『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

生きる用意をせよ

2018-07-26 10:29:00 | 風景
二日つづけて
老母の居宅する介護ホームに
保険証類を届けてきた。

家の近所だが、
さすがに、脚が弱って、
プチ認知もあり、
我が家に帰りたいとも
駄々をこねないから助かっている。

おととしの夏は、
脳溢血で救急搬送されて
入院したときには、
翌日に家に帰ると
駄々をこねられて往生した。



永京寺の裏にホームがあるので、
ついでに、親友のマサヒロの墓参りもし、
石仏類が好きなので
撮影もしてきた。

親友には、
夏バテで体調不良なので、
霊界から何とかしてくれやー、
と愚痴と哀願をした。

生鮮食品のあるスーパーは
ホームと逆方向なので、
午前とはいえ、
炎天下を取って返すのは
難儀なので、近所のカワチで
冷凍食品の肉類・魚類で
間に合わせた。

隣接する青空八百屋では
生鮮野菜が買えたが、
見切り品のキューリを
100円で買ってきたら
どれもこれも
中が真っ白で「ナニこれ?」
という代物だった。

猛暑で結実しなくて
ヘチマみたいに
なってまったのだろうか。

なので、今日は
その100円キューリが
喰えなかったことに
文句を言ったら、
店主オヤジが
「すみません」でもなく、
「どれですか?」と
検品をはじめたので、
ダメだこりゃ・・・と、
呆れてサッサと踵を返した。

きょうび、
スーパーでさえ
翌日でも返金や代替を
してくれるものである。

もう、テメェんとこでなんか
二度と買わねーッ!!
バカーーーッ!!

ε=ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ

・・・と、小心者なので
声には出さず、
内心ムカツキながら
炎天下をぽくぽく帰ってきた。







買い物散歩の帰途に、
側溝でツガイの
ハグロトンボを見つけて
いくらか機嫌が直った。

やはり、
生き物はいい。

心がなごみ癒される。

むかし、
生物学科に進み、
高校の生物教員なれたのは
とてもラッキーだったと
思っている。

その後に、
心理学に転向したことも
後悔はなく、
カウンセラーになれたことも
夢が叶ったわけである。

正規雇用から
非正規に変じて
収入も激減したが、
楽しくてやり甲斐いのあることを
やらせてもらっているのだから
それはそれで致し方がない。

カミさんが
公務員でなかったら、
とてもこの仕事だけでは
たつき(生計)が立たない。

***

羽黒蜻蛉 ---
学名「Calopteryx atrata」
(キャロプテリックス・アトゥレイタ)
カワトンボ科

翅に斑紋はなく、
雄は緑色の金属光沢があるの。

ホバリングはせず、
ヒラヒラと舞うように羽ばたく。

留まって羽根を休める際は、
立てた状態で四枚の羽根を重ねて閉じる。

幼虫(ヤゴ)は
体長22~26mmほどで、
体色は淡い褐色。

成虫は7~8月に多い。
藻などの沈水植物が茂る
緩やかな流れに生息。

羽化後の若い個体は
水域から離れて林の中で生活する。





昨晩は、初めて、
Tちゃん先生を自宅にお招きして、
第一回目の『宗教臨床セミナー』を
10時半頃まで、楽しく談論させて頂いた。

日々の雑談からはじまって、
しだいに信仰話、宗教論、
宇宙論、意識論、実在論、
果ては、焼き芋論となり(笑)、
楽しくも興味深い
ふた時半であった。

参考資料として、
還暦の誕生日に編纂した
今現在の思想的アンソロジーを贈呈し、
来月もまた、学際的アプローチで
ディスカッションできるのを
楽しみにしている。

大学院時代にも、
月に一度「雑談会」というのがあって、
やはり和やかに学問的なテーマを
ざっくばらんに話しあったり
時に激論を闘わせる
楽しいディベートの場があった。

人というものは
「楽しくないのは続かない」
というシンプルな真理がある。

「楽しくないのはストレスになる」
というのもエビデンス・ベーストの
真理である。

「わかる。おもろい。ためんなる」
というのが
知的愉悦を共有する場の
私的なメルクマールである。

これに添わない会合は、
学会やワークショップであっても
私的会合でも、
全部スルーすることにした。

だから、
「なんで最近、佐々木さん
 来いひんのやろ・・・」
と人伝てに仄聞すると
「オモロナイからじゃッ!!」
と一刀両断、
けんもほろろに
内心で切り捨てている。

