マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

ボケの花 そして 『まず本人から事情を聞くことです。』

2019-04-06 13:00:00 | 旅行。海外旅行。

4月6日。

  満開・・・   『ボケ』
 
  

    静かに咲いて、ご主人様(東京旅行の私)の帰宅を待つ。
          
      変わることなく、動じることなく、どっしりと。
  


     勝利の女神・・・  『西武戦』
    
    『森のHR』   『西武 16-3 日本ハム』   


 
女主人の帰宅を待つ、変わることなく、動じることなく、どっしりと、夫。

       一人で観るより二人が楽しいと、夫さん。
   スポーツ観戦で、変わらずに流れる熟年夫婦の夜の時間です。

       今日は、観戦二本立て。
    夜は負けでした、 『松本山雅FC 2-1 ヴィッセル神戸』

 

 

そして。

今日は4月6日。四旬節第四土曜日。

 今日も、イエスは誰何か? と議論が続きます。


『今日の福音 人々の議論

『そのとき、イエスの言葉を聞いて、

群衆の中には、
     「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、
     「この人はメシアだ」と言う者がいたが、

このように言う者もいた。

    「メシアはガリラヤから出るだろうか。
メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」

    
     こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。


下役たち
は、

    「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。

 
 『イエスの集団とファリサイ派の集団』         両者の間には越えられない壁が残る。


ファリサイ派の人々は言った。

      「お前たちまでも惑わされたのか。
   
議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。
    
だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。

   よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」


ニコデモが言った。

「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、
   判決を下してはならないことになっているではないか。」』
               ヨハネ福音書 7章40-53節

 

   旧約聖書では、
メシアがダビデの子孫として、ダビデの町・ベトレヘムで生まれる。と書いてあります。

   イエス様は、
ベトレヘムで生まれましたが、ガリラやの町・ナザレトに住んでいました。
公生活を始められたのも、布教活動も、ガリラヤのいろいろの町で行いました。

   ファリサイ派の人たちは、
公生活の活動範囲を見て、イエスは聖書と一致しない、イエスはメシアではない、と考えたのです。

   ニコデモは、
以前に、イエスの話を聞いて、感心していました。
それで、『法に定める通り…本人の意見を聞かなければ、裁いてはいけない』と、講義をしました。

   私たち・現代の人たちは、
どうしたら、『イエスは神から遣わされた、神の子、メシアである』と信じられるでしょうか?
   

       信じるには、
     ニコデモの勧め通りに、

 先入観を捨てること。イエスの話をよく聞くこと=聖書を読むこと。ですね。

 

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
戻る家があるから旅に出る。旅に出るから家の良さがわかる。両方が楽しいですね。 お元気で! 

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My東京ーその4・・・『My宝物』 そして 『主は、しるしをつけられた。』

2019-02-19 13:29:56 | 旅行。海外旅行。

2月18日。月曜日。

五日間の東京でした。

 娘夫婦と・・・   『小金井』
 
                   赤ワイン

  「本当に仲がいいですね。
  親子というより、友達同士のようですね。うらやましいですね。」
                
オーナシェフが私たち三人を見て言われた。

 あれこれと話が進み、楽しい時間です。
  私にとって、娘夫婦は、友達同士でもあり、『My宝物』です。

 

そして。

  息子夫婦と・・・  『銀座』
 
                 シャンパン

「マラソンは、次はどこを走るの? トライアスロンは、次はどこまで遠征するの?」

 かつては私の弟子?であった息子夫婦は、今では『アイアンマン』の息子夫婦。
    師匠?の私をはるかに越えてしまった弟子たちです。

あれこれと話が進み、楽しい時間です。
  私にとって、息子夫婦は、アスリート同士でもあり、『My宝物』です。


更に。

 孫たちと・・・  『武蔵小金井』
 
                     冷水

 「今日は僕と寝ようよ。」 「今日は私と寝ましょうよ。」

眠る前の、お布団の中での『お祈りとおしゃべりタイム』を楽しむ孫たちと私です。

あれこれと話が進み、楽しい時間です。
   私にとって、孫たちは、スマホ先生でもあり、『My宝物』です。


  今日で、『My東京』の最終日です。

    『My東京』は、『My宝物=家族』の再確認の旅でした。 

 

そして。

今日は2月18日。年間第六月曜日。

   『しるし』 二つ。

『旧約のしるし』

『今日の第一朗読 兄カインの弟アベルの殺害

『カインが弟アべルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、
 
  カインは弟アべルを襲って殺した。

主は言われた。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
        今、お前は呪われる者となった」
カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

主はカインに言われた。

「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」

主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。』

           創世記 4章1-25節


カインは、人間が持つ嫉妬、羨望、怒り、傲慢、等に負け、弟アベルを殺してしまします。
    神は、カインに『主の判決・呪い』を宣言されました。
カインは、その『主の判決』に、”助けてほしい”と、泣き言を言います。
    神は、そんなカインに『しるし』を押され、
 次世代の人々が、この最初の殺人に対する復讐をしないようになさったのでした。


    『カインの印』は何を意味するのでしょうか?

人の目に見える『しるし』ではなかった。のではないでしょうか?
カインのみが、自覚し、忘れることがない、『しるし』であった。のではないでしょうか?

