きのうは
親愛なる叔父
ミツオさんの為に、
告別式で
渾身の追悼曲を
演奏させて頂いた。
斎場に
式の30分前に到着すると、
親族控室に直行し、
葬儀進行のスタッフと
段どりの打ち合わせをした。
前日の「お通夜」で、
読経を聴き、
ご焼香もしたので、
当日は控室で入念な
チューニング(調弦)と
指慣らしをして過ごした。
文字通り、
僧侶ご退出後の出番まで
楽屋で時を待つ
演奏家に徹した。
演奏者の心理・生理を知らない
叔父には
「早く、座れ」
とか、
式場スタッフからは
「お式には出られないんですか?」
とも言われたが、
「畏まってると、カラダが硬直して
指が動かなくなるんで、
控室で練習してます・・・」
と説明して了解を得た。
前日に
入念な楽器メンテをしたので、
これまでになく
調弦の難しい古楽器が
ビシリと"決まって"くれ、
古くて伸びたり歪んだ弦を
張り替えただけの成果があった。
ヴィアン・レグラージュ
(グッド・チューニング)
常態になると、
楽器のパフォーマンスも最高になり
演奏家も気分が乗るものである。
出掛けに、
カミさんに
リボンタイを結んでもらい、
さながら、リサイタルの
舞台に上がるつもりで、
控室で形(なり)も
チェックした。
そして、
出番の呼び出し係に
エスコートされ、
上座で参列者に深々と黙礼し、
次いで、故人にも
長い黙祷を捧げた。
自編でもあり、
50年来、暗譜で
弾いてきた曲なので、
あとは、ソーちゃんの
【盤上没我】のように
【弦上没我】で
魂を込めて音楽を奏でるのみだった。
6週間もの『リュート・マラソン』は、
まるで、この日、この時の為に
あったかのようであった。
ギターとは違った
リュート独特の奏法が
身に付きはじめていたので、
狂いのない調弦で
指の求める音色に応えるように
楽器がよく鳴ってくれた。
弾きながらも
ちゃんと聴いている
自分の耳、自分の心が
納得する、最高の演奏ができた。
終曲では、
思わずウルルときて、
涙が溢れそうになったが、
どうにか黙礼をすることが出来た。
読経、焼香まで、
泣いてる人は皆無だったが、
多くの方々がハンカチで
目を拭っておられたので、
音楽の力、生演奏の力を
再認識させられた。
式後、
普段は辛口の
叔母さん、叔父さん方々から
「泣かされた」
「ご苦労さん」
と労らわれ、
親族以外の方々からも
絶賛された。
火葬の間は、
控室で簡単な食事をとりながら、
「弔問外交」のように、
コロナ禍で逢えずにいた
親族とも久しぶりに
談笑ができて
普段の鬱憤が晴れる思いがした。
「収骨」(骨上げ)は
久しぶりだったが、
厳粛な思いを再体験させられた。
斎場で解散する時に
従妹のミキティから
自分ちの野山で採れた
フキノトを二袋ももらった。
「今年は、まだ、
採りに行けてないんだ・・・」
と、フキノト・ハンターとしては
山の春の遅さを
恨まないでもなかったが、
今日も、これから、発芽したか
様子を見に行ってきようと思っている。
震度6の大地震で、
ご神前の脇に飾ってある
弥勒菩薩様のお顔が
横に傾いてしまった。
直そうと手をかけたが、
(いや、待てよ。
永観堂に「見返り観音」ってのが
あったなぁ・・・)
と、思い出して
しばらくは、このままのアングルに
しておこうと思った。
毎朝夕、
神前ご祈念の後、
こちらにも
「仏様、観音様、菩薩様」
と唱えている(笑)。
「神仏習合」も
いいとこである(笑)。
その隣には、
祖父母と父の遺影があるので、
その御霊(みたま)様たちにも
手を合わせている。
りくぼうとフミの
微笑ましい父子画像を見ては、
「コロナ・戦争・地震・叔父死」
という四大ストレスの
癒しクスリとしている。
