マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

イスラエル巡礼・・・『キリスト教の始まりと完成』・・・『受胎告知とゲッセマニの祈り』。 

2018-08-30 11:54:39 | 旅行。海外旅行。

 キリスト教の『始まり と 完成』 は 『神の御旨』の二つの『受託』です。

一つ目の受諾。
キリスト教の始まり。

 『神の御使いがマリアに言った。
   聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。
     それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
      神にとって不可能なことは一つもありません。」
  
  マリヤは言った。
「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」』
                                                ルカ福音書 1章26~38節  


 『神の御旨』 は 御独り子・イエスを人類に派遣し、その御子が成し遂げる『人類すべての人の救い』です。

   乙女マリアは、『私は主のはしためです。』と、御子イエスの受胎とその母になることを、承諾しました。 
      その『受託』の瞬間から、『人類の救済』が、始まったのです。


そして。

今日の訪問。 その一。

  マリアの承諾・・・        『受胎告知の教会』
 
       『受胎告知 と 承諾 は この場である』    と書かれた祭壇。


  『受胎告知の場』の上に立つ・・・   『受胎告知 教会』
 
 聖マリア。キリスト。ペテロ。            11人の使徒。
        そして私たち。
                      『永遠の命』を得て、復活するのです。

   
  我が巡礼団の司祭様8人で、『その場』 で御ミサ。
 

     『恵みに満ちた方。 主はあなたと共におられます。』

  『神の救い』の始まりを、賛美し、感謝し・・・御前に跪いた。涙を流した。

                 神に感謝! 主に感謝! 聖母マリアに感謝!

 そして。

二つ目の受諾。
キリスト教の完成。

 最期の時・『神の時』が来たことを自覚したイエス。
弟子の三人=イエスの後継者・ペトロ&従兄弟のヤコブ&愛する弟子ヨハネ=だけを連れて・・・

         ゲッセマニの山に登られ、祈りました。
    
    「わが父よ。
    できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」』
                             マタイ福音書 26ー39


『神の御旨』 は 御独り子・イエスを人類に派遣し、その御子が成し遂げる『人類すべての人の救い』です。


3年間の公生活を終えたイエスは、『わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と、
   御父・神の『御旨』の成就、人類の救いのために御自分の命を贖罪として捧げることを、承諾しました。 
      その『受託』の瞬間に、『人類の救済』が、完成したのです。

 

そして。
今日の訪問。 その二。

  イエスの承諾・・・        『ゲッセマニの園の教会』
 
 
                  『山上の変容』

  『イエスはべテロとヤコブとその兄弟ヨハネを連れ、彼らだけで高い山に登られた。
すると彼らの前でイエスの姿が変わった。その顔は太陽のように輝き、着物も光のように白くなった。
 

   すると、見よ、彼らにモーセとエリアが現われた、二人はイエスと話していた。」』
                                    マタイ福音書 17:1以下
 
         『主の変容 と モーセとエリアの出現』 は、
   『権威を持ったイエス』と、『律法を現すモーセ』 と 『預言者を現すエリア』 の集合です。

      神も聖霊も、『その場』に現れました。
  神は、『その場』で宣言なさいました。
   『これはわたしの愛する子。これに聞け。』  『私は我が独り子を救い主とする。』 と。

 

       『神の言葉』が、私にも話されました。私も聞きました。
          『今日。あなたに救いが訪れた。』


 恵みのうちに・・・・
24人の方々と巡礼を続ける私に。 正に、今日、『救い』の更新を味わいました。涙涙。

   神に感謝! 主に感謝! 聖母マリアに感謝! そして 巡礼のお仲間に感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
8月も終わりです。皆様のこの夏はいかがでしたか? 
私は、私のブログをご訪問下さいます皆様のお幸せを、各地の巡礼地で、お祈りしています。 お元気で!


