ではないかしら♡♡


 それは・・・

     故郷のオアシス・・・    『代官山T‐SITE』
  

            喧騒の渋谷の街中の、静かな『オアシス』

             結婚前の私のテリトリーの渋谷で、
                昔の私に戻って、          
             娘時代に戻った私と我が娘との
             『おしゃべり・ゴールデンタイム』です。


         今日は5か月ぶりの故郷。
         故郷はいいな。娘はいいな。♡♡
           感謝!感謝!



そして。

今日は9月29日。年間第二十六木曜日。

  『聖ミカエル    聖ガブリエル    聖ラファエル大天使 祝日』
  
   
   聖ミカエルは、『神と似た者』という意味。ダニエル書10-13
       イスラエルを助ける天使。ヨハネ黙示録12‐7

   聖ガブリエルは、『神の力』という意味。
       旧約・ダニエル書では、神のメッセージを預言者に伝えている。
       新約聖書では、ザカリアに洗者ヨハネの誕生を、
       聖母マリアに救い主イエスの誕生を伝えている。

   聖ラファエルは、『神はいやされた』という意味。
       人びとの祈りを聞き入れて神にとりなす天使。トビト書
       堕落した天使たちに汚された地を清らかにする天使。エノク書


      神の使いである天使たちと心を合わせて、
      神を賛美し、その取次ぎを願う祝日である。
            『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』
  
    『神の使いよ、神をたたえよ。
     御言葉を聞き、これを行う者よ、神をたたえよ。』
           詩編 105章20節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『神の使いよ、神をたたえよ。み旨を行うしもべたちよ、神をたたえよ。』
             詩編 105章20-21節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、
    彼のことをこう言われた。
     「見なさい。
      まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

   ナタナエルが、
     「どうしてわたしを知っておられるのですか」 と言うと、
   イエスは答えて、
     「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
       いちじくの木の下にいるのを見た」 と言われた。
       
   ナタナエルは答えた。
     「ラビ、あなたは神の子です。
           あなたはイスラエルの王です。」
   イエスは答えて言われた。
     「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、
             信じるのか。
       もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

     更に言われた。
        「はっきり言っておく。
      
    天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、
         あなたがたは見ることになる。」』
            ヨハネによる福音 1章47-51節

   
    今日のイエス様は、
    ナタナエルに改心を促します。


    ナタナエルは、
    はじめは、イエスを信じることができなかったのです。
    「ナザレトは、田舎の町で、そんな所から、『救い主』が生まれるはずがない」 
        と言いました。
    でも、フィリッポから「見に来なさい」と勧められました。


         信仰が出来上がるためには、
         ☆イエス様を見なくてはいけません。
          イエス様を自分で体験しなくてはなりません。
         ☆イエス様と個人的接触を持つことにより、
          イエス様を理解するようになり、
          イエス様を知り、自分の考えが変わっていくのです。
         ☆イエス様の『人格的すばらしさ』を見るだけでなく、
          イエス様の『復活』を知らなければなりません。

      
           イエス様は、
           ☆神から遣わされて、
            天から降って『人間』となりました。
           ☆復活により、また再び、天に上られ、
            『神の世界』にもどられました。 

   
    弟子たちも、ナタナエルも、
    イエス様に出会って、イエスを神の子と認めました。
    又、イエス様の復活において、本当の『改心』ができたのです。
    ナタナエルは、イエスの12人の弟子のひとりになりました。


    私たちも、
    聖書を読み、人々や自然界の姿を見ながら、
    イエスがどのようなお方であるか知るようになりたいものです。
              祈りましょう。
          

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
皆様の古郷はどちらでしょうか。「故郷は遠くにありて・・・」といいますよね。
故郷での懐かしい日々を思い出しながら、元気になりましょう。
私は今日午前中、私の故郷の地に住む孫娘の体育祭を応援しながら、元気をもらいました。 お元気で!

白内障手術・・・『人は鏡』 そして 『聖ビンセンチオ・パウロ司祭 記念日』・・・『イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。』

2022-09-27 09:30:00 | 私のこと
9月27日。火曜日。曇り。一時大雨。

昨日は、
白内障手術でした。
3週間前は右目の手術。
昨日は左目の手術でした。

               『涸沢カール』
  
   上高地の奥に広がる氷河圏谷   「涸沢カール」    北アルプスの南部・穂高連峰の中腹 です。


          今日は、昨日の手術の経過観察でした。
          お医者様から太鼓判をいただきました。

        今日からでも、旅行OK。登山OK。運転OK。ワインOk。
          両目ともに、手術大成功です。
           私の『好み』の再開です!
             感謝。感謝。


 そうとなれば・・・

      登山。今年は、よく見える目でもう一度、『唐沢の紅葉』を見に行きたい。
          10年ほど前に制覇した、穂高連峰。
      奥穂高岳(3,190m)。涸沢岳(3,110m)。北穂高岳(3,106m)。前穂高岳(3,090m)。西穂高岳(2,909m)。 
           我が登山人生の絶頂期でした。


         穂高連峰の雪溶け水が、槍沢と合流して梓川となり、
           上高地へ注ぎ込んでいます。 
         涸沢カールは、景勝地・上高地の『母なる自然』なのです。


             10年前の眼力に戻った今、
          美しい涸沢紅葉』の見納め登山をいたしましょう!


