とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

高野山への道「2日目」後半

2015-05-22 06:50:54 | お遍路
13:29。大門から、いよいよ壇上伽藍へと向かう。壇場とは曼荼羅の道場の意味で、小高い場所に位置することから「壇上伽藍」と呼ばれる。高野山の中核となる場所だ。そして、この中門は、昨年172年ぶりに再建されたばかりだという。


中門から入っていくと正面に見えるのが、金堂だ。一気に増えた観光客の波に乗って、中に入っていく。


この日は午後2時から、比叡山延暦寺の大法会があるというので、そのまま金堂の中で待つ。ちょうど、秘仏である本尊の薬師如来像が特別開帳されていた。残念ながら、写真は厳禁だ。


大法会が、なかなか終わりそうもないので、そおっと中から抜け出し先を急ぐ。金堂の隣にあるのが根本大塔だ。さすがに、高野山のシンボルとも言っていい立派な塔だ。数日前まで、根本大塔を使って3Dプロジェクションマッピングが行われていたそうで、それを見ることが出来なくて残念だった。


14:55。根本大塔のすぐ近くに1町石があった。この先が、金剛峯寺だ。


15:00。総本山金剛峯寺に到着する。


主殿に参拝し、御朱印と墨書を貰う。


そのまま、内部を拝観することにした。ほとんど撮影禁止の場所ばかりだったが、華道高野山と高野杉だけは、撮影を許された。




蟠龍庭(ばんりゅうてい)。2,340平方メートルの石庭は、国内では最大だという。この石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているそうだ。




15:35。金剛峯寺を出て、この日に泊まる宿坊に寄る。荷物を置いて、奥の院まで行こうと思ったが、今からだと往復2時間半くらいかかると言われ、夕食の時間に間に合わなくなりそうなので、奥の院に行くのはやめる。

16:15。そのまま、宿坊にいるのはもったいないので、別方向にある女人堂まで歩いていく。その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口と呼ばれていた。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていたようだ。この女人堂は唯一現存する建物だという。




女人禁制が説かれるまで、女性はこの先には入っていけなかったのだ。


16:25。女人堂からの帰り道にある徳川家零台にも寄る。1643年(寛永20年)に徳川3代将軍・家光によって建てられた霊舎で、向かって右側が初代将軍・家康、左側が二代将軍・秀忠が祀られている。こちらが家康の霊舎。




こちらが秀忠の霊舎だ。決して大きい建物ではないが、細かな彩色や彫刻が施され、金の飾り金具が使われるなど豪華な造りになっている。




16:50。宿坊に戻り、明日の奥の院行きの計画を練る。
この日の歩行距離:約26キロ。

高野山への道「3日目」に続く。

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2 コメント

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歩く (kazukawa)
2015-05-22 08:32:25
昨年秋に女房のお供で高野山に行ったときは朝早く少し歩きましたが観光なので通り一遍
で過ぎてしまったようです。
とっちーさんのブログで知らない所が随分UPされていてやっぱり自分の計画で自分の足で、目で、耳で、鼻で、肌で感じなければと思いました。
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kazukawaさんへ (とっちー)
2015-05-24 18:56:16
そういえば、以前奥様と一緒に高野山へ行くと言ってましたね。
北海道JMの時は、お遍路で予習する時間がなく、皆さんの行く所に付いていった感じでしたが、一人で行くとなるといろいろ調べなければなりません。
自分で計画することで、その場所の記憶が強く焼き付けられる事は間違いありませんね。
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