 生涯、『自分の罪』を自覚し、忘れることがない『悔い改め』を促される、『しるし』です。
   と同時に。
  『神の赦し』を希うために、心に刻まれた『しるし』です。

     すべては、神の愛から出る『しるし』ですね。


そして。

『新約のしるし』

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
  「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
 はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」』
                   マルコ福音書 8章11-13節

 

更に、続けて、イエスは言われます。

『よこしまで神に背いた者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。

    ここに、ヨナにまさるものがある。」
      マタイによる福音書 12章40-42節

 

 キリストの言われる、
 『ヨナにまさるしるし』とは、『イエス・キリストの十字架』です。

 
『イエス・キリストの十字架のしるし』をつける司祭。      孫息子の洗礼式

     
   『十字架のしるし』を、額と心の刻まれた者に・・・

自分の罪を自覚させて、『悔い改めの心・回心』を呼び覚まし、
自分の弱さと無力さを自覚させて、『神の救い』を希う希望を持たせる、『しるし』です。


私のような、無力で弱い者でも、
『キリストの十字架のしるし』をつけていただき、日々反省ばかりで、それでも希望を捨てずに、日々喜んでいます。


 
旧約、そして 新約でも、
『神のしるし』は、『悔い改め・回心』と『神の救い・希望』を持たせてくれる、『しるし』ですね。 

     すべては、神の愛から出る『しるし』ですね。

            以上。私の『今日の御言葉』の感想でした。お粗末様でした。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私の5日間の『My東京』におつきあい下さり有難うございました。感謝申し上げます。
最後の日の私の東京ウォークは6859歩でした。 お元気で!  

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旅立ち前・・・『早朝ウォーク』 そして エデンの園・・・『命の木と善悪の知識の木』

2019-02-13 06:00:00 | 旅行。海外旅行。

2月13日。水曜日。

 明朝から東京で・・・   『早朝ウォーク』
 
 いつも同じ格好です。

 明朝から5日間の東京で、旅立ち前は、忙しい!忙しい!
 
まずは。 6日間走れそうもないので、早朝ウォーキングです。 ちょい多めの12824歩でラン貯金できたかな?
次は。  明日の『聖書通読会』のための、感想レポート作り。 書くことはしゃべるよりも難しい

夫は。度重なる私の東京行きで、家事の自立ができています。 買い物と洗濯のみですが、有り難い。感謝!感謝!
    
私は。洋服(娘と孫娘から)や 化粧品(娘から)は宿泊家で借りるので、旅行準備は超簡単です。感謝!感謝!

    
     では。明日からのブログは、『My東京』の予定です。
 東京でどんな新しい発見があるのか、楽しみです。 よろしくお願いいたします。



そして。

今日は2月13日。年間第五水曜日。

『今日の第一朗読 エデンの園』

主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。
主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
しかし、
水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
 
エデンの園』                コール作品

人はこうして生きる者となった。
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、
  また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

主なる神は人に命じて言われた。

「園のすべての木から取って食べなさい。
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」』 

                        創世記 2章4-9&15-17節

 

  『命の木』 と 『善悪の知識の木』は、何を意味するのだろうか?

調べてみました。

『神は、人間を創造すると同時にこれを『善悪の知識の木』の前におき、
神の命令に従って命の木の恵みに浴するか、あるいはこれにそむいて死に至るか、その選択をまぁせる。
これは、今日に至るまですべての人間に対して繰り返される自由の根本的試練である。』
       以上でした。 『聖書思想辞典』より。


少し、じっくり考えてみます。

   今から、東京出発です。 今夜考えて、明日に私の考えを書きます。
         よろしくお願いいたします。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
考えることは、本当に面白いですね。 お元気で!

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小さな幸せ見つけた・・・『♭小さなコンサート♭』  そして 『貧しいやもめは、賽銭箱に生活費を全部入れた。』

2018-11-11 18:00:00 | 旅行。海外旅行。

11月11日。日曜日。東京三日目。

小さな幸せみつけた・・・『♭小さなコンサート 17♭』

 まずは・・・    『ソロ♭』
 

            『ラ・フォリア』 コレルリ

 バイオリン先生が仲間たちと共に開く17回目のコンサート。
 演奏者と観客が、身近に集まり、一体となる、小さなコンサート。皆の心が通う。

 
 次に・・・    『先生とデュオ♭♭』
 

             『ブーレ』 ヘンデル

 先生と共に、難しい指使いをこなす。
 観客からも演奏者からも、鳴りやまぬ拍手。深々と頭を下げる、小さな演奏者。

 

 最後は・・・     『合奏 ♭♭♯♭』
 
 
プロ。バイオリン先生・プロ。小学3年生。社会人。社会人。プロ。

  『花のワルツ』 チャイコフスキー
  『花は咲く』 
  『カノン』   パッフェルベル
  『二つのヴァイオリンのためのコンチェルト ニ短調第一楽章』 バッハ

    
     
  『 ♭小さなコンサート♭』
  プロ活動者
や演奏経験の長い社会人と小学3年生、計9人の小さなコンサート。
    互いが見え、互いを思いやることができる大きさがいい。素敵です。

  ”小さいことはいいことだな~!なんて考えた孫息子のコンサートでした。


そして。

今日は11月11日。年間第二十二主日。

   小さいことは、大勢の人ではなく、神を喜ばす結果となることが多い。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。
  大勢の金持ちがたくさん入れていた。
   ところが、

      一人の貧しいやもめが来て、
 
 
『やもめの賽銭 と そのを見ておられりイエス』

  レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランス(一日の賃金の1/64)を入れた。

 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。
「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
     皆は有り余る中から入れたが、

この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」』
                      マルコ福音書 12章41-44節

