今日は、高橋尚子杯ぎふ清流マラソン(ハーフ)を走ってきた。天気は晴だが、気温もかなり上昇し暑い一日だった。走るほうは、バンクーバーマラソン以来久しぶりである。
実は、バンクーバーマラソンから帰ってきてから数日後にインフルエンザを発症して、数日高熱のため寝込んでしまっていた。インフルエンザになるなんて小学生の時罹ったかもしれないが、ここ何十年も罹った記憶がないので記念すべきことだったかもしれない。おかげで、体力がなくなってしまいランニングもまったくできていなかった。ほとんどぶっつけ本番の参加だった。
この大会は、高橋尚子さんを大会委員長として開催された第1回の大会だ。スタート会場となる岐阜メモリアルセンターの入口前には、彼女がシドニーオリンピックで金メダルをとったことを記念して作成された銅像が飾られている。
さて、岐阜メモリアルセンターのスタジアムには大勢のランナーがスタートを待つため集まり始めていた。ハーフだけでほぼ1万人くらいが参加したそうだ。
私も、スタート時間ギリギリでスタートを待つ列に入る。会場からスタートラインを通過するまでには4分ほどかかる。
3キロくらいで、先頭集団の黒人選手たちとすれ違う。さすがにスピードが桁違いに速い。そのあと、日本人選手たちの集団が駈けて行った。
我々一般ランナーは、岐阜市の繁華街の景色を見ながらゆっくりと進んだ。
JR岐阜駅前を折り返す。
金華橋を過ぎ、長良川沿いに進む。右手に見える山は金華山だ。山頂には岐阜城が見える。
ずっと長良川沿いの道を走る。
古い建物が並ぶ街中もしばらく走る。
木陰の道は、爽やかな風が吹きぬけ気持ちいい。
千鳥橋を渡り、長良川の反対側の道に入る。
再び、金華山が見えてきた。
岐阜メモリアルセンターの隣にある都ホテルの大きな建物が見えてきた。あと2キロくらいだ。
マラソンゲートをくぐる。
Qちゃんが出迎えてくれていた。全員にハイタッチだ。
そして、ゴール。
まあ、きつかったハーフだった。病み上がりでほとんど練習してなく、体力がかなり落ちていたのを改めて思い知らされた、制限時間が3時間という事で充分余裕はあったが今までも一番きつかったレースだったかもしれない。最後のQちゃんの笑顔だけが唯一元気をもらえた事だった。
実は、バンクーバーマラソンから帰ってきてから数日後にインフルエンザを発症して、数日高熱のため寝込んでしまっていた。インフルエンザになるなんて小学生の時罹ったかもしれないが、ここ何十年も罹った記憶がないので記念すべきことだったかもしれない。おかげで、体力がなくなってしまいランニングもまったくできていなかった。ほとんどぶっつけ本番の参加だった。
この大会は、高橋尚子さんを大会委員長として開催された第1回の大会だ。スタート会場となる岐阜メモリアルセンターの入口前には、彼女がシドニーオリンピックで金メダルをとったことを記念して作成された銅像が飾られている。
さて、岐阜メモリアルセンターのスタジアムには大勢のランナーがスタートを待つため集まり始めていた。ハーフだけでほぼ1万人くらいが参加したそうだ。
私も、スタート時間ギリギリでスタートを待つ列に入る。会場からスタートラインを通過するまでには4分ほどかかる。
3キロくらいで、先頭集団の黒人選手たちとすれ違う。さすがにスピードが桁違いに速い。そのあと、日本人選手たちの集団が駈けて行った。
我々一般ランナーは、岐阜市の繁華街の景色を見ながらゆっくりと進んだ。
JR岐阜駅前を折り返す。
金華橋を過ぎ、長良川沿いに進む。右手に見える山は金華山だ。山頂には岐阜城が見える。
ずっと長良川沿いの道を走る。
古い建物が並ぶ街中もしばらく走る。
木陰の道は、爽やかな風が吹きぬけ気持ちいい。
千鳥橋を渡り、長良川の反対側の道に入る。
再び、金華山が見えてきた。
岐阜メモリアルセンターの隣にある都ホテルの大きな建物が見えてきた。あと2キロくらいだ。
マラソンゲートをくぐる。
Qちゃんが出迎えてくれていた。全員にハイタッチだ。
そして、ゴール。
まあ、きつかったハーフだった。病み上がりでほとんど練習してなく、体力がかなり落ちていたのを改めて思い知らされた、制限時間が3時間という事で充分余裕はあったが今までも一番きつかったレースだったかもしれない。最後のQちゃんの笑顔だけが唯一元気をもらえた事だった。