「和む心」「楽しむ心」「よろこぶ心」
というポジティヴな姿勢にこそ
生まれるものがある、
と信じている。

加えて、
「今ここ」で感謝すべき
すべてのことにお礼を言い、
どんなにささやかなことでも
心から全人的に味わって楽しめ、
というのが
尊崇した亡き師たちの
御教えである。

生まれてきた以上、
我が身と我が意識がある以上、
「今月、今日、今ここで、一心に
生を味わい、すべてに礼を言い、楽しむこと」

これは、3.11体験で
得た達観であり悟りである。

その英知と精神性をもって、
老年初期の発達課題である
「世代継承性」に今、
少しずつ取り組んでいる。

我が生の
「あるべきよふは」
という
河合先生から教えて頂いた
明恵上人の座右の銘を
常々、自己点検として
反芻しながら日々を過ごしている。

相手の「たましい」に届く
言葉というものは
「何を言うか」ではなく、
「誰が言うか」なのである。

ことに、宗教家や臨床家のような
生き死に関わる人間の言葉は
軽薄短小であってはならない。

この酷暑とも闘い、
老齢の身の不自由さと
持病の痛み苦痛とも対峙しながら
“自ずから然る”がごとく
先ず生きねばと思う。

いずれは、
完成寸前のプロセス途中で、
突然、消え去って「無」に帰し、
「あはれ」の美のなかに
埋没するのかもしれない。

「死ぬ用意をするな。
 生きる用意をせよ」
という先師の御教えがある。

大袈裟でなく、
死期が迫ってる感じがあったので、
今一度、この御教えを
どう頂かせてもらおうか
思案している。



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猛暑日つづく

2018-07-25 04:51:00 | 季節
ハッピーアイランド
「福島」も今や
ヒートアイランド
「熱島」である。

35℃を上回る猛暑日が
八日間続いている。

熱帯夜もそれに
シンクロしているので、
カラダの疲弊がハンパない。

システムノートをチェックしてみたら
5/27のリサイタル直前から現在まで、
ほぼ一日おきくらいに
体痛とだるさで鎮痛剤を服用している。

ことに、
リサイタル直後からは
その疲れのピークから
なかなか体調が回復しなかったのと、
気候不順による寒暖差が
それに拍車をかけた。

そこにきて
この殺人的猛暑である。

全国で65人が亡くなったという。
41.1℃という
過酷な未体験ゾーンにも入った。

ふだん、SCとして口喧しいくらい
子どもたちには良質の睡眠をとるように
カウンセリングで指導しているが、
今の自分はあまり良質とは
いえないようである。

とにかく、
ここ数ヶ月は
朝の寝起きの体調がわるい。

鬱持ちだから、
朝重・夜軽という
日内変動は承知しているのだが、
こうもその傾向が顕著だと
さすがにそれ自体が
ストレスになってくる。

60年も生きてきて、
42歳から鬱と付き合ってきたが、
定期受診と
セルフ・メディケーションで
なんとか対応してきた。

慢性疼痛(chronic pain)についても
調べてみたが、
鎮痛剤は効くレベルなので
違うみたいだ。

セルフケアとしては、
運動療法(散歩・ストレッチ・筋トレ)
痛みへの理解、マッサージ、針、
食事療法、入浴療法、音楽療法、
リラクゼーションなどを
意識してやっているが、
「シャッキリポン」の爽快状態
とはなかなかならない。

