8日夕、NHKテレビを見ていたら、音が鳴り、画面に「山中教授にノーベル医学生理学賞」とのテロップが流れた。予想されていたとはいえ、その通り実際に受賞したのは本人が一番だろうが非常に喜ばしいことである。ここ1年半、東日本大震災と政局の混迷に輪をかけるような日中間のゴタゴタ続きで日本全体に暗いムードが漂っていたのが一挙に吹き飛んだ感じである。山中教授の「家族はじめこれまで協力してくれた周囲の方々に感謝したい。今後とも研究に邁進したい」との言も爽やかで、好印象をい与えた。
これまでノーベル賞は世間から遠ざかっていて、はるか昔の研究業績に対して与えられることが多く、本人もびっくりといった感じが多かったのに引き換え、今回の山中伸弥京大教授の場合は2006年にiPS細胞を作成したばかりで、前人未踏の業績に対し賛辞はやまず、ノーベル医学生理学賞受賞の筆頭候補に挙げられていたので、予想通り受賞したことになる。現役の研究者が受賞するということはそれだけ身近な思いがして、ノーベル賞がより親しみを覚えたものに思えてくる。これまで昔の研究成果に対し授与されていたのはノーベル賞選考委員会がこっそり作業を進めていたのがインターネットの普及で選考の過程が明るみに出るようになったのか、わからないが、いずれにしろ山中教授の業績がそれだけ大きなものだったことだけは確かなことだろう。
山中教授は現在50歳と従来の受賞者に比べ若く、まだ研究途上の年齢で、受賞したことで医療現場での応用研究に一層力を入れたいと、記者会見の場で「来週からでも研究に入りたい」述べていたのも印象的だった。NHKニュースでは山中教授が学生時代は柔道とラグビーに熱中していて、あまりにも骨折し、医者の世話になったことから医学の道を志すようになった、と紹介していた。ただ、医者としては普通の医者が5分ですることを20分もかかる状態で、臨床の世界をあきらめ、研究者になったそうで、必ずしも平坦な道を歩んできたわけでもない、と紹介していた。
医学研究者としては目標を高く持ち、常に挑戦をし続けてきたようだ。今回一緒に受賞した英国ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士は山中教授が生まれた1962年にカエルを使ってiPS細胞を発見した人で、山中教授はその研究を引き継ぎ、マウスを使ってiPS細胞を作成した。人間の細胞は60兆から120兆あるが、4つの遺伝子を組み込むことで細胞の初期化を図り、再生医療や難病研究への道を開いた。今後網膜の黄斑やパーキンソン病などの研究をし、10~20年かけて実用化になる見込み、という。
山中教授はNHKのインタビューに答えて「なんでもいいから夢中になれたのはよかった」と語っていたが、いつか高校生を前に「9つの失敗が1つの成功を呼んだ」と語っていたのも人柄を伝えていて面白かった。
山中教授のノーベル賞受賞は多くの人に勇気と希望を与えた。日本人のなかに先端的な分野で世界のトップに立っている人がいるのだ、ということを実証してくれたことがどれだけ人々を元気づけてくれることか、計り知れないものがある。
これまでノーベル賞は世間から遠ざかっていて、はるか昔の研究業績に対して与えられることが多く、本人もびっくりといった感じが多かったのに引き換え、今回の山中伸弥京大教授の場合は2006年にiPS細胞を作成したばかりで、前人未踏の業績に対し賛辞はやまず、ノーベル医学生理学賞受賞の筆頭候補に挙げられていたので、予想通り受賞したことになる。現役の研究者が受賞するということはそれだけ身近な思いがして、ノーベル賞がより親しみを覚えたものに思えてくる。これまで昔の研究成果に対し授与されていたのはノーベル賞選考委員会がこっそり作業を進めていたのがインターネットの普及で選考の過程が明るみに出るようになったのか、わからないが、いずれにしろ山中教授の業績がそれだけ大きなものだったことだけは確かなことだろう。
山中教授は現在50歳と従来の受賞者に比べ若く、まだ研究途上の年齢で、受賞したことで医療現場での応用研究に一層力を入れたいと、記者会見の場で「来週からでも研究に入りたい」述べていたのも印象的だった。NHKニュースでは山中教授が学生時代は柔道とラグビーに熱中していて、あまりにも骨折し、医者の世話になったことから医学の道を志すようになった、と紹介していた。ただ、医者としては普通の医者が5分ですることを20分もかかる状態で、臨床の世界をあきらめ、研究者になったそうで、必ずしも平坦な道を歩んできたわけでもない、と紹介していた。
医学研究者としては目標を高く持ち、常に挑戦をし続けてきたようだ。今回一緒に受賞した英国ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士は山中教授が生まれた1962年にカエルを使ってiPS細胞を発見した人で、山中教授はその研究を引き継ぎ、マウスを使ってiPS細胞を作成した。人間の細胞は60兆から120兆あるが、4つの遺伝子を組み込むことで細胞の初期化を図り、再生医療や難病研究への道を開いた。今後網膜の黄斑やパーキンソン病などの研究をし、10~20年かけて実用化になる見込み、という。
山中教授はNHKのインタビューに答えて「なんでもいいから夢中になれたのはよかった」と語っていたが、いつか高校生を前に「9つの失敗が1つの成功を呼んだ」と語っていたのも人柄を伝えていて面白かった。
山中教授のノーベル賞受賞は多くの人に勇気と希望を与えた。日本人のなかに先端的な分野で世界のトップに立っている人がいるのだ、ということを実証してくれたことがどれだけ人々を元気づけてくれることか、計り知れないものがある。