とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

海老名歴史散歩

2017-03-13 23:16:25 | 観光
海老名に住んでいるラン友のHさんから家に泊めてくれるという話を聞き、図々しくも翌日の横浜いいとこマラニックへの参加を兼ねて前日からお邪魔することになった。

当日は、話に乗った他のラン友と一緒に海老名駅まで行くとHさんが迎えに来てくれていた。ちょうどお昼前だったので、地元では有名なお蕎麦屋さん「国分寺そば」に立ち寄る。人気店らしく、店の前では席が空くのを待っているお客が何人も付いていた。我々も15分ほど待たされたが、なんとか席に着き、天ぷらが美味しいという噂から天丼や天せいろなどを注文する。




お昼を済ませ、お腹が膨れたところで腹ごなしに歩こうということで、海老名の古墳巡りに行くことになった。海老名市の北東には、「秋葉山古墳群」という国指定史跡がある。この古墳群は、弥生時代~古墳時代にかけて築造された点にあり東日本でも群を抜く資料価値がある史跡だという。


古墳は、1号~5号まであり、それぞれ築造された年代が少しずつ違うという。つまり形が方形であったり円形であったり、出土品の内容からそれぞれの年代が推定されてようだ。しかも、それらがまとまって古墳群という形で揃っているのが珍しい。


古墳群周辺は宅地化されているが、古墳が点在しているところは、木々が多く自然環境に恵まれた場所だ。また、秋は紅葉、春は桜などの名所でもあり、歴史と自然が調和したところともいえる。


秋葉山古墳群を出て、細い道を下っていくと「かいな坂」と呼ばれる坂があった。その名前の謂れは、護王姫の伝説の中で、この坂辺りで追討軍に追いつかれ、護王姫の護衛兵は全員討ち死、護王姫の生んだ子供も追討兵に殺されてしまう。護王姫も子供も守れなかった「不甲斐ない」家臣達がこの坂で討ち死にしたことから「不甲斐ない坂」となり、「かいな坂」と転化したといわれているそうだ。


最初に寄った蕎麦屋の近くまで戻ると、相模国分寺跡の大きな空き地に出る。


史跡相模国分寺跡は、海老名駅の東側約500mの台地上にあり、跡地は歴史公園として整備され市民や来訪者の憩いの場となっている。後方には、七重塔の基壇が復原されているのが見える。歩き疲れたので、少し広場で休憩する。


基壇前には、七重塔の想定復元図が描かれていた。復原されれば、海老名市のシンボルになるのは間違いないだろう。ただ、復原には数百億円もの費用がかかるとされ、復原するのはほとんど無理らしい。


相模国分寺跡のすぐ近くには、海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」がある。大正時代に海老名村役場庁舎として建てられた建物を、元あった場所から移築改修して、郷土資料館としたものだ。


室内には、国分寺を復原した模型があり、当時の様子をうかがい知ることができる。海老名駅前には、相模国分寺の七重塔が、3分の1の大きさで復原されているというが、駅前にあるのは気付かなかった。


そして、最後に行ったのが瓢箪(ひさご)塚古墳だ。4世紀末~5世紀初頭築造で、全長約75m、海老名市内最大の前方後円墳だ。


地元では「ひょうたん山」と呼ばれ親しまれ、春になるとお花見スポットとして多くの人が訪れる場所らしい。


古墳の頂部に登ると木々の間から、海老名駅周辺の市街地と大山を中心とした山並みが楽しめ、周囲をぐるりと展望できる。


その後、海老名SAに裏から入り、買い物などしてHさん宅まで歩いて帰る。夕食前の腹ごなしにしては、十分すぎるほどの運動量になった。

夕食は、洒落た小皿に盛り付けられた多くのおかずや寿司、しゃぶしゃぶ等をいただき、海老名の夜を満喫した。Hさん、お世話になりました。


そして、翌日は横浜に向かい、「横浜いいとこマラニック」を走る予定だ。