マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

Happy ハロウィン・・・『パンプキン・パイ と ジャック・オ・ランタン』 そして 『だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』

2020-10-31 18:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
10月31日。土曜日。快晴。

   今日は・・・       『ハッピー ハロウィン!』
 
         手作りの 『パンプキン・パイ と ジャック・オ・ランタン』
    
         今年はコロナ禍のため、かの有名な渋谷スクランブル交差点での
            恒例の『ハロウィン集会』は自粛となったようです。
             若者にとっては寂しいような・・・今年です。
         来年は元気を取り戻して、再開を迎えられるようにと祈ります。
           決して例年のような警察沙汰のない、素晴しい集会となりますように!

                          
『ハロウィン』の起源
秋の収穫を祝うケルト人のお祭り日です。
ケルト人の暦では、10月31日は一年最後の日。大晦日。
翌日の11月1日に新年を迎えます。
この夜は死者の霊が家族を訪ねてくるとの言い伝えがあり、
新しい年を迎える前に、そして死者の霊をお迎えするために、
悪霊や魔女などを追い出すためのお祭りだったのだそうです。

『ジャック・オ・ランタン』
カボチャをくり抜いてロウソクを入れたもの。
31日に出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために
仮面を被り、軒先に魔除けの焚き火を焚いていたのが始まりのようです。
「善霊を引き寄せ、悪霊を遠ざける効果がある」ということで
家の軒先に飾られるようになったそうです。


     云われは何であれ・・・   🎃『お祭りは楽しい!』🎃
    
               ランタンは『夫と私』
         二人で力を合わせて我が家を悪霊から守ります!

        ケーキも、ボルドーワインも、いとうまし。美味なり。

今日は、ご近所さんが、「おいしそうなにおいがしますね。ケーキを焼いているの?」と。
       好天気の一日・・・家中の大掃除をして、家も我が心もスッキリ。
      いっぱい働いた後は、ケーキもワインも一段とおいしいのでした。
                             感謝!感謝!

ちなみに。
     今日の孫娘自作の 『ハロウィン・ケーキ』

     ハロウィンらしく  🎃『不気味なケーキ』🎃   だそうです

           皆様!  HAPPY HALLOWEEN!


そして。

今日は10月31日。年間第三十土曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしの神よ、 御旨を行うことをわたしは望み、
      あなたの教えを胸に刻みます。』

         詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『安息日のことだった。
  イエスは 食事のために ファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、

         人々はイエスの様子をうかがっていた。

イエスは、 招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、 彼らにたとえを話された。

      「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。
       あなたよりも身分の高い人が招かれており、
あなたやその人を招いた人が来て、
    『この方に席を譲ってください』 と言うかもしれない。

そのとき、  あなたは恥をかいて末席に着くことになる。

     招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。
 そうすると、あなたを招いた人が来て、
    『さあ、もっと上席に進んでください』 と言うだろう。
   そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。

 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』
         ルカ福音書 14章1&7-11節


    イエス様は、『神の国』について話す機会を、逃すことなく、話されます。
          今日も、ファリサイ派の家での食事の席で
         『神の国』について『たとえ』を話されました。

以前にも。  イエスは、 『神の国』は 『結婚式の宴会』のようなものである
                        とおっしゃいました。

今日。私はこんな風に考えました。

   ユダヤ人は、
     神から『選民』として選ばれ、
        神の国では『上席』につく権利があると考えたかもしれません。
     実際は。
      ユダヤ人の偉い人たちは、
        『上席』につくどころか、 『宴会』への招待を断りました。
   平凡な人たちは、
     『宴会』への招待を、
        自分には出席の『資格』はないと、謙遜に思いつつ、
          有り難く受け取り、宴会場をいっぱいにしたのです。
            以上。ルカ福音書14章15-24節参照


      イエスを信じる者の間では、
      差別があってはならないのです。上席も末席もあってはならないのです。
      『神の国』に入りたい人は、
      自分を低くして、初めて、『恵み』がいただけるのです。
      神の御前でへりくだる者が、『救い』を頂けるのです。

    神は、今も、いつも、
     誰をも、罪人をも、差別なく、『宴会』に招いてくださっているのです。


私たちは、
求められる『謙遜の道』を歩みながら、
神を信じて、皆で一緒に『神の国』に入りましょう。


『今日の祈願』

   『信じる者の力である神よ、祈ります。
     あなたを愛し、人々に仕える熱意を、
      私たちの中に燃え立たせてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は10月最終日です。明日から11月。いよいよ本格的冬を迎えます。
コロナとインフルエンザのダブルパンチに向かってご自愛下さい。 お元気で!

孫娘の4時間の瞑想授業・・・『修養会』 そして 『イエスは言われた「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」』

2020-10-30 09:00:00 | 娘と娘家族
10月30日。金曜日。曇り。

中学一年生の孫娘
今日は特別授業です。

               『修養会』
 
             『瞑想  Meditation』

昨日の学校からの連絡です。

       「中学一年生と二年生と高校一年生は、9時の登校にしてください。
        何も持って来なくていいです。 3学年は『修養会』とします。
          他の学年はいつも通りに登校して授業をします。」

今朝。
      孫娘は、遅い登校時間に大喜びで、何も知らぬまま出かけたそうです。
       各教室で、今日の『特別授業』:『修養会』の説明がありました。

       『修養会』は、1時までの4時間を、沈黙で過ごします。
           その間に各自がすることは・・・
         ①落着く ②気がつく ③分析する ④共感する


          ゆっくりとした時間を静かに過ごしながら、
          頭の中に浮かんでくることを考えてください。
       その内容を分析して、今の自分と共感してみてください。

     瞑想の場所は、教室でも、教会聖堂でも、校内のどこでも結構です。 
       自分の沈黙・瞑想にふさわしい場所を探してください。
  『教皇様の地球環境へのメッセージ』を写している教室にも寄ってみてください。


『修養』とは・・・
知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること。
精神を修養すること。

『瞑想』とは・・・
参加者のレベルに応じて
向き合うべき課題と習得するポイントが異なります。
ゆっくりと徐々に自分に馴染む必要があります。
ステップを踏んでゆっくりとに向き合います。
①落着く  ②気がつく  ③分析する  ④共感

瞑想は何の為に行うのかというと、
『自分と友達になる』為に行います。
すなわち自分に馴染むことです。

 自分の心がどういう状態なのか?
自分の体がどう状況なのか?
 そして自分の言動や行動がどうなっているのか?
素直に見つめる力を養っていきます。
その為にはまず心を落ち着つけたり、
物事に気がついたりすることが必要になります。
      広辞苑より


