毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。
この冬いちばんの寒波に
さっそくやられてしまった。
今朝方、喉の痛みと
カラダの痛みで
目が覚めた。
室温は、
セラミック・ヒーターを
一晩中つけっぱなしなので
18℃に保たれてはいたが、
なにぶん湿度が43%で、
ベッドサイドの窓のカーテンを
閉めずにいるので、
寒気が枕元を直撃したみたいである。
廊下に出ると、
寒さがチリチリとした
痛さに変わるようだった。
温感・冷感も
閾値を超すと
痛感となる。
スマホを見たら、
外気は-6℃を示していた。
トローチと鎮痛剤で
なんとか症状緩和はしているが、
健常の状態ではないので、
これは咽頭炎の兆候である。
なので、
近所の耳鼻咽喉科に
行った方がよさそうだ。
問題は、
今日の勤務を
どうするか・・・である。
予約はいっぱいそうだが、
どんな状況かは
学校に行ってみないことには
判らない。
校内にいる生徒はいいとして、
保護者が入っていた場合には
事前に連絡しないことには
迷惑がかかってしまう。
どうも出勤不可能のようなので、
電話でコーディネーターに
指示してキャンセル手配を
してもらうよりなさそうだ。
自宅でも
夜から予約があったが、
キャンセル連絡をした。
⁂
今日は、
ソーちゃんの月一の
順位戦があったので、
のんびり、寝ながら
養生観戦してるよりなさそうだ。
病気のG様は
なによりも
無理をしないことじゃわいのぉ。
(´・Д・)
きのうは
完オフ日だったので、
鍼治療と養生して
ゴロゴロしていた。
昼には、
久しぶりに
トルテ(パイ包み焼き)を
創ってみた。
アパレイユ(中身)は
フォア・ド・ヴォライユ(鶏肝)に
アッシュ・ド・ポール(豚挽肉)を
合わせてフード プロセッサーで
粘りが出るまで撹拌した。
スパイスは
ナツメグ、ポワブル、キュマン。
それに、
生クリームと全卵半分で
繋ぎとした。
オーヴンで
キレイに焼き色がついたら、
カットしてドレッセした。
神戸のポートピアホテルにあった
『アランシャペル』で食べた
上柿元シェフの
『トルテ・ド・ピジョン』は
高貴な味で最高の逸品だった。
それから、
京都の『ビストロ・シセイドー』の
越智シェフの
『トルテ・ド・フォア・ド・ヴォライユ』も
見事なものだった。
それらの
プロの味には
足元にも及びはしないが、
それらを彷彿させる
味には仕上がった。
熱々カリカリの
焼き立てパイ生地に
ナイフを入れる瞬間の
パリリという感触が
たまらない。
中身は
フォアの風味がする
ハンバーグのようなものだが、
パイ生地との抱き合わせが
御馳走然としている。
ヴァン・ルージュを合わせると
更なるヴィアン・マリアージであった。
撮影用に
かならず
二皿創るので、
それだけで
おなかいっぱいになった。
あれ・・・!?
糖質制限食餌療法
やってたんだよな・・・と、
気付いたのは
食した後だった(笑)。
ちゃんちゃん。
創る前に
気付けよ、ってなハナシである(笑)
初雪や
二の字二の字の
下駄の跡
初雪や
いちばん目立つ
インド人
落語『雑排』に出てくる
秀句である。
きのうは
出勤時に
初雪をみた。
今朝は
まだ暗い朝4時のゴミ出しで
街灯の明かりにだけ照らされた
深々と降る雪が
なんだかとても綺麗だった。
昨日は朝から
何べんも勘違いをした。
出勤時に、
まるきり正反対の方向に
しばらく行ってから
あ、今日はこっちじゃなかった、
と引き返した。
そして、また、
いつものルートから外れて、
別校に行く道を
うっかり行ってしまい、
アレマ・・・と、
途中で気が付いた。
【何事三度】と言うから、
今日は、も一回は
ありそうだな・・・と、
覚悟してたら、
やっぱり、トイレに行く間に
仮置きしていた書類を失念して
あ、しまった・・・と、
取りに戻った。
呆けてきた、
と言えば、其れ迄だが、
あえて【老人力】が付いてきた、
とポジティブにとらえようと
思っている(笑)。
ついこないだも、
鍼灸院の玄関で、
診察券を置いて
アルコール・ポンプで
手を消毒してたら、
診察券を取らずに
ポンプを取って
受付に行こうとして
オネーチャンに
「見てましたよ・・・」
と笑われてしまった。
彼女も心優しく、
