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とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2020西表島マラソンツアー:4日目竹富島おさんぽコース

2020-02-16 21:28:32 | 観光
今回のツアー最終日だ。西表島の民宿「マリウド」さんの車で上原港まで送ってもらう。ずっと欠航だった西表島上原港⇔石垣島の定期船がやっと運行できるようになり、朝の出発に余裕ができた。


上原港から見た朝日。


上原港に貼ってあったイリオモテヤマネコの写真。世界で西表島だけに生息する希少種で、種の存続ぎりぎりの100頭ほどしかいないと言われている。今回、本物を見る機会は、全くなかったが、国の天然記念物で、絶滅危惧種に指定されている動物である。夜中に、飛び出して交通事故死にあうイリオモテヤマネコが少なくないとの事で、西表島では、ドライバーに制限速度の40km/hを守るよう注意を呼びかける運動が行われているそうだ。


午前8時発の石垣島行きの定期船に乗る。


石垣島に着くと、すぐさま竹富島行きの定期船に乗りかえて、竹富島に向かう。竹富港からは、バスで竹富観光センターの水牛車乗り場に移動。これも初めてだが、まずは、水牛車に乗ってゆっくり島内を観光だ。


水牛は何頭もいて、我々の牛車を引っ張ってくれたのは「劉」くんだった。


次から次へと、別の水牛車が付いてくる。


竹富島の家々は、琉球石灰岩の石垣、ふく木の防風林、屋根は赤瓦といった伝統的な建築様式をふまえていて、古い沖縄の集落景観をそのまま残している。


水牛車に揺られ、ガイドの案内を聴きながら景色を見ていく。


赤瓦の屋根にシーサーを置くのは、魔除けの意味合いがあるという。石垣越しに咲くブーゲンビリアの花々も南国特有の雰囲気を醸し出している。


竹富島の道は、浜から運んだ白砂が敷き詰められている。毎朝、島民が道の砂をきれいに掃いて均しているそうだ。


石垣の中に置かれたおびただしい数のレンタサイクル。シーズンにもなると、島はレンタサイクルで動き回る人で一杯になるようだ。


最後は、ガイドさんの三線の演奏と民謡を聞いて水牛車観光が終わった。


水牛車観光が終わった水牛車。


我々メンバーで、水牛の「劉」くんと記念撮影。


この後は、歩いて島内を観光する。日差しが強くなり、ガイドさんから配られた傘を被る。


水牛車では回れなかった場所も含めてのガイド付きの散歩コースだ。


ここは有名な民謡"安里屋ユンタ"のモデルとなった美女クヤマが生まれた家だ。琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマは役人に逆らい求婚を撥ね付けた。クヤマの気丈さは、八重山の反骨精神の象徴として語り継がれているという。


石敢當と呼ばれる魔よけ。市中を徘徊する魔物は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐというわけだ。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされ、悪いことが人ではなく、石に敢えて当たってくれという意味があるそうだ。


白砂が敷き詰められた道は、よく見ると真っすぐではない。緩やかにカーブがつけられている。ガイドさん曰く、台風が多い地域だけに風が真っすぐ通り抜けないよう、あえてカーブをつけ、家屋への被害を少なくなるようにしてあるそうだ。


ガイドさんの説明を聞きながら、十字路に立って道の様子を確認している様子。


世持御嶽(ユームチオン)。竹富島の集落の中央にあり、火の神、農耕の神を奉る行事が行われる御獄。10月ごろに行われる『種子取祭』は、五穀豊饒と島民の繁栄を祈願して行われる竹富島最大の行事で、この『種子取祭』の期間の内の2日間はツアー等も一切行われないそうだ。


お散歩中にも、水牛車が何度も通り抜ける。


竹富郵便局。竹富島唯一の郵便局。本土の郵便局と違い、木造でできており赤瓦の屋根とシーサー、そして昔ながらの赤いポストがある。ここで手紙を出す時に係の人に伝えると、赤瓦屋根とミンサー織の帯、星砂がデザインされた風景印を押してくれるとの事。


最後に、「あかやま展望台」というお土産屋さんの屋上に登る。以前は、「なごみの塔」という高い展望台から島の景色を見ることが出来たのだが、現在は、「なごみの塔」が老朽化のために立ち入り禁止となってしまい、かわりに「あかやま展望台」から島の東西南北を見渡すことが出来る。


赤い瓦屋根の家屋が並んでいる様子を見ると、これが竹富島の風景だというのがよくわかる。


竹富島を水牛車とお散歩で楽しんだ後、ふたたび定期船で石垣島に戻り、バス、飛行機を乗り継いで帰路に着いた。本土を出る時は、雪もちらつく寒い日だったが、南の島々に来ると、気温は一気に上がり汗ばむ気候にビックリ。日本は、南北に細長く、四季を数日間で一気に楽しんだ気分だった。

