マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

猛暑のドライフラワー そして 『主の恵みの年』・・・『捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にする。』

2020-08-31 15:00:00 | ガーデニング・畑・自然
8月31日。月曜日。快晴。35度。

猛暑日。午後3時。
外に出るのは要注意です。
ポイントは『水分補給』です。


              『アジサイの 水分蒸発 ドライフラワ-』
         

    二日前に、アジサイの剪定をすませ、 最後の二輪が愛おしくて食卓に飾った。
       今日気づくと・・・
           ”えぇ~!!  これって何~!?”
       同じ花瓶の中で、
        一輪が、 『ドライフラワー』 になっていました。 驚きです。
        
        一輪は、 『瑞々しいアジサイ』 のままです。 驚きです。


        同じ花瓶の中で、 同じアジサイの花なのに、 
              二日続いた猛暑日で、
      二輪に、『水分吸収力』 の差が表われたのでしょうか。

           それぞれに美しいが、 違いは歴然です。

         今日で、8月も終わり、一年の2/3の終わりです。 
  コロナ禍SYAY HOMEで、現役引退者には、曜日の感覚を失うような半年でした。
             明日から仕切り直しです。

       美人になるには 『一日二リットルの水』 とか言いますよね。
             たっぷりの水を飲んで、
   一年の残り4ヶ月の月日を、 水分タップリ美人で、 輝きたいものです。



そして。

今日は8月31日。年間第二十二月曜日。

『今日の入祭唱』

    『いかに楽しいことでしょう、 
 主に感謝をささげることは。 いと高き神よ、御名をほめ歌うことは。』

         詩編 92章2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

『そのとき、イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、
          聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
    
         預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、
          次のように書いてある個所が目に留まった。

         「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。
          主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
          主の恵みの年を告げるためである。」
  (イザヤ書 61章1-2節)

イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。
会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。

  そこでイエスは、
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」  
                         と話し始められた。

     皆はイエスをほめ、 その口から出る恵み深い言葉に驚いた。』
          ルカ福音書 4章16-22節


     その時、 イエスは、ナザレの会堂で、 聖霊に導かれるままに、
       『イザヤ書』 の 『預言者の言葉:主の恵みの年』 
            について朗読なさいました。



『主の恵みの年』とは、
『ヨベルの年』、『聖年』、『Holy Year』と呼ばれます。

(七年ごとに訪れる)安息の年を七回、
すなわち、七を七倍した年は四十九年である。
その年の第七の月の十日の『贖罪日』に、
雄羊の角笛を鳴り響かせる。
この五十年目の年を聖別し、
全住民に『開放の宣言』をする。

『主の恵みの年』には、
すべての奴隷は解放される。
売られた土地の権利はもとの所有者に
返還されればならない。
貧しい人に再び希望が生まれる年なのです。
   以上。レビ記 25章10-13節参照

 2000年の『主の恵みの年』
を特別に『ミレニアム年』と称し、
確か、いくつかの国は他国の借金を
帳消しにしました。と思います。
すばらしいこととして私の記憶に残っています。


      イエス様は、ご自分が読んだ、 旧約聖書で制定された『主の恵みの年』は、
       『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。』
                        とおっしゃるのです。 

     イエス様が『主の恵みの年』について書かれた『イザヤ書』を読んだ瞬間に、
           『今のその瞬間』 に
           50年毎に訪れるのではなく

       『主の恵みの年』 が訪れるのです。


それはこういうことでしょう。


   イエスが、 神様からこの世に派遣されてきた『使命』 は、
         『神の恵み』 を与えることです。
     貧しい人々に、『良いおとずれ・福音』を伝えることです。
     貧しい人の『支え』となり、『希望』となることです。
     孤独な人の『友達』になることです。

    『捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
          圧迫されている人を自由にすること』 
                        なのです。

言い換えれば・・・

       イエス様ご自身が、 『主の恵み』 ということではないでしょうか。
       イエス様ご自身が、 『良いおとずれ・福音』 ということですね。



  私たちも、神に希望をかけながら・・・
     『良い訪れ』=『イエス・キリスト様』 を伝えてまいりましょう。
     貧しい人、弱い人、孤独な人、の支えとなりましょう。

  世の中の小さな人々の、味方となって、希望を与えることができますように、
                 お祈りいたしましょう。


『今日の祈願』

  『すべてを治められる父よ、
口先だけでなく、行いと真実をもって、神の国の証しとなることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
9月になれば、コロナ禍に猛暑、更に台風が接近して、
トリプルパンチかもしれません。ご自愛下さい。 お元気で!
コメント

朝ジョグの聖地・・・『祈りの場』 そして 『自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい』&『自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』

2020-08-30 05:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・・・
8月30日。日曜日。快晴。34度。真夏日。

  5時。
今朝は教会に行く。
そこでいつもより早いジョグ出発。


               『早朝ジョグの聖地:55段の階段』

                『真っ正面に昇ってくる太陽』     今朝は先着青年がいる

        いつものように、10往復。 上り下りを繰り返します。

             55段×往復×10回=1100段
 一往復毎に、主の祈りと天使祝詞と詠唱を一回づづ、一人の人を思いながら祈りを捧げます。
    『1個人』や『1グループ』のために、 1100段、  私の『祈りの聖地』 です。

上りは体幹を意識しながらスクワットで二段上がり、 下りは体幹を意識しながら舞うように下りる。

     今朝も・・・

         体も心も整っていきます。 生きている喜びが湧いてきます。
              

  空に雲が流れ、 木々の間を風が流れ、 季節の花々が咲き、 小鳥がさえずり、
             歩く私も自然の一部だと実感するのです。
             自分の存在の意味が分かるような気がする。
                       感謝!感謝! 

そして。

今日は8月30日。年間第二十二主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、憐れんでください、絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。
主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。 あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。』

           詩編 86章3&5節


   今日は。
使徒パウロもイエス様も、 『イエスに従う者の覚悟』 について話されます。



『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』

      『兄弟たち、 神の憐れみによってあなたがたに勧めます。

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
      これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。


        あなたがたはこの世に倣ってはなりません
       むしろ、 心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを
           わきまえるようになりなさい。』
             ローマの信徒への手紙 12章1-2節


    使徒パウロの言う、 『イエスに従う者の覚悟』 は、
『自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる』 ことです。


        『キリスト者の新しい生き方』 なのです。
キリストに結ばれる者となった今、神に喜ばれる『新しい生き方』に切り替えるのです。


西暦57~58年頃。  ユダヤ系信徒とローマの地元の人たちの信徒が混在する、
           大勢のローマの教会の信徒たちが一致するようにと、
            パウロはコリントから手紙を書き、励ましました。
 
   私たちも、パウロに励まされて・・・
    考え方を、この世に倣うのではなく、 キリストの考え方に切り替えるのです。
         行いを、 キリストのものに切り替えるのです。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、イエスは、