イスラエル巡礼・・・『主の洗礼』&『民の洗礼』・・・信仰の喜び。 そして 『聖モニカ 記念日』

2018-08-28 10:56:03 | 旅行。海外旅行。

西暦30年。

       『イエスが、ガリラヤのナザレから来て、 
    ヨルダン川に入って、ヨハネによって洗礼を授けられた。
 
                                  ヴェロッキオ作品

  するとすぐにその水から上がられると、
 天が裂け、霊が鳩のように自分の中に下るのを御覧になり、天から声があった。
   「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜びとする。」』
                      マルコ福音書 1章9-11節

     『主の洗礼』 : 『三位一体』の喜びの『シーン』でもあります。

当時。
人々は、日に2度『沐浴』をして、身を清めていました。それは、汚れからの清めの『洗礼』でした。
更に。
洗礼者ヨハネと呼ばれる人が現れ、
     『罪を悔い改めるように呼びかけ、水に入って洗い清められる』 よう勧めていました。

  『ヨハネの呼びかけの洗礼』は、これを受ける者にとっては、『一回限りの沐浴』でした。
    『回心して神の民の一員になる』 ための 『象徴行為』でした。

  
   イエス様も、この洗礼者ヨハネの元に来て、洗礼を授けられたのです。


そして。

西暦2018年の今日。

      世界の民が、それぞれの在所から来て、
 

    イエスの洗礼のヨルダン川に入って、イエスの洗礼の追体験をされています。

 

    家族全員で、『イエスの洗礼』の追体験と、『洗礼の喜び』の再確認です。


  一方。

 

         ヨルダン川の真ん中に浮かぶ 『小さな浮き球付ロープ』
          ロープの、こちら側はイスラエル。あちら側はアラブ。
            『国境線』を乗り越えることは許されません。
          アラブ側には、銃を構えた兵士が見張っています。

            それでも。
     アラブ側でも、『イエスの洗礼の追体験』をなさる方もおられ、嬉しくなります。


 そこで。

 我が巡礼団の『案内役』の神父様と私。

   両手と片足だけ・・・        『イエスのヨルダン川に沈めました』
 
 『神父様』

 『なんてうれしいことでしょうね!』 『そうですよ。イエスの洗礼のヨルダン川ですよ!』
              二人で、感動の分かち合いです。 
       なぜか、わたしの目から涙が落ちた。神に感謝! 主に感謝!

    『私』
   

『巡礼』とは、主の歩まれた道を歩み、『主の気持ちを追体験すること』と、実感します。

   イエスは、
 『ヨハネの洗礼』を受けるために、ガリラヤのナザレから、灼熱の炎天下の道を歩まれました。
   私も、
灼熱の太陽の元、”イエス様と同じ体験をしているのだわ!”と、心にあふれ出る『信仰の喜び』に満たされて、歩み続けます。
  
 

そして。

今日・8月27日。 
             『聖モニカ 記念日』
 
 母モニカは、
   息子・アウグスチヌスの『悔い改め・回心』のために・・・
        涙を流して、神に祈り続けました。

 あわれみ深い神は、
    聖女ミニカの涙を顧み・・・
        アウグスチヌスを回心に導いて下さいました。

 アウグスチヌスは、

  『私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ません。』 と 『告白』を記しました。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お元気にお過ごしですか? 私は、灼熱の太陽の元、喜びに満ちて歩み続けています。元気です。 お元気で!


イスラエル巡礼・・・・『死海浮遊体験』 そして 『モーゼも死海を眺めました。』

2018-08-27 10:49:36 | 旅行。海外旅行。

憧れの『死海』

  アラビア半島北西部に位置する塩湖。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接します。
   湖面の海抜は、『マイナス418m』。  地表(世界)で最も低い場所である。
歴史的に様々な名前で呼ばれましたが、現在の英語名(Dead Sea・死海)は、アラビア語名に由来します。 

年間降水量が、50mmから100mmと極端に少なく、気温は夏が32°Cから39°C、冬でも20°Cから23°Cと非常に高い。
そのため、湖水の蒸発が水分供給を上回る状態で、『高い塩分濃度・30%』(普通の海水は3%)が生まれ、体が浮くのです。

    
    とうとう・・・    来ました。 泳ぎました。 浮きました。
 
 雲一つない快晴。

      話しに聞いていた通りです! 自然に浮かぶのです!
  浮かびながら・・・青空を眺めていると、世界を制覇したような! ダビデ王の気分です!