だから、
人はシャブ中、ヤク中に
なるんだろうか・・・(笑)。

やはり、
曽野綾子センセが言うように
「あちこち痛いけど、
とりあえず死にはしない」
ということなのだろうか。

六割五部の体調で
よしとせんならんのか・・・。

加齢、老化の
随伴症状と諦めて
これを受容し付き合っていく
「従病主義」「従痛生活」を
貫いていく覚悟をした方が
いいのかもしれない。

「薬、祈りにすな
 祈り、薬にせよ」
との御教えの原点に帰って、
いまいちど信仰の帯を
しっかり〆なおさねばである。



毎日、室内に陽が差し込む
正午頃になると、
いっせいにロールカーテンを
下ろすので、仄暗くなる。

そして、翌朝に、
カーテンを引き上げる。

ちょうどその紐が
4本等間隔に並んでいると
なんだかヨットのセーリングを
操っているみたいだ。

まるで、
熱波の荒海を
毎日航海している気分である。

今晩から
「宗教臨床セミナー」が
始まるので
ホワイトボードを
シンナースプレーできれいに
クリーンナップした。

メンバーの結婚や
他県への移動によって終わった
「ユングセミナー」以来、
十数年ぶりである。

セミナーでの
ケース分析による
ブレーンストーミングを期待している。





首、肩、背中の
凝りと痛みが
ピークに達した感があったので、
名人のマキノ先生ん処に行って、
マッサージと針施療をしてもらった。

案の定、
胃兪と肺兪を押されると
飛び上がるほど痛かった。

クーラーの効いた
療治室だったが、
マッサージの途中から
汗ばんできて、
血行が回復してきた。

夏休みで通勤・勤務がなくなり、
猛暑で外出を避けて
家でジッとしている時間が多いので、
災害避難者と同じく
エコノミー症候群になりかかっていた。

毎夏、冷たいものを飲み過ぎて、
腹中を刺激して
胃液が薄まるのか、
かならずや一度は胃腸炎にかかる。

今年はまだなので、
用心しながら
水分補給をしている。

ガチガチだった胃兪に
針と揉み療治をして頂いたので、
これでしばらくは
健胃効果があるだろうと期待している。

1時間のマッサージと針は
安くはないが、
「金で解決できるものは
 金で解決せよ」
という経験則があるので、
これには惜しまないことにしている。

***

リュックのなかに
保冷材とデジカメを一緒に入れといたら、
レンズを開口したとたんに
結露してしまった。

ずいぶんと
クールダウンしたのだろう。

「冷奴」ならぬ
「冷やし写真機」である。

おかげで
デビット・ハミルトンばりの
ソフトフォーカス効果になり、
涼しげなフォギーな景色に撮れた(笑)。



リサイタルまで
爪を酷使してきたので、
先端の割れが収まらず、
生活に支障をきたしていたので、
シーズンオフをいいことに
全部カットした。

クラシックギタリストが
右指の爪を切るのは
非日常的な状態で、
スカスカして
おかしな気分である。

でも、この機会に
リュートでも奏でてみっぺか・・・と、
しばらくぶりで二丁ならべて
ルネッサンスの調べを
ゆかしく、たおやかに演奏してみた。

リュートは指頭奏法なので
爪を使わないから
輪郭がまろやかな
ホンワリした音色になる。

リサイタルの時には、
さすがにギターとの持ち替えだったので、
爪による音はチェンバロみたいで
リュート本来のものではなかった。

リサイタルの
シーズンオフならではの
久々に自分のために
音楽を楽しむひと時がもてた。

おととしだったか、
リュートの音色(ねいろ)を聴きたいと
乞われて、古殿まで
出張コンサートに赴いた。

作家さんや外人さんの
小集いだったが、
みなさん、いにしえの
古きよき音色と音楽を
喜んで下さった。


***

ニュースでWMO(世界気象機関/
World Meteorological Organization)で、
世界的異常気象による猛暑である
と警告しているそうな。

欧米各国で
山火事が頻発している。

アメリカのデスバレーでは
53℃になるだろうという。

まさしく「死の谷」である。

これでも、
トランプの馬鹿は
「地球温暖化は科学者のでっちあげだ」
と嘯くつもりだろうか。





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夏バテ?