           御自分が必ずエルサレムに行って、
      長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
            三日目に復活することになっている、


                    と弟子たちに打ち明け始められた。

すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
     「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
イエスは振り向いてペトロに言われた。
      「サタン、引き下がれ。 あなたはわたしの邪魔をする者。
        神のことを思わず、人間のことを思っている。」


それから、弟子たちに言われた。
   「わたしについて来たい者は、
自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。


           自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
           わたしのために命を失う者は、それを得る。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
        自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

          
        人の子は、 父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、
 
           『主イエス・キリストの再臨』

        そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」
            マタイ福音書 16章21-27節


    イエス様の言う、 『イエスに従う者の覚悟』 は、
      『自分を捨てて、自分の十字架を背負って、 イエスに従う』 ことです。



 そのとき。 イエスは、 エルサレムでの受難と復活を、 初めて予告なさいました。 
      イエスは 『イエスの道』 が分かっておられました。

       自分自身を棄てて、十字架を担うこと。
       自分の考えではなく、 御父・神の考えに従うこと。
       苦しみを通して、人類を救うこと。

  
     ペトロは、 イエスの『予告』を納得できずに、 抵抗します。
『イエスの道』が、一般の人が考えるような『救い主の道』とは違っていたので、理解できなかったのです。

これから。

   弟子たちは、『イエスに従って行く』とき、 イエスと同じように迫害を受けるでしょう。
    その時に・・・
 危ないと思って、自分なりの考えで自分を救おうとすれば・・・『本当の命』を失うかもしれません。
 イエスを信頼して、自分を捨てて、イエスに従って行けば・・・『本当の命』を得るのです。

      『自分を捨てる』とは、
      自分が望んでいることより、神が望んでおられることを考えることです。
          『イエスの道』 を歩むことです。
その道は。
          良いことをしても、すぐには報いは来ない。
    人の世話をする生活は、辛いことだけで、十字架になるかもしれません。

それでも。
イエス様の生涯は、人の救いを考えるばかりの生活で、最後はエルサレム・十字架に向かっていく人生でした。
       ご自分の救いは神にお任せになりました。


      『イエスに従っていきたい』 私たちも、
  お人に尽くしながら・・・ 『イエスの道』 をたどりながら・・・
   自分の救いは、神様にお任せすることができるように、祈ってまいりましょう。


『今日の祈願』

   『いのちの源である神よ、 恵みに満たされて祈ります。
キリストに結ばれた私たちが、 神にすべてをゆだねて、 人に尽くす者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
イエスに従って行くということは、何事があってもめげずに、愛することを一番にすることですね。
皆様の新しい一週間が穏やかでありますように。 お元気で! 
コメント

残暑見舞い・・・『百寿者の環境要因』 そして 『洗礼者聖ヨハネの殉教 記念日』・・・『力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。』

2020-08-29 15:00:00 | 日々のこと。
8月29日。土曜日。快晴。

今日も36度の真夏日。

            『ドライフラワーのリース』
 

                爽やかな花束で
              気分だけでも爽やかに・・・
            猛暑日を元気に乗り切ってください。

           友人から『残者御見舞い』が届きました。
       食卓の席に着くと、私の目の前に見えるように飾りました。
               さわやか~!  感謝!感謝!


 『元気』といえば・・・

       一昨日の新聞記事:『百寿者に特徴的な環境要因』
       
    寿命を決める原因(神様の決定ではないの?!)は、
   「遺伝」が25% 「環境」が75%   ←明らかになっている研究だそうです。
   特徴的な「環境要因」がある  ←米国ワシントン州立大学栄養学での研究が今注目されているそうです。


            『百寿者に特徴的な生活環境』
  ウォーキング(近隣を歩きやすい環境) 
  経済状態が良い(生涯現役。就労世代の人口割合の多い地域に住む。)
  経済的自立。
  生活自立。
  更に。なんと!
  ⑤独身者。結婚している人より、夫に先立たれた妻、離婚したが再婚しなかった人、独身者。
                   

        百寿には、家庭で育まれる『生活様式』が影響する。
                       ということのようです。


        皆様! 残者お見舞い申し上げます。


そして。

今日は8月29日。年間第二十一土曜日。 

       『洗礼者聖ヨハネの殉教 記念日』
 
       ヨハネによる 『キリストの洗礼』    ダ・ヴィンチ作品

      ヨハネは、その誕生においても、死においても、
     キリストの先駆けとなって『主の道』を整えました。


        祭司ザカリヤとエリザベトの間に生まれたヨハネは、
           ユダの荒れ野で預言者として活躍し、
         人びとに神の国の到来と悔い改めを説いた。
       ヨルダン川で、人びととともにイエスにも洗礼を授けた。

       ヨハネは、キリストに先立つ預言者としての使命を、
   
           『鶸(ひわ)の聖母』 ラファエロ作品
            ヨハネ(手前左)はイエズスよりも六か月年長です。


            生涯果たしたのです。

              『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

『わたしは王たちの前であなたの定めを告げ、 決して恥とすることはないでしょう。
     わたしはあなたの戒めを愛し、 それを楽しみとします。』

          詩編 119章46&47節


『今日の福音書 洗礼者聖ヨハネの殉教』


    『そのとき、 ヘロデは、 自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、
        そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。

ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」 とヘロデに言ったからである。
そこで、
      ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
なぜなら、 ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ保護し、
         また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、
           なお喜んで耳を傾けていたからである。

ところが、良い機会が訪れた。

ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
    ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、 ヘロデとその客を喜ばせた。
  そこで、
  王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、
   更に、  「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」 と固く誓ったのである。

少女が座を外して、  母親に、「何を願いましょうか」と言うと、
  母親は、     「洗礼者ヨハネの首を」  と言った。
  早速、
少女は大急ぎで王のところに行き、
     「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」 と願った。

王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
     そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。
        衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、 
          盆に載せて持って来て少女に渡し、
  
      『ヨハネの髪を掴むヘロディアの娘サロメ』 グイド・レーニ作品
            少女はそれを母親に渡した。

ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。』
             マルコ福音書 6章17-29節


      ヘロデの日和見的な生き方 と ヘロディアの執念が
         洗礼者ヨハネの命を奪い取りました。


人の命をも左右する権力者に、私情が入ったときに、悪の誘惑に駆られるのでしょう。   


  当時、ヘロデがこの地方を治めていたが、彼は弟の妻ヘロディアを自分の妻とする、
         律法で赦されていない非難されるべき生活をし、
           ヨハネから戒められました。
      そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、ヨハネを殺そうと思っていました。
          一方、ヘロデは、ヨハネは正しい人であることを知って、
         ヨハネを恐れ、保護し、その教えを喜んで聞いていたのです。

 そんなあるとき、ヘロデの誕生日の宴席で、踊りを披露したヘロディアの娘サロメに、
        ヘロデはほうびとして望むものは何でも与えることを約束しました。
        ヨハネを憎んでいたヘロディアは、娘にヨハネの首を望ませたのです。