2020西表島マラソンツアー:1日目小浜島観光

2020-02-13 22:18:36 | 観光
7~10日にかけて沖縄八重山諸島の島旅に出かけてきた。一番の目的は、西表島の「竹富町やまねこマラソン」に出場する事だが、ついでに周辺の島々も観光して回ってきた。

1日目は、中部国際空港から那覇空港で乗り継いで石垣空港に向かう。石垣空港からはバスで石垣島離島ターミナルに向かう。石垣島離島ターミナルは周辺の島々に向かう船が沢山出ており八重山諸島の玄関口だ。まずは、仲間とともに小浜島への定期船に乗りこむ。


定期船の後方デッキから、石垣島離島ターミナル方向を見る。


小浜島の小浜港に到着する。結構風が強い。


小浜港のターミナルの看板には、「ちゅらさんばし 旅ぬかろい」と書かれている。「ちゅらさんばし」は、「ちゅら=美しい」とNHK朝ドラの「ちゅらさん」、そして桟橋をかけているらしい。また、「旅ぬかろい」は、旅の安全祈願を意味し「良い旅を」とのメッセージが込められているそうだ。


小浜港からは、あらかじめ予約しておいた島内観光バスに乗る。我々のメンバーで貸し切り状態だ。


まずは、車上から島の景色を見て回る。道路の両側は、ほとんどサトウキビ畑だ。


ちゅらさんのロケ地となった小浜小中学校。ドラマでは、古波蔵恵里、古波蔵恵達、上村文也が通っていた学校だ。


こちらも、ちゅらさんのロケ地となった民宿「こはぐら荘」の看板のある古波蔵家。一般の人の家屋であるため、中の見学はできない。




バスから一旦降りて、小浜島の西の浜に向かう。浜の入り口には、貝殻のアクセサリー類が何気なく置かれている。値段がつけられているが、誰も近くに人はおらず、おおらかな島だ。


砂浜に出ると、やはり風が強いが、前方には美しい海が広がっていた。


この浜と、反対側に見える西表島の間の海峡は、「ヨナラ水道」と呼ばれ、別名「マンタウェイ」とも呼ばれているそうだ。マンタは、大きな胸ビレを優雅にはばたかせて大海を泳ぐ巨大エイの事だが、この海峡でよくマンタが目撃されることから絶好のマンタスポットとなっていて、ダイビングする人たちのあこがれの海峡だ。


浜から戻り、待っていたバスに乗り込む。


海人(うみんちゅ)公園のシンボルでもあるマンタ展望台が見える。


最後に寄ったのは、西大岳(にしうふだき)展望台だ。250段ほどの階段を上っていく。


階段の途中からは、オレンジ色の可愛い屋根の建物がかたまって見える。かつて「コーラルアイランドリゾート」などと呼ばれていた「別荘村サンゴ倶楽部」だ。その向こうに見える島は「嘉弥真島」、そして更に向こうに見えるのが石垣島だ。


西大岳展望台には、「ちゅらさんの碑」があり記念撮影ができる。ここからの眺望は一際いい。


さとうきび畑の中を走り、小浜港に戻る。


小浜港からは、25分ほどで石垣島に戻る。石垣島離島ターミナルの桟橋に立っているのは、石垣島生まれでプロボクサーとして大活躍した具志堅用高の像だ。石垣島の大スターとして、今もマルチタレントとして活躍している具志堅用高の栄誉を讃える記念像である。人気の写真スポットになっており、我々もさっそく記念撮影する。




石垣島のホテルにチェックインするが、夕食がないので近くの居酒屋に向かう。居酒屋の前にも、具志堅用高の顔ハメ看板。なかなか面白い絵柄だ。


9人のメンバー全員がそろったところで、乾杯。


ホテルへの帰り道で見つけた「もーもー神社」。幸運の神様「ビリケンさん」に似た御神体「うし神様」が2体置かれ、「もーもー神社」としてお参りできるようになっている。左のうし神様は厄払いと金運、右のうし神様は縁結びに御利益があるといわれている。もともとは、焼き肉店のオーナーが設けたもので、今や石垣島の観光名所の一つだ。




それからホテルに戻る。翌朝は、西表島に渡り、「竹富町やまねこマラソン」に出場する予定だ。

「2020西表島マラソンツアー:2日目西表島やまねこマラソン」に続く。

2020指宿菜の花マラソンツアー:3日目鹿児島市内&桜島観光

2020-01-16 19:16:28 | 観光
3日目は、朝早く宿を出発して、一路鹿児島市内に向かう。鹿児島市内で、まず最初に寄ったのは城山公園だ。城山は市街地の中心部に位置する標高108mの小高い山で、遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっている。


