『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

今日から出勤

2020-08-26 05:07:00 | 仕事
長かった夏休みも終え、
いよいよ今日から
仕事始めである。

体調は
熱帯夜つづきの
熟眠不良で
やや“重ダル”である。

でも、
コロナと猛暑で、
十分過ぎるほどに
家で静養の日々を送った。

むしろ、
運動不足で
少し太ったくらいである。

『がばいばあちゃん』の
名セリフじゃないが、
「仕事はいいもんだ。
カラダを使えて
お金までもらえる」
とは、
至言である。




従妹のミキティから
残暑見舞いと
面白い温度計付き
飾り物が送られてきた。

前にも送られてきた
室内用風鈴は
今も足元で
扇風機に揺られて
キンキン♪と
いい音をさせている。

朝刊で
曽野綾子の新刊広告を見て
アマゾンに注文したものが届いた。

前作も面白かったが、
今回は夫の朱門氏を亡くしてから
飼い始めた二匹の猫の話が
中心だった。

愛猫家でなくも、
ネコの生態が小説家の手により
愛らしく描写されていたのが
癒されるようだった。



最新ジャーナル(学会誌)で
「シシュポス神話」についての考察が
採り上げられていたので、
興味が湧いて、原著を取り寄せてみた。

ユンギャン(ユング派)の
女性分析家によるもので
「繰り返し」の仕事と
「変わらなぬ日常」と
人生の後半、死と生について
深く考察したものである。

読書に飽くと、
小学生用の書き取り帳を出して、
朱色の筆マーカーで
お稽古をする。

仕事にも持ち込む
システムノートにも
巻末の方に、
YouTubeで視聴つづけている
「美文字」の研究サイトの
法則などをまとめて
書き込んである。

仕事の隙間時間にも
反古紙の裏に
その法則を叩き込むべく
ドリルを繰り返そうと思う。

きのう、
カード切り替えで
書かされた「住所・氏名」は、
この休み中の短期集中稽古が
活かされて、
自分らしからぬ美文字に変身していた。

人間、やれば、
還暦過ぎからでも
習得出来るものが
あるものである(笑)。

大事なことは、
これを愛し、これを信じ、
これを楽しむことである。

小林 秀雄の言葉である。




懇意にしている
ドクターからお中元が
届いた。

フランス産のリエットが4種、
2瓶ずつの詰め合わせだった。

カニ、サーモン、ホタテ、サバ
の四種である。

フランス産だけあって、
そのまんま
フレンチ・レストランの味だった。

取って置きの一点物
Wedgwoodの
「フロランタイン・ターコイズ」に
放射状にドレッセしてみた。

ただ、
スプーンを2つ用いて作る
フットボール型にするのが
素人には難しく、
どうしてもプロのような
滑らかさにはドレッセできなかった。

それでも、
カミさんをして、
「美味しい!!」
と言わせるほど
本格の味だった。

これに合わせるため、
きのうはわざわざ
バケットを買ってきて
白ワインとジン、
ライム、シロップ、炭酸で
発泡カクテルも創った。




朝のキャスター
桑子さんが夏休みなのか
土日担当の朝ちゃんが
平日から担当している。

終末の楽しみとしていた
彼女の七変化が
毎日見れるのが
楽しくもある。

ドレッシーなパープルに
シルバー・アクセサリーが
セレブっぽく、
ちょいオチョボ口が
ご愛敬だったので(笑)、
作品化のモチベーション
アップになった。

考えてみたら、
“アサちゃん推し”だぁ…
と思った。

“推し”がいると
生きてて楽しいんだよ…
とは、JCに教わったことである(笑)。
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プレゼント

2020-08-25 07:39:00 | 頂きもの
きのうは
初めて姉妹で来られた
クライエントのお姉ちゃんが
ちょうど19歳の誕生日というので、
学校に持っていこうと思っていた
『庭の桜桃』を
プレゼントにさしあげた。

