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とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2022東北紅葉登山ツアー:1日目猊鼻渓舟下り

2022-09-26 15:35:22 | 観光
ここ数年、9月から10月にかけて東北の紅葉の山に登りに行っている。今年は、昨年天候不順であきらめた焼石岳のリベンジで計画を立てていた。1日目は、焼石岳の登山口に近い宿までの移動だけだが、前回行ってない岩手県一関市の猊鼻渓(げいびけい)に立ち寄って行くことにした。

猊鼻渓は、日本百景の一つにも数えられている。砂鉄川の浸食でできた高さ100メートルの絶壁に奇岩、洞窟、滝など迫力のある絶景が広がる渓谷で、船頭が棹一本で操る「舟下り」が有名だ。

折しも、台風15号の接近の影響で、岩手県は小雨模様だが、舟下りは問題なく運行するということで早速、舟に乗り込む。


舟には動力がなく、全て船頭一人が操る棹だけが頼りだ。さいわい激しい流れがある場所ではないので、軽妙な船頭のトークを聞きながらゆっくりと船は進んで行く。


舟が動き出すと、餌を貰う事を期待してか、カモが早速舟に寄ってくる。


岩壁の下にある洞窟には毘沙門様が祀られているそうだ。


折り返してきた舟とすれ違う。


船着き場で下船して、散策道を歩く。


船頭さんは、我々が戻ってくるまで、休憩ができると喜んでいた。


橋を渡り反対岸に向かう。


終点には、ここの地名の由来となった大猊鼻岩がそそり立っている。侵食された鍾乳石が獅子の鼻に似ているという事だ(猊とは獅子のこと)。


大猊鼻岩の近くまで行ってみるが、どこが獅子の鼻なのかよくわからなかった。


近くには、売店もある。


売店では、うん玉という石が売られている。


「福」「縁」「寿」「愛」「願」「運」「恋」「絆」「禄」「財」と書かれたうん玉を岩壁の穴めがけて投げて、穴に入れば願い事がかなうという。好きなうん玉を選んで、早速穴めがけて投げるが、意外と遠くて穴はおろか、岩壁に当たることも難しい。


集合時間が近づき、舟に戻っていく。


次の舟がやってきて、我々の舟と入れ替わる。


一部のカモは、我々の舟に急いで追いついてくる。


慣れているカモは、人間の手から直接餌をとっていく。


舟下りのクライマックスでは、船頭が唄う「げいび追分」が、そそりたつ岩肌に響き渡り、旅情をより一層高めてくれる。ここの舟下りの一番の名物らしい。

猊鼻渓は、春の新緑に始まり、5月の藤の花、10月には紅葉、そして雪景色と、四季折々の景色は壮観だという。時期が合えば、茶席舟、舟上十六夜コンサートなど季節限定のイベントも多彩で、冬はアツアツの木流し鍋をいただく「こたつ舟」が運行されるなど、一年を通じて幅広い世代に愛される観光地だという。天気が今一だったが、なかなか楽しい観光地だった。


「2022東北紅葉登山ツアー:2日目中尊寺、石ノ森萬画館等観光」に続く。

2022北海道・樽前山&後方羊蹄山登山ツアー:3日目小樽観光

2022-08-31 21:38:41 | 観光
3日目は、当初、余市市の余市岳に登る予定だったが、ロープウェイが運休中と言うことで、登山時間が大幅に増えてしまうことから中止して、小樽周辺の観光に切り替える事にした。

朝一で、小樽港内にあるクルーズ船の受付に向かい、青の洞窟クルーズに参加する。青の洞窟は断崖絶壁に現れる小樽の隠れた名所だ。陸からは見に行くことができないので、海から洞窟を目指すツアーだ。

まずは、明治時代に建設された日本で最初のコンクリート製の防波堤で、北海道遺産に登録されているという小樽北防波堤をすり抜けていく。


大海原に飛び出すと、湾内とは違い、そこそこ揺れがあってスリルがある。万一の時のために腰には海水を含むと急激に膨らむという救命具を付けている。


観覧車が見えるのは小樽水族館だ。


トド岩。名前の由来は、毎年春先にトドがくつろいでいるからという。もうトドはいないが、カモメが多数羽を休めている。


赤岩山。ロッククライミングで全国的に非常に有名な場所だ。この辺の地層は1500万年前の地層と言われ、まさに秘境だ。ゴツゴツした岩肌と古代の地層が合わさった情緒を感じることができる。