 

 映像で見ていたように・・・     『死海に浮かびながら・・・新聞を読む!』
 
 後ろの神父様と・・・    
      『最高ですね!』 『幸せだね!』 と。

   海に浮かびながら・・・・
     巡礼の喜びを、語り合いました。 感謝しながら、分かち合いました。

         更に。

     『旧約聖書のレクチャー』です。 個人レッスンを受けました。

「死海から眺めるイスラエルの荒野は・・・ヨルダン側まで続くのですか?」
「死海をはさんで・・・こちら側がイスラエル。あちら側がヨルダンです。 今は行き来は難しくなっています。
 あのヨルダン川の荒野の『小山』こそが、預言者モーゼが登り、こちら側を、最期に眺めた『山・モアブの地』です。

  
  モーセにも、
イスラエルの民をエジプトから救い出し『カナンの地・イスラエル』を目指して荒野をさまようこと40年後、最期のときがきました。


    『主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。
主は、モーセをモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、誰も彼が葬られた場所を知らない。
    モーセは死んだとき。』
                                          申命記 34章5-7節                   


        モアブの地にある    『モーセの記念碑』
       
『イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服した。』
                                                   申命記34章8節


神父様の『死海上講義』は続きました。

「120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかったモーセは・・・
      なぜ?
   目指す『カナンの地・イスラエル』を、眺めることだけしか許されなかったのですか?」

「わかりません。聖書には、『理由』が書かれていません。

      私の意見では、こんな風に考えます。

      モーセは、『キリストの前表』でした。
罪なき身でありながら・・・引き連れてきた沢山の民の罪を背負って、贖罪となって死んだのです。
                      ・・・・と。 私は考えています。」

                                 なるほどね~! 納得!ガッテン!

そして。

 喜びと感謝の・・・・     『祝宴』
 
                            4人で2本

  巡礼の幸せで・・・格段とおいしい! 神に感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日本では大きな台風が到来したと聞きました。大丈夫ですか?お見舞い申し上げます。 お元気で!


イスラエル巡礼・お国事情・・・・『昼食』 そして 『神の御旨』

2018-08-26 09:42:15 | 旅行。海外旅行。

私たち・・巡礼者24人。 
その目的は、『聖地イスラエル』を巡礼しながら、黙想することです。

それでも・・・
私にとって、初めてのイスラエルです。

 どんなお国事情でしょう? どんなお顔をしているのかしら? どんなものを食べておられるのかしら?
                    ・・・・日常生活にも、興味がわきます。

で・・・。

   皆さんが食べている、『昼食事情』です。

 始まりは・・・    『前菜』
 
 豆類や茄子など、野菜のペースト。 
 人参やキャベツなどの、味付き沢山の野菜ミックス。
 玉葱や茄子やトマトなどの、野菜沢山のラタツーユ。等々。
          今までの私の経験では、メキシコ料理のような・・・。

   『実沢山のサンドイッチ?』
 
 薄手の、約10㎝程の、丸いパン。 半分に切ると…中は空洞。
 
    薄手のパンの中に・・・すべてのペーストと野菜類をはさんで・・・
           『サンドイッチ 前菜』の出来上がり。

      野菜好きの、豆類大好き、の私には・・・とてもおいしい。

 ともかく、日中は暑い。
 滋養の高い栄養食が・・・暑さに失われていく体力を補充するようです

       ビールは、暑さの土地にお似合いの、『ライト』です。


          そして・・・     『メイン』
      
      『牛肉のシシカバ風』
      
          広い荒野に見かける牛、羊。 ラクダもいる。豚は宗教上召しあがらない。
          当然・・・脂身は少ない。
      友は、「日本に比べておパサパサしている」という。さもありなん。
      私は、脂身の少ない、肉そのものの味わいも好き。 悪くない。


         『郷に入っては郷に従え』
                      幸せな昼食でした。神に感謝!