       ヘロデは、人びとが信頼しているヨハネを殺すことに心を痛めたが、
       公の場で誓った約束であったため、ヨハネの首を斬らせたのです。


ヘロデは、自分の『誕生日の祝い日』に、
自分の、日和見的 又 優柔不断な性格から
  ヨハネを殺す命令を出しました。

同様に。

イスラエルの指導者たちは、
 『過越の祝い日』
イエスを殺す命令を出しました。

   民の指導者が、自分の私情を優先し、正しい人たちを迫害するときがあります。
      初代教会の信者たちも、迫害されることが多々ありました。

   それでも。

      神は、 数々の辛い迫害を通しても、 『良いこと』をなさるのです。
       イエス様の受難を通して、神と人間の『和解』が生まれました。
    沢山の弟子たちの殉教を通して、世界に『福音』が伝わっていきました。

 
初代教会の信者たちは、 マルコの書いた『福音』によって、 励まされたことでしょう。
 初代教会の信者たちは、 迫害を受けても信仰を守り、 イエスを証ししたのです。


     私たちも、先人たちの信仰に倣い、イエスを証ししたいものです。
        自分の弱さの中に働く神様を信じてまいりましょう。

     『わたしの恵みはあなたに十分である。
  力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。』

         コリントの信徒への手紙Ⅱ  12章9節


『今日の祈願』

   『聖なる父よ、 「荒れ野に叫ぶ声」と呼ばれた先駆者ヨハネが、
ことばで教え、殉教によって証ししたあなたの正しい道を私たちにも歩ませてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今の日本の最高齢者の方は110歳だそうですね。
私たちも『百寿者に特徴的な生活環境』を守って、110歳まで・・・♡♡ お元気で!
コメント

心を整える・・・『朝ウォーキング』 そして 『聖アウグスチヌス司教教会博士 記念日』・・・『真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声がした。』

2020-08-28 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・・・
8月28日。金曜日。快晴。34度。真夏日。

早朝。
ジョグ途中の公園の景色です。

             『吸い込まれるような緑の林』


          爽やかな風の中のウォーキングで、 心が整っていきます。
  ”濃い緑は猛暑の中のいこいの場!”  季節を味わうことで、生きている喜びが湧いてきます。

         『バードウォッチングの婦人たちやカメラマンたち』



               人生は山あり谷あり。
          だからこそ、心を整える術が、大きな力になりますね。


そして。

今日は8月28日。年間二十一金曜日。

     『聖アウグスチヌス 司教教会博士 記念日』
 
        『書斎の聖アウグスティヌス』  ボッティチェリ作品


アウグスチヌスは、キリスト教内外の思想界に偉大な影響を与えた、西洋古代最大の教父である。
      「愛しなさい。そして、あなたが望むことをしなさい。」
 ←聖アウグスチヌスの言葉


354年。 アウグスチヌスは、北アフリカのダガステで、
        ローマ官吏の父と敬虔なカトリック信者である母モニカの間に生まれた。

   アウグスチヌスは成績が優秀で、カルタゴの大学に留学し、真理探求に情熱を燃やした。
        しかし、 若いときに放蕩生活を送り、 マニ教に入る。
         ある女性との間に子どもをもうけ、父となったのだが、
           結婚は許されず、彼の内面に葛藤を生んだ。

383年。29歳。  イタリアに行き、ミラノの司教アンブロジオと出会い、影響を受けた。
387年。33歳。   アンブロジオ司教から洗礼を授けられた。
            彼の回心には、母モニカの祈りと支えがあった。
            アウグスチヌスの洗礼直後に母の死去。 

        母の死後、 33歳のアウグスチヌスは、
        修道生活をしようと故郷に帰り、祈りと研究の生活を始めた。


391年。37歳。 司祭叙階。
396年。42歳。 ヒッポの司教になる

以後34年間。   模範的司牧者として、説教と多くの著作によって、教区民を教え導き、
          当時の誤謬に対しては勇敢に戦い、深遠な学識をもってキリスト教を解説した。

        彼のキリスト教への魂の遍歴を記した『告白録』と『神の国』は、
             不朽の名著として知られ現在も読まれている。

430年。76歳。  死去。
                           『毎日の読書』 より


『今日の入祭唱』

    『知恵は、 回りの者たちよりも彼を優れた者とし、
     集会で語るとき、 適切な言葉を与えてくれる。
   彼は喜びの冠を受け、 その名声はいつまでも続く。』

       シラ書 15章5&6節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。


        「天の国は次のようにたとえられる。
 十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。


      そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

愚かなおとめたちは、 ともし火は持っていたが、 の用意をしていなかった。
賢いおとめたちは、 それぞれのともし火と一緒に、 壺にを入れて持っていた。

ところが、
花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
真夜中に 『花婿だ。迎えに出なさい』 と叫ぶ声がした。

     そこで、 おとめたちは皆起きて、 それぞれのともし火を整えた。

愚かなおとめたちは、 賢いおとめたちに言った。
     『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
賢いおとめたちは答えた。
          『分けてあげるほどはありません。
       それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』


愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、
      用意のできている五人は、 花婿と一緒に婚宴の席に入り、 戸が閉められた。

その後で、ほかのおとめたちも来て、
         『御主人様、 御主人様、 開けてください』 と言った。
しかし主人は、 『はっきり言っておく。 わたしはお前たちを知らない』 と答えた。

    だから、目を覚ましていなさい。
      あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」』

            マタイ福音書 25章1-13節


      今日。 イエス様は、『たとえ話』で、『天の国』の話をなさいました。

まずは。

   『天の国』とは何か?
「国」は、「王としての支配」という意味です。
『天の国』は『神が王として支配する国』 ということでしょう。

次に。

『神の国が来る』というのは何か?
神の王としてのご支配が始まること。
神の支配が、わたしたちの中で始まる。実現する。ということでしょう。
以前。
イエスは、ファリサイ派の人々の質問に答えて、言われました。
『神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。
   実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』

      ルカに福音書  17章20節〜21節


私はこんな風に考えてみました。

      『天の国』は、気づかぬうちに、思わぬ方法で、私たちを訪れているのです。
『天の国』は、私たちの一番小さな出来事を通して、私たちに訪れている場合もあるのです。
        
      『天の国』は、『キリストとともに生きる』ことです。
キリストは、昔も今もいつも、誰にでも、門を開き、『天の国』に入るように招いておられるのです。


10人の乙女たちは、
まだ大丈夫! と眠り込んでいました。
突然の花婿の到来に、慌てて『ともし火』の用意をしました。

そのうちの。
5人の賢い乙女たちは・・・
突然の花婿の到来のために、日頃から、
『お迎えの準備』=『油の準備』=『改心』を怠っていませんでした。
『ともし火』に火を付け、『宴会・天の国』に入ることができました。
一方。
5人の愚かな乙女たちは・・・
花婿の到来はずっと先のことと思って、
『お迎えの準備』を怠っていました。
『ともし火』に火を付けることができず、
『宴会・天の国』に参加することはできませんでした。
後になって、『宴会場の門』をたたいても、
中から、『私はお前たちを知らない』との返事だけでした。


      賢い乙女たちは、愚かな乙女たちに、『油』を分けてあげることはできません。
 人と分かち合うことのできない大事なもの、 人の代わりに代行することができないもの、があるのです。
       『信仰』 と 『改心』 は、 代行も、分けることもできないのです。


    私は、イエス様の到来に気づいたときに、お迎えするに十分な準備ができているだろうか?
  『復活の栄光』に入れていただくために、自分の十字架を背負って、主とともに歩む毎日だろうか?
       出会う方を迎え入れ、 出会う事柄を受け入れているだろうか?


