マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『神の恵みと真実は出会い、正義と平穏は口づけを交わす。』・・・『バベットの晩餐』・・・『真の我が家が見つかるだろう。』

2022-04-19 13:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は4月19日。 『復活の火曜日』

    今日は、この一週間:『復活の八日間』にふさわしく、
        映画:『バベットの晩餐』
       皆様とご一緒したいと思います。
        よろしくお願いいたします。
         私がBS映画を撮った写真です。


     『バベットの晩餐』 
 
      
      『牧師の生誕100年』を祝っての『晩餐』です。

 来賓の将軍は語ります。
    「我が国の王妃のお気に入りの本は
        『牧師様の説教集』なのです」 と。

      将軍の亡き牧師への『最高の賛辞の言葉』で、
       『晩餐』は始まります。
       『晩餐』は神聖なものとなっていきます。

 
    晩餐の会場は、生誕100周年の牧師が父であった、姉妹の家です。
     姉妹は『牧師・父の生誕100年』のための
        父の宗派の信者さんたちと
    ささやかな『夕食会』を開くことを計画しました。

    それを知った(訳あってフランスから亡命して姉妹宅で家政婦をしていた)バベットは、
      宝くじで当った全額:1万フラン全額を使って、
         『晩餐』を開くことにしました。     
    
                晩餐の準備をするバベット

宴も始まり・・・
   
    将軍の・・・  『感謝の祈り』   

   今日のこの善き日・・・

       『神の恵みと真実は出会い
       正義と平穏は口づけを交わす』
   

    『我々の選択は重要ではない。
     我々はいずれ目覚める。そして悟るのだ。
        神の恵みは無限なものだと。

         我々はただ恵みを待ち

     感謝の心で受け入れるのだ。

     神の恵みに条件などない。
     その証拠に選択したものは手に入れた。
     拒否したものさえ与えられたのだ。

       神の恵みと真実は出会い、
      正義と平穏は口づけを交わす。』

『晩餐』は
最高のおいしい食事をもって終わります。

牧師の教えを守り、
頑なに食事を味わうことを避けていた信者さんたちは、
料理のおいしさに、魔術にかかったように、心を解きほぐし、
いがみ合っていた者同士も、同様に、打ち解け合います。

居間に移って・・・

   食後のリキュールとコーヒーを楽しみます。

 姉妹の妹・・・
 『神の賜物』:『すばらしい歌声』で、
  出席者・皆を楽しませます。

       ♭♭『ピアノと歌』♭♭ 
  
      ♭♭『また一日が去ろうとしている
         太陽が地平線に消えていく。
         私たちの休息の時間は近づく。

         我らの神は天国の光におわす。
          天国を統べる我らの神よ、
         夜の谷で我らの光となりたまえ。

        限られた時間は終わろうとしている   
                         将軍の母御様も招待されていました。

       夜も終わろうとしている。

       栄光の世界が終わりを迎え
       残りの光は素早く過ぎ去る。

       神の光が永遠に輝くように
       我らを神の国に導きたまえ。』♭♭
   

終わりの時、別れの時、
近づいてきました。

その昔・・・
姉のマーチーネには、
地元で謹慎中の若い士官ローレンス(今日のお客様の将軍です)が、
また
妹のフリッパロには、
地元で休暇中のフランス人バリトン歌手アシュール・ババロンが、
求愛をします。

しかし・・・
姉妹は、
『父に仕える道』を選び
結婚することなく、清廉な人生を過ごしながら、
年を重ねていました。


そんな姉マーチーネに、
将軍は、マーチーネの手を握りながら、語ります。


    ♡♡『今までずっとあなたと共にいた。

     ご存じでしょう。  ええ存じています。
     私はこれからも毎日 あなたのそばにいる。
     毎日あなたと食事の席に着く、
     体は離れ離れだが 肉体は大事ではない。
         魂は一緒だ。

     今夜 私は知ったのです。
     この美しい世界ではすべてが可能だと。』♡♡

将軍の愛情によって、
”これで良かったのだろうか?”と迷うこともあったであろう
自分が選んだ人生を、
肯定された姉のマーチーネは、
喜びと平穏に満たされたのです。

そして、

仲間の皆も、
自分たちが生きてきた人生を肯定して、
互いの人生を認め合い、
喜びと平穏に満たされて、
歌います。

    ♭♭『過ぎゆく時を時計が告げる。
       今こそ、永遠の存在に近づいた。 

    『神の恵みと真実は出会い 正義と平穏は口づけを交わす』


     神の恵みと12人の生きてきた人生は合い重なり、
     神の正義と人間の平穏が重なった『時』が来たのです。


     愛する12人とバベットと共に・・・
     『父・牧師の100年祭』を無事に終えた姉妹は、
      『神の恵み』:『平穏』に満たされました。
     
      
      この『時』を神にささげよう。
  
 
              満天の星空の下で、手を取り合って、神に賛美をささげます。

         星が近づいて来ているわ。 毎晩近づいているのね。

     心を込めて神に仕えよう。

     真の我が家が見つかるだろう。
     真の我が家が見つかるだろう。』♭♭


一人残った紳士は、
『真の我が家』を見つけて、
声高らかに、神を賛美します。


       『ハレルヤ! ハレルヤ!』
   


無事に晩餐会を終えたバベット。

お客様方の召し上がり具合に耳を傾けながら・・・
次のお料理をお出しする。
次のワインをお出しする。
いっときも気の休まることがありませんでした。

美しい『妹の歌声』を聴きながら・・・
心が満たされていきます。

   ホッとして・・・   『一口のワイン』
   
                    最高級品ワインの味を確かめるバベットさん

       実は・・・  
       バベットは、
       パリの有名レストラン:『カフェ・アングレ』の
            女シェフだったのです。
  
       客の将軍は、
       バベットの料理のおいしさと食材の良さに気づき、
       また、それは以前に『カフェ・アングレ』で食べた味だと、
            気づいたのでした。


   ホッとして・・・   『一杯のコーヒー』
   
                         『晩餐会』の成功に、ホッとして初めて座るバベットさん

    バベットは、
    フランスからの亡命以来・・・
    故郷・フランスとの唯一のつながりとして、
    フランスの『宝くじ』を買い、
    その結果を楽しみにしていたのです。