 
金持ちの献金額は大きい。でもそれは、持つ全財産の一部です。
金持ちは、食べることに事欠くこともなく、人の苦しみを共感し難く、自分を犠牲とする額ではないのです。     

一方。
 
やもめの献金額は小さい。でもそれは、持つ全財産の全部です。
   やもめは、食べることに事欠くこともあり、人の苦しみが理解できるので、
     自分を犠牲にしても、お人のために全額を差し出せるのです。


   『貧しい人は幸いである、神の国はあなたがたのものである。』
ルカ福音書6-20
貧しい人こそ、人を思いやることができ、この世で、『神の国=愛の世界』を味わうことができるのです。
                   ・・・と、イエスはおっしゃるのです。


  イエスは、見ておられるのです。
人の善意を…成すことの『大きさ』ではなく…成すときの『心』で、見ておられるのです。
   
 やもめのように、他の人を見て、他の人を助けたい『心』を持ちたいものですね。
   神は、神を信頼して、全財産を差し出す人を必ず守られます。確かです。


『今日の奉納祈願』

『いのちのあて主である神よ、わたしたちを強めてください。
ご自分のすべてを与え尽くされたキリストの愛を深く味わい、自分自身を捧げる喜びに満たされますように。』

   小さいことはいいことです。仲間がよく見える。仲間をよく愛せる。
     全力で愛する心を、イエスは見ていてくださいます。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
三日間の東京を終えました。
非日常の中で、時が止まったように、日常の自分が振り返れました。 お元気で!   

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小さな秋見つけた・・・『秋のイラスト』 そして 『神は、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。』

2018-11-10 18:24:11 | 旅行。海外旅行。

11月10日。土曜日。東京二日目。

  見つけた・・・    『小さな秋』
 
 『イラスト画』

  瞑想。
  ただひたすら沈黙。気を散らすことなく、手を動かす。
  心を解き放つというべきか? ひたすら描く。深秋のひと時。いいものです。

 
 食べた・・・     『深い秋』
 
 『栗きんとん。紫芋。』

 沈身。
 ただひたすら味わう。気を散らすことなく、心を静める。
 心を解き放つ。集中する。ひたすら自然を味わう。深秋のひと時。いいものです。


        座禅ではなく。手を動かしながらの無心。

そして。

今日は11月10日。年間第三十一土曜日。

  神が、一人一人に与えてくださった能力や財産を、いかに使うべきか?
                         今日、問われます。

『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、
あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。
  それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。

  あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
  それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。

わたしの神は、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。』
                                    フリッピの教会への手紙 4章10-19節


   フリッピの信徒は、宣教のために働くパウロを、物質面で助けました。
有り余るからそうしたのではなかったでしょう。そうせずにはいられなかったのでしょう。

   一杯のうどんを分け合う、物も金もなかった戦後の話は有名です。  

 人は、なけなしのちっぽけな自分の能力や物を、お人と分かち合うとき・・・ 
 『神は、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。』
      『神の御言葉』を味わうことができるのです。

 更に。

『今日の福音 イエスの御言葉』

     『不正にまみれた富で友達を作りなさい。
そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。

不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
   
   
どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。

   あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。』
                   ルカ福音書 16章9-15節


   イエスも、忠告なさるのです。
持てるものをお人と分かち合い、友を作りなさい。必ず、その友が助けてくれる時が来る。
持てるものに執着していては、神に従うことはできない。人は、神と富とに仕えることはできない。

   人は、何のために、人と共に生きているのでしょうか?
 『人』の字が表すとおりに、『人と人は支えあう』ために生きているのです。
   人生の目的を間違わないように…分かち合っていきましょう!


皆様!

ご訪問に感謝申し上げます。
冬寸前の残りの秋をどのようにお過ごしですか?明日も素敵な日曜日でありますように。 お元気で!

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ここはゴーストタウン?・・・『一極集中』 そして 『ラテラン教会の献堂 祝日』

2018-11-09 09:00:00 | 旅行。海外旅行。

11月9日。金曜日。東京初日。

 東京第一歩・・・      『新宿』
 
 『通勤ラッシュの終わった朝9時の新宿』

    人は少なく、ひっそりと、大きなビルのみが乱立する新宿。
       1時間前のあの大勢の人々はどこへ消えたの?
   私の歩く新宿はゴーストタウンか? と、一瞬、脳裏を横切った。

一極集中の東京は…
  東京ですべてをまかない、人の流れが場所によりまるで違う。ように見える。

  政治の中心の霞が関。ビジネスの中心は大手町であり、新宿は繁華街? 

神戸から上京する私には、東京は、人の流れが顕著な特異性ゆえに?、別世界の感じがした。  
                東京人だった私も、今では、すっかりお上りさんです。


そして。

今日は11月9日。
        『ラテラン教会の献堂 祝日』 
 

    古代において、ラテラノ大聖堂は『救世主大聖堂』と呼ばれ、
ローマの多くの教会のランク付けの中で最上位に置かれ、信徒たちの敬意を集めた。
 現在は、ラテラノ大聖堂は ローマ司教としての教皇の司教座聖堂(カテドラル)であることから、
       『全カトリック教会の司教座聖堂』とも称される。
                   ウィキペディアより

    コンスタンティヌス帝によって建てられたローマのラテラン大聖堂の祝日は、
 『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』と呼ばれた大聖堂をたたえるための祝日で、
       ペトロの座に対する一致と親愛のしるしである。
                     『毎日の読書』より。


『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』

     『皆さん、あなたがたは神の建物なのです。
   ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。
イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。』

                          コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章9-17節


   私たち・キリスト者は、ラテラン教会同様に、一人一人が、神の神殿なのです。
使徒パウロは続けます。
 『神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。』

私たち・キリスト者は、神の神殿となった一人一人の体を、壊すことも、汚すことも、許されないのです。
   キリスト者は、自分の体によって、キリストを証しするのです。


もう一つ。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは(ユダヤ人たちに)答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。

      イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。』
                        ヨハネ福音書 2章13-22節


  イエス・キリストは、ラテン教会同様に、ご自分の体が神殿であることを、
  『神の家・神殿を、商売の家とするなら、壊すことになる』と断言なさり、

         ご自分の復活によって、証ししました。

 
 キリスト者は、自分の愛と忠実とによって、『自分の体・神殿』を完成させていきましょう!
                           頑張りましょう! ファイト!