巨大なクマが立ち上がっているようなクマ岩。


断層が連なる岩壁と洞窟が見えてきた。


先行していた別の観光船が洞窟から出てきた。


我々もいよいよ青の洞窟に入っていく。


洞窟は、入口と出口が別にあり、ぐるっと周回できる。一面のブルーの海面は神秘的だ。季節によって輝き方が変わるので、いつ訪れても新鮮な驚きがあるという。




ウミツバメが飛び交う洞窟内を回っていくと、出口が見えてきた。


洞窟を出ても、付近の海面は濃いブルーだ。


窓岩。窓岩の向こうにはモアイ岩と呼ばれる岩が見える。


クルーズのクライマックスは、トド岩周辺でのカモメへの餌やり体験だ。船長がかっぱえびせんを周辺に蒔くと、カモメが集まってきた。


かっぱえびせんを一つ摘まんで空に向けると、カモメが上手に咥えていく。


船の周りには、いつの間にかたくさんのカモメが集まっていた。


80分ほどのクルーズを終え、小樽市内の市場で買い物をしてから余市方面に向かう。ちょうどお昼近くとなり、最近テレビでも紹介されたという、ウニ専門店「世壱屋」でウニいくら丼を食べていく。


すぐに、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所に到着する。あらかじめ工場見学を予約しておいたので、13時からの工場見学ツアーに参加する。


ガイドさんに連れられて工場内に入っていく。


蒸留釜のある建物。ここでは、今でも石炭をくべて蒸留作業を行っているそうだ。


ウイスキーができるまでの製造工程が紹介されている。


RITA HOUSU。創業者である竹鶴政孝の奥さんであるリタ・竹鶴にちなんでいる建物。以前は研究室として使われていて、リタハウスの中でさまざまな銘柄が生み出されたという。ニッカウヰスキーの初代のRare Old Nikkaや丸びんニッキー、ブラックニッカシリーズやスーパーニッカなど、数々の名ブレンドのゆりかごでもあるそうだ。


ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏とリタ夫人が結婚後の生涯を送った邸宅。2人は当初工場の敷地内に自宅を建てて住んでいたが、夜中でも工場の様子が気になって休まらないということで、余市川を隔てた山田町に家を移築。現在、敷地内にある旧竹鶴邸は、平成14年(2002)に再移築されたもので、平成17年(2005)2月にキルン塔や蒸溜棟などと共に国の登録有形文化財に認定されている。


倉庫に保管されているウイスキーの樽。


ブラックニッカのラベルに描かれていることでお馴染みのヒゲの立派な男性。ニッカウヰスキー株式会社のマスコットキャラクターだ。この男性は、19世紀英国の「W・P・ローリー卿」という人物。ローリー卿は、香りの効き分けが得意であったとされるウイスキーブレンドの名人で、「キング・オブ・ブレンダーズ(ブレンドの王様)」と呼ばれていた。描かれているのは、ウイスキーの原酒をテイスティングしている姿なのだ。ところで、ニッカという名前は何故付いているのか気になっていたが、最初は「大日本果汁株式会社」という会社が設立され、同社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが現在のブランド名になったというわけだ。


工場見学の最後は、酒好きにはたまらない試飲コーナーだ。


3種類のウイスキーを試飲できる。私は、運転手なのでソフトドリンクしか試飲できなかったが、他のメンバーはすべて試飲していた。


工場見学が終わると、フリーとなり売店やミュージアムを見学する。


最後は工場の看板を背景に記念写真を撮って、帰路に着いた。


今回、山は予定通りに登ることができなかったが、観光でも十分楽しめることが出来、それなりに満足できた。北海道は、何度行っても景色や食事が素晴らしい。

2022北海道・道東三山登山ツアー:3日目

2022-07-21 21:47:08 | 観光
3日目は、斜里岳に登る予定だったが、気にしていた雨雲がついに東北から北海道にかかりはじめ、ほぼ一日中雨という予報に変わっていた。山の天気指数はDと最悪で、山頂の風速は15m以上という事で斜里岳登山は断念する。3日目は、観光に徹する事にした。

斜里郡清里町の宿に泊まったので、近くの観光スポットを探すと、清里焼酎醸造所があることがわかった。宿からそう遠くもなく、工場見学もできるというので、寄ってみる事にした。