    その宝くじが、『1万フラン 』(100万or120万円? )が当りました♡♡
    フランスから亡命してきたときに流れ着いた海辺に行き、
       バベットは考えます。


     彼女は、御自分の神に与えられた『腕』を使って、
    『大事なこの時を捧げよう、力の限り神に仕えるために。』
                 と決めたのです。

    十数年前に亡命してきた何も持たないバベットを受け入れてくれた
    姉妹のために、
    姉妹のお父上の牧師様の『生誕100年祭』のために、
    大切な12人のお客様のために、
    『晩餐会』開催費用に、一万フラン全額を使う、
                 と決めたのでした。

      
 結果は・・・
        その『極上の料理』が、
    晩餐会出席者の12人のかたくなな心を溶かしたのです。
    信仰者として、
    互いを許しあい、認めあい、
    神の恵みと真実・人生が出会い、正義と平穏に満たされたのです。


     バベットは、
       「私は相変わらずの無一文なしです。
        フランスに私を待つ者も全くいなくなりました。
        姉妹と共に、ここにいます。」
         と決心したのでした。


『バベットの決心』を聞いた姉マーキーネは、
バベットを抱きしめます。
  
    「私たちのためにお金を全部使うなんて・・・」
    「一万フランは、『カフェ・アングレ』では、
      ちょうど12人分が一万フランです。」

    「私たちのためにお金を全部使うなんて・・・。」
    「私のためでもあります。
     芸術家は貧しくありません。
      『世界中で芸術家の心の叫びがする』
    と音楽家パパン氏が私の料理を食べておっしゃいました。」
         

    これが最後ではないわ。
    まだ終わりじゃないのよ。
    天国であなたは偉大な芸術家になる。
    神の思し召しのとおりのね。
 
     きっと天使たちも(あなたの作る料理に)とりこになるわ。』

    こうして・・・
      『バベットの晩餐』が無事に終わりました。


     今日は、主の復活後の三日目の『復活の火曜日』です。

   将軍は・・・
   『神の恵みは無限なものだ。
    神の恵みに条件などない。
    神の恵みと真実が出会い、正義と平穏は口づけを交わす。』
                と、述べました。

   12人の仲間は・・・
   『我らの神は天国の光におわす。
    夜の谷で我らの光となりたまえ。
    神の光が永遠に輝くように、我らを神の国へ導きたまえ。

     過ぎゆく時を時計が告げる。
     今夜こそ、永遠の存在に気づいた。
    真の我が家が見つかるだろう。永遠の我が家が見つかるだろう。』
                と、賛歌を歌います。


    愛するお方に・・・
    『私たちは、体は離れ離れだが、肉体は大事ではない。
      魂は一緒だ。
     今夜、私は知ったのです。
     この美しい世界ではすべてが可能だと。』
               と、将軍は『愛の賛歌』を告げます。

   
       私は、今日映画を観て思いました。
       『バベットの晩餐』は『神の国の宴会』であったのです。
       『将軍』は、人の心を真の神に向かわせる『言葉』を語る
           『預言者』だったのです。
        そして、
       『バベット』は、
           人に追われて命かながら亡命し、
           その後に、
           持つものすべてをお人に与える、
            『キリスト様』であると。
             そう思いました。
              感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
バベットの晩餐の仲間たちのように、『死の時』を受け入れるとき、
お人に優しく、自分に固執することなく、『美しい生き方』ができるのかもしれませんね。
皆様の毎日が穏やかでありますように。 お元気で!
 

『マリア様の花』・・・『ペタルゴニウム』 そして 『聖木曜日・主の晩餐』・・・『このパンを食べこの杯を飲むごとに、主の死を告げ知らせる』そして『イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた。』

2022-04-15 03:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
4月15日。木曜日。晴れ。

今日は、
受難週の聖木曜日。
『主の晩餐』の執り行われた日です。


   咲き出した・・・  『ペラルゴニウム』
   

    今朝は3時に目が覚めました。
    その後、
    ず~と、
    『聖木曜日・主の晩餐』に出席していた自分を想像いたしました。

 私なら・・・
 ※ヨハネようにイエス様にもたれかけて座っていたでしょうか?
 ※弟子たちの足を洗われるイエス様をお助けるつもりで、
    足を洗うための洗面器を持って差し上げたのではなかろうか?
 ※足を洗われる私の番が来たら、あまりの畏れ多さに、
    その意味も分からず、”自分で洗います!” と言ったのではなかろうか?
 ※『イエスの御体と御血』の『パンとぶどう酒』を、有り難さのあまり、
    ”もう一つください!” と言ったのではなかろうか?
 
     等々。想像するうちに涙が出てきました。


色も白色、赤色など
たくさんの種類があります。

     『真っ赤のペラルゴニウム』
   

   ペラルゴニウムの花言葉は
   「愛情」「尊敬」「決心」「篤い信仰」
   など多くの花言葉を持っているそうです。


   ラジオを聴いていると・・・
   女性が、子を産む『決心』をして、
   無事に生まれてくることを願う『篤い信仰』
    を意味することもあるそうです。と話されました。

   その説明を聴きながら・・・
   正に、
   『ペラルゴニウム』は『マリア様の花』、と私は思いました

    ※マリア様はイエス様を生まれる『決心』をなさり、
      『マリアは言った。
     「わたしは主のはしためです。
     お言葉のとおり、この身になりますように。」』ルカ1ー38

    ※『神にできないことは何一つない。』ルカ1ー38
       『天使の言葉』を『篤い信仰』を持って信じて、
        イエスが無事に生まれてくることを願ったのです。

  
     私は、今朝・早朝三時から、
     キリスト・イエスをあがめ、感謝しながら、
     今夕の『主の晩餐』を黙想し、祈ることができました。
     有り難い時間を過ごすことができました。
           感謝!感謝!