  そして。

      旅行。早速に、明日から、孫たちの体育祭応援で、東京行きです。

        孫娘は、コロナも落ち着いて、中学三年になって初めての中学校体育祭です。
         午前と午後の二部制競技で、父兄の応援も二部制です。
         恒例の『運動会の昼食』はなしで、生徒は教室でお弁当。
            父兄は競技の参観のみです。

          中一の孫息子も姉の三日遅れで体育祭です。
        
         「白内障の手術も成功なら、応援に来てね。」
        「おばあちゃん参加の競技では、優勝しますよ!」と私。

           
            10年前の眼力に戻った今、
          孫たちに負けないで、走ることにいたしましょう! 


 そして。
 何十年も前の視力に戻った目で、
       私はを見ることにいたしましょうか。

       考えました。 『人こそ人の鏡』

       眼力が戻った高齢の私。
       鏡に自分の姿をうつして正すように、
       他人様の言動をよく観察して、
       自身を正すのによい手本として、学ぶことにいたしましょう。


       『書経』曰く。
         『人は水に鑑みること無く、当に民に監みるべし』


       多くの方と出会い・・・
       良く見える目で、お一人お一人からしっかり勉強させていただき、
       そのたびごとに、新たに自分を見直し、
       高齢者にふさわしい『豊かな人格』を磨くことにいたしましょう!
                     感謝!感謝!


そして。

今日は9月27日。年間第二十六火曜日。

     『聖ビンセンチオ・パウロ司祭 記念日』
         

 1581年。 ビンセンチオは、フランス南西部のアキテーヌ州の農家にまれる。
 1600年。19歳。トゥールーズで神学を学び終えると、司祭に叙階される。
          パリに行って小教区の主任司祭として働いた。

      旅行の途中に、乗っていた船が海賊に襲われ、
      ビンセンチオは北アフリカのチュニスに奴隷として売られ、
      2年間の苦しい生活を強いられた。
      フランスに戻ることができたビンセンチオは、
      生涯を貧しい人たちの救いのために尽くすことを決心した。

 1625年。44歳。聖職者の養成と貧しい人や囚人たちを助けるために、
          『布教宣教会』を設立。

 1633年。52歳。ルイーズ・ド・マリアックの協力を得て、
          『愛徳姉妹会』も創立。
          慈善事業をさらに発展させた。

 1660年。79歳。 パリで死去。
                  『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『主の霊がわたしの上におられる。
 貧しい人に福音を告げ知らせ、圧迫されている人を自由にするために、
      主がわたしに油を注がれたからである。』
           ルカによる福音書 4章18節


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
 また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである。』
       マルコによる福音書 10章45節    アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『イエスは、天に上げられる時期が近づくと、
     エルサレムに向かう決意を固められた。
     
      エルサレム入城』
          受難週の最初の日曜日に、
             イエスはロバの子に乗って、エルサレムに入城します。
 
     そして、先に使いの者を出された。
     彼らは行って、イエスのために準備しようと、
       サマリア人の村に入った。

     しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。
   イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。

   弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
   「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、
      彼らを焼き滅ぼしましょうか」 と言った。

    イエスは振り向いて二人を戒められた。
     そして、一行は別の村に行った。』
      ルカによる福音書 9章51-56節


  今日のイエス様は、
  ガリラヤを去り、エルサレムに向かいました。
  しかし、サマリア人たちは、イエスを歓迎しませんでした。


      イエス様が苦しみを受ける時が迫ってきました。
      イエスさまに反対する人は、主にエルサレムの偉い人たちでした。
      それでも、
      イエス様は固い決心をなさり、
      そこで苦しみを受けることを知っておられるエルサレムに向かっていきました。
        

   弟子たちは、
   以前に、何回も、イエス様の『苦しみを受ける話』を聞きましたが、
   イエスの『苦しみ』を理解することはできませんでした。
   イエス様が、『偉い人』になるために、
   エルサレムに向かうのだと、思っていたのです。 
   そこで、
   イエス様がサマリアから受け入れられないのを見て、
   弟子たちは怒り、『この人たちの上に罰を落とすように』と頼んだのです。


       弟子たちの信仰は、まだ浅いものでした。
       イエスにとって『苦しみの旅』が始まったのですが、
       弟子たちは、本当の意味では理解できていなかったのです。
       

        信仰には、何よりも『忍耐』が求められるのです。
        悪者は、罰するのではなく、『改心』を勧めるのです。


        イエス様は、弟子たちをも『忍耐』しておられるのです。
            弟子たちは、イエスに倣って、
            人を『罰する』ことではなく、
          人を『赦す』こと、人を『救う』ことを、
            学ばなければならないのです。


    私たちも、
    イエス様の模範は簡単なことではないのですが、
    イエス様に倣って、成長し、お人を許すことを学ぶのです。
         祈りましょう。

          
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
老化の一つが、だれでもが迎える『白内障』だそうです。
医学の発展により、完治する白内障です。
その時が来ましたら、手術で、鮮明な目を取り戻してくださいね。 お元気で!