親愛なる叔父
ミツオさんの為に、
告別式で
渾身の追悼曲を
演奏させて頂いた。
斎場に
式の30分前に到着すると、
親族控室に直行し、
葬儀進行のスタッフと
段どりの打ち合わせをした。
前日の「お通夜」で、
読経を聴き、
ご焼香もしたので、
当日は控室で入念な
チューニング(調弦)と
指慣らしをして過ごした。
文字通り、
僧侶ご退出後の出番まで
楽屋で時を待つ
演奏家に徹した。
演奏者の心理・生理を知らない
叔父には
「早く、座れ」
とか、
式場スタッフからは
「お式には出られないんですか?」
とも言われたが、
「畏まってると、カラダが硬直して
指が動かなくなるんで、
控室で練習してます・・・」
と説明して了解を得た。
前日に
入念な楽器メンテをしたので、
これまでになく
調弦の難しい古楽器が
ビシリと"決まって"くれ、
古くて伸びたり歪んだ弦を
張り替えただけの成果があった。
ヴィアン・レグラージュ
(グッド・チューニング)
常態になると、
楽器のパフォーマンスも最高になり
演奏家も気分が乗るものである。
出掛けに、
カミさんに
リボンタイを結んでもらい、
さながら、リサイタルの
舞台に上がるつもりで、
控室で形(なり)も
チェックした。
そして、
出番の呼び出し係に
エスコートされ、
上座で参列者に深々と黙礼し、
次いで、故人にも
長い黙祷を捧げた。
自編でもあり、
50年来、暗譜で
弾いてきた曲なので、
あとは、ソーちゃんの
【盤上没我】のように
【弦上没我】で
魂を込めて音楽を奏でるのみだった。
6週間もの『リュート・マラソン』は、
まるで、この日、この時の為に
あったかのようであった。
ギターとは違った
リュート独特の奏法が
身に付きはじめていたので、
狂いのない調弦で
指の求める音色に応えるように
楽器がよく鳴ってくれた。
弾きながらも
ちゃんと聴いている
自分の耳、自分の心が
納得する、最高の演奏ができた。
終曲では、
思わずウルルときて、
涙が溢れそうになったが、
どうにか黙礼をすることが出来た。
読経、焼香まで、
泣いてる人は皆無だったが、
多くの方々がハンカチで
目を拭っておられたので、
音楽の力、生演奏の力を
再認識させられた。
式後、
普段は辛口の
叔母さん、叔父さん方々から
「泣かされた」
「ご苦労さん」
と労らわれ、
親族以外の方々からも
絶賛された。
火葬の間は、
控室で簡単な食事をとりながら、
「弔問外交」のように、
コロナ禍で逢えずにいた
親族とも久しぶりに
談笑ができて
普段の鬱憤が晴れる思いがした。
「収骨」(骨上げ)は
久しぶりだったが、
厳粛な思いを再体験させられた。
斎場で解散する時に
従妹のミキティから
自分ちの野山で採れた
フキノトを二袋ももらった。
「今年は、まだ、
採りに行けてないんだ・・・」
と、フキノト・ハンターとしては
山の春の遅さを
恨まないでもなかったが、
今日も、これから、発芽したか
様子を見に行ってきようと思っている。
震度6の大地震で、
ご神前の脇に飾ってある
弥勒菩薩様のお顔が
横に傾いてしまった。
直そうと手をかけたが、
(いや、待てよ。
永観堂に「見返り観音」ってのが
あったなぁ・・・)
と、思い出して
しばらくは、このままのアングルに
しておこうと思った。
毎朝夕、
神前ご祈念の後、
こちらにも
「仏様、観音様、菩薩様」
と唱えている(笑)。
「神仏習合」も
いいとこである(笑)。
その隣には、
祖父母と父の遺影があるので、
その御霊(みたま)様たちにも
手を合わせている。
りくぼうとフミの
微笑ましい父子画像を見ては、
「コロナ・戦争・地震・叔父死」
という四大ストレスの
癒しクスリとしている。