そして。

今日は4月14日。聖木曜日。主の御受難の前夜。

  イエスと12人の弟子たち全員で・・・ 『主の晩餐』 
 
                     レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

『今日の入祭唱』

    『わたしたちには、わたしたちの主イエスの十字架のほかに、
       誇るものが決してあってはなりません。
      キリストのうちに私たちの命と復活があり、
     キリストによってわたしたちは救われたのです。』
         ガラテアの信徒への手紙 6章14節参照


『今日の第二朗読 新しい契約と聖体の設定』

    『わたしがあなたがたに伝えたことは、
     わたし自身、主から受けたものです。
   すなわち、
      主イエスは、引き渡される夜、
    パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、 
 
   「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
    わたしの記念としてこのように行いなさい」
                と言われました。
   また、
      食事の後で、杯も同じようにして、
 

  「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。
    飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」
                と言われました。
 
  だから、
    あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
       主が来られるときまで、
      主の死を告げ知らせるのです。
       コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23~26節 


   今日の使徒パウロは、
   主・イエス・キリストが制定した『主の晩餐』
            について語りました。


   『主の晩餐』は、
    主イエスが十字架につかれる前夜、
    エルサレムのある二階座敷で、弟子たちと共になした、
       『記念の晩餐』です。

     イエスは、パンとぶどう酒を分かち合い、
     弟子たちに与えて、食べさせたのです。
     それは、
     『イエスの体』、また 多くの人のために流す『イエスの契約の血』
             であるとイエスは説きました。

     又、

        イエスを記念するために、
        『記念の晩餐』すなわち『聖餐』を、
        すなわち、主の死を告げ知らせる『聖餐』を、
        イエスの再臨の時まで行うようにと、
         イエス様は言われたのです。


      『最後の晩餐』は、『過越の食事』と関連し、
  旧約において、家の鴨居に塗った『過越の小羊の血』がイスラエル民族を救ったように、
  新約においては、
  『イエスの御血』が『罪人・人類を救うための御血』となることを示したのです。


『今日の詠唱』

      『新しいおきてをあなたがたに与える。
   『互いに愛し合いなさい。わたしがあなたを愛したように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『過越祭の前のことである。
 イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、
   世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。

 夕食のときであった。
 既に悪魔は、イスカリオテのシモンのユダに、
 イエスを裏切る考えを抱かせていた。

   イエスは父がすべてを御自身の手にゆだねられたこと、
   また、御自分が神のもとから来て、
     神のもとへ帰ろうとしていることを悟り、
   
     食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、
     手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
     それから、
     たらいに水をくんで、弟子たちの足を洗い、  
  
     腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

    シモン・ペトロのところへ来ると、
    
     ペトロは、
   「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」
                       と言った。

   イエスは答えて、
   「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、
       後で、分かるようになる」 と云われた。

   ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」 
                        と言うと、
   イエスは、
      「もしわたしがあなたを洗わないなら、
     あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」 
                        と答えられた。  

   そこで、
   シモン・ペトロが言った。
      「主よ、足だけでなく、手も頭も」
   イエスは言われた、
    「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。
      あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
   イエスは、
    ご自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。
     それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。』

   さて、
       イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、
        上着を着て、再び席について言われた。
 
     「わたしがあたながたにしたことがわかるか。
    あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。
     そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
    ところで、
    主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
      あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
 
       わたしがあなたがたにしたとおりに、
    あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」』
        
ヨハネによる福音書 13章1-15節


    『最後の晩餐』の席で、イエス様は、
      父のもとへ移るべき時が来たと悟り、
    世にいる弟子たちを愛して、この上なく彼らを愛し抜かれました。
    更に、
    イエスは、弟子たちの足を洗うほどにへり下り、『模範』を残されました。

      
     神の独り子・イエス様は、
     この世においての生涯の間中、
     弟子たちを愛し、教育し、
     弱い立場の人や病人たちを大切にしました。
   
     永遠の祭司キリスト様は、
      『最も大切な掟』=『愛神愛隣』
       を徹底して生き抜かれました。
      『模範』を示された人生でした。


     更に、
     師であるイエス様は弟子たちを励ましました。
    『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
       わたしにしてくれたことなのである。』マタイ25ー40
       私がいなくなっても頑張りましょう! と。
     
   
私たちも、
   『聖体:イエスの御体』で、自分の中にイエス・キリスト様を受け、
         神の力に満たされ、
    『篤い信仰』を持って、『愛の掟』を実行してまいりましょう!
         祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
わたしのブログは半日遅れとなってしまいました。
今日・金曜日の三時には、『主の受難』となります。
憐れみ深い神は、
民のために御子キリストの血によって、
『過越の神秘』を定めてくださいました。
世界中の民を永遠の愛のうちにお守りくださいます。
今日も、皆様の一日が、穏やかで平安でありますようにお祈りいたします。 お元気で!

東京上京・・・『立つ鳥跡を濁さず』 そして 『あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、 わたしの天の父もあなたがたをお赦しにならないだろう。』

2022-03-22 07:07:15 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
3月22日。火曜日。雨。

明日から
20日間ほど
東京へ上京です。


       『立つ鳥跡を濁さず』
  
   イメージ写真です。  『立つ鳥跡を濁さず』のイメージ写真をネットで検索した結果です。

  なるほどね。

    『立つ鳥跡を濁さず』とは、
     引き際が潔い様子も表しているそうです。

   
      イメージの『鶴』、引き際が潔いのです。

     日本最大のツルの渡来地である鹿児島県・出水には、
       毎年10月中旬から12月頃にかけて、
     1万羽を超えるツルが越冬のためシベリアから渡来し、
       3月頃まで滞留します。

     その生涯は、
        一万羽を越える鶴が、
     夏に、シベリア大陸および中国の北東部で繁殖し、
     冬は、鹿児島県の出水平野で越冬し、
     両国間の距離・2000~3000キロメートルを、
         春、秋に、往復するのです。 

           正に、鶴たちは、
         『立つ鳥跡を濁さず』と、
        後ろを振り向くことなく、潔く、
          家族繁栄のために、
        持てる体力を使い切るのです。
            立派です。
    

    そして。

    私は明日から上京です。
    『立つ鳥跡を濁さず』とは、
    去っていく者は、跡が見苦しくないように始末してから出立しなくてはならない、
         というたとえです。 
   
    なぜか、私も移動の多い人生です。
    移動の度に、『立つ鳥跡を濁さず』と・・・
      出発前に持てる力を使い切るのです?!