てっきりアルコールが
なくなったのかと思いました・・・と、
フォローしてくれた。
「ヒューマン・エラー」
とも言えないような
錯誤行動だが、
それにも深層心理学的な意味が有る
と言ったのはフロイトである。
でも、
あんまり馬鹿らしいので、
自己分析する気にもなれなかった。
せいぜい、
初心者老人のボケ噺として
あちこちで披露して
笑って頂くネタにするよりなさそうだ。
職場に着いたら、
カウンセリング室の
ギター弦が切れてたので、
予備の弦に交換した。
勤務する三校ともに
ギターを置いてあり、
カウンセリングや
音楽療法にも活用している。
自宅の分も含めると
10本以上のギターがあるが、
代わる代わる弦が切れるので、
ちょいちょい交換している。
ギタリストとしては、
たとえ練習用の
放置ギターでも
弦の切れっぱなしというのは
気持ちがワルイのである。
ミニコンサートのような機会には、
当日の朝に、本番用のギターの
全弦を新品に交換するが、
その際、外した弦は捨てずに
練習ギター用の予備弦に
回すことにしている。
⁂
昨晩、
新潟在住の大学ギター部の先輩から
珍しく電話があり、
三十路のご子息が
ギターをやってみたい・・・と、
言っていたので、
レッスンしてほしい・・・
との事だった。
「ヒロミさんが、
おせーたら、いいでしょに・・・」
と冗談でなく
そう言ったら、
「やっぱり、母親じゃなく、
他人から教わりたいみたいなの・・・」
との事だったので、
それじゃあ・・・と、
お引き受けした。
朝に、ギターのメンテをしたら、
晩に、レッスン依頼が舞い込んだ(笑)。
そういう
シンクロニシティックな事は
往々にして有るものである。
きのうの
"おそ松くん"ベントは、
前夜の鍋物の残りの
タラと焼き豆腐に
自家製のお新香。
小っちゃい焼き芋二本に、
ナットひとパック。
そして、
旨味たっぷりの
鍋物の汁を
熱々にして
保温ボトルで持参した。
ストーヴを炊いた室内から
校庭に降りしきる雪を見ながらの
「雪見弁当」のひと時も
乙なものだった。
ここに、
熱燗がありゃあなぁ・・・と、
思わないでもなかったが・・・(笑)。
残念ながら、
シブコは2位に終わり、
海外メジャー2勝目の偉業は
達せられなかった。
それでも、
久しぶりに
今朝のスポーツニュースでは
あのシブコ・スマイルを
見ることが出来てよかった。
彼女、
賞金1億近く稼いでるのに、
まだ、目元の稗粒腫(はいりゅうしゅ)を
まんまにしているので、
美容整形で簡単に取れるのになぁ・・・と、
見るたんびに何とかしてあげたい
気にさせられる。
そういうことに
あまり気にしない
大雑把なところが
また彼女の魅力なのかもしれないが・・・(笑)。
自分の目元にも
最近、また稗粒(あわつぶ)が
いくつか出来てきたので、
なんとか自分で
処置したいと思っている。
これは、
化膿したニキビのようには
簡単に圧出できないので、
先端を摘まんで軽く傷つけ、
翌日、カサブタを剥がすと
表皮が薄くなるので、
その時に圧出すると
小さな袋状の塊が摘出できる。
『チェザーレ』を
読みふけっていたせいか、
散歩でツタヤに寄ったら、
たまたまクライエントの方から
図書カードを頂いたばかりだったので、
中古外盤コーナーで
ルネッサンスとバロック物を
2枚買ってきた。
帰宅後に、
今年、惜しくもご逝去された
皆川先生の解説書を取り出して、
ギョーム・ド・マショーと
ピエトロ・ロカテッリの
バイオグラフィーを復習して、
さっそく聴きにかかった。
ルネッサンス音楽の傑作と
皆川先生が最大限の賛辞を記している
『ノートルダム・ミサ曲』は
まさしく圧巻の演奏で、
クレマンシック・コンソートの
生命感溢れる名演には感銘を受けた。
世俗歌曲も収録されており、
中世の『乞食の歌』なぞは
たいへん面白く聴いた。
ロカテッリは
ケースを開けてみたら
2枚組とはじめて気付いて
「ラッキー!!」
と思った。
なにせ、
ワンコイン価格だから、
一枚250円という
掘り出し物になる。
お昼には、
130円だった
バナメイエビを
サフランソース仕立てにした。
海老の殻で
出汁を取り、
アメリケーヌ風のコクを出し
サフランでさらに
風味と色味を付けた。
庭のハーブガーデンから
フヌイユのフルール(花)と