そしたら、
妹さんが
「いいなぁ…」
と羨ましそうだったので、
も一枚あった
『裏磐梯の水芭蕉』
の写真を差し上げたら
喜んでおられた。




いずれもダイソーの
110円の額装なので、
あんまし喜ばれると
返って恐縮するが、
不二家のケーキを
手土産に頂いたので、
その返礼でもある。




夕餉のデザートを
頂戴したので、
サーモンを山葵醤油でやる
予定を変更して、
オリーヴオイルとスパイスで
フレンチ風に仕立てた。




今日は、
フランス産リエットの
詰め合わせのお中元が届くので、
また、晩には
ヴァケットと泡物で
フレンチ風にしようかと思ってる。



明日から、
いよいよ2学期の勤務が始まる。

コロナ休暇中の
子どもたちじゃないが、
なんだか、早く学校に行きたくて
しょーがない(笑)。

SCは、75歳が定年なので、
それまで、カラダさえ丈夫なら
“好きな仕事”だから
ずっと続けられたらいいなぁ…と、
思っている。

そしたら、
ケストナーの名作
『飛ぶ教室』の“禁煙先生”や
『ヨーンじいちゃん』のような
児童文学に出てくる
好々爺のようになりたい。

いずれも、
老賢者であり
プシコポンポース(魂の導者)的な
存在である。

カウンセラー/サイコセラピストから
ソウル・メイカーへと進化するのが
ひとつの理想かもしれない。



この 夏、
「なぜ時間があるのか」
という素朴なことを
思考実験として考えてみた。

その答えは実に明瞭で、
経験というものをするためである、
ということに気づいた。

これはすなわち、
「なぜ意識があるのか」
という問いの答えにもなっている。

自意識と言ってもよく、
英語では「 I am 」のことである。

仮に、自意識だけ存在しても、
時間と空間がなければ 、
そこに経験というものは
存在し得ることはできない。

その逆も真なりで 、
時空だけ存在しても、
そこに意識がなければ、
経験というものは起こり得ない。

それでは、
経験とは一体何だろう。

常識的には、
ある場において、
ある一定の時間、
自意識が感知する事象、
と言えるだろう。

Wikipedia による定義では・・・

認識としてまだ組織化されていない、
事実の直接的な把握。

感覚や知覚によって
直接的に与えられるもの。

感覚・知覚から始まって、
自覚されたもの。

座学的な知識と
五感や手・足など身体をフルに使って
得られる認識・記憶の総体。

「 I am 」という存在と自意識は
自明なことなので、
これを「何故生じてきたか」
というのを問うても
明解な答えは得られていない。

しかし、
これまでも在り、
これからも在るもの、
と考え、それを信じてみると、
“大いなる安らぎ”を
得られるような気がする。

金光教祖は、
神様に神界・霊界に
三日間連れられて見せられた
という神秘体験をしているが、
それらのことは
言っても解らぬし
信じることもできないだろうとし
詳述していない。

だが、
「魂は生き遠し」である、
とだけは明言している。



我がオシリ痛も
世界のコロナ禍も
現象界では通底しているので、
今生の世で、何故、このような
世界の様相になっているのか、
今しばらく悲観論に陥ることなく
分析・総括してみて、
人類が恒久的に助かる
処方箋を考えてみたい。

河合先生は、
カウンセリング室に訪れる
ひとりのクライエントは
社会病理の代表者でもある、
と仰っていた。

それゆえ、
我われ心理師は、
為政者のような
「大所高所」からでなく
「小所低所」から世界を観て、
その治療法を考えるのである。

⁂+

世界・人類は、
【第三の道】を求めて
「SDGs/Sustainable
Development Goals
(持続可能な開発目標)」を
2030年までに達成しようとしている。