『アイデンティティ』と『生きがい』 そして 『お前は良いものをもらっていたが、ラザロは悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむ。』

2022-09-25 17:22:58 | 日々のこと。 世界のこと。
9月15日。日曜日。快晴。

秋は、登山日和です。
 『登山の秋』

             『白神山地』
  
                        日本初の『世界自然遺産』。 登りたいですね。

     私が30代の頃。
     師事していた神父様が私に尋ねた。
       「あなたのアイデンティティは、何ですか?」 と。

     若かった私は、多くの仲間の中で、唐突に、
       私一人に向かってなされた『質問』に、
       うまく返事が出来ませんでした。
       忘れられない『事件』です。



アイデンティティとは、
「他ならぬ《それそのもの》であって他の何者でもない」
という状態や性質のこと、
あるいは、
そのような同一性の確立の拠り所となる要素のことである。
主に「同一性」と訳される。

心理学や社会学の分野では、
一貫した自己・自我の意識を、
「自己同一性」あるいは単に「アイデンティティ」と呼ぶ。

自己同一性は「自分は何者であるのか」という問いに象徴され、
状況や時期などによって変わることのない
「自分は自分である」という自己認識として確立される。
人生の意味や価値など,人の生を鼓舞し,その人の生を根拠づけるものを指す。
帰属意識などもアイデンティティの確立に密接に関わる。
          国語百科事典より


     年を重ねた今。
     今は亡き人になってしまった師事していた神父様に
     はっきりとお答えすることが出来ます。
       「私のアイデンティティは、キリスト者です。」 と。
                         永遠に変わることない私のアイデンティティです。


そして。
もう一つ。


     コロナ禍で外出もままならなくなった今。
     友人たちが私に尋ねます。
       「コロナ禍での、あなたの生きがいは、何ですか?」 と。
     

生きがいとは、
生きる甲斐、
すなわち「生きることの喜び・張り合い」「生きる価値」を意味します。

※「生きることに価値や意味をもたらす源泉や対象としての事物
   長年続けてきたことによる「強み」と「面白さ」を持つ。
そして
「その源泉や対象が存在することにより自らの生に価値や意味があると感じられる感情(生きがい感)」
    これら※2つの側面※から構成される概念とされている。

老年学などでは、
高齢者が穏やかに老いを受容できるのは、
それぞれの持つ「生き甲斐」が、
老いや喪失感への拮抗因子として働いていると考えられている。
つまり、『生きがい』を持つことは、長寿につながる。 というのです。
       国語百科事典より


     年を重ねた今。
     友人たちに、はっきりとお答えすることが出来ます。
      「私の生きがいは、家族と登山そして何よりも聖書です。」 

     「生きがい」は、「アイデンティティ」と違い、
       「失われやすさ」が特徴です。
        継続が難しいのです。
      💕孫の成長が生きがいであっても、
         孫の成長は、祖父母の背丈をはるかに越していく。
      💕登山・自然との交わりが生きがいであっても、
         コロナのために、白神山地』登山が3年も見送りです。
      💕聖書は、私のアイデンティティと同様に、
         永遠に変わることのない、読むほどに深さと広さを感じる本です。



      私は、
      それでも、コロナには負けません。
      新たなる挑戦:新たなる生きがい、を見つけて、
      『コロナ禍』のStayHome中の、実りある『成果』のために、
      日々精進して、『一つ事の習得』のために、努力しています。
      成果より、『新しい生きがい』、日々の挑戦を楽しんでいます。
           感謝!感謝!


そして。

今日は9月25日。年間第二十六主日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、我々は罪を犯し、不正を行い、重い罪を犯しました。
   あなたの寛容と豊かな憐れみをもって、我らに臨んでください。
     驚くべき御業をもって、我らを救ってください。』
      ダニエル補遺 アザルヤの祈り 6&7&8&19&20節


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『イエス・キリストは豊かであったのに、あなた方のために貧しくなられた。
  それは、主の貧しさによって、あなた方が豊かになるためだったのです。』
        コリントの信徒への手紙Ⅱ 8章9節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。
    
       「ある金持ちがいた。
     いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、
      毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

       この金持ちの門前に、
    ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
        
    その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。

       犬もやって来ては、そのできものをなめた。

        やがて、この貧しい人は死んで、
    天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。
        
      金持ちも死んで葬られた。
      そして、
      金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、
      宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、
       はるかかなたに見えた。
      そこで、大声で言った。
      『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。
       ラザロをよこして、指先を水に浸し、
       わたしの舌を冷やさせてください。
       わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』

    しかし、アブラハムは言った。
      『子よ、思い出してみるがよい。
       お前は生きている間に良いものをもらっていたが、
       ラザロは反対に悪いものをもらっていた。
      
        今は、ここで彼は慰められ、
        お前はもだえ苦しむのだ。

     そればかりか、
     わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、
     ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、
     そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』

     金持ちは言った。
     『父よ、ではお願いです。
      わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
       わたしには兄弟が五人います。
      あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、
       よく言い聞かせてください。』

    しかし、アブラハムは言った。
      『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。
          彼らに耳を傾けるがよい。』
    金持ちは言った。
      『いいえ、父アブラハムよ、
       もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、
       悔い改めるでしょう。』
    アブラハムは言った。
      『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、
       たとえ死者の中から生き返る者があっても、
       その言うことを聞き入れはしないだろう。』
          ルカによる福音書 16章19-31節

    
     今日のイエス様は、
     金持ちとラザロの『たとえ話』を、
       ファリサイ派の人々に言われました。

    
     イエスの時代。
     金持ちと貧しい人たちの格差は、はっきりしていました。
     信者の中にも、貧しい人たちが多くいました。

     金持ちは、
        自分の力を信じ、
        神を必要としないという危険性がありました。
     更には、自分のことだけを考えて、
        門前の貧しい人の存在にすら気づかなかったのでしょう。
     『改心』の言葉を受け入れる気持ちは、全くありません。

     貧しい人たちは、
        人間から何も期待できず、
        神に希望をかける人が多くいました。
     ラザロは、
        貧しい人たちの代表者でした。
        歩けない、不治のできもの。野良犬をよける力もありません。
        金持ちの食卓の残り物を欲しくとも、くれる人もいませんでした。


        イエス様は、『たとえ話』で、
        当時の金持ちであったファリサイ派の人たちに、
          『改心して、福音を信じなさい』
                と呼び掛けたのです。
        貧しい人たちには、
          『神に信頼しなさい。必ず救われます。』
                と呼び掛けたのです。
  

     私たちも、
     毎日の生活において、周りの人たちとのかかわりにおいて、
     神の呼びかけを見出すことが出来ますように。
          祈りましょう。

     
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『生きがい』は何ですか。『生きがい』で生活が豊かになりますよね。
気持ちの良い季節・秋到来で、心動かす新しい『生きがい』を始めてみるのもいいですね。 お元気で!