ミントを採ってきて
添えてみた。
ヴァン・ブランには
珍しいドイッチャー・グラスを
用いた。
前夜の
海老クリームコロッケが
1ケ冷蔵庫に残ってたので、
オーヴンで衣がカリリとなるまで
再加熱したら、
中のクリームが膨張して破裂し(笑)、
しかたなく半分にカットして
パンや焼き芋と共に
ルージュのプラにドレッセした。
これには
冷凍保存してあった
ソース・ヴェール(緑)を
合わせてみた。
「赤」づくしだったので、
ヴァン・ルージュにした。
Eテレで
『ベートーヴェン250プロジェクト』を
毎週やっているが、
きのうは、たまたま、深夜近くの
ポリーニの『ソナタ』31、32番を
時折、寝落ちしながら
半覚醒状態で視聴きした。
驚いたのは、
巨匠となり
すっかり老人然とした
姿であった。
御年78歳だから、
さもありなん・・・なのだが、
頭の中には、まだ、
壮年期のあのスタイリッシュな
イメージがあっただけに
そのギャップに驚いた。
それでも、
さすがに、指は衰えておらず、
いつぞやだったか、
来日してボロボロの演奏をした
ホロヴィッツが
吉田 秀和氏に
「ヒビの入った骨董品」
と評されたのとは
雲泥の差であった。
録画で観た
アルゲリッチの
『コンチェルト♯1』も
相変わらずの爆演であった(笑)。
彼女も御年79歳である。
どちらも、
ショパン・コンクールの覇者であるが、
ポリーニの凄いエピソードとしては、
優勝後に華々しくデヴューするのではなく、
なんと、ひとり山荘に引きこもって、
アップライトのピアノで
黙々と更なる研鑽に励んだというから、
どこか「哲人」然としている。
審査員の全員一致で優勝し、
審査委員長のルービンシュタインをして
「今ここにいる審査員の中で、
彼より巧く弾けるものが
果たしているであろうか」
と絶賛したのに、である(笑)。
なればこその、
老体となっても、
ゆるぎない強靭なタッチで、
隅々まで美しいベートーヴェンを
描き出すことが出来るのだろう。
ただでさえ
凡人は天才に適わないのに、
さらに、努力を重ねる天才には、
足元にも及ばない・・・とは、
このことだろう。
『コロンボ』の中にも、
『殺しの序曲』という作品で、
コロンボがしみじみと語る場面がある。
「あたしの周りにも、
そりゃあ、トンデモナイ天才たちが
ゴロゴロいましたよ。
とーてい、太刀打ちできないような
奴等がね。
でも、考えたんでさぁ・・・。
奴等の何倍も努力して、
本を読み、よーく観察し、よく考えれば、
ことによると、何とかなるんじゃないかって・・・。
で・・・、なりましたよ・・・」
・・・という
シーンが印象深かった。
ファンに言わせれば、
コロンボは十分過ぎるくらいの
天才なのである。
もっとも、
偏執的、高機能自閉タイプの
サヴァン症候群っぽくもあるが・・・。
WHOの診断マニュアル『ICD-10』では
「特定不能の広汎性発達障害」
にコーディングされる。
「神武この方の天才」
と称されたヒフミンが、
ソーちゃんのことを
"努力する天才"
と絶賛しているが、
「400年に一人の天才」に
努力までされたら、
「並の天才」では
太刀打ち出来ないのだろう。
******
最近、国試受検の
応援サイトをやっていて、
合格する人というのは、
勉強のフォームが
出来ている人たちである、
ということに気が付いた。
大学受験や
教員採用試験のような
関門をくぐり抜けてきた人は、
そのフォームが出来ている
証左と言えよう。
今朝の朝刊で、
ソーちゃんが
早指し棋戦の『銀河戦』で
最年少優勝をした
という記事を読んだ。
この棋戦は、
有料チャンネルなので
登録しておらず、
一度も視たことがない。
なんにせよ、
またまた偉業を
達成したわけである。
同じ朝刊のスポーツ欄には、
シブコがアメリカのメジャーで
首位に立って、このままいけば、
全英に次いで
メジャー2勝目となるやも・・・
という久しぶりの活躍も
報じられていた。
二人とも
JC語で言う処の
「推し」(贔屓)なので
どちらも嬉しいニュースだった。
グループ限定の私塾サイト
『あつまれ国試の森』に
有名なエビングハウスの
忘却曲線をアップして、
試験日の来年の9月までに、
過去問・テキストを
5回は復習して学習内容を
確実に記憶定着すべし!
