マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

検診も夫婦でいろいろ。 そして 『聖ルカ福音記者 祝日』・・・『収穫は多いが、働き手が少ない。』

2022-10-18 22:42:46 | 日々のこと。 世界のこと。
10月18日。火曜日。快晴。

明日は、
夫の健診日。

     夫・・・   『胃の検診』
  

          年に一回の検診。

   私たち夫婦は、必ず、年に一回の💕検診💕を受けるようにしています。

      💕体からのSOSをいち早くキャッチするのです。
  
             検診で、
            健康状態を確認し、
          体の異常は早期に発見したい。
  
       💕生活習慣の一年に一度の振り返りです。

            検査結果を参考に、
           過去のデータと比較をし、
            日頃の生活を振り返り、
          生活習慣の改善に取り組むのです。


   おもしろいのは・・・
   10年ほど前までは、夫婦一緒に『半日人間ドック』に行っていました。
   その後、
   夫は、一度に全部の検査をするのがしんどくなり、
      何日もかけて、一日に一か所の検診、の方法となりました。
      デメリットは、医者に何回も行くので、費用が高いのです。
   私は、夫のような何日もかけての検査はむしろしんどいし、
      以前の半日人間ドックは、半日で全検診が終わるのですが、
      数時間で終了&ほぼ無料の『二つのメリット』で『特定市民検診』の方法となりました。
      市民検診では検査ができないものは『市の指定病院』で検診をしています。


     検診は、
     自分に向いた方法でなくては、検診へのモチベーションが上がらないのです。
     自分に向いた方法で、費用は問題外で、毎年続けることが大事だと思っています。


       今年も、
       夫は、明日から何日かかけて検査、今年の検診の終了です。
       私は、27日一日で総合検査、今年の検診の終了です。
                  感謝!感謝!



そして。

今日は10月18日。年間第二十九火曜日。

       『聖ルカ福音記者 祝日』
    
     『聖ルカ』   エル・グレコ作品

   1世紀。異教徒の家に生まれ、ギリシャの医師であったが、
        やがて改宗し、
       使徒パウロの弟子となり、
       パウロの第3と第4宣教旅行に同行した。

    パウロの教えに従って『ルカによる福音書』を書き記した。
    さらに、
    初代教会について『使徒言行録』を書き、
    パウロが最初にローマに着くまでのさまざまな出来事を
        書き記した。

    パウロが2度目に逮捕されてローマに滞在していたとき、
        ルカだけは彼とともにいた。テモテⅡ 4章11節

  聖パウロの死後。 主にギリシャで宣教し、
           そこで殉教したと伝えられている。
              『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

   『いかに美しいことか、
   山々を巡り歩き、良い知らせを伝える者の足は。
   彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げる。』
          イザヤ書 52章7節

『今日のハレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ。』
     ヨハネによる福音書 15章16節  アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、
      主はほかに七十二人を任命し、
     御自分が行くつもりのすべての町や村に
     
       二人ずつ先に遣わされた。

      そして、彼らに言われた。
    「収穫は多いが、働き手が少ない。
  だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、
      収穫の主に願いなさい。

        行きなさい。
     わたしはあなたがたを遣わす。

   それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。

      財布も袋も履物も持って行くな。
      途中でだれにも挨拶をするな。

     どこかの家に入ったら、まず、
     『この家に平和があるように』と言いなさい。

       平和の子がそこにいるなら、
     あなたがたの願う平和はその人にとどまる。

       もし、いなければ、
      その平和はあなたがたに戻ってくる。

        その家に泊まって、
     そこで出される物を食べ、また飲みなさい。
     働く者が報酬を受けるのは当然だからである。

        家から家へと渡り歩くな。
      どこかの町に入り、迎え入れられたら、
         出される物を食べ、
        その町の病人をいやし、
      また、『神の国はあなたがたに近づいた』
             と言いなさい。」』
          ルカによる福音書 10章1-9節


   今日のイエス様は、
   新しく72人の弟子を任命し、
   2人づつ組になって、宣教に派遣しました。


   イエス様は、
   反対者は多くても、
   イエスの話を聞きたい人も多くいることを、知っていたのです。
   そこで、多くの宣教者の仲間が生まれることを、
   神に願いなさいと、弟子たちに話しました。


   弟子たちは、
   『イエスの言葉』を人々に伝えるために、イエスに派遣されました。
   しかし、派遣先では、反対する人も多く、
   オオカミの中に送り込まれるような感じもしました。
   それでも、自分に与えられた『宣教の使命』を全うしました。

   ルカは、
   イエス様と出会ったことはないのですが、
   イエスと共に生活した弟子たちや、パウロの話を聞いたとき、
   イエス様は、弱い人や差別された人や罪人の味方で、
   どんな人もお見棄てにならない人、すべてをお迎えになる人、
       との印象を持ったのでしょう。
   そして、この『イエスの事実』を、人に伝えなければならない
       と考えたのでしょう。
   更には、『イエス』と『イエスの働き』をより多くの人に伝えるために、
       『福音書』を書いたのです。


   私たちキリスト者も、
   イエスの弟子の一人として、
   『イエスの言葉』を人々に伝え、又、人々に『平和』をもたらす、
       『使命』が与えられているのです。
    そんな、使命を果たす弟子の一人になりたいものです。
            祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
検診は、自分の状態が何もかもわかり、ちょっとしり込みする怖さがありますよね。
それでも、健康でいるために、年に一度の検診を頑張りたいものです。 お元気で!