2018-07-24 04:29:00 | 健康
きのうは
とうとう観測史上の
最高気温41.1℃が出たという。

気象台の芝生の上の
百葉箱の日陰の測定値なので、
街中のアスファルト上の直射日光下では
さらにそれを上回ったに違いない。

35℃の外気温でも
熱吸収をする毛髪内では
50℃に達するという。

なので、
午前中の買出し散歩でも
藁帽子を忘れないようにしている。

***

さすがに自宅では
全館冷房とはいかないので、
一週間以上も酷暑と冷房の
10℃の温度差がある
廊下・トイレや室内を
何度も出入りしていると、
カラダの自律神経が
疲弊してきたのが判る。

なので、
風邪でもないのにだるくて、
首・肩・節々が痛み、
耳鳴りも頻繁にする。

完全なる
自律神経失調症である。

おまけに
真綿で首のような
不定愁訴の群発に
プチ鬱気味である。

もう死んじゃってもいいや、
とここ数日、妙に厭世気分になり
希死念慮がつのっている。

病識をセルフ・モニタリングできるから
まだ現実見当識を失ってはいないが・・・。

なので、
今朝方は常用の抗鬱剤量を増やして
抗鬱性トランキライザーも服用した。

鬱持ちは
日の短い冬季よりも
夏の方が軽快するのが常なのだが、
この酷暑では
さすがにストレスが強すぎる。



カミさんは
毎日、学校で仕事してくるので、
夕飯の仕度のために
毎日、9時半に買出しにいく。

近所の青田が瑞々しく
まさしく「夏穂」の輝きである。

遥か彼方には
吾妻山、一切経の
露出した地肌が見える。

あそこまでは
半時ほどで辿り着く。

今はアキアカネが飛翔しだして
快適なくらい涼しいという。

あだたら高原もそう遠くはない。

本と勉強道具と
ノートパソコン持って、
避暑に行こうかとも考えてるが
なにせダルくて気が重い。

まだ7月末で
この夏バテなのに、
8月になったら
どないなんねやろ・・・と、
想像するだに
あなオシロシやである。

(; ・`д・´)…ゴクリ

でも、こうやって、
ルーティンのブログが
書けているうちは、
まで大丈夫だわい、
というメルクマールにはなる。

ほんまに体調が最悪になると、
それこそ欲も徳もなくなってしまう。

親友にはいつも、
或る日、ブログが
パタリと更新されなくなったら、
死んだと思ってや、
と冗談を言っている。

カミさんにも、
知人から
「ご主人、近頃、お見えになりませんが、
お元気でいらっしゃいますか?」
と訊ねられたら
「主人は、先頃、ふとした病で亡くなりました」
と伝えるように、
とお願いしてある。

これはラフカディオ・ハーンが
妻のおせつに言い残した言葉で、
なんだか素敵だなぁ・・・と、
感心して、自分もこうありたい、
とずっと思っていた。

久しぶりのプチ鬱のせいか、
なんだか死期が迫っているような
妙な切迫感が感じられているが、
ま、死んでもままよ、
と思っている。




家から歩いて一分の近所に
園芸とエクステリアの
「プレオ」があり、
我が家のサンルームもここで
施工してもらった。

湧き出す水に
クルクル廻り続ける
大きなガラス玉が面白くて、
散歩の折には、必ずや
いちどは手に触れて
玉をとめたりしている。

この噴水セット
6万もするので
常時放出する水道代も考えたら
お大尽様のガーデニングじゃないと
買えないわなぁ・・・と、
ビンボー根性で僻んでしまった。

模造ミニ滝もけっこうな
お値段である。

スーパーに行っても
格差社会を感じることがあり、
ことに鮮魚コーナーでは
3000円以上もする
鯛の尾頭付きや
平目一匹なぞ、
どこのセレブリティが
買うんだろうと横目で見ながら
68円のイワシを買っている(笑)。




国内41.1℃の最高気温を記録した昨日。

我が家のPCでも、
心理サイトの閲覧者が
最高の2.418人を記録した。

いったい、どーなってんの?
と、執筆しながら
不思議でならない。

あんまし増えると
逆にプレッシャーになり
病体にムチうちながら、
読者の期待を裏切れないとばかり、
朝4時から専門書を紐解いて
自転車操業的な執筆をしている。

先日、勉強したばかりの、
「完結に至る寸前に、
 プロセスの突然の停止によって
 引き起こされる美的感情・・・『あはれ』」
をやらかしてみようかな
とさえ、ふとした出来心で
思わないでもない。