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
お人に、証しとなることは大変なことです。
親としての証。信者としての証。そして、人間としての証! お元気で!

 

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イスラエル巡礼の余韻・・・『写真交換会』 そして 『神の言葉を聞いて行う人たち。』

2018-09-25 17:00:00 | 旅行。海外旅行。

イスラエル巡礼から、すでに25日が経つ。

私は、巡礼の感動と感激が大きく・・・いまだに、心身共に、巡礼の余韻の中にいる。
巡礼の仲間たちも、私同様で・・・『写真交換会』と称して、感動と感激の分かち合いのために、集まりました。

 
 『Catedral 司教座聖堂・大聖堂』            ポルトガルワインはめずらしい。

 巡礼御一緒でした枢機卿様も出席。司祭様3人。巡礼参加一般人の一人欠けた11名。他3名。
                             18人のおしゃべり会 写真交換会でした。

      ハードスケジュールを共にこなした仲間の絆は強い!
             喜びは、苦労の後の産物です。

         強い信仰を基盤にした仲間の信頼は強い!
        信仰は、強いつながりのための接着剤です。

       仲間の言動に共感できるのは経験の共有の結果です!
         価値は、協賛の仲間の価値の高さに正比例です

    おしゃべり会にも終わりが来て、別れ難く、再会の約束が出来上がりました。
            別れは、また会う日までの始まりです。

   
   年齢、男女、職種を超えての友情は、人生の喜びです。 人生の醍醐味ですね。


そして。

今日は9月25日。年間第二十五火曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『そのとき、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。
そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。

するとイエスは、
「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」 とお答えになった。
                                                  ルカ福音書 8章19-21節


    イエスの母であり兄弟は、『神の言葉』を聞いて、それを行う人たちのことです。

  
  聖母マリアは、
我が子・イエスを胎内に宿した時。 
      『神のお告げ』ルカ福音書1-30~33 を理解できませんでしたが、

 『わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように。』ルカ福音書1-38 と、神を信頼しました。

我が子イエスが迷子になって、三日間探して、神殿で話をする我が子・イエスを発見した時。
『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、しらなかったのですか。』ルカ福音書2-49
     と、 『我が子・イエスの言葉』を理解できませんでしたが、我が子・イエスを信じました。


         
      『神の言葉を聞いて、それを行う』 とは、当座は理解できなくとも、
  

  『子供たちを祝福するキリスト』                     クラーナハ作品

『御言葉をすべて心に納めて』ルカ福音書2-51 それに従って生活することです。信じることです。

          『神の国はこのような者たちのものである。
 子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』マルコ福音書10-15

 『神の御言葉』を、理屈ではなく、子どものような素直さ無邪気さで、謙虚に受け入れることが大切です。


 聖母マリアは、
『神の言葉』を理解できなくとも、心に納めて、神を信頼する信仰者でした。
『イエスの母であり兄弟』としての、『神の御言葉を行う』、理想のイエスの弟子であり、理想の母でした。
『神の独り子・イエスの母』として敬う人であり、『イエスの母であり兄弟』として、キリスト者の模範です。


      私たち・キリスト者も、
聖母マリアの模範に倣って・・・いつも『神の御言葉』を心に留め、『御言葉』に従って、
                        イエスの兄弟であり母であり続けましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お人との『共同作業』 そして その結果の感動の共有は、日々の『生きる力』になりますよね。 お元気で!

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イスラエル巡礼・・・『最後の晩餐』・・・キリストの最後の晩餐&我が巡礼団の最後の晩餐

2018-09-07 12:39:03 | 旅行。海外旅行。

私のイスラエル巡礼も、今日で終わりです。
一日に平均3つの教会を回ったとして、10日間で、30程もの教会を訪問したことになります。

     巡礼は、神様からの大きな大きな恵みでした。
     巡礼の10日間の間に頂いた恵みを思う時・・・胸キュンと、涙がわいてきます。

巡礼の喜びは、あたかもマラソン大会完走後の喜びに似て、日毎に更に大きく、心に満たされいきます。
 又。     
長年読み続けてきた『聖書通読:聖書100週間』は、マラソン大会前の長い苦しいトレーニングに似た、『喜び』を味わうための準備でした。

   巡礼は、努力の準備の日々の後に神から頂けた、『恵みと喜び』でした。  神に感謝!