  一日の始まり、
  同行の枢機卿様の、移動用バス中の、『朝の御挨拶』から始まるのです。

 「巡礼の恵みに感謝致しましょう。 今回の巡礼で、『神の御旨』を悟ることができますように。
その悟り・『神の御旨』を、自分が置かれた生活の場で、生かす事ができますように、祈ってまいりましょう。」

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お陰様で、元気で、丸一日、貪欲に巡礼を続けています。 お元気で!


イスラエル巡礼・二日目・・・イエスキリストの死の地・『聖墳墓教会』 そして 『あなたは、神からのメシアです。』

2018-08-24 11:46:33 | 旅行。海外旅行。

 8月23日。 イスラエル巡礼・二日目。

朝5時半。 

   私たちは、ホテルから歩いていける、『聖墳墓教会』に向かった。 

     
    『石畳の細道』
  
  早朝は人気もなくひっそりと・・・。
 

   道中。
        私の耳に、『イエスの御言葉』が、響いてきた。

            『イエスは言われた。
    「それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか?」』


  昼間は・・・   『商店街』
  
  仲間の4人のシスターたちも・・・歩く!歩く!         

     私の耳に、又もや、『御言葉』が響いてきた。

       『ペトロが答えた。「あなたは神からのメシアです。」 』  ルカ福音書 9-20


到着。

        『聖墳墓教会 広場と入口』

エルサレム旧市街にある『キリストの墓』に建つ教会・『墳墓教会』。

  私にも、キリストの質問が聞こえてきた。『おまえはわたしを何者だというのか?』
        私は、イエスに答えた。 「神からのメシアです。」  


 入口すぐに・・・     『十字架から下げられたイエスの遺体の置かれた石』
 

  まだ、早い早朝。
     参拝者も少なく・・・

 

  仲間のシスターたちも、他の参拝者に真似て・・・
     『石』を、さわり、なぜて、香油の香り豊かな板に、接吻した。


 2階に上がると・・・    『キリストの十字架を立てかけて空いた穴 の場所』
 

   巡礼団の仲間全員・25人。
      順に、『十字架を立てた洞穴』に手を入れ、祈った。私の頬を涙が流れた。

 次は。 

  キリストが十字架から降ろされた場所。

          『枢機卿と7人の司祭による ミサ』
 

  司式枢機卿の説教。

 「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」
                               ガラテヤの信徒への手紙 6章14節〜18節

 私たちの信仰の中心は、
 神が御子を遣わして・・・十字架の死に至るまで、命を捧げられた御子・キリストです。
 又、
 その十字架上の死は、キリスト者だけでなく、すべての世界の平和のために捧げられたのです。

          十字架は、天と地を結ぶ大きな力です。
      私たちは、『御言葉』のままに、救済を願っているのです。


 枢機卿による・・・   『聖体授与』
 

   『これは、わたしの体である。』  「アーメン。あなたは、神からのメシアです。」
                           
                        私も、ペトロのように、しっかりと答えられた。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ、司祭団8人と信仰者他17人、イスラエル巡礼の始まりです。巡礼のイスラエルは安全です。 お元気で! 


『イスラエル巡礼』初日・・・憧れのイスラエルの地を踏む。

2018-08-22 15:38:17 | 旅行。海外旅行。

8月21日。 いや・・・22日の明け方3時半。 

 憧れの・・・     『イスラエルの地の第一歩』
 
 踏んでみたかった。
  
 その結果は・・・どこでも同じ、アスファルトの道と夏花のブーゲンビリア。

 
 飛行機の窓から・・・     『イスラエルの光』
 
 世界の道はローマに通じる。

その結果・・・私の長年の沢山の海外旅行は、『イスラエル』に通じていたのではなかろうか?
               更に、その道は、『天国』まで通じる。


 日本の地から・・・      『18時間の旅』
 
 私を運んだ飛行機。

その結果・・・朝の3時半、ユダヤの世界は夜9時から始まるとか、世は半日目めだった。


 初めての着地・・・     『ユダヤの人々との出会い』
 
 ユダヤ人友人のジェームス氏の顔がそこにあった。

その結果・・・初めてのイスラエルの地は、ニューヨークには着陸した時はクレンザーのにおいがした、
                ユダヤ王国第二の王・ダビデ王のにおいがした。

  

皆様!
訪問に感謝致します。
テルアビブの空港には、銃を構えた警官どころか、一人の警官の姿もありませんでした。平和そのものです。 お元気で!


