鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

だれが中村勘三郎亡き後の穴を埋めてくれるのか

2013-01-06 | Weblog
 5日は東京・銀座の新橋演舞場へ新春恒例の初春大歌舞伎の観賞に出かけた。いつものように銀座三越で、お弁当とケーキを買いこんで、繰り出した。お正月らしく着物で着飾った女性の姿もちらほら見られ、華やかな雰囲気のなか、まずお正月らしい「寿式三番叟」から始まった。能楽の「翁」を題材とし、天下泰平、五穀豊穣、国土安穏を祈った舞踊で、翁と千歳が厳かに舞ったあとを三番叟鈴を手にして軽妙洒脱な踊りを披露する。最初の演目のせいか、ピンと張りつめた空気があり、演者の表情がどことなく緊張したものに見えた。
 続いて、「菅原伝授手習鑑ー車引」坂東三津五郎と中村七之助の演じる梅王丸と桜丸が互いの主人を追い落とした藤原時平を襲おうとするところへ兄の中村橋之助演じる松王丸が止めに入る。いずれも顔を歌舞伎特有の隈取りで武者風にしているため、だれがだれだかわかりにくいところがあるが、荒武者が入れ替わり立ち替わり口上を述べて、正月らしい華やかな雰囲気を出していた。ただ、戦いを挑んだ場面で幕となったのは中途半端な感じがした。
 午後からの「戻橋」は京都一条戻橋を渡った松本幸四郎演じる渡辺綱が中村福助演じる小百合を見かけ、五条まで送ることになるが、水面に写った女の影を見て怪しむ。会場内を2人で手に手を取り、一周したのには驚いたが、踊りを所望して小百合が演じた後に女の正体を見破った渡辺綱は女に切りかかり、片腕を切り落としてしまう。北野神社の大屋根の上に乗った女は鬼として素性をあからさまにして、天空へと舞い上がっていく。中村福助が鬼と化する女性を演じて、空に飛翔すしていくところまで演じているのが面白かった。
 最後は「傾城反魂香」で、中村吉右衛門演じる絵師の又平が師匠の土佐将監のもとを妻とともに訪れ、土佐の名字を名乗ることをお願いするが、功績がないことを理由に許されず、悲観した又平は死を決意する。その最後にあたって、石に自画像を書き記すと、石に記した自画像が背面に浮かび出る奇跡が起きる。それを見た師匠は土佐の名字を名乗ることを許し、欣喜正雀した又平は師匠からもらった衣装を着けて屋敷をあとにする。日ごろ鬼平犯科帳で厳しい鬼平を見慣れた目にコミカルな吉右衛門には違和感があるが、これも吉右衛門の骨頂といえるものなのだろう。
 勘三郎が亡くなってさびしくなった歌舞伎界、さて一体だれが勘三郎の穴を埋めてくれるのか、と見渡すと幸四郎、吉右衛門兄弟くらいしかいない感がある。しかし、ご両人とも勘三郎より年上で後継者といった感じはない。坂東三津五郎は芸的には匹敵するかもしれないが、いわゆる花といったものが感じられない。それより若手でこれはという役者はまず見当たらない。今回の初春大歌舞伎の夜の部の仮名手本忠臣蔵の大石由良之助は当初市川団十郎が演じる予定だったのが、本人の体調不良で、急遽幸四郎に変更になった、という。この初春大歌舞伎を観ようと思った最大の関心はこのあたりにあった、と言っていいだろう。少なくともこの初春大歌舞伎を見る限り、勘三郎の代役は幸四郎、吉右衛門兄弟しかいない、との感を深く持つことだろう。ということは歌舞伎界の危機が来ている、ということになるのかもしれない。

 閑話休題 この日の会場で尾上菊五郎が出演していないのに奥さんの富司純子が観劇に来ていたのを見かけた。テレビで見るより、細くて小さく見えたのは芸能人を見かけた際によくある同じ感想であった。終演後、正面に待っていた外車に乗って颯爽と立ち去っていった。
 
コメント (1)
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