prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「村の写真集」

2005年01月20日 | 映画
あまり普段意識しない日常生活や家族の価値を改めて考えさせる、古典的な日本映画の良さを受け継いだ作り。息子が広い意味で父親の仕事を受け継ぐ一種古めかしい話ではあるが、息子の恋人が台湾系だったり、家を出ている姉の描き方などは現代的。

藤竜也がきちっとかぶっているお洒落な中折れ帽を写真を撮るたびにいちいち脱いで頭を下げる礼儀正しさと、ちょっと小津調のモダニズム。ずっと村にいたわけではなく、東京に出ていた時期があるというのも納得させられる。

ダムで故郷が失われる設定ではあるが、かといって受け継がれるべきものは別の形で受け継がれる描き方。田舎の村だと思っていると時報に使われる曲が「アメージング・グレース」と洒落ていて、しかもそれがなんでもない日常のスナップに重なると“恩寵”という言葉をふっと思わせたりする。

風景がむやみと観光絵葉書的に綺麗でないのが好ましい。父子が黙々と歩く山道を横から撮った、なんでもないようで新鮮な視角。藤竜也や桜むつ子といったベテランが良い意味で素人みたいな芝居をしている。
(☆☆☆★★)


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「インストール」

2005年01月19日 | 映画
出てくるMacのOSがver.9だったり、今どきの女子高生があれだけメカに弱いかと思わせたりで、現代の新しいツールの使い方とかコミュニケーションのあり方には良くも悪くもあまり関係ない。ただ、もともと発展性のある話ではないから、さまざまなイメージ・ショットを繰り出して変化をつけても、ダレてくるのは避けられない。
新しくなければいけないという思い込みから自由なのと、エッチ系に傾きがちな内容の割に上戸彩と神木隆之介がイヤらしくなく軽くて明るいのはいい。
(☆☆★★★)


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古新本屋

2005年01月19日 | Weblog
カードリーダーが故障。あんな可動部分のまったくない器械でどう故障するのかと思うが、修理に預ける。3週間もかかるという。どこがどうおかしいかソフトのバグとしか思えず、説明抜きで把握できるのかな。

新宿の紀伊国屋で、式貴士の「イースター菌」などの古本をパラフィン紙のカバーをつけてまとめて置いてある。どこから出してきたのか。「旭屋」で「噂の真相」のバックナンバーを置いてあったり、大型新本屋も苦心しているところ。

「僕の彼女を紹介します」

2005年01月19日 | 映画
出だしのコメディ・タッチでつまずいた。いくら美人だからといって、警官が誤認逮捕して殴ってあやまりもしないのを笑うわけにはいかない。途中で出ようかと思ったくらい。
その後もアクション・シーン、ロマンチックなシーンと、シーンが変わるとまるでトーンが変わり、しかもいちいち演出がオクターブを上げている。

音楽もサティからX-JAPANまでとっかえひっかえという調子で、ずいぶんバラバラな映画だなあと思っていると、終盤で伏線が一斉に立ち上がってきてきちっと全体像が見えてくると、どこまで計算ずくなのか、計算そのものが正しいのかよくわからない分、かえって意表をつかれた。

故人が「四十九日」にこの世に戻ってくるとか、亡くなっても傍にいるといった考え方、風車の使い方やパラパラマンガといった小道具の使い方など、日本でもお馴染みのもので「ゴースト」に似過ぎてるが、けっこう乗せられる。
(☆☆☆)


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「8人の女たち」

2005年01月17日 | 映画
偶然だが「巴里の恋愛協奏曲」に続いて、フランスの芝居のほとんどそのまんまの映画化。
なかなか日本だとこれだけ芝居と映画を密着させた作りができない。なんか無理に「映画」にしてしまおうとする。

初めよくあるフーダニットものかと思ったら、芝居の進展につれて女たちの楽しくなるくらいのイジワルさがあぶりだされてくる。タイトルバックの花の美しさと毒々しさそのまんま。