          信仰生活は『宴会』のようなものです。
       今日の『たとえ話』は、 今この場に、お人と共に『神の国』を作るために
         『キリストと共に生きる信仰生活』への招きでもあるのでしょう。

  
  私たちも、信仰生活の喜びを味わうために『必要な準備』ができますように、祈りましょう。


『今日の祈願』

  『全能永遠の神よ、
     聖アウグスチヌスの精神を現代の教会によみがえらせてください。
英知の泉、愛の源を求める私たちが、あなたのうちにいこいを見いだすことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人生は山あり谷あり。コロナ禍のように思いもかけぬことも起こります。
そんな時のために、日頃から、『心の準備』をしていたいものですね。 お元気で!
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大セール・・・『ワインのつまみ』 そして 『聖モニカ 記念日』・・・『だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。』

2020-08-27 16:00:00 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。
8月25日。火曜日。快晴。33度。真夏日。

近所のSOGOの閉店は31日。
残り4日。 大Sale中。

  大好きな『食品売り場』
乾物等は、売り尽くしで、新商品は入らない。
乾物の残り品はほとんどない。


     残り品を買い占めてきました・・・   『ワインのつまみ』

         アメリカ産の ナツメヤシ。  ピスタチオ。 ナッツ。

        買い占めたといっても、残っていたのは、各1つと2つだけでした。
             長年楽しんだ『つまみ』がなくなる。
               いままでご馳走様でした。

          『好み』の発見、開拓、は楽しいが、難しい。
              『No Wine, No Life』
          ワインのためなら、頑張るしかないですね。


そして。

今日は8月27日。年間第二十一木曜日。

        『聖モニカ 記念日』
  
       『聖モニカと聖アウグスティヌス』  アリ・シェフェール作品

  モニカは、 ヒッポの司教アウグスティヌスの母で、 キリスト教の聖人。
        母子とも聖人となったモニカの記念日は8月27日で、
        息子のアウグスティヌスの記念日8月28日の前日です。
異教徒の夫をもったキリスト教徒女性の、『模範』にして『守護聖人』として、尊ばれている。
     夫や子どものために悩み苦しみ、『祈る母』 というモニカの姿は、
         時代を超えて人々の共感を得るものとなっている。
   アメリカ・カリフォルニア州:『サンタモニカ市』は、モニカに由来する。



 331年。 北アフリカのタガステ(現在のアルジェリア)キリスト教の家庭に生まれ育った。
         パトリチオという、ローマの官吏、異教徒の男性と結婚。
      
354年。23歳。 長男・聖アウグスティヌス誕生。 その後、3児の母となる。

         夫の暴力や浮気性に悩まされた。
  さらに、息子のアウグスティヌスが成長して放蕩生活を始めたことにも悩み、
        『夫と息子の回心』 のために祈る日々が続いた。

371年。40歳。 夫の死。 『モニカの祈り』が実り、 夫は死の前年に、回心してキリスト教徒となった。

383年。52歳。 イタリアに行くアウグスティヌス(当時29歳)に同行したモニカは、
            親子共に、ミラノ司教・アンブロジウスの知己となり、大きな影響を受けた。
             モニカは、 『息子の回心』 のために祈りを続けた。

386年。55歳。 母・モニカの熱心な祈りが実って、 アウグスティヌス(当時32歳)は回心して、
           司教アンブロジウスから洗礼を受けた。

     モニカは、 『祈り』によって信仰を育み、 
        『徳』に満ちた行いを通して信仰を証ししました。



387年。56歳。  息子の洗礼後ほどなくして、死去。

   モニカは、亡くなる前、息子に、
「私がもう少し生きていたかったのは、死ぬ前にカトリック信者としてのあなたを見たかったからです。
    神はこの恵みをわたしにくださいました。 この世でこれ以上することがあるでしょうか。」

                                 と言ったといわれる。
              『毎日の読書』 より


『今日の入祭唱』

  『知恵ある女は家庭を築く。  無知な女は自分の手でそれをこわす。
   主を畏れる人はまっすぐに歩む。 主を侮る者は道を曲げる。』

           箴言 14章1&2節


『今日の福音  イエスの御言葉』

        『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。


              目を覚ましていなさい。
 いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
            このことをわきまえていなさい。


家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、
目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。

      だから、あなたがたも用意していなさい。

           『主の再臨』

     人の子は思いがけない時に来るからである。』 
            マタイ福音書 24章42-44節


  イエス様は、 復活後に見えなくなるが、いつか又帰ってくる、 と約束されました。


  『主の再臨』
それは『最後の審判』の時です。

   『命か 死か』
神の審判の下される時です。


初代教会の信者の中には、イエスがすぐ帰ってこられるだろうと思う人がいることでしょう。
       だから、イエス様は、前もって、弟子たちに話をなさいました。

        イエス様は、今すぐでなくとも、突然に帰ってくるかもしれません。
          その『時』は、人間の計り知れない、神様の『時』です。
        その時に、お迎えする『準備』ができている人は幸いです。
        再臨のイエス様を喜んでお迎えできることは、幸せです。

            

     では、『主をお迎えする準備』とは何でしょうか?

  神と共に生活する毎日です。 
        それは 神が私たちに望んでいることを果たす毎日です。
  神の期待に応えることです。
        それは、私たちが毎日『神の愛』を見出し、神様に感謝することです。
  神様に協力することです。
イエスが言われます:『小さな人にいっぱいの水をあげることは私にしてくれたことである』
        それは、いつも、 世の『小さい人』たちを心にかけ、 『愛』を配ることです。
  神様と共にいる『喜び』を味わうことです。
        それは、神様が毎日の出来事を通して、
           私たちにくださる『幸せ』を知り、楽しむことです。  


      私たちも、
      今から神と一緒に歩み、 神と親しくなり、
      神を信頼して、神と協力できるように、お祈りいたしましょう。


『今日の祈願』

   『あわれみ深い神よ、
  あなたは、わが子のために祈る聖女モニカの涙を顧み、
      アウグスティヌスを回心に導いてくださいました。
この親子の姿に力づけられて、私たちも罪を嘆き、ゆるしの恵みを受けることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人のために真剣に祈るということは、聖人になるほどに、
神様がお喜びになることなのですね。 お元気で! 
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マスクと猛暑・・・『8月のゴルフ』 そして 『主があなたがた一同と共におられるように。』

2020-08-26 09:00:00 | 夫のこと
8月26日。水曜日。晴れ。

今日は36度。猛暑日。

       そんな中・・・      『ゴルフ』

                                       ネットの写真拝借
            36度の猛暑 に加えて マスク着用。

          長年・・・2月と8月はゴルフはなしと決めていた夫。
       コロナ禍で・・・STAY HOMEを守る夫の外出は、ゴルフくらいとなった。
            猛暑に加えてマスクの8月のゴルフです。
          コロナ禍は、長年の習慣コロッと変えてしまう。


            猛暑とマスクのダブルパンチで大汗。
     ”やっぱり暑いね” と言いながらも、 結構楽しかったようです。
                          よかった!よかった!