   孫娘が選んだ場所は・・・   『芝生のグランドに寝っ転がる』
  
       空を見上げると・・・真っ青な空が見え、鳥が4匹飛んでいたそうです。
          まず、小さな鳥と同様に・・・”自分の存在は小さいな~”
                と思ったそうです。

しばらくすると・・・
    ①心がゆったりと『落ち着いて』きて・・・ 
           ②自分が何を考えようかと『気がついた』そうです。

考える『テーマ』が決まってから・・・
    聖堂に行って、教皇様のビデオを見て、『十字架の道行き』(学校では『巡礼』と呼ぶ)をすませて、
           芝生のグランドに戻り、『瞑想』を続けると、
         ③『テーマ』の『分析』ができ、 
     ④『自分と友達になる』ように自分自身と『共感』が生まれたそうです。
                 孫娘の『テーマ』や『分析内容』などは内緒にしておきましょう。
                  月曜日に、『テーマ』や『分析内容』と『共感』のレポートを提出するそうです。


私の経験。
大学時代の休みになると
教会が山中や渓谷などで開催する
『黙想会』:『修練会』に出席したものです。
一泊、二泊、一週間の泊まり、等で、
『沈黙の時間』を過ごしたものでした。

   
        今日の4時間の『修練会』に参加した孫娘達は、中学一年生です。
         日常の授業のように、今日の『特別授業』の話をする孫娘です。
           心の修練は中学一年生でも可能だということですね。
              14歳の能力を過小評価していたことを恥じる私です。


       今日の私は、 孫娘の学校の『授業』から教えられました。 
        日常を、バタバタと考えることなく過ごすだけではなく、
        ゆったりとした時間、 自分や神と対峙する時間、を持ち
      『自分と友達になる』ことを忘れないようにしなくてはなりません。
                          感謝!感謝!


そして。

今日は10月30日。年間第三十金曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
   わたしは御顔を仰いで満ち足り、 喜び祝い、
     右の手から永遠の喜びをいただきます。』
        詩編 16章11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『安息日のことだった。
   イエスは 食事のために ファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
       人々はイエスの様子をうかがっていた。

そのとき、  イエスの前に 水腫を患っている人 がいた。
そこで、 イエスは 律法の専門家たちやファリサイ派の人々に 言われた。
    「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
           彼らは黙っていた。

すると、    イエスは病人の手を取り、
    
           病気をいやしてお帰しになった。
そして、言われた。
    「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
    安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」

       彼らは、これに対して答えることができなかった。』
            ルカ福音書 14章1-6節


     『安息日』
イスラエル人にとって、何もしないで、 すべての恵みを『神に感謝する日』 でした。
      又 『エジプトから救われた日』 を 『感謝する日』でした。
ファリサイ人は、困っている人を助けるより、(別の日に病者は癒せば良いので) 
      律法を守ることが大切な日、と考えていたようです。
イエスにとっては、 『神の恵みに感謝する日』 そして 『救いの日』 でした。
      イエスは、安息日も、人を癒して、人を救っていました。


         イエスは、ファリサイ派の人たちに、呼びかけました。
            安息日の食事の席で
              病人を癒しながら・・・
          安息日の考え方を、 考え直すことを勧めました。
             ところが。
        ファリサイ派の人々は、イエスの呼びかけには、応えません。
          考え方を変えるつもりはありません。 
        むしろ、イエスは 『逆らいのしるし』 であると考えたのです。
           常に。
        人々は、安息日の、イエスの『愛の業』を賛美する人々がいました。
             一方、それを、悪く解釈する人もいたのです。


私たちは、
『ミサ』の時に、皆様と一緒に、
『神の子羊の食卓』についているのです。
主の食卓で、キリストは、私たちの幸せと不幸を共にし、
私たちの力と癒しになってくださっておられます。
ミサにあずかり・・・キリストの癒やしと力をもらって、
いつの時も、困っている人の癒やしと力になりたいものですね。


『今日の祈願』
  
   『いつくしみ深い父よ、あなたの民の力となってください。
      主の食卓で養われたわたしたちが、
   古い人を脱ぎ捨て、新しい命に生きることができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も一週間お疲れ様でした。
ゆっくりと穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!

『控えめな美』・・・『亡き母の椿』 そして 『イエスは、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」と言われた。』

2020-10-29 09:00:00 | 父と母のこと 兄弟のこと
10月29日。木曜日。曇り。

今年
全く実らなかったぶどうの木。

   一方。
         
      20ほどの蕾を付けた・・・   『椿』
    
        私の母が私と同居するときに東京から移植させた椿

             椿の姿と母の姿が重なります。
                  
                『完全無欠の姿』 
   
               
    自分の親を『完全無欠の人』と言い切れる私は、幸せ者です。

       母は・・・
  おとなしい外見でも、常に精神的調和の保たれた、家の『要』でした。
       母は自分の考えを優先させることがあっただろうか?

      同居となった母は・・・
美しい外見を保ち、常に孤独な老人の毅然たる姿を示す、家の『要』でした。
       母から愚痴を私は聞いたことがあっただろうか?

  『ピンクの椿の花言葉』 は 『控えめな美』 『控えめな愛』 『慎み深い』
          『母』にぴったりな『花言葉』です。

       
   今日も、椿の花を眺めながら、母の境地に達する術を思いやる私です。
        理想の女性の『模範』を持つ私は、幸せ者です。
                       感謝!感謝!

そして。

今日は10月29日。 年間第三十木曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしの神よ、 御旨を行うことをわたしは望み、
      あなたの教えを胸に刻みます。』

        詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『ちょうどそのとき、
      ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、 イエスに言った。

    「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
イエスは言われた。
       「行って、あの狐に、
   『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』
                     とわたしが言ったと伝えなさい。


    だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。
     預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。


エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、
           めん鳥が雛を羽の下に集めるように、
        わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。
         だが、お前たちは応じようとしなかった。

          見よ、お前たちの家は見捨てられる。
 言っておくが、
 お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、
           決してわたしを見ることがない。」』

             ルカ福音書 13章31-35節


ヘロデは、ヘロデ大王の第二子、父の死後、エルサレム、ガリラヤ、ペレヤの領主となっていました。
    自分の結婚について忠告された『洗礼者ヨハネ』を殺害する。
又、イエスの十字架の前に、ピラトからそのもとに送られてきたイエスに質問したのも、ヘロデです。


この度は。

     ヘロデは、
        イエスが邪魔のため・・・
      イエスが自分の支配する領地・エルサレムから離れてほしいと、願っていたのです。
  一方。
     イエスは、
       『十字架上の苦しみと死』が迫っていることを知っていたのですが・・・
      『御父からの使命』を、最期の『時』まで、続けなければなりません。
      ヘロデの領地・エルサレムで死を迎えることを知っておられました。


     イエスの活動に反対する多くの人は、エルサレムの高官達でした。
       イエスは、そんなエルサレムの人達の『救い』のために、
         『めん鳥が雛を羽の下に集めるように』
            呼びかけておられたのです。
       イエスは、呼びかけに応えない人たちに向かって、
         『見よ、お前たちの家は見捨てられる』 と。
            最後は、すべてを御父にゆだねたのです。


私たちは、
『神の道』を理解することができなくても
今も、いつまでも、キリストが共にいてくださることを
信じてまいりましょう。
         

『今日の祈願』

  『信じる者の力である神よ、 祈ります。
あなたを愛し、人々に仕える熱意を、私たちの中に燃え立たせてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しく咲く花も、おいしい実を生らす木も、育て主の愛情に十分に応えてくれる
姿なのでしょうね。 がんばります。 お元気で! 

