3月25日。木曜日。晴れ。
今の住まいに越してきたのは32年前。
夫は東京単身赴任中。娘は米国留学中。
中学一年の息子との『二人生活』も2年目になる時でした。
その時、庭造りは、プロの庭師にゆだねました。
好みの花々の選択とその植え込みは、息子と私の二人でしました。
かすみ草が、主役でありながら、華やかな花々を引き立てます
息子の”一番好き!”というかすみ草 と 私の”凜々しさが好き!”なバラの花
母と庭造りを楽しんでくれた息子も、今では自分の家庭の主となって久しい。
32年間が過ぎ去った。 すべては移り変わる。
思い切って・・・
この度、『私好みの庭』に、DIYで、作り変えることにしました。
コロナ自粛で外出のままならぬ毎日・・・思索時間も労働時間もたっぷりあります。
今日は、天候良く暖かい5時間・・・
32年間の幸せを振り返りながら・・・
アイビーのほとんどを撤去し、花のための場所を広げました。
かすみ草を更に植えることにいたしましょう。 感謝!感謝!
そして。
今日は2月25日。四旬節第一木曜日。
『今日の入祭唱』
『主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください。
わたしの王、わたしの神よ、助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。』
詩編 5章2&3節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。
「求めなさい。 そうすれば、与えられる。
探しなさい。 そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。 そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、
パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、 蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。」』
マタイ福音書 7章7-12節
イエス様は、今日の福音では、
イエスの教えに従って歩む 『わたしたちの生き方』 を示されました。
その『鍵』は、
『だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい』 ですね。
すべての人は、「求め」、「探し」、「門をたたく」、 のです。
そして、
私たちの天の父は、求める者に、良い物をくださるのです。
だから、
神様は良い物をくださるように、
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』
と、イエス様はおっしゃるのです。
イエス様が望まれることは、
神さまは、誰かが求めているものを、お与えになる時・・・
『私たちの手』を使われるのです。
『求めているもの』は、 『探しているもの』は、
目に見える物かもしれません。 目に見えない愛情かもしれません。
『門をたたく人』のため、 「閉ざされた扉」を開けるのは私たちです。
『行動』を起こすのは、私の手、私の足、私の言葉、なのです。
私たち、一人ひとりが、 『神の御心』 を働くのです。
『律法と預言者』 は 『愛神愛隣』=『イエス・キリスト』
に言い換えられるのです。
イエスは言われます。
『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。』
マタイ福音書 5章17節
私たちも、
「神の手」として働けますでしょうか。
誰かが求めているものを届けることができるでしょうか。
イエス様の『言葉』に従って、
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』
という『生き方』ができるといいですね。
『今日の祈願』
『全能の父よ、
いつも正しいことを考え、 すすんで実行する力をお与えください。
あなたを離れては滅びてしまうわたしたちが、
あなたの息吹によって生きることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私がああしたこうしたいと思うとき、お人も同じことを考えていることに心が回って、
今日も明日も明後日も、助け合いの日々でありますように。
今の住まいに越してきたのは32年前。
夫は東京単身赴任中。娘は米国留学中。
中学一年の息子との『二人生活』も2年目になる時でした。
その時、庭造りは、プロの庭師にゆだねました。
好みの花々の選択とその植え込みは、息子と私の二人でしました。
かすみ草が、主役でありながら、華やかな花々を引き立てます
息子の”一番好き!”というかすみ草 と 私の”凜々しさが好き!”なバラの花
母と庭造りを楽しんでくれた息子も、今では自分の家庭の主となって久しい。
32年間が過ぎ去った。 すべては移り変わる。
思い切って・・・
この度、『私好みの庭』に、DIYで、作り変えることにしました。
コロナ自粛で外出のままならぬ毎日・・・思索時間も労働時間もたっぷりあります。
今日は、天候良く暖かい5時間・・・
32年間の幸せを振り返りながら・・・
アイビーのほとんどを撤去し、花のための場所を広げました。
かすみ草を更に植えることにいたしましょう。 感謝!感謝!
そして。
今日は2月25日。四旬節第一木曜日。
『今日の入祭唱』
『主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください。
わたしの王、わたしの神よ、助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。』
詩編 5章2&3節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。
「求めなさい。 そうすれば、与えられる。
探しなさい。 そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。 そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、
パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、 蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、
人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。」』
マタイ福音書 7章7-12節
イエス様は、今日の福音では、
イエスの教えに従って歩む 『わたしたちの生き方』 を示されました。
その『鍵』は、
『だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい』 ですね。
すべての人は、「求め」、「探し」、「門をたたく」、 のです。
そして、
私たちの天の父は、求める者に、良い物をくださるのです。
だから、
神様は良い物をくださるように、
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』
と、イエス様はおっしゃるのです。
イエス様が望まれることは、
神さまは、誰かが求めているものを、お与えになる時・・・
『私たちの手』を使われるのです。
『求めているもの』は、 『探しているもの』は、
目に見える物かもしれません。 目に見えない愛情かもしれません。
『門をたたく人』のため、 「閉ざされた扉」を開けるのは私たちです。
『行動』を起こすのは、私の手、私の足、私の言葉、なのです。
私たち、一人ひとりが、 『神の御心』 を働くのです。
『律法と預言者』 は 『愛神愛隣』=『イエス・キリスト』
に言い換えられるのです。
イエスは言われます。
『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。』
マタイ福音書 5章17節
私たちも、
「神の手」として働けますでしょうか。
誰かが求めているものを届けることができるでしょうか。
イエス様の『言葉』に従って、
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』
という『生き方』ができるといいですね。
『今日の祈願』
『全能の父よ、
いつも正しいことを考え、 すすんで実行する力をお与えください。
あなたを離れては滅びてしまうわたしたちが、
あなたの息吹によって生きることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私がああしたこうしたいと思うとき、お人も同じことを考えていることに心が回って、
今日も明日も明後日も、助け合いの日々でありますように。