     ※立った跡はどなたが見ても美しいようにと・・・
         家中と庭中を大掃除。磨き上げます。
     ※去った後が見苦しくならないようにと・・・
         今回は冬物の洗濯をすべて終え、収納完了。
        その後に出かけるのです。


       今晩は、留守居をする夫のために・・・
     スペシャル・ディナーを作ることにいたしましょう。
            感謝!感謝!


そして。

今日は3月22日。四旬節第三火曜日。

『今日の入祭唱』

     『神よ、あなたを呼び求めます。
   わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
   瞳のようにわたしを守り、あなたの翼の陰に隠してください。』
        詩編 17章6&8節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。
    

    「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、
        何回赦すべきでしょうか。
          七回までですか。」

          イエスは言われた。
    
         「あなたに言っておく。
     七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
     そこで、
       天の国は次のようにたとえられる。

   ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
        決済し始めたところ、
     ※一万タラントン借金している家来が、
        王の前に連れて来られた。
      しかし、返済できなかったので、
    主君はこの家来に、
  自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。

    家来はひれ伏し、
    『どうか待ってください。きっと全部お返しします』
                  としきりに願った。

       その家来の主君は憐れに思って、
     彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

  ところが、
  この家来は外に出て、
  ※自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、
    捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
  仲間はひれ伏して、
    『どうか待ってくれ。返すから』 としきりに頼んだ。
  しかし、
  承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。

     仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、
      主君の前に出て事件を残らず告げた。

     そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。
        『不届きな家来だ。
     お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
        わたしがお前を憐れんでやったように、
     お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
     そして、主君は怒って、
        借金をすっかり返済するまでと、
         家来を牢役人に引き渡した。

    あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、
   わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」』
        マタイによる福音書 18章21-35節

    
     今日のイエス様は、
     弟子たちの長であるペトロに
       ※『イエスの弟子の覚悟』※を教えます。
     ※『イエスの弟子であるなら、兄弟として互いにゆるしあうこと』
       ※『ゆるさない人は、神にゆるされない』と。


  私たちは、
  友人や家族なら、何回でも赦すことができるでしょう。
  しかし、
  一般の人なら、2~3回は許せても、何回も許すことは難しいかもしれません。

  ペトロは、
  7回許せば、それは非常に寛大なことで、
  それ以上は許せないでしょう、と思っていたようです。


      神様は、私たちを何回でも許す御方です。
      一方、
      人間は、神の求める生き方はできず、
          神に借金を持っている状態です。
      更に
      人間は、神への借金は膨大なで、
          自分の力では、到底、返済は無理です。
      人間は、自力返済は無理な神への借金を抱えていて、
          神から許される資格はないのです。


      それでも、いつでも、
      神様は、人間の惨めさを見て、憐れに思い、
        何度でも赦してくださるのです。
      悔い改めの機会を何度でもくださるのです。


      神様は、いつも私たちを赦してくださいます。
      そして、
      私たちが、『神の赦し』を知って、深く理解して、
      お人に対して、神様同様に、何回も許すことをお望みなのです
      私たちが、『神の憐れみ』をよく知って、理解して、
      お人に対して、神様同様に、憐れみ深くなることをお望みなのです。


           お人を許すことができる人は、
        神様から受けた『赦しの恵み』を理解する人です。


  私たちも、
  神様から何回も許しを受けた『恵み』を理解するようになりましょう。
            祈りましょう。
      
『今日の詠唱』

   『今こそ、心からわたしに立ち帰れ。
  わたしは恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富むからだ。』
          ヨエル書 2章12&13節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
鶴たちの飛行距離は、南半球方面に向かうときは1万キロメートルを超えるそうです。
集団で助けあって飛行するので、大変な遠距離飛行も可能となるのでしょうか?!
私たちも今日も周りの人たちと助けあって、素敵な一日にいたしましょう。 お元気で!

しだれ梅の開花 そして 『灰の水曜日』・・・『回心して福音を信じなさい。』・・・『隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。』

2022-03-02 15:19:50 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
3月2日。水曜日。雨のち晴れ。

3月になりました。
我が家でも・・・
咲き出しました。


        『しだれ梅』
  

       枝垂梅光の筋の地に届く 阿部桂

      なるほどね。
      下に下にと枝を伸ばしながら咲くしだれ梅。
   可憐な梅の花から『光の筋』が伸びて、地に届くようです。

      阿部桂氏の俳句に感動しています。
         感謝!感謝!
       
そして。   

今日は3月2日。

         『灰の水曜日』
  
   この日、
   司祭は、
   「あなたはちりであり、ちりに帰っていくのです
       回心して福音を信じなさい」   
                  と唱えながら、
       一人一人の頭に灰をかけます。
      


   『灰を受ける』とは、
    自分が弱い存在であり、神様の助けを必要としている、悔い改めている、
           ということを表す『印』です。


この『灰の水曜日』をもって、
教会典礼は、『四旬節』という期間に入ります。


       『四旬節』とは、
       イエス様が私たち人間の罪と弱さを受け入れ、
        自分のものとして背負い、亡くなった、
          ことを思い起こす期間です。


   灰の水曜日ではじまる四旬節の※『40日間』※(日曜日は数えない)は、
 イエスが宣教生活に入られる前に砂漠で40日間断食をされたことに倣い、
         断食、節制が推奨されます。
  又、
 1年の典礼の頂点である復活祭を目指しての『準備期間』でもあります。
     教会は、洗礼志願者の洗礼準備の期間としてきました。
   又、
    全教会の信徒たちが、自分たちの洗礼の時を思い起こし、
      洗礼の約束を更新する準備の期間でもあるのです。
  

    四旬節の期間に、
    教会は、私たちの心が本当にどこに向かっているのかを問いかけ、
       自己中心から神と人々に向かう「心の転換」(回心)
           を呼びかけるのです。
             

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたは全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、
     回心させようとして、人々の罪を見逃される。
       あなたは存在するものすべてを愛し、
      お造りになったものを何一つ嫌われない。
    命を愛される主よ、あなたはすべてをいとおしまれる。』
         智恵の書 11章23-24&26節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    

