とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022奈良・山の辺の道ウォーク:2日目前半

2022-03-30 17:53:02 | ウォーキング
2日目の朝、天理駅近くの宿を出発する。


2日目は、天理駅からJRに乗って桜井駅で下車する。


山の辺の道・南コースは、天理から桜井へ向かってもよいのだが、三輪山への入山が午前中に受付しなければいけないと言うこともあって、桜井駅から歩く事にしたのだ。


また、桜井駅からの方が案内板もしっかり整備されており、歩く人も多いようだ。


大和川の堰堤は、桜が咲き出し、ちょうどいい時期になった。


桜井市金屋付近は、日本書紀によると、海柘榴市(つばいち)というわが国最古の市が開かれた場所だという。また、影媛の非愛の伝説や恋の歌をかけ合う歌垣(うたがき:歌の交換場所)の舞台としても知られ、欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、それをもって日本に仏教が伝来したとされ、「仏教伝来地」の顕彰碑も建てられている。それにしても“海柘榴”を“つば”と読むとは知らなかった。


歴史的建造物の建ち並ぶ通りを進む。


国の重要文化財の「金屋の石仏」。建屋の中に2体の石仏が安置されている。ともに凝灰岩製の石板に浮彫(レリーフ)されたもので、向かって右が釈迦如来像、左が弥勒菩薩像といわれている。


竹林の中の道を進む。


平等寺の赤い山門が見え、中に立ち寄っていく。


平等寺は、聖徳太子が世の中の平和安寧を念じ、三輪明神に祈願して、賦後十一面観音を彫んで寺を建立したといわれている。


明治の廃仏毀釈令により一時崩壊したが、昭和52年3月に復興した。関ヶ原の戦いに破れた島津義弘が、一時この寺でかくまわれていたとも伝えられている。


平等寺山門前で記念撮影。


大神(おおみわ)神社に到着する。大神神社は、日本最古の神社といわれている。ご神体は三輪山そのもので、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝みます。三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山。「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地だ。ご神体の三輪山は、古くから一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていない。


大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖な山とされ、禁足の山として入山が厳しく制限されていたが、近代になって特別に入山を許可することとなり現在に至っている。そんな特別の山なら是非登ってみたいと思い、受付のある狭井(さい)神社までやってきたのだが、残念なことに、新型コロナウイルス感染症の蔓延状況を鑑み、「当分の間」三輪山登拝の受付を中止するという事になっていた。ガッカリしつつ、神聖な山の入り口だけ見て引き返した。


狭井神社には、薬井戸の水「狭井の御神水」があり、諸病に効くとされ、持ち帰りもできる。美味しい水を一口飲んでいく。


大神神社の境内に位置する「大美和の杜展望台」に登ってみる。展望台から桜越に三輪山を望む。


山の辺の道の途中に立派な桜が有り、ここでも記念撮影。




桧原神社に到着する。桧原神社は「元伊勢」と言われている。「元伊勢」とは、現在三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮が、現在地へ遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ神社を言う。


本殿はなく、三輪山を御神体とし、三ツ鳥居が玉垣内にある。皇居に祭っていた天照大神の神霊を、崇神天皇が豊鍬入姫命に託して祭ったと言われる。


纒向日代宮伝承地(穴師)。景行天皇は、第11代垂仁天皇の第二皇子で熊襲(くまそ)征討と息子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣し蝦夷(えぞ)を平定した事で知られる。ヤマト政権誕生の地だ。


穴師(あなし)の地に鎮座する「相撲神社」は相撲発祥の地だ。日本書紀によると、「相撲」がはじめて登場するのは、垂仁天皇の時代。出雲国出身の野見宿禰と大和国出身の當麻蹶速とが垂仁天皇の前で取り組みをおこなったのがはじまりと言われている。


相撲神社には、お相撲さんのオブジェも設置されている。


相撲神社から坂を下っていくと、前方には奈良盆地が一望だ。いにしえ人も見た景色だろうと思うと、万感迫るものがある。


「2022奈良・山の辺の道ウォーク:2日目後半」に続く。

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