『アイデンティティ』と『生きがい』 そして 『お前は良いものをもらっていたが、ラザロは悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむ。』

2022-09-25 17:22:58 | 日々のこと。 世界のこと。
9月15日。日曜日。快晴。

秋は、登山日和です。
 『登山の秋』

             『白神山地』
  
                        日本初の『世界自然遺産』。 登りたいですね。

     私が30代の頃。
     師事していた神父様が私に尋ねた。
       「あなたのアイデンティティは、何ですか?」 と。

     若かった私は、多くの仲間の中で、唐突に、
       私一人に向かってなされた『質問』に、
       うまく返事が出来ませんでした。
       忘れられない『事件』です。



アイデンティティとは、
「他ならぬ《それそのもの》であって他の何者でもない」
という状態や性質のこと、
あるいは、
そのような同一性の確立の拠り所となる要素のことである。
主に「同一性」と訳される。

心理学や社会学の分野では、
一貫した自己・自我の意識を、
「自己同一性」あるいは単に「アイデンティティ」と呼ぶ。

自己同一性は「自分は何者であるのか」という問いに象徴され、
状況や時期などによって変わることのない
「自分は自分である」という自己認識として確立される。
人生の意味や価値など,人の生を鼓舞し,その人の生を根拠づけるものを指す。
帰属意識などもアイデンティティの確立に密接に関わる。
          国語百科事典より


     年を重ねた今。
     今は亡き人になってしまった師事していた神父様に
     はっきりとお答えすることが出来ます。
       「私のアイデンティティは、キリスト者です。」 と。
                         永遠に変わることない私のアイデンティティです。


そして。
もう一つ。


     コロナ禍で外出もままならなくなった今。
     友人たちが私に尋ねます。
       「コロナ禍での、あなたの生きがいは、何ですか?」 と。
     

生きがいとは、
生きる甲斐、
すなわち「生きることの喜び・張り合い」「生きる価値」を意味します。

※「生きることに価値や意味をもたらす源泉や対象としての事物
   長年続けてきたことによる「強み」と「面白さ」を持つ。
そして
「その源泉や対象が存在することにより自らの生に価値や意味があると感じられる感情(生きがい感)」
    これら※2つの側面※から構成される概念とされている。

老年学などでは、
高齢者が穏やかに老いを受容できるのは、
それぞれの持つ「生き甲斐」が、
老いや喪失感への拮抗因子として働いていると考えられている。
つまり、『生きがい』を持つことは、長寿につながる。 というのです。
       国語百科事典より


     年を重ねた今。
     友人たちに、はっきりとお答えすることが出来ます。
      「私の生きがいは、家族と登山そして何よりも聖書です。」 

     「生きがい」は、「アイデンティティ」と違い、
       「失われやすさ」が特徴です。
        継続が難しいのです。
      💕孫の成長が生きがいであっても、
         孫の成長は、祖父母の背丈をはるかに越していく。
      💕登山・自然との交わりが生きがいであっても、
         コロナのために、白神山地』登山が3年も見送りです。
      💕聖書は、私のアイデンティティと同様に、
         永遠に変わることのない、読むほどに深さと広さを感じる本です。



      私は、
      それでも、コロナには負けません。
      新たなる挑戦:新たなる生きがい、を見つけて、
      『コロナ禍』のStayHome中の、実りある『成果』のために、
      日々精進して、『一つ事の習得』のために、努力しています。
      成果より、『新しい生きがい』、日々の挑戦を楽しんでいます。
           感謝!感謝!


そして。

今日は9月25日。年間第二十六主日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、我々は罪を犯し、不正を行い、重い罪を犯しました。
   あなたの寛容と豊かな憐れみをもって、我らに臨んでください。
     驚くべき御業をもって、我らを救ってください。』
      ダニエル補遺 アザルヤの祈り 6&7&8&19&20節


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『イエス・キリストは豊かであったのに、あなた方のために貧しくなられた。
  それは、主の貧しさによって、あなた方が豊かになるためだったのです。』
        コリントの信徒への手紙Ⅱ 8章9節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。
    
       「ある金持ちがいた。
     いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、
      毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

       この金持ちの門前に、
    ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
        
    その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。

       犬もやって来ては、そのできものをなめた。

        やがて、この貧しい人は死んで、
    天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。
        
      金持ちも死んで葬られた。
      そして、
      金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、
      宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、
       はるかかなたに見えた。
      そこで、大声で言った。
      『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。
       ラザロをよこして、指先を水に浸し、
       わたしの舌を冷やさせてください。
       わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』

    しかし、アブラハムは言った。
      『子よ、思い出してみるがよい。
       お前は生きている間に良いものをもらっていたが、
       ラザロは反対に悪いものをもらっていた。
      
        今は、ここで彼は慰められ、
        お前はもだえ苦しむのだ。

     そればかりか、
     わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、
     ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、
     そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』

     金持ちは言った。
     『父よ、ではお願いです。
      わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
       わたしには兄弟が五人います。
      あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、
       よく言い聞かせてください。』

    しかし、アブラハムは言った。
      『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。
          彼らに耳を傾けるがよい。』
    金持ちは言った。
      『いいえ、父アブラハムよ、
       もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、
       悔い改めるでしょう。』
    アブラハムは言った。
      『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、
       たとえ死者の中から生き返る者があっても、
       その言うことを聞き入れはしないだろう。』
          ルカによる福音書 16章19-31節

    
     今日のイエス様は、
     金持ちとラザロの『たとえ話』を、
       ファリサイ派の人々に言われました。

    
     イエスの時代。
     金持ちと貧しい人たちの格差は、はっきりしていました。
     信者の中にも、貧しい人たちが多くいました。

     金持ちは、
        自分の力を信じ、
        神を必要としないという危険性がありました。
     更には、自分のことだけを考えて、
        門前の貧しい人の存在にすら気づかなかったのでしょう。
     『改心』の言葉を受け入れる気持ちは、全くありません。

     貧しい人たちは、
        人間から何も期待できず、
        神に希望をかける人が多くいました。
     ラザロは、
        貧しい人たちの代表者でした。
        歩けない、不治のできもの。野良犬をよける力もありません。
        金持ちの食卓の残り物を欲しくとも、くれる人もいませんでした。


        イエス様は、『たとえ話』で、
        当時の金持ちであったファリサイ派の人たちに、
          『改心して、福音を信じなさい』
                と呼び掛けたのです。
        貧しい人たちには、
          『神に信頼しなさい。必ず救われます。』
                と呼び掛けたのです。
  

     私たちも、
     毎日の生活において、周りの人たちとのかかわりにおいて、
     神の呼びかけを見出すことが出来ますように。
          祈りましょう。

     
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『生きがい』は何ですか。『生きがい』で生活が豊かになりますよね。
気持ちの良い季節・秋到来で、心動かす新しい『生きがい』を始めてみるのもいいですね。 お元気で!