 見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
   さもないと、
   あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。

   だから、
  
 あなたは施しをするときには、
  偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、
  自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。

      はっきりあなたがたに言っておく。
       彼らは既に報いを受けている。

 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
    あなたの施しを人目につかせないためである。

     そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、
         あなたに報いてくださる。

 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。

      偽善者たちは、人に見てもらおうと、
      会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
        はっきり言っておく。
       彼らは既に報いを受けている。

  だから、
 あなたが祈るときは、
  奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
  隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
     そうすれば、
     隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

 断食するときには、
  あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。

      偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、
          顔を見苦しくする。
          はっきり言っておく。
         彼らは既に報いを受けている。

 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
    それは、あなたの断食が人に気づかれず、
    隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
     
           そうすれば、
    隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」』
            マタイによる福音書 6章1-6&16-18節

  
   今日のイエス様は、
   『神の国の義は内面的なものであり、
    施し、祈り、断食などは、人に見せるものではない。』
                と、弟子たちを諭します。 


   旧約時代。
   イスラエルでは、祈り、断食、施しなどを、
   公に、皆の前で行われることがあったようです。
   それは、
   人に見せるためでも、神にほめられるためでもないのです。


      神様は、
      祈りや、善い行いをする私たちの心も、その価値も、ご存じです。


    イエスは、弟子たちを教育なさるのです。
     『神は、私たちの善い行いを通して、
         ご自分の愛を見せることを望んでおられるのです。
      人は、私たちの善い行いを見て、
         そこに神の愛を見つけることが大切なのです。
       そして、
      そうなるためには、絶えず、悔い改めが必要です。』と。
    更に、
    イエスは、弟子たちを励ますのです。  
     『そのようにすれば、
    隠れたことを見ておられるあなたの父が、必ず報いてくださいます。』 と。
  

   私たちも、
   祈りの中で、神のもとに帰り、神から力を頂いて、
   隠れた所で善意の行為が出来、神の愛を証し出来るようになりたいものです。
          祈りましょう。


『今日の奉納祈願』

   『聖なる父よ、四旬節の初めに当たり、祈ります。
  回心と愛のわざに励み、よこしまな欲望と罪から解放されて、
  御子の受難をふさわしく記念することができますように。』 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
3月になり、待ち遠しかった春もまぢかです。
咲き出した花々を見て、春に感謝ですね。 お元気で!

主の御降誕・・・『万物は言によって成った。』 そして 『言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』

2021-12-25 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月25日。土曜日。早朝。


闇の中にお生まれになった
イエス様。


       光が、地に住む者の上に、輝いた。
   
                             我が教会祭壇のイエス様
  
  ひとりのみどりご・救い主がわたしたちのために生まれた。
         権威が彼の肩にある。
  その名は、
   「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」
                     と唱えられる。
    その王に権威は増し、平和は絶えることがない。』
              イザヤ書 9章1&5節
  
   
           永遠の父よ、
           あなたは、人間を優れた者として造り、
           救いの業を通して、さらに優れた者にしてくださいます。

             神のひとり子が人となられたことによって、
             わたしたちに神の命が与えられますように。
                  『今日の集会祈願』   


『今日の福音 神である言(ことば)

      『初めにがあった。
    言は神と共にあった。言は神であった。
     この言は、初めに神と共にあった。

      万物は言によって成った。
    
     『天地創造』・・・『光あれ。』 創世記1章2節
     
  成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった

       言の内にがあった。
     命は人間を照らすであった。

      光は暗闇の中で輝いている。
      暗闇は光を理解しなかった。

  その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

         言は世にあった。
    世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
  言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
  しかし、
    言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には
       神の子となる資格を与えた。

 この人々は、
 血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
       神によって生まれたのである。


     言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
      
          『主の御降誕』

       わたしたちはその栄光を見た。
 それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

   わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
      恵みの上に、更に恵みを受けた。
   恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

       いまだかつて、神を見た者はいない。
 父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。』
                 ヨハネによる福音書 1章1-18節


    初めに、『神の言葉』がありました。
    まず、『言葉』は、万物を創造しました。
    それは、六日目に人を創造され、神は創造されたすべてを良しとされ、終わりました。
    更に、『言葉』は人となって、私たちの世に来られました。
    それは、わたしたちに『命』を与え、『神の子』とするためでした。


   旧約時代。
     ※天地創造の時。
       『神の言葉』によって、すべてが造られました。
     ※預言者たちによって、『神の言葉』が伝えられました。

 そして。

   新約時代。
     ※『神の言葉』である『イエス』が、
        『神の言葉』を伝えるために、この世に遣わされたのです。
     ※『イエス』は、『神からの救い』を人に告げるのです。


       本当の『光』は、『イエス』なのです。
       そのイエスの『話』によって、
       人は『神』がどういう方であるかを知るのです。

       イエスの『話』を信じる人は、本当に生きるのです。
       神と一緒に生きる、『神の子』と言われるのです。


     私たちも、
      イエスの『言葉』によって、神を知るようになりました。
         ますますイエスの『言葉』を聞いて、
         一層、神を知るようにりたいですね。
            祈りましょう。
 
  
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『偉大な光がきょう地上に下り、聖なるこの日はわたしたちを照らした。
      諸国の民は来て主を礼拝せよ。』
       典礼聖歌 258番 主の降誕日中  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も、待ちに待った『主の御降誕』が成就されて、一安心です。
主の御降誕を毎年迎える私たちの心も、年々に成長していきます。
来年のクリスマスまで、より感性を磨き上げていきたいですね。 お元気で!   