『みにくいアヒルの子』・・・『違い万歳!個性万歳!』 そして 『イエスは弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。』

2020-10-28 06:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
10月28日。水曜日。曇り。

朝ウォーク途中の公園
すっかり秋です。

              『秋空に真っ赤なもみじ』

      沢山のもみじの木々の中で、一本だけが、すっかり紅葉しています。

           ”一本だけ! どうしたのだろう?”
             と考える私は、 突然、
          アンデルセン童話:『みにくいアヒルの子』
 
               を思い出しました。


『みにくいアヒルの子』
   思い出してみました
一羽のアヒルのお母さんが
巣の中のタマゴをあたためていました。
やがてタマゴが一つずつ割れると、
中からは黄色い色をしたかわいいひなたちが顔を出します。
ですが、巣の中で一番大きなタマゴだけが、
しばらくたって、やっとタマゴを割って出てきたのです。

たいそう体の大きなみにくいひなでした。
みにくいアヒルの子はどこへ行っても
いじめられ、つつかれて、かげ口をたたかれます。
はじめのうちはみにくいアヒルの子をかばっていたお母さんも、
「本当にみにくい子。いっそ、どこか遠い所へ行ってくれたらねえ」
と、ため息をつくようになりました。

それを聞いたみにくいアヒルの子はいたたまれなくなって、
みんなの前から逃げ出してしまいました。
あてもなく飛び出しましたが、どこに行ってもきらわれます。
アヒルの子は人目につかない場所を選んで眠り、
起きればまた逃げ続けました。
季節は秋になり・・・
みにくいアヒルの子はこれまで見たこともないような、
美しい白鳥のむれを目にしました。
白鳥たちはあたたかい国へと飛んでいくところでした。
アヒルの子は美しい烏たちが空のかなたへ去っていくのを見送りながら
考えました。
「あんな鳥になれたら、どんなにか幸せだろう。
いや、アヒルの仲間にさえ入れないのに、そんな事を考えてどうするんだ」

やがて冬が来て・・・
アヒルの子はアシのしげみにじっとうずくまって、
氷が張る沼できびしい寒さをたえしのびました。
ついに、春が来て・・・
アヒルの子はつばさをはばたいてみました。
すると体が、浮くではありませんか。
「ああ、飛んだ、ぼくは飛べるようになったんだ」
その時、おほりにいた白鳥たちが、いっせいに近づいてきたのです。
「ああ、みにくいぼくを、殺しにきたんだ。
みんなからひどい目にあうより、
あの美しい鳥に殺された方が、ましかもしれない。
「さあ、ぼくを殺して!」
しかし・・・
白鳥たちはアヒルの子の周りに集まると、
やさしく口ばしでなでてくれて、言ったのです。
「はじめまして、かわいい新人さん」
ビックリしたアヒルの子は・・・
水の上に目を落とすと、そこにうつっていたのは、

もうみにくいアヒルの子ではありません。
まっしろに光りかがやく、あの白鳥だったのです。

冬の間に羽が抜けかわって、美しい白鳥に姿をかえていたのでした。
黒くてみにくい姿だった雛は、
成長して立派な白鳥の姿になっていたのです。
そして白鳥の群れにあたたかく迎え入れられ、幸せに暮らしました。
   以上。ネットより拝借    子どもの頃読んだ懐かしい話ですね

          アヒルの親のもとに生まれた黒い雛は、
        容姿のみにくさからいじめを受け、死を覚悟しますが、
      最終的には自分が白鳥だと気付いて幸せに暮らすことができました。

  
 今朝。    私は、一本のもみじだけが真っ赤に紅葉しているのを見て、
             ”一本だけ! どうしたのだろう?”
              と考えた後にすぐに
         なぜか? 『みにくいアヒルの子』 を思いだし
    ”私は、何事も、本質を見ないで、見た目で判断しているのではないかしら?”
              と思った次第でした。


         兄弟と異なる姿をしていた黒いアヒルは、
       ”みにくい!” ”みにくい!” と言われ続け、
            自らも
     ”自分はみにくい。 生きてる価値もない。” と考えるようになりました。
 黒いアヒル自身も、周りのアヒルたちと同じように、自分を見た目で判断してしまうのです。
  それでも。
   最後に、分け隔てなくアヒルを迎え入れてくれる白鳥たちの優しさのお陰で、
     『みにくいアヒル』は、 『自分の本質』は『白鳥』 だったことを知ります。
     自分のアイデンティテーを見いだし、心穏やかに、過ごすのです。



       私は、今日、『一本の真っ赤なもみじ』から、学びました。
        人は、一人一人違うのです。 個性があるのです。
       違いにこそ、 『人の価値』があるのです。素敵なのです。
  反省しました。 私は、白鳥たちのように優しく
            すべての人を受け入れているだろうか?
            お人の立場になって考えているだろうか?
              反省!反省!  感謝!感謝!