大型台風14号日本上陸・・・『敬老の日』  そして 『入って来る人に光が見えるように、 ともし火を燭台の上に置く。』

2022-09-19 16:45:13 | 日々のこと。 世界のこと。
9月19日。月曜日。大雨と大風。

大型台風14号。
昨夜・18日午後7時、鹿児島付近に上陸。
19日~20日にかけて本州付近を北東に進む。
今日・19日夜には、近畿に最も接近する恐れ。

そんな台風のさなか。

今日は・・・      『敬老の日』
      
            『寿鶴亀松竹梅』


    『敬老の日』は、
     国民の祝日に関する法律第2条、
    「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」
                       ことを趣旨とする。

           長寿100歳時代と云われる現代。

         長年にわたり生かされていることに感謝し、
         周りの人たちに支えられての長寿を祝いました。

             有難い敬老の日です。
              感謝!感謝!

        
そして。

今日は9月19日。年間第二十五月曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、
     わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。』
         詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがたのを人々の前に輝かしなさい。
 人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天の父をあがめるようになるためである。』
      マタイによる福音書 5章16節    アレルヤ、アレルヤ。



『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは人々に言われた。
    

     ともし火をともして、
 それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。

      入って来る人に光が見えるように、
         燭台の上に置く。
     
     『我が家の燭台 二つ』 友人のイスラエル土産

     隠れているもので、あらわにならないものはなく、
   秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。

     だから、どう聞くべきかに注意しなさい。

       持っている人は更に与えられ、
 持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」』
          ルカによる福音書 8章16-18節


    今日のイエス様は、
    ともしび火は、燭台の上に置く。
    あなた方の「信仰の光」を、人々の前に輝かしなさい。
        と、人々に言われました。


    イエス様の言われる、
    隠れているもので、あらわにならないものはない。』
     
    『秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。』
     それらの意味は、
       今は『隠れているもの』 又 『秘められているもの』
         それらは、必ずあらわになり、
         人に知られるようになる。
            との意味です。

   では・・・

      『隠れているもの』 又 『秘められているもの』とは何か?

            人が考えるのは、
                ※『悪事』は、必ずばれる。あらわにされる。
                又、
                ※『善意』も、隠していても、あらわにされる。
                 神様は全てお見通しで、『罪』や『報い』を与えられる。
                   と、考えるのではないでしょうか?

       イエス様の言われるのは、
       『隠れているもの』 又 『秘められているもの』とは、
              『神の言葉』です。


       『神の御言葉』は、
        今は、隠されている、秘められたものとなっている。
        神様は聖書を通し、教会を通して、
        昔から、『御言葉』を語りかけて下さっているのです。
             と、イエス様は言われるのです。

   実は、
       『神の御言葉』は、
       『わたしたちの道の光』、『わたしたちの歩みを照らす灯』
          燭台の上に掲げられるべき『光』なのです。

   しかし、
   現実は、
       ※神が語りかけておられるのを気づかない私たちです。
       ※『神の言葉』はなかなか私たちの耳に届いていないのです。

   そこで、
   イエス様は、
        ※『だから、どう聞くべきかに注意しなさい。』
           良く聞き、しっかりと受け止め、
         『神の言葉』を自分の中で受肉させなさい。
             と、言われるのです。

   最終的に、
        隠れて、秘められている、『神の御言葉』
        を公にし、実現するのは、神様ご自身です。
        それは、
        神様が独り子イエス様をこの世に派遣してくださり、
        イエス様が私たちの罪を全て背負って
        十字架にかかって死んで下さったことによって、
        『神の約束』である『救い』が実現することであり、
          『神の言葉』が成就することなのです。


     私たちは、
     主イエスを復活させて下さった神様が、
     私たちをも復活させ、永遠の命を生きる新しい体を与えて下さる。
       それを実現して下さる神様の力に信頼して、
        『神の御業』を待ち望みながら、
     『御言葉』をしっかりと聞くことが出来るのです。
     更には、
     『聞く者』は、『御言葉』による『恵み』がますます与えられ、
     『忠実に聞かない者』は、『神の言葉』の理解がますます弱まるのです。
                と、イエス様は話されます。
           

   
    私たちキリスト者は、
    『光』となる『信仰』を与えられました。
    それは、私たちがキリストの『証し人』となる『使命』でもあるのです。
     私たちの『信仰』が、多くの人たちの『光』となれますように。
           祈りましょう。

   
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
敬老の日の当事者の皆様、敬老の日おめでとうございます。
敬老の日を祝う側の皆様、皆で、世界の敬老の皆様の幸せをお祈りいたしましょう。
    敬老の皆様も、若い皆様も、お元気で!



『朝の中秋の名月』・・・9月11日・・・『アメリカ同時多発テロ』 そして 『悔い改める一人の罪人については、大きな喜びが天にある。』

2022-09-11 05:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月11日。日曜日。晴れ。


朝5時。
ウォーキングに出発です。


          『中秋の名月』
  

        今朝5時ウォーキング出発前、わが書斎からの『朝の中秋の名月』です。


            昨夜・9月10日は『中秋の名月(十五夜)』でした。
           中秋の名月とは旧暦の8月15日に出る月のことを指します。
             今年の中秋の名月は満月と同じ日でしたので、
            美しいお月さま『満月』を見ることができました。


       そして今朝。
       ウォーキング出発前。
             いつもの朝明けの『太陽』ではなく、
             美しくまん丸に輝きながら沈み行く
            『中秋の名月・満月』拝顔しました♡♡


朝の『中秋の満月』を拝顔しながら・・・
 思い出しました。

   今日9月11日は、
 アメリカ同時多発テロから20年。



            『満月』は、正確に巡り来ます。
          普遍の『真実』です。確かな『智慧』です。
          一方、
            人間は、『知識』を学びます。蓄えます。
          そして、
          その『知識』は、『智慧』と合体した時に、
          初めて、そのまことの『能力』『力』を発揮できるのでしょう。
                      私は『満月』を見ながら、そう考えました。  

  
     そして今日。  
     ウクライナとロシアの戦争
     ロシア連邦が2022年2月24日に開始したウクライナへの軍事侵攻以来、 
     すでに、半年と半月が過ぎました。


          今朝も、
          ウクライナとロシアの戦争の終結を願い、
          世界中の人たちが『智慧』と『知識』を総動員できますように。
                 祈りを深める私です。


          『ウクライナとロシアの為の祈り』

            『父なる神さま、
          世界に、そして今、ウクライナとロシアに、
          あなたが望まれるまことの平和をお与えください。』 
                カトリック教会の祈りより  


