5月31日。日曜日。曇り。 主日。
起床時の念禱
✠ 『聖墳墓教会』 ✠
イエスが処刑された所とその墓のある教会
『十字架の道行』 の ✠『第十五留』✠ 2018年巡礼時に巡礼仲間と共に。
毎朝。
額から肩にかけて、十字の印を切りながら・・・
『 ✠ 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。 』
三度繰り返し、唱えます。
三度唱えるうちに、心身が覚め、力がわいてきます。
『起床時の念禱』
以前、修道会の神父様が私におっしゃいました。
「私のベットの足元の壁に十字架が掛けてあります。
私は目が覚めると、ベットの上で、
その十字架を眺めながら、
ゆっくり、 三回、
十字をきりながら・・・
『起床時の念禱』 を繰り返し唱えます。」
聖テレジアは言われます。
「念禱とは、私を愛しておられる神としばしば語り合う、
友愛の親密な交わりです。」
誦することは大きな力を持つものですね。
自分のすべてを集中させていきます。
主日の今朝も、神父様の真似をして、
十字を三度きりながら、 『起床時の念禱』 を三度、誦した私です。
心も頭もスッキリ目覚めました。
そこで。
今日は5月31日。 『聖霊降臨の主日』
今日も、コロナ災禍でミサはなし。
自宅で、聖書朗読と祈りです。
『今日の入祭唱』
『希望がわたしたちをあざむくことはありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。』
ローマの信徒への手紙 5章5節
今朝は、『今日のミサの典礼』の
順序を取り替えました。
まずは。
復活後のイエス様の出現。
『今日の福音朗読 イエスの御言葉』
『その日、すなわち週の初めの日の夕方、
弟子たちはユダヤ人を恐れて、 自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、
イエスが来て真ん中に立ち、
「あなたがたに平和があるように」 と言われた。
そう言って、 手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。 「あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、 彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」』
ヨハネ福音書 20章19-23節
イエスは、復活された夕方、弟子たちの前に、
鍵のかかった戸の家の中に、 突然、
体を持った 『生きたイエス』 として、現われました。
イエスは、 ”本当に前と同じイエスだろうか?” と疑う弟子のために、
ご自分の『聖痕』、 手とわき腹、 をお見せになりました。
そして、 「あなたがたに平和があるように」 と二度おっしゃいました。
イエス様が復活後に現われたのは、
●死んでも生きているイエスを信じる、
●復活のイエスは生前のイエスと同じ方であると信じる、
●復活したイエスは弟子といつも一緒にいると信じる、
弟子たちの信仰が ●『確かな信仰』● になるためでした。
イエスは、弟子たちに、
『確かな信仰』 を与えた後で、
『イエスの復活の証人』 となり、
『事実』 を人々に広く伝える 『使命』 を与えたのです。
『洗礼による罪の許し』 の 『権限』 を与えたのです。
そして。
『今日の第一朗読 聖霊降臨』
『五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。
『聖霊降臨』
すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには
天下のあらゆる国から帰って来た、 信心深いユダヤ人が住んでいたが、
この物音に大勢の人が集まって来た。
そして、 だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
人々は驚き怪しんで言った。
「話をしているこの人たちは、 皆ガリラヤの人ではないか。
どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、
また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
フリギァ、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。
また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、
ユダヤ教への改宗者もおり、
クレタ、アラビアから来た者もいるのに、
彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」』
使徒言行録 2章1-11節
聖霊降臨により、 マリア様はじめ弟子たちに、 『聖霊』、 が注がれました。
この日から、 信じる者の共同体:教会、 が生まれたのです。
イエス様は、ご自分の亡き後、弟子たちに、
『宣教』:『福音の知らせ』 の 『使命』 を与えました。
でも。 弟子たちは、 それをすぐに、まして自分の力で、 できるはずはありません。
次に。 イエス様は、 弟子たちの導き手である『聖霊』、 を与えられたのです。
『聖霊』は、 共同体の一人一人に働きかけ、 力を与え、
共同体を一致させ、 成長させるのです。
弟子たちの共同体は、 聖霊に導かれ、 『新しい道』 を歩み始めたのです。
弟子たちの共同体は、 聖霊の導くままに、 『イエスの福音』 を告げ知らせていくのです。
私たちも、 聖霊に導かれ、聖霊の導くままに、 『新しい道』 を歩み続けましょう。
『今日の祈願』
『すべての人の父である神よ、
今日祝う聖霊降臨の神秘によって、
あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生によって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、豊かな実りをもたらしますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から6月です。多くの小学校は、コロナ災禍による休校を終え、学校再開になるようです。
事実上の 『入学式』、『新学期』ですね。
子どもたちの健康が守られ、楽しい学校生活が続けられますようにと、お祈りいたしましょう。
私も、6月、4ヶ月ぶり、いよいよ動き出しましょうか!
皆様の6月も楽しい月でありますように。 お元気で!