清里焼酎醸造所は、ヨーロッパのお城を想像させる外観が特徴的だ。


駐車場には、一台の車も止まっていなかったので休業中ではないかと心配したが、階段を上って受付に行ってみると、開館中だった。


工場は休日の為、稼働していなかったが、ビデオを見ながら焼酎が出来るまでの行程を見学する。


清里焼酎醸造所で出来上がった「じゃがいも焼酎」が展示されている。


醸造所の裏には、広大なジャガイモ畑が広がっている。


ジャガイモには白い花が咲くことは知っていたが、これほどまでに白い花が咲き乱れているジャガイモ畑を見たのは初めてだ。さすが北海道はスケールが違う。


清里焼酎醸造所は見学のみで、駐車場を挟んで少し先にある、きよさと情報交流施設「きよ~る」で焼酎を試飲できる。


斜里町には、北海道らしい真っすぐに続く長い道が二つほどある。「天に続く道」と「ストレートロード」だ。「きよ~る」から近い「ストレートロード」を試しに車で走ってみる事にした。


清里町~斜里町に続く道道857号線とその延長線上の道路で、直線の延長は14kmくらいある。江鳶山ろくから北のオホーツク海へ向かって下っているので、南の端っこから見下ろすと、その長さを体感できる。


その後、摩周湖を通り阿寒湖に向かうが、次第に雨が強まり、やはり登山をやめて正解だったと実感する。

阿寒湖では、阿寒湖アイヌコタンに寄っていく。阿寒湖アイヌコタンは、36戸・約120人が暮らすアイヌコタン(集落)だ。民芸品の制作・販売が行われ、入り口にある「阿寒湖アイヌシアターイコロ」では、伝統的な古式舞踏を体感することが出来る。

我々が行ったときは、「ロストカムイ」というショーが行われた。アイヌにとって、カムイ(神)と崇められるエゾオオカミが絶滅していった歴史を描いた舞踏ショーだ。デジタルアート、サウンドデザイン、ダンスなど各分野で注目を集めるクリエイターが阿寒湖に集結し、古式舞踊、現代舞踊、3DCG、7.1chサラウンドを組み合わせ、5台のプロジェクターで舞台を立体化し、誕生した新演目だという。すごい迫力で、雨の中、見に行った甲斐があった。

その後、阿寒湖畔の宿に泊まり、翌日の登山に備えた。

「2022北海道・道東三山登山ツアー:4日目阿寒岳」に続く。

2022北海道・道東三山登山ツアー:1日目

2022-07-19 22:10:29 | 観光
先週は、北海道の道東にある三つの百名山に登るために3泊4日の予定で出かけてきた。1日目は、女満別空港から知床半島の羅臼岳の登山口となる岩尾別温泉に向かった。

岩尾別温泉に向かう途中で立ち寄ったのは、オシンコシンの滝だ。落差約30m。途中から流れが2つに分かれていることから「双美の滝」とも呼ばれており「日本の滝100選」にも選ばれているそうだ。滝の中ほどの高さまで階段で上がることができ、しぶきが掛かるほど目の前で見られる滝は、かなり迫力がある。


オシンコシンの滝をバックにメンバー全員で記念写真を撮ってもらう。


その後、知床観光船の沈没事故で一躍有名になったウトロ漁港の前を通り、岩尾別温泉に向かう。

岩尾別温泉近くまでくると、翌日登る予定の羅臼岳とそこに連なる知床連山の山並みがくっきり見えてきた。


岩尾別温泉の宿は、「ホテル地の涯(はて)」といい、日本最北東にある知床の温泉ホテルだ。数年前まで廃業状態だったらしいが、現在は営業再開して羅臼岳登山口の宿として大いに賑わっているようだ。ここがなければ、羅臼岳登山も簡単に行くことが出来ないので、営業再開していてくれてよかった。


1日目は、「ホテル地の涯」に宿泊して、翌日早朝から羅臼岳に登る予定だ。雨雲が東北から北海道に向かってきているようで2日目の天気が心配だった。

「2022北海道・道東三山登山ツアー:2日目羅臼岳」に続く。

2022飛鳥ハーフマラソン:1日目観光

2022-03-15 18:20:53 | 観光
先週末は、奈良の明日香村で行われる飛鳥ハーフマラソンに参加するため1泊2日の予定で出かけた。1日目は、橿原神宮とキトラ古墳の観光だ。