そして。

今日は9月11日。年間第二十四主日。

『今日の入祭唱』

   『万物の神である主よ、わたしたちを憐れんでください。
     あなたを待ち望む人々にふさわしい報いを与え、
     預言者たちの正しいことを立証してください。』
         シラ書 36章1&21節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
   『神はキリストによって世をご自分と和解させ、
      和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。』
        コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章19節 アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、徴税人や罪人が皆、
                   
       話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
    すると、
      ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
      
    「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」
                と不平を言いだした。

     そこで、イエスは次のたとえを話された。

    「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、
       その一匹を見失ったとすれば、
        九十九匹を野原に残して、
    見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
    そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、
      
        友達や近所の人々を呼び集めて、
    『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
                  と言うであろう。

      言っておくが、
     このように、悔い改める一人の罪人については、
    悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも
          大きな喜びが天にある。

    あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、
        その一枚を無くしたとすれば、
         ともし火をつけ、家を掃き
               
      見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。

   そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、
   『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』
                      と言うであろう。

      言っておくが、
       このように、一人の罪人が悔い改めれば、
        神の天使たちの間に喜びがある。」』 
           ルカによる福音書 15章1-10節


              今日のイエス様は、
    イエスの話を聞こうとしてイエスに近寄って来た
    人々やファリサイ派の人々や律法学者たちや弟子たちに、
        『たとえ話』をなさいました。
    『見失った羊を探す羊飼い』 と 『なくした銀貨を探す女』
           のたとえ話です。


          今日の※『たとえ話』※は、
     ※神様は、人間の『悔い改め』を望んでおられることを現わします。
       人間にとって、『悔い改め』はとても難しいことです。
     そこで、
     ※神様は、悔い改めの難しい私たちを探して、悔い改めを助けてくださるのです。
       人間は、すべての人が、罪人:『迷い出た一匹の羊』なのです。



     人間は、
     誰もが、弱く、もろいのです。悔い改めが必要なのです。
     それを知っている者は皆、
     『今日のイエス様のたとえ話』を、有難く、感謝して、聞きます。
     そして、
     一人の人でも、『神の愛』を信じて、悔い改めるなら、
      一人の悔い改めは、『神様の喜び』となるのです。


     私たちは、
     自分の過ちを認め、
     自分のありのままを愛してくださる『神の愛』を信じて、
     『悔い改め』を実行して、
         神様をお喜びさせたいものです。
            祈りましょう。
     

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界中の、そして日本中で起こる悲しい出来事に、心が痛みます。
『大河』は、『一滴の恵みの水』から始まります。
私たちにできることは小さくても、
世界中の皆様の『一滴』を集めて、『大きな力』としていきましょう。 お元気で!   

人いろいろ・・・愛いろいろ。  そして 『貧しい人々は、幸いである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。』

2022-09-07 06:06:18 | 日々のこと。 世界のこと。
9月7日。水曜日。晴れ。

昨日は、
前日の『白内障手術』後の
検診でした。

しみじみと考えさせられる
一日でした。

              『花それぞれ』
  

         検診の病院は、市営の大病院の眼科部門、大病院の別棟です。
            眼科部門だけで、大きなビルとなっています。

    
           沢山のお医者さんは、沢山の目の病気の専門家です。
           専門の分野の先生方の案内がビデオに流れています。
               💙『先生いろいろ』💙です。


         沢山の病人さんたちは、いろいろの眼病の患者さんたちで、
               💛『人いろいろ』💛です。
             病院は、病人さんたちが主役、一般社会とは大きく違います。
                            静かな時間が流れます。


         沢山の病人さんたちに付き添う方々は、家族、友人、ヘルパーさん、等々、
               💕『愛いろいろ』💕です。
             腕を組みあって、車いすを押しながら、腰を支えながら、
                     病人さんたちを『愛』で支えておいでです。
                 ちなみに、私に同伴の私の夫は、私の隣を歩いています。


            沢山の病人さんにお会いするのが病院です。
              お会いした沢山の病人さんは、
               不安でいっぱいでしょうが、
        同伴者や先生方や介護士さんたちや病院お掃除さんたちの
              優しい『愛』に包まれて、
            皆様良いお顔をしていらっしゃいました。
                                お一人でおいでの病人さんも良いお顔をしておいででした。


          病院は、この世界における、一つの世界なのです。
        病人さんたちは、この世界における、一つの生き姿なのですね。


      人には、
      受け入れねばならない厄介なことや、努力して自制しなければならないことや、
         沢山あります。
       それでも、
       一人で生きるのではなく、皆で助け合って、支えあって生きていく。
       健康な人も病人さんも、老若男女、すべての人が、
          同じ立ち位置に立っているのです。
          それが、人の世界、この世ですね。


            今日も、
            病院にかかわる沢山の方々から、
            多くを学ばせていただいた私です。
                 感謝!感謝!



そして。

今日は9月7日。年間第二十三水曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
       あなたの教えを胸に刻みます。』
           詩編 40章9節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。』
      ルカによる福音書 6章23節   アレルヤ、アレルヤ。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
     

       「貧しい人々は、幸いである、
     
      神の国はあなたがたのものである。

      今飢えている人々は、幸いである、
           あなたがたは満たされる。
     
      今泣いている人々は、幸いである、
           あなたがたは笑うようになる。


      人々に憎まれるとき、また、
      人の子のために追い出され、
      ののしられ、汚名を着せられるとき、
        あなたがたは幸いである。
       その日には、喜び踊りなさい。
        天には大きな報いがある。

   この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

   しかし、
     富んでいるあなたがたは、不幸である、
           あなたがたはもう慰めを受けている。

     今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
           あなたがたは飢えるようになる。
    
     今笑っている人々は、不幸である、
           あなたがたは悲しみ泣くようになる。

         すべての人にほめられるとき、
          あなたがたは不幸である。

    この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」』
          ルカによる福音書 6章20-26節

   
    今日のイエス様は、
    『イエスが教える共同体の精神と生き方は、 
       世の中の考え方とは正反対です。』     
         と、弟子たちに告げます。


    イエスから選ばれた弟子たちは、
    『イエスの仕事』を続ける『使命』が与えられました。
    しかも、
    『イエスの考え方と価値観』は、一般の人の考え方とは違っていました。
    そこで、
    弟子たちは、イエス様と行動と寝食を共にしながら、
        イエス様に教育されたのです。