主の御降誕・・・『お前はわたしの子、 今日わたしはお前を生んだ。』・・・『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。』

2021-12-25 00:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月24日。金曜日。夜半。

   『神はわたしに告げられた。

            「お前はわたしの子、
       今日わたしはお前を生んだ。」
  
                  詩編 2章7節            神戸中央教会


      『聖なる父よ、
     あなたはこの神聖な夜を、
     まことの光キリストによって照らしてくださいました。 
     
         闇に輝く光を見たわたしたちが、
     その喜びを永遠に歌うことができますように。』     
              『今日の集会祈願』



『今日の福音 主の御降誕

   『そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、
        登録をせよとの勅令が出た。
     これは、
 キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。

    人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。

     ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、
          ガリラヤの町ナザレから、
     ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
  身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。

   ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、
   マリアは月が満ちて、初めての子を産み、
 
    布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。

     宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 
       その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、
        夜通し羊の群れの番をしていた。

         すると、主の天使が近づき、
        主の栄光が周りを照らしたので、
          彼らは非常に恐れた。

           天使は言った。
   「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
   今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
        この方こそ主メシアである。
   あなたがたは、
   布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
       これがあなたがたへのしるしである。」 


   すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
   

    「いと高きところには栄光、神にあれ、
    地には平和、御心に適う人にあれ。」
                 ルカによる福音書 2章1-14節



      『闇の中を歩む民は、大いなる光を見、
      死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
  
     あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、
         人々は御前に喜び祝った。』
       イザヤ書 9章1&2節 『今日の第一朗読』


    神様は人間を救うために、
      イエスをこの世に遣わしてくださいました。
    『イエス』のお名前は、
      『神はお救いになる』という意味です。
    『イエス様の使命』は、
      『神がお救いになる神』だと人間に教えることです。

     
『今日のアレルヤ唱』

    アレルヤ、アレルヤ。
      『大きな喜びをあなたがたに告げ知らせよう。
       きょうわたしたちに救い主が生まれた。』
        典礼聖歌 258番 主の降誕夜半 アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
主の御降誕おめでとうございます。
主イエス様が皆様にお幸せをもたらしてくださいますように。 お元気で!

主の御降誕前日・・・主イエス様と孫娘が来る。 そして 『高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、我らの歩みを平和の道に導く。』

2021-12-24 13:57:19 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月24日。金曜日。快晴。


主の御降誕一日前。

我が教会
『馬小屋』を準備して
主イエス様の御降誕を
お待ちしています。


  我が教会の玄関に・・・    『馬小屋』
  

          マリアお母様 と ヨセフお父様
        天使も馬の親子も三人の博士も羊飼いたちも
           暖かい『寝床』も用意して
       
        皆で、主イエス様の御降誕をお待ちしています。


          『主イエスよ、早く来てください。
           あなたの愛に信頼をおく人々が、
      あなたを迎えて力づけられ、喜びに満たされますように。』
                『今日の集会祈願』より


今日は24日。
クリスマスイブです。
『降誕の前日』とは
どういうことでしょうね?

教会暦の『一日』は、
『日没から始まり日没に終わる』のです。
そこで、
教会暦において『クリスマス』は、
『12月24日の日没に始まり25日の日没にて終わる』のです。
   12月24日の日没から、
 『主の御降誕日』の始まりです。
 

      そして、
      今夜8時に、
      孫娘が、神様の国から東京から、神戸に、下向してきます。

   

      今日は、
      ちょうど日没時に、
      ※新幹線から降りてくる『孫娘』を迎え・・・
      その直後に、
      ※新幹線神戸駅の近くの『神戸中央教会』で
         『神の独り子・イエス様』
      
         『聖母子像』   女流陶芸家作品
       『クリスマスツリー&クリスマスリース』 私の手作り

           お迎えです。
           感謝!感謝!


そして。

今日は12月24日。主の御降誕前日。

『今日の入祭唱』

 『時が満ちると、
   神は、その御子を、世にお遣わしになりました。』
      ガラテヤの信徒への手紙 2章4節


『今日の福音 ザカリアの預言』

    『そのとき、ヨハネの父ザカリア聖霊に満たされ、
     
        『預言者ザカリア』 ミケランジェロ作品
 
          こう預言した。

   「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
       主はその民を訪れて解放し、
  我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。
  昔から聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。

  それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。

       主は我らの先祖を憐れみ、
     その聖なる契約を覚えていてくださる。
    これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。

         こうして我らは、
     敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、
       生涯、主の御前に清く正しく。

   幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
      主に先立って行き、その道を整え、
  主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。

     これは我らの神の憐れみの心による。
        この憐れみによって、
     高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
     暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、
      我らの歩みを平和の道に導く。」』
          ルカによる福音書 1章67-79節


 洗礼者ヨハネの父・ザカリアは、天使から※『お告げ』※を受けました。
     それが『神からの知らせ』であると証明するために、
      ※『子どもの誕生まで、口がきけなくなる。
        誕生の日に、口はきけるようになる。』※

  実際・・・

   子ども・洗礼者ヨハネの誕生の日に、『お告げ』のとおりになりました。
       話ができなくなっていたザカリアの口が開いたのです。
    そこで、
    ザカリアは、すべては、本当の『神の知らせ』であったと分かりました。
         そして、神を賛美しました。
    すると、
       ザカリアは、聖霊に満たされて・・・
         旧約聖書の言葉をもって賛美し、
        『ザカリアの預言』を語ったのです。


         『昔、神はその民を救い、
         エジプトの奴隷生活から解放しました。
       今度も、神はその民を救うために来られる!
     神は、今度も、民を忘れることなく、赦しを与えてくださる。
     その前に、
     私の息子ヨハネが、『神の道』を準備するでしょう!』 と。


   私たちも、
   クリスマスに、神の独り子・イエス様をお迎えして、
     イエス様に救われて、赦しを受けて、
      『本当の平和』を喜びましょう。

   
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
     『さしのぼる朝日、永遠の光の輝き、あなたは正義の太陽。
 日のあたらない陰に生き、やみにうもれている人を照らしに来てください。』
     典礼聖歌 257番 12月24日    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
クリスマスを楽しまれる皆様に、『神の平和』をお祈り申し上げます。
  今夜が祝福に満ちた一日になりますように。 お元気で!