展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望できる。


そして、山並みの上からちょこっと頭を出している円錐状の山は開聞岳だ。城山公園から開聞岳が見えるのはめったになく、いい日にくることが出来て良かった。


城山は西南戦争の最後の激戦地となったため、西郷洞窟や西郷終焉の地など、西南戦争にまつわる史跡が多く存在している。城山公園を下り、直ぐ近くにある西郷洞窟に立ち寄る。ここにも、“せごどん”の像が建っている。


洞窟内には、西南戦争始末記として資料が展示されている。


かごしま県民交流センターの駐車場に車を置き、周辺を歩いて回る。県民交流センターの敷地内にある建物は、かつて鹿児島県庁舎本館として建てられた建物の、正面玄関と階段部分だ。大正期におけるネオ・ルネサンス様式の典型で、玄関の柱は威厳のある正面をつくり上げている。現在は県政記念館として保存され、平成20年(2008年)、国の登録有形文化財となった。


ここは、鹿児島城のお堀周辺。別名「鶴丸城」と呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が、鶴が羽を広げたようであったことから。現在、御楼門(ごろうもん)の復元工事が行われていて御楼門には入ることが出来ない。今年の3月には完成予定だという。


御楼門より数百m先にあるのが、鹿児島では最も有名な西郷隆盛銅像だ。わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちしている。道路を挟んで反対側に絶好の撮影スポットがあり。西郷さんが飼っていた犬と友に撮影ができる。ちょうど観光ボランティアの人が出てきて、しっかり写真を撮ってくれた。


西郷隆盛銅像 身長5.257メートル 5.7頭身。西郷隆盛銅像は、鹿児島市出身の彫刻家安藤照により、1937年(昭和12年)に建てられたが、太平洋戦争の空襲で亡くなったため正確な寸法がわからなかったそうだ。西郷隆盛生誕180年、没後130年、西郷銅像建立70年の節目の年にあたる平成19年の4月、県立鹿児島工業高等学校の女子生徒4名が、西郷銅像の実測に挑戦し、綿密な計算作業を経て、実測結果が算出されたという。


西郷隆盛銅像からさらに数百m先にあるのが、照国神社である。主祭神は、照国大明神(島津斉彬公)だ。


照国神社で一番印象的なのが「斉鶴」という翼を広げた大きな鳥の形の木だ。鳥居と主に、斉鶴がひときわ目立つ。


敷地内には、照国文庫資料館があり、無料で観覧ができる。中は、島津斉彬や島津氏にかんする資料が展示されている。


その後、鶴丸城内に入り天璋院(篤姫)像を見てから、車に戻る。


鹿児島港からはフェリーに乗って桜島に向かう。鹿児島市内・桜島間は24時間運航のフェリーで簡単に行きかうことが出来る。乗船時間は15分ほど。あっという間に桜島が大きくなってきた。


桜島に着くと、有名な桜島大根がお土産売り場に展示されていた。試しに持ってみると、ずっしりと重い。


一つ1500円前後で売られているが、買って帰ると荷物になるのでやめておいた。


桜島港近くにあるのは、月讀神社だ。和銅年間(708〜715年)には創設されたと伝わる由緒ある神社だ。


月讀神社は、「桜島」の名前の由来とされる「コノハナサクヤヒメ」もあわせて祀られている。 大正噴火で溶岩の下に埋没したが昭和15年現在の位置に移設された。パワースポットとしても人気の高い場所である。


月讀神社の展望台より桜島を臨む。


赤水展望広場にあるのは、桜島溶岩を使ったモニュメント「叫びの肖像」だ。2004年8月21日、桜島で長渕剛のオールナイトコンサートが開催されたのを記念して、制作されたという。


長渕剛の真似をして、叫びのポーズを取って記念写真を撮る。


まさに桜島に向かって叫んでいるかのようだ。


最後は、山道をグングン上った先にある湯之平展望所に寄っていく。標高373mのこの展望所は、4合目に位置し、桜島において一般の人が入ることの出来る最高地点だ。二百名山の桜島に足を踏んだという事にしていい場所だ。


鹿児島空港に戻り、最後に霧島連山の景色を眺め、鹿児島を後にする。


当初はあまり天気予報が良くない3日間だったが、実際行ってみたら雨には全く降られず、2日目を除けば快晴だったと言ってもいい。やはり晴れ男だと自負してもいいのかなあ。

2019秋・京都一周トレイル:2日目銀閣寺~南禅寺

2019-12-06 21:51:07 | 観光
京都一周トレイルのコースから外れると、定番の京都寺社観光コースに向かう。まずは、哲学の道からすぐ近くにある銀閣寺に寄ることにした。銀閣寺と言えば、ほとんどの人が一度ならず、二度三度も行ったことがあるはずだろうが、また寄ることになってしまった。