            『イエスの考え方と価値観』は、
        貧しい人、飢えている人、泣いている人、憎まれている人、
         そのような人たちに『希望』を与える考え方でした。

             ※『希望』※は、
        ※『神の国はあなた方のものです。』
        ※『神があなた方の中で働き、あなた方を強め、助けてくださいます。』
        ※『神は、あなた方の幸せを望んでおられます。』
           イエス様が保証してくださる『希望』です。


              『希望』は、
        一般の人たちが頼りにする、財産、名誉、等が
               与えるものではないのです。
        それは、
        自分の弱さを認め、神の愛に信頼する、
            『心の貧しい人』に   
           神様が与える『恵み』なのです。


   私たちも、
   朽ちてしまうこの世の財産や名誉に頼るのではなく、
   朽ちることがない、永遠の『神の愛』に頼って、
   『天の大いなる報い』=『永遠の命』をいただきたいものです。
             祈りましょう。
      

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人の人生には、必ず、順境の時も逆境の時もあります。
それでも、神の愛と周りの人々の愛に支えられ、人生を心豊かに全うしたいものです。 お元気で!

秋の先取り・・・『秋の味覚と秋のファッション』 そして 『正体は分かっている。あなたは神の聖者だ。』

2022-08-30 13:50:29 | 日々のこと。 世界のこと。
8月30日。火曜日。曇り。


今日は、
8月30日。9月の二日前。
いよいよ秋本番で、
秋の先取りです。
『秋の味覚』と『秋のファッション』です。


 まずは、
     『秋の味覚』といえば・・・    『葡萄』
  

            『日本一のぶどうの郷・植木ぶどう園・山辺のぶどう』


          11年前の、2011年(平成22年)3月11日14時46分18,1秒。
               死者・行方不明者2万2200人超
                『東日本大震災』発生。


      震災の1年4か月後、福島県にお住いだった1家族(両親と幼い子供2人)が
            信州・松本へ自主避難しました。

            その父親は、
            他の子供たちも、
            原発事故による被ばくを避けるために、
            松本で受け入れられないだろうか
                と考えました。
         
            その父親の情熱と愛情は、お人の心を動かしました。

            子供たちの一時の避難先について、
            当時の松本市長も、たくさんの人が一緒に考えました。
        そこで出来上がったのが、信州・松本での、※『松本こども留学』です。
         ※合併により余っていた校舎を住まい・『寮』にしたのです。
         ※子供さんたちは、その『寮』から、地元の学校に通います。
         ※福島を離れられない親御さんたちは、
          離れて暮らすのは寂しいし良くないと思いながらも、
          被爆のリスクを避けるために、
          お子様たちを、安全な『松本留学』に送り出されたのです。


                            今までの日常生活を、一瞬にして、覆した大震災の恐ろしさです。
          そして、
          新しい日常生活を、作り上げたのは、
          大震災後に大きく生まれた『人の絆』によるものです。
          

      東日本大震災から11年目の今年。
     
          昨日届いた『今年の秋の味覚の先取り』です。
          『松本留学』の創始者というべき『父親』が、
          松本で始めた『植木ぶどう園』のぶどうです。
  
          ぶどう園の大成功! 品質保証のおいしさ!

          東日本の皆様の復興が一つづつ実を結ぶのは
               本当に嬉しいですね。
       正に『命の一粒』のように有難い、そして尊い、『山辺のぶどう』です♡♡
                         感謝!感謝!
    
 
 次には、
       『秋のファッション』といえば・・・    
         『2022‐23年秋冬カラートレンド』
        
     
         2022年も、あっという間に9月。後半です。
     暑い夏を越えると、町中は途端に、秋冬衣料があふれる世の中です。
  
        そんな秋冬シーズン、今年の『流行色』は、
      1.ベリーペリ 2.ロイヤルブルー 3.バービーピンク
   4.ファイアーレッド 5.サンシャインイエロー 6.リラックスグリーン
                         だそうです。

      そして、
      流行の・・・  
       『2022‐23年秋冬 トレンドファッション』
      
       だそうです。なるほどね。

       
        今日は、『今年の秋ファッションの先取り』
        今年の流行はともかくとして・・・
        おしゃれファッションに『先取り』はマストです。
        クローゼットの夏物をすっかりしまって、秋物に。
          『衣替え』です。楽しい♡♡
              感謝!感謝!


そして。

今日は8月30日。年間第二十二火曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
    わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、
    右の御手から永遠の喜びをいただきます。』
         詩編 16章11節
 
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『偉大な預言者が我々の間に現れた。神はその民に心をかけてくださった。』    
          ルカによる福音書 7章16節   アレルヤ、アレルヤ。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、
        安息日には人々を教えておられた。
       

         人々はその教えに非常に驚いた。
        その言葉には権威があったからである。

    ところが会堂に、
        汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、
           大声で叫んだ。 
      「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。
         我々を滅ぼしに来たのか。
        正体は分かっている。神の聖者だ。」
       
       イエスが、
       「黙れ。この人から出て行け」 とお叱りになると、
         悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、
          何の傷も負わせずに出て行った。

         人々は皆驚いて、互いに言った。
         「この言葉はいったい何だろう。
    権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」

     こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。』
         ルカによる福音書 4章31-37節


   今日のイエス様は、
   町から町へ、病人を癒し、『神の御言葉』を話しながら・・・
   ガリラヤの町カファルナウムまで下ってきました。
   そこには、ペトロの家がありました。
   安息日に人が会堂に集まっていたので、話をしました。


   イエス様は、
   ガリラヤ全土で、宣教を始めたのです。
   イエスさまの『言葉』は、今までの律法学者の『律法』の教えとは違って、
      神からの言葉、権威ある言葉、人を癒す言葉、でした。

      悪霊の仕業と考えられていた『すべての病気』を、
          病人から悪霊を追い出して、
             癒されました。

       イエス様の『言葉』と『働き』によって、
          悪霊の力は失われました。


   悪霊に悩まされていた人たちは、
   イエスによって救われ、
     イエスが『神の権威と力』を持つ方だと分かりました。
   又 神にいつも守られていることが分かってきました。
     
         その『イエスのうわさ』
      ガリラヤ当たり全体に広がっていったのです。


   私たちキリスト者も、
   『イエスのうわさ』を信じて、キリスト者になりました。
    それは、お人を癒し、お人を喜ばせ、お人に希望を与える、
      『使命』が与えられたことでもあるのです。
    少しでも、キリスト様の協力者になれるといいですね。
               祈りましょう   


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
あの暑かった猛暑を忘れてしまいそうな、秋風が吹いてまいりました。
本格的冬到来まで、しばらくは全国の電気使用量が減るかな? と安堵します。
穏やかな気候を楽しみながら、穏やかな日々でありますように。 お元気で!