まずは、橿原神宮前駅で娘夫婦と待ち合わせをして、我々夫婦と4人で橿原神宮に向かった。橿原神宮は、神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された。第一代の天皇であり我が国建国の始祖となる神武天皇と、ひめたたらいすずひめ皇后が祀られている。まさに日本の始まりはここからなのだ。


入り口には大きな鳥居が門を構え、その大きさに圧倒される。


大きな鳥居の先にもさらに大きな鳥居が立ち、参道の両脇には立派な灯籠がずらっと並んでいる。


南神門の前には、紀元2682年と記されている。今年は、紀元節では2682年となるらしい。古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日からの年月を示すもので、日本が世界で最も歴史がある国の証でもある。


広い庭を通り、外拝殿に向かう。


外拝殿の先には本殿があるが、一般の人はこの先には入っていくことができない。本殿を見ながら拝礼をする。


外拝殿の両側には、廻廊と呼ばれる長い廊下が有り、祭事の歳には、ここを通って本殿に向かうのだろう。


南神門広場の南方にあるのは深田池。


明るい静かな水面が広がっている。面積は約4万9500㎡(約1万5000坪)もあり、対岸までの遊歩道が整備されていて、水鳥を見ながら散策をすることができる。


橿原神宮を出て、翌日の飛鳥ハーフマラソンのスタート地点でもあるキトラ古墳壁画体験館・四神の館に向かう。キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳だ。名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があるという。


キトラ古墳の石室内には、四神、十二支、天文図、日月の壁画がある。四神は天の四方を司る神獣で、壁画は対応する方位に合わせて、東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれている。四神以外にも、十二支の美しい絵や石室の天井には本格的天文図が描かれている。これらは、7世紀末~8世紀初め頃に造られたと推測されており、このような絵が今でも見られるというのは奇跡である。

朱雀。高松塚古墳では失われていた朱雀像がキトラ古墳には残っている。地を蹴って羽を広げ、今にも飛び立とうとしているような躍動的な姿はたいへん珍しいものだという。


白虎。通常の白虎(高松塚古墳など)とは逆に頭が北を向いている。細身で首が長く、両眼を見開き、前脚を突き出した躍動的な姿。耳の毛や黒目も細かく描写されている。


四神の館をでると、すぐ横に小高い丘が有り、明日香村の風景を見下ろすことができる。翌日はこの辺りも走ることになるのだろう。


実際のキトラ古墳は、四神の館から歩いて数分の場所にある。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されている。今の古墳は、発掘作業が終わってから再構築されたものだ。


キトラ古墳を出て、橿原神宮前のホテルに戻る。翌日は、飛鳥ハーフマラソン本番を走ることになる。幸い天気もよく、温かい一日となりそうだ。

2021奥高尾縦走ツアー:1日目三鷹の森ジブリ美術館

2021-12-20 19:13:18 | 観光
冬の時期、有名な高尾山から陣馬山への縦走登山を思いついていたが、折角東京に行くからには、特別な場所にもついでに行ってみたいと思い、高尾山からそう遠くない三鷹のジブリ美術館に前日行くことにした。

ジブリ美術館は、アニメーションでは有名な宮崎駿氏のスタジオジブリに深く関わる展示品を多数収蔵・公開している美術館だ。アニメ好きには、たまらない聖地である。ただ、この美術館は、凄い人気があってチケット入手が大変困難だと聞いていた。チケット入手方法を調べると、ローソンでの一般販売とは別に、三鷹市・近隣市民枠チケットという優先販売があることが分かった。そこで思い出したのが、三鷹市・近隣市民であるKさんだった。Kさんに購入をお願いすると快諾してくれ、自分も前から行きたかったらしく、無事にチケットを購入することが出来た。

ジブリ美術館前でKさんと待ち合わせをして、さっそく入場する。入り口に行くまでに、あったのは、トトロのニセ受付だ。こんな遊び心があってにくい演出だ。


建物の壁面や塔は、植物で覆われ、宮崎駿の世界観を感じる。


受付まで行くと既に大勢の人が列を作っている。入場にあたっての注意事項を聞いてから、先に進む。


館内での蜜を避けるためか、時差入場だ。


入口の扉のステンドグラスには、トトロの絵が描かれている。


ちょうどお昼になっていたので、館内にあるカフェ「麦わらぼうし」で簡単なランチを先に食べていく。カフェも混んでいて、購入までは結構時間がかかった。


いよいよ館内に入っていくのだが、この先はすべて撮影禁止という事で、写真を撮ることはできない。常設展示室には、アニメーションの原理、原始的なアニメなどの展示、製作スタジオの風景再現、歴代ジブリ作品の絵コンテなどの資料が見られ、一つ一つじっくり見ていく。