『The Greats 美の巨匠たち』・・・『キリストの祝福』 そして 『幼児キリストを礼拝する聖母』

2022-09-22 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月22日。木曜日。曇り時々雨。


霧雨の降る午前中。

観てまいりました。

                『The Greats 美の巨匠たち』
 
 『スコットランド国立美術館』・・・                    於:神戸市立博物館

    会場入り口の巨大な『スコットランド国立美術館』の写真が、壮大な『美への旅』を期待させます。


私は真っ正面に向き合って・・・

           『キリストの祝福(「救世主」)』
     
                          エル・グレコ 1600年頃

 
        右手を掲げて、『祝福』のポーズをとり、
        『世界』を表す水晶の球体の上に左手をおくキリストの『半身像』。
          『救世主としてのキリスト』と呼ばれる図像 です。


            穏やかで知的な『キリスト様の御姿』


        正面性の強い人物表現は、
        故郷クレタ島で学んだ
        ビサンティンのイコンの伝統が認められるそうです。


        キリスト様の目が、
        真正面に向き合って立つ私の目を離されない。
        私はキリスト様と目と目を合わせながら、
        キリスト様から『祝福』をいただきました。
        三回も戻って、三回の『祝福』をいただきました。
                   感謝!感謝!


エル・グレコ

1541年10月~1614年4月7日
ギリシャ・クレタ島で生まれたグレコは、
19歳~25歳頃。イタリア・ヴェネツィアに渡り、
ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノに師事した。
29歳。イタリア・ローマに移り、
工房を開き一連の作品を製作した。
37歳。スペインのトレドに移り、73歳の最期までそこに永住しました。

既存の会派には属さない非常に個性的な芸術家で、
劇的な構図の『宗教画』の大家です。
画家であると同時に彫刻家、建築家としても活躍しました。



もう一つ。
私は真っ正面に向き合って・・・

          『幼児キリストを礼拝する聖母』
    
                  アンドレア・デルヴェロッキオ 1470年頃


          幼児キリストに礼拝をささげる聖母マリア様。
          背景の壮大な遺跡は、
           おそらく古代ローマの神殿を表わし、
          古い宗教に対するキリスト教の勝利を象徴しています。
       

           穏やかで知的な『祈りの聖母マリア様の御姿』


         幼子、キリスト様の目が、
         母マリア様を見つめておられます。
         真正面に母を見つめる幼いキリスト様は、
         キリスト様を礼拝するマリア様を『祝福』なさっている。
           私はそう思いました。私はそう観ました。


         私も、
         幼いキリスト様を心の中で礼拝しながら、
         幼児キリスト様から『祝福』をいただきました。
         三回も戻って、三回の『祝福』をいただきました。
                   感謝!感謝!


アンドレア・デル・ヴェロッキオ
   
1435年頃- 1488年53歳6月30日
イタリアのルネサンス期の画家、彫刻家、建築家、鋳造家、金細工師。
その弟子たちには、
レオナルド・ダ・ヴィンチのほか、
ロレンツォ・ディ・クレーディ、ペルジーノ、ボッティチェリ、等、
次世代の錚々たる名前が並びます。

     
     スコットランド国立美術館は、
     上質で幅広い、世界でも指折りの西洋絵画コレクションを有する美の殿堂です。
     1859年・昭和34年の開館以来
     購入や地元名士たちの寄贈や寄託などによってコレクションの拡充を続け、
     世界最高峰の美術館の一つとなりました。
     上質で幅広い、世界でも指折りの西洋絵画コレクションを有する美の殿堂です。


     今日は、そのようなスコットランドが誇る至宝の中から、
     ラファエロ、エル・グレコ、ベラスケス、レンブラント、ブーシェ、スーラ、ルノワールなど、
     ルネサンス期から19世紀後半までの西洋絵画史を彩る巨匠たちの作品を
              堪能いたしました。 
     さらに、イングランド出身のゲインズバラ、レノルズ、ターナー、ミレイ、
     日本ではなかなか見ることのできない
     レイバーン、ラムジー、グラントなど。
              約90点堪能いたしました。


             正に、『THE GREATS』
          美術史に輝く巨匠たちの競演を楽しみました。
                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、美術館訪問がお好きですか?
『楽しみ』にはいろいろあります。
私は『美術館訪問』が好きです。
齢を重ね・・・
若い時にはわからなかったいろいろのことが、齢をとると見えてくる。
それがなんともいえず楽しいのです。
美術館訪問を続けていたことの意味が、この齢になってわかるのです。
皆様も『楽しみ』を続けて、楽しい時間をお過ごしください。 お元気で!