年配者の品格・・・『謙遜』 そして 『洗礼者ヨハネの殉教 記念日』・・・『今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます。』

2022-08-29 05:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月29日。月曜日。晴れ。


朝5時。
いつものように、
早朝ウォーキング。
いつもと違って、
秋風が感じられます♡♡


  秋といえば・・・     『萩の花』
  

           秋には、『柔らかな姿』の『萩の花』、似合います。

           秋には、『柔らかな精神』の『年配者』、が似合います。


   今朝も、
   十年以上、公道の草抜きをしていられる紳士、に出会いました。

      私は、いつものように、お声を掛けます。
       「きれいにしていただいてありがとうございます。
        私は、きれいなしていただいた道路を走るばかりで、
        なんのお手伝いもしないで、申し訳ございません。」
      紳士は、いつものように、お返事をなさいます。
       「いえいえ。なんのなんの。
        私こそいつもお元気なあなた様のお姿を見て、
        元気をいただいているのです。感謝しているのですよ。」


         その紳士のお姿は、
         堅実で沈着で、年ごとに着実さが加わり、
         その上に、温かさと落ち着きも加わり、
         ゆるぎない『風格』がにじみ出ます。


         積み重ねた多くの歳月がもたらした
            紳士の『謙遜心』
       年配者の『品格・風格』は、『謙遜心』です。


      今朝も、
      花木から、そして 品格ある紳士様より、
        多くを学んだ私です。
         感謝!感謝!



そして。

今日は8月29日。年間第二十二月曜日。

    『洗礼者ヨハネの殉教 記念日』
   
   『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』カラヴァッジョ作品

 祭司ザカリヤとエリザベトの間に生まれたヨハネは、
   ユダの荒れ野で預言者として活躍し、
  人びとに神の国の到来と悔い改めを説いた。
 ヨルダン川で、
   人びととともにイエスにも洗礼を授けた。
  
   『イエスの洗礼』 レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

 当時、ヘロデ・アンティパスがこの地方を治めていたが、
 彼は弟の妻ヘロディアを自分の妻とするなど、非難されるべき生活をし、
   ヨハネから戒められて、ヨハネを捕らえて牢に入れた。
 あるとき、ヘロデの誕生日の宴席で、
 踊りを披露したヘロディアの娘サロメに、
 ヘロデはほうびとして望むものは何でも与えることを約束した。
 ヨハネを憎んでいたヘロディアは、娘にヨハネの首を望ませた。
 ヘロデは、人びとが信頼しているヨハネを殺すことに心を痛めたが、
  公の場で誓った約束であったため、ヨハネの首を斬らせた。

     その誕生においても、死においても、   
   ヨハネは、キリストの『先駆者』となったのである。

 5世紀。 洗礼者ヨハネの殉教は、エルサレムではすでに記念されていた。

     サマリアのセバステで、
     『主の先駆者』であったヨハネに捧げられた教会堂記念日
          この日・8月29日であった。

 六、七世紀には、『洗礼者ヨハネの受難(斬首)』という名称で、
       西方でも東方でも広くわれていた。 
           『毎日の読書』より  

『今日の入祭唱』

    『わたしは王たちの前であなたの定めを告げ、
      決して恥とすることはないでしょう。
   わたしはあなたの戒めを愛し、それを楽しみとします。』
          詩編 119章46-47節

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
   『義のために迫害される人は、幸いである。
     天の国はその人たちのものである。』
       マタイによる福音書 5章10節 アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、
   ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、
   そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。

   ヨハネが、
   「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」
                    とヘロデに言ったからである。

   そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、
      彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
   なぜなら、
      ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、
        彼を恐れ、保護し、
        また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、
        なお喜んで耳を傾けていたからである。

   ところが、良い機会が訪れた。
   ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者
        などを招いて宴会を催すと、
      ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、
        ヘロデとその客を喜ばせた。

   そこで、王は少女に、
    「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、
     更に、
    「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」
                    と固く誓ったのである。

   少女が座を外して、
     母親に、「何を願いましょうか」と言うと、
     母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。

      早速、少女は大急ぎで王のところに行き、
  「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」
                        と願った。

     王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、
     また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。

  そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。
      衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
        盆に載せて持って来て少女に渡し、
      
       『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』
               ルーカス・クラーナハ作品

         少女はそれを母親に渡した。

      ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、
     やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。』
         マルコによる福音書 6章17-29節
       

   イエスの時代。
   『イエスは何者か?』と、人々の間にその『疑問』が、増大しました。
    今日、洗礼者ヨハネの首を切ったヘロデでさえも、
    イエスが生き返った来た『洗礼者ヨハネ』ではないかと、戸惑うのです。


   洗礼者ヨハネは、
   イエスの前に、イエスの『到来』を準備する、最後の預言者です。

   ヘロデは、
   前からヨハネを殺そうと思っていましたが、
   ヨハネを信頼する多くの民衆を恐れていました。
   そして、
   イスラエルの偉い学者たちも、
   イエスを亡き者にするつもりでしたが、
   イエスを信頼する多くの民衆を恐れていました。


       ヨハネは、
       後のイエスと同じように、
       正しい行いをしながら、迫害され、
        『苦しみの道』を歩みました。
       ヘロデの復讐を招いて、殺されたのです。


   イエスの弟子たちも、
   それでも、自分たちも殉教に至るまで、『イエスの仕事』を続けたのです。


   私たちも、
   『イエスの犠牲と復活』に、大きな希望を持って、感謝して、
   洗礼者ヨハネやイエス様や弟子たちに倣って、
   最後まで『正しい道』を歩む力を神様に頂きましょう。
         祈りましょう。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人には、年代に応じた、『役割』と『心構え』があものですよね。
とても難しいことですが、それを会得した時に、
年相応の『品格』が生まれるのでしょう。
8月もあと二日で終わり、9月を迎えます。素敵な9月になりますように。 お元気で!
 