           違い万歳! 個性万歳!
                           お粗末様でございました


そして。

今日は10月28日。年間第三十水曜日。

『今日の入祭唱』

  『神に選ばれ、偽りのない愛に生きた聖人たちに、
    神は終わりのない栄誉をお与えになった。』 



『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのころ、   イエスは祈るために山に行き、
    
             神に祈って夜を明かされた。

朝になると弟子たちを呼び集め、
          その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。


それは、イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、
フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心党と呼ばれたシモン、
   ヤコブの子ユダ、それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。

      イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。

      大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、
          また、ティルスやシドンの海岸地方から、
     イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。
       汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。

         群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。
    イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。』
             ルカ福音書 6章12-19節



         イエス様は、 『大事なこと』 を決める前には、
            必ず、一人で、山に入り、
             御父に祈られました。 

初めに。  多くの弟子たちが、 イエスと親しくなり、 イエスにいていきました。
段々に。  イエスは、反対者の迫害を受け、 御自分が亡き者にされるが来たことを知りました。
そこで。  イエスは、12部族でできている『イスラエルの代表者』として、『12人』を選び、
      その12人に、『御父からイエスに与えられた使命』引き継がせる必要を感じたのです。
           山へ、一人で、神とお話しするために行かれたのです。


        イエスが、 『御父から与えられた使命』 は、
    宣教、病者の癒し、弱者の味方になること、人類の贖罪となること、等々でした。

           12人の使徒たちの『使命』は、
  イエスと共にした『イエスの生活』 と 『イエスの復活』 の『証人』になることです。
        12人の使徒たちが『証人』となるためには、
          イエス様の『謙遜と従順』を学び、 
    自分たちの『自己愛と虚栄心』から解放されなければなりません。


      12人の使徒を選んだイエス様は、
       12人に、『最終的段階の教育』を与えていかれるのです。


私たちも、
キリスト者として、イエスの証人になるべく、
イエスから遣わされた者です。
聖書の『イエスの御言葉』と共に生活をし、
神から力と勇気を頂きながら、
謙虚に『イエスの証人』となりたいものですね。


『今日の祈願』

   『すべてを治められる父よ、
 わたしたちは、使徒の証しを通してあなたへの信仰に導かれました。
  使徒たちの祈りに支えられて、神を信じる人が日ごとに増し、
      教会が絶えず成長しますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一つの景色が心の中の記憶を呼び覚し、その記憶の意味を納得する
ということがあるものですね。 お元気で!

インフルエンザワクチン接種 そして 『神の国は、からし種が成長して大きな木になるのに似ている。』

2020-10-27 10:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
10月27日。火曜日。曇り。

インフルエンザとコロナ禍
のダブルパンチの今年の冬。
インフルエンザワクチン接種
を勧められます。


       赤く色づいてきた・・・     『庭の木々』

                                美しい紅葉の始まりです

        美しいぶどうの葉ですが・・・今年は実が全くなりませんでした。
        虫も付いていなかったし 何が原因か? 肥料不足だったか?
             予測しなかったことが起こるものです。


    ワクチンとは、ウイルスや細菌等、病原菌を処理して作った薬剤のことですよね。
    ワクチン接種は、免疫の働きによって、体に侵入した病原菌の増殖を抑えます。
    免疫力ができ、体に侵入した病原菌の増殖を抑えるよう働くのです。

      理屈は分かりますが・・・
      接種したその時点で、体内の免疫力が下がっていたら、どうなるのでしょう?
        ワクチン接種でインフルエンザへの免疫力ができるどころか
           インフルエンザにかかちゃうのでは?
         予想しなかったことが起こるかもしれませんよね。


    日頃から、自分の体の『免疫力』のup and downについて、とても気を遣う私は
       今まで、インフルエンザワクチン接種をしたことはありません。
       

    今日は、自分の信念に反して、でもコロナ禍対策のために、新体験の日でした。
        インフルエンザワクチン接種をしてきました。  
    緊張する私に、 ”大丈夫ですよ!”と笑いながら、 対応くださる主治医でした。
                               感謝!感謝! 


そして。

今日は10月27日。年間第三十火曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。 全地よ、主に向かって歌え。
 国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』

         詩編 96章1&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  イエスは言われた。

       神の国は何に似ているか。  何にたとえようか。

         それは、からし種に似ている。
 
             『からし種の花』

    人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、
 
           『からし種の木』
 
         その枝には空の鳥が巣を作る。」』
            ルカ福音書 13章8-21節

今日も・・・

      イエス様は、 『たとえ』 を用いて、人々に話されました。
           『神の国は「からし種」に似ています。』 と。

       では、 たとえの『からし種』 とは何なんでしょう。 
  それは、『神の御言葉』と『神の働き』 であり、 『信仰』 ではないでしょうか? 


私はこんな風に考えました。

           『からし種』は、とても小さな種ですが、
 
      生長すると大きな木になり、鳥が巣を作るほどになります。
   それは、種を見ただけでは想像すらできないほど不思議なことです。
        『神の国』はそのようなものだということですね。    

まず始まりは・・・

  イエス様は、 沢山の『神の言葉』を話し、 沢山の『神の働き』をなさいました。

次に・・・
     
イエスの言動を見聞きする多くの人たちは、イエスを信じ、『信仰』が生まれたのです。

     小さく見える『イエス様の話と行い』は、 大きく広がりました。
        イエス様を知って、 イエス様を信じて、
          『信仰』が生まれ、
      人々は、一つに集まり、『共同体』を作ったのです。
  

     『共同体』を作った、イエスの弟子たちや信徒たちは、
           自分たちの『信仰』を人々に伝え
      更に、多くの『教会:神の国』へと発展していったのです。

多くの『教会:神の国』は、 『信仰』が深まり、霊的にも深くなっていきました。
         そして。
       大きくなった『からし種の木の枝』に空の鳥が巣を作るように、
       世界中の人々が、『神の国』に集い、そこで落ち着き、
        『平和』を味わうことができるようになったのです。
   


たとえば。
私の経験です。
私に洗礼を授けてくださった神父様は、
74歳の時に『からし種』
カンボジアの孤児たちや地雷で片足を失った方々の
住まわれる地に『播いた』のです。
すると・・・
日本国内の方たちや現地の司祭様たちの協力の『輪』が広がり、
『からし種』はどんどん大きくっていきました。
94歳になった今までの20年間の間に、
神父様が播いた『小さなからし種』は、
多くの『学校』『職業訓練施設』や外国に輸出までする『洋服製作所』
等々の・・・『大きなからし種の木』に育ったのです。
小さな一粒の『からし種』は、沢山の『神の国』をカンボジアに建設したのです。
カンボジアの皆様にとっての『平和』に満ちた『神の国』は、今も益々大きく育っているのです。


       『神の国』は初めは小さくても、 必ず拡大します。
          人間の力では不可能のように思えても、
            神の力で予測しなかったことが起こるのです
     『御言葉』は必ず成就し、 『神の国』は実現してゆくのです。



私たちも、
私たちが蒔く種は小さい小さい種です。
育つだろうか? 大きくなるだろうか? と心配しますよね。
しばらくは、育っていくのが見えなくても、
「思ったより大きくなるものですよ」と教えてくださるイエス様です。
神は、人間の失敗や弱さを通しても、『神の国』を発展させるお方です。
神のお働きに希望をかけて、今日も『からし種』を播いてまいりましょう。


『今日の祈願』

      『すべてを治められる神よ、
    み旨に従って生きる人に、あなたは神の国の喜びを備えてくださいます。
あなたからいただくすべてのものが、救いのみわざの完成に役立つものとなりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しい『紅葉の秋』の始まりです。
遠出は難しいご時世ですが、近所の散歩で『紅葉の始まり』を
楽しみましょう。  お元気で!