『泣く時、笑う時』・・・『共に佇む』 そして 『聖マタイ使徒福音記者 祝日』・・・『「わたしに従いなさい」マタイは立ち上がってイエスに従った。』

2022-09-21 13:58:33 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月21日。水曜日。曇り。

2022年度『台風14号』
14日(水)午前3時に小笠原近海で発生。
18日(日)午後7時頃に鹿児島市付近に上陸。
19日(月)九州を縦断したあと、本州の日本海側を進み、
20日(火)には東北を通過して、
20日午前9時に日本の東で温帯低気圧に変わりました。

1週間続いた、全国を巻き込んだ、
『大型台風』でした。

被害に遭われた皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を
心よりお祈り申し上げます。


    
                             ネットより拝借
            台風の中でも『元気な秋の花』
              なぐさめられます。

  昨日は、私の在所では雨もやみ、
  友人のお見舞いに行ってきました。

       人は皆、
       順境の時もあれば、逆境の時もあります。
       喜びの時もあれば、悲しみの時もある。
       元気な時もあれば、病気の時もあります。
       笑う時もあれば、泣く時もあります。


  思い出すのは『聖書の言葉』です。

      『何事にも時があり、
       天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

        生まれる時、死ぬ時
        植える時、植えたものを抜く時
        殺す時、癒す時
        破壊する時、建てる時
        泣く時、笑う時
        嘆く時、踊る時
        石を放つ時、石を集める時
        抱擁の時、抱擁を遠ざける時
        求める時、失う時
        保つ時、放つ時
        裂く時、縫う時
        黙する時、語る時
        愛する時、憎む時
        戦いの時、平和の時。』
        コへレトの言葉 第 3 章1-8節


      昨日は、友人と手を握り合って、別れました。
       その帰路に私が詠んだ『俳句』です。
 
       『病む友と 為す術もなく 共に佇む』

    友人の一日も早い回復を、心よりお祈り申し上げる私です。


そして。

今日は9月21日。年間第二十五水曜日。

    『聖マタイ使徒福音記者 祝日』
   
   『聖マタイの召命』  カラヴァッジオ作品

 マタイは、カファルナウムにまれ、
 イエスに招かれた時はユダヤの徴税人マタイ10-3として働いていました。

   ある日、収税所の前を通られたイエスから
   「わたしに従いなさい」と声をかけられてイエスに従いマタイ9ー9
       12使徒の一人となった。

 当時のユダヤ社会で使われていたヘブライ語(アラマイ語)福音書を書き記した。
   東方で福音を宣教し、エチオピアで殉教したと伝えられている。
         『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『イエスはおおせられた
    「あなたたちは諸国に弟子をつくりに行き、
    父と子と聖霊とのみ名によって洗礼を授け、
  私があなたたちに命じたとこをすべて守るように教えよ。」』
       マタイによる福音書 28章19-20節

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。
    栄光を受けた使徒の群れもあなたをたたえて歌う。』
        典礼聖歌 277番 聖マタイ  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは通りがかりに、
   マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
      「わたしに従いなさい」と言われた。
     

      彼は立ち上がってイエスに従った。

   イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
      徴税人や罪人も大勢やって来て、
      イエスや弟子たちと同席していた。
     
      ファリサイ派の人々はこれを見て、
        弟子たちに、
  「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
                       と言った。

      イエスはこれを聞いて言われた。
          「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。

        『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
                  ホセア書6章6節
                  とはどういう意味か、行って学びなさい。

            わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
                          罪人を招くためである。」
        マタイによる福音書 9書9-13節


   今日のイエス様は、
   世間では罪人の仕事であるとする徴税人の一人・マタイを弟子になさいました。
   その後、マタイの家で食事をしておられた時に、
   『わたしは、罪を赦し救うために、この世に来た。』
     と、ファリサイ派の人々の疑問に、答えました。


         マタイは徴税人で、罪人と考えられていました。
    ※人は、そんなマタイはイエスから呼ばれる資格はない、と考えるのです。
    ※イエスは、すべての人は神の似姿創世記1-26すべての人に価値がある。
        すべての人が『神の愛』を受ける資格がある。
        マタイも、人には必ず善と悪の両面があり、『神の愛』を受ける資格がある。
              と考えるのです。
    ※イエスは、友情の印で、マタイの招きに応えて、一緒に食事をしました。


       人は、イエスの友情を経験すると、悔い改めが出来ました。
        マタイも、実は、イエスの『声かけ』に友情を感じて、
       初めて、自分の罪深さの悔い改め、が出来たのかもしれません。
        それは、マタイの『喜びの時』、『生まれ変わる時』。
         マタイは、どんなに嬉しかったことでしょう♡♡
         マタイは、立ち上がってイエスに従ったのです♡♡
       人は、自分の力を信じ、人の助けを必要と考えない人は、
          誰の赦しも救いをも、求めることなく、   
          必要性をも感じないのかもしれません。


    初代教会の時代も、今の時代も、
    教会の日曜日の礼拝で、『神の御言葉』を聞くとき、
    イエスがそこにおられ、赦してくださること、を感じるのです。
    マタイのように自分にはその資格がないと思っても、
    イエスに呼ばれ、イエスの憐れみを受け、赦されるのです。


    私たち・キリスト者も、
    神に呼ばれ、神の慈悲によって赦しを受けた者です。
    赦された者として、イエスに倣って、人を大切にするのです。
    特に、困っている人や弱い人を大切にできますように。
    友情を示すことが出来ますように。
          祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人には、泣く時、笑う時。嘆く時、踊る時。戦いの時、平和の時。
思いがけない時、想定外の時、が必ず訪れます。
どんなときにも、皆で声かけあって、『時』を乗り越えましょう。 お元気で!   