銀閣寺境内には向月台と銀沙灘と呼ばれる砂盛りがある。この山のような砂盛りが向月台で、高さは180cmもあり月待山に上る月を観賞する為に作られたという。


向月台の周りにある砂盛りが銀沙灘だ。銀沙灘は、月の光を反射させて本堂を照らす役割があるという。向月台、銀沙灘共に「月」に関係するものであるらしい。いずれも、他の寺院では見られない風景だ。


順路に沿って、庭園の中に進んで行く。


展望所から臨む銀閣寺と銀沙灘。その先には京都市内も見える。


庭園から臨む銀閣寺。


銀閣寺を出ると、哲学の道を進む。道の名前は、明治時代に哲学者・西田幾太郎が物思いに耽りながらこの道を散策したことに由来する。


哲学の道沿いにある水路の水面には、紅葉の木々が映りきれいだ。


次に寄ったのは永観堂である。古来より「もみじの永観堂」とうたわれる京都屈指の名所だけに、拝観のために訪れる観光客の数は半端ではない。拝観券を買うにも列が連なっている。


人の流れに沿って中に入っていく。


天皇の使いが出入りしていた唐門(勅使門)の裏手に、勅使が身を清めるために踏んだと言われる盛砂がある。市松模様の美しい盛砂が目を惹く。


境内は、まさにモミジ一色で目を見張るほどの美しさだ。




庭園の中は、どこまで行っても観光客で一杯である。


池に映るモミジの風景。


のぞき窓から見ると額縁付きの絵画のような風景だ。


永観堂から南禅寺まで向かうが、いささか疲れたので、南禅寺の山門前で最後の集合写真を撮って帰路に着くことにした。


蹴上駅から京都駅に向かい、駅ビルの中で夕食を済ませて解散する。帰りがけに見た京都駅構内のクリスマスイルミネーションがきれいだった。



2019南伊豆みちくさウルトラマラソンツアー:3日目龍宮窟観光

2019-11-21 19:21:08 | 観光
3日目はゆっくりと朝食を食べてから帰ることにした。朝食を済ませ宿のご主人と一緒に記念写真を撮ってから出発する。


帰りは、いつもどこかの観光地に寄っていく。今回はマラソンコース上にあり、地名は知っていたのだが、まだ一度も寄ったことがなく気になっていた龍宮窟に寄ることにした。龍宮窟前まで行くと、駐車場には結構車が止まっており、車の誘導員の案内で駐車する。入場料は取らないが、駐車料金500円をとられた。

まずは、ハートが見えるという場所まで上がって行く。


天窓から、下を覗くと確かに大きなハートが見えていた。ハートの中には観光客の姿も見える。どこか別の場所から、そこまで行けるようだ。こんな場所があるなんて、今まで全く気付かなかったのが不覚だった。


さらに少し進むと海岸が見える場所があり、そこからは、サンドスキー場が見える。傾斜角度30度、長さ70m、幅100mの自然現象で出来た天然のサンドスキー場だという。スキー場とはいっても、実際はプラスチックのそりで滑るようだ。この日は誰も滑ってはいなかったが、近くの民宿でそりをレンタルすれば滑ることが出来るそうだ。


ぐるっと回って駐車場に出ると、別の入り口から龍宮窟に向かう。


龍宮窟は、おおきな海食洞の天井が一部崩れて、直径40~50メートルほどの天窓が開いたもので、伊豆各地にあるものの中でも最大級らしい。正面の一番上に見える手すりある場所が、最初に我々がハートを見つけた場所だ。


洞窟の壁には、海底火山から噴出した黄褐色の火山れきが美しく層をなし、天窓の底を満たす青い海水とのコントラストが神秘的な場所である。こんな素晴らしい場所があったとは思いもよらなかった。


その後は、毎回寄っているアロエセンターと干物屋に寄ってお土産を買いこんで帰路に着いた。

2019南伊豆みちくさウルトラマラソンツアー:1日目

2019-11-18 21:31:23 | 観光
第1回から参加している南伊豆みちくさウルトラマラソン、今年も参加することになり既に6回目だ。今回もラン友に呼び掛けたところ全部で10名のランナーが集まった。各自の都合で、4台の車に分かれて各地から現地集合となった。私は、5人のメンバーで南伊豆に向かった。

もう何回も南伊豆に行っているので、大体の観光地は寄っていたが、まだ行ったことのない場所に行こうと下田海中水族館に向かった。


水族館の窓口に行って入館料を見ると、結構高く、時間も午後3時近くになっていたので、ショーも終わってしまい、十分楽しめそうもないので、そのまま引き返す。見たのは、入り口の水槽で泳いでいたウミガメだけだった。