映像展示室「土星座」では、ちょうど『パン種とタマゴ姫』という短編アニメが上映されたので、12分くらいの作品を見ていく。ヨーロッパにはパンが逃げ出す民話があることから宮崎駿が思いついたという事で、パンになる前のパン種が、ネバネバ、グニャグニャと逃げ出していくというお話だった。アニメを見終わった後、館内を回っていくと、パン種やタマゴ姫のキャラクターがあちらこちらにあり、先にアニメを見ていたので、これがあのキャラクターだったのかと改めて納得する。

『となりのトトロ』のネコバスルームでは、子供が中に入って遊べるようになっていて、子供たちが楽しく遊んでいた。

螺旋階段をグングン上がって屋上に出ていくと、『天空の城ラピュタ』に出てくる巨大なロボット兵が見えてきた。


屋外では写真を撮っていいようなので、ロボット兵の前で記念撮影だ。


ロボット兵の奥にある広場には、ラピュタ中枢部の石があり、ラピュタ語の文字が刻まれている。こうなるとアニメの世界に入り込んだ気分になる。


屋上から下に降りると一通り見学が終わった。そんなに広くないのだが、あっという間に2時間ほど過ぎており、ジブリ美術館を堪能することが出来た。その後は、八王子まで移動して駅前のホテルに泊まり、翌日からの奥高尾縦走に備えた。

「2021奥高尾縦走ツアー:2日目奥高尾縦走(高尾山口~高尾山山頂)」に続く。

2021第9回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その1-2日目(湯浅町並み散策)

2021-11-04 21:45:37 | 観光
湯浅は中世にさかのぼる醤油醸造発祥の地といわれ、近世以来、有田地方の政治経済の中心地として栄えてきたという。山田川の河口辺りまで来ると、醤油の匂いがプンプンと鼻につく。


醤油の起源は、遥か中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌に始まる。この味噌の桶に溜まった汁に紀州湯浅の人々が工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油である。


湯浅に残る唯一の醤油醸造元、角長の職人蔵。江戸末期の仕込蔵を利用。醸造道具、製造法などの資料類を展示保存している。また、明治時代にパリ万博に出品された陶器の醤油瓶が、出展当時のまま中身の入った状態で展示されている。


古民家の一部では、お雛様が展示されてもいる。


こちらは、角長の醤油販売所。これら建物の周辺には伝統的建造物群が残り、「湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区」の名称、種別「醸造町」で、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。この東西約400m、南北約280mの保存地区には醤油・味噌醸造業関係の町家や蔵など現役の古建築が多く残っており、ぶらぶらと町歩きするには、いいところだ。


この日、我々が泊まるのは、湯浅重要伝統的建造物群保存地区に佇む築130年を超える古民家だ。昔ながらの造りの町屋をリノベーションした1棟貸し切りの宿だ。


中には、土間があり、吹き抜けもあり、天窓もある。宿泊用として改修の際に、壁などはほとんどが新しく塗り替えられているものの、自然木をそのまま活かした柱や梁、味わいのある煤けた壁もわずかながら残っている。


和室の奥には、ベッドが二つあり、見た目はちょっとしたホテル並みの雰囲気だ。


階段を上がると2階にも広い和室があり、最大4人が寝泊まりできる。


台所や風呂、トイレなどは近代的な設備が揃っており、快適な空間が広がっている。残念ながら素泊まりで宿泊料はなかなかの値段だが、いつもの宿とは違った雰囲気でゆったりとした豊かな時間が過ごせた。

「2021第9回熊野古道ジャーニーマラニック:紀伊路編その1-3日目(湯浅~御坊)」に続く。

2021東北紅葉登山ツアー:1日目栗駒山麓ジオパークビジターセンター

2021-10-11 22:53:55 | 観光
栂海新道から帰ってからしばらくして、東北の紅葉を見に行きたくて再び山旅に出た。予定したのは栗駒山、焼石岳、五葉山だ。中でも栗駒山は2年前に登ったが、その紅葉の素晴らしさに魅せられて二回目になってしまった。