読者よりも
自分の命の方が
大事だい(笑)。

どーせ、みんな、
タダで見てるんやし(笑)。

あらま。
けっこう、生にも執着あるじゃない(笑)。

何が、人を生かしてくれてるのか
ワカランもんであるなぁ。

明日から
自宅開催の
『宗臨研』
(宗教臨床セミナー)の
第一回が始まる。

アカデミックなディスカッションが
楽しみである。



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´´(;´ρ`A) アチィ…  

2018-07-23 05:32:00 | 季節
どないなってんねやろ、
と呆れるほどの
酷暑に悩まされている。

あまりの暑さに
脳内言語モードがイカレて、
第二自分語の関西弁になって
独り言を吐いている。

きょうも
35℃を越すみたいやし、
熱帯夜も幾日つづいたか
もう勘定すんのも
めんどっちぃ。

今朝のカラダの具合は
背中、節々が痛く、
まともではない。

もっとも、
きのうはカウンセリングが
2件あったので
真剣に仕事し、
心理サイトのために
勉強も朝からミッチリしたので
疲れが残っていたのだろう。

睡眠質が
40%ほど悪化してるように
感じられる。

中度・CKD(慢性腎臓病)
軽度・糖尿病(A1C6.0)
鬱病持ちという
三重苦なので、
ヘレンケラーのように
楽ではない肉体現実と
向き合っていかねばならない。