フランソワ・オゾンの作品では「スイミング・プール」の方が先に見たので、リュディヴィーヌ・サニエがあまりに子供っぽいというか、未成熟なのにびっくり。これがわずかの間にああなるのだから、これまたコワい。
元の舞台では男の姿はまったく出てこないのだろうが、わずかに出てくる分その影の薄さがお気の毒。
(☆☆☆★★)


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「巴里の恋愛協奏曲」

2005年01月16日 | 映画
オープニング、俳優の名前が文字ではなく朗読で紹介される。エンドタイトル、監督のアラン・レネのタイトルがミザンセーヌmisen un seneだとか表記された。フランス語はまるでわからないが、場面設計とかいう意味だったろうか。監督は普通Realisateurと表記されるはず。ともにこれのオペレッタが舞台そのまんまに、足しも引きもせず作りましたという姿勢の現れだろう。

精錬の粋という感じのすばらしい美術・衣装。“お芝居”の粋以外の何者でもない三幕劇構成とアンサンブル演技。それら舞台そのまんまの要素に、“映画的”とされる余計なものを入れず、それでいて映画になっている不思議な演出の技。

ヌーヴォー・ロマンと映画を“化学反応”(劇中の台詞)させてきたレネが、「メロ」以来「恋するシャンソン」そしてこれと、いかにも一夜の娯しみ風の古典的大衆芝居を映画化するようになったのか。作家の作風の変化というのは、不思議なものだが、文体即内容のスタイルは一貫している。
(☆☆☆★★)


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転ばぬ先の杖が転ぶ?

2005年01月15日 | Weblog
耐震用の突っ張り棒が突然外れて頭の上に落ちてくる。ぶつかりはしなかったが、地震前に落下物防止用具の落下して頭でも打ったら洒落にならない。空気が乾燥して木が縮んだせいだろうか。

郵便番号と名前だけで住所なしで年賀状が着く。遠い親戚からのもので、何度も届け先が見当たりませんという付箋がついているから、突っ返されては出したのだろう。

NHKの番組(4年前の!)を安倍晋三らが事前検閲した(?)という朝日新聞報道、なんか面白いことになってます。
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000431.html

「ULTRAMAN」

2005年01月15日 | 映画
シンプル・イズ・ベストを達成した出来。
最初の「ウルトラマン」の初回、というより基本設定に戻ってのリメークで、シリーズを重ねるごとについてきた不必要な趣向や商品戦略やオタク的要素の手垢が洗い流されて、このシリーズの根本のフォーマット(金城哲夫)の見事さが燦然とした。その単純明快さがあっての多様な変奏が可能だったのがわかる。

当たり前のようだけれど、ウルトラマンは人間と衝突して命を奪いそうになったために合体して、変身してからも命を守るために戦う、というまことにシンプルな動機が明確になった。対するザ・ワン(ベムラー似の姿あり)は奪い続けるだけだ。その意味で青い玉赤い玉の明快な対になっている。
正義とは悪とはといった議論に踏み込み過ぎた混乱を突き抜けて原点に回帰し、空を飛ぶことへの憧れといった普遍的・原初的なモチーフが衒いや照れやシニシズム抜きで表現できた。立派。

ウルトラマンや怪獣のデザインは、絵を書き込み過ぎたマンガやアニメみたいで、成田享によるメキシコの死者の日の仮面と仏像のアルカイック・スマイルを組み合わせたデザインのシンプルゆえのニュアンスが見づらい。

ザ・ワンとネクストというネーミングは最初のウルトラマンの名前がベムラーで、名前だけ最初の怪獣にまわしたのを念頭に置いてか。
(☆☆☆★★)


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キャッチセールス

2005年01月14日 | Weblog
道端で突然見知らぬ相手に話しかけられて、英会話の教材を買えの、絵を買えの、裏ものビデオを買えのと言われたことはあるが、工具セットを買えと言われたのは初めて。あんな重い物、なんで持って歩いていたのだろう。