『一歩一歩 自分の足で登った』・・・『標高6143mのパルチャモのピークに挑む』 そして 『安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。』

2020-10-26 15:00:00 | 登山・ハイキング
10月26日。月曜日。晴れ。

人間の能力は
神にも似て、無限であろうか!?
人間の能力の限界への挑戦です。


           『6187mのパルチャモ  登頂成功』

         ヒマラヤを東西に貫く世界で最も過酷なトレイル

            世界最高峰エベレストを巡り絶景:
    『標高8586mの主峰など5座が連なる「カンチェンジュンガ山群」の巨大な姿』
        を『一枚画』に捉える二人の山岳カメラマンの
          酸素ボンベなし、 30キロ以上の荷物を担いで、 のトレイルです。
                人間の能力の限界への挑戦です。 


その道中は・・・

     『いや でも二人の力を合わせれば・・・』
 
濃霧と強風のために予定変更。 これまでに人類が登頂したことのない未踏峰のルートを進む。

      その危険と、 その恐ろしさに、 尻込みをする。 もうやめたい。
        『いや でも二人の力を合わせれば・・・
            信頼する相棒がいるから進むことにしよう・・・』



今日NHKドキュメントでその様子を見ている私まで・・・思わず尻込みをします。怖くなります。
        ず~と、 ”がんばって~~!”  と声をかけ続けました。
     それでも、私は思うのです。 ”私も登ってみたい!” 
        大胆にもそう思うのは、
  そのトレイルの持つ山々の魅力でしょうか? 未知の世界への挑戦の憧れでしょうか?


ちなみに私の経験した最高峰は
 『標高4139メートル』
ハワイ島マウナケア山頂に設置されている
 『天文台 ハワイ観測所』 地点。

勿論登山ではなく特殊自動車に乗っての登頂でした。
5人仲間の2人が高所病にかかりました。

   2人のパーティーは進みます・・

          雪に隠れた 『氷の切れ目』に ズボッ! 
             落ちそうになります。落ちれば命取りです。 
           

 生命の危険と向き合いながら・・・
 それでも

           『一歩一歩 自分の足で登って・・・』

  登頂成功!  『カンチェンジュンガ ”五大宝峰”』の『一枚画』 写真撮影成功!
    勿論のことですが、すべての映像は、二人が、担いで登った映写機で、登山途中で撮った写真です


      今日は、 
        『人間の能力の素晴しさ』 に感動しました。
    『命と駆け引きの場』での 『人のつながりの素晴しさ』 に感動しました。

       お二人の英雄の姿から、 明日への『勇気』を頂きました。 感謝!感謝!



そして。

今日は10月26日。年間第三十月曜日。

『今日の入祭唱』


  『主はわたしの支えとなり、 わたしを広い所に導き出し、
      助けとなり、 喜び迎えてくださる。』

         詩編 18章19&20節 

 

『今日の福音 イエスの御言葉』

      『安息日に、イエスは  ある会堂で教えておられた。

   そこに、
        十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。
     腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。


イエスはその女を見て呼び寄せ、
     「婦人よ、病気は治った」 と言って、 その上に手を置かれた。

      女は、 たちどころに腰がまっすぐになり、 神を賛美した。

     ところが会堂長は、

    イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、 群衆に言った。

        「働くべき日は六日ある。
     その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」

しかし、
   主は彼に答えて言われた。
      「偽善者たちよ、 あなたたちはだれでも、
   安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。

    この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。
 安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」


こう言われると、
         反対者は皆恥じ入ったが、
    群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。』

           ルカ福音書 13章10-17節


まずは
調べてみました。


          『安息日』 とは何を意味するのか?

旧約時代には・・・

     神は『安息日』を、破ることができない『契約のしるし』として守るために
          イスラエルに委託されたのです。



『モーセの律法=十戒』
    『第三の掟』

 『安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、
  いかなる仕事をしてはならない。』
    出エジプト記 20章7&8節 


     『安息日』は、 主のためのもので、 
    神への賛美のため、
    その創造の御業とイスラエルのために行われた救いの御業への賛美のために、
         聖なるものとして残しておくべき日なのです。


     神のなさり方は、 人間のやり方の『模範』となります。
   神が、七日目に『御業をやめて憩われた』 出エジプト記31・17 のであれば、
   人間も、仕事を『やめ』、 他の人々、特に貧しい人々が『元気を回復する』ための機会を
           与えなければなりません。
   『安息日』は、 仕事の奴隷になること や 金に仕えることなどとは
           相いれない日なのです。


新訳時代には・・・

    イエスが『安息日の掟』を破って非難された出来事を、 福音書はたびたび記します。

    しかし、 イエスは、決して、 『安息日』の『神聖さ』、 を損なってはおりません。
    そして、 イエスは、 『安息日』の『真正な解釈』、 を権威をもってなさいます。

     『安息日は、人のために定められた。 人が安息日のためにあるのではない。』
                    マルコ福音書 2章27節

      イエス様は、あわれみの心をもって、
    安息日は、 悪を行うよりは善を行う日、 殺すよりは救う日、
                   であることを正当化しておられるのです。

  
  『安息日』は、 『主のあわれみの日』であり、 『神を敬うための日』 なのです。
           『人の子は安息日の主でもある』 
              マルコ福音書2章28節

                以上。『カトリック教会のカテキズム』より


ここで。
今日の福音に戻りまして・・・


     当時は、ユダヤ人たちは、
    『安息日』には、会堂に集まって、聖書の言葉を聞き、祈りをしました。

     その日は、会堂で、
     イエス様は、
     『聖書の言葉』をえて、 そこの場にいた『病人』をされたのです。
     すると、会堂長は、
     イエスの『行動』を見て、 腹を立て、
       イエス様に向かってではなく、その場の会衆に向かって、
     『安息日ではない六日間の間に、癒してもらいなさい。』 と警告したのです。


      イエス様は、 会堂長の考えは『偽善』である、 と言われました。
      安息日でも、喉が渇いている動物に水を与えるではありませんか。
        ましてや。
      安息日でも、癒やしを望む病人を救うべきではありませんか。 と。

          本当の『善』とは、
     自分の考えを通すことではなく、お人の救いのために働くことです。 
           『神の救いの業』 なのです。

私たちも、
神の考え方と救い方は、人間の考えの及ぶものではないことを知って、
謙虚な心で、『安息日』を大切にしたいものですね。


『今日の祈願』

  『聖なる父よ、
あなたはキリストによってわたしたちをあがない、神の子としてくださいました。
     あなたの愛を受けた民を顧み、 御子を信じる人々に、
       真の自由と永遠の喜びをお与えください。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『挑戦の秋』ですね。 挑戦は希望です。生きる糧です。
今年も何か一つ、小さなことでも、挑戦したいものですね。 お元気で!