大型台風14号日本上陸・・・『敬老の日』  そして 『入って来る人に光が見えるように、 ともし火を燭台の上に置く。』

2022-09-19 16:45:13 | 日々のこと。 世界のこと。
9月19日。月曜日。大雨と大風。

大型台風14号。
昨夜・18日午後7時、鹿児島付近に上陸。
19日~20日にかけて本州付近を北東に進む。
今日・19日夜には、近畿に最も接近する恐れ。

そんな台風のさなか。

今日は・・・      『敬老の日』
      
            『寿鶴亀松竹梅』


    『敬老の日』は、
     国民の祝日に関する法律第2条、
    「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」
                       ことを趣旨とする。

           長寿100歳時代と云われる現代。

         長年にわたり生かされていることに感謝し、
         周りの人たちに支えられての長寿を祝いました。

             有難い敬老の日です。
              感謝!感謝!

        
そして。

今日は9月19日。年間第二十五月曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、
     わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。』
         詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがたのを人々の前に輝かしなさい。
 人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天の父をあがめるようになるためである。』
      マタイによる福音書 5章16節    アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは人々に言われた。
    

     ともし火をともして、
 それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。

      入って来る人に光が見えるように、
         燭台の上に置く。
     
     『我が家の燭台 二つ』 友人のイスラエル土産

     隠れているもので、あらわにならないものはなく、
   秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。

     だから、どう聞くべきかに注意しなさい。

       持っている人は更に与えられ、
 持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」』
          ルカによる福音書 8章16-18節


    今日のイエス様は、
    ともしび火は、燭台の上に置く。
    あなた方の「信仰の光」を、人々の前に輝かしなさい。
        と、人々に言われました。


    イエス様の言われる、
    隠れているもので、あらわにならないものはない。』
     
    『秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。』
     それらの意味は、
       今は『隠れているもの』 又 『秘められているもの』
         それらは、必ずあらわになり、
         人に知られるようになる。
            との意味です。

   では・・・

      『隠れているもの』 又 『秘められているもの』とは何か?

            人が考えるのは、
                ※『悪事』は、必ずばれる。あらわにされる。
                又、
                ※『善意』も、隠していても、あらわにされる。
                 神様は全てお見通しで、『罪』や『報い』を与えられる。
                   と、考えるのではないでしょうか?

       イエス様の言われるのは、
       『隠れているもの』 又 『秘められているもの』とは、
              『神の言葉』です。


       『神の御言葉』は、
        今は、隠されている、秘められたものとなっている。
        神様は聖書を通し、教会を通して、
        昔から、『御言葉』を語りかけて下さっているのです。
             と、イエス様は言われるのです。

   実は、
       『神の御言葉』は、
       『わたしたちの道の光』、『わたしたちの歩みを照らす灯』
          燭台の上に掲げられるべき『光』なのです。

   しかし、
   現実は、
       ※神が語りかけておられるのを気づかない私たちです。
       ※『神の言葉』はなかなか私たちの耳に届いていないのです。

   そこで、
   イエス様は、
        ※『だから、どう聞くべきかに注意しなさい。』
           良く聞き、しっかりと受け止め、
         『神の言葉』を自分の中で受肉させなさい。
             と、言われるのです。

   最終的に、
        隠れて、秘められている、『神の御言葉』
        を公にし、実現するのは、神様ご自身です。
        それは、
        神様が独り子イエス様をこの世に派遣してくださり、
        イエス様が私たちの罪を全て背負って
        十字架にかかって死んで下さったことによって、
        『神の約束』である『救い』が実現することであり、
          『神の言葉』が成就することなのです。


     私たちは、
     主イエスを復活させて下さった神様が、
     私たちをも復活させ、永遠の命を生きる新しい体を与えて下さる。
       それを実現して下さる神様の力に信頼して、
        『神の御業』を待ち望みながら、
     『御言葉』をしっかりと聞くことが出来るのです。
     更には、
     『聞く者』は、『御言葉』による『恵み』がますます与えられ、
     『忠実に聞かない者』は、『神の言葉』の理解がますます弱まるのです。
                と、イエス様は話されます。
           

   
    私たちキリスト者は、
    『光』となる『信仰』を与えられました。
    それは、私たちがキリストの『証し人』となる『使命』でもあるのです。
     私たちの『信仰』が、多くの人たちの『光』となれますように。
           祈りましょう。

   
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
敬老の日の当事者の皆様、敬老の日おめでとうございます。
敬老の日を祝う側の皆様、皆で、世界の敬老の皆様の幸せをお祈りいたしましょう。
    敬老の皆様も、若い皆様も、お元気で!



司祭の祝福・・・『敬老の日』 そして 『あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

2022-09-18 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月18日。日曜日。曇り。


明日は、
『敬老の日』、祝日です。

今日は、
日曜日で主日。教会に集まる日でした。

そこで、
教会で、
       一日早い・・・  『敬老の日』
  
  主日・今日の祭壇前の   『祝い花』

      コロナ禍のため、教会での『敬老祝賀会』、3回目の取りやめです。


           今日は、敬老対象者の皆様は、
           祭壇前に集合することもなく、
            祈りの席に座ったままで、
        今日のミサ司式司祭様から『祝福』をいただきました。


   私も心から祈ります。
   
            『天地の造り主、主イエスの父なる神様、
          今日まで、一人一人の人生を導き、祝福し給うた事を
                 感謝いたします。
          また、一人一人の人生において、幾多の困難を乗り越え、
            頑張ってきましたそれぞれの「人生」を
                 祝福してください。

