鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

面白いうえ、生きる勇気を与えてくれた宮本輝の「水のかたち」

2012-10-19 | Weblog
 宮本輝の最新作「水のかたち」を読んだ。女性誌の連載されたものを刊行したもので、主人公の50歳の女性が近所の喫茶店の片隅にあった文机をもらったことから物語は意外な展開を見せていく。世の中にこんなことがあるのか、というストーリーの連続で、一気に読み進んでしまった。宮本輝は贔屓にしている作家の一人で、生きていることが素晴らしい、と思わせてくれる作家である。発売される小説は大概読んでいるが、こんなに手に汗握る展開で、胸をわくわくさせながら読んだのは初めてのことである。小説というのはすべからくこうでなくてはと思わせる、筆者としても一皮むけた新境地の作品ではないか、と思った。
 「水のかたち」は東京の下町に住む主人公の主婦、志乃子は近くの喫茶店に置いてある年代物の文机が気になって仕方がない。たまたま、買い物に出た折りにそこの女主人が持ち運ぶ野菜の運搬を手伝ったことから、そのままお店に入り、喫茶店が畳まれることを聞き、文机をもらうことになったことから物語は始まる。ついでに2階の物入れからどれでも好きなものを持っていっていい、といわれ鼠志野の茶碗と朝鮮の手文庫をもらってくる。その鼠志野が大変な掘り出し物であることが判明し、その鑑定、補修、販売からめまぐるしく展開していく。さらに朝鮮の手文庫のなかから出てきた子供用のリュックサックと手記が終戦痔に朝鮮から引き揚げてきた際の生々しい記録であることがわかってくる。
 これに志乃子の家族である夫、子供3人、骨董品の通である叔父さん、それに叔父さんの紹介でコンサルタントの会社社長、京都の美術工芸品補修業者、さらには同じ建物に住む不動産屋とその店員、大学時代の同窓生のジャズシンガーらがからんでストーリーは次から次へと思わぬ展開となっていく。鼠志野は3000万円もの値段で売れ、手文庫の中の手記は朝鮮から同胞150人とともに命からがら脱出してきた男のもので、その時に救われた女性の子息が恩人の家族を探し当て、志乃子は一緒に神戸まで同行する。その過程で、京都に立ち寄り、味のある喫茶店経営者と馴染みとなる。
 そうこうしているうちに鼠志野を売ってくれた会社社長から東京・神田で喫茶店の経営をしないか、と打診され、骨董を並べて美味しいコーヒーを淹れる喫茶店の店主におさまるところで物語は終わるが、こんな人生があるものか、と思いながら、楽しく読んだ。
 朝鮮から帰還する話は宮本輝以外にもだれかが書いていたような気がするが、筆者があとがきで書いていたように実際にあった話である、という。さらに筆者は「このところ、身の回りで善き人たちのつながりによって生じたとしか思えない幸福や幸運の連鎖が起きた」ことから小説にすることを思い立った、としている。1人の人の身にそんなことが起きることは考えられないが、複数の人の身の周りにはありうることかもしれない。いずれにしろ、久しぶりにこんな面白いうえ、生きる勇気を与えてくれる作品にめぐりあったものだ、と感謝したいくらいだ。
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