prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 田草川弘

2006年06月29日 | 
黒澤明vs.ハリウッド―『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて
田草川 弘
文藝春秋

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「クロサワVSハリウッド」とタイトルはなっているが、半ば主役はアメリカ側プロデューサーのエルモ・ウィリアムズとリチャード・ザナックの方だろう。
黒澤は途中から奇行に走ってしまうので、トラブル収拾に追われるプロデューサー側の苦心と誠実さが目立つ。

撮影現場でのさまざまなトラブルに関しては聞いていたが、それに対する日本側スタッフに(普段の黒澤組ではないとはいえ)監督に対するバックアップがまるでない、というより敵意を買っている状況の厳しさは想像していなかった。

黒澤の、というより日本側は、契約の確認・意思の疎通の杜撰さ、一人の人間が情報を握り締めてしまうことの弊害など、いかに30年前とはいえあまりにも不用意でビジネス的感覚に欠けるように見える。
どこからどう見ても、当時の黒澤の立場はアメリカ映画の下請けプロダクションの社長兼現場監督以外の何者でもなく、最終決定権はすべてアメリカ側にあることが契約で明記されているのだから。(余談だが、レター形式の契約書というのがあるのを、初めて知った)
そういう内容を社長に伝えない部下というのも、信じがたい存在だ。「悪い報告をしない部下を罰せよ」という箴言を思い出す。
黒澤は監督としての偉業とは別に、私企業の社長としてはあまりに甘い。信用してはいけない者の讒言に騙される「乱」の秀虎は、なるほど自画像かと思わせる。

それとこの労作が書かれたのは、アメリカ側に膨大な資料が残され、ウィリアムズらの証言が取れたことが大きい。
対して、多くの日本側関係者は多くの製作側スタッフが口を閉ざしたため事情が不透明になり、いたずらに傷を広げた。その後も証言が取れないまま鬼籍に入った人も多い。いかにも日本的な処理の仕方だった。

筆者はだからといって黒澤を個人攻撃しているわけではまったくない(ラストで明かされる筆者の立場を読むと、えっと思う)。
ただ、周到で平等な取材と視点、というジャーナリズムの原点に則った方法論をとったことが、適切な批判的な距離を置くことにつながり、簡単に埋められない日米の、黒澤とハリウッドの溝の悲劇を浮き彫りにしている。
「グッドナイト&グッドラック」の主人公エド・マローの研究者である筆者の面目躍如といったところ。

あと、具体的に検証されているのが、当時の映画界の日本のみならずアメリカでの経済的苦境で、「サウンド・オブ・ミュージック」が「風と共に去りぬ」を初めて抜くメガヒットを記録した年ですら、20世紀フォックスは赤字だったという。そこから来る焦りもボタンのかけ違いを大きくしたのがわかる。


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1 コメント

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Unknown ()
2006-07-03 22:53:29
だからアメリカから芸術は生まれない。



天皇家が何人の死人の上に、今に至るか。



ただの星条旗とは違う。
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