『終戦の日』・・・『今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う。』 そして 『聖母の被昇天 祭日』・・・『力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました。』

2022-08-15 09:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月15日。月曜日。快晴。


 今日は『終戦の日』

 午前11時50分過ぎ。 

            『全国戦没者追悼式』
  
                         NHKテレビ中継を写しました。

      正午。『1分間の黙祷』
          参列者全員と共に私もテレビの前で起立して、
             黙祷をささげました。


            終戦から77年を迎えるこの日。
      日中戦争と第二次世界戦争で亡くなった民間人や軍人・軍属ら、
           およそ310万人の方々の霊を慰めるため
        日本武道館で『全国戦没者追悼式』開催されました。


       『天皇陛下のお言葉』

       『深い反省の上に立って、
        再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う。』
        更に、
       『今後とも、
        人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願う。』


        私の亡き母には、
        二人の弟がいて、両者ともに戦争に行きました。
        一人は無事に帰還しました。
        一人は、どこで亡くなったかもわからないまま、
        遺骨も何もなく、戦死者としての報告だけがあったそうです。

        私の亡き母は、
        毎年、遺骨もない弟は英霊として葬られていると信じて、
        靖国神社に参拝することで、亡き弟への供養としていました。


       
        今年の『全国戦没者追悼式』に参列された遺族のうち、
        戦没者の妻は一人。一方、戦後生まれは215人で36,3%。だそうです。

        日本においては、
        亡き母のように『戦争』を語る人もいなくなってきて、
        親から『戦争』を聞いてきた私のような者も高齢化し、
         『戦争を知らない世代』の時代が迫ってきました。


        それでも、
        『再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
         人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願いたい。』
           と、心から祈り続けた『終戦の日』の一日でした。


そして。

今日は8月15日。年間第二十月曜日。

      『聖母の被昇天 祭日』
  
     『聖母被昇天』       グイド・レーニ作品

  五世紀のエルサレムで、八月十五日に祝われていた神の母の記念は、
  六世紀には、マリアの死去の日として、東方教会で祝われるようになった。
  七世紀半ばには、西方教会にも受け継がれ、
  八世紀になってから、『マリアの被昇天』の名で知られるようになった。

  1950年。ピオ十二世教皇は、マリアが霊肉ともに天に上げられたことを
          教義として宣言した。

      キリストと最も深く結ばれていたマリアが、
     真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっている
        ことを教会は祝っているのです。
          『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

     『天に大きなしるしがが現れた。
   一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、
     頭には十二の星の冠をかぶっていた。』
        ヨハネの黙示録 12章1節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『マリアは天に上げられた。天使の群れは喜び輝く。』  
       典礼聖歌 276番『聖母被昇天』   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 マリアの賛歌』

       『そこで、マリアは言った。
     
      『聖母マリア』    作者不明

      「わたしの魂は主をあがめ、
   わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
   身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。

   今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
   力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
    
     その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、
         主を畏れる者に及びます。

   主はその腕で力を振るい、
   思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、
   身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、
   富める者を空腹のまま追い返されます。


      その僕イスラエルを受け入れて、
      憐れみをお忘れになりません、

  
     わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
    アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」』
         ルカによる福音書 1章46-55節


      マリア様は、
      神からの『お告げ』の言葉を信じて、
      熱心に子供の誕生の準備をなさったことでしょう。
      そのマリア様は、
      『主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、「幸いな人」』
        と、エリザベトから声高らかに言われました。

        マリア様も親戚のエリザベトも、
        熱心に『救い主』を待ち望んでいた、
        『貧しい人』の代表者でした。


       『マリアの賛歌・マグニフィカトの祈り』
         神の前に貧しい人の祈りです。
        神の救いを待ち望む人の祈りです。


       『救い主』は貧しい人の味方となり、
        彼らを救ってくださる御方です。
         その『救い主』の母となり、
       マリアは『神の救い』に参加するのです。
        そのマリア様を、いつの世の人も
         『幸いな者』と言うでしょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
Stay Homeの毎日でも、今日は久しぶりに二つの外出をした気分です。
午前中は本当の外出で『マリアの被昇天』ミサの参加。
帰ってすぐに自宅で『全国戦没者追悼式』の参加は、武道館で一緒に参加している気分になれました。 感謝!感謝!
たとえ小さいことでも、『平和』のためにできることをしてまいりましょう。
神さまが『小さいこと』を集めて、『大きいこと』にしてくださいますでしょう。 お元気で!

Stay Homeの効用・・・『断捨離』第二弾 そして 『わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。むしろ分裂だ。』

2022-08-14 15:52:33 | 日々のこと。 世界のこと。
8月14日。日曜日。快晴。

今日も、
猛暑です。
家に引きこもってStay Home。
昨日に続き、
『徹底的断捨離』の第二弾です。


  猛暑の花といえば・・・

              『ハイビスカス』
  
                             ご近所さんの玄関先で・・・。

          真夏のイメージで、『情熱的』な『真っ黄色のハイビスカス』

               鉢植えの『黄色のハイビスカス』
               今朝。ご近所さんが玄関先に飾られました。
      
  
        今朝、ハイビスカスには、
        黄色、白色、ピンク色、そして 赤色と、4色の種類があると知りました。
        高山植物は、極寒の中で育つので、色が鮮やかになるということです。
        ハイビスカスも、猛暑の中で育つので、色が鮮やかになるのでしょうか。
        人も、厳しい試練を乗り越えて、
               立派な人間味が生まれるということでしょうか。
      
   ちなみに。

       ハイビスカスの花言葉は、
       白色花は『艶美』。ピンク花は『華やか』。黄色花は『輝き』。赤色花は『勇敢』

         どの色のハイビスカスも、どの花言葉も、素敵です。
           どちらからも『力』をもらう私です。
   
 
そして。 
花から元気をもらって、
『徹底的断捨離・第二弾』
の今朝でした。


        昨日は、すべてのものの『定場所』を見直し、
        定場所に収めた、『徹底的断捨離』日でした。
        すると、
        和室の押し入れの半間が『空間』になりました♡♡
        そこで、
        今朝、『空間』に私の『趣味の道具』類を、ひとまとめにして収めました。
        和室は、絵画、刺繍、ギター、DIY、私の『趣味の部屋』になりそうです♡♡
                  感謝!感謝!