結局、マラソンの受付を先に済ませ、宿に向かう。いつもより宿に早めに着いたので、近くの弓ヶ浜まで散歩に行くことにした。弓ヶ浜は、弓のように美しい円弧を描いたような浜だ。


翌日のマラソン当日も、この弓ヶ浜前を通過する予定だ。


弓ヶ浜から、さらに先まで行き、タライ岬の入り口まで歩いていく。この辺りもマラソンのコースだ。


タライ岬の浜からは美しい夕焼けが見えた。翌日の天気も良さそうだ。


「2019南伊豆みちくさウルトラマラソンツアー:2日目マラソン前半」に続く。

2019岡山マラソンツアー:1日目後楽園&岡山城

2019-11-11 21:13:31 | 観光
先週末は、岡山マラソンに行ってきた。全国のマラソン大会を制覇したいという野望を掲げ、このところ初めての大会にいろいろ行っており、今回は岡山までやってきた。今は新幹線で行けば3時間もかからずに行けるので、結構近い。

まずは、山陽新幹線岡山駅を降りる。岡山駅前は、桃太郎伝説の県だけあって、犬、猿、キジを従えた桃太郎の像が駅前に建っている。


お昼前には岡山についてしまったので、少し観光をしておこうと後楽園に向かう。駅からは1.7キロほどなので歩いていく。


入園して中に入ると、ちょうど観光ボランティアの人がいて、園内を無料で案内してくれるというので、説明を聞きながら見学していくことにした。岡山・後楽園は、江戸時代初期の岡山藩2代藩主・池田綱政が、1687年から作らせた元禄文化を代表する大名庭園であり、国の特別名勝に指定されている。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは三ツ星に認定されているそうだ。岡山城の背後にあることから「御後園」または「後園」と呼ばれていて、広さは東京ドームの約3倍もあり、水戸の偕楽園、金沢城の兼六園とともに日本三名園とされる大名庭園だ。


鶴鳴館。江戸時代から伝わっていた建物は戦災で焼失し、その後昭和24年、山口県岩国市の吉川邸を移築したもので、武家屋敷のたたずまい伝える建物。この日はお茶会が行われていたようで、着物を着た女性が多く見られた。


当初の園内は綱政が田園風景を好んでいたため、田んぼや畑が多く配置されていたが、1771年(明和8年)に藩が財政難に見舞われ、藩主・池田治政が経費節減のために芝生を植えさせ、次第に現在のような広大な芝生の景観に変化していったそうだ。


池田綱政が、家臣津田永忠に命じて後楽園の築庭に着手し、後楽園の要の建物として第一番に建てられたのがこの延養亭だ。完成後は藩主の静養や賓客の接待、藩校の儒学者の講義場として使われたという。奥には能舞台もある。


花華の池に立っている巨石の「大立石」。いったいどうやって運んできたのかと思わせる巨石であるが、実は巨大な花崗岩を100個ほどに割り、再び組み上げたものだという。


茂松庵。秋は紅葉、鳥のさえずり、老松に囲まれ、落ちついた佇まいは茶会には好適な場所といえる。


廉池軒。園内に点在する亭舎の中で、池田綱政がもっとも好んで利用していたといわれている。廉池軒からの眺望は水の景色に優れている。


唯心山(ゆいしんざん)と呼ばれる築山から眺めた後楽園の眺望。たった6mの高さの唯心山によって、平面的な庭園が見違えるほど立体的な景観へと変化している。




池には、たくさんの鯉が放たれ、優雅に泳いでいる。餌を投げ入れると、驚くほどの鯉が集まってきて水飛沫を上げている。


一通り後楽園を見学してから、旭川に架かる月見橋を渡って隣にある岡山城に向かう。


慶長2年(1597)、豊臣家五大老の一人・宇喜多秀家が築城した岡山城天守閣。三層六階の堂々たる天守閣は織田信長の安土城天主閣を模して築かれたと伝えられ、全国的にも珍しい不等辺五角形の天守台で、関ヶ原合戦以前の古式を伝えているといわれている。黒漆が塗られた壁が、太陽光に照らされると、あたかもカラスの濡れ羽に似ていることから烏城(うじょう)とも呼ばれている。


大手門をくぐり城内の敷地に入る。


立派な城だが、太平洋戦争中、空襲にあって消失してしまい、現在の天守閣は、昭和41年に外観復元されたものだ。


天守閣の一番上から後楽園と岡山の街並みを眺める。


天守閣からは、黄金に輝くシャチホコが間近で見られる。名古屋城が金のシャチホコで有名だが、こんな間近で見られるのは岡山城の天守閣だけだそうだ。


岡山城を出ると、いよいよ翌日の岡山マラソンの受付に行くことにした。再び岡山駅方向に向かって歩いていくと、面白いキャラクターの路面電車が通りかかった。歩いている途中には、何度も路面電車が通り抜けていったが、これは珍しい電車だ。後で調べてみたら、世界中で大人気の鉄道アニメ「チャギントン」のチャガー「ウィルソン」と「ブルースター」を実車化した路面電車だという事がわかった。とはいえ、「チャギントン」というアニメを見た事もないので、いまひとつピンとこないが、子供達はきっと知っているのだろう。