『No More ヒバクシャ』・・・『核兵器禁止条約』 そして 『愛神愛隣』・・・『あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい。』

2020-10-25 17:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
10月25日。日曜日。快晴。

今日は記念すべき日。
世界平和への第一歩の日。


  原爆投下後

           「亡き弟を背負った  『焼け跡にたつ少年』
    
        米占領軍カメラマン・米国の写真家ジョー・オダネル氏の『証言』
 
     原爆投下後の広島・長崎に入り、被爆した市内の様子を撮影しました。
    火葬場にいた2人の男が背中の弟を下ろし、そっと火の中に置いた。 と証言。


そして昨日。10月24日。

           『核兵器禁止条約』  批准国・地域が50に達成

                『国連安全保障理事会』

10月24日。 史上初めて核兵器を全面禁止する『核兵器禁止条約』を批准した国・地域が
                中米ホンジュラスが批准し
               発効に必要な50に達しました。
90日後の
来年1月22日。
    『核兵器禁止条約』・・・来年1月発効  国際規範で核軍縮迫る。


今日この『ニュース』を聞いたとき
私の脳裏に
歓喜の『聖歌』が鳴り響きました。

     『今日こそ神が造られた日  喜び歌え この日を共に
       恵み深い神に 感謝せよ そのあわれみは 永遠』



国連のグテレス事務総長は声明で強調しました。
   「発効は多くの被爆者や核実験の被害者に敬意を示すものだ。」
  更に。
      「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的被害について、
      注意を喚起しようとする世界的な運動の集大成でもある」
  
                       と歓迎しました。

条約の批准を各国に働きかけてきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)
                     ↑2017年ノーベル平和賞受賞NGO
フィン事務局長
は指摘しました。
  「発効すれば(核軍縮を進めるべきだという)強い国際規範が生まれる」 
  更に。
     「条約の枠外にいる核保有国にも核軍縮を迫る圧力になる」 
                     と強調しました。

 今後は
   
批准国を増やし、 『核なき世界』を求める『国際世論』 をどこまで強められるかが焦点になる。

      米露などの核保有国 や 米国の「核の傘」に依存する日本など
        参加しておらず、 実効性の確保が課題になるが、
核兵器を『非人道兵器』とする国際規範が誕生することで核軍縮を迫る圧力になることが期待される。
                 以上。 ネットニュースより


            『今日こそ神が造られた日』
 

      日本に生まれた日本人であり そして 世界の中で世界人である私。
    『No More ヒバクシャ No More 核兵器』 運動のために私は何ができるのか?
       考え続けなければならない。 と考えた一日でした。 感謝!感謝!


そして。

今日は10月25日。年間第二十三主日。

『今日の入祭唱』

    『主を求める人よ、 聖なる御名を誇りとせよ。
 心に喜びを抱き、 主の御力を尋ね求め、 常に御顔を求めよ。』

        詩編 105章3&4節


『今日の第一朗読 神の御言葉』

       『主は言われる。
 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。
     あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。

 寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。

もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。
     そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。
      あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。

もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、
    彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。


もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。
    なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。
      彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。

   もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。
         わたしは憐れみ深いからである。』
 
           出エジプト記 22章20-26節


 旧約時代
 人々から除外される人。いじめられる人。寂しい生活の人。貧しい人。等々。沢山いました。
     イスラエル人は、エジプトで奴隷生活を送っていました。

イスラエル人は、エジプトから脱出後に、自分たちの経験から『律法』を決めたのです。
      『神を大切にすること』 同時に 『人をも大切にすること』
           『愛神愛隣』


『今日の福音書 イエスの御言葉』

   『そのとき、ファリサイ派の人々は、
 イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
  そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。

     「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
         これが最も重要な第一の掟である。
       第二も、これと同じように重要である。
       『隣人を自分のように愛しなさい。』

     律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」』
         マタイ福音書 22章34-40節

新約時代
   すでに、旧約時代から受け継いだ、 沢山の『掟』 がありました。
しかし、『掟』を守ることが中心となり、 『愛の実践』が忘れられがちでした。

   そんな時。
  イエス様は、 「愛の掟」 こそがすべての中心である』  とおっしゃったのです。
    『神を愛することは人を愛すること』 であり 『一つの掟』 である。
           『両者』は、 切り離すことはできない。


       『隣人を自分のように愛しなさい。』
   『新しい掟』『愛の掟』 をイエスは定められたのです。


私たちも、
私たち一人ひとりが、神から愛されていること。
私たち一人ひとり・すべての人が、価値ある存在であること。
また、すべての人において神を見いだすこと。
   を忘れずに、
すべての人と愛し合って日々を過ごしたいものですね。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
空気が乾燥して、換気がしにくくなる冬こそ、コロナ禍の正念場です。
心して毎日をご自愛下さい。 お元気で!

GO TO トラベル・・・『淡路島一周バイク・ライド』 そして 『言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、 皆同じように滅びる。』 

2020-10-24 10:00:00 | 息子と息子家族
10月24日。土曜日。快晴。

『Go To トラベル』
息子夫婦とその友人夫婦が
自分たちの住む東京から
私の住む神戸に来るという。

  目的は・・・
  『Go To トラベル』

             『淡路島一周バイク・ライド』 

淡路島1周は、 絶景の海岸線を走り、 山岳エリアの激坂をヒルクライムして、 走る距離は150km

           超アスリートの息子夫婦とその友人夫婦

コロナ禍のため、国内も国外も、トライアスロンもマラソンも、参加予定の『大会』が中止続きの今年です。
        日頃の練習成果を試すためにも、実力維持するためにも、
             『自主大会』 を開くしかない。
        今回は、『淡路島一周バイク・ライド』 を企画したようです。
      「お母さんは足手まといになるので今回の参加はなしだよ」 と前もって釘を打たれました。
      後半部分で待ち受けて・・・一部参加も勿論なしです!! 実力が雲泥の差、比べものになりません。



     最近のウイズコロナ生活事情・・・
     子どもたち家族と、『オンライン会話』 が日常となりました。
     そして、息子夫婦との『対面直接会話』は、 約10ヶ月ぶりほどになります。
 
  
もう一つの目的は・・・
 『Go To イート』

            『料亭旅館』
 
           『明石鯛づくし』 

      我が家から近いゆえに、 今までに『泊まり』はなかった料亭旅館です。
       『Go To トラベル』のお陰で、 今回は『お泊まり』付きだそうです。

        
         淡路島一周で疲れ切った後の食事後に、
     その同じ所で泊まれることは、体にどれだけ楽なことでしょう♡♡
 

  コロナ禍で落ち込んだ旅館業や交通機関への『応援策』としての政府の
      『Go To トラベル』&『Go To イート』 
       なるほどね。 こういうものなのですね。