飛ぶ鳥跡を濁さず・・・『イスラエル巡礼』 そして 『聖ベルナルド修道院長教会博士』

2018-08-20 20:47:14 | 旅行。海外旅行。

8月20日。月曜日。
早朝から大合唱をしていた蝉の声が、今朝の早朝は蝉の声がピタッと止まった、消えた。 秋の到来です。

昨日で、『カンボジア・・ツワ―』の報告が最終しまして・・・
明日から、『イスラエル巡礼』 の始まりです。

        よろしくお願いいたします。


出発前に・・・
今日は、『飛ぶ鳥跡を濁さず』 と、夫に敬意を払う。
夫の夏の『カッターシャツ』の洗濯とアイロンかけ。 家中の大掃除。

    一番大切なのは、『最後の晩餐』

          秋の食卓・・・   『すき焼き と 葡萄』
 
                              帰国した時は…すっかり秋だろうか?

      明日・21日~31日まで、『イスラエル巡礼』、イエスの生涯を辿ります。
         
        私は、
       『イエスのすべて』を、長年、『聖書の文字』として、読んできました。
          この度。
『イエスのすべて』を、イエスが歩んだ『世界』を私も歩んで『聖書の現実』として、体験してきます。

    私の見る『イエスの世界』を、綴ってまいるつもりです。
        
          よろしくお願いいたします。

 
そして。

今日は8月20日。
             『聖ベルナルド修道院長教会博士 記念日』 
            
 1090年。 フランスのディジョン近郊・フォンテーヌで生まれる。   

      騎士テセランの子として生まれた。
母親アレトは、貴族の家の出で信仰厚く、教育熱心であったが、ベルナルドゥスが幼いうちに世を去った。
家族は、ベルナルドゥスに軍人として成長を願ったが、彼自身は母の姿の影響もあり、修道院に入りたいと思っていた。 

 1111年。 21歳。 シトー修道院に入会。   

    間もなくクレボーの修道院長に選ばれ、指導と模範とによって修道士たちを完徳に進ませた。
    教会の分裂が生じると、平和と一致を回復するために、ヨーロッパ中を巡り歩いて努力した。
    神学と霊的生活に関する多くの著作を残した。 

      1153年8月20日。 死去。 63歳。 
      1830年8月20日。 教皇ピウス8世から教会博士の称号を贈られる。没後677年後。 


『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、あなたは聖ベルナルドを選び、あなたの家を思う熱意で満たし、教会の輝く光として下さいました。
聖人の模範に支えられて、私たちも同じ熱意に燃え、光の子として歩むことができますように。』

 

『今日の福音 イエスの御言葉』

         『一人の男がイエスに近寄って来て言った。
 
   「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」

イエスは言われた。
  「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。
    そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。』
                                      マタイ福音書 19章16-22節

   
金持ちの青年は、聖ベルナルド修道院長教会博士のように、イエスに倣った生活をしたかったのでしょう。

    イエスは、財産が悪いことだとは、言われません。
      
ただ。
  イエスに従って生活するためには、財産に頼るのではなく、イエスに頼ることが必要なのです。
財産に多くを頼る場合・・・青年がそうであったように、イエスに従って行く妨げとなる危険があります。

     イエスは、ただひと言、『それから、私に従いなさい。』 とおっしゃるのです。

私たちも、キリストに従うためには、聖ベルナルドのように、他のものではなく、キリストを大切にし、キリストに信頼しなければなりません。

     頑張りましょう! ファイト!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
     準部完了! 
  
   使い慣れた三つ。私の海外旅行の相棒です。

皆様!2018年残りの夏を満喫ください! 私も、明朝5時前の出発、満喫してまいります。 お元気で!