受付会場は、岡山駅から1.5キロほど北にあるジップアリーナ岡山である。この日は、後楽園から岡山城、ジップアリーナ岡山までと結構歩いた。受付を済ませ、Tシャツも受け取る。ことしのTシャツは青色だ。


マラソンEXPO会場であるシティライトスタジアム周辺は、いくつものテントが立ち並び賑やかだ。


FINISHをイメージしたブースで記念撮影。タイムは、夢のまた夢だ。


EXPO会場をぐるぐる回っているうちに、日が暮れ始めたので宿に帰ることにした。翌日は、マラソン本番だ。

「2019岡山マラソンツアー:2日目マラソン本番」に続く。

2019金沢マラソンツアー:3日目ひがし茶屋街散策

2019-10-31 22:05:03 | 観光
金沢のお勧め観光スポットでは、兼六園と共に1、2位を争うといえばひがし茶屋街だ。2年前は行けなかったので、今回はまず行こうと思った。ひがし茶屋街は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っている。

ナビの案内に従ってひがし茶屋街の駐車場を探していくと、狭い路地の道に入り、訳が分からなくなってしまったが、近くにいた人に教えてもらい、川沿いの観光駐車場に何とかたどり着く。観光案内所のようなところで地図を貰おうと茶屋街に入っていく。地元の人に聞くと、ひがし茶屋休憩館で貰えるという事で、中に入ると、数人の女性がぞろぞろと出てきた。いろいろ話を聞くと、女性たちは観光ボランティアガイドで、茶屋街を無料で案内してくれるという。

まずはひがし茶屋休憩館の案内からだ。この休憩館は、もともとは明治時代初期に建造された町屋で、空き家になっていた建物を江戸時代の町屋様式に改修し、2004年5月に休憩所としてオープンしたという。


二階にも部屋があるが、階段がない。狭い場所を有効に使うため、必要な時に梯子をかけて二階に上がるようになっているという。


観光ボランティアガイドは、「まいどさん」と呼ばれている。これから、ひがし茶屋街界隈を親切に案内してくれる。


京都の祇園と並び、江戸時代から明治初期に花街として栄えた茶屋建築の街並みは、一番の記念撮影スポットだ。


ご多分にもれず、このあたりでも結婚式の前撮りが行われていた。赤い着物姿の花嫁さんが艶やかだ。




ひがし茶屋街を歩いていると、建物の玄関先に奇妙なものがぶら下げられているのが目に付く。よく見るとトウモロコシだ。このトウモロコシは「門守(かどもり)」と言われる金沢の風習のひとつだという。昔からトウモロコシは「雷除け」とされていたようだが、それが「魔よけ」となり、豆(まめ=実)が多いほど「まめまめしく健康に働け」、毛(もう)が多いほど「儲けが多い」とされて 縁起物になったということだ。


建物の格子の断面は台形になっていて、外側が太く、内側が細くなっている。これは、室内により多くの光を採り入れる工夫だ。昼間は建物の中が見えづらく、反対に家の中から外は見えやすい。プライバシーを守る構造である。こんな話も、「まいどさん」から教えてもらう。


ひがし茶屋街でも特にお勧めなお店が「箔座 ひかり藏」だ。店の入口には大きく「金箔」と書かれた看板があり、「世界に誇る伝統の技を守り、中尊寺金色堂や西本願寺をはじめ国宝、重要文化財などの修復に使われる金沢伝統箔「縁付」をつくり続ける「箔座」の直営店です。」との案内がある。


店の中に入ると、金箔を張り巡らした曼荼羅が飾られていてびっくりする。


そして、一番の目玉は、店の奥にある「黄金の蔵」だ。外壁は最上級の漆喰の壁に塗り直し、箔座が開発した純金とプラチナの合金箔「純金プラチナ箔 永遠色」を一枚ずつ丁寧に置いて仕上げている。どのくらい金箔が持つのか実験するために、あえて雨ざらしで屋外に建ててあるそうだ。


内壁は、本来の壁の土に沖縄の泥藍を合わせ、網目模様の表情を持たせた壁に24Kの純金箔で日昇をイメージしたグラデーションをつくり出しているという。まさに金の輝きが凄い。