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痛みありても・・・

2020-08-24 04:52:00 | 勉強
オシリに激しい痒みをもたらした
湿疹も1週間目で
やっとのこと色が薄くなり
痒みも軽減してきた。

この間、
不思議な現象があって、
痒い時は痛みがなく、
痛い時は痒みを感じなかった。

生物学に
「リービッヒの最小律」
というのがあるが、
この逆で、
「痛みの最大律」
現象なのかと感じた。

どちらかの刺激の知覚が
最優先されているのか、
あるいは、強い刺激により
弱い方がマスキングされているのか。

どちらにせよ、
痛みと痒みは同時に
押し寄せない…
ということが解った。

62年も共に
カラダと生きてきて、
未だに我が身の生理機構すら
知り得ないのは
不思議なことである。

事程左様に、
生き物は複雑系のものゆえ、
最も原始的なウイルスの
遺伝子解析すらできないから、
コロナのワクチンも治療薬も
年単位かかると言われるのだろう。

スーパーコンピューターや
AIの進化を如何に誇っても、
実際的な課題に応用できないのでは、
科学文明の進歩も
心許ないものである。




心理学者も人文科学系といえ、
エビデンス・ベースト・セオリーを
第一義とする
科学者の端くれなので、
物事を合理的・科学的に
検証し考察するのが常である。

ただし、
「心理療法学」ともなると、
そこにはクライエント(患者)との関り
という関係性の問題やノウハウも
学問体系に入ってくる。

最新のジャーナル(学会誌)で、
科学論文に相応しからぬ「愛」という
言葉が出てきて、驚いた。

業界では、
長らくラポール/ラポートという
仏語/英語で、
セラピストとクライエント間の
「相互信頼」を現わしていたが、
さる論文では
「愛」が必要だ…と、
あからさまに書かれていて
何だか面喰ってしまった。

年に5冊届く
最新の論文集なので、
最先端のテクニカル・ターム(術語)を
知るためにも必ずや
英文アブストラクト(梗概)にも目を通すが、
やはり「love」が用いられていた。

Psychotherapists should built
a friendly rapport with clients
and connect with them through
love and trust.

こうもあからさまに表記されると
なんだか面映ゆく感ずるが、
河合先生も心理療法の要諦として、
けっきょくは「愛」に尽きる、
と晩年に仰っていた。

えーっ!!
結局、それかいっ!!
と、当時は、
なんだかなぁ…と、
すこし抵抗があった。

事実、そうなのだろうが…。

「愛」はオールマイティーの
ジョーカーのようなもので、
寅さんのセリフじゃないが、
「それを言ったらお仕舞よ」
で、理論もへったくれも
なくなるような気がした(笑)。

今回の論文では、
ユンギャン(ユング派)の
Kast.V(1984)の著作から
引用がなされていた。

「恋愛に限らず、
多くの関係性において、
愛によって人は
全体性や希望といった活力を得て、
思いのままにならない世界に
立ち向かうことができ、
愛そうとする態度を持っていると
接するものすべての価値を
高めることができる」

現在のような
コロナ禍の世界が
まさしく
「思いのままにならない世界」
であり、
それに「立ち向かうことができる」には、
愛の力が必要と言うのである。

人文科学系の
「心理療法学」の論文なので、
やはり、自然科学系の
実験心理学のように
なんでもかでも
エビデンス・ベーストで…
とは言えないのだろう。





小6の常用漢字を
トレーシングペーパーを用いて
トレースし、
自分のクセを修正している。

若い頃は、
無手勝流・金釘字を
個性のひとつと威張ってたが、
さすがに還暦過ぎると
下手クソな字のまま
死んじまうのがやになって、
今頃、六十の手習いをしている(笑)。

手本の楷書を身につけるというのは、
たしにか、既製化された字に従う
ということであるが、
そのことが、すなわち、
個性が損なわれるというものではない、
ということに、漸く老齢に達して
気付いたのである。

ま、気づいただけマシか…(笑)。

真善美聖を
ライフ・ビリーフとするので、
下手クソ字はこの「美」に
反するんだなぁ…。

やっぱり、
美しい字、
カッコイイ字、
というのはあって、
それをとことん
芸術の域にまで極めたのが
「書道」という「道」である。

日本人は、
すぐに、なんでも
「道」にしっちまう(笑)。

「茶道」「華道」
「剣道」「柔道」…。

「道」のことを
老子のように「タオ」と読むと、
それは、宇宙万物の根源的真理
ということになる。

【すべての道はローマに通ずる】
ではないが、
案外、お茶だろうが、書だろうが、
音楽だろうが…
富士山の登山口が方々にあるように、
人生の極みや霊性(魂)の根源に
辿り着くには、どこを通っても
上り詰めれば一緒なのだろう。



この夏、
甲骨文字の
「金文」にまで
手を出してみたが、
これは、ツマランくて
性に合わずやめにした。

だって、
ただの図形なんだもん(笑)。





先日の『ソータ特集』で
放映されたソーちゃんの
赤ちゃん姿が可愛らしく、
本物の孫のリッ君とおなじくらい
名誉孫もカワイイもんだなぁ…と、
思って、愛でていた(笑)。