飛ぶ鳥跡を濁さず・・・『カンボジア・ミッション終了』 そして 『浅はかさを捨て、命を得るために分別の道を進むために。』

2018-08-19 04:00:00 | 旅行。海外旅行。

 8月19日。日曜日。

今日で、『カンボジア・ミッション・スタディー・ツワ―』の報告の最終です。


カンボジアで沢山学ばせて頂き・・・
   最後に、『飛ぶ鳥跡を濁さず』 と、カンボジアに敬意を払い、
カンボジア政府が、自ら力を注がれ、次世代への警鐘として遺される、『Killing Field』 を訪ねました。


カンボジア最終報告です。

    『Killing Field』  の   『慰霊塔』  
    
    『年齢別に分けられたどくろ』   
        その大きさにも、数にも、年代別の特長があります。

 『慰霊塔』には、 『証人の最後のお姿』、 のみが納められていました。
              慰霊塔とその内部のみが撮影可能でした。 世界に言い伝えてほしい。と。


        『慰霊塔』  
  
              若い幼稚園先生2人と共に、私も中に入りました。

『Killing Field』
カンボジア・ポル・ポト政権下で、大量虐殺が行われた『刑場跡』の俗称となっています。
秘密警察である「サンテバル」クメール語で「平和の守護者」の意味」は、
知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを、反革命的な者と見なして、次々と殺害されました。
後には、クメール・ルージュの地方機関や事業所の幹部までもが、反乱の恐れ有りとして、殺害されました。

   祈りました。
   戦争は、いかなる理由があっても、あってはならない。
   この『Killing Field』が、カンボジアの内戦の最後でありますように。


我がボス・カンガス神父様のご提案。
    「ここから宿泊ホテルまで遠くありません。僕の部屋でミサをいたしましょう。」

 
 ベットに腰掛け・・・            『室内 ミサ』
 

  「すべての戦争犠牲者のために祈りましょう。

  私たちには責任があります。 
  平和な世界を作るために、自分のできることから、責任を果たしてまいりましょう!」



そして。

今日は8月19日。年間第二十主日。

『今日の第一朗読 箴言』

『知恵は、
獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え、はしためを町の高い所に遣わして、呼びかけさせた

   「わたしのパンを食べ、わたしが調合した酒を飲むがよい。
 浅はかさを捨て、命を得るために分別の道を進むために。」  
                                蔵言 9章1-6節


『知恵』は、
本来は、神のものです。
神の知恵は、神の代行者である王に分け与えられ、選ばれた民イスラエルを正しく導くための、判断力と実行力になります。

   今日は、『知恵』が、 『御ミサ』の前表、 『宴会』を開きました。

『知恵』は、
御自分で準備なさった 『パンとブドウ酒』 を宴会に出た人に与え・・・

      大切なことは何か? 
 明確な判断によって、すべてを正しく選べることができるように、助けて下さるのです。


     共に! 『主の宴会』:『主の食卓』:『御ミサ』 に、与かりましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『カンボジア・スタディー・ツアー』の何日ものブログにお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
心から御礼申し上げます。  お元気で! 


幹線道路際で私たちを待つ司教様。 そして 『そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。』

2018-08-18 04:30:00 | 旅行。海外旅行。

8月18日。土曜日。

『今日の福音』を読みながら・・・カンボジアでの『出来事』を思い出していました。

その日も、いつものように、炎天下の元、マイクロバスで、訪問先へ向かっていました。
そんな時、私たちのリーダーのところへ、どこかへお出かけ途中のカンボジアの司教様から、電話が入った