ひがし茶屋街の奥にひっそりと佇むのは「東山菅原神社」だ。学問の神様と呼ばれる菅原道真を祀り、芸妓たちの守り神、ひがし茶屋街の鎮守社として創建された。


東山菅原神社の反対側にあるのは、金沢五社のひとつである「宇多須神社」だ。


1599年(慶長4年)に、2代目藩主前田利家が金沢城の鬼門であるこの場所に鬼門鎮護の神社として建てた。江戸時代には、前田利家を祀っていたという。


折角来たので、拝殿にお参りしようと拝殿に近づくと、縁の下に怪しい人影が見える。なんでこんな場所に人がいるのか気になって近づいてみると、忍者の人形だった。神社の境内に忍者の人形が置かれているのが何故なのか調べてみたら、北陸大学の学生のアイデアで置かれたようである。同大学初の学生ベンチャー「サムライ金沢株式会社」が金沢の武家文化を発信しようと企画したものだという。この日は、一体の忍者しか見ることはできなかったが、本当は三体あるらしい。こんなことなら、もっとよく境内を見て回ればよかった。


園長寺。由来によれば三代目前田利常が卯辰山周辺に鷹狩りを行った際、小休憩所として利用したと伝えられている。その縁により利常の位牌を守り現在も安置。剣梅鉢の袈裟使用などが許されている。六角造りの一切経蔵には一切経が大切に保管されているそうだ。


一通りひがし茶屋街を回ると、まだ時間があったので、川に向こうにある主計町(かずえまち)茶屋街まで足を延ばす。浅野川沿いに昔ながらの風情ある料理屋や茶屋が立ち並び、かつては旦那衆が人目を避けて茶屋街に通ったとされる、昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」や、作家・五木寛之が命名した「あかり坂」は、趣のある風景に出会える場所だ。主計町の名称は、加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来する。




坂下には主計町事務所と記された建物がある。この建物は芸妓さんたちのお稽古場である。タイミングの良ければ、建物の2階から鼓や三味線の音色が聞こえてくるそうだ。


中の橋。藩政時代に個人が架けた橋で、渡るたびに一文を徴収したことから、「一文橋」とも呼ばれていた。主計町は、金沢市内では東山と並び重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、かつての面影を残す平屋とともに、趣ある橋の景観を楽しめる。また、作家・泉鏡花の作品「化鳥」、「照葉狂言」の舞台となったことでも知られる。


主計町茶屋街も一回りして、駐車場に戻るが、最後に金沢らしい食べ物を食べていこうと、金箔入りソフトクリームを買ってみる。金が入っているだけあって、値段も普通のソフトクリームの倍以上もする。金自体は味もなく食べても無害だ。見た目が凄いのもあるが、ソフトクリーム自体も金沢の山中で育てられた滋養たっぷりの烏骨鶏の卵を使っているので他のソフトクリームよりも一味も二味も違う美味しさだ。


金沢の二つの茶屋街を回り、十分堪能できたという事で、そのまま帰路に着く。帰りは、北陸道経由で順調に帰る。今回も、金沢をマラソンと観光で目いっぱい楽しむことが出来て、記憶に残るマラソンツアーになった。

2019金沢マラソンツアー:1日目受付

2019-10-29 18:12:06 | 観光
2017年の金沢マラソンに参加して、応援やエイド、コースの雰囲気がすごく良かったので、今年も申し込みしたら、運よく抽選に当たり、26~28日にかけて金沢まで車で行ってきた。

朝から出発したのだが、東名高速道路で事故があって渋滞に嵌り、2時間近くも時間をロスしたため金沢に着いたのは午後3時過ぎになってしまった。ホテルに車を置いて受付会場となる金沢駅まで歩いて向かう。金沢の玄関口である金沢駅は、その正面に金沢のシンボルともいえる「鼓門」が構えている。「鼓門」のモチーフとなったのは金沢で昔から盛んだった能の鼓だ。


大会受付は、金沢駅地下1階にある石川県立音楽堂交流ホールだ。本人チェックのあとゼッケンや参加Tシャツなどを貰い、スポンサーブースなどを見て回る。アシックスのブース前で、参加前の記念写真を撮る。


17:30。会場を出て、駅前に出るともう暗くなっていた。ライトアップされた「鼓門」がいい感じだ。


今回の参加記念Tシャツの前側。色は青で、なかなかデザインもよく着心地もよい。


参加記念Tシャツの背中側。


その後は、夕食を済ませてホテルに戻る。翌日の天気予報は朝から雨模様で、ゴールする頃晴れるとの事で、天気を気にしながら眠りについた。

「2019金沢マラソンツアー:2日目マラソン」に続く。

2019栗駒山ツアー:3日目平泉観光

2019-10-03 18:11:42 | 観光
8:30。ホテルを出て、すぐ隣にある毛越寺まで歩いていくことにする。平泉の世界遺産巡りの散策である。平泉には-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-として、以下の史跡で構成されている。中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山。