コロナ禍は、私の生活コロッと変えた。
子どもたちの帰省は・・・オンライン。
買い物は、新鮮食品以外は、ネット通販がほとんど。
外出自粛で、ゴルフも怖い、一人ジョグを楽しむ。

        
        お人と会話してを刺激し、 ウインドーショッピングでを肥やし、
         外出で自分の外見に気配りし、 外食で料理力をUpし、 等々、
            『活動』による『刺激』 がなくなった。

           コロナ禍だけでなく、 年を重ねることでも、
             一つ一つ置いていくものが増える。
            当たり前が、当たり前でなくなります。
       それでも、 時間がたっぷりでき、 以前より心が自由になった。  
                              感謝!感謝!

そして。

今日は8月26日。年間第二十一水曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はわたしの光、 わたしの救い、 わたしは誰を恐れよう。
  主はわたしの命の砦、 わたしは誰の前におののくことがあろうか。』

           詩編 27章1節 


『今日の第一朗読 使徒パウロの命令』

     『兄弟たち、
     わたしたちは、 わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。

    

怠惰な生活をして、 わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。
   あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。

      わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。
     また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。
   むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。

援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、
  あなたがたがわたしたちに倣うように、
  身をもって模範を示すためでした。

          実際、あなたがたのもとにいたとき、
  わたしたちは、 「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

 
       どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、
        あなたがたに平和をお与えくださるように。
  主があなたがた一同と共におられるように。』
          テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 3章6-10&16節


   西暦33年頃。 主イエス・キリストの受難、死、復活。
      続けて。 聖霊降臨。
それから約20年間。 イエスの最初の弟子たちは、
            キリスト教を、小アジア、ギリシャなどの国々に、伝えました。


      使徒パウロは、 
  町から町へと歩き、 多くの町で反対されても、 熱心に『福音』を述べ伝えていました。
  大きな港町・テサロニケでも、宣教しているうちに反対され、暴動が起きたので、
           テサロニケの兄弟たちは、夜中に、パウロたちを送り出し逃がしたのです。


西暦51年頃。 パウロは、テサロニケで十分教える時間がなかったので、手紙を書いたのです。

      使徒パウロは、
『主の再臨は突然実現する』・・・そのために、落ち着いて、日々働き、堅固な信仰生活をするように。
      又。
 『朱に交われば赤くなる』・・・教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。
                        と勧めるのです。


     
        パウロ自身が『模範』を示したように、教えられたように生活し、
        働きたくない者は食べてはならない・・・一人一人働きなさい。
   そして。
   最後に。
          使徒パウロは、『主の平和があるように。』 と祈るのです。


     私たちも、
     世の中大きく変わろうとも、
 普遍なる信仰に裏付けされた堅固な生活を、揺るぐことなく、凜として、保ってまいりましょう。


『今日の祈願』

   『いつくしみ深い父よ、 わたしたちが御ひとり子の豊かな賜物で満たされ、
        いつもその命に生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今しばらく猛暑は続くようです。水分補給を忘れないで、ご自愛下さい。
秋遠からずでしょう。もうひとがんばりです。 お元気で!
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ごほうび・・・『巨峰』 そして 『まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。』

2020-08-25 05:30:00 | ガーデニング・畑・自然
8月25日。火曜日。快晴。33度。

早朝。
少し風がある。
突然思いついて・・・
ジョグに行くランシューズをぬいで
長靴に履き替えました。
草抜きをしました。


    自分へのご褒美・・・    『巨峰』
 
         一房まるまる・・・自分へのご褒美にしました。

         時間を忘れて4時間。 陽がすっかり昇っている。
       熱中症で倒れたら・・・草抜きどころではない。 終わりにする。

          4時間の苦労を、 何で報いるか?
             突然思いついた!
    
          『Sogoの巨峰一房(←上等品)一人で食べる!』
        大満足!  苦労が報いられた! 体も心もほっこりです。
            単純な私です。  感謝!感謝!
             


そして。

今日は8月25日。年間第二十一火曜日。

『今日の入祭唱』

    『あなたの御言葉は、わたしの道の光。
      わたしの歩みを照らす灯。』

        詩編 119章105節


『今日の福音 イエスの御言葉』


       『そのとき、イエスは (群衆と弟子たちに)  言われた。
 
  
    「律法学者たちとファリサイ派の人々、
     あなたたち偽善者は不幸だ。

       はっか、いのんど、ういきょうの十分の一は献げるが、
  律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。

          これこそ行うべきことである。
     もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。

ものの見えない案内人、 あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、 らくだは飲み込んでいる。


    律法学者たちとファリサイ派の人々、
     あなたたち偽善者は不幸だ。

          杯や皿の外側はきれいにするが、
        内側は強欲と放縦で満ちているからだ。



    ものの見えないファリサイ派の人々、
まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」』
         マタイ福音書 23章23-26節


      マタイ福音書は、ユダヤ教からキリスト教の改宗者が多かったので、
        旧約聖書や旧約時代のことを述べながら、 語られます。



     どの宗教も、 信徒を導くために、 細かい『規則』までも決めがちです。
 ユダヤ教信徒は、 『規則』を守ることことで安全と思い込み、 自己満足する傾向がありました。
   特に、 律法学者やファリサイ派の人たちは、『律法』を守ることに熱心でした。


今日。 イエス様は、そんな律法学者たちやファリサイ派の人々に、『苦言』を呈するのです。
       『あなた方は偽善者だ。 偽善者は不幸だ。』 と厳しいお言葉です。


では。 イエスの言う 『偽善者』とは、どんな人のことでしょう?
   