1日目は、一ノ関駅でレンタカーを借りて、須川高原温泉口から栗駒山に登る計画であったが、東北に接近していた台風の影響で1日中、雨の天気になってしまった。結局、この日栗駒山に登るのは中止して、周辺を観光する事にした。

一ノ関駅近くで昼食を食べることにしたが、地元の名物料理を食べようという事で、何がお勧めか観光案内で聞くと、この辺りでは、もち料理が有名だという。「日本一のもちの郷」である一ノ関では、祝儀も不祝儀も、もち料理で客人をもてなすことが礼儀にかなう習慣とされているそうだ。

駅近くにある世嬉の一酒造の蔵元レストラン“せきのいち”に立ち寄る。 手延べはっと膳、ソーセージ&もちフォンデュ、一ノ関もち膳等のメニューがあり、私が頼んだのは一ノ関もち膳だ。伝統的な餅本膳を手軽に楽しめるようなもち膳だという。おもちの種類は、あんこ餅、ずんだ餅、ごま餅、沼えび餅の4種類だ。


昼食の後は、雨の中でも楽しめる場所と言ったら博物館みたいな場所しかない。いろいろ調べると栗駒山麓ジオパークビジターセンターという場所があり、栗駒山の事をいろいろ知ることが出来そうなので立ち寄ってみた。

栗駒山麓ジオパークビジターセンターは、栗駒山麓ジオパークの地質や地形、人々の営みを紹介するとともに、学びの場や観光の場として利用できる施設だ。3つの展示室では、1億年前から現在までのスケールで栗駒山麓ジオパークの歴史を紹介したり、ジオラマや床一面に広がる空中写真などで地形の特徴や見どころを知ることや、様々な自然災害の記録と経験から防災・減災について考えることができる。

特に、400インチ2画面の超大型スクリーンのあるシアタールームでは、栗駒山麓ジオパークのきっかけとなった震災の記録と、その大地の成り立ちの物語が映し出される。超大型スクリーンで見る映像は大迫力だ。

1億年前に火山が爆発して溶岩流が流れる様子。


栗駒山麓を流れる谷川の景色。


美しい花。


夕焼けの空に舞いあがる鳥の群れ。


そして、栗駒山が最も美しく輝く秋。神の絨毯と呼ばれる紅葉だ。




栗駒山麓ジオパークビジターセンターで、展示物をじっくり見学できたので、もういい時間になった。その後、栗駒山の登山口にある須川高原温泉に向かい、1日目が終わった。

「2021東北紅葉登山ツアー:2日目須川高原温泉&栗駒山」に続く。

2021幌尻岳登山ツアー:4日目支笏湖クリアカヤック

2021-07-22 19:02:31 | 観光
3日目に新冠町まで戻ってしまったので、4日目は丸々時間が出来た。前日の疲れがあるので朝はゆっくり起き、朝食も遅めにする。それでも、どこか観光をしていこうという事で、千歳から近い支笏湖まで行こうという事になった。ちょうど、支笏湖にはクリアカヤックというアクティビティがあり、面白そうなので、それをやる事にした。

新冠から車を走らせ、支笏湖には12時過ぎに到着する。支笏湖は、北海道千歳市にある淡水湖。支笏洞爺国立公園に属し、日本最北の不凍湖となっている。また、透明度の高さで有名な摩周湖やバイカル湖に匹敵する透明度を有し、環境省の湖沼水質調査では何度も日本一に認定されているそうだ。


支笏湖畔には、お土産屋や軽食処なども立ち並び、簡単な食事をしてから湖畔を散策する。

支笏湖畔からは、支笏三山と呼ばれる三つの山々が見える。ユニークな形の溶岩ドームが山頂に鎮座する左側の山が、二百名山の樽前山。右側手前に見えるのが、風不死岳(ふっぷしだけ)だ。山名は、アイヌ語で「トドマツのあるところ」を意味する「フㇷ゚・ウㇱ」「フップ・ウㇱ」「フプㇱ」が由来だという。