 
  
  巡礼最後の日・・・      『夜明け』
 
 朝5時過ぎ。 

   我ら巡礼者は、宿舎の修道会の静寂の庭で、それぞれに、黙想に潜心しました。
       美しい夜明けに心を震わせ、巡礼の恵みに感謝しました。


 夜もすっかり開けてきて・・・ 
 
 朝6時過ぎ。 

      我ら巡礼団は、黙想を終え・・・

 

              『最後の朝食』
 
   『心のこもった朝食』

 
巡礼最後のバスに乗り込みました。

 まずは・・・
 いつものように。
 

枢機卿様の御挨拶。

 『皆様、おはようございます。
 今日も、全員、健康に恵まれ、すばらしい黙想ができますように、祈りましょう。』
         主の祈り。 天使祝詞。 栄唱。


   祈りと共に・・・  イエス様と共に・・・  巡礼最後の一日です。


      今日も、私の巡礼の最後にお付き合い下さい


   最後にふさわしく・・・    『最後の晩餐の間 教会』  
    
    入口ドア。        晩餐の様子が描かれています。 
                            

    『過ぎ越しの子羊を屠るべき日が来た。
イエスは、ペテロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越しの食事ができるように準備しなさい」と言われた。
二人が、「どこに準備しましょうか」と言うと、イエスは言われた。

「都に入ると水がめを運んでいる男に出会う。その人は入る家までついていき、家の主人にこう言いなさい。」

  
  『シオンの丘』
ペテロとヨハネが水がめの男を捜したであろう『町』を、2000年程後の今日、私も歩き、眺めます。

 
 『先生が、「弟子たちと一緒に過越しの食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』
  すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」

 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越しの食事の準備をした。』
                                   ルカ福音書 22章7-13節


 
      『最後の晩餐の間 教会』 のドアを開けると・・・

     
     そこは・・・     『最後の晩餐の間』

ペテロとヨハネが案内された、最後の晩餐のための『二階の広間』のあった所に立つ
             『最後の晩餐の間 教会』 です。

     
   祭壇の上の聖画・・・    『晩餐のイエスと12人の弟子たち』

    
  2人を除いて、弟子たち全員が手を掲げているのは、どういう意味でしょう?分かりません。

   神父様の話。
   『当時は・・・机を使うのではなく、地面に直接座って食事をしたはずです。』
                           手を挙げていることについての話はなし。


  私は・・・
黙して、座っているのではなく・・・立ったまま手を合わせているイエス様を見ながら、
いろいろと、これから『最後の晩餐の間』で起こることについて、黙想しました。考えました。


 『さて過越祭(最後の晩餐の夜)の前のことである。
イエスは、この世から父のもとへ移る自分の時が来たことを悟り、
        世にいる弟子たちを愛して、このうえなく愛し抜かれた。』 ヨハネ福音書13-1


 人は、人を愛して、このうえなく愛し抜く時に、どんな振る舞いをするのだろうか?
     思いつくことといえば・・・『自分のすべてを与える』ということである。


   『イエスの時』とは・・・イエスのこの世での終わり。 十字架上での『苦しみと死の時』です。
      イエスの十字架上での犠牲によって・・・『人類の救い』が完成する時です。


で・・・

イエスは、『時』を悟り、『最後の晩餐』の席で、愛する弟子たちに、『遺言』を語り出すのです。

  『遺言』その一・・・  『あなたがたは互いに足を洗い合わなければならない。』
  
  『弟子の足を洗うイエス』

イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また   
        御自分が神のもとから来て、神の元へ帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。
「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。
主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」』 ヨハネ福音書 13章3ー20節

  
  イエスは、弟子たちに・・・

『互いが考え方が違っていても、誰が上でも下でもない許し合いなさい。仕え合いなさい。』とおっしゃりたかったのでしょうか?


更に。
晩餐での出来事。

  『イエスは、断言された。  「あなたがたの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
   
 『浸したパン切れをユダに与えるイエス』

『イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられたものが食事の席に着いていた。
その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、
イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。
それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。

    ユダがパン切れを受け取ると、サタンがユダの中に入った。
そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。

    ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。
さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。」』 
                              
ヨハネ福音書 13章23-31節

   
   イエスが『栄光を受けた』とは・・・

       イエスが、神であること。メシアであること。 を現すことです。
 イエスは、十字架上の死に至るまで神に従順で、神に栄光をお与えになります。
       神も、イエスに、栄光をお与えになるのです。


    勿論。ユダの裏切りを、最初からご存じだったイエス様です。
それでも、ユダに、浸したパンを与え、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい。」と言われたイエス様です。
   
    どんな場合にも、人を人に裏切られるほどつらいことはないです。
    それでも、
    ユダに我が身をまかせたイエスの御心の真意は? それは神の御心です。

 


   信仰を持つ人持たない人、善人も悪人も、自国の人だけでなく異国の人も、皆々、
       神が造られ、神が愛される、神の子である。 
    それだけは確かなことだと確信させられる神の町・イスラエルです。
     

次に。
もう一つ。

  『遺言』その二・・・  『互いに愛し合いなさい。』
 
 『最後の晩餐』                           レオナルド・ダ・ヴィンチ作品

    『あなたがたに新しい掟を与える。 互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」』
                                         ヨハネ福音書 13章34-36節  
    イエスは、はっきり言われました。

『わたしは主である。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
   はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。
       このことが分かり、その通りに実行するなら、幸いである。』 
                            
ヨハネ福音書 13章12-17節   

  
   キリストは、足を洗うという僕の仕事をし、互いに仕え合う模範を示しました。
 

      
   イエス様は、『最後の食事の部屋』で黙想する私にも、はっきり語りかけました。

 「互いに愛し合いなさい。人に仕えることによって、キリストに倣い、キリストに出会うのです。」 と。 


『最後の晩餐の間』でのイエス様は、
   愛する弟子たちとのお別れを悟っておられて、どんなにかお寂しいことだったでしょう。
   愛する弟子たちと別れ難く、まだまだ大事な事柄をお話しなさいました。