調べてみました。

         『偽善者』とは、 『言行不一致』 の人のことです。
    一般的には、元来、行うことと、言うことが、一致しない人のことです。
    宗教生活に見られる偽善は、
よこしまな意向に基づく宗教的ふるまいによって、他人を欺き、他人の尊敬を得ようとするものです。


偽善者は、神のために働いているように見えても、実際は、自分のために行動をしている、ということです。
    施与、祈祷、断食などの重要な宗教行為も、 自己誇示の意図を持ってするので、
                         本来の意味がゆがめられてしまうのです。

つまり。

偽善者は、
面子を立てるのを願うあまり、掟の中から自分の都合の良いものを選択し、自分の目的に役立たせるのです。
言い換えれば、
『ブヨはこして除くが、らくだは飲み込む』 とイエス様が言われるように、
        神の掟を、自分の貪欲と放縦のために、利用するのです。
                  以上。 『聖書思想辞典 偽善』参照  

そこで。
イエスは勧めるのです。
      
     ユダヤ教の教育を受けた律法学者やファリサイ派の人々に、
      キリスト者として、『新しい生活』 を勧めるのです。

       一番大切なことは、『心の入れ替え』 です。
ユダヤ教は、 規則を守ることによって『救い』を得ることができる、 と思うところがありました。
キリスト教は、 『救い』は『神からの恵み』と考えるので、 『新たな考え方』 が必要なのです。

           『新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。』 
                       マタイ福音書9章17節
     新しい気持ちで、イエスの『福音・良い知らせ』を受け入れなければなりません。


神様の御旨は、すべての人の救いです。
イエス様が今日ファリサイ派の人たちに言った『厳しい言葉』は、
『改心』 を勧める言葉でした。 
『内側もきれいにしなさい』 という呼びかけでした。


   私たちも、きれいな言葉を話しながら、それを実行しない場合が多々あります。
       私たちも、 いつも、 『悔い改め』 が必要なのです。
   イエス様に倣って・・・『規則』より『愛』が大切、 『愛』は『規則』に勝る、 
                  ということを忘れてはいけませんね。


『今日の祈願』

   『全能の神よ、 わたしたちがみ心にかなう者となり、
    いつもあなたの道を歩むことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
猛暑の毎日です。くれぐれも、水分補給と冷房で、体内を冷やしましょう。
自分にご褒美で、心もほっこりさせましょう。  お元気で!
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ご自由にどうぞ・・・『善意のパッションフルーツ』 そして 『ラビ、あなたは神の子です。 あなたはイスラエルの王です。』

2020-08-24 17:00:00 | 日々のこと。
8月24日。月曜日。快晴。35度。真夏日。

暑い毎日。
果物がおいしい。
体温を下げてもくれます。


      ご近所さんの玄関前・・・  『パッションフルーツ』
   
        昨日に続き今日も、善意の『おすそ分け』 です。

           一瞬、迷ったが・・・二つ頂戴しました。
             秋には『りんご』が置いてある。

        沢山の善意の方々に巡り会い、感動します。

  私の友人の一人は、 裕福三昧の人ではないが、 熱心なクリスチャンです。
   新型コロナウイルス感染症拡大に伴う緊急経済対策の『10万円』を、
  コロナで職を失って困窮する外国籍の人を助ける団体に、全額寄付しました。
   ”私は、今のところ、食べるものに困っているわけではないので・・・。”
     ・・・と、友人は大きなハンディーのある体で微笑まれた。


今日も『御言葉』を思い出します。

イエスの御言葉:
『わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
                      マタイ福音書 25章31-46節
パウロの言葉:
『律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされる。』
                      ガラテヤの信徒への手紙 5章14節
ヤコブの言葉:
『魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。』
                      ヤコブの手紙 2章26節
ヨハネの言葉:
  『子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いを持って誠実に愛し合おう。』
                        ヨハネの手紙Ⅰ 3章18節

正に、自分本位ではなく、利他の思いを忘れない人たちの心が、『新しい世』を作ると実感します。
         ウイズコロナの『新世界』の誕生が期待できます。
     私も、 ハートフルな人 になりたいものです。感謝!感謝!


そして。

今日は8月24日。年間第二十一月曜日。
      
                 『聖バルトロマイ使徒 祝日』
 
  『聖バルトロマイ』 Bartolomeo Bulgarini作品           『聖バルトロマイの皮剥ぎ像』 ミラノ・ドゥオーモ内に設置
                          皮をはがれた全身は骨ばかりです。

         彼の絵や彫刻には、彼の『属性・特質』である 『ナイフと本』が描かれる。
         彫刻像の、 マントのように纏っているのは、自分の皮膚。
         彫刻像の、 はがされた髪の毛と頭皮は、一緒に背中側に垂れ下がっている。


             バルトロマイは、イエスの12使徒の1人。
            弟子のリストではバルトロマイとして表われる。
             1世紀。 イスラエルのカナに生まれ育った。

          使徒フィリポによってイエスのもとに導かれた。
イエスと出会ったとき、イエスは『まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない』ヨハネ福音書1ー47
と、バルトロマイのことを言った。 この出会いをきっかけに、彼は弟子としてイエスに従った。

 
キリストの復活後。  彼は、インドとアルメニア で宣教した。
          アルメニアで伝道活動をしていたときに、 既存宗教の指導者から恨まれ、
             捕らえられて、 生きながら皮を剥がれて、 殉教した。

   983年。      彼の遺骸は、ローマに移され、聖堂に安置された。

  日本では。
安土桃山時代。
    キリシタン時代にとても尊敬されていた聖人であり、
               日本最初のキリシタン大名大村純忠(1530年生。大友氏21代当主)
                      が洗礼を受けた際に、
                 バルトロマイを守護の聖人に選んだ。

  
 16世紀。      『ミケランジェロの最後の審判』 一部
   

     ルネッサンス期(15世紀頃)から、
          『剥がれた皮』 を直接的に表現する絵画が増えてきた。
     有名なものは、 ミケランジェロの『最後の審判』 に、
          剥がれた皮とナイフを手にする聖バルトロマイが描かれている。

    
             以上。 『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『主に向かって歌い、 御名をたたえよう。
  日から日へ、 御救いの良い知らせを告げよ。』

      詩編 96章2&3節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

        『そのとき、  フィリポは ナタナエルに  出会って言った。
  
       『フィリポ』                  『ナタナエル・バルトロマイ』

  「わたしたちは、 モーセが律法に記し、 預言者たちも書いている方に出会った。
        それはナザレの人で、 ヨセフの子イエスだ。」


するとナタナエルが、 「ナザレから何か良いものが出るだろうか」  と言ったので、
  フィリポは、      「来て、見なさい」   と言った。

  イエスは、  ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、  彼のことをこう言われた。
    「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

 ナタナエルが、  「どうしてわたしを知っておられるのですか」   と言うと、
イエスは答えて、  「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、
            いちじくの木の下にいるのを見た」
   と言われた。

ナタナエルは答えた。 
  「ラビ、あなたは神の子です。 あなたはイスラエルの王です。」
イエスは答えて言われた。
        「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、 信じるのか。
             もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」

 
 更に言われた。     「はっきり言っておく。
       天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、