 『あなたがたが、この道を通るだろうと思って、ず~と、車から降りて待っています。』

  炎天下の元。 幹線道路の道端。

        手を振る司教様を見つけて・・・
 
  バスを止め・・・全員でバスから降りました。


  「皆様に会いたくて・・・皆様に感謝を述べたくて…待っていましたよ。」  と司教様。
 
                     私たちも、思いもかけぬ所での再会に、大喜びです。

    「カンガス神父様に、『カンボジアの十字架』を差し上げたかった!」 
   
司教様は、御自分の胸にかけている二つの『十字架』の一つを、カンガス神父様の胸にかけて・・・・

       カンガス神父様にハグをなさった。
 
 私たちも嬉しくなって・・・お二人を見つめていました。

すると。
次に。

司教様は・・・

   沢山の『カンボジアの十字架』を、ポケットから出されました。
 

そして。

 一人一人の首に、「ありがとう!」  と言われながら・・・
 

     『カンボジアの十字架』を首にかけ・・・ハグをなさるのです。

    


  次の人にも・・・    「ありがとう!」
 

   ハグの後は・・・・カンボジア風に両手を合わせて・・・・。
 

     次の人にも・・・ハグハグ!
   

  次の人にも・・・・

   『十字架』をかけて・・・ 「ありがとう!」と。             そして  ハグ!
  

 最後には。

  カンボジアの方。 マイクロバスの運転手さん。
  
キリスト信者さんでなくても関係ない。 
     『ありがとう!』と、『十字架』をかけて・・・

         カンボジア風御挨拶もして・・・
        

           そして。   ハグ!ハグ! 
       

全員のハグが終わって。

     『ありがとう! ありがとう! ありがとう!』 
 
 私たちの『お別れテーマソング』を覚えていて下さっていて・・・

     皆で、歌って・・・ 踊って・・・  別れを惜しみました。


すると。 

 なんと!  最後の最後。 マイクロバスにまで乗り込んでいらして・・・
 

           「皆様のためにお祈りします。」
 

 その後。

 又。一人。
          炎天下の幹線道路の道端で、たたずみ・・・・

  私たちのマイクロバスが見えなくなるまで・・・手を振ってくださいました。


    人の行動は、その人の心を現す。


そして。

今日は8月18日。年間第十九土曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。

イエスは言われた。
「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
  そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。』

    
                  マタイ福音書 19章13-15節

       私が大司教様から頂いた 『カンボジアの十字架』
   
   『片
足のないイエス様』 です。

 
今朝。
『今日の福音』を読みながら・・・・

今日の『小さき者』を愛するイエス様の姿が、カンボジアの司教様の『愛深いお姿』に重なりまして・・・
        なぜか、私の目から涙が出ました。


皆様!

御訪問に感謝申し上げます。
人には、忘れられない『思い出のシーン』がありますよね。大事に心に刻んでいたいものです。 お元気で!


友のために命を捨てた・・・『鳩の家の26歳・イエズス会師』 そして 『神の言葉は、あなたがたのうちに働いているものです。』

2018-08-17 05:00:00 | 旅行。海外旅行。

8月17日。金曜日。

今日も、昨日に続きカンボジア『鳩の家・職業訓練所』、報告です。
『職業訓練所』にかかわり、イエス同様に、友のために命を捧げた26歳・イエズス会師、の報告もあります。


  訪問しました・・・    『鳩の家 職業訓練所』
 
  カトリック教会・イエズス会が始めた、体に障害のある青年たちのための施設です。

畑などを歩いていて、内戦の傷跡の『地雷』を踏んで・・・体に障害が残った青年たち。
生まれながらにして・・・障害を持って生まれた青年たち。 
   ・・・等々の青年たちは、不自由の体ゆえに、家に引きこもりがちになります。

イエズス会は、そんな青年たちを見つけ出し・・・
親を説得して、『施鳩の家』に招き、共同生活をしながら、『仕事』を覚えて頂く。
   ・・・『仕事』が身につくと、家に帰り、地域で働くのです。 地域の中で『自分の場』を獲得するのです。

        素敵な『障碍者青年のための施設』:『鳩の家』  です。


まずは。

 訪問のご挨拶代わりに・・・    『我がミッションのボス・カンガス神父様の手品』
 

   うける! うける!   拍手喝采!