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ソータ祭り

2020-08-23 05:37:00 | 藤井 聡太

涼しいうちに
近所を散歩に出たら、
ヒマワリ畑が満開だった。

隣の畑で
農作業していたお婆ちゃんに
「おはようございます」
と声かけをしたら、
顔も見ずに
「はよっす…」
と、素っ気ない返事だった。

(愛想なしやなぁ…)
と、ちとガッカリした。

どーして、
こっちの人間って、
笑顔が出ないのだろう…と、
東北の内気でシャイで
めんどくさがり屋の気質が
恨めしく感じた。

見事なヒマワリを誉めて、
花屋に売るものか
訊こうかとも思ったのだが…
社交的会話が成立しない。

そしたら、
今朝の朝刊で、
「ブルシット・ジョブ」
(おもんない仕事)
という言葉を見た。

朝、早くから、
雑草取りや
販売のための収穫をするのは、
専業農家にとっては
肉体労働以外のなにものでもなく、
家庭菜園で“収穫の喜び”なんて
甘ちゃんしてるのとは
違うのかなぁ…とか、
思ってしまった。



帰り道には、
ススキが穂を揺らしていた。

八月八日ころが
立秋だったが、
とてもとても
「秋」のけはいなぞなく
猛暑、酷暑の連日である。

九月半ばまでは
この暑さが続くらしい。

ヒマワリとススキの
両方を目にして、
夏から秋へのバトンは
もすこし先のようである。




きのうは
Eテレで『藤井 総太』特集、
アベマで団体戦決勝…と、
一日“ソータ祭り”であった。

特番は、
ここまでのダイジェストで
たいして目新しいものもなかったが、
ソーちゃんのママに抱っこされてる
赤ちゃん姿は「初出」で
貴重な一枚だった。

今の彼の面差しを
彷彿させる表情である。

小さい頃は、
お母さんにいつも
ゴロニャンして
甘えん坊だったようで、
将棋教室の先生にも
窘められていたというから、
必要にして十分なる(good enough)
母性性が備給されていて
あの心的安定性(落ち着き)が
あるのだろうと思った。

『天才棋士・藤井 総太
 
 彼の伝説は
  まだ始まったばかり…』

…という、
特集のラストシーンの
タイトルバックを見て、
戯れに「老化ソフト」で創造してみた
彼の老成した姿を
再び想わされた。




夕方からは、
ネット・テレビ企画ではあるが、
棋界初の団体戦の決勝が行われ、
渡辺三冠率いる相手に、
ソータが所属する永瀬チームが
5-0で完勝した。

一回戦では、
まだ「七段」だったソータも、
決勝に至るわずか2ケ月の間に
「二冠」となって、
永瀬二冠と合わせて
「四冠」チームが
「三冠」チームに勝ったので
妥当な結果なのかもれしれない。

超早指し戦ではあるが、
棋聖戦と同じ
「藤井二冠V.S渡辺三冠」
の一戦もあったが、
またしてもソータが制した。

棋聖を奪取され、
その強さを心底思い知ったように、
現・名人をして
「相手には、正直、キツイですね。
格下のつもりで頑張ります」
とまで、言わしめた。

ソータは
1、2回のチャンピオンなので、
アベマ・トーナメント「三連覇」になる。

優勝賞金は一千万なので、
三人で分けて
333万円である。

その使い道を訊かれると、
いつものごとく
「自作パソコンのパーツを
買いたいと思います…」
とのことだった。

彼の趣味は、
あと「乗り鉄」と
PCでの「積雪量観察」である(笑)。

下世話なハナシの好きな
ワイドショーのリサーチでは、
去年(高2)の年収は、
およそ2千万で、
今年は「棋聖」「王位」の
賞金が2千万近いので
対局料+基本給を入れて
4千万ほどになるだろう、
とのことだった。

それを聞いて、
新人女子アナが
信じられない…と、
目を丸くしていた。

高校生でCMなしで
年収4千万というのは、
聞いたこともない(笑)。

CMのオファーは
高校を卒業するまでは
受けないとしているので、
来年以降、
それに登場するようになると
億単位の年収ともなろう。

ファンの願望としては、
今年度内に「王将」位も
渡辺三冠から奪取して、
「三冠」「九段」になってほしい、
というドリカムを期待している。



シブコが全英で
予選落ちした。

あらまー…
ガッカリである。

深夜帯に
中継があったが、
もう視るのをやめた。



朝方、
トイレに入ったら
脳裏に
「インドの通りゃんせ」
という、
不思議な言葉が湧いて出て、
なんだっけなぁ…と、
気になってググってみたら、
“寅さん語録”であった。

『サラダ記念日』の
一シーンで、寅が
早稲田の講堂で迷子になり
うっかり講義に出てしまって、
「インダストリアル・レボリューション」
という用語を聞いて
「インドの通りゃんせ…?」
と聞き違え
爆笑させるのである。

なるほど、
寅の耳には
そう聞こえるんだぁ…と、
劇場で笑い転げた記憶がある。


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手動!?