          これからも、高齢であるがゆえの「喜び」と同時に、
          高齢であるがゆえに向きあうべき「困難」が多くあります。

               神様の霊に満たされて慰めを受け、
            信仰と希望に支えられて「忍耐」の模範となり、
            あなたの「愛」の喜びを表すことが出来ますように、
                 お導きください。』



         今日は、ミサの中で、敬老者のために全員で心で祈る、
           静かな、心にしみる『敬老の祝会』でした。
          
          敬老の皆様のお幸せを心よりお祈り申し上げます。



そして。

今日は9月18日。年間第二十五主日。

『今日の入祭唱』

   『神は仰せになる。
    「わたしは民の救い。
   苦しみの中から叫ぶ民の願いを聞き入れ、とこしえに彼らを治める。』

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『イエス・キリストは富かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。
   それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになりためだったのです。』
          コリントの信徒への手紙 8章9節     アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    

   ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。
   ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

    だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、
   だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
    また、他人のものについて忠実でなければ、
    だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。

    どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。
  一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、
                  どちらかである。

    あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」』
           ルカによる福音書 16章10-13節


    今日のイエス様は、
    自分に与えられたものが、たとえ『ちいさなもの』でも、
    それを忠実に使い、
    周りの人々の生活を豊かにするために使わなければならない。
    そうすれば、
    神様は、あなた方を信頼して、更なる『大きなもの』をお与えになる。
        と、弟子たちに話します。


       『不正にまみれた富』とは、
        不正な手段で得た富ではなく、
        『この世の富』:『金や財産』
        という意味での、イエス様の『言葉』です。


      私たちは、
      働いて金を得ます。そして生活のために使います。
      しかし『金』は、神様の『恵み』でもあります。
      それを自分のためにだけ使うのでは、
      『富』に仕える者、となってしまう危険性があります。
      一方、
      それを自分の周りの人たちの幸せのためにも使うときは、
      『神』に仕える者となれるのでしょう。



   私たちは、
   『不正にまみれた富』を有難く使わせていただきながら・・・
      『富』は神様からの預かりもの、
      『富』は神様から人に任されたもの、
   その使い方において、神様に喜ばれ、神様に信頼されますように、
      『神に仕える者』になりましょう。
        祈りましょう。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は『敬老の日』です。
コロナ禍で一緒に集まることが出来ないご両親様や御祖父母様に、
優しい言葉をかけて、感謝を申し上げましょう。  お元気で!


聖書100週間・聖書通読会・・・『ヨハネの手紙』・・・『わたしたちに現れた永遠の命、イエス・キリストこそ真実の神です。』

2022-09-16 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月16日。金曜日。晴れ。


今日は、
金曜日
聖書100週間・聖書通読会です。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
  
  
     7月22日が、夏休み前の、聖書100週間の最終クラスでした。


       それからは、灼熱の猛暑の夏休みでした。
      猛暑とコロナ禍の真っただ中の、夏休みでした。


      そして。
      9月16日の今日は、丸二か月の夏休み明けの、
        聖書100週間最初のクラスです。


    仲間と、猛暑の二か月の♡『夏休み』♡の分かち合いをしました。
    ♡ドイツに11日間の『巡礼旅行』に行ったのは、仲間の最高齢の82歳の婦人でした。
    ♡”この夏には!” と初めての『登山』に挑戦したのは、仲間の一番若い婦人でした。
    ♡『美術館』巡りをなさったのは、絵画を長年の趣味としておられる三人の仲間です。
       ♡それぞれに素敵な夏休みを過ごした仲間たち全員でした♡
           

          仲間全員が元気な姿で再会でした。
           『勉学の秋』の始まりです。
              感謝!感謝!


そして。

   今日の通読範囲は、『ヨハネの手紙一・二・三』です。
      
       『ヨハネの手紙』の著者
         『聖ヨハネ』
    
    『福音記者ヨハネ』 エル・グレコ画

聖ヨハネはどんなお方でしょう?
検証してまいりましょう。


      『イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いているとき、
       ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネが、
      船の中で網の手入れをしているのをご覧になると、
         すぐに彼らをお呼びになりました。
       
       この二人は父ゼベダイを雇人たちと一緒に船に残して、
         イエスの後について行った。』
         マルコによる福音書 1章16-20節

       ガリラヤ湖畔で、父ゼベダイは漁業を営んでおり、雇人を持つ裕福の家であり、
                 母サロメは、後にイエスに仕えるようになりました。
        イエスについて行った時のヨハネは、18歳だったといわれます。

      ヨハネは、兄弟ヤコブとともに『雷の子』と呼ばれる、
         その性格は激しい二人だったようです。
       
         ヨハネは、イエスの12人の弟子の一人で、
      ペトロ、ヤコブとともに、3人の『イエスの側近』の一人であり、
         重大な時期にはイエスと共にありました。

      イエスの『磔刑』の時には、
      聖母マリアと数人の女性と共に、十字架のもとに佇みました。
      イエスの『昇天』後は、
      ペトロに次ぐ重要な位置を占めて、ペトロと一緒に活動しました。
    
   
  『ヨハネの手紙』は、
   西暦80~90年頃、イエスの死後50~60年頃、ヨハネが70~80歳頃、
   ヨハネは長老として、
   信徒たちが『イエス・キリスト』を正しく判断し、『落ち着いた生活』ができるように、
     小アジア地方の教会宛に書かれた手紙です。


