prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ダ・ヴィンチ・コード」

2006年06月17日 | 映画
あえて原作を読まず、テレビほかで氾濫している情報もできるだけ遮断して見た(それでもいくらかは漏れ聞こえてきたが)。

とにかく出だしからジャン・レノがトム・ハンクスとオドレイ・トトゥを追う、殺人修道士が二人をつけ狙う、二人が殺人事件の背後の巨大な謎を追う、さらに自分自身の過去を追う、という具合に何重もの追っかけを同時進行で展開するので、二時間半という長尺を飽きさせない。なんらかの進展のないシーンなどないのではないか。
膨大な量のぺダントリーを駆使して、大法螺をもっともらしく見せるハッタリも堂にいったもの。
キリスト教の歴史の絵解きも色々と映像処理に凝って見せる。
ただ危機を脱するところの工夫が今ひとつ。

中国で公開中止っていうのは、それだけカソリック権力が中国に食い込んでるってことか。共産主義は宗教を認めないハズだし、その逆も同じのハズだが、巨大で絶対的な権力同士が何やら駆け引きしているようで、気色悪し。

(権威化した)キリスト教というのは、過剰に父性原理的で、女性の扱いが不自然だとは前から思っていた。だから核心の「謎」にはけっこう乗れるところあり。
なんでキリストは処女懐胎で生まれなくてはならんのだ? 
聖母マリアは意外なくらい聖書では出番がなく、ピエタ像などは後でキリスト教以前からあった地母神信仰あたりから創作されたものだ、とか。
「最後の誘惑」でキリストがやはりマグダラのマリアと所帯を持つ幻想を描いたりした時も、やたら上映反対運動が起きたりした。そういう振る舞い自体、恫喝でわけのわからん理屈を守ろうとしているようにしか思えない。

修道士が死ぬ前“I am a ghost”と言うのを「私は幽霊だ」と訳していたが、修道士の言うことなのだから精霊(holy ghost)のことじゃないかなあ、とちょっと思った。いずれにせよ原語は英語ではないので、よくわからない。
(☆☆☆★)



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