2020-08-22 04:33:00 | 藤井 聡太
寝室にやっと
おニューのクーラーが
設置できて、やれやれである。

仕事部屋に
三日間、合宿みたいに
寝起きしていたが、
西向きの部屋なので、
午後からの強い陽射しで
エアコンを最強にしても
室内温度が0.1℃ずつ上がり、
30℃にまで達してしまった。

室内のカーテンだけでは
効果がなかったので、
室外機に葦簀(よしず)を掛け、
ダクトに反射材を被せてみた。

それでも、
37℃の猛暑日には、
25年物のエアコンでは力及ばず、
陽が沈むまで
クール・ダウンできなかった。

仕方なく、
また、家ん中で避暑移動して、
一階居間の新型エアコンで
25℃の室内で涼をとった。




親の代から30年来、
出入りしてる近所の電気屋さんが、
パナソニック特約店にも関らず
「コロナ」製の冷房専用機を
ホームセンターで29.800円で
買ってきてくれ、取り付けてくれた。

業界最安値とあって、
使用説明書を見て笑ってしまった。

ルーバーという風向ガイドが、
上下・左右ともに手動なのである(笑)。

家にある他の5台が
すべて自動なのに…。

なので、まるで、
冷房可能な扇風機みたいである。

それでも、
ちゃーんと、冷えてくれるから
文句はないが…
ただ、サーモスタットの音が
いちいち、バチン!
とかなりの音がする(笑)。

風音も決して“静穏”ではない。

コロナは給湯器が
メインのメーカーだから、
ついでに製造してるのかもしれない。

それでも、
シンプルでいいかも…である。




昭和の「巨人・大鵬・玉子焼き」
みたいだが、
強くて天才で人柄のいい
ソータとシブコの
“推し”である。

コロナ禍の影響で
ゴルフ中継もほとんどないが、
そんな中で全英女子が
無観客で始まった。

去年、フィーバーした
ディフェンディング・チャンピオンの
シブコは絶不調で
二日目で+12で
トップの-4と16打差である。

リンクス(海沿いコース)に慣れようと
前のりしたスコットランド・オープンでは
予選落ちしてるので、
どうも駄目ダメ・モードのようだ。

去年は、
日本と同環境の林間コースで、
多くの日本人ギャラリーに囲まれて
あたかも国内戦のような
雰囲気だったのが幸いしたのだろう。

本来なら、
今頃、衛生中継で
大騒ぎになっていたはずだが、
それすらもない。

ほんに、
コロナのせいで
世界が変わってしまった。

憎むべき諸悪の根源は、
独裁者の習 近平である。

コロナ禍で世界を
塗炭の苦しみに陥れ、
尚且つ、“火事場泥棒”で
覇権の布石を狙っている中共は
ヒットラー&ナチス同様に
自由圏国家連合がぶっ潰さないと
人類に平和は訪れないだろう。

未だに、
キンペーを国賓待遇で
迎えようとほざいてる
自民党の幹事長なぞは、
頭がどうかしているとしか
いいようがない。



テニスの全米オープンは、
世界トップ10の9人が
出場しないというので、
盛り上がらない事このうえない。

ニシコリも感染したそうな。




ソーちゃんの
能楽堂での一戦を
作品化してみた。

タイトルは
『盤上没我』
という棋界の言葉が
すぐに思い浮かんだ。

まさしく、
彼の真剣な姿が
それに相応しいだろう。

能楽堂という伝統芸の
本舞台での
将棋という伝統芸は
まさしく絵になった。

今日はEテレで
『藤井総太 その強さの秘密』
という特集と、
5時からはアベマ団体戦の決勝が
ライヴで行われる。

シブコは中継もなく、
二連覇も見込みがないので、
やっぱり、ソーちゃんで
楽しむよりないなぁ…。



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