 
             あなたがたは見ることになる。」』
                  ヨハネ福音書 1章45-51節


今日は、 ナタナエルが、イエスの12人の弟子の一人になるまでの、 お話しです。

イエスの最初の弟子たちは、 自分の友人を誘って、 イエスのもとへ連れて行くのです。
    フィリポは、『わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方である、
      ナザレの人で、ヨセフの子イエスに出会った』 と友人・ナタナエルに話しました。
    ナタナエルは、『ナザレのような田舎の町から救い主が出るはずない』と、
                            信じることはできませんでした。
    フィリポは、『来て、見なさい』 と勧めました。


 人は、イエスとの個人的な接触によって・・・
      イエスを知るようになり、 段々と考え方が変わっていくのです。
 人は、イエスの偉大さに気づくと・・・
      人間イエスの素晴らしさ と さげすまれるイエスの苦しみを、見ることになるのです。


ナタナエルは、イエスに出会い、個人的に話して・・・
      イエスはモーセが律法に記し、預言者たちも書いている方である、 と悟りました。
    ナタナエルは、改心をし、イエスに従ったのです。 弟子となりました。


イエスは、改心したナタナエル と 友人のフィリポに、『神の神秘』を告げました。
『弟子たちは、天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを見ることになる』と。

      天使たちが、天から降って、『イエスの復活』 を伝えるのです。
      弟子たちは、『イエスの復活』を知ることで、
        イエスが天から降って人間となり、再び、復活によって天に上られて、
        神の世界に入られたという、 『事実』を分かるようになるのです。


 人は、イエスとの個人的な接触によって・・・
      イエスを知るようになり、 段々と考え方が変わっていくのです。
 
      私たちも、ナタナエルに倣って、友人の勧めには素直に従いながら、
        一層イエス様を知ることができますように祈りましょう。
           信仰を深めてまいりましょう。


『今日の祈願』

  『救いの源である神よ、 使徒バルトロマイの殉教を記念するわたしたちに、
     まことを尽くして御子キリストに従う信仰をお与えください。
使徒の祈りと模範に励まされて、 教会が、すべての人の救いの秘跡となることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『情けは人の為ならず』の言葉は、先人たちの経験から生まれた『言葉』でしょう。
私たちも誰にでも親切にしたいものですね。 お元気で!                  
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誇り高く・・賢明に・・『世代交代』 そして 『天の国の鍵』・・・『わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。』

2020-08-23 17:00:00 | 日々のこと。
8月23日。日曜日。快晴。35度。猛暑日。

  時代の流れに
   さらに
コロナ禍が拍車をかけたのか?
近所のデパートの閉店です。


   近所のデパート入り口・・・   『Small World』
 
          世界中の子どもたちの歌声に包まれる『小さな世界』

       時間が変わる毎に、世界中の子どもたちが現れて、『楽しい世界』が展開
           孫たちが小さい頃は、時間に合わせて、見学にきたものです。

        開業:1990年10月10日~閉業:2020年8月31日  29年10ヶ月間の営業
              今月末で閉店となる。 寂しいものです。

 
 時が流れ・・・
  何事も
        一つの時代が終わる。 一つの人生の終わりが来る。

              時代も人も
           すばらしかった時代を忘れないで
            誇り高く・・ 背を伸ばして・・ 賢明に・・
          次の世代に譲り渡していきたいものですね。


そして。

今日は8月23日。年間第二十一主日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、わたしに耳を傾け、 あなたの僕を救ってください。
 主よ、憐れんでください、 絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。』

         詩編 86章1-3節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスは、 フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、 弟子たちに、

     人々は、 人の子のことを何者だと言っているか」   とお尋ねになった。

弟子たちは言った。
     「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
     ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」


イエスが言われた。 「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、 「あなたはメシア、生ける神の子です」    と答えた。

    すると、
イエスはお答えになった。
           「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
    あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
           わたしも言っておく。
    あなたはペトロ。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
           陰府の力もこれに対抗できない。

        わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
  
   『聖ペテロの天国の鍵の授与』 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル作品
         
       あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
       あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」』 

             マタイ福音書 16章13-19節


 今日は、
       イエス様は、 『信仰』が生まれる難しさを、 弟子たちに話しました。
          更に。 信仰を確かにしたペテロに『天の国の鍵』を預けます。



   イエスが、一生懸命に宣教活動をなさっても、信じる人は、まだ少ないのです。
          人々は、 イエスを、ヨハネだ、エリヤだ、エレミアだと思って、
             『メシア、神の子』であると理解できません。

イエス様は、せめて弟子たちの信仰は、一般の人たちの信仰に勝るだろうと思っておられました。
          ペトロは、弟子たちの代表者として、  
       『イエスは、メシア、生ける神の子』 だと宣言しました。

       『ペトロの宣言』は、人間の力ではなく、神がくださった『恵み』なのです。
         イエスは、『信仰』を宣言したペトロに、『使命』を与えました。
             『岩』となり、『弟子たちの頭』となり、
            他の弟子たちの信仰を強める『使命』です。

   
             唯一の、 本当の『岩』は、 イエスです。
   人が『岩』となるためには、ペトロも弟子たちも、イエスと結ばれることが必要なのです。
          イエスに支えられて、『強い岩』となっていくのです。


   『使命』を与えられたペトロの信仰は、まだ弱い信仰でした。
イエスの受難の時に、”私はあの人を知らない” と三度『背信の言葉』を述べ、イエスを裏切ったペトロです。
       そんな弱いペトロを憐れみの目で見つめるイエスを見て、
       ペトロは、『自分の弱さ』 を、初めて自覚したのです。


    復活なさったイエスは、ペトロに、三度、同じ声をかけました。
 『シモン、私を愛しているか』 『シモン、私を愛しているか』 『シモン、私を愛しているか』
   『わたしの羊を飼いなさい。』『私の羊の世話をしなさい。』『私の羊を飼いなさい。』
   イエスはこのように話してから、ペトロに、『わたしに従いなさい』とつけ加えました。
             ヨハネ福音書 21章15-19節


    イエス・キリスト様は、
     ペトロの信仰を揺るぎない信仰に育てることに成功し・・・
       『天の国の鍵』を与えることにより、 ペトロに天国入国の『権限』を与えて、
          又。
  イエスの亡き後、キリスト教共同体を結束させ、 世界中にキリスト教を広めるために、
           『イエスの後継者』 と定め、
    世代交代に成功なさったのです。 世代交代の模範を示してくださったのです。


     『信仰』とは、キリストご自身を知って、信じて、深めていくものです。


  ペトロも、つらい『背信』の経験の後に、
     キリスト自身を知り、 『謙遜』を学び、 信仰を深めました。
       自分の『使命』 と 与った『鍵』  の意味を理解していったのです。


   『ペトロの鍵』
『鍵』によって『門』を開くのです。
『門』が開いているときは、自由な行き来を許し、人々はそこを出入りし、通過することができる。
他方、閉ざされた『門』は、通行の禁止を示し、拒絶を意味する。
『門』はこのように、『選別』の概念をも暗示しているのです。