主の御降誕・・・『主を仰ぎ見て 光を得よ』 そして 『洗礼者ヨハネの誕生』・・・『いったい、この子はどんな人になるのだろうか』

2021-12-23 14:11:20 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月23日。木曜日。快晴。

主の御降誕二日前。

明日・24日の真夜中
主イエスがお生まれくださいます。 

 
    中学1年生の娘の・・・  『クリスマス』
  
                            我が家の宝物です。
   
       我が家にかかる『聖書の言葉』の色紙

        『主を仰ぎ見る人は光と輝き、
        辱めに顔を伏せることはない。』
           詩編 34章6節


   我が家の食堂の壁。
   娘が中学一年年生の時に描いた『クリスマス』の色紙がかかっています。
   何十年も前。
   中学校の宗教の時間に、
   『クリスマス』のイメージの『聖書の言葉』を選んで、描いたのです。

         宗教の時間に何回も歌った
           ♭『賛美歌』♭ 

       『主を仰ぎ見て 力を得よ 主は我が力 我が盾
      主を仰ぎ見て 光を得よ 主が全てを 成し遂げられる』♭ 

        こちらも、娘の心に残っていたようです。


 もう一つ。
 似た『預言者イザヤの言葉』があります。

    『地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いをえよ。』
                 イザヤ書 45章22節


       人はどうしたら救われるのでしょうか?

  『聖書の言葉』は語ります。

      『創造主なる神を仰ぎ見れば救われます。』と。

   なぜなら、
   この方は、
   『神である方、天を創造し、地を造り上げ固く据えられた方、
           正義と公平の方』 イザヤ書 45章18&19節
      救い主は神であって、ほかにはいないからです。


   旧約時代。
   イザヤが、このように、神の語る『救い主』を預言したのです。
そして。
   新約時代。
   神の語った『救い主』の預言が成就して、
       『救い主・イエス様』がお生まれになったのです。
         『新しい時代』の到来なのです。


     それでは、
     私たちは、救われるために何をしたら良いのでしょう。

   「地の果てのすべての人よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。」イザヤ45:22

     私たちは、
         この『神の救いの招き』
       どのように応答するか、にかかっているのです。
       特別の努力ではなく、ただ『仰ぎ見る』だけなのです。
       難しいことをする必要はなく、ただ『見る』だけなのです。


    私たちが、今、成すべきことは、『キリストを見る』ことです。
     イエス様が、病人さんに、
     『あなたの信仰があなたを救った。』 と言われるとおりですね。


   皆様! 
   明日の夜中に御降誕なさる『赤ちゃん・イエス様』を見てみましょう。
      必ず、『光・救い』を得ることができます。 
             感謝!感謝!


そして。

今日は12月23日。主の降誕二日前。

『今日の入祭唱』

   『ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
     ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
       権威が彼の上にある。
     「永遠の父、平和の君」と唱えられる。』
        イザヤ書 9章5節         


『今日の福音 洗礼者ヨハネの誕生の次第』

   『さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
     
        『エリザベトの出産』

 近所の人々や親類は、
   主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

 八日目に、
 その子に割礼を施すために来た人々は、
     父の名を取ってザカリアと名付けようとした。
 ところが、母は、
    「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」 と言った。
 しかし人々は、
    「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」 と言い、
 父親に、
    「この子に何と名を付けたいか」 と手振りで尋ねた。

        父親は字を書く板を出させて、
         「この子の名はヨハネ」 
                と書いたので、人々は皆驚いた。

      すると、たちまちザカリアは口が開き、
       
       『預言者ザカリア』 ミケランジェロ作品

       舌がほどけ、神を賛美し始めた。

        近所の人々は皆恐れを感じた。
  そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。

        聞いた人々は皆これを心に留め、
    「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」 と言った。

      この子には主の力が及んでいたのである。』
                ルカによる福音書 1章57-66節



  洗礼者ヨハネの父親・ザカリアは、
  神が先祖たちに約束された※『救いの実現』※を啓示されるのです。


  ザカリアの妻・エリザベトは、高齢にもかかわらず、子どもが生まれました。
    とても喜ばしいことで、ザカリアも、近所の人々や親類も喜びました。

しかし、
  そのときの時代の習慣のように、
  親の名前の『ザカリア』と命名せずに、

  ザカリアも妻エリザベトも、我が子に『ヨハネ』と命名するとしました。
   すると、
  ザカリアが、天使に会って以来話せなくなっていたのが、話せるようになりました。
     
     それには、近所の人々や親類の者は皆、驚きました。


       このヨハネの両親に起こった事柄は、
       正に、『神の働き』であったことを示すのです。

       近所の人々が、『皆恐れた』のも、
       『エリザベトのヨハネの出産』『神の働き』を感じたからでしょう。
         人々は皆、これを心に留め、
         いったい、この子はどんな人になるのだろうか』
         と、敬虔な気持ちを抱いたことでしょう。


       『あなたたちの信仰が、あなたがたを救った。』
                『イエスの御言葉』 ルカ7-30
         ザカリアとエリザベトに倣って、
         私たちも『信仰』深くありましょう。
         そして『救い』を得ましょう。


     私たちにも、
     日々の生活において、必ず、『神の働き』があるのです。
     それを見いだすことができると嬉しいですね。
        祈りましょう。
  
     
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『諸国民の待望の王、神と人とを一つに合わせるいしずえの石、
    あなたが土から造られた人を救いに来てください。』
         典礼聖歌 257番12月23日   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
クリスマス・主の御降誕が、皆様に『良い知らせ』を運んでくださいますように。
御訪問下さいます皆様のために、お祈り申し上げます。 お元気で!

星のリース・・・『わたしたちは東方でこの方の星を見たのです』 そして 『マリアの賛歌』・・・『力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました』

2021-12-22 07:51:04 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月22日。水曜日。曇り。


今日は冬至。
「一年で最も昼の時間が短い日」です。
昼間を大切に過ごしましょう。

そして今日は、
イエスの御降誕
三日前となりました。


  我が家のクリスマス・・・ 『星のリース』
  
           『星』を真ん中に、   
      17個の鈴がリンリンと『星』を囲む、鉄のリースです。
        7年前の女4人の「ハワイ旅行」の折りに一目惚れで購入以来
         我が家の玄関にかかり、毎日、我が家に『星』をお迎えしています。


 クリスマス時には・・・
 ポインセチアを飾って、

      『ポインセチア・リース』に変身です。

    ポインセチアの花言葉は、『博愛』、『祝福』、『聖夜』。
      ポインセチアはクリスマスに飾られる花として、
      クリスマスを意味する「聖夜」や「祝福」などの
          花言葉がついたそうです。

 もう一つ。

      クリスマスはイエス・キリストの生誕祭であり、
      ポインセチアのつぼみを包む 『苞(ほう)の形』が
       『ベツレヘムの星』を連想させることから
     『私の心は燃えている』の花言葉もあるそうです。


 聖書の『星・イエス様誕生』の話です。

      『イエスは、ユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
   そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
         
         『博士たちイエスを拝む』
        我が家のクリスマスの居間にかかります。 小磯良平作品

   「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
    わたしたちは東方でこの方の星を見たので、拝みに来たのです。』
          マタイによる福音書 2章1-2節


  イエス様は、異国の占星術の学者たちによって、『王』と認められたのです。
       私たちも、占星術の学者たちに倣って、
    ベツレヘムでお生まれになった『星』を見つけてみましょう。
        

     私も、今日は、
     『星』を見つけに、東から西に向かってみましょうかしら。
              感謝!感謝!