         現実世界情勢は      
    ブラジルではワクチンの臨床試験をしていた参加者に死者が出た。
    イタリア北部のミラノでも、22日から夜間外出禁止になった。
    世界の感染者数は4千万人を超え、死者は112万人に増えた。
    COVID-19はまだ当分居座り続けるだろう。 とのことです。


    
     今日は、『Go To トラベル』&『Go To イート』が 
       政府の考える『経済政策』なのかと思いつつ・・・
  日本全国の「経済政策」を利用する若者たちの健康を祈リながら
       息子家族との再会を喜び待つ熟年者の母です。                  


そして。

今日は10月24日。年間第二十九土曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしたちの神は来られる。
神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、又、地に呼びかけられる。』

         詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『ちょうどそのとき、  何人かの人が来て、

          ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたこと
                をイエスに告げた。

イエスはお答えになった。
     「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、
    ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
         決してそうではない。
  言っておくが、
     あなたがたも悔い改めなければ、 皆同じように滅びる。

   また、
      シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、
エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、 罪深い者だったと思うのか。
         決してそうではない。
  言っておくが、
     あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」


そして、
イエスは次のたとえを話された。
     「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、
        実を探しに来たが見つからなかった。
 そこで、園丁に言った。
    『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、
       見つけたためしがない。 だから切り倒せ。
        なぜ、土地をふさがせておくのか。』

園丁は答えた。
      『御主人様、今年もこのままにしておいてください。
        木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
       そうすれば、 来年は実がなるかもしれません。
      もしそれでもだめなら、 切り倒してください。』」
          ルカ福音書 13章1-9節


今日は、まず。  イエス様の話す『たとえ』について考えました。

   ある御主人が、
       ぶどう園の中に、イチジクの木を植えました。
       3年間続けて、収穫時に『実』を探しにきても、実を付けていないのです。
       3年目の時、薗を世話する園丁に言いつけます。
   「実を付けないなら切り倒せ。 土地をふさがせておくのはもったいない。」 と。

       園丁は御主人様に申し上げました。
「御主人様、今年もこのままにしておいてください。手入れをしますので来年には実がなるでしょう。
     それでも駄目なら、切り倒してください。」 と。


   園丁は、毎日、イチジクを世話することで・・・イチジクが大好きになったのでしょう。
    切られるのは忍びない・・・もう一年間、十分な手入れをしようと考えたのです。

     同様に。

  イエス様も
  宣教を初めて以来、3年間、人々のための御自身の『十字架上の死』を迎える時まで、
      人々に話をし、病人を癒し、世話をなさいました。
       しかし、人々は、改心はしませんでした。
   それでも。
イエス様は、毎日、人々を世話をすることで・・・改心をしなくても、人々を大好きになったのでしょう。
     園丁同様に、人々の「改心」を諦めることはありませんでした。
        

  イエス様の『たとえ話』 は 『イエス様の忍耐深さ』 を意味しているのでしょう。


ローマ総督ピラトは、
  ガリラヤからの巡礼者が、エルサレムに上ってきて、神殿で捧げ物をしているときに、
                      彼らを虐殺してしまいました。

この事件をイエスに知らせに来た人は、
 「なぜ彼らは殺されたのだろう?
 殺されたガリラヤの人々は、他のガリラヤの人たちより罪深かったからだろうか?」 
                           と、考えました。
  すると。
イエスは、知らせに来た人の考えを見抜いて、言いました。
  『彼らが罪深いから、殺されたのではない。
    あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』
 と。

    
 神様は、人の弱さのために罰するような方ではなく、人の幸せを望んでおられる方です。
 イエス様は、 世の中で事件があった時は、
   その原因を詮索するよりも、 『自分の改心のきっかけ』 にしなさい。
     『改心』ができない人は、 神の救いはなく、 滅びるのです。
              と、忠告なさるのです。


私たちも、
『もう一回、皆の改心を待ちましょう!』 と忍耐してくださるイエス様に、
     応えることができますようになりたいですね。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年の『旅行の秋』は、例年に比べて事情がさまざまに変わりますね。
御安全にお楽しみください。 お元気で!

心の中の『心象風景』・・・『FRENCH  CONNECTION』 そして 『空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。』

2020-10-23 21:00:00 | 大河ドラマ。テレビ。ラジオ。新聞。映画。
10月23日。金曜日。晴れ。

心の中の『心象風景』
心の中にしまってある忘れられない「風景」。
それと重なる「風景」に
偶然に出会うことがあるものです。


          『FRENCH  CONNECTION』

         『イギリスのファッション・ブランド』

          数年前、ロンドンの町を歩いていた時、
           偶然に
          町中を外れた道の角で見つけた『店』です。


    その『ブランド名』は、 
    私の『心象風景』となって心に残っている『映画』と『同名』でした。
    『名前』が目にとまり、 大いに感動して店に入り、 試着し続けて、
        意地で『ブラウス』を一枚買ったのでした。
       イギリスらしいシンプルな紺色の半袖はMyお気に入りです


忘れられない『映画』があるものです。
私は好きな『映画』は
その映画の中の
ある『場面』と同時に『言葉・セリフ』
『二本立』で心の中に残っています。


          『FRENCH  CONNECTION』
 
    素朴で不器用な刑事を演じるジーン・ハックマン 
          彼の『場面』と『セリフ』が、私の心に残っています。
              彼の持つイングランド系の雰囲気も良い


        原作はロビン・ムーアによる同名の、『ノンフィクション映画』
        第44回アカデミー賞で、 ハックマンの主演男優賞をはじめ、
       作品賞、 監督賞、 主演男優賞、 脚色賞、編集賞の5部門を受賞、
   英国アカデミー賞 では5部門、ゴールデングローブ賞では4部門を受賞した映画です。
        
      この数日で、 その一部と二部がテレビで再放送され、 観ました。
       私の心の中の 『心象風景』 は 意味のある『記憶』 である。
          そのことが再確認できました。 感謝!感謝!


      英国ファッションブランド と アメリカとフランスを結ぶ麻薬密売組織
          同名の『FRENCH  CONNECTION』です。
        この『名前』のシンプルでクールな響きが好きです。
        余計なものをはぎ取った『大人の自信』を感じます。


     
   人の成長に大きく影響するものは、 両親であり、 人生で出会う多くの人々です。
      同様に、
映画の中の人物が人生の『模範』となり、人を一回り大きく成長させることがあるものですよね。


    今日も、 『神様の計らい』、不思議な嬉しい『ご縁』、 を思い出して、
         明日への勇気を頂きました。 感謝!感謝!