という発破をかけた。
医療・教育・福祉・産業・司法
という五分野にわたる
広範な領域の
汎用資格なので、
お弟子さん方も
残り9ケ月を教職で多忙の傍ら
膨大な勉強量に圧倒されながらも
時間を捻出してやらねばならない。
なので、この冬休みの
年末年始も「受験生」として
久しぶりに「学生期」を体験し
40代の一年を猛勉強で
充実させて欲しいものである。
毎日、
中村先生の仏教学の講義を
テープやCDで聴いているので、
すっかり仏教脳に染まってきた。
リーディングの先生に拠れば、
前世は禅僧として京都で
貧民救済に当たっていたというので、
だから、京都に8年も棲み、
全ての神社仏閣を
拝観して回ったのかぁ・・・と、
納得もした。
そして、再度、仏教学について
尊崇する大学者の中村先生の
名講義に心を奪われている。
毎日、朝晩の神前ご祈念では
家族の健康・安寧と
世界のコロナ禍の収束を祈願している。
毎日、新聞の
世界の死者数を見ているが、
アメリカでは30万人にまで迫っている。
30万というと、
福島市の人口なので、
それが死に絶えると想像したら
いかにオソロシイことか・・・。
非科学的で拝金主義の
トランプ大統領の無策のせいで、
多くの弱者が犠牲になったともいえる。
ベトナム戦争の犠牲者を上回り、
これは、ほとんど
第三次世界大戦ではないか・・・
という米国内の識者の声もあった。
そのアメリカでも
ワクチンが承認されて、
イギリスに続き摂取が開始される。
先進国にあって、
慎重な日本は
遅れる事、数か月後に
なりそうである。
3.11の原発爆発直後にも
引用した句がある。
長崎にある
遠藤 周作「記念館」の
『沈黙の碑』の文句である。
人間がこんなに哀しいのに
主よ
海があまりに碧いのです
きのうは
午前・午後・夜と
フルタイムでの
自宅カウンセリングだったが、
今日は、フルにオフなので、
久しぶりに古物店めぐりをして
「蚤の市」散策の楽しみを
してこようかと思っている。
『誕プレ』と称して、
ちょくちょくと小物類に
財布の紐が緩んでるが(笑)、
普段は慎ましく暮らしてるから、
誕生日・クリスマス・お正月の
シーズンくらい、
ちったぁ物欲を満たしてやろう
とも考えている。
Eテレの『漫勉neo』を
毎週、興味深く視ている。
先日は、
『チェザーレ』の作者
惣領 冬実の回だったが、
その繊細、緻密な描画作業を
熟視して、再度、読みたくなり
書棚から引っ張り出した。
去年だったか、
最新の11巻まで
一読したのだが、
ディテールはけっこう忘れていて
大筋以外の部分で楽しめた。
フランス国の語源が
語られていたことを
すっかり失念していた。
500年前の
ルネッサンス期の
イタリアの物語なので、
読みながらイタリアの
リュート音楽や室内楽曲を
BGMにしていると
なかなかいい雰囲気になる。
きのうは
新規に来られた
クライエントの方から
『いもくり佐太郎』を
頂戴した。
これは、
アキの好物だったので、
東京で、どうしてっかなぁ・・・と、
ふと思い出した。
前々日の買い物で、
牛の肩ロースのブロックが
安かったので、
土鍋に仕込んで
オーヴンで4時間ほど
じっくり火入れした。
一晩寝かせて
ソースの味を十分に
浸み込ませて、
再度、加熱してから、
半分の塊をまんま
ドレッセしてみた。
周囲には、
シイタケ、マイタケ、ヒラタケを
添えてみた。
ナイフを入れると
ホロリと崩れ、
繊維質がハラハラと
コンビーフのような
テクスチュアであった。
一晩寝かせたことによって
味がよく滲みていて、
仏国三ツ星店
『ランブロワジー』の
パコーのスペシャリティ
『クー・ド・ブッフ』(牛テール)
の煮込みを思い出した。
一度、『ふくの季』の
阿部シェフにも
それを創って頂いたことがある。
クリスマス・プレートに
ルージュのラムカンを合わせ、
ソースとともに
ラグーでも試食してみた。
残った半分の塊は、
冷蔵庫で〆て
「ブッフ・フロワ」
(コールド・ビーフ)
で味わってみた。
チャーシューのような
テクスチュアだが、
やはり牛の風味は
楽しめた。
2018年の
ボルドー・ルージュとの
マリアージュも
まずまずであった。
デセールには
『バナーヌ・キャラメリゼ』。
カソナード(赤砂糖)を
バーナーで
ブリュレにするだけである。
今朝のアサちゃんは
ボリューミーなヘアスタイルで、
なかなかグッドでした(笑)。
このシト、
横顔が昭和のアイドル
河合 奈保子ちゃんに似ている。