そして。


今日は8月14日。年間第二十主日。

『今日の入祭唱』

   『いかに幸いなことでしょう、
     あなたの家に住み、あなたを賛美することが出来るなら。
    あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。』
          詩編 84章5&11節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
    わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。』
       ヨハネによる福音書 10章27節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    
  「わたしが来たのは、地上にを投ずるためである。
   その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。

   しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。
  それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。

 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。
     そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。

     今から後、一つの家に五人いるならば、
   三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

    父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、
    しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
      対立して分かれる。」』
       ルカによる福音書 12章49-53節


   今日のイエス様は、
   『わたしの到来に反対する人もいるので、分裂が起こる。』
         と、弟子たちに話しました。


   キリスト様は、
   その到来で、一人一人に呼びかけられました。
   すると、
   初代教会の頃のある家庭の中でも、
   キリストの弟子になった人もおり、そうでない人もおりました。
   信仰は個人的な決心であり、
   イエス様は、強制なさらないで、人に自由に選ぶように呼びかけられました。


   私たちキリスト者は、
   信仰を選らび、キリスト様の弟子になりました。
   そこで、それを賛成しない親戚や友人もいるかもしれません。
   それでも、
   親戚や友人たちと、互いを尊敬しあう関係は変わるわけではありません。
   すべての人に、神様は『愛の火』である『聖霊』を送っておられることを
         信じているのです。
          祈りましょう。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は、8月15日:77回目『終戦の日』です。
世界中の人は皆、『平和』が大好き、『平和』を求めています。
世界の情勢に惑わされることなく、『平和』のために私たちのできることをしてまいりましょう。
8月9日の『長崎平和祈念式典』での『高校生平和大使たちの『合言葉』は、『微力だけど無力ではない』でしたね。 お元気で!

鳥も花もそれぞれの人生 そして 『あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。』

2022-08-12 05:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
8月12日。金曜日。快晴。

5時。
すでに28度。

今朝は、
セミの合唱ではなく、
ヒッチコックの『鳥』の世界です。
鳥の大合唱です。


    並木道・・・   『鳥の大群』
  

     後ろにも、同じくらいの長さの並木道が続いています。

       毎年の景色:『鳥の大群』が来ます。
          今年初めての大群です。
       木の枝にびっしりととまっています。


       一斉に大量の雛が育ったのだろうか?
       そこで、
       しばらくこの地でお腹をいっぱいに満たした後に、
       みんなで違う国まで飛び立つのだろうか?


一方。

大群ではなく
たったの一本だけ。

    
    歩道に・・・   『白百合 一本』
  

    キリスト教では、 
    白百合のことを、『 マドンナリリー』と呼びます。
    17世紀に、ローマ教皇が
        『聖母マリアを象徴する花』として、
       
        『受胎告知』   ルカ1章26-38節
      告知を告げる天使ガブリエルは、おとめマリアに白ユリをプレゼントしました。

        白いユリを描くように布告を出し、
     『マドンナリリー』と呼ばれるようになったそうです。


      白ユリの『花言葉』は、『純潔』『威厳』
      正に、
      聖母マリア様にぴったりの『花言葉』です。

    

       今朝も、早朝散歩中に、
       思いがけない『出会い』がありました。
       鳥にも、花にも、それぞれの人生があります。
       ”私も自分の人生を全うしなくちゃ!” と思った次第です。
               感謝!感謝!


そして。

今日は8月12日。年間第十九金曜日。

『今日の入祭唱』

   『あなたの御言葉は、わたしの道の光、
      私の歩みを照らす灯。』
        詩編 119章105節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れました。
    神の言葉は信じているあなた方の中に働いているものです。』
         テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章13節     アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、
   
   「何か理由があれば、
    夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」
                       と言った。

    イエスはお答えになった。
    「あなたたちは読んだことがないのか。
     創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
    そして、こうも言われた。
    「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
        二人は一体となる。
     だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。
     従って、
      神が結び合わせてくださったものを、
        人は離してはならない。」

    すると、彼らはイエスに言った。
    「では、なぜモーセは、
      離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」
    イエスは言われた。
    「あなたたちの心が頑固なので、
     モーセは妻を離縁することを許したのであって、
       初めからそうだったわけではない。

     言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、
         他の女を妻にする者は、
        姦通の罪を犯すことになる。」

    弟子たちは、
    
    「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」
                        と言った。
    イエスは言われた。
    「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、
       恵まれた者だけである。

     結婚できないように生まれついた者、
     人から結婚できないようにされた者もいるが、
     天の国のために結婚しない者もいる。

     これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」』
        マタイによる福音書 19章3-12節
          
    
     今日のイエス様は、
     『人は、人間の力だけでは不可能なことが求められるのである。
       結婚は、創造主が定めた「神聖な絆」であり、
        神が結び合わせてくださったものであり、
         人が離してはならないのである。
       恵まれたものがこれを受け入れるのである。』
      と、ファリサイ派の人たちや弟子たちに語りました。


     神様は、
     この世界とそこにあるものすべてをお造りになりました。
     最後に男と女を創造されて後、
     彼らを祝福して言われました。
     『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
       生き物すべてを支配せよ。』 と。 
        創世記1章27-28節
     それは、
     神は人間に『使命』と『責任』を与えたことであります。
       すべてのことに対する責任を果たすのです。
     神様は、
     人間に『使命』と『責任』を与えると同時に、
     必ず、『使命』を果たすために必要な『力』を与えてくださるのです。


    結婚は、
    深く結ばれた者となり、『使命』と『責任』において、
        互いに忠実でなければなりません。
    一方、
    結婚しないで、
    神の国のために尽くす人もいます。
    それも一つの生き方であり、
    『神の愛』を証しする『使命』において、
        人々に対して忠実でなければなりません。


   私たち人間は、
   神様が私たちを信頼し、『使命』と『責任』を与えてくださり、
     それを果たす『力』も与えてくださいますので、
   神様から与えられた『仕事』を果たすために、
     人間同士が深く信頼しあいましょう。
       祈りましょう。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
鳥にも花にも、ましてや 人間にもそれぞれの『人生』がありますね。
なぜか?その『人生』には苦しみがついてまわります。祈りながらまいりましょう。 お元気で!