そして。

今日は10月23日。年間第二十九金曜日。

『今日の入祭唱』

   『神に感謝をささげ、 御名をたたえよ。
 神は恵み深く、慈しみはとこしえに、その真実は代々に及ぶ。』

          詩編 100章4&5節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  イエスは 群衆に言われた。
 
 
       「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、
           『にわか雨になる』 と言う。

            実際そのとおりになる。

       また、南風が吹いているのを見ると、
           『暑くなる』と言う。

            事実そうなる。

  偽善者よ、 このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、
   どうして今の時を見分けることを知らないのか。

 あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。

     あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、
       途中でその人と仲直りするように努めなさい。
    さもないと、
       その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、
       裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。

言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」』
       ルカ福音書 12章54-59節


  人は、色々の『しるし』を見て、 これから起こることを判断したりします。

雲が西に出るのを見るとすぐに・・・『にわか雨になる』  と判断します。
   南風が吹いているのを見ると・・・『暑くなる』 と判断します。
          ”そのとおりです!” とイエス様はおっしゃるのです。


と同時に。
イエス様はおっしゃるのです。


 空や地の模様を見分けることは知っているのに、
           どうして今の時を見分けることを知らないのですか。
 あなたがたは何が正しいかを、どうして自分で判断しないのですか。 と。


   『イエスの言葉と業』 が 『時のしるし』 なのです


  『イエスの言葉と業』 が、
   『神の働きかけ』を、人々が見分けるための『しるし』 となるのです。
   イエスに無関心ではいられず、 『改心』の『きっかけ』 となるのです。

今の時代も。

 聖書の中での『イエスの言葉と業』が、『人類の救い』の『しるし』 なのです。
 人々の『優しい言動』から『神の姿』を認め、 『神の愛』の『しるし』 となるのです。


私たちも、
この世での色々の出来事の中に、
『神が共にいてくださること』等・・・『神の働き』を見分ける『しるし』
     を見い出すことができるといいですね。


『今日の祈願』

   『全能の神よ、主の過越を記念するたびに、
 救いの業がわたしたちの中に力強く実現していきますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
芸術の秋です。 皆様は映画がお好きですか?
素敵な映画との出会いで、人生を深め、芸術の秋を深めたいですね。 お元気で!

DIY・・・『ヘヤーカット』 そして 『わたしが来たのは、地上に火を投ずるため、又 分裂をもたらすためである。』

2020-10-22 14:00:00 | 私のこと
10月22日。木曜日。曇りのち小雨。

外出自粛の日々。

   DIY。
          『フレンチ・ボブスタイル』 
    
                          こちらは勿論の『フランス人主婦』です

      STAY HOMEが推奨されて、2月以来9ヶ月が過ぎようとしています。
           ウイズ・コロナ生活にも慣れてきました。
          下手の横好きのDIYが活躍する日々です。

      
       STAY HOMEは、 髪は伸び、体重も増える、 増増の日々です。
           それでも髪の伸びにはストップをかけやすい。
      人様には ”うらやましい!” と言って頂ける程、毛量が多い私です。
      そんな私がDIYで施す『ヘヤースタイル』 は 『ボブスタイル』です。 
  至極簡単『スタイル』で、見えない部分を短く切って、見える部分を切りそろえるだけです。
          DIY手腕でまかない可能な『Myヘヤースタイル』です。

 
           コロナ禍に立ち向かう日々。     
   厳しい生活の中でも、 DIYで、 心身共に美しくありたいものですね。


 それにつけても、長年のかかりつけ『My美容院』はいかがお過ごしだろうか?
       『個人営業店』の応援が必要な、コロナ禍時期です。
          皆様に『エール』を送ります。


そして。

今日は10月22日。年間第二十九木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしは主を愛する。
 主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。
    生涯、わたしは主を呼ぼう。』

      詩編 116章1&2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは 弟子たちに言われた。

  「わたしが来たのは、地上にを投ずるためである。
   そのが既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。


     しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。

       それが終わるまで、 わたしはどんなに苦しむことだろう。

  あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
     そうではない。
    言っておくが、むしろ分裂だ。


     今から後、 一つの家に五人いるならば、
  三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
   父は子と、子は父と、 母は娘と、娘は母と、
    しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
       対立して分かれる。」』
        ルカ福音書 12章49-53節


今日の『イエス様のお話』は、とても難しいです。
『分裂』をもたらすとか、
家族が『対立』するとか、
イエス様の『お言葉』とは、考えにくいですよね。


イエス様が地上に投じる 『火』は、『愛の火である聖霊』 のことではないでしょうか。

   神は、イエス様の『火』によって、 地上のすべての人を『信仰』に導きたいのです。
   イエス様は、地上に、その『火』が既に燃えていたらと、願っていたのです。


 イエス様は、地上に、『火』を投じるためにいらしたのですが、
       実際には。
      色々の所で、考えの違いが生まれて、『分裂』 が生まれたのです。


 ある家庭では、
   キリストの弟子になった者もいましたが、 そうでない者もいました。
  その結果・・・父は子と、母は娘と、しゅうとめは嫁との間に、『分裂』が生まれたのです。
 現代社会でも、
   キリストを信じる者が多い国があれば、 信じる人の少ない国もあります。
     その結果・・・互いの国が、敵対する危険もあります。

    
  何よりも、
  イエス様ご自身が、 
     『わたしには受けねばならない 『洗礼=十字架の受難』 がある。 
     それが終わるまで、 わたしはどんなに苦しむことだろう。』
 と。
  又。
  人々も、
     『イエスの火』 の呼びかけに応えた結果、
   信仰を選んだことに賛成しない家族や友人と 『分裂』 が生まれるかもしれません。
     その結果、『辛い事』 が起こるかもしれません。
 
    ・・・と、 『分裂』の結果の『苦しみ』 をイエス様はおっしゃるのです。


     イエス様は、それでも、決して諦めずに、今も、これからも、
        地上に、『火』を投じ続けていらっしゃるのです。


私たちも、
『火=愛の聖霊』に、導きと力を頂きながら・・・
『分裂』をなくするために、違う考えの人たちを受け入れてまいりましょう。
        イエス様の期待に応えて・・・
   私たちの心の中に、『火』 を燃やし続けてまいりましょう。


『今日の祈願』

  『救いの源である神よ、 わたしたちを強めてください。
    変わることのないあなたの愛のうちにとどまり、
    豊かな実りをもたらすことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
STAY HOMEで、DIYをお楽しみになることも多いことでしょう。
それは見知らぬ自分を発見するような楽しみですよね。 お元気で!