 
私たち巡礼団にも、別れ難いイスラエルですが、お別れの時がきました。

   修道会に戻って・・・  『我が巡礼団の最後の晩餐』
   
   『オリーブの香り高い、魚料理』       おいしい。

     舌鼓を打ちながら・・・お話しに花が咲きます。
     巡礼は、神が準備下さった、『幸い』でした。

      
      メインは・・・    『牛肉』

   
   イスラエルワインもイスラエル料理も、     大好きです。

    枢機卿様が繰り返された『御言葉』
    『ここから、神の国に向かって巡礼してまいりましょう!』

   イスラエル巡礼の終わりは、神の国への巡礼の始まりです。


  デザート・・・『誕生日祝い。3周年祝い。30周年祝い。25周年祝い。26周年祝い。』
  
美しい女性の還暦の誕生日祝いお若い神父様の司祭3周年記念貫禄の神父様の司祭30周年記念
     シスター様3人の誓願25周年記念シスター様お一人は誓願26周年記念   

   皆で、   めでたい!めでたい!めでたい!        


めでたいめでたいで・・・
私のイスラエル巡礼ブログも終わりです。 ありがとうございました ごめんなさい、訪問日はずれたりしました

 神に感謝! ブログを訪問下さいました皆様に感謝! 巡礼お仲間に感謝! 留守を守る夫にも感謝!


皆様!
御訪問に深く感謝申し上げます。
皆様は色々の信仰をお持ちのことと存じ上げます。私のキリスト教巡礼にお付き合い下さり感謝申し上げます。
又、日常に戻りまして・・・日々の感動を綴ってまいります。よろしくお願い申し上げます。 お元気で!

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イスラエル巡礼・・・『悲しみの道』 『苦難の道』・・・『ヴィア・ドロローサ:十字架の道行』

2018-09-05 20:47:44 | 旅行。海外旅行。

巡礼も佳境に入り・まして・・・・

   今日は、キリストと共に、エルサレムの 『十字架の道行ヴィア・ドロローサ』 です。

 
ヴィア・ドロローサ』は、
エルサレムの旧市街 と その城壁群(世界遺産)の内部 にある『道』です。
イエス・キリストが、十字架を抱えて有罪判決を受けてから十字架にはりつけにされるまでの最後に歩いた『道』です。 

     『
ヴィア・ドロローサ』
の意味は、『悲しみの道』 『苦難の道』 だそうです。

  
  『既に昼の十二時ごろであった。全地は真っ暗になり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。

            神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
イエスは大声で叫ばれた「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。』

   
                                 ルカ福音書 23章44-46節

ヴィア・ドロローサ』は、
毎週金曜日の午後3時(サマータイム時は午後4時)、キリストが亡くなった時間に合わせて、始まります。

    『キリストの死』を想い・・・賛美し・・・感謝し・・・涙し・・・歩みます。頑張ります!

 

まずは・・・ 

  スタート地点に向かいます。
  

    巡礼者も・・・  買い物客も・・・  人がひしめき合います。

 
                                    目的地はあちら。  

  男も女も。歳を重ねた者も若い者も。  心を一つにして・・・。
 2000年程前に33歳の若さのイエスが歩んだと同じ『道』を、いろいろの国から『歩む』ために来た人と共に歩む。
     『歩むため』に、世界から人が集まることに、感動します。

   信仰が持つ力の大きさを実感して…震える思いがする。身が引き締まる。
       「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」 と、
 これからも、苦難に打ち勝って復活されたイエスの力に信頼して、『歩む皆』が生きていくことができますように。                   

 

  進む。進む。     『いかなる場合も、負けちゃならない』 なるほどね~!

 

  到着。

    『エッケ・ホモ教会
   
 

   『イエス・キリストの裁判が行われた場所』 に参加者が集合します。

   

     『祭壇』     『逮捕されるイエス』

    

  壁画。  第5留・・・『イエス、キレネのシモンの助けを受ける』
    

  ここが出発地点。

  世界から・・・日本から・・・  人が『歩く』ために集まりました。

  

今日だけでなく、『イエスの十字架』を忘れることなく心に留め、明日からを生きることができますように。
特に『苦しい時』に、苦しみの重さに倒れることがあっても、『重さを共に担ってくださるイエス』への信仰を生きることができますように。

  
  私たち・巡礼団も・・・。
  

   じっと、その『恵み』の期待に胸ふくらませながら、『歩み』の始まりを待ちます。 

  

 ヴィア・ドロローサの『時間』になると・・・
      案内役の『フランシスコ会修道士』 が現れました。

  時には・・・十字架を担いだ人たちが、先頭に歩くこともあるそうです。
    
    今日はなし。             この十字架はレンタルです。

 始発点と終着点を含めた、計14箇所に中継点:『留/りゅう』が設けられています。
    始発点はエルサレム旧市街のイスラム教地区の 『ライオン門付近』 
 ~ 終着点は旧市街キリスト教地区の 『聖墳墓教会内のイエスの墓』 までです
                                       全長約600m。

        では、 御一緒に歩んでみてください 
 

  第1留・・・・     『イエス、死刑宣告を受ける』
 

    イエス・キリストが死刑判決を受けた場所:『エッケ・ホモ教会』から・・・
          『ヴィア・ドロローサ』 スタート
です。

  
  枢機卿様も・・・  神父様方も・・・  シスターたちも・・・  私たちも・・・ 
 
           歩く。歩く。歩く。歩く。

  「十字架の道行」の祈りは、
     ひとつひとつの『留』を順次たどって、
イエス
の受難の各場面を黙想し、回心し、キリストの愛にならうための祈りです。

 