そして。

今日は12月22日。降誕三日前。

『今日の入祭唱』

   『城門よ、頭を上げよ。 とこしえの門よ、身を起せ。
       栄光に輝く王が来られる。』
          詩編 24章7節


『今日の福音 マリアの賛歌』
  
    『そのとき、マリアは言った。
   

      「わたしの魂は主をあがめ、
    わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
  
  今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
   力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
    
     その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、
        主を畏れる者に及びます。

        主はその腕で力を振るい、
  思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、
   身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、
      富める者を空腹のまま追い返されます。

        その僕イスラエルを受け入れて、
         憐れみをお忘れになりません、
      わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
     アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


   マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、
         自分の家に帰った。』
                ルカによる福音書 1章46-56節



      マリア様も、 エリザベトも、
  『熱心に救い主を待ち望んでいる貧しい人たち』の『代表者』である、
       と言われるそうです。


     神から選ばれた『選民』、イスラエルの人々は、
  『神は、いつの時も、民を守って下さる御方』であると信じる者
        の『代表者』です。
     マリア様も、エリザベトも、その代表者です。


     今の時代は、『新しい民』となった『教会』において、
      マリア様は『教会の代表者』、『教会の母』です。


      『マリアの賛歌・マニフィカト』の祈りは、
        神の前の『貧しい人』の祈りです。


   私たちは、
   神の前の『貧しい人』の一人であることを自覚して、
   『マリアの賛歌』を、私たち一人一人の『祈り』であると受け取り、
       日々、祈ってまいりましょう。

         
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『諸国民の待望の王、神と人とを一つに合わせるいしずえの石、
    あなたが土から造られた人を救いに来てください。』
       典礼聖歌 257番 12月22日  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も残り10日間ほどになりました。皆様の今年はどんな年でしたか。
今年一年間を振り返ってみるのも素敵なことですね。 お元気で!

マフラー姿の埴輪・・・『幸せの玉手箱』 そして 『わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、 どういうわけでしょう。』

2021-12-21 05:23:09 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
12月21日。火曜日。晴れ。

今朝も寒い朝です。

早朝ウォーキングの途中。
公園に埴輪像
たくさん立っています。


   暖かく・・・   『マフラー姿の埴輪』
  
      どなたかの『手編みマフラー』です。
        とても暖かそうで、
        埴輪さんは笑顔です。
       私まで心温かくなります♡♡
  

     埴輪は、祭祀や魔除けなどのため、
   古墳の墳丘や造出の上に並べ立てられた方たちですよね。


  公園の埴輪さん。
  💕どなたか、マフラーの送主に、
      『感謝のプレゼント』をお持ちなのでしょうか?

一瞬思いつきました。

  💕薬師寺の薬師如来様が、
      『妙薬』を差し出していらっしゃるのかしら?
  💕24日にお生まれ下さるイエス様が、
      『幸せの玉手箱』を、世界中の人にプレゼント下さるお姿でしょうか。

     クリスマスの日、
     世界中の病気の皆様が、少しでもお楽な日が過ごせますように!
                     お祈り申し上げます。


     私も、今日は、
     大切なあの方この方に、今年一年お世話になったあの方この方への、
        『クリスマス・プレゼント』:『幸せの玉手箱』
            買いにまいりましょう。
              感謝!感謝!


そして。

今日は12月21日。降誕四日前。

『今日の入祭唱』

 『見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
     神が我らと共におられる「インマヌエル」。』
           イザヤ書 7章14節&8章10節


『今日の福音 エリザベトの挨拶』

   『そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、
       ユダの町に行った。
   そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。

     マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、
        その胎内の子がおどった。
       エリサベトは聖霊に満たされて、
         声高らかに言った。
     

    「あなたは女の中で祝福された方です。
     胎内のお子さまも祝福されています。
  わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
       どういうわけでしょう。
    あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、
      胎内の子は喜んでおどりました。

   主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、
       なんと幸いでしょう。」』
         ルカによる福音書 1章39-45節


      マリア様は、天使からお告げを受けた時、
   『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。
     あなたは男の子を産むが、その子は偉大な方になる。』
      との『神からの知らせ』を受けました。

   マリアはこの『言葉』に戸惑い、何のことか考え込んだ後に、

        エリザベトを訪問しました。

    すると、
      エリザベトも、マリアに『挨拶』をしました。
   わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、
       どういうわけでしょう。』 と。


    マリア様は、天使とエリザベトの、両者の『挨拶』を聞いて、
         ご自分の『受胎』を
      『神の計らい』と納得されたことでしょう。

       高齢のエリザベトも、
       マリアの受胎を知り、
    ご自分の懐妊を、『神の計らい』と納得されたことでしょう。

    
    私たちも、四日後のクリスマスに、主をお迎えします。
      神が、今、私たちを訪れてくださるのです。

   私たちも、マリアとエリザベトが『神の計らい』を信じたように、
     私たちへの『神の計らい』を信じる者となりたいですね。
          祈りましょう。



『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『インマヌエル、わたしたちとともにおられる王、立法者、諸国の民の希望、救い主、
     わたしたちを助けに来てください。』
         典礼聖歌 257番 12月21日  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
クリスマスの頃には、なぜか優しくなれますよね。
この気持ちが一年間続くと良いですね♡♡ お元気で!