起床時の念禱
✠ 『聖墳墓教会』 ✠
イエスが処刑された所とその墓のある教会
『十字架の道行』 の ✠『第十五留』✠ 2018年巡礼時に巡礼仲間と共に。
毎朝。
額から肩にかけて、十字の印を切りながら・・・
『 ✠ 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。 』
三度繰り返し、唱えます。
三度唱えるうちに、心身が覚め、力がわいてきます。
『起床時の念禱』
以前、修道会の神父様が私におっしゃいました。
「私のベットの足元の壁に十字架が掛けてあります。
私は目が覚めると、ベットの上で、
その十字架を眺めながら、
ゆっくり、 三回、
十字をきりながら・・・
『起床時の念禱』 を繰り返し唱えます。」
聖テレジアは言われます。
「念禱とは、私を愛しておられる神としばしば語り合う、
友愛の親密な交わりです。」
誦することは大きな力を持つものですね。
自分のすべてを集中させていきます。
主日の今朝も、神父様の真似をして、
十字を三度きりながら、 『起床時の念禱』 を三度、誦した私です。
心も頭もスッキリ目覚めました。
そこで。
今日は5月31日。 『聖霊降臨の主日』
今日も、コロナ災禍でミサはなし。
自宅で、聖書朗読と祈りです。
『今日の入祭唱』
『希望がわたしたちをあざむくことはありません。
わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。』
ローマの信徒への手紙 5章5節
今朝は、『今日のミサの典礼』の
順序を取り替えました。
まずは。
復活後のイエス様の出現。
『今日の福音朗読 イエスの御言葉』
『その日、すなわち週の初めの日の夕方、
弟子たちはユダヤ人を恐れて、 自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、
イエスが来て真ん中に立ち、
「あなたがたに平和があるように」 と言われた。
そう言って、 手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。 「あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、 彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」』
ヨハネ福音書 20章19-23節
イエスは、復活された夕方、弟子たちの前に、
鍵のかかった戸の家の中に、 突然、
体を持った 『生きたイエス』 として、現われました。
イエスは、 ”本当に前と同じイエスだろうか?” と疑う弟子のために、
ご自分の『聖痕』、 手とわき腹、 をお見せになりました。
そして、 「あなたがたに平和があるように」 と二度おっしゃいました。
イエス様が復活後に現われたのは、
●死んでも生きているイエスを信じる、
●復活のイエスは生前のイエスと同じ方であると信じる、
●復活したイエスは弟子といつも一緒にいると信じる、
弟子たちの信仰が ●『確かな信仰』● になるためでした。
イエスは、弟子たちに、
『確かな信仰』 を与えた後で、
『イエスの復活の証人』 となり、
『事実』 を人々に広く伝える 『使命』 を与えたのです。
『洗礼による罪の許し』 の 『権限』 を与えたのです。
そして。
『今日の第一朗読 聖霊降臨』
『五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。
『聖霊降臨』
すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには
天下のあらゆる国から帰って来た、 信心深いユダヤ人が住んでいたが、
この物音に大勢の人が集まって来た。
そして、 だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
人々は驚き怪しんで言った。
「話をしているこの人たちは、 皆ガリラヤの人ではないか。
どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、
また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
フリギァ、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。
また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、
ユダヤ教への改宗者もおり、
クレタ、アラビアから来た者もいるのに、
彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」』
使徒言行録 2章1-11節
聖霊降臨により、 マリア様はじめ弟子たちに、 『聖霊』、 が注がれました。
この日から、 信じる者の共同体:教会、 が生まれたのです。
イエス様は、ご自分の亡き後、弟子たちに、
『宣教』:『福音の知らせ』 の 『使命』 を与えました。
でも。 弟子たちは、 それをすぐに、まして自分の力で、 できるはずはありません。
次に。 イエス様は、 弟子たちの導き手である『聖霊』、 を与えられたのです。
『聖霊』は、 共同体の一人一人に働きかけ、 力を与え、
共同体を一致させ、 成長させるのです。
弟子たちの共同体は、 聖霊に導かれ、 『新しい道』 を歩み始めたのです。
弟子たちの共同体は、 聖霊の導くままに、 『イエスの福音』 を告げ知らせていくのです。
私たちも、 聖霊に導かれ、聖霊の導くままに、 『新しい道』 を歩み続けましょう。
『今日の祈願』
『すべての人の父である神よ、
今日祝う聖霊降臨の神秘によって、
あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
聖霊を世界にあまねく注いでください。
教会の誕生によって行われた宣教の働きが、
今も信じる民を通して続けられ、豊かな実りをもたらしますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から6月です。多くの小学校は、コロナ災禍による休校を終え、学校再開になるようです。
事実上の 『入学式』、『新学期』ですね。
子どもたちの健康が守られ、楽しい学校生活が続けられますようにと、お祈りいたしましょう。
私も、6月、4ヶ月ぶり、いよいよ動き出しましょうか!
皆様の6月も楽しい月でありますように。 お元気で!