 第1留『死刑宣告を受ける』 第2留『十字架を担う』 第3留『はじめて倒れる』

   第4留・・・   『イエス、母マリアに出会う』
 

    『十字架上で御自身を捧げられたイエス・キリストご自身より、
  もっとつらい思いをなさった方がいるとするなら、それは母であるマリア様です。
どんな母親にとっても、痛めつけられ殺されていく自分の子どもを目にすること、それ以上につらいことはありません。
しかし、マリア様はそこにいらっしゃいました。どんなにつらくても、そこにとどまり、我が子と共に歩かれました。
   イエス様はいったいどんな思いでマリア様にお会いになったでしょうか?
ぼろぼろにされて死んでいく自分を母親に見せることは、イエス様ご自身にとってもつらいことだったでしょう。
しかし、はっきりと言えることがあります。イエス様もマリア様も自分の苦しみから逃げませんでした。』 

     
      壁についている●黒い丸●が、ヴィア・ドロローサの『留の番号』です。
  一つ一つの『留』の前に、しばしとどまり、その『留』を黙想し、『祈り』をささげます。

  
  
第5留・・・・  『イエス、キレネのシモンの助けを受ける』
 

    『突然現れた一人の男にイエス様はご自分の十字架を手渡されます。
      いったいどんな気持ちでイエス様は十字架を渡されたのでしょうか?
十字架を背負い切り、最後はその上で御自分の命を捧げることこそ、人間に救いをもたらすものだったからです。
救いのアイデンティチーであったこの十字架を、イエス様は意とも簡単に、しかも見知らぬ男に手渡されました。
       しかしこうして、神の救いの御業は完成したのです。
一人の人間の助けによって救い主としての使命を全うされたイエス様の姿は謙虚さにあふれています。』 

  

   『十字架の道』を前進して歩む者。 そして 『一般道路』として向こうからくる人たち。
        両脇は商店街。土産物屋。  買い物客も、人も多い。 

  イエス様が歩かれたときは、”イエス様を一目見よう!”と、人が多かったのでしょうか?


  人人人人で・・・
 案内の修道士さんがどこ行ったのかわからなくなりました。
       それでも。
 かすかに賛美歌 が聞こえてきます。聖なる道です。

     

 第6留・・・イエス、ヴェロニカより御顔を拭われる』 第7留・・・イエス、再び倒れる』
 第8留・・・イエス、エルサレムの婦人らを慰める』 第9留・・・イエス、三度倒れる』

      第1留から第9留までは 旧市街の通路の傍らにある。
     「ライオン門通り」を隔てた向かい側に 『第2留』がある。
   『第3留』から『第5留』までが 「エル・ワド通り」の 細い路地の中にある。
   『第6留』から『第8留』までが 「ヴィア・ドロローサ通り」の南側に、
   『第9留』が 聖墳墓教会に隣接する 『コプト教会』の中庭にある。

 残りの『第10留』から『第14留』 までは 『聖墳墓教会』の内部に設けられています。


 見えてきました。

     最終地点・・・    『聖墳墓教会』
 

   『聖墳墓教会』
 この教会が立つ場所こそが、イエス・キリストが十字架に磔にされた『ゴルゴダの丘』があった場所です。


      第12留・・・  『イエス、十字架上で息を引き取る』 
   DSC_0555

     この祭壇の下の場所が、
イエス・キリストが磔にされたまま十字架を立てられ、『息を引き取った場所』です。


 『その夜、マリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を引き取りたいと、ピラトに願い出た。
    ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
そこへ、かってある夜、イエスのもとに来たことがあるニコデモも、
           投薬と枕香を混ぜた物を百「リトラばかり持って来た。
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。』
                                     ヨハネ福音書 19章38-42節

     
       
     
          
聖墳墓教会に入ってすぐのところに、
十字架からイエス・キリストが降ろされ、この上で香油を塗られた『赤い大理石』があります。

           キリストの死を想って・・・
      涙を流しながら、石にすがって、祈りを捧げる方々がたくさんいます
 
   

        十字架から降ろされたイエスを抱く母マリア様
      
       『ピエタ』     
         『赤い大理石』の上で我が子を抱いたのでしょう。            

 

   ヴィア・ドロローサの終着点』

イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、誰もまだ葬られたことのない新しい墓があった。
   その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。』
                                      ヨハネ福音書 19章38-42節

   
   第14留・・・     『イエス、墓に葬られる』

 

      イエス・キリストがお墓に納められた場所です。

        『今、イエスは墓の中で眠っておられます。
  命の与え主である主が、ご自身の命を人類のために失い死の眠りにつかれました。

      すべてが終わり絶望ののうちに幕を閉じたかのようです。
   弟子たちや、マリア様、そしてイエス様に来帽をかけていた人々は
     いったいどんな気持ちでこの暗黒の時を生きたのでしょうか?
       希望のかけらもなかったのではないでしょうか?

     しかし、この沈黙と暗黒にこそ深い意味が隠されています。
  それは、その後にある復活という出来事がすべてを変えるからです。』 

       

           中に3人ほどしか入れません。
      小さな門をくぐって入った場所に、手前に『天使の部屋』。

     奥に・・・・   『キリストの墓石』
 
 

    私も並んで入り・・・中へ。
 常に灯されたろうそくの明かりで、ぼんやりと『イエス・キリストのお墓』を見ることができました。

    DSC_0554

   『聖地巡礼:ヴィア・ドロローサ:十字架の道行』 を歩き終えました。 涙涙涙。

          神に感謝! 主に感謝! 巡礼の仲間に感謝!