毛越寺に行く途中には、観自在王院跡があり、広大な庭園を見ながら歩いていく。観自在王院は、奥州藤原氏二代基衡の妻が造営した寺院の遺跡だ。大小二棟の阿弥陀堂跡の前面に舞鶴池を中心にした浄土庭園が広がり、境内の背後には金鶏山が位置している。近世までに往時の堂塔をすべて失い、庭園も荒廃して後には水田化したが、遺跡発掘調査の成果に基づいて伽藍遺構と庭園の修復・整備が行われ、今日の姿になったそうだ。


しばらく進むと毛越寺の入り口だ。まだ、朝早いので人は少ない。


入り口から少し行くと右側に、松尾芭蕉の有名な句「夏草や兵共が夢の跡」の句碑がある。左の小さい碑が松尾芭蕉の真筆だという。ただ、かすれて文字は良く見えない。




こちらは、毛越寺の一番の見どころである浄土庭園だ。浄土庭園とは仏堂と苑池とが一体として配された庭園である。日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園だという。


遣水。遣水とは、寝殿造りの庭園などで、外から水を引き入れてつくった流れだ。日本庭園の技法の一つで、平安時代の遺構としては唯一のものとして毛越寺に復元された。




毎年5月の第4日曜日には、「毛越寺曲水の宴」という行事が行われる。遣水の周りを舞台にして平安時代の宴を再現したもので、男性は狩衣、女性は袿や十二単などの衣裳を身につけ水辺に座り、遣水に盃を浮かべその流れに合わせて和歌を詠む優雅な遊びだ。


最後の本堂に寄る。毛越寺の中心となるお堂で、本尊は薬師如来。特に健康祈願・當病平癒にご利益があるそうだ。


毛越寺からホテルの方に戻り、反対方向に向かうと金鶏山登山口に着く。


登山口のすぐ脇には、源義経公妻子の墓がある。掲示板には、「源頼朝の威圧に依って藤原泰衡が高館に義経公を襲った。義経公は北の方と幼児を殺害し、自害したと伝えられる。時は平安時代の文治五年(西紀一一八九)閏四月三十日、三十一歳で最期を遂げられた。このお墓は、高館で悲しくも露と消えた妻子の墓と伝えられているが、元は千手院境内で、ここから約三百米程の西北金鶏山の山麓にあったが、ここに墓石を遷し供養を怠らない。」と記されている。


金鶏山山頂はそれほど高くないが、登山口からは7~8分かかる。急坂を喘ぎながら登っていくと草むらの中でカモシカがこちらを眺めていた。


金鶏山山頂に到着する。中尊寺と毛越寺の中間に位置する円錐型の小さな山だが、山頂には埋納した経塚(写真)があり「平泉を守るため黄金の鶏を埋めた」などの伝説があり、世界文化遺産登録では仏国土(浄土)を表す信仰の山として捉えられている。


金鶏山を下山してホテルに戻り、車を回収して中尊寺に向かう。参道(月見坂)はのっけから急坂だ。


月見坂を登る途中の中程右手に東物見台が見えて来る。その反対がわに小さなお堂があり、それが弁慶の木造が祀られている弁慶堂だ。


中尊寺と言ったら金色堂である。やはり最初に金色堂を見たいという事で拝観料を払って中に入る。みんな写真を撮っているのでこれがそうなのかと思ったが全然金色じゃない。この建物は、金色堂を保護するための金色堂覆堂だ。鉄筋コンクリート製の頑丈なもので、金色堂は更に覆堂内のガラスケースにて保護され、温度・湿度も調整・保存されているのだ。残念ながら金色堂は撮影禁止となっており写真を載せることが出来ないが、その金色の輝きはしっかり目に焼き付けてきた。たしかに野ざらしじゃ汚れてしまうし、盗難の危険もある。そして、金色堂の内部にある須弥壇には、藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡と3代のミイラ化した遺体と、藤原泰衡の首級が納められているそうだ。


金色堂の近くには、松尾芭蕉句碑「五月雨の 降残してや 光堂」がある。松尾芭蕉も金色堂を見に来たんだ。


松尾芭蕉の像。


最後に中尊寺本堂に寄っていく。


中尊寺の本堂は山内にある多数の寺院の中心となる建物だ。現在の建物は1337年に火事により焼失したものを明治42年に再建したものだという。ご本尊は阿弥陀如来で、本尊の両脇にある灯籠は「不滅の法灯」といわれ、宗祖伝教大師最澄が点して以来消えたことがない天台宗の象徴的な灯で、総本山延暦寺から分けたもの。


こうして、平泉の世界遺産を一通り見終わって一関駅に向かい帰路に着いた。今回初めて行ったところばかりだったが、栗駒山の紅葉は最高だったし、登米の明治村や平泉の世界遺産も行けて東北の旅を満喫することができた。