ではと。

 もう一つ・・・      『破いた新聞紙が元どおりに戻ります!』
 

  我がミッションの若い女性たちも、張り切って、いくつかの手品の御披露でした。


 訪問の記念に・・・       『全員集合!』 
 
                                   にっこりと。

その後。
作業場の方に移動。

 イエズス会師による・・・    『職業訓練の説明』
 

 美容師を目指す人。 木工細工匠を目指す人。 縫物・手仕事を目指す人。等々。
       本人の希望で、いろいろの『仕事』を覚えていきます。


 イエズス会司祭から・・・    『木工細工・鳩』     のプレゼント。
 
   我がボスの神父様 と 我がミッション・リーダーの神谷様に・・・  
        『鳩』   『鳩の家』のシンボルです。

次は。
青年たちの『寄宿舎』に移動。


 『寄宿舎』前に・・・   
      『友のために命を捨てた・・・『26歳・イエズス会師』 銅像』  
         

         『RICHARD MICHEAL R. FERNANDO S.J.
        生誕 1970年2月27日  死去 1996年10月17日』
                                   26歳死去。

  

 寄宿舎 1階 自習室前の廊下に・・・

             『爆弾破裂の痕跡』
       
                           

1996年。22年前。
寄宿生の青年が・・・苦しみに耐えかねて、寮生を巻き込んで、”『自爆テロ』を実行する!” と大声を出した。

    イエズス会師・RICHARD MICHEAL R. FERNANDO は、
          青年を突き倒して『青年の命』を助け・・・
  次に。自ら、破裂寸前の『原爆』の上に自分の体を投げ出して、『寮生全員の命』を助けた。

  正に。
若き26歳のFERNANDOは、
    『イエスの御言葉』:『友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。』 を実行したのです。

     私たちに説明をしてくれたイエズス会師は、私たちに言いました。
 「私たちは、バチカンに、『FERNANDOの列福』を願っています。 列福が実現するようにお祈りください。』
        私は、イエズス会士に約束をしました。「『FERNANDOの列福』のために、お祈りします。」 と。


   作業所で・・・       『木工技術を覚える青年』
   
              目がキラキラと・・・美しい。

青年たちが、『技術』を覚えて独り立ちし・・・故郷に戻り・・・故郷の皆様の『希望の星』となられることを、
            心からお祈り申し上げます。 神に感謝!


最後は。

 バレーボール部員で学生時代に活躍した、我がミッション・後藤さんも加わり・・・
            
         『義足の青年たちとバレーボール 試合』 
 
                        私は応援団長。両チームを応援して、力が入ります。

 イエズス会の皆様とボスは・・・   

              『はい!ポーズ!』 
 

   又来ますね。 施設の発展のためにお祈りします。 お元気で! と別れ難い。


 私も買いました・・・    『青年たちの作品』           
                             お土産です。
 
孫たちには、
片足がない『十字架』 と 平和の象徴でもあり、『鳩の家』のシンボルでもある『鳩』 のキーホルダーです。

婿殿と息子には、
一針一針、丹精のこもった、布切れをパッチワークした、キーホルダーです。

 

     『カンボジアの象徴』・・・
     『地雷のために足を失くした十字架上のイエス様』 と 『鳩』
 

   障害があっても・・・・『輝く青年たち』。 青年たちこそ・・・『平和の象徴』でした。

 

そして。

今日は8月17日。年間第十九金曜日。

『今日のアレルヤ唱 使徒パウロの言葉』

『アレルヤ、アレルヤ。 あなたがたは、神の言葉を、人間の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れました。 
      事実、神の言葉は、信じているあなたがたの中に働いているものです。 アレルヤ、アレルヤ。』
                              テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章13節


イエスは、
『神の言葉』として、話されました。

                 『わたしがあなたがたを愛したように、
  
      
    互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。     

    友のためにいのちを捨てること、これ以上に大きな愛はない。』 
                                ヨハネ福音書 15章12&13節

正に。

      RICHARD MICHEAL R. FERNANDO S.J.・イエズス会師は、
   『神の言葉』を、人間の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れていました。 
      事実、『神の言葉』は、信じている彼の中に働いていたのです。 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
愛のために、我が命を捨てても、生きる。これぞ、人生の醍醐味ですね。 お元気で!