視線を少し右にずらすと見えるのが、恵庭岳(えにわだけ)である。山名はアイヌ語の「エエンイワ」(頭が・尖っている・山)に由来するという。


観光船の発着所。


支笏湖に流れ込んでいるのは千歳川。エメラルドグリーンの美しい流れの下に水草がゆらゆらとたなびいている。クリアカヤックの乗場も見える。


事前に予約しておいた「オーシャンデイズ」さんに13:30に集合する。ここのスタッフが、クリアカヤックのガイドをしてくれる。


店内でライフジャケットやパドルを受け取り、出発地点に移動する。乗船前に簡単なレクチャーを受け、クリアカヤックに乗船だ。


クリアカヤックとは、読んで字のごとくカヤックの底が透明になっているカヤックのことだ。クリアカヤック体験での醍醐味は、何と言っても普段見ることのできない『真上から水中を見る』という体験ができることである。水質がキレイであればあるほど、水の透明度が高ければ高いほど、足元に湖底や川底が広がるという滅多にできない体験を味わうことができるのだ。


樽前山と風不死岳をバックに記念撮影。


支笏湖から千歳川をさかのぼる。


支笏湖の水深が深いところは、ブルーだが、千歳川は水深も深くないのでエメラルドグリーンと色合いが変わって見える。


1時間ほどクリアカヤックを体験して、岸に戻る。暑い日だったが、水辺でのカヤック遊びで気持ちが涼しくなった。


支笏湖から千歳空港までは40分ほどとアクセスも良く、予定通りの便に乗ることができ帰宅する。まるまる4日間とも天気には恵まれ、いろんな景色を堪能できたが、北海道としては異常な暑さだったようだ。

2021福島・日本三百名山登山ツアー:2日目会津若松・飯盛山観光

2021-05-13 21:56:25 | 観光
二岐山から会津若松市内に向かう。宿に行くには時間がまだ早いので、飯盛山周辺を観光していくことにした。飯盛山は、会津若松市街の東2キロにあり、城下町を一望に見渡す小高い山で、その頂上には約1650年~1700年前につくられた前方後円墳があり、地元住民の共同墓地でもある。そして古くは、日本武尊などの神話も残り、会津盆地を見守る信仰の山である。特に、戊辰戦争の折に白虎隊が自刃した地として知られ、あまりにも有名な場所だ。

まずは、白虎隊記念館に寄っていく。


入口には、白虎隊の少年兵の像が建っている。


記念館に入り、白虎隊や戊辰戦争の歴史を勉強する。主に「白虎隊」をはじめとする戊辰戦争関係の史料(遺品、遺墨、写真など)を収蔵、展示していて、アニメによる「白虎隊」の解説ビデオなどを見て回る。

飯盛山の山道は長い石段が続いているが、その隣には『動く坂道』(スロープコンベア)があり、山歩きをした後で、らくちんに行こうとスロープコンベア2機を乗り継ぎ、山頂に辿りつく。


まずは、白虎隊自刃の場に立ち寄る。慶応4年(明治元年)~明治2年(1868年~1869年)の戊辰戦争で、会津藩は、15歳~17歳の少年で『白虎隊』を編成し、その中でも、士中二番隊は会津藩校日新館に学ぶエリート隊だった。彼らは明治元年(1869年)8月23日、戸の口原での戦いで決定的打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた。だがここから眺めた戦闘による市中火炎の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと、いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶ったという悲劇的な場所である。そして、ここに鶴ヶ城方面を眺めている少年の像がある。


少年が眺めている方向には鶴ヶ城が見える(白いアンテナ塔の後ろ)。


イタリー記念碑。1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑が建っている。大きなこの石碑は、赤色花崗岩の古代円柱で、その上部には右足に鉞を持った青銅の鷲が羽を広げている。その碑文には『文明の母なるローマは白虎隊士勇士の遺烈に不屈の敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を表すファシスタ党章のマサカリを飾り、永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る。』と記され、裏面には『武士道の精華に捧ぐ、ローマ元老院と市民より』と刻されているそうだ。また、この碑の中心の円柱は、ヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから発掘した古代ローマ宮殿の柱だという。


広場の奥にあるのが、白虎隊十九士の墓。白虎隊士中二番隊の37名のうち、20名が飯盛山で自刃したが、1人だけ蘇生したため19名の墓があるという。


白虎隊の墓から、下がったところにあるのが、さざえ堂だ。正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』といい、寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂だ。




その形が、さざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されている。


かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていた。しかし、明治の神仏分離令で仏像は撤去されてしまっている。


今まであまり関心がなかった会津の歴史を学び、史跡を訪ねることで新たな発見をしたような気持になった。帰る頃には、夕方ちかくとなり駅前のホテルに向かった。