イエス・キリストは、預言者たちの祈りを聞き入れ、預言を成就しました。
イエスが洗礼を受けたとき、『天』は開け、イエス自身が地上に降った『真の天の門』となったのです。
実に、イエスは、神の諸々の賜物を自由に享受できる『牧場』に人々を招き入れる『門』であります。
イエスは同時に、『ダビデの鍵』を持っており、『門』を通過するための数々の条件を設けました。

ペトロに『鍵』が預けられている『神の国』に入るため、
『神の国』に入ることにたとえられる『命や救い』を得るための条件として、
『悔い改め』 と 『信仰』という 『狭き門』の通過を 要求するのです。

『天上のエルサレム』には、『12の門』があり、それらは常に開かれている。
そこにはもはや悪は入らない、『門』の中には平和と義がみなぎり、
神と人類の完全な交わりの中にいる。
   以上。『聖書思想辞典』より


    『天の国の鍵』を イエスから与り、託された、 ペトロは、
      『神の御心』 と 『イエス・キリストの御心』 を受け継ぎ
         『門』 を開けて、
      平和と義がみなぎり、神と人類が完全な交わりの中にいる 『天』
    人類のすべての人を、 時を超えて、 招き入れてくださっていることでしょう。
    又、 人類のすべての人がイエスを信じて、
         永遠の命が頂けるようにと、執り成しの祈りをしてくださっていることでしょう。
                                      感謝!感謝!



             『祈るペトロ』
     
        ペテロの『属性・特性』 である 『鍵と鶏』 が描かれています。

        『鍵』は、
        大きな鍵一本の場合は、『天国の鍵』、
本品のように二本の場合は、教皇の『繋釈権』:『結ぶ力』 と 『解く力』 の象徴とされています。
『 鶏』は、
   最後の晩餐のあと、 イエスがペトロに
   『あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。』 マタイ福音書26-34
            と予言した『言葉』に由来します。



『今日の祈願』

   『いのちの源である神よ、 わたしたちにゆるしといやしをおあたえください。
    あなたの愛のうちに成長し、いつもみ旨にかなう者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍によって、世の中の様子が大きく変わっていく昨今です。
この混迷にあっても、冷静に、ハートフルに、いたいものですね。 お元気で!
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個々の唯一性や独自性・・・『戦場のピアニスト』 そして 御子イエスの母であり神の救いの業の協力者・・・『天の元后聖マリア 記念日』

2020-08-22 15:00:00 | 大学。大学院。本。映画。
8月22日。土曜日。31度。

連日の33度が
今日は31度。少し楽です。

映画を観ました。

            『戦場のピアニスト』
 
             『ある都市の死』

    ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの『体験記』
            脚色して映像化しているノンフィクション映画


               『生命力』
        残酷な戦場で生き延びた人=ピアニスト・シュピルマンには
               何があったのか?



私は、『何』=『答』 を見つけるべく
『夜と霧』を読み直してみました。


         『人生は彼等からまだあるものを期待しているということ、
      すなわち人生におけるあるものが未来において彼等を待っているということ。


  事実一人の人間には、彼が並外れた愛情を持っている一人の子供が彼を『待っていた』のであり、
    他の一人には人間ではないが他のもの、すなわち彼の仕事が『待っていた』のである。
     彼は科学者としてあるテーマについてのシリーズを書いていたのであるが、
        それはまだでき上がらず、その完結を待っていたのである。
    全く同様に他の一人もその子供にとってはかけがいのないものであったのである。

      個々の人間を特徴づけ個々の存在に意味をあたえる唯一性や独自性
          創造的な仕事に対してあてはまるばかりでなく、
         また他の人間とその愛に対してもあてはまるのである。

          他人によってとりかえられ得ないという性質、
            かけがえないということは、
            ーーー意識されればーーー
         持っている仕事、あるいは持っている愛する人間、
          に対して持っている責任を意識した人間は、
        彼の生命を放棄することは決してできないのである。』

                『夜と霧』より


              『生命力』
      ピアニスト・シュピルマンは、 『ピアニスト』として、
        他人によってとりかえられ得ないという性質、 
         かけがえない『ピアニスト』ということを、
            ーーー意識してーーー
          残酷な戦場で、 生き延びたのである。

           
      ・・・と。 私は大いに学ばせていただき、私は結論しました。
                          感謝!感謝!

ちなみに・・・
ピアニスト・シュピルマンの長男さんは
歴史学者となられ、
日本人学者と結婚し、
夫婦で、日本の大学で教鞭をとっておられます。
なんだか身近に感じられ、嬉しくなりますね。

 

そして。

今日は8月22日。年間第二十土曜日。

       『天の元后聖マリア 記念日』

          『大公の聖母』     ラファエロ作品


 1954年。 教皇ピオ12世が発表した回勅:
       『Caeli Reginam』(アド・チェリ・レジナム)によって
            この祝日が定められた。
          この回勅で、教皇は宣言されました。

        『マリアは、神子イエス、キリストの母であり、
      新しいイブとして、神の救いの業の協力者となった。』


   『原罪のいかなる汚れにも染まらずに守られていた汚れないおとめは、
   地上生活の道程を終えて、肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、
       そして主からすべてのものの女王として高められた。』

                 教会憲章より 
 
          天にあげられたマリアは、
        王であるキリストの栄光にあずかり、
          女王としてたたえられ、
     すべての人のために恵みを取り次いてくださっている。

              『毎日の読書』より



『今日の入祭唱』

   『諸国の王女、 あなたがたがめでる女たちの中から、
  オフィルの金で身を飾った王妃が、 あなたの右に立てられる。』

          詩編 45章10節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  イエスは群衆と弟子たち  にお話しになった。


     「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
       だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。

        しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。
          言うだけで、実行しないからである。

彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、
自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。
聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、
また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。

          だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。
          あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
           また、地上の者を『父』と呼んではならない。
            あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
              『教師』と呼ばれてもいけない。
           あなたがたの教師はキリスト一人だけである。


あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
  だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」』

            マタイ福音書 23章1-12節


        『信仰』は、
           律法を教える先生でなく、
   私たちを導き、教え、信仰を与えてくださる、唯一のお方:神、 を『中心』に置くのです。



     私たちは、 本当の先生であるイエス様、本当の御父である神、 から導かれながら、
            『仕える者』、『へりくだる者』 となって、
    マリア様やピアニスト・シュピルマンのように、 自分の『唯一性』と『独自性』を意識して、
               信仰を守ってまいりましょう。


『今日の祈願』
  
  『天地を治められる神よ、
 あなたは聖母マリアを、天の元后、わたしたちの母としてくださいました。
 聖母の取り次ぎに支えられて、天の国の栄光にともにあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は映画はお好きですか?
素晴しい映画を観ながら、STAY HOMEを楽しみましょう。 お元気で!
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