北朝鮮で突然髪型の取り締まりがうるさくなったというが、その理由の一つが髪の毛に栄養をとられて脳にいかなくなるからというのにはブッとび過ぎ。


「Mr.インクレディブル」

2005年01月13日 | 映画
人間のCDアニメってキャラクターデザインが気持ち悪いことが多かったが、インクレディブル夫人がお尻の線を気にしているところとか、妙に色っぽかったりする。スーパーパワーを持っている癖に、現実原則そのまんまで行動するあたり、見ようによってはミスターの方が夫人の掌の上を走っているようなもの。

ヒーローに“助けられた”連中が傷つけられたと訴訟したり、保険会社のあこぎさ、など妙に現実変なベビー・シッターが歯に矯正器をつけているが、「トイ・ストーリー」や「ファインディング・ニモ」の悪ガキもつけていた。なんかお約束みたいになってきたな。
のアメリカ的なところが可笑しいというか、意地悪いというか。

エンド・タイトルでproduction baby製作中に生まれた赤ちゃんの名前がずらっと並ぶのもピクサーお約束だが、スタッフの奥さんが産んだのと、スタッフが産んだのとどんな割合だろう。会社のオープンな(オタク度全開OKのこと)社風を取材した番組を見たことがあるので、妙に気になった。
(☆☆☆★★★)


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留守録

2005年01月13日 | Weblog
携帯の着信と固定電話の留守電になるまでの時間がいやに短く出る暇もないほど。いじった覚えはないのだが、いいかげん面倒なので留守電機能自体を解除する。簡易留守録と留守録のどこが違うのか、未だわからず。
これだけ携帯が普及してどれくらいこの機能使われているのだろう。自分の身の回りにはほとんどいないのだが。

青色発光ダイオードの中村教授、確かに業績は大きいのだろうけれど(先日のクリスマスのイルミネーション、もっぱら青色が主体でしたからね)、記者会見のはなはだ攻撃的な喋り方見ていると同じ会社で机を並べていたい人とは思えない。
日本の技術力アップには発明家が厚遇される必要はあるのは確かだが、ニュースを伝えるテレビのコメント聞いていると、一方で日本の社会が持てる者持たざる者の二極化するのはけしからんという口吻をもらしてたりするのは、よくわからん。

テレビ東京の深夜ドラマのネタ出しをしてメール。どんな線なのか、ちょっとわからないので困る。

「戦争フォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界」

2005年01月13日 | 映画
どこかヘルツォークの映画を思わせる荒涼とした風景と静謐な音楽が印象的。戦争の悲惨な情景が終始続く割に、見るものとの間にフォトグラファーと映画のカメラそのものがはさまっている感じ。泣き続ける老婦人の前にぴったりくっついてシャッターを切り続け、周囲も一向にそれをとがないでいる光景など、どこか非現実的にさえ見える。
どうしても戦争報道カメラマンというのは、結局は戦争をもたらしている側から出張してきている印象があって、それがもたらされている側と一体化とまではならなくても違和感をもたらさない姿勢というのは、実はごく精神的なものでカメラには写らない、はずだが実は結構写っている。


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いろいろややこしいわ

2005年01月12日 | Weblog
どうもこのところ、パソコンの調子が良くない。だものでメールチェックをちょっと怠ると、しょーもないメルマガが山程溜まっていて、げんなりする。いちいち解除するのも面倒だし。
日本テレコムのおとくラインの勧誘電話があったが、プロバイダを兼ねているから一時的に使えなくなるというので、考える。無理にやることもないか、経費削減しなければいけないほど電話使っていないし。

法事

2005年01月10日 | Weblog
法事。
あまり普段会わない人と会うのが、オトク。
女性たちに、韓国ドラマの人気を改めて確かめる。ドラマだけではなく、「シルミド」も奨めておく。
新宿京王プラザのレストランにて会食。眺め、よし。

写真は、レストランから見下ろした都庁。