      ◎『正しい教え』は何であるか。
      ◎キリスト者としての『正しい生き方』はどうあるべきか。
             それをどのように見分けるか。


   ◎神は『光』であり1章5節『真理』である。
      神は預言者を通して、更に御子イエスを通して、御自分を掲示し、
      『神の命』に私たち人間を参与させようと招いておられる。
   ◎神は、慈悲深く、憐れみそのものである。
      御子・イエス・キリストにおいて、私たち人間の罪や過ちを清め、
      人間を『神の子』の身分まで高めてくださる。
   ◎神は『愛』そのものである。4章8節
      神のあふれる『命と喜び』を、無償で、私たち人間に与えようとなさるのです。


   ◎キリスト者は、自分が正しい伝統的な教えに留まっているかを
      見分けることが出来ます。
       ①神からの『恵み』による『平和』が与えられ、
        喜びに満ちた生活を送ることが出来ている。か否か。4章18-19節
       ②兄弟を、実際に兄弟としてし、兄弟の交わりを保ち、
        ゆるしあっている。か否か。4章20-21節
 

      聖ヨハネは、
      『ヨハネの手紙』で、『神に近づく道』を示されたのです。
        手紙の最後に、締めくくりの『言葉』を書きます。

       『神の子を信じているあなた方に、これらのことを書き送くるのは、
          永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。
            神の御子イエス・キリストこそ、
             真実の神、永遠の命です。』
             ヨハネの手紙三 5章13-20節


     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     2000年ほど前に書かれた『ヨハネの手紙』を、嬉しく有難く読みました。
        正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日・土曜日から『敬老の日』月曜日まで、三連休です。
大型台風接近で要注意の三連休のようです。お気を付け下さい。
御両親様や御祖父母様にお電話などして、喜ばせてあげたいですね。 お元気で!

『悲しみの聖母 記念日』・・・『あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。』

2022-09-15 17:23:53 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月15日。年間第二十四木曜日。


       悲しみの聖母 記念日』 
             
                  『悲しみの聖母』
      十字架の足元で七つの剣に胸を刺されている聖母

     『十字架称賛 祝日』の翌日にあたる今日、
      教会は、マリアがイエスの受難のとき、
       十字架のもとにたたずんで、
    母として苦しみをともにしたことを思い出している。

           1814年。この記念日がローマ教会歴に取り入れられた。
        『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

      シメオンは幼子の父と母を祝福し、
        母親のマリアに言った。
       
       『神殿のシメオン』   レンブラント作品

     「御覧なさい。
     この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたり
                    するためにと定められ、
       また、反対を受けるしるしとして定められている。

       
         『ピエタ』  ミケランジェロ作品

        あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。」』
            ルカによる福音書 2章34-35節
   

    イエスが生まれてから40日の後、
    ヨセフとマリアは幼子イエスを神殿に連れて行きました。
       最初に生まれた子供は主に献げるという
      『モーセの律法』に定められた儀式のためでした。
    その神殿で、両親ヨセフとマリアは、
    シメオンという敬虔な老人と女預言者アンナに出会い、
    『幼子は異邦人を照らす掲示の光、イスラエルの民の誉れです。』
          と、シメオンから聞かされます。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『しあわせな方マリア、
   あなたは主の十字架のもとで共に苦しみ、殉教の勝利を得られた。』
            典礼聖歌 273番       アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスの十字架のそばには、
      その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア
         とが立っていた。

       イエスは、
       とそのそばにいる愛する弟子とを見て、
          
                           『キリストの磔刑』 ジョバンニ・べッリー作品
       
       母に、
       「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」
                   と言われた。

       それから弟子に言われた。
         「見なさい。あなたの母です。」

       そのときから、
       この弟子は
       
       『ヨハネの家』マリアの生涯をヨハネは共に過ごしました。

         イエスの母を自分の家に引き取った。 』
           ヨハネによる福音書 19章25-27節


    十字架上のイエス様は、最後に、
    母マリアに、「あなたの子」と言ってヨハネを示し、
    弟子ヨハネには、「あなたの母」と言ってマリア様を託しました。


       十字架のもとまでついてきたのは、
       イエスの母マリアと、イエスや弟子たちの世話をした婦人たち、
       そして、12人の弟子の中の『イエスの愛した弟子』・ヨハネでした。


    マリア様は、
    ※イエスの『奉献式』の時に、神殿で、
     イエスのために、嬉しいことも、悲しいこともあるでしょう。
     又、イエスのために『あなた自身も剣で心を刺し貫かれます』
       と、シメオンから言われました。
    そして、
    ※イエスの『磔刑』の時には、十字架上から、
     イエス様からマリア様と共に弟子のヨハネに声をかけていただき、
     同じ信仰によって、イエスの愛した弟子ヨハネと、
        新しい『関わり』が出来ました。


        マリア様は、
        母として、嬉しいことも、悲しいこともありました。
        最後には、十字架のもとにまでイエスについていって、
        イエスを信じる姿と、イエスを信頼する姿を、
                  我が子・イエスに見せました。


        マリア様は、
        イエス様を産んだ『母』であると同時に、
        イエスを信じるすべての人の『母』となり、
        キリスト者の信仰の『模範』、となっておられるのです。


 
    私たちキリスト者は皆、
    イエスの”愛する弟子”の一人として、
        聖母マリア様を自分の家に迎えましょう。
        
        マリア様と弟子ヨハネが過ごした『ヨハネの家』 今は巡礼地です。

        イエスへの信仰を、
        我が主・イエスに見ていただきましょう。
            祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分の母親に、そして我が子の母親であることに、感謝でいっぱいです。
母は、我が子の喜びの時も悲しみの時も、
『マリア様の模範』に倣って、ぶれることのない母親でいたいものですね。 お元気で!