加えて、
加齢による劣化で
歯が沁みを感じるようになり、
左目の視野は
去年の眼底出血の後遺症で
大きな飛蚊症により遮られている。

『それでも生きてる』

辻井伸行の3.11時の
アンコール曲のようである。

還暦も過ぎ、
息子ふたりも独立し、
もう社会的役割を果たし、
生物的、肉体的にも
老化・劣化してきたので、
もういつ死んでもOKなのだろう。

もうやりたいことも、
心残りという執着も
なくなった。

もはや十分生きた、
である。

末期癌で死期を悟った
父の名言がある。

夕食の卓を囲んで
ぽそりと溢した。

「喰うのも飽きた。
 生きるのも飽きた…」

一周忌用の『偲び草』を
編んでいた折、日記を読み、
「今日、歯が折れた。
 長いあいだ、ごくろうさん」
みたいなことが書いてあった。

彼も、生物的な老化・劣化と
そろそろ人生の終焉を
身に感じていたのだろう。



還暦とは、よく言ったもので、
明らかに心理的に
別次元のファーゼ(phase)に
入った感がある。

人生の第四楽章を
まとめにかかっている。

エリクソンが言った
老年前期の発達課題
「生成継承性(generativity)」
というのを
近頃よく考える。

「次の世代を確立させ、
導くことへの関心」
とエリクソンは定義している。

大学ギター部への
ボランティア指導やら、
宗教臨床セミナーの立ち上げは、
どうやらこのジェネラティヴィティの
為せる発達課題なのかもしれない。

若い世代へのカウンセリングや
「人生教導」のようなことへ
エネルギーを傾けているのも
これに拠るのだろう。

これはドーキンスがいった
「利己的遺伝子」の
文化版ともとれる
技能や物語といった情報
「ミーム/meme」の伝達とも思える。

ミームは
「模倣子、模伝子、意伝子」
とも訳される。

遺伝子は生物を形成する情報だが、
ミームは文化を形成する情報であり、
これも伝わり進化するのである。




夏休みルーティン散歩で
ツタヤに毎日寄っている。

きのうは
新刊の『サルトリア7』が
出ていて欣喜雀躍した。

これは自分にとって
オシャレの教科書なので、
既刊50冊すべてを
揃えてある。

50巻ともなると
登場キャラが多いが
なかでも
天才少女ラウラちゃんが
アニマとしても好きである。

天才ゆえの
破天荒ぶりと
気まぐれさ、純粋さがあり、
若さと美貌も兼ね備え
十分なトリックスター性で
キャラが立っている。




散歩ルートにある
ブックオフが20パーオフ日だったので、
コンプリートしてなかった
『すしいち』を
大人買いしてきた。

鮨オタクなので、
既刊の“すしコミ”はすべて
読んできて、百冊くらいは
自家ライブラリーに保存してある。

なかでも、
いちばんの愛読書は
“すしコミ”の嚆矢とされる
78年の『鉄火の巻平』である。

作者の故・たがわ靖之の
泥臭い筆致は
ひとつの味であり、
漫画の妙味でもある。





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陶器市

2018-07-22 06:10:00 | 風景
今日も今日とて
35℃を越す
猛暑日になるそうな。

熱帯夜も続いている。

エアコンが切れると
寝苦しさで目が覚める。

寝起きのよい朝と
体調がワルイ朝とがある。

今朝は節々が痛く、
また不承不承ながら
アジェンテを呑んだ。

これまでは、
近所のマツキヨで
ディパシオ100錠(\798)が
最安価だったが、
それがなくなったので、
ツルハだったかハシドラで
アジェンテ80錠(801円)
というのを買ってみた。

どちらも
イブプロフェンである。

だるさや体痛は
嫌なもので、
放っておくと、
気分がデプ(鬱)ってくるので、
サッサと鎮痛剤を呑んで
楽になるに越したことない。

ただし、
乱用性頭痛や胃炎には
ならないように
注意している。




毎夏恒例の陶器市の
チラシを見て、
さっそく初日に出かけてみた。

ここ数年、
同じ備前屋さんで
何かしら買っているので、
女将さんが見つけてくれて
「毎度、ありがとうございます」
と挨拶された。

旦那がマニアックな
売り手なのだが、
今年は猛暑のせいか、
体調が悪そうに見えた。

なんだか、
来年にはお目にかかれない
予感がした。

ひと通りのコレクションが
揃っているので、
もう特には食指が動く物がなく、
今年初お目見えの「青備前」に
ちょっと興味が湧いたが、
土に着色料を入れて作ると聞いて
やめにした。

この市の楽しみは、
雑器類ではなく、
人間国宝類が
客寄せとして何品か
展示されるので、
それを眺めに行くようなものである。

さすがに、
それらは数十万規模なので
ガラスケースに
収められている。





二階建ての
「チベット&太平洋」高気圧が
いつまでも居座って、
気象衛星画像は
晴れ渡る島国を
浮き上がらせている。

午前6時でも
25℃を下回らない。

湿度75%なので
蒸しっとして不快感がある。

なので、
躊躇わずに
エアコンを入れた。

除湿されるだけ、
清々しい爽快感になる。

きのうから
朝から晩まで
『祇園囃子』CDをリピートにして
つけっぱなしにしている。

“みちのく”にて
京の夏風情を
音で感じている。

実際のところは、
真夏の四条烏丸で
山鉾巡行を見た時の暑さといったら、
風情どころではなかった(笑)。

人・人・人でゴッタがえし、
押されながら歩くようで、
その見物客の人いきれといったら
なかった。

ほうほうのていで
バスに乗って帰ってきた。

そんな
さんざんな祇園祭りの
イメージであるが、
♪ コンコンチキチ ♪
の鐘や太鼓の音(ね)を聞くと、
やっぱり、夏を感じる。

***

周囲一面が
田んぼと桑畑で
広々と視界の開けていた我が家も、
いつの間にやら
新興住宅に囲まれて
埋没している有様である。

なので、
風通しも日当たりも妨げられ、
万一隣家が出火でもしたら
もらい火で延焼する危惧すらある。

あー、やだやだ。

都会とちがって田舎なんだから、
もちっと、離して、建ててくれやい、
と常々思っている。

それでも、
気密性がいいのか、
どの隣家からも
生活音が聞こえてこないので、
うちも平気で大音声で
TVやらCDを聞いたり
ピアノもガンガン弾いている。

散歩道にある
近所の空き地に
アスパラが生えていて
夕餉の菜に採ってたが、
今度はトウモロコシまで生え出して
そのうち実がなりそうである(笑)。




この夏は、
心理学史の勉強をしているが、
ヴント、ティチェナー、
ウェーバー、フェヒナー、
という黎明期の心理学者の
肖像を初めて見た。

「心理学の父」ヴントなんて
板垣退助かと思った(笑)。

ティチェナーは
アルベニスそっくりである(笑)。

ウェーバーはリストっぽい。

フェヒナーは
さしずめ
隣のおとっつぁんである(笑)。

音楽家の肖像は
だいたい分かるが
心理学者の肖像は
なかなか覚えにくい。


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