鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

早くも城を明け渡した東国原宮崎県知事

2007-02-05 | Weblog
 テレビのワイドショー番組では相変わらずの人気を誇っている東国原英夫宮崎県知事が知事選で闘った相手の持永哲志氏に副知事就任を要請していた事実が明らかとなり、折角反自民・公明の流れが出来ていたムードに水をさした形となった。4日に投開票が行われた愛知県知事選挙も野党系の推す候補があと一歩のところで敗れ去った。柳沢伯夫厚労大臣の「女性機械発言」で与党を崖っぷちまで追い詰めたのに、そのまんま東知事の浅慮な動きでやはり自民党・与党でないといけないのか、と選挙民に思わせてしまった。盛り上がった反自民・公明の改革路線に修正をさせてしまった東国原知事の責は重い。
 就任早々、鳥インフルエンザに見舞われながら、東京・大手町の読売本社を訪問し、巨人軍の宮崎キャンプ存続を要請し、原辰徳監督や星野仙一全日本監督が表敬訪問に訪れる一方で、母校の高校、都城泉ケ丘高校が推薦枠で春の甲子園出場に決まるなど運もついて回っている東国原英夫が、先週、こともあろうに知事選で闘った持永哲志氏に副吉事就任を要請していたことが明らかになった。就任早々、低姿勢で県の議会、役人に接し、知事公務をこなしていくのは大変だろうな、と同情を買っていたが、こともあろうに自民・公明の推薦した人に助っ人を頼んでいた、とはだれも考えもしなかっただけに驚くとともにあきれ果てた。テレビで宮崎市民がインタビューに「自民党でないから投票したのに、これでは考え直さないと‥‥」と答えていた。
 たった1人で県庁に乗り込んでいき、お手並み拝見と待ち受ける県庁で孤軍奮闘するのは至難の業である。普通は腹心の部下なり、仲間を周りに配置して切り盛りしていくのだろうが、東国原氏はいままでそうした形で人と付き合ってこなかったのだろうから、仲間や部下を作りながら走っていくしかないだろう、と見ていた。
 それが、就任2週間もしないうちにライバルの自民党筋からの応援を頼むなんて、ここ一連の流れからしておよそ考えられないことだった。東国原氏はそうしたことについて相談できる人が全くいなかったのだろうか。そうした人がいなかった、としたら、もう知事の重責は果たせないだろう。そもそも知事などという仕事を全く1人でできる、とでも思っていたのだろうか。持永氏に副知事就任したということは、お城を明け渡した、というか白旗を掲げたようなものである。本人は3期知事をやる、と言っているようだが、もう1期すら危い。途中で追い出されるようなことにでもなりかねない。
東国原知事の犯した罪は自身の失脚につながることだけではない。政党不信、特に自民・公明の与党に任しておいたのでは腐敗する、ここは民の力による改革を行うという地方自治本来の動きが芽生え始めたのに、水をさすことになりかねないからだ。副知事に自民党の候補者をもってくる、ということはやっぱり素人では知事はダメだ、という思いになってしまう。しかもまだ就任2週間もしないうちに素人の限界を見せつけたようなものだ。
 すでに受ける意向の持永氏は経済産業省の役人で、元宮崎県選出の衆院議員を父に持ち、今回自民・公明の推薦を受けて立候補したが、与党陣営の戦略ミスで敗退した。2人か3人いる副知事の1人になるのだが、もともと行政手腕は東国原知事よりずっと上だし、県庁の役人もすぐに持永副知事の方を見て仕事をするだろうし、いずれ、地方行政に素人の東国原知事より中央にも顔の効く持永氏が県政を牛耳ることになるのは火を見るより明らかである。
 そのまんま東氏は名前の通り、そのまんま、というより「それだけ」の人であったようだ。少しは買っていただけにがっかりである。

追記 9日になって、東国原知事が持永氏の副知事起用を断念した、との報道がされた。余りにも県民の反発が強いからだ、というが、当然の結果だろう。事実なら、東国原知事も土俵際で思い留まったわけで多少の軌道修正力はある、ということで、今回のことを反省して今後改革へ向けての手腕に期待したいところだ。 
コメント
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