 


  『キリスト教三大巡礼地』 の一つ。 『エルサレムの旧市街とその城壁群』
      紀元前1,000年頃に建国された古代イスラエル王国の都です。
旧市街地は、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、アルメニア人、の地区の4つに分割されています。

 

  ユダヤ教徒にとっての『神殿の丘と嘆きの壁』。キリスト教徒にとっての『聖墳墓教会』。
         
イスラム教徒にとっての『岩のドーム』などです。

          世界で唯一、当事国を持たない世界遺産、となりました。

       そこを、世界の人たちと、ぶつかり合いながら歩いてみて・・・
  『共に歩く』ことは、共感であり、『平和への第一歩』と確信しました。感謝!感謝!

 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お元気ですか? イエスが最後に歩かれた『十字架に道行』には『人の人生』が隠されていました。
   是非、一度、機会がありましたら、歩まれますように。お勧めします。 
    私は、明日は『最後の晩餐』、イスラエルとお別れです。 お元気で!
 

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イスラエル巡礼・・・ユダヤ人のアイデンティティー・・・二つ目:『祈り』・・・『嘆きの壁』

2018-09-04 01:43:50 | 旅行。海外旅行。

ユダヤの方々のアイデンティティー。

次に。
もう一つ。 一つ目の続きです。

アイデンティティー 二つ目・・・  『祈り』  

 30歳以上の青年・・・     『ダビデの墓の聖所』     で、毎朝7時から祈る。
 
                 
我が教会の朝7時から、皆で唱える『聖務日課』のようです。

30歳になると『元服』ということでしょうか?                 
体には『白地に黒線のマント』。 腕に巻きつけるのは『黒色のひも』。頭にはりつけるのは『トーラの箱』。

    
  『祈りの部屋』
 

 


       『祈りの部屋』の後ろの壁一面・・・    『聖書:トーラ』
      

 

       私も仲間に加わりたくて・・・
        
        開いていました ヘブライ語。 読めません

  
 『祈りの部屋』の右側・・・  『どなたかの墓』
 
  静かに。黙々と。一人。 祈る女性。    清らかです。

 
 祈りの部屋の隣の部屋は・・・   『ダビデの妻の墓』
 
 墓にひれ伏し・・・   祈る男性。

 『ダビデの妻の墓』の前、向かい合って・・・       『ダビデの墓』
 
 
ダビデの墓の前で一人、静かに、祈る女性。
       一人、静かに、祈る私に、声をかけて下さり・・・色々と教えて下さった。

   同じ信仰を持つ女二人・・・なんだか親近感がわいて・・・素敵な時間でした。
                       神に感謝! ダビデに感謝!


    いかに幸いなことか。 主のおしえを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は、流れのほとりに植えられた木。時が巡り来れば身を結び、葉もしおれることがない。
         その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。』
                        詩篇 1章1-3節

 
 
 

    祈りには・・・
    個人の祈りもあり、集団の祈りもあります。

  
次は。
集団の祈り・・・・     
『嘆きの壁』

 

  『イスラエル博物館』
  
  
中には・・・・
  
  模型。

  ローマ軍侵略前の・・・     『イスラエルの町』
 

   バビロン捕囚より帰国した、イスラエル国の再建です。 

                          『第二神殿』        
 

  第二神殿』

紀元前516年~紀元後70年までの586年間。
         エルサレムの神殿の丘に建っていた、ユダヤ人の 『エルサレム神殿』 です。

  それは、
紀元前586年の『バビロン捕囚』の際に破壊された『ソロモンの第一神殿』 に代わって建設されたのです。

  そして、
紀元後70年。
ローマ帝国は、西暦66年にユダヤ戦争を始め、ユダヤ人の敗北が決定的になった西暦70年にエルサレムを包囲し・・・
         エルサレムの町と第二神殿を 破壊しました。

  以後。 『エルサレム神殿』 は再建されていません。

    
  ただ。 『西の壁の下部』 は 『第二神殿』 の遺構を残す数少ない部分であり・・・

             『嘆きの壁』                  として現存しています。
  
  私たち巡礼団も・・・

      若いイスラエル兵士たちも・・・・   来ました。 祈ります。
 

  まずは・・・・     手を清めて。
 
 
  『二つの取っ手がついた手洗い壺』
  
先に洗った手で、まだ使ってない取っ手を持ち、もう一方の手を洗う。 両手を、汚さず、清いまま保つ方法です。
                                          合理的です。

    
                『嘆きの壁』
 
 
   塀で隔てられて・・・・   

       左側が・・・   『男性の祈りの場所』
 
   
女性に比べ少ない。                           塀の上からのぞけました。失礼いたしました。

       右側が・・・  『女性の祈りの場所』
 
                                                           多い。

    ヘブライ語の聖書が・・・沢山。 机の上に置かれていました。


  私も。

  皆様のように・・・    『祈りの言葉を書いた紙』 を壁に入れました。
     
壁の割れ目は『祈りの言葉』がいっぱい。 私は小さな隙間に・・・。

       神様!お願いいたします。
       願い事がいっぱいです。信仰が深まりますように!

 
   灼熱の日中です。                

                日陰で・・・  聖書を持って、読みながら、祈る方が沢山でした。
  

       『第三の神殿』 が、神の御心によって、建設される日が近いように・・・。 
                                        祈るユダヤの人たちです。


      ユダヤの方々の敬虔で高貴な信仰の姿を拝見しながら・・・・
   『神のあふれる愛は、人を高みに導いてくれる。愛は人を育てる。』 と確信する私です。

               神に感謝!感謝! 巡礼の仲間に感謝!感謝!
   


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お元気ですか? 私は元気で、驚きと